青草掲示板ログ平二十四年 十月〜十二月 2012.10〜12
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[6708] Re[6707][6706][6702][6698]: ヤマタイ  大三元 [Url] 2012/12/26(Wed) 20:01 [Reply]
スターダストさん
> ・「高」という字に、古訓として「くら」があったのではないでしょうか?

着眼が良いですよね。どんな展開になるのか楽しみにしてます。

> 「イナツルビ」の祖形は「イナ・ツルギ」であったかもしれない、

「賀茂建角身」「奇日方天日方武茅渟祇」「速甕多気佐波夜遅奴美神」などの「ツヌミ、チヌツミ、チヌミ」なんかが「ツルビ」には近いように思ってました。これも推論の発展を期待してます。

[6707] Re[6706][6702][6698]: ヤマタイ  スターダスト 2012/12/26(Wed) 15:23 [Reply]
大三元さん

> 一つ指摘させて頂くなら中国語の ŋ は日本語に借用するに当たって(平安時代以降)二重母音になるのが普通でしょうか。開音節に受け取る事例がありますか?思い当たりません。

うーん、投稿する前に調べておけばよかったです… 探してみますね。

===
●個人的にお正月休みに考えたいこと

・「高」という字に、古訓として「くら」があったのではないでしょうか?

・高椅(たかはし)神社(栃木県小山市桑絹町高椅)
===( http://homepage2.nifty.com/amanokuni/abe.htm )
長元2(1029)年、後一条天皇の時、井水を掘ったところ大きな鯉が出て、この奏上を聞き、天皇は鯉を食することを禁じたという故事から、「鯉の明神」と呼ばれる。
阿倍氏と関わりの深い「くらはし」を名乗る神社が、大阪府豊中市にある。椋橋総社というが、ここにも「鯉」に纏わる伝説が残っている。倉梯(倉橋・椋橋)は高倉に架かる梯子であり、高橋(高椅)と同じ意味だ。
===

・こもまくら高橋過ぎ/日本書紀(武烈)
これ、高橋をクラハシと読むことから枕詞になったのではないか…(定説では、こもまくらタカハシ→こもまくらクラハシ)
反証?→「薦枕多珂之國」(『常陸風土記』)

・闇龗神と高龗神は同一の神、または、対の神とされ( http://ux.nu/scKDh )
高の字にクラという古訓があれば、闇龗神と高龗神とは、同一神クラオカミの二通りの当て字でありましょう。

・『丹後風土記残欠』加佐郡の記述にて高橋郷(本字高椅)
…とあるが、倉橋郷(くらはし)でなければいけないし、これは、平安時代以後に編まれた『和名類聚抄』の一部の写本にて、誤って「高橋」となっているのを引いているのだから『丹後風土記残欠』は疑書である云々。(⇔定説)
対して、『和名類聚抄』東急本では、高橋郷であるので、これにクラハシという読みがあったと考えればいいかもしれません。

▽▽▽▽▽▽
要は、私の性癖であるナンデモ龍蛇信仰(笑)にかかわる闇龗神の背景を知りたいというところですね。ツミハ【積羽】とのかわかりもみていきたいですし…鴨都味波(かもつみは)のツミハの意味の謎解きですね。 さらに、稲妻の語源は、イナ・ツミハであり、やはり稲妻を意味する語「イナツルビ」の祖形は「イナ・ツルギ」であったかもしれない、なぜなら、ツミハは剣のことでもあり、甲陽軍鑑によれば…
などと怒涛の妄想展開中なのですが、すでに息切れでして。あーあ。

みなさまもよきお正月を。











[6706] Re[6702][6698]: ヤマタイ  大三元 [Url] 2012/12/26(Wed) 14:40 [Reply]
スターダストさん
> 上とは無関係ですが、臺の訓に「うてな」というのがありますよね。 以前から、なにやら外来語臭いと感じていたのですが、皆様の目から見て、いかがでしょうか。

良いセンスして居られますねぇ、と思います。

一つ指摘させて頂くなら中国語の ŋ は日本語に借用するに当たって(平安時代以降)二重母音になるのが普通でしょうか。開音節に受け取る事例がありますか?思い当たりません。

[6705] Re[6701][6700][6699][6698]: ヤマタイ  大三元 [Url] 2012/12/26(Wed) 13:48 [Reply]
琉球松さん ありがとうございます。

ヤマデ/ヤマシロ を ヤマト に結びつけるよすがの一つにはなろうかとは思ってます、はぃ。

[6704] Re[6703][6702][6698]: ヤマタイ  大三元 [Url] 2012/12/26(Wed) 13:45 [Reply]
スターダストさん

発音記号のツール、ありがとうございます。活用しますワ。
談話室のCGIにも通るのかな、てすと:
kɘg pimiɦo vteŋ

[6703] Re[6702][6698]: ヤマタイ  スターダスト 2012/12/26(Wed) 13:28 [Reply]
今回、発音記号を書くのに、

http://okwave.jp/qa/q4330881.html
で示されていた、
http://weston.ruter.net/projects/ipa-chart/view/keyboard/
ないし
http://rishida.net/scripts/pickers/ipa/
を使ってみました。
これは便利ですね。

[6702] Re[6698]: ヤマタイ  スターダスト 2012/12/26(Wed) 13:25 [Reply]
> 私の「邪馬台」解読 書いては消し 消しては書き・・・
> ウロウロしている周辺、ザマ、をお目に掛けます。
> http://www.dai3gen.net/yamatai.htm

驚きました。これは凄いです。

「該」という字の上古音では、
k∂g
ですが、万葉仮名にて、ケの乙類になっていますね。

「臺」も、デの乙類なのかもしれません。

===

上とは無関係ですが、臺の訓に「うてな」というのがありますよね。 以前から、なにやら外来語臭いと感じていたのですが、皆様の目から見て、いかがでしょうか。

・上代の日本語では、語頭に濁音がくることはなさそうだ、というのが通説だと思われます。
・いだく→だく いづる→でる などのように、昔は、濁音の語の前に母音を添える例が多かったと聞きます。

・仮に、「臺=デ」なる外来語がはいってきたときに、いかにしてヤマトコトバになるのでしょうか。
・頭に母音を添えるのですが、イやウのように聞こえの弱い音を添えるのが普通でしょうから、臺を、イデやウデなどとして受容したのかもしれません。
・d∂g の末尾の子音が、なんらかの要因/…たとえば朝鮮語ナマリ…/にて、英語でいえばkingの語尾のような、/ ŋ /の音になっていたことを許容できれば、ひょっとして、この鼻音が、開音節化して「な」になったのかもしれない…
・仮定が多すぎるが、一応は、外来語としての臺を「うてな」として受容したかもしれない道筋があるような…

などと妄想が膨らみました。

[6701] Re[6700][6699][6698]: ヤマタイ  琉球松 2012/12/26(Wed) 09:32 [Reply]
 奄美沖縄の神歌群や『おもろさうし』では「ヤマト/ヤシロ」と対になっています。

 普通、対語は記憶を助ける方法ですから、この2つの地名?は同義と考えたほうが妥当かも。
 「ヤマト」に「山代」が当てられた後に「ヤマシロ(ヤシロ)」と呼んだかもしれない。

 大三元さんの推測は廃棄する必要もなく、いつでも取り出せる所に置いていていいんじゃないでしょうか。

[6700] Re[6699][6698]: ヤマタイ  大三元 [Url] 2012/12/25(Tue) 17:02 [Reply]
神奈備さん ありがとうございます。

>  大和が地域の名から国の名になったのと同じようなことと理解していいと言うことですか。

今のところは「邪馬台」の読みが「やまで」であり、それは「やましろ」と類語である、という所までで、それが「やまと」につながるのかどうかは見えてません。沖縄古語に言及したのがまずかったかも。

[6699] Re[6698]: ヤマタイ  神奈備 2012/12/25(Tue) 15:45 [Reply]
> http://www.dai3gen.net/yamatai.htm

> 即ち、「やまと」も「や(ま)しろ」も日本国(和国)を広く指し示す語であったようだ。

 大和が地域の名から国の名になったのと同じようなことと理解していいと言うことですか。

[6698] ヤマタイ  大三元 [Url] 2012/12/23(Sun) 21:15 [Reply]
私の「邪馬台」解読 書いては消し 消しては書き・・・
ウロウロしている周辺、ザマ、をお目に掛けます。
http://www.dai3gen.net/yamatai.htm

要旨:「ヤマタイ」という二重母音で読むことへの疑問から「ヤマデ」ではないか。漢字を宛てれば「山代」(井代 ゐで という言葉がある);「代」と「台」は同じ音;ヤマデとヤマシロは同じ意味。

[6697] Re[6695][6694][6693][6692][6691][6678][6677][6674]: 日十大王  スターダスト 2012/12/21(Fri) 17:29 [Reply]
大三元さん

> 「リ」を認める一方で「タリ」を認めないのは何故だろう???

用例がみつかったものを、ほぼ確実とみたのかもしれませんね。さもなければ、あまり積極的には項立てしないのかも。 上代の用例探しは本当に大変であっただろうと思います。 時代別国語辞典は、実に労作と感謝しています。 しかし…

ひとたび
ふたたび
みたび
の例から、ひ・とり、ふ・たり であろうことは推測できるのですが(つまり、「・り」ではなく「・たり」を推します。)

>「具」を「そ(乙)」と訓借仮名として認めているようですね。
なるほど。うーん。これは銘記しておかねばいけませんね。


私>戦う時の装備について「もろたり」みたいな類語があったようななかったような

具には、「ヨロヒ」という訓がありました。 タンスなど、ひとそろいのものを備えたときに使う助数詞でした。 すごく日本語は不思議です。

>「ももちだる家庭(やには)も見ゆ」〈応神記)
あ、これは、掛かり方がわかります。
「ももちだる」は「や」にかかっています。 この時代、屋根と屋との区別がほとんどありませんで、ほぼ同義語です。 屋根には、垂木という構造があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%82%E6%9C%A8
この垂木がたくさん使われた屋は、立派・荘厳だという認識がありまして、そこで、「ももちだる」は「や」にかかるのです。類縁の語に「ちぎ 【千木/知木/▽鎮木】【氷木(ひぎ)】」というのがありますが、別の構造体です。「チギタリ」という構造体もあるのだそうですが、人によっては、ここから「チダル」の語源をひっぱってくる説もあると聞きます。 されば、チダル・トダルが天に掛かるのは、天蓋=屋根思想にひっかけているのでしょうか…よくわかりません…





=======

琉球松 さん

「ヒダリ=一人」は一人で十分…なるほど、例の文脈では、そう捉える事が可能ですね。なるほど。

●鎌倉時代の言葉に「具足(グソク)」というのがあって(古くはソタリか?)、
>琉球圏の聖地「グスク」
これ、テッキリ、「グ・スク」にて、「城(き)・塞(さく)」の音転と思っていました。 ヒメゴソのゴソにも近いかしら…なども。
http://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A1%9E

>「ヤマ(国)足」、つまりはほとんどの国が連合している様
実に興味深い解釈ですね。 これは実に面白いです。 
…昔、ネタ的に、
邪馬台国は、「ヤ・マタ・ハリ」の先頭の数文字をとってきたのではと考えたことがあります。
ところで『俀国伝(大業3年条)』に登場する二人の日本人名が中国語表記で「小徳・阿輩臺」「大礼・哥多[田比] 」とあるのですが、前者は、「大伴=オホトモ」、後者は「額田部(連比羅夫)」が妥当だとするならば、人名の音節が多い場合には、中国側では省略されることがあるのだと考えられます。他にも、小野妹子は近い先祖の春日氏にちなんで春日妹子から蘇因高という中国名となったのでしょう。ここで、蘇は、例の二合仮名的用法でして、sug ないし sog の末尾子音に母音を付加して suga などと発音したと思われます。カスガの省略でスガとなったわけです。やや、長くなりましたので本題に戻りますが、日本語の固有名詞は、中国語ネイティブの人にはとても音節が長く感じられます。 笑い話ですがテレビで中国出身の女性芸能人が、「わたしはおなかがすきました」は、長すぎる!とふくれっつらをしていました。中国語なら3音節ですむからです。 さて、音節の省略がなされていたとするならば、もはや、「邪馬台」から元の名詞を推測できかねることになってしまいますが、あえて「ヤ・マタ・ハリ」だったら面白かろうと思った次第です。日本語には南方系要素もはいってきていますが… ヤは「弥栄」の「弥」、ポリネシア系統の語にてマタは、「目」、ハリは「昼」を意味するのですが、ポリネシア系の言語では、「名詞形容詞」語順がみうけられますので、マタ・ハリは、意味的には「昼の目」となります。 これが、実は、ポリネシア系の言語では「太陽」を意味することになっているのですね。すると、「ヤ・マタ・ハリ」は、「聖太陽」とでもいうべき造語となります。 ここまでですと、無理やりな感じですが、「マタ・ハリ(目・昼)」には、他に日本語化した単語があります。「ヒルメ」です。 オホヒルメノムチのヒルメ。マタ・ハリの「名詞形容詞」から「形容詞名詞」の語順に変えて日本語化したものが、ヒルメとなり、これが太陽神と意味が重なってくることには、ある程度、不思議な偶然があるともいえます。 …まぁ、自説といえどトンデモ説なのですが。オホヒルメが支配した「ヤ・マタ・ハリ」を、邪馬台国と記したという奇説でした。以上は、捨て置いてください。 私自身信じていませんので。小説のネタにならなしそうですけれど。

===

[6696] Re[6695][6694][6693][6692][6691][6678][6677][6674]: 日十大王  琉球松 2012/12/21(Fri) 13:15 [Reply]
 「タリ」に「足」の字を当てているのを考えると、「人」の意味が含まれるのは間違いないのでしょうけど、古代人と現代人との間に感覚のズレがあるから難解なのでしょう。

 「タリ」は「十全・満」とも解釈できますから、「ヒダリ=一人」は一人で十分って感じじゃないでしょうか?「フタリ(二人)・ミタリ(三人)etc 」も同様にそれぞれの人数で十分に間に合うと表現しているように思いますね。

 ちょっと時代が下がりますが。。。鎌倉時代の言葉に「具足(グソク)」というのがあって(古くはソタリか?)、これは武具など軍事力が十分に整っているとの意味で、琉球圏の聖地「グスク」の起源ではないかと推測しています。
 それと「ヤマト・ヤマタイ」などは「ヤマ(国)足」、つまりはほとんどの国が連合している様を意味するのではないか?「タラシヒコ」も「足し彦」で、国を最大限に安定させているリーダーと見たいですね。

[6695] Re[6694][6693][6692][6691][6678][6677][6674]: 日十大王  大三元 2012/12/21(Fri) 08:30 [Reply]
「タリ」の周辺を時代別国語大辞典上代編で調べてみました;と書き出すように私は「タリ」(なんにん と言う場合の 人)という語があるものだとばかり思っていたのですがそのような項が立てられていないのです。その代わり(?):

「リ・人:ひとり、ふたりの場合のみ」というような項立てになっている。

「ミタリ」に就いては「ミタリ」という項立ては無く「ミ・三」の複合例として「ミ=タリ」が挙げられている。「ヨタリ」も同様。

5に関しては「イツ」の項に複合例として「イツ=トリ」(垂仁紀5年:「丹波国有 五婦人{いつトリノヲミナ})があるも「いつたり」は無い。

「むたり」は項もなく複合例にも挙がっていない。
「ナナタリ」「ヤタリ」「ココノタリ」は複合例として掲出されている。
「トヲタリ」無し・・・ うううむ、、、

「リ」を認める一方で「タリ」を認めないのは何故だろう???
メモ:「ヒダリ」(神武前紀)は「一人」のことか、としてある。

> ただ、オモダルというのが、満月のことであるという強烈な説をみかけたことがあります。どこでだったか…

なるほど。月の満ち欠けに関することですか。面白い解ですね。でも、その解によって他にも理解が進む事象(名義、系図、伝承)があれば説得力が増すのでしょうが、思い当たりませんでした。

> 「ソダル」については、具足るでしたよね? 戦う時の装備について「もろたり」みたいな類語があったようななかったような。ちょっと思い出せないのですが…

「具」を「そ(乙)」と訓借仮名として認めているようですね。
(メモ:阿具知能(あはぢの)三腹(みはら)の郎女(いらつめ)では「具=は」。)

> 「登陀流」が、ほぼ、天(アメ)に掛かるのはどういうわけなのでしょうか…疑問はつきません。 面白いです。

答えになりませんが「天の血垂 鳥の災い」(大殿祭の祝詞):「千足」も「天」に関わってますね。かと思えば「百千足」は「ももちだる家庭(やには)も見ゆ」〈応神記)には「天」の要素が見えない・・・
「「登陀流」・「血垂」考」なんて論考もあったりするようです。未読。
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=7&cad=rja&ved=0CE4QFjAG&url=http%3A%2F%2Fuwazura.seesaa.net%2Fando_koten%2F12.pdf&ei=BZ7TUNTOItHqmAW0lIG4AQ&usg=AFQjCNHpHf535FQIiq8D60DhtC-C-rCCNA&bvm=bv.1355534169,d.dGY


[6694] Re[6693][6692][6691][6678][6677][6674]: 日十大王  スターダスト 2012/12/20(Thu) 16:52 [Reply]
大三元さん。

> > ●タリ
> (ヒフミヨイムナヤココノ「タリ」 においては「トヲタリ」とすべき所「トヲ」が抜けた、みたいに観じられます。)

ふと感じたのですが、「トヲタリ」ですと、上代ではまっさきにに、十人(じゅうにん)を思い出すのではないでしょうか。ななたり、やたり、など。 無論、単独のタリ=十にもあてはまるのですが…はて? 「足り」…うーん。
ただ、オモダルというのが、満月のことであるという強烈な説をみかけたことがあります。どこでだったか…

「ソダル」については、具足るでしたよね? 戦う時の装備について「もろたり」みたいな類語があったようななかったような。ちょっと思い出せないのですが…
「登陀流」が、ほぼ、天(アメ)に掛かるのはどういうわけなのでしょうか…疑問はつきません。 面白いです。

> > ●[ソ●]
>
> 「ソキイタ」も「トチイタ」も意味は同じですから(以下略

こちらに、トチイタの作り方が書いてあります。面白いです。
http://www.minyu-net.com/serial/enichiji/enichiji0523.html

>
> > ●年をネに読む
>
> 「根神」「根人」も説明しているWIKIの「おなり神」なんかも読みやすい解説です:
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%AA%E3%82%8A%E7%A5%9E
>

素敵です。

[6693] Re[6692][6691][6678][6677][6674]: 日十大王  大三元 2012/12/20(Thu) 08:31 [Reply]
スターダストさん

> ●タリ

原点に仮名が振ってない語の読みは 誰が何時頃読んだものか が気になりますね。
モモタリ、チダリ、モモチダリ、などから 十足 トヲタリ という語があったかも、ソダル も類語(参考:時代別国語大辞典上代編「とだる 登陀流」)
(ヒフミヨイムナヤココノ「タリ」 においては「トヲタリ」とすべき所「トヲ」が抜けた、みたいに観じられます。)

> ●[ソ●]

「ソキイタ」も「トチイタ」も意味は同じですから、どちらかからどちらかへ音が転じたのでしょうね。前者から後者に変化した、と思います。「キ」と「チ」の口蓋化に関しては、本土語「キ」が琉球語「チ」に対応する例も散見されます。

> ●年をネに読む

「根神」「根人」も説明しているWIKIの「おなり神」なんかも読みやすい解説です:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%AA%E3%82%8A%E7%A5%9E


[6692] Re[6691][6678][6677][6674]: 日十大王  スターダスト 2012/12/19(Wed) 14:55 [Reply]
大三元さん へ

(さん と 三 とでオッケーとのことでしたので、以後、こう書かせていただきます。)

●タリ
> 「十」を「タリ」と読む件:決定していないように思われます。ご参考に:

うはぁ…これは… ご教示ありがとうございます。ううむ。


●[ソ●]
なるほど、これは! 良いものを教えてくださいました。ちょっと思考が柔軟になりました。 ありがとうございます。 万葉集では「寸」は、ほぼ、「き」ですしね。十寸板= ソキイタ 以外に候補はないことでしょう。

※ソキイタ同様に、やはり屋根葺きに使われる、「トチイタ」もありうるかと、ずいぶんと考えました。その場合には、「寸」に「チ」の音を対応させる必要がありますが、万葉集を全部調べた結果、そのような事例は存在しないようでした。 以上は裏話です。 発音上ではキとチが近いからいいじゃぁないかとも思いましたが、やはり強引ですよね(恥

●年をネに読む
実は、万葉集にいくつか事例があります。
在根良 對馬乃渡 〃中尓 幣取向而 早還許年
奥山之 菅葉淩 零雪乃 消者将惜 雨莫零行年
鳥■[土+一ノ皿]立 飼之鴈乃兒 栖立去者 檀岡尓 飛反来年
などなど…
ただ、今のところ、根の意味で使っている事例を万葉集から見いだせていません。ないかもしれません。

>「根」を先祖と解することは「根の国」解読あたりから賛同致します。
http://www.dai3gen.net/nenokuni.htm
また琉球語の方面からも支持が得られようと思います。

これは、非常に心強いです。 じっくりあれこれと、周辺を散歩してみたいところです。

ありがとうございました。

[6691] Re[6678][6677][6674]: 日十大王  大三元 2012/12/17(Mon) 16:45 [Reply]
スターダストさん

「十」を「タリ」と読む件:決定していないように思われます。ご参考に:
テキスト:「十」のところは「ト」
http://www.geocities.jp/sizen_junnosuke/tokusaooharai.html

「十」のところは「ト」(上↑のテキストと同じみたい)
http://www.woopie.jp/video/watch/b512dc61c34d9603

石上では「タリ」
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=Dz0kQMmBZ3s

別バージョン:十(ト)の後は百、千、万と続く
http://www.youtube.com/watch?v=mq4zDBhHCuM

[6690] Re[6688][6675][6614][6605][6604][6603][6602][6582][6580][6578]: 倭迹迹日百襲姫命  大三元 2012/12/17(Mon) 16:15 [Reply]
スターダストさん

> ただ、「十●」の形式の時に、「ソ●」になる古い例を、私は探しそこねております。

万葉集:2650
十寸板持  盖流板目乃  不<合>相者  如何為跡可  吾宿始兼
そき板もち 葺ける板目の あはざらば いかにせむとか 我が寝そめけむ 

なんてのが見つかりました。

[6689] Re[6686][6683][6680][6677][6674]: 日十大王  大三元 2012/12/17(Mon) 16:12 [Reply]
スターダストさん 詳しいご説明有り難うございます。

面白いですねぇ。「年」を「ね」と読む、というのは「岩波・日本書紀・p124頭注4」にありまして気にしていました。ここで再見することになるとは・・・
http://www.dai3gen.net/yashimajinumi.htm

「根」を先祖と解することは「根の国」解読あたりから賛同致します。
http://www.dai3gen.net/nenokuni.htm
また琉球語の方面からも支持が得られようと思います。

他はユックリ咀嚼させてください。

なお、私の名義は、そうですねぇ、この投稿者へご返事を頂く、という趣旨からは大三元が宜しいかも知れません。「様」よりも「さん」で良いと思いますが貴殿の習いのようですからお任せします(^^)。

[6688] Re[6675][6614][6605][6604][6603][6602][6582][6580][6578]: 倭迹迹日百襲姫命  スターダスト 2012/12/17(Mon) 15:31 [Reply]
> スターダストさん ちょいと古い話を蒸し返します。
>
> > 上代において、「十」を「ソ」と読んでいいのは、十の倍数の時ですね。
>
> 「真十(まそ)」というのがありました(まそ鏡)、意味は:十全なさま・・・
> 「真百(まほ)」ってのは見つかりませんが真十のアナロジーでありうるとしてみるのも悪くないかも。「まほら(まほらま、まほろば)」という言葉があり、「ら」は接尾語としているから「まほ」という語を取り出しても良さそう、意味は「真秀」でしょうね。

この真十については、すぐれたご指摘であると思います。
「●十」の形は、原義において、「10の倍数」の表現のときに「●ソ」となるのですが、その表現から真似して、マソに「真十」を使ったというのは、十分にありうることと、思います。
ただ、「十●」の形式の時に、「ソ●」になる古い例を、私は探しそこねております。 十川をソガワとよむ姓を個人的に知っておりますし、地名にもあるのですが、どうも新しい雰囲気がただよっております。


[6687] Re[6681][6678][6677][6674]: 日十大王  スターダスト 2012/12/17(Mon) 15:26 [Reply]
> スターダストさん
> > ●棄却の理由
> > 上記仮説は国語学的におおいに問題があったのです。
> > 本鏡の年代を503年ないし443年とする限り、日本では、漢字にたいして、訓読みが成立していません。 
>
> そうですかぁ。どなたの御説なんでしょうか。どんな資料に基づいた御説なんでしょうか。大体においてこの頃の日本語は資料が甚だ乏しい。だから何々という事象・現象は「未だに見つかってない」ならともかく「存在しない」みたいに断定的に言われると立ち止まってしまいます。
>
> > 例えば、曰十大王の大王は、「おほきみ」と読んだことすらなかったとされます。
>
> うううん。じゃぁなんと読んでいたのでしょう、「だいおう」でしょうかねぇ。それこそ信じられないのですが。「おほきみ」という語はなかったのでしょうかねぇ、あったとしたら「大王」を「おほきみ」と訓じていた、と思うのが「デフォルト」じゃぁないのかなぁ。
>

ええと、こればかりは、私の能力の及ぶところではございませんので、ご案内飲みにとどめておきます。

沖森先生がまだお若い時の学位論文要旨です。
http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/gakui/cgi-bin/gazo.cgi?no=214298

"訓の成立は5世紀にはいまだ見当たらず、現存資料では6世紀半ば頃のものが最も古い。訓がその時期に発生するのは、6世紀前半における、学問・仏教の本格的な伝来によるものであり、漢文の理解行為が繰り返しなされる過程で出来したものと考えられる。"

さて、上の論文は当時画期的だったようですが、現時点では、日本語学の分野では、定説となっているようでございます。 もろもろの文献をあたってみましたが、異論をみつけることができていません。

[6686] Re[6683][6680][6677][6674]: 日十大王  スターダスト 2012/12/17(Mon) 15:21 [Reply]
>大山元様へ
>以下、諸々、自分なりの意見を述べさせて頂きたく存じます。

…の続きです。

ここまで、構文上「日十大王年男弟王」は、ひとりの人物(=ふがふが王)であるはずなのです…と申し上げておりました。日十大王と男弟王とは、なんらかの続柄にあるはずで、後者の皇統としての正統性を強調して謳うところの、一種の美称として、先王である日十大王が用いられ、その続柄を表現するために、「年」が使われているのだという推測を展開してまいりました。
これにて、日十大王と男弟王とは、別人格であるにも関わらず、「日十大王年男弟王」は一人の人物であると考察しているところなのでございます。 なお、拙論では、字の判読方法として「日十大王年男弟王」は採用せず、先学の実績もある「曰十大王年季弟王」を採用していることを改めて再確認させていただきたく存じます。

残る問題は、【曰十大王 年 季弟王】の「年」がどのような続柄を示すのかについてです。 先の私の投稿にて既にお示しさせていただきましたように、この「年」は、中国語での義・意味を保持したトシツキの意味の「年」ではございませんで、なんらかの「やまとことば」に対応する借音表記でございます。 中国語発音に近く日本語にて音読みした「ネン」に近いヤマトコトバには、はたしてどのようなものがあるのでございましょうや。
私は、候補として、「ねの」の発音に「年」を宛てた借音であると考えることにいたしました。 もしも現代日本語風に漢字をあてれば「根の」でございます。この「根」はヤマトネコのネにも近いのではないかと考えておる次第なのです。この「根」に、【正当なる後継ぎ】の意味があれば、拙論の精度がかなり上がることとなるのではないかと思われるのでございます。
まず、念のために借音のシカケですが、「シナノ」の音に「信濃」を宛てる場合を想起していただくことが簡明です。「信」の字には、中国語では、ひとつの音節が対応しますが、日本語では、ふたつの音節「シナ」になっております。母音がふたつあるのですね。「Shi Na」と。 やや、発音記号上精密さに欠けますが、説明のために簡単に記しまして、「信」=「Shin」に、母音を付加して「ShiNa」としているシカケなのでございます。 漢字の音の末尾に母音を増やすような、この方法によって日本語の音に漢字をあてはめることを、専門用語では、「二合仮名」と申します。相模の相(さが)なども「二合仮名」の用例です。 私は、「年」も、「二合仮名」の用例として考えました。「ねの」として発音しているものに、「年」を使ったと。

さて、「根の」が、すぐれた血統の正当嫡子たる意味を有していたかどうか、検討しておかねばなりません。 このあたり、辞書にはもはや頼れない雰囲気が濃厚でございます。心細いこと、この上ありませぬ。 用例が見つからなければ拙論はただの気にしすぎのデッチアゲになってしまいます。

最初に着目したのが、『上宮記逸文』にある垂仁天皇の名の表記です。以下に。
伊久牟尼利比古大王
これは、活目入彦や伊久米伊理毘古に相当するはずなのですが、『上宮記逸文』では、尼の字が登場していて、なんとも不可解です。イの発音の字などいくらでもありますのに、わざわざ「尼」。 私はあえて、次のような名が本来の形であったのではないかと考えました。
伊久牟 根 伊利比古大王
ここで、根は、皇統たる意味あいを強調した表現であると。ヤマトネコのネであると。
伊久牟 根 伊利比古大王の根と伊とが、発音が縮んでしまって、「ネ」+「イ」と伝承されていたものが、一族内部にての伝承上で、いつしか「ニ」に変形し、系図として活字化する際に「尼」の字を宛てたと考えてみたくなったのです。 これで、ちょっとだけ自信がつきました。 でもこれだけでは、まだまだ、イイガカリ程度のものでしょう。
次に着目すべきは、記紀に伝わる伝承でございます。調べてみることにしましたところ、なにかしら傍証がみつかったようでございます。

伊豫の來目部の小楯が、所用があって播磨國に赴いたときに、雄略により一族殺を避けて身を隠し亡命していたオホケ・ヲケの二人の皇子と出会ったときの記述です。兄弟は、雄略が死んでいることを既にしっていたのでありましょう、いよいよ小楯に身分を明かす時が来たのですが、その最初の歌が次のようなものでした。
===
伊儺武斯蘆、呵簸泝比野儺擬、寐逗喩凱麼、儺弭企於巳陀智、曾能泥播宇世儒。
(稲蓆(いなむしろ) 川副揚(かはそひやなぎ) 水行(みづゆ)けば 靡(なび)き起(お)き立(た)ち その根(ね)は失(う)せず)
===
柳の根が、川の水の中にあっても、失われることはない といった塩梅です。
これは、皇子が、自分の身の上を明かす伏線になっているのでございます。一族が困難にあい、もろとも殺戮される時代の趨勢という巨大な流れ(川の流れ)にあっても、柳の根は失われることはなかった、すなわち、根=日嗣の血統は失われていなかった、との文学的表現でございましょう。 もちろん、史実ではないことと存じますが、物語上のことでございます。 中央政府のいきのかかった役人である小楯に、このように、歌で、状況や身分を暗喩で伝えたにもかかわらず、小楯は「美しい歌だ、おもしろい」ぐらいの感想しかもらさなかったのでございます。そこで、皇子はさらに踏み込んで、舞いながら有名な歌を唄うことになるのです。

倭者彼彼茅原 淺茅原弟日 僕是也
(倭はそそ茅原(ちはら) 淺茅原(あさちはら) 弟日(おとひ) 僕(やつこ)らま)

これでも、小楯は、確信が持てませんでした。そこで、最終的に、もっと直接的に、歌います。

石上(いそのかみ)振之~榲(ふるのかむすき)
伐本(もときり)截末(すゑおしはらひ)
於市邊宮(いちにへのみや)治(しらす)
天下 天萬國萬押磐尊御裔(あめよろづくによろづおしはのみことのみあなすゑ) 僕是也(やつこらま) 

物語によくある、(ここでは3段しかけですが)盛り上げつつクライマックスを迎えることになるのです。

以上のように、柳の根をもって、皇統の根を 暗喩した物語と、私は解釈しております。 最初の柳の根が、残るふたつの歌と無関係であったとしたらば、物語の構成上、なんともブサイクなことであると思われるのです。

ここまでで、崇高なる血統の血を引くという意味における「根」…と思われる用例の二番目をご説明申しあげました。

次に三番目です。
允恭天皇は、ワクゴノスクネとも申しました。 ここで、「スクネ」というのは、家臣が使うものであって、天皇の名前にふさわしくないという説が圧倒的に有力視されています。 すなわち、允恭天皇は、実は別の血統なのではないか、王位を簒奪したのではなかったかという有力学説があるのです。

私は、スクネを、「次ぐ根」の意味であると考えたいのです。 すなわち、高貴な血統をきちんと継いでいるのですよ、という意味合いです。(下級豪族が、自らの尊貴性を示すときにも使うでしょうから、かならずしも、皇統のみに使うとは思いません。)

正当後継者の意味でのワクゴノ【スクネ】の自称が史実では本当であるか嘘であるかはわかりかねますが、すくなくとも、自称していたことは間違いがないことでしょう。 当時の時代感覚で、これが、臣下の名称であるとしたら、天皇が自分の血統を皇統にあらずというゴミ扱いをしていることになりますので、やや不審です。スクネが、正統後継者であることを含意していたとするならば、以下の表記に合致します。

曰十大王年季弟王

には、スクネの意味あいを込めて、曰十大王たる先の王の根(=日嗣)たる季弟王という自称として十分な響きがございます。これは、ホムタノヒノミコオホササギと通底した表現であることを、重ねて強調しておきたく存じます。

長くなりましたが、以上で、「年」の解釈を終わります。








[6685] Re[6684][6683][6680][6677][6674]: 日十大王  スターダスト 2012/12/17(Mon) 13:54 [Reply]
>  スターダストさん
>
>  「大山元」ではなくて、「大三元」ですよ。
>  こういう、悪意のない誤字は『古事記・日本書紀』などにもけっこうあったと推測できます(笑)。
>

実は私も悩みまして、http://www.dai3gen.net/preface.htm を参考にさせて頂きました。 「大山元」名義のほうが、ご著書の宣伝になるかもと思いまして…

[6684] Re[6683][6680][6677][6674]: 日十大王  琉球松 2012/12/17(Mon) 13:39 [Reply]
 スターダストさん

 「大山元」ではなくて、「大三元」ですよ。
 こういう、悪意のない誤字は『古事記・日本書紀』などにもけっこうあったと推測できます(笑)。

[6683] Re[6680][6677][6674]: 日十大王  スターダスト 2012/12/17(Mon) 13:20 [Reply]
大山元様へ

以下、諸々、自分なりの意見を述べさせて頂きたく存じます。

> 「季弟王」と読む説もあるのですね。なるほど。
> いずれにしても「●未年八月日十大王年」と「年」が二回出てくるのをどう読む(意味をとる、理解する)のが良いのか結構悩んでます。お考えはありますか?

はい、独自説ですが、持ち合わせております。他の事項とも関連しておりますので、ここでは一旦保留させてくださいませ。

> 「日十大王」と「季弟王」は同人物のこと、と考えるのですよね。同一人物を表す主語(的な語)が異なった表現で連続する、、、ちょっと違和感ありませんか?

おっしゃる通りです。当初は同一人物であると考えておりましたが「日十大王」と「季弟王」とを、別人物であると解する方向に、転向せざるをえませんでした。

> 普通(?)別人物だと読みとりませんか。そこで「年●弟王」という区切り方は試みられていないのでしょうか。(おもいつき・・・)

> 癸未年八月 日十大王年 ●弟王在意柴沙加宮時
> 癸未年八月 日十大王 年●弟王在意柴沙加宮時

のちほど理由を述べますが、大山元様のこの進み方に異存はございません。 はい、こちらもターゲットに考えたことがあります。適切な王名を上の区切り方では…私は見出せませんでした。 もうひとひねりしなくてはいけないと覚悟いたしました。
では、大山元様による進み方について、肯定的である理由をもう一度述べます。大山元様が「「●未年八月日十大王年」と「年」が二回出てくる」とおっしゃる通り、ここには何か変なことがおきていると思料されます。 中国語では、漢字を「形・音・義の三要素」で分析可能ですが、それをもろもろの中国にとっての外国語に輸出した場合には、「形・音・義」の構成に、外国語(日本語)などの影響が出てしまいます。 音においても、義においても。 日本側では、最初に、音を真似した借音表記を使わざるをえないことになりましょう。 例示すれば「卑弥呼」など、日本語の音を表記するにあたって、「形・音・義」の「義」を捨ててしまうほかなかったわけです。この最初の段階では、文は基本的に正格な漢文として綴られます。 中国人が読んでも文法的に違和感がないような文章です。 次の段階において、「形・音・義」の「義」を置換したり「音」を捨てたりする方法が発達してきます。 「杉」と書いてあっても中国人と日本人とでは指し示している植物種が異なっていたり(義の置換)、あるいは、「日」と書いてあっても、これを「ひ」「か」と言う音にあてたり(「音」を捨てる) といった発達段階が参ります。 この段階では、文章の記述においては、正格漢文は放棄されやすく、倭習のはいった変格漢文になっていく傾向が強いようです。 変格漢文では日本語と中国語とでは動詞のはいる位置が異なったり、あるいは、日本人が読みやすいように、中国語ではありえないような漢字を差し込んだりするようです。 要するに、段々と漢字を使って日本語にマッチした表記方法が発達してくるわけです。ここで、再度、銘文をみてみます。

癸未年八月 日十大王年 ●弟王在意柴沙加宮時

ここに現れる、二つの「年」について、片方は、「義」を保持したままの「年」である、すなわち、意味において中国人がそのまま理解できるものと考えておきます。 まさしく「とし」を意味していることでしょう。 そして、もう片方の「年」については、中国語での発音を、日本語風に若干アレンジしつつ、「年」の義を捨ててしまった借音表記とみるべきことと思料されます。 こうすることで、二つの年の謎を解明する方向は、十分に検討すべきことと思われます。

大山元様によるご提案の以下の区切りにおいて、後者は、

> 癸未年八月 日十大王年 ●弟王在意柴沙加宮時
> 癸未年八月 日十大王 年●弟王在意柴沙加宮時

まさしく、ふたつめの「年」を、「形・音・義の三要素」の「義」から解放しようとする戦略です。 この意味において、私の説(まだ詳細を述べておりませんが)方向性は同一でございます。

…くどくどと長い文になってしまって、もうしわけありません。 簡潔にスパっと申し上げる器量がございませんものでして。

さて、「日十大王」と「季弟王」とが別人物であるという拙論のご説明にはいる前に、流れのついでですので、「季弟王」についてあらためて、意見を添えておくことといたします。 「季弟王」は、「形・音・義」の「義」も「音」も捨てていない表記なのでしょう。「義」については、「ワクゴノスクネのミコ」相当に近いものと考えざるをえません。(このあたり既に申し上げました。)一方、「曰十大王」においては、「曰十」が義を保存しているとは到底考えられず、これは、借音表記と考えざるを得ません。今はまだ詳細を述べていませんが、年代的に、「わたり」のような借訓表記ではないことも銘記しておいてくださいませ。

…ふぅ…

癸未年八月
日十大王年男弟王在意柴沙加宮時
斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟

それでは、「日十大王」と「季弟王」とは別人物であると解する件について申し上げます。銘文中の「癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時」までがひとつのブロックでして、これは、「いつのことですか?」を示しています。「癸未年八月」と、「日十大王年男弟王在意柴沙加宮時」とが、ペアになっておりますが、まとめてひとつの文脈になっております。いったん混乱するかもしれませんが、ここで、あえて、「日十大王年男弟王」は、ひとりの人物であると申し上げます。【さっき「日十大王」と「季弟王」とは別人物と言ったよね?どういうこと】と思われることでしょう。
「ほげほげ年八月 ふがふが王在うにうに宮時」という構文になっておりまして、これは、≪「ほげほげ」の年の八月、 ふがふが王が、うにうに宮に 在ります時に≫ のようなイミアイとなります。 もちろん、当時は、漢文の訓読の技術は発達しておりませんので、 上記のように発音したはずもありませんが・・・意味としてはあっているのでございます。「ふがふが王在うにうに宮時」という使い方も、「ほげほげ年八月」という使い方も、後の年代によくある書き方ですし、これらがペアで使われた荘厳な書き方であるとお考えいただきたいのです。

さすれば、構文上「日十大王年男弟王」は、ひとりの人物(=ふがふが王)であるはずなのです。【さっき「日十大王」と「季弟王」とは別人物と言ったよね?どういうこと?】という疑問についても、そろそろ書かねばならない次第でございます。これについては、類似の使用例が、『古事記』にございます。以下です。
===
吉野の国主・くにす・は、大雀の命を褒めて、歌を捧げた、
「 誉田の日の御子大雀 
 大雀 佩かせる太刀 
 本剣 末ふゆ 冬木の素幹が下樹の さやさや 」
===

「誉田の日の御子大雀」の表現は、全体にて、ひとりの人物である仁徳天皇です。 
一方、「誉田の日の御子」には、応神天皇が登場しております。 つまり、二人の人物の名前でもって、ひとりの人物を示すこととなっております。 
【これは一種の美称なのでしょう】
同一の用例らしきものがほかにもございます。
===
大国主がその小さな神に名を尋ねたが、答えなかった。従えている者も皆知らなかった。そこにヒキガエルの多邇具久が現れて、「これは久延毘古(クエビコ)ならきっと知っているでしょう」と言った。久延毘古に尋ねると、「その神は神産巣日神の御子の少名毘古那神である」と答えた。
===

ただたんに、親子関係を示しているのではなく、「偉大なるAの子であるB」という美称と解します。 ましてや、仁徳の例では、「日の御子」で、A とB とを接続していますので、皇統の正嫡であるという強い意味を有していることと思われます。 「日嗣の御子」なのですね。

(ここでいったん休憩します)










[6682] 【訂正】Re[6677][6674]: 日十大王  スターダスト 2012/12/17(Mon) 11:57 [Reply]
> 大山元様へ
> 古い時代の日本語学の大家にして最先端を行く森博達先生。日本書紀のα群β群の区別の発見などが有名です。 森先生もまた、隅田八幡人物画像鏡の読みに挑戦しておいでなのですが…詳細は省かせていただきます。 ここではひとつだけ。銘文の出だしにおいて。


 森先生ではなく、沖森卓也先生でした。 たいへんに申し訳ありません。訂正させていただきます。

 ・・・少々疲れていたのに投稿してしまったことを悔いています。

[6681] Re[6678][6677][6674]: 日十大王  大三元 2012/12/17(Mon) 08:42 [Reply]
スターダストさん
> ●棄却の理由
> 上記仮説は国語学的におおいに問題があったのです。
> 本鏡の年代を503年ないし443年とする限り、日本では、漢字にたいして、訓読みが成立していません。 

そうですかぁ。どなたの御説なんでしょうか。どんな資料に基づいた御説なんでしょうか。大体においてこの頃の日本語は資料が甚だ乏しい。だから何々という事象・現象は「未だに見つかってない」ならともかく「存在しない」みたいに断定的に言われると立ち止まってしまいます。

> 例えば、曰十大王の大王は、「おほきみ」と読んだことすらなかったとされます。

うううん。じゃぁなんと読んでいたのでしょう、「だいおう」でしょうかねぇ。それこそ信じられないのですが。「おほきみ」という語はなかったのでしょうかねぇ、あったとしたら「大王」を「おほきみ」と訓じていた、と思うのが「デフォルト」じゃぁないのかなぁ。



[6680] Re[6677][6674]: 日十大王  大三元 2012/12/17(Mon) 08:32 [Reply]
スターダストさん

「季弟王」と読む説もあるのですね。なるほど。
いずれにしても「●未年八月日十大王年」と「年」が二回出てくるのをどう読む(意味をとる、理解する)のが良いのか結構悩んでます。お考えはありますか?

「日十大王」と「季弟王」は同人物のこと、と考えるのですよね。同一人物を表す主語(的な語)が異なった表現で連続する、、、ちょっと違和感ありませんか? 普通(?)別人物だと読みとりませんか。そこで「年●弟王」という区切り方は試みられていないのでしょうか。(おもいつき・・・)

癸未年八月 日十大王年 ●弟王在意柴沙加宮時
癸未年八月 日十大王 年●弟王在意柴沙加宮時

[6679] Re[6676][6637][6635][6634]: 百襲についての変わった説  琉球松 2012/12/16(Sun) 19:09 [Reply]
神奈備さん、講演に行かれたんですね。有意義な内容だったと推察します。

 "後円部から特殊器台、前方部から特殊壺" 。。。これは重要だと思います。
 一般的に、箸墓古墳など出現期の前方後円墳では、後円部に女性、前方部に男性が葬られているようですから、被葬者の女性が吉備と関わっているのは間違いなく、しかも特殊器台の模様のデザインが沖縄産の巻貝(ホトを象徴)を加工する際に表れるものだとすれば、卑弥呼よりも台与(弟姫?)に分があると推測できます。
 この男女の関係は、磯城郡川西町の「島の山古墳」を最後に逆転し、同古墳の後円部からはゴホウラ貝輪を引き継いだ「鍬形石」が廃棄されたとしか思えない状態で出土します。アマテラスが伊勢に追放?された時期と重なるかもしれません。

 以前にも書きましたが、"卑弥呼の円墳" は間に合わせの感がありますから、箸墓古墳完成後に台与と合葬されているのではと想像しています。"径百歩" の円墳は和歌山市竈山の「五瀬命墓」だったかも?

[6678] Re[6677][6674]: 日十大王  スターダスト 2012/12/16(Sun) 15:36 [Reply]
大山元様へ

●ワタリ大王
一転して、私がかつて推していた説ですが、いまや、棄却した仮説を申し上げます。というのは、大山元様の「をそ」説と同じ弱点を(古い時代についての日本語学的に)抱えているからです。でも面白そうなのでかいつまんでご紹介させていただきます。

いわゆる倭の五王(讃、珍、済、興、武)を、どの天皇にあてはめるかについては、いくつも流派がありまして、なんともかんとも…解明がいそがれるところではあります。そんななかでも、倭王武=雄略、倭王済=允恭天皇というのは、ほぼ大方の同意を得ているという趨勢であります。雄略がワカタケルで、そのタケルから倭王武「武」の字をもってきた、という仮説にたいしても、あまり強力な反論がございませぬ。 ところが、倭王済については、武=タケルのような、允恭天皇を指ししめすような済についての訓読みは存在していないと理解されています。 マイナーな説ですが、済の古訓に「ワタリ」というのがありますので、この「ワタリ」が、允恭=雄朝津間稚子宿禰尊の「津」の字のことなのだろうというものがあります。 あれれ?と私などは感じてしまいます。ここまでが前振りです。

さて、かつて私がでっちあげた仮説をこれから書きます。日ではなく曰の字であったとして…「曰十大王」を、どのように読むかですが。曰にある「ワ」の音に、「十」の字にあたえられる「タリ」をつければ、「ワタリ」=倭王済ではないかと発想します。「十」の字に「タリ」などという読みがはたしてあるのか? あるのです。
物部系の神社に残っている十種神宝にまつわる数え方、そして『先代旧事本紀』の記述によるところの、「一二三四五六七八九十、布留部 由良由良止 布留部(ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ)」と唱える「ひふみの祓詞」。 ここでは、「十」を【タリ】としています。

…この仮説を思いついたときの私のヌカヨロコビといったらもう…

●棄却の理由
上記仮説は国語学的におおいに問題があったのです。
本鏡の年代を503年ないし443年とする限り、日本では、漢字にたいして、訓読みが成立していません。 そういうものを造る発想もなかったようです。 といいますか、音読みすら非常にあやしく、訓読み・音読みの成立の前段階、字音を表音的につかうか、漢字の字義をそのまま漢文的に使うか…だけだったとされています。
例えば、曰十大王の大王は、「おほきみ」と読んだことすらなかったとされます。
ぐっはー。 がっかりー。 十をタリの音にあてはめるわけもなく…

●曰十を「をそ」と読めるか
というわけで、「をそ」も、国語学的には、ヤバイのです。
443年に訓読みがあったとする証拠であると主張できるようなら、どんなにか、私の説も大山元様の説も魅力的であることか!


●「真十(まそ
については、後日また・・・今日はもう疲れました。
ごめんなさい。



[6677] Re[6674]: 日十大王  スターダスト 2012/12/16(Sun) 15:10 [Reply]
大山元様へ
>
> 日十大王のことを考えてみました。お説のように「曰十」としこれを「をそ」と読めば「麻・麻」ではありませんか。やはり允恭天皇(「雄朝」津間稚子宿禰尊)があぶりだされるように思えます。
>
> 意柴沙加 とのつながりも良い。
> 意柴沙加 のそばの 朝倉 も 麻倉 かも。

うおーーーーーーーー(絶句
してから一昼夜たちました。 いやぁ素晴らしい。この掲示板でのヤリトリがなければ、何をおっしゃっているのか、あやうくわからないところです。感謝。

●季弟王
古い時代の日本語学の大家にして最先端を行く森博達先生。日本書紀のα群β群の区別の発見などが有名です。 森先生もまた、隅田八幡人物画像鏡の読みに挑戦しておいでなのですが…詳細は省かせていただきます。 ここではひとつだけ。銘文の出だしにおいて。
癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時
実は、上の「男」の字は、非常に読みづらい字でして、研究者によって字の形そのものですら様々な論が立てられております。ここはいったん、●であらわします。
癸未年八月日十大王年●弟王在意柴沙加宮時
さて、森先生は、●について「季」の字の異体字の可能性があると喝破されました。私も異体字についての書籍で確認してなるほどと思ったものです。 さて「季」には、よく知られているように、末っ子の意味があります。季弟王と読めば、末の弟の王となります。 允恭天皇は記紀によれば三兄弟の末っ子であります。 しかも、ワクゴノスクネの名が伝えられていますとおり、ワクゴでもあります。 同母兄弟の中の末の子がワクゴなのですね。 まさしく、季弟王は允恭天皇に相応しい表記なのでございます。季弟王在意柴沙加宮時ですから、奥さんの忍坂大中姫(オシサカのオホナカツひめ)の住まいにご厄介になっていた時期もありそうですから、二重三重に
大山元様wrote:> 意柴沙加 とのつながりも良い。
ということになります。 私は季弟王の比定について、これ以上の良い候補を考え付きません。 さて、森先生は、季弟王の読みを発見していますが、いかんせん、この鏡の年代を考古学者による最も蓋然性が高いとされる年代、癸未年=503年 を前提としていらっしゃいますので、允恭天皇のことは切り捨てておいでです。
(この項続く)

[6676] Re[6637][6635][6634]: 百襲についての変わった説  神奈備 2012/12/16(Sun) 13:53 [Reply]
> これは、"円墳先行説" と呼ばれるようですが、大和岩雄さんは否定的に書いていますね。


 円墳部先行のお話はなかったのですが、面白い話が出ていました。

 箸墓には吉備型の特殊器台が出ていますが、本来は器台の上に特殊壺を乗せるのですが、宮内庁書陵部の調査によると、後円部から特殊器台、前方部から特殊壺が出ているようです。器台が器台の役割を果たしていません。

 これについて考えて見ました。
 1.前方部を後から造営したが、飾る物がないので、後円部の壺を運んできて並べた。
 2,後円部の器台の中に奴婢を入れていたので、その上に特殊壺を乗せることが出来なかった。
 どちらかだと思いますが、円方同時に造営したとしても、後円部の五段目が直径約44mの石積みの円形であり、これを径百歩と称したのかも知れません。ただ卑弥呼の墓とすれば3世紀中頃の造営でしょうが、庄内式土器が出ていることから3世紀末で、どちらかと言えば次の女王の台与の墓かも知れませんので、径百歩にこだわる必要はないのかも。

 なお、石野先生は卑弥呼の墓として纏向勝山古墳をあげておられました。

[6675] Re[6614][6605][6604][6603][6602][6582][6580][6578]: 倭迹迹日百襲姫命  大三元 2012/12/16(Sun) 08:35 [Reply]
スターダストさん ちょいと古い話を蒸し返します。

> 上代において、「十」を「ソ」と読んでいいのは、十の倍数の時ですね。

「真十(まそ)」というのがありました(まそ鏡)、意味は:十全なさま・・・
「真百(まほ)」ってのは見つかりませんが真十のアナロジーでありうるとしてみるのも悪くないかも。「まほら(まほらま、まほろば)」という言葉があり、「ら」は接尾語としているから「まほ」という語を取り出しても良さそう、意味は「真秀」でしょうね。

[6674] 日十大王  大三元 2012/12/15(Sat) 10:19 [Reply]
スターダストさん

日十大王のことを考えてみました。お説のように「曰十」としこれを「をそ」と読めば「麻・麻」ではありませんか。やはり允恭天皇(「雄朝」津間稚子宿禰尊)があぶりだされるように思えます。

意柴沙加 とのつながりも良い。
意柴沙加 のそばの 朝倉 も 麻倉 かも。

[6673] Re[6671][6665][6660][6652][6646][6644][6642]: 無題  大三元 2012/12/14(Fri) 16:50 [Reply]
スターダストさん
> 顕宗ヲケと仁賢オホケとの兄弟の母が荑媛 ですが、『記』には、阿倍之波延比売ともあり、ハフ系なのかもしれませんね。 このことから、ヲケないしオホケの「ケ」は、なんらかの植物であろうと、昔辞書に書いてあったような気がします。

「荑=波曳」の「曳、え」も「波延」の「延、え」もヤ行のエ(江)ですから ハフ系というより ハユ ハ江系 じゃないのかしら。

オケ、ヲケ兄弟の「ケ」は甲類。甲類の「ケ」で時代別国語大辞典上代編に項立てしてあるのは「異:普通でないこと・・・」だけですね(*)。亡命中に発見された(名乗り出た)という異例だったのでカミングアウト後についた名前???
 
(*)詳しく言うと:「ケ(甲類):未詳。人を数える助数詞か。云々」ともある。

[6672] Re[6669][6666][6661][6655][6650]: 雄朝妻と浅茅原と  大三元 2012/12/14(Fri) 16:40 [Reply]
スターダストさん
> 万葉仮名の用法で「曰」は、もっぱら、「ヲ」の系統のようでしたし、「ワ」の方面にて使われている実例をあまりみない、というオハナシのつもりでした。

そうでしたね。「曰佐、をさ」などですね。そうか「ワチ」と読ませるのは例外的なんですね。

> 「ヲチミヅ(変若水)」を想起いたしました。「月の再生・不死」の信仰に係わりがあるはずでございます。、「ワチ」という和語を「月」で表記することの材料になりえますでしょうか。

興味ある連想です。「ワチ」という和語を「月」で表記したのは中国音に基づくもの、と理解してきましたが、これも例外的、ということになりそうですね。

> さて、隅田八幡神社人物画像鏡の銘には「日十大王」がありますが、諸説があり悩ましいところです。私は、「日」ではなく、「曰」であろうと思います。

見解を持ち合わせて居りません。あしからず。

[6671] Re[6665][6660][6652][6646][6644][6642]: 無題  スターダスト 2012/12/14(Fri) 14:50 [Reply]
●シキの甲乙
> 「鬼(き)」の甲乙は辞書では見つかりませんでしたが下記のように考えてみます。
> サンプルとして:
> 字 上古音ー中古音ー中原音韻ー現代音
> 伎 gieg----gie------ki--------tsi 甲類
> 貴 kIu∋d--kIu∋i---ku∋i-----ku∋i 乙類  さて、
> 鬼 kIu∋r--kIu∋i---ku∋i-----ku∋i ∴乙類と判定します。
> (∋ 発音記号で e が逆になっているもの、
>  I 介音と呼ばれる渡りの音、これが乙類に使われる漢字の特徴)
>
> 従って「斯鬼」を「磯城」と解することに甲乙問題は無い、と思います。

なるほど、実に明快ですね。

●ハユ・ハフ
> > ハユ(映ゆ or 栄ゆ)系
> > と、
> > ハフ( 【延ふ】or 這ふ )系

> あと「蝕」も「はゆ(下二段)」なんですよね。悩ましいことを追加しちゃいます(^^)。

うぅぅ。 悩ましすぎます。
顕宗ヲケと仁賢オホケとの兄弟の母が荑媛 ですが、『記』には、阿倍之波延比売ともあり、ハフ系なのかもしれませんね。 このことから、ヲケないしオホケの「ケ」は、なんらかの植物であろうと、昔辞書に書いてあったような気がします。

[6670] Re[6668][6667][6663][6649][6648][6647]: 鳥の名としてのムサ  大三元 2012/12/14(Fri) 14:46 [Reply]
スターダストさん

「ツツ」と「ツチ」が同義語だろう、ということには賛同致します。
http://www.dai3gen.net/ooyama.htm

更に「ツツ、ツチ」は「星」の意味ではなかろうか、と考察しております。
http://www.dai3gen.net/tuti.htm

「ツツ」が「タツ」に通じ、龍蛇の意味ではないかとのご指摘はまだ飲み込めておりません。(なお豊玉姫が出産するとき「竜」になる(神代紀)という用字があります;だからどう、ってことではありませんが。)

[6669] Re[6666][6661][6655][6650]: 雄朝妻と浅茅原と  スターダスト 2012/12/14(Fri) 14:30 [Reply]
大山元様へ。

> ちょっと文意が取り切れませんが「古韓音の残滓として「ワt」(ワ プラス 韻尾tのつもりです)があるらしい」ということを補強なさりたいのですか? 中国音から来ているのではないでしょうか。「曰」の音などについては: http://www.dai3gen.net/wachi.htm 

資料をありがとうございます。万葉仮名の用法で「曰」は、もっぱら、「ヲ」の系統のようでしたし、「ワ」の方面にて使われている実例をあまりみない、というオハナシのつもりでした。

たった今思いついて・・・持論にあわないので捨ててしまいたいのですが…書きます。
http://www.dai3gen.net/wachi.htm
において、両月について書かれておりますが、「ヲチミヅ(変若水)」を想起いたしました。「月の再生・不死」の信仰に係わりがあるはずでございます。、「ワチ」という和語を「月」で表記することの材料になりえますでしょうか。

さて、隅田八幡神社人物画像鏡の銘には「日十大王」がありますが、諸説があり悩ましいところです。私は、「日」ではなく、「曰」であろうと思います。
「曰十大王」とは誰のことでしょうか。
ワタヂヒ大王
と私は読みたいのです。 現代風に漢字で書けば、倭蝮大王でございます。すなわち、反正天皇のことであると。
この読みの1ステップにて、播磨国神前郡邑曰野の事例を使いたいのです。孤例でしょうが、重要な用例です。
※なお、十は「じふ」であって「ぢふ」ではなかろうというツッコミが来るのは承知でございます。上古音 dhi をどう考えるかとなります。budhiの語を漢訳するとどうなっているかなど、さまざま考えているのでございます。実に悩ましいです。





[6668] Re[6667][6663][6649][6648][6647]: 鳥の名としてのムサ  スターダスト 2012/12/14(Fri) 14:08 [Reply]
> スターダストさん
>
> >繭のことを「ツツ」とも言うが、
>
> 仁徳記では(繭の段階を)「鼓(ツツミ)」と書いてますが、これを「ツツ」(筒?)と採るのですね。「ミ」はどう考えるのだろう。「身」だと「ミ乙」だが、「鼓」の最後の音は「ミ甲」。

ミ甲とのこと、ご指導をありがとうございます。ミは、ツツを動詞化した上での、なんらかの活用形なのでしょうか…ちょっとすぐにはわからないので後ほど調べてみます。

さて、「筒鳥」というのがいまして、こいつの鳴き声が、鼓をたたいているように聞こえるからだという一説?をでっちあげてみました。
他、塩土老翁・塩筒老翁の異表記からツツ=ツチでもありそうだという考え、ミヅチやツチノコという語にもみえる槌は、塩土老翁の土ではなかろうか…とも。 そして、『日本書紀一書』に、伊弉諾尊が橘小門で払い濯ぎをした時、【水の中に入って:強調しておきますが】磐土命、底土命、赤土命を生んでいますが、『古事記』では、上筒之男命・底筒之男命・中筒之男命が対応するものとも思われまして、音韻から見て磐土→上筒、底土→底筒、赤土→中筒とが認められるわけでして…土と筒との同期がまたもや取れるようでもあります。先にも強調しておきましたが、なにゆえ水の中にはいって「●水命」ならぬ「●土命」なのだろうか…と考えてみますと、どうやら、これは地面にある土、どろんこ、のことではないようでして、なんらかの、「ツツ」に宛てた字の表音にすぎないのだろうなと。 そこでこの「ツツ」は、龍蛇の一種であると仮定いたしますと、塩土老翁とは、実は、塩=潮、潮流を制御できる龍蛇神を奉じる一族のカシラの反映とみなせそうでありますし、伊弉諾尊がミソギで生んだのは、【水の中では】海の表層、海の中層・海の底の層をつかさどる龍蛇神ではなかったかと思われるのでございます。 うはー…長くてわかりにくい説明ですみません。 以上は昨日私が記憶に基づいてでっちあげた説でございますが、折口信夫先生がこのことに言及していらっしゃったかどうかについては不覚にも覚えておりません。もうしわけありません。
「ツツ」が龍蛇属性のモノであって、『仁徳記』にある「ツツ」が、蚕(かひこ)の繭としての龍蛇属性を持つというのは牽強付会にすぎないのかもしれません。
ひとつ気になるのが『仁徳記』にもある上記「ツツ」の舞台である地、「ツツキ」の地名でございます。これ、ツツを龍蛇とみなしてしまえば、類語として、「ハハキ」が出てくるのでございます。「ハハ」が龍蛇を意味する可能性が高いことは古くから先学諸氏の御説にもあるとおりでございまして…なにやら妖しく私の心を捕まえてしまっているようでございます。

> > ヤマトトトヒモモソヒメのトトがツツつながりで龍蛇信仰に連絡できたらばと思ったのですが、裏が取れませぬ。
>
> 繰り返しかもしれませんが「ト甲」に使われる漢字は「ツ」にも使われますが、「ツ」に使われる漢字が「ト乙」に使われることはなさそうです。
> http://www.dai3gen.net/tuto.htm
> つまり「ヤマトトトヒモモソヒメのトトがツツつながり」に関して私は悲観的です。

私も悲観的になってまいりました。

[6667] Re[6663][6649][6648][6647]: 鳥の名としてのムサ  大三元 2012/12/14(Fri) 09:52 [Reply]
スターダストさん

>繭のことを「ツツ」とも言うが、

仁徳記では(繭の段階を)「鼓(ツツミ)」と書いてますが、これを「ツツ」(筒?)と採るのですね。「ミ」はどう考えるのだろう。「身」だと「ミ乙」だが、「鼓」の最後の音は「ミ甲」。

> ヤマトトトヒモモソヒメのトトがツツつながりで龍蛇信仰に連絡できたらばと思ったのですが、裏が取れませぬ。

繰り返しかもしれませんが「ト甲」に使われる漢字は「ツ」にも使われますが、「ツ」に使われる漢字が「ト乙」に使われることはなさそうです。
http://www.dai3gen.net/tuto.htm
つまり「ヤマトトトヒモモソヒメのトトがツツつながり」に関して私は悲観的です。

[6666] Re[6661][6655][6650]: 雄朝妻と浅茅原と  大三元 2012/12/13(Thu) 17:24 [Reply]
スターダストさん
> ところで、長田夏樹先生によれば、「対馬」の「対」の字は、上古音にて、去声であり、しかも韻尾は、/ s /であろうと云うのです。 → 『新稿 邪馬台国の言語―弥生語復元』実に印象深い学説です。倭人語のツシマに漢字を宛てるにあたり、ツシ+マと聞き、ツシに韻尾sの「対」を使ったというのですね。

韻尾に/ s /というのがあるのですね。知らなかった。私の知ってるのは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%BB%E5%B0%BE
の程度。。。

> ※無関係ですが、ええと、資料上の邑曰野の文字列を久しぶりに見ました。「曰」の古韓音の残滓として「ワt」(ワ プラス 韻尾tのつもりです)があるらしいのですが、私が知る限り、例はこの一例のみです。私は、もう一例、別の資料にこれをみつけたような気がするのですが、大胆すぎて…必死に吹聴するのですが…どなたにも受け入れてもらっておりません。

ちょっと文意が取り切れませんが「古韓音の残滓として「ワt」(ワ プラス 韻尾tのつもりです)があるらしい」ということを補強なさりたいのですか? 中国音から来ているのではないでしょうか。「曰」の音などについては: http://www.dai3gen.net/wachi.htm 

[6665] Re[6660][6652][6646][6644][6642]: 無題  大三元 2012/12/13(Thu) 17:03 [Reply]
スターダストさん

> たびたびありがとうございます。稲荷山古墳出土の鉄剣銘に
> 「獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也」
> とありまして、獲加多支鹵=雄略だとすると、斯鬼宮の甲類乙類の区分がが磯城と合わないという指摘を見たことがあります。 実に不可思議なことですね…

「鬼(き)」の甲乙は辞書では見つかりませんでしたが下記のように考えてみます。
サンプルとして:
字 上古音ー中古音ー中原音韻ー現代音
伎 gieg----gie------ki--------tsi 甲類
貴 kIu∋d--kIu∋i---ku∋i-----ku∋i 乙類  さて、
鬼 kIu∋r--kIu∋i---ku∋i-----ku∋i ∴乙類と判定します。
(∋ 発音記号で e が逆になっているもの、
 I 介音と呼ばれる渡りの音、これが乙類に使われる漢字の特徴)

従って「斯鬼」を「磯城」と解することに甲乙問題は無い、と思います。

> ハユ(映ゆ or 栄ゆ)系
> と、
> ハフ( 【延ふ】or 這ふ )系
> との対立ともうしますか、ある意味似ているとも思われますし、スッキリせず、いかんともしがたいところですね。

あと「蝕」も「はゆ(下二段)」なんですよね。悩ましいことを追加しちゃいます(^^)。

[6664] Re[6659][6658][6656][6653][6651]: チャチャ  大三元 2012/12/13(Thu) 16:50 [Reply]
琉球松さん

>  アイヌ語は、こちらでは遠い言語のように思えますが、琉球方言との関係性も指摘されています。

借用関係はあるだろうと思いますが系統関係はなさそうです。

>  まあ、僕としては琉球方言の範囲で何かと参考でなればイイかなと考えています。

古代史(語)を考えるにあたり大いに参考になります。
http://www.dai3gen.net/ryukyugo.htm

[6663] Re[6649][6648][6647]: 鳥の名としてのムサ  スターダスト 2012/12/13(Thu) 16:34 [Reply]
私 >繭のことを「ツツ」とも言うが、「ツツ」はまた、龍の意味になる、ということだったと記憶しています。手元に資料が見当たらなくて唸っております。ヤマトトトヒモモソヒメのトトがツツつながりで龍蛇信仰に連絡できたらばと思ったのですが、裏が取れませぬ。

メモの断片が出てまいりました。 ツツを龍(雷属性)とみることについては、折口信夫先生が、『水の女』『上代葬儀の精神』のふたつの論文にて、記しているようです。断片にはそれ以上書いていませんで、この論文を私が読んでいるかどうかについては記憶があいまいです。 探してみます。

[6662] Re[6654][6649][6648][6647]: 鳥の名としてのムサ  スターダスト 2012/12/13(Thu) 16:29 [Reply]
大山元様

> 這う虫、というのが祝詞と雄略紀4年にありますね。
> ヘビ、ムカデなどのことだとされています。

ありがとうございます。 どうも、中国でも虫には爬虫類のたぐいがはいってきているようですね。

[6661] Re[6655][6650]: 雄朝妻と浅茅原と  スターダスト 2012/12/13(Thu) 16:26 [Reply]
> スターダストさん
> > ●アサツマ= 麻+ツ+間(マ)
> いいですね(^^)。

ありがとうございます。

> 「マ」に関して魏志倭人伝の「対馬」は「つま」とでも読むべきで、ここの「ま」が仰るような「間」であり、http://www.dai3gen.net/gishi06.htm 「しま」に発展したものか、と私考(引用に過ぎないか)を上げてあります。

これは面白いですね。参考になります。 大山元様のサイトを全読しなくてはいけないようです。
ところで、長田夏樹先生によれば、「対馬」の「対」の字は、上古音にて、去声であり、しかも韻尾は、/ s /であろうと云うのです。 → 『新稿 邪馬台国の言語―弥生語復元』実に印象深い学説です。倭人語のツシマに漢字を宛てるにあたり、ツシ+マと聞き、ツシに韻尾sの「対」を使ったというのですね。

> 谷川健一著『日本の地名』P198〜に八重山出身の宮良当壮と金関丈夫の「ハテルマ」に関する論争がまとめられている。そこで宮良は「マは加計呂麻、慶良間、多良間、池間などの島名で見るようにシマ(島)の頭略である。」としている。
>
> すなわち、私説の当否は、宮良説の当否に依存していそうである。(宮良説には金関氏の反論があるが、私には甲乙付けがたい。)他に、鳩間、来間、などあり。

※無関係ですが、ええと、資料上の邑曰野の文字列を久しぶりに見ました。「曰」の古韓音の残滓として「ワt」(ワ プラス 韻尾tのつもりです)があるらしいのですが、私が知る限り、例はこの一例のみです。私は、もう一例、別の資料にこれをみつけたような気がするのですが、大胆すぎて…必死に吹聴するのですが…どなたにも受け入れてもらっておりません。


[6660] Re[6652][6646][6644][6642]: 無題  スターダスト 2012/12/13(Thu) 16:07 [Reply]
> スターダストさん
> しつこくて済みませんが「磯城」の「キ」は乙。「スキ{金+且}」の「キ」は甲類。鳥の名「シギ」の「ギ」も甲類。・・・だからダメとは断定しませんがご留意頂きたく。
>
たびたびありがとうございます。稲荷山古墳出土の鉄剣銘に
「獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也」
とありまして、獲加多支鹵=雄略だとすると、斯鬼宮の甲類乙類の区分がが磯城と合わないという指摘を見たことがあります。 実に不可思議なことですね…

> > これにつきましては、本来、「八重」は「はへ」であったというご趣旨なのでしょうか? 
>
> そうなんですが、実は「葉江(はえ)」の「え」はヤ行の「え」(カナが造られなかったので「江」を使います)。ですから「八重」を「はへ」と読んでみるというステップ、更に「はへ」を「は江」と読む、という二段階あり、かなり無理してます。
>
> 「え」と書いてしまうけど上記のように「え(ア行)、へ、江」の三種類を意識せねばなりませんね。
>
> 「はや」と「は江」が通用するか、と探索されるのは「江」がヤ行ですから有効ですね。

ハユ(映ゆ or 栄ゆ)系
と、
ハフ( 【延ふ】or 這ふ )系
との対立ともうしますか、ある意味似ているとも思われますし、スッキリせず、いかんともしがたいところですね。

[6659] Re[6658][6656][6653][6651]: チャチャ  琉球松 2012/12/13(Thu) 15:29 [Reply]
大三元さん、ニフェーデービル!

 アイヌ語は、こちらでは遠い言語のように思えますが、琉球方言との関係性も指摘されています。
 いろいろ教示願いますよ。アイヌ語は日本語全体の基になる言語かもしれませんしね。

 まあ、僕としては琉球方言の範囲で何かと参考でなればイイかなと考えています。
 それと、大三元さんが時々発するツッコミに、なんとか対抗しようと四苦八苦するのも楽しい作業ですよ(笑)。

[6658] Re[6656][6653][6651]: チャチャ  大三元 2012/12/12(Wed) 20:34 [Reply]
琉球松さん

百襲姫の名義探求の周辺では「鳥」もキーワードの一つとして話題に出ていますが、アイヌ語で「鳥」のことは cikap チカプと言いますが、この語はまた陰茎をも意味します。kap が皮のことです。あとは知里真志保の分類アイヌ語辞典・人間編から引用して逃げます。(「鳥」=ciri チリ、もあります。)

§107. 陰部 ― 男性の性器 (11) 陰茎包皮  chi-kap (-u) 〔ci-kap ちカ@プ〕 [chi (陰茎) + kap (皮)] 《H.一般》

なお、ci も chi も同じ音で綴り方(正綴法)の違いだけです。

別件「ムサ」の件、有り難うございました。

[6657] Re[6654][6649][6648][6647]: 鳥の名としてのムサ  琉球松 2012/12/12(Wed) 18:07 [Reply]
 展開が早くて、大三元さん質問を逃してしまいました。

 『沖縄古語大辞典』は、どうしても首里&那覇中心の傾向がありますから「ムシ」でいいと思いますが、僕の育った沖縄本島中部では「ムサ」に近い発音となります。
 この「ムシ・ムサ」のどちらが先かは判定しかねますから「この語は現代日本語「ムシ(虫)」に転じている」と断定するわけにはいかないかもしれません。

 ちなみに、ヘビもムカデも「イチムシ・イチムサ」に含まれます。「イチ」は「生」でいいと思います。

[6656] Re[6653][6651]: チャチャ  琉球松 2012/12/12(Wed) 17:50 [Reply]
 ん〜、なんかエロっぽくなってきましたね〜(笑)。
 しかし「ホト」などは、百襲姫との関係では避けられないところです。

 大三元さん、<アイヌ語で ci (ち)は陰部の意味>なんですね。
 沖縄方言では乳房を意味しますよ。「ち」が二つで「 千千衝倭姫命」。。。イイ感じです。

 ここで琉歌を一節
*** あやハジチうがま あやタマチうがま「綾なす針突(手の刺青)拝もう 綾なす玉のような乳房を拝もう」***

[6655] Re[6650]: 雄朝妻と浅茅原と  大三元 2012/12/12(Wed) 17:49 [Reply]
スターダストさん
> ●アサツマ= 麻+ツ+間(マ)
いいですね(^^)。

「マ」に関して魏志倭人伝の「対馬」は「つま」とでも読むべきで、ここの「ま」が仰るような「間」であり、http://www.dai3gen.net/gishi06.htm 「しま」に発展したものか、と私考(引用に過ぎないか)を上げてあります。

谷川健一著『日本の地名』P198〜に八重山出身の宮良当壮と金関丈夫の「ハテルマ」に関する論争がまとめられている。そこで宮良は「マは加計呂麻、慶良間、多良間、池間などの島名で見るようにシマ(島)の頭略である。」としている。

すなわち、私説の当否は、宮良説の当否に依存していそうである。(宮良説には金関氏の反論があるが、私には甲乙付けがたい。)他に、鳩間、来間、などあり。

[6654] Re[6649][6648][6647]: 鳥の名としてのムサ  大三元 2012/12/12(Wed) 17:41 [Reply]
琉球松さん

現地の方(ですよね)のお話しですから尊重致しますが
> >  沖縄方言の「ムサ」は、昆虫や小動物全般を意味しますよ〜。
(現代)「沖縄語辞典」(国立国語研究所編)にも「沖縄古語辞典」でも「ムシ」はあっても「ムサ」が見あたりません。所詮、素人書斎学派の限界か。何か典拠が頂けますか。

現在では音が少し変わってきて「ムサ」という、ということもあろうかと思いますが、大昔に「ムサ」という語があった、ということにはなりそうもない???

> ありがとうございます。そうでしたか。 そういえば、今ここで具体例を挙げられないのですが、古代、蛇のことを虫に分類するケースがあったはずです。 虫の概念が広いのは、列島でも同じだったのですね、恐らく。

這う虫、というのが祝詞と雄略紀4年にありますね。
ヘビ、ムカデなどのことだとされています。

[6653] Re[6651]: チャチャ  大三元 2012/12/12(Wed) 15:35 [Reply]
神奈備さん

いやぁ、よくぞ仰って下さいました。私の「しょうもない説」、書こうか書くまいかと思っていたのですが、この際・・・

アイヌ語で ci (ち)は陰部の意味です(大抵男性のことのようですが、女性の場合もあるらしい)。更に cici (ちち)と言えば女陰のことになります。

神奈備さんの論も上記私説も
> > 千千衝倭姫命
には意味としては当てはまりますが「千千速」には当てはまりそうにないので「しょうもない説」としております。

[6652] Re[6646][6644][6642]: 無題  大三元 2012/12/12(Wed) 15:30 [Reply]
スターダストさん
> 私としては、本居先生の『古事記伝』においての、「師木津日子玉手見命。坐2片鹽浮穴宮1治2天下1也。此天皇。娶2河俣毘賣之兄縣主殿延之女。阿久斗比賣。生2御子1常根津日子伊呂泥命2。<自レ伊下三字以レ音>次大倭日子スキ(金+且)友命。次師木津日子命。」の解説から、シキ・スキとハヤとの関連の端緒をみたような気がしたものですので…シキをシギという鳥の名、ハヤもまた鳥の名…としてなのです。

しつこくて済みませんが「磯城」の「キ」は乙。「スキ{金+且}」の「キ」は甲類。鳥の名「シギ」の「ギ」も甲類。・・・だからダメとは断定しませんがご留意頂きたく。

> これにつきましては、本来、「八重」は「はへ」であったというご趣旨なのでしょうか? 

そうなんですが、実は「葉江(はえ)」の「え」はヤ行の「え」(カナが造られなかったので「江」を使います)。ですから「八重」を「はへ」と読んでみるというステップ、更に「はへ」を「は江」と読む、という二段階あり、かなり無理してます。

「え」と書いてしまうけど上記のように「え(ア行)、へ、江」の三種類を意識せねばなりませんね。

「はや」と「は江」が通用するか、と探索されるのは「江」がヤ行ですから有効ですね。

[6651] チャチャ  神奈備 2012/12/12(Wed) 14:55 [Reply]
> 千千衝倭姫命

 天宇受売命は天石屋戸の前で、乳から陰を出して踊りました。これからの連想ですが、千千は乳ででて更に陰の意味があるのかも。そうしますと、千千衝は箸で陰を衝いた百襲比売を暗示しているように思われます。
 チチがホトを意味すると言う好都合なお話があればいいのですが・・・

[6650] 雄朝妻と浅茅原と  スターダスト 2012/12/12(Wed) 14:47 [Reply]
●雄朝妻と浅茅原と
雄朝妻稚子宿禰天皇(允恭)の雄朝妻と、浅茅原とについて、大山元様から、ご指摘をうけておりました。 
朝妻という地名について、その謂れをあれこれ想像してみましたが、どうにもこうにも、妻や端(ツマ)では、地名としてはピンときません。 地名の謂れはもっと素朴なものではなかったかと…
そこで、以下のように考えてみました。

●アサツマ= アサ+ツ+マ
末尾のマは、一定の(時間的ないしは空間的な)領域を示す語であると考えます。琉球地方にも、「ケラマ」をはじめ、やたらと地名の末尾に「マ」がつくものがありますが、この例でしょう。
マホラ・マが転じてマホロ・バとなったということもございますし、マはバに通じています。(イナバの国)というのは、あるいは稲場ではなかったのかなぁとも思います。太古のマの概念は空間をさすものはバに、時間をさすものはマに分岐していったことかと思われますが、現代でも「居間」という言い方も残っていますので、厳密な区別はあまりないのかもしれません。

●アサツマ= 麻+ツ+間(マ)
と分解しますと、このツは、クニツガミのツのようなものと考えられます。クニツガミが、クニのカミであることを思えば、麻+ツ+間は、麻の間という語義になりましょうや? これならば、麻が生い茂っている場所ということになります。 地名起源としては、素直なツクリであろうかと思われます。

●アサツマとアサチハラ
無論、マもハラも、一定の空間的領域を示しますので、ある意味、同義でありましょう。アサツマのアサが麻であると仮定することと、アサチハラのアサが麻であると仮定することとは、整合性が取れてまいります。

思わぬ気づきでした。 大山元様、ありがとうございます。

[6649] Re[6648][6647]: 鳥の名としてのムサ  スターダスト 2012/12/12(Wed) 14:21 [Reply]
琉球松様。
>
>  沖縄方言の「ムサ」は、昆虫や小動物全般を意味しますよ〜。
>  ふだんは「イチムサー・イチムシ」と呼んでいますから「ハヤブサ(隼)」は、「早く(飛ぶ)小鳥」ってところでしょうかね。この語は現代日本語「ムシ(虫)」に転じているんじゃないでしょうか。

ありがとうございます。そうでしたか。 そういえば、今ここで具体例を挙げられないのですが、古代、蛇のことを虫に分類するケースがあったはずです。 虫の概念が広いのは、列島でも同じだったのですね、恐らく。

ついつい想起いたしましたのは、『仁徳記』の「三種の虫」です。最初に這い、次に繭(まゆ=さなぎ)となり、最後に飛ぶという意味において、「三種」といいます。 どなたがおっしゃっていたのか失念いたしましたが、サナギのナギ部分は、蛇のことであり、繭のことを「ツツ」とも言うが、「ツツ」はまた、龍の意味になる、ということだったと記憶しています。手元に資料が見当たらなくて唸っております。ヤマトトトヒモモソヒメのトトがツツつながりで龍蛇信仰に連絡できたらばと思ったのですが、裏が取れませぬ。
残念。

[6648] Re[6647]: 鳥の名としてのムサ  琉球 2012/12/12(Wed) 13:57 [Reply]
 スターダストさん

 沖縄方言の「ムサ」は、昆虫や小動物全般を意味しますよ〜。
 ふだんは「イチムサー・イチムシ」と呼んでいますから「ハヤブサ(隼)」は、「早く(飛ぶ)小鳥」ってところでしょうかね。この語は現代日本語「ムシ(虫)」に転じているんじゃないでしょうか。

[6647] 鳥の名としてのムサ  スターダスト 2012/12/12(Wed) 13:08 [Reply]
●ハヤブサのブサは、本来はムサだったのかもしれない
という仮説を松岡静雄先生がおっしゃっています。 ここで、ムサは身刺。肉食の鳥のようです。 ミサゴもまた、身刺子。 昔、身は、ミともムとも言いました。 人質=身代わりのことを、ムカハリといった例が日本書紀にもあるようです。そのほか、ムササビは、ムサのように飛ぶ動物という…サビは、真似ている、似ているといった。
●ハヤ
ハヤブサ=ハヤムサならば、肉食の鳥の中でも速い鳥といったことになりますね。

[6646] Re[6644][6642]: 無題  スターダスト 2012/12/12(Wed) 13:02 [Reply]
> スターダストさん
> > ※母母恩已麻和加中比彌が母母思已麻和加中比彌のことだとして、「シキ」と「ハヤ」「ハエ」との間に関連性がありそうな端緒をみつけました。 うまくいくようならばのちほど…
>
> 「八重」は「ハエ」と読み「葉江」さんとつながる;嫁さん側の名前が旦那側に付加される例が幾つかある(母系名称相承、と銘打ってみました)。
> http://www.dai3gen.net//kamo05.htm

あぁ・・・十分な考察が既になされてあったのですね。 ご教示をありがとうございます。
私としては、本居先生の『古事記伝』においての、「師木津日子玉手見命。坐2片鹽浮穴宮1治2天下1也。此天皇。娶2河俣毘賣之兄縣主殿延之女。阿久斗比賣。生2御子1常根津日子伊呂泥命2。<自レ伊下三字以レ音>次大倭日子スキ(金+且)友命。次師木津日子命。」の解説から、シキ・スキとハヤとの関連の端緒をみたような気がしたものですので…シキをシギという鳥の名、ハヤもまた鳥の名…としてなのです。




> 更に、事代主には「八重事代主」と「八重」を冠する呼び方もあり、「八重」を「はえ」と読めば、事代主と葉江さんは夫婦だったのかも知れない、という推定が出来る。つまり、女系名称が配偶者に伝わった(大国主系譜参照)と考えるわけだ。
>  と:http://www.dai3gen.net/kayanrm2.htm で提起しました。
>
> 「はや」「はえ」に「八重」も参加させて頂けましょうや・・・

これにつきましては、本来、「八重」は「はへ」であったというご趣旨なのでしょうか? 八幡(はちまん)を八幡(やはた)と読んでしまったように、後世の誤解があるのかなぁと。

[6645] Re[6641][6637][6635][6634]: 百襲についての変わった説  琉球松 2012/12/12(Wed) 09:06 [Reply]
神奈備さん

 いろんな講演会があって羨ましいですね。
 沖縄では、琉球列島の時代区分の一つ「グスク時代」以降が主流で、日本本土で言う弥生時代〜古墳時代との繋がりは「貝の道」くらいなもので、箸墓古墳に関する研究講話などは皆無です。
 それだけに、同古墳の丁寧な発掘調査を強化することで、琉球圏との関係が明らかになることを望みます。

 「昼は人が造り、夜は神が造る」。。。夜間の作業は月や星と関わる測量作業じゃなかったでしょうか。天文学などの知識は、"神業" と言っていいでしょうし、水位調整作業もあったかも?

[6644] Re[6642]: 無題  大三元 2012/12/11(Tue) 18:01 [Reply]
スターダストさん
> ※母母恩已麻和加中比彌が母母思已麻和加中比彌のことだとして、「シキ」と「ハヤ」「ハエ」との間に関連性がありそうな端緒をみつけました。 うまくいくようならばのちほど…

「八重」は「ハエ」と読み「葉江」さんとつながる;嫁さん側の名前が旦那側に付加される例が幾つかある(母系名称相承、と銘打ってみました)。
http://www.dai3gen.net//kamo05.htm

更に、事代主には「八重事代主」と「八重」を冠する呼び方もあり、「八重」を「はえ」と読めば、事代主と葉江さんは夫婦だったのかも知れない、という推定が出来る。つまり、女系名称が配偶者に伝わった(大国主系譜参照)と考えるわけだ。
 と:http://www.dai3gen.net/kayanrm2.htm で提起しました。

「はや」「はえ」に「八重」も参加させて頂けましょうや・・・

[6643] Re[6639]: とりのなまえ  大三元 2012/12/11(Tue) 17:51 [Reply]
●チチツク

鳥 は確かに重要なモチーフだと思います。
http://www.dai3gen.net/chir-chip.htm
http://www.dai3gen.net/tori.htm
http://www.dai3gen.net/tori_sougi.htm

[6642] 無題  スターダスト 2012/12/11(Tue) 17:14 [Reply]
もう一回『時代別国語辞典』を調べてきます。 超へこみ。
ご教示をありがとうございます。

※母母恩已麻和加中比彌が母母思已麻和加中比彌のことだとして、「シキ」と「ハヤ」「ハエ」との間に関連性がありそうな端緒をみつけました。 うまくいくようならばのちほど…

[6641] Re[6637][6635][6634]: 百襲についての変わった説  神奈備 2012/12/11(Tue) 13:27 [Reply]

>  これは、"円墳先行説" と呼ばれるようですが、大和岩雄さんは否定的に書いていますね。

つい、都合の良い説にひかれます。

ちょうど今月の「古代を偲ぶ会」のテーマが箸墓です。しっかり聴いてきます。

2012 12 15
講師 兵庫県立考古博物館館長・二上山博物館館長の石野 博信先生
演題 箸墓築造に関わった集団

http://kamnavi.jp/link/sinobu12.htm

[6640] Re[6638][6636][6633][6632]: 百襲や千千と::オホタタネコ=オホカラネコ  大三元 2012/12/10(Mon) 15:32 [Reply]
スターダストさん 
> 宮があった地域の朝妻という地名に関連してとのことであろうと記憶しておりました。なるほど、「麻麻」。いや、これは心に響きました。

「麻妻」みたいな用字を探しているのですが見つかりません。無理みたいでした。

> ならば、蘇と麻とが、甲乙の境界を超えているとも取れます。

えっと「蘇」も「麻(そ)」も甲類だと思いますが。。。

> (最初、蘇我を曽我とも書くではありませんか、甲乙を超えていますよ、などと申し上げたくなりましたが、曽我の表記の古い時代のものを抽出できあませんでした。アサハカですね。)

それはそうですね。一つ:時代別国語大辞典上代編の「ほそ、臍」の項【考】に「ソの甲乙がすでに混乱していたものとすべきか」という議論があります。ご参考になろうかとも思います。(私も「百襲・ほそ・細」と進めるに際して「ほそ、へそ、ほと」を類似語と見たりしておりまして厳密には仮名ちがいになっていますが上記【考】を頼りにしてます。)


[6639] とりのなまえ  スターダスト 2012/12/10(Mon) 14:29 [Reply]
●チチツク
千千衝倭姫命の衝について、しょうこりもなくあれこれ考えておりました。友人にも、こちらの掲示板を読んでもらい、感想を聞きました。
すると、知人から教わりました。これは、鳥の名前ではないかと。「ツク」といえば、現代のミミヅクのことだそうで。「オホササギ(仁徳)」もいるし、開化天皇の妃に鸇比売(わしひめ)だっているだろう、高貴な人の名に鳥の名を有していてもちっともおかしくないよ、と友人が言うのです。死から再生へのシンボルとしての鳥への信仰は確かにあったとも。
あ、っと思いましたが、さらに、その友人は言うのです。崇神または開化天皇は鳥居がないことで有名な調神社を創建した、これは、後の時代に月信仰と習合してしまったが、本来は、「ツク=鳥」への信仰であったに違いないと。どこまで裏が取れるかわかりかねますが、実に面白そうな。

そういわれてみれば、倭迹迹日百襲媛命の「迹日」は鳥の「トビ」のことであったやもしれぬ、倭飛羽矢若屋比売の「羽矢」は、「ハヤブサ」のことではないか? だいたい「隼人」を「ハヤト=ハヤヒト」とするのだから、「隼」だけで「ハヤ」だろう…などと、またもや妄想驀進中でございます。

[6638] Re[6636][6633][6632]: 百襲や千千と::オホタタネコ=オホカラネコ  スターダスト 2012/12/10(Mon) 14:12 [Reply]
> スターダストさん 
> ここ一連のご考察 興味深く拝見してます。

考えが足らず稚拙となっておりますが、どうか御寛恕の程を。

> 特に「浅」を「麻」と考えてみることには新鮮でした。
>  雄朝津間稚子宿禰尊(允恭天皇)の「雄朝」も「を・あさ」という二重母音が気になる読み方でしたが(「をさ」とでも読ませるべきか?)「雄朝」とは「雄麻」であり「麻麻」であり「をそ」が原点であり得るのか、とも。

宮があった地域の朝妻という地名に関連してとのことであろうと記憶しておりました。なるほど、「麻麻」。いや、これは心に響きました。

> 一つ指摘できると思うことは:「麻、十」を「そ」と読むときの「そ」は甲類;「彼、襲、衣」を「そ」と読むときの「そ」は乙類ですから「彼」を「麻」に解することには難がありそうだ、ということです。

日曜日に図書館に参りまして、『時代別国語大辞典 上代編』にて確認させて頂きました。ご指摘の通りです。がっかり…

ちょっと無理気味な考えを披露させて頂きますと…万葉集からですが。
3404 可美都氣努 安蘇能麻素武良 可伎武太伎 奴礼杼安加奴乎 安杼加安我世牟
を、
「上つ毛野 安蘇の真麻群 かき抱き 寝れど飽かぬを 何どか吾がせむ」と読む解釈があるようでして。

( http://kitagawa.la.coocan.jp/man/3404.html )

 ・まそむらとは苧をかりてひといだきばかりづゝたばねをきたる也 〈仙覚抄〉
 ・「ま」は接頭語。「そむら」は麻群で、麻の束である。 〈万葉集注釈〉

さて、私は、「上野の安蘇でとれる麻の束を抱く(刈る)ように」について、なにゆえ、「上野の安蘇」と「麻の束」とを掛けているのか、少々妄想したくなるのです。麻を刈るなんていうのは、季語にもなっているほどですから、全国津々浦々、どこでもいいはずですのに、わざわざ「上野の安蘇」から「真麻」を引き出している…恐らく、「真麻」は「マ・アソ」であり、これが上野の安蘇「アソ」の音から引き出されるのであろうと邪推を致します。
ならば、蘇と麻とが、甲乙の境界を超えているとも取れます。うーむとうなりたくなります…正当性は得られますいが、気になってしかたがありません。
(最初、蘇我を曽我とも書くではありませんか、甲乙を超えていますよ、などと申し上げたくなりましたが、曽我の表記の古い時代のものを抽出できあませんでした。アサハカですね。)
妄想はここで一旦、打ち止めです。

[6637] Re[6635][6634]: 百襲についての変わった説  琉球松 2012/12/10(Mon) 12:08 [Reply]
神奈備さん

 これは、"円墳先行説" と呼ばれるようですが、大和岩雄さんは否定的に書いていますね。

以下『新邪馬台国論(大和書房)2000 』より
*** 原田大六は箸墓古墳の「後円部の径は157メートルで、百歩の144メートルより13メートル大きいだけだから、『徑百餘歩』に一致しているといえよう」と書いている。(略)
 丸山竜平はまず円墳として箸墓は築造され、後から前方部が付加され、現在見るような前方後円墳になったと主張する。しかし、箸墓古墳を1998年に調査した橋本輝彦は、「築造時期については後円部の墳丘そのももを調査した訳では無いももの、築造当初から後円部と同時に構築されている渡り堤の盛り土内部、あるいはこれに先立つ地山整形時の埋め土内部から出土した土器は何れも布留0式期の土器群であり、周濠の埋没時期、前方部での調査成果などを考え合わせると、箸墓古墳は布留0式期古層に前方後円墳として築造を開始、完成している事は間違いなく、長らく唱えられてきた後円部先行説は否定される事となろう」と書いており、発掘調査の結果からも円墳説は成り立たない。(略)
 原田大六は、箸墓古墳出土の特殊器台を、「殉死者の立棺」とするが、特殊器台に人骨が入っていた例はなく、立棺ではない。もし立棺だとしても、多数出土しているわけではないから、殉死者の「百餘人」には合わない。したがって原田説は成り立たない。しかし原田は文献資料の殉葬記事を採りあげているだけ、まだ良心的である。***

[6636] Re[6633][6632]: 百襲や千千と::オホタタネコ=オホカラネコ  大三元 2012/12/10(Mon) 09:18 [Reply]
スターダストさん 
ここ一連のご考察 興味深く拝見してます。
特に「浅」を「麻」と考えてみることには新鮮でした。
 雄朝津間稚子宿禰尊(允恭天皇)の「雄朝」も「を・あさ」という二重母音が気になる読み方でしたが(「をさ」とでも読ませるべきか?)「雄朝」とは「雄麻」であり「麻麻」であり「をそ」が原点であり得るのか、とも。

一つ指摘できると思うことは:「麻、十」を「そ」と読むときの「そ」は甲類;「彼、襲、衣」を「そ」と読むときの「そ」は乙類ですから「彼」を「麻」に解することには難がありそうだ、ということです。

> ●百襲や千千との関連について
> 昨日、ちょっと、以下のようにメモ帳に書いておりました。

私の「メモ」もお見せしておきます:
 百千(ももち)  百<千
 千万(ちよろづ) 千<万 からの類推として
 十百       十<百 はあり得ても(実例なさそう)
 百十(ももそ)  百>十 は違例、か。なおここの「十、そ」は甲類

 名義抄「千 チチ;一千 ヒトチヂ」などが見られるそうで最後の「チ、ヂ」は「ハタチ、ヨロヅのチ、ツと同じ助数詞であろう」としています(時代別国語大辞典上代編「ち(千)」の項)。さすれば、「千千」も読みは「チチ」でも意味は単なる「千」という解もありそうです。

[6635] Re[6634]: 百襲についての変わった説  神奈備 2012/12/09(Sun) 16:13 [Reply]
>  『魏志』倭人伝にある「奴婢100余人が殉葬」は、たんに大勢との意味付けが大勢のようですね。

箸墓古墳は、後円部は五段築成、前方部は三段〜四段築成となっています。段数には他の説もありますが、後円部が前方部より多かったようです。これは同時に造ったのではないのでしょう。

 最初は円墳として造営され、後の時代に前方部が追加されたと見なされます。後円部の径は150mで、「バカでかい」ものでした。

 その後円部にのっていたのが、特殊器台で、高さ約1m、径約30−40cmです。ここに奴婢を入れていたのでしょう。埴輪が出来たのは『日本書記』では垂仁天皇の時代で、生きたままの奴婢が死んでいったのかも知れません。

[6634] Re[6629][6628][6625][6621][6620][6618][6617]: 百襲についての変わった説  琉球松 2012/12/09(Sun) 10:38 [Reply]
 『魏志』倭人伝にある「奴婢100余人が殉葬」は、たんに大勢との意味付けが大勢のようですね。

 時代によって「十・百・千・万」とかなんでしょうけど、まあ中国の特派員?も倭人多数と表現したかっかんでしょう。「徑百餘歩」もバカでかいとの表現でしょうか。
 そうすると、数字としての正確さはあまり重要ではなく、ほとんど美称辞と化しているのでしょう。

 卑弥呼の死で殉葬があったのは間違いないのでしょうけど、考古学的な証拠がないのが不思議ですね。
 箸墓古墳や卑弥呼の即席の円墳?周辺にないということは、当時の倭国のあちこちで行なわれたのかも?

[6633] Re[6632]: 百襲や千千と::オホタタネコ=オホカラネコ  スターダスト 2012/12/08(Sat) 16:30 [Reply]
●百襲や千千との関連について
昨日、ちょっと、以下のようにメモ帳に書いておりました。

百襲
千千
弟日
迹迹日

疲れていましたので、目がかすみ、上記メモは、以下のように読めると思ったのです。

百麻
千茅
・原

瞬間的に妄想したことですが、モモは、チと同じ役割をしている。 ソ=麻 と 茅=千 も、同じ役割をしている・・・あれれ?
どちらも、神聖なる茅萱が生茂っている様を表しているのでは???彼々茅原のソソも、生茂っている様子を表しているのは???? あれれ?
崇神以来の大物主との関連で、このような浅茅原の美的表現を、名前に有する シャーマンが登場したのではなかったか・・・

これ以上は皆目見当もつかず、尻切れトンボですけれども、面白かったのでツイツイ、当掲示板にお邪魔しようと思いました。
長くなりました、お詫び申し上げます。

[6632] 百襲や千千と::オホタタネコ=オホカラネコ  スターダスト 2012/12/08(Sat) 16:19 [Reply]
> オホタタネコがオカラネコであるとして、カラとは何か、タタとは何か、想像をめぐらしております。

オカラは本来、オホカヤではないのかな?という奇妙な発想が出ました。 だからといって結論が出るわけでも御座いません・・・ここでは、朝鮮半島の大伽耶(おほかや)ではございませんで、カヤ⇒萱 と取ってみたいのです。チガヤのカヤですね。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AC%E3%83%A4 ) ・・・ウガヤフキアエズのカヤでもあります。

オホタタネコのタタとオホカヤのカヤとは直接的には無関係になってしまいますが、遠くイメージが連絡しているはずと思いますので、少々書いて見ます。

●アサヂハラ
===
あさじ‐はら[あさぢ:]【浅茅原】-日本国語大辞典
〔名〕(古代では序詞の中の用法が多い)チガヤがまばらに生えている原。浅茅が原。*古事記〔712〕下・歌謡「阿佐遅波良(アサヂハラ) 小谷を過ぎて 百伝(ももづた)ふ 鐸(ぬて)ゆらくも 置目(おきめ ...
===

浅茅原が天皇家にとって聖域であることは、崇神天皇が、わざわざ神浅茅原(かむあさぢはら)に行幸して占うということを行っているようですので、これをもってしても明らかであると思われます。また、そのときに、天皇は「私は大物主である。私を祀れ」と言われています。

一方、『顕宗紀』では弘計王が曰く、「倭者彼々茅原浅茅原弟日僕是也」
(天皇はついに殊舞(イ+舞)(たつづのまい)をして、叫んで『倭は、彼彼茅原(そそじはら)、浅茅原、弟日僕是也(おとひやつこ)』と言ったので、小楯はその由を深く奇異に思って、もっと言わせた。)とあります。

ソソヂハラ=アサヂハラ となっているのが、私にはなんのことかわからずに、ひっかかっておりました。そこで。この、ソを、「麻」のことと解するとどうなるのか、すると、浅茅原の浅はも「麻」ということになります。 歌謡としての文学的な表現なのでしょうけれども、「浅茅原」を「麻茅原(アサヂハラ)」とみたて、それをひきだすために、「麻麻茅原(ソソヂハラ)」という前フリをつけている、「麻麻」は、「麻」が多く生い茂っていることの表現かと感じた次第です。

また、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AC%E3%83%A4 によれば、チガヤは「茅」でもあり「茅萱」でもあるようです。 場合によっては、「萱」と「茅」とは、あまり区別がないこともあるのではないかと思われます。

アサヂハラは、麻や茅や萱に深く関係しているようで、しかも、大物主とも繋がりがありそうだとまとめておきます。
くだんのオカラネコは、オホカラネコ⇒オホカヤネコ⇒大萱根子 と解すれば、大物主との連絡がついてくる、そのようなことを申し上げているわけです。

(この項続く)


[6631] Re[6630][6626]: 無題  スターダスト 2012/12/08(Sat) 15:42 [Reply]
> ちなみに「日本の棚田百選」には 奈良県 稲渕(明日香村) ってのが入ってました。蘇我さんちにも近い?
>

http://agua.jpn.org/yamato/soga/soga.html

こちらの曽我川などは、古くから水田に利用されたのではないかなぁと想像しております。


[6630] Re[6626]: 無題  大三元 2012/12/08(Sat) 14:01 [Reply]
ちなみに「日本の棚田百選」には 奈良県 稲渕(明日香村) ってのが入ってました。蘇我さんちにも近い?

[6629] Re[6628][6625][6621][6620][6618][6617]: 百襲についての変わった説  大三元 2012/12/08(Sat) 10:04 [Reply]
琉球松さん
>  「モモソ(万人)」と「倭迹迹日百襲姫」との関係がどこまで繋がるか思案中です。

モモソは文字面では「百人」ね。
卑弥呼の 奴婢100余人が殉葬 にでもつなげます??? 
変わった説が増えるだけのような気がしますが。

[6628] Re[6625][6621][6620][6618][6617]: 百襲についての変わった説  琉球松 2012/12/07(Fri) 14:02 [Reply]
大三元さん

 名護教授は『邪馬台国総合説/(ゆい出版)2001 』の時点と、現在とでは若干ニュアンスに変化が見られます。
 僕はおおむね氏の説に傾倒していますが、最近は自説の補強と訂正に力を入れておられるようで、注視しているところです。
 僕は、沖縄での「百襲」は、たまたまこの字を当てているにすぎなくて、「百浦襲(百浦添)」とは別の言葉ではないかと考えています。"変わった説" という意味でご紹介しました。

 ついでなんですが。。。沖縄県民の言う「ウマンチュ(お万人)」は、神歌から推測すると「アマミキヨ」にたどり着くように思います。
 大三元さんご存知のように「アマミキヨ」の語形変化からするとありうるかもしれませんし、「モモソ(万人)」と「倭迹迹日百襲姫」との関係がどこまで繋がるか思案中です。

[6627] オホタタネコ=オホカラネコ  スターダスト 2012/12/07(Fri) 11:38 [Reply]
モモソヒメと関連しているかもと思い、オホタタネコについて調べておりましたところ、大直禰子(オホタタネコ)という表記にぶつかりました。 さらにあれこれ散歩していましたら以下のような情報にたどりつきました。

●レファレンス協同データベース::名古屋市中区丸田町の石碑の「おからねこ」とは何か
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000068516

●愛知県の猫神・おからねこ
http://nekonokamisama.blog3.fc2.com/blog-entry-77.html

後者は、実に充実した内容です。

===
オホタタネコがオカラネコであるとして、カラとは何か、タタとは何か、想像をめぐらしております。
「背中に植物の生える動物の話」が出てまいりますが、私などにとっては、すぐに、龍蛇属性を持つ神を連想してしまいます…
ほえほえ…

[6626] 無題  スターダスト 2012/12/07(Fri) 11:31 [Reply]
● 崇神皇女千千衝倭姫命の衝

>大三元様
>「衝く」を「とく」と読んで「疾く(終止形 疾し)」に解する。

うはー。切れ味が良いですね。
アヂスキのスキのほうも探索してみようかなぁと思っていたところです。 まだ、先は見えません。

琉球松様>"他動詞としての「託く(つく)」の意味" も興味ありです。蛇を見て「箸でホトを"突"いて死んだ" 姫をも連想しますね。

なるほど! それは気がついていませんでした。 なるほど。

●百襲についての変わった説
大三元様>蘇我とお祓い(神道)、ってのはどうですかね。

はい。まだ、蘇我氏が成立する前の時代設定で考えております。 豪族の名というよりも、土地の名として…たしか…葛城の中に…川の名前や地域の名前として古くから存在していたかと思います。今回はあえて、蘇我は一種の神域なのかなと想像してみました。「すがすがしい」の「清=すが」から、植物の「菅」を「麻(そ)」として使ったのか中とも。

大三元様>
高尾張
 高い位置にある 小墾 ヲハリ ・・・棚田???
百張
 百個もある(=沢山の)(小さい?)墾 ・・・棚田???

なるほど。 小墾は間違いがないことでしょう。 ハリ…モモハリ…うーむ。
面白いですね。

[6625] Re[6621][6620][6618][6617]: 百襲についての変わった説  大三元 2012/12/06(Thu) 20:57 [Reply]
琉球松さん

1.名護博さんが『邪馬台国総合説/(ゆい出版)2001 』で
*** 倭人伝にいう邪馬台国の女王卑弥呼は、巻向の初期古墳群の中でもずば抜けた規模を持つ箸中古墳の被葬者とされ、古事記、日本書紀では七代孝霊天皇の子と位置づけられている倭迹迹日百襲姫であるとする立場をとる。その理由のひとつは、沖縄において百襲(モモソ)という言葉が発音も用字もそのままに、国王、あるいは国王の坐す「首里城正殿」すなわち国家統治の要を意味し、従って倭迹迹日百襲姫の名は「邪馬台国の女王」の意味を含んでいるからである。*** と書いて居られる。(琉球松さんの投稿から引用)

2.http://www.setouchi.ac.jp/~dnagoh/hazimeni/ryuuka.html
が同じ方(名護さん)のサイトと理解して、その方が: 
 百襲が『沖縄古語大辞典』にある「百浦襲(百浦添)」の省略形であることは、明らかである。
 としておられる。

とすると、1と2は矛盾してないのか、と思ったのですが、なんか読み違えてましょうか?

[6624] Re[6621][6620][6618][6617]: 百襲についての変わった説  琉球松 2012/12/06(Thu) 09:06 [Reply]
 大三元さん、さすがですね。

 『沖縄古語大辞典』では「百浦/襲い」とされていますが、これには異論もあって、"(百襲)は省略形であることは、明らかである" とはまだ言えないと考えます。
 琉球王国の発祥地とされる沖縄島中部の地名「浦添(うらそえ)」の語源が「浦襲」であるとの説が正しければ、遷都後の首里城に「百(モモ)」を冠して「百/浦襲」と言うことになり、「百浦/襲」とは別の用語があったとの推測が可能になります。
 
 「モモソ」は、『辞典』にもあるように「万人」との意味もありますが、島々村々ではリーダーとか仕切り役を言う場合がありますから、名護教授の説明は一部正しく、一部曖昧ということになりそうです。

[6623] Re[6619]: 崇神皇女千千衝倭姫命の衝  大三元 2012/12/05(Wed) 17:20 [Reply]
スターダストさん

> ●崇神皇女千千衝倭姫命の衝とは何か

私のアプローチ:
「衝く」つく 「都久」 とも書く
「つ」と「と(甲類)」には同じ漢字が宛てられることが多い。
http://www.dai3gen.net/tuto.htm
「衝く」を「とく」と読んで「疾く(終止形 疾し)」に解すれば「速(はや)」に通じるので「千千衝」は「千千速」である。。。どうでしょ?

[6622] Re[6617]: 百襲についての変わった説  大三元 2012/12/05(Wed) 16:45 [Reply]
スターダストさん

> 枕詞のシカケは、蘇我=菅にからめて、菅が、お払いに使う道具であることから、「百張」「蘇我」と掛けたものでありましょう。 

原義探索としてはとても面白い!
チャチャ入れに過ぎませんが、蘇我とお祓い(神道)、ってのはどうですかね。

高尾張
 高い位置にある 小墾 ヲハリ ・・・棚田???
百張
 百個もある(=沢山の)(小さい?)墾 ・・・棚田???

[6621] Re[6620][6618][6617]: 百襲についての変わった説  大三元 2012/12/05(Wed) 15:55 [Reply]
琉球松さん

>沖縄において百襲(モモソ)という言葉が発音も用字もそのままに、国王、あるいは国王の坐す「首里城正殿」すなわち国家統治の要を意味し、従って倭迹迹日百襲姫の名は「邪馬台国の女王」の意味を含んでいるからである。***

『沖縄古語大辞典』では「ももそ」の項目で「たくさんの人」、百人、とありますが首里城正殿・・・・の意味は与えられていません。

http://www.setouchi.ac.jp/~dnagoh/hazimeni/ryuuka.html
では: 
 百襲が『沖縄古語大辞典』にある「百浦襲(百浦添)」の省略形であることは、明らかである。
 としています。

[6620] Re[6618][6617]: 百襲についての変わった説  琉球松 2012/12/05(Wed) 15:21 [Reply]
スターダストさん、面白くなってきましたね。
 面白いんですが、ちょっと情報多過ぎ(笑)。

 『古事記』では「夜麻登登母母曾毘売命」とありますから「ヤマトト(トヒ)モモソヒメミコト」がら、あまり遠くへ行く必要はないのではと考えます。

 しかし、"他動詞としての「託く(つく)」の意味" も興味ありです。蛇を見て「箸でホトを"突"いて死んだ" 姫をも連想しますね。

以下は『邪馬台国総合説/名護博(ゆい出版)2001 』より
*** 倭人伝にいう邪馬台国の女王卑弥呼は、巻向の初期古墳群の中でもずば抜けた規模を持つ箸中古墳の被葬者とされ、古事記、日本書紀では七代孝霊天皇の子と位置づけられている倭迹迹日百襲姫であるとする立場をとる。その理由のひとつは、沖縄において百襲(モモソ)という言葉が発音も用字もそのままに、国王、あるいは国王の坐す「首里城正殿」すなわち国家統治の要を意味し、従って倭迹迹日百襲姫の名は「邪馬台国の女王」の意味を含んでいるからである。***

[6619] 崇神皇女千千衝倭姫命の衝  スターダスト(hoshikuzu|star_dust)) 2012/12/05(Wed) 14:47 [Reply]
●崇神皇女千千衝倭姫命の衝とは何か

「つく」という動詞が見えます。[6616]を参照願います。
「つく」の意味を捉えたいのですが…
辞書に載っているものからは、以下のふたつが候補です。

・つく カ行四段活用【自】動詞 (憑く などの漢字が当てられる)
・つぐ ガ行下二段活用【自】動詞(告ぐ などの漢字が当てられる)
どちらもシャーマンっぽいのではあります。どちらも自動詞であることにご留意ください。しかし、ここに留まらず、もう少しニッチな世界に突入したいと存じます。

●他動詞としての託く(つく)

国学院大学の中村孝弘先生が多くの文献から拾い、意味をつきとめた、辞書に載っていない動詞、ツクがあります。
・つく カ行下二段活用【他】動詞(託く などの漢字が当てられる)

これは、自動詞ではなく、他動詞です。
意味合いをくだいて申し上げますと、【神などが】自らの《無音の》意思を、(シャーマンを使って)人間の言葉である【有声】言語に置き換えつつ、伝える…といった按配です。他動詞ですから、神という主体が、シャーマンなどを動かすということになります。 面白いですね。

なお、「託宣(たくせん)」というのは、和製漢語だそうで、中国にはないのだそうです。古い文献からわかることでは、中村孝弘先生がおっしゃるには、「託く」+「宣ぶ」になっているとのこと。すなわち、神がシャーマンに意思を「託け」、それをシャーマンが、「宣べる」こととなります。

●千千衝倭姫命の衝
ちちつくやまとひめのみこと。
この、「つく」を、先の、他動詞としての「託く(つく)」の意味であると仮定いたしましょう。
すると、他動詞としての衝=託く、の主体は、神などの超越的な存在となりましょう。
私には、「千千」こそが、その超越的主体であろうかと思われてなりません。

大山元様は、「千千」や「迹迹」を同じ意義の存在であるとおっしゃいますが、まさしく神的存在であるのではないかと思います。
私が拙速にも思いついたとおり、タタ=トトでもあったとすると、大田田根子は、タタ=「迹迹」=「千千」=大物主のシャーマンであったのではないかと思います。

私は、考えすぎは、大好きです。 考えすぎで踏み込みすぎていますので、あまり信用なさらないでください。





[6618] Re[6617]: 百襲についての変わった説  スターダスト(hoshikuzu|star_dust)) 2012/12/05(Wed) 14:26 [Reply]
>
> ●大神宮儀式帳の「百張蘇我乃國(ももはりそがのくに)」
> 上記参考URLの『古事記伝』に記してありますが、『大神宮儀式帳』には、「百張蘇我乃國(ももはりそがのくに)あるいは人によっては(ももはるそがのくに)」という表現がみられるとのことです。「蘇我乃國」の枕詞的に、「百張」が使われています。

本居宣長は、「張」は「尾張」だとしています。 少々違和感がありましたので、[6617]の説をでっちあげてみました。

なお、豪族尾張氏の名称の起源は、葛城高尾張ですので、尾張つながりで葛城に接続し、蘇我氏のウブスナの地である葛城にかけてのこととも考えられるところではあります。 ところが、そうしてしまうと、百=モモがすっかり浮いてしまうのです。悩みどころです。

[6617] 百襲についての変わった説  スターダスト(hoshikuzu|star_dust)) 2012/12/05(Wed) 14:20 [Reply]
◎百襲の襲について、別解を考えて見ました

●天津菅麻
あまつすがそ
ここで、麻は「そ」と読みます。
「菅(すが)」は「そが」とも言い「真菅よし、蘇我の川原」などと続けて詠むと、本居宣長も説明しています。
天つ罪や国つ罪などの罪ごとを祓う際に、菅麻が使われたとのことです。その実態は現代では諸説あるのでしょうけれども、天津菅麻は細かく裂いて使うようです。
『古事記伝』にて、関連する事項が出ておりますので、以下に参考URLを揚げておきます。
http://kumoi1.web.fc2.com/CCP128.html

●大神宮儀式帳の「百張蘇我乃國(ももはりそがのくに)」
上記参考URLの『古事記伝』に記してありますが、『大神宮儀式帳』には、「百張蘇我乃國(ももはりそがのくに)あるいは人によっては(ももはるそがのくに)」という表現がみられるとのことです。「蘇我乃國」の枕詞的に、「百張」が使われています。
「張」はいったいなんでしょうか。私が思うに、これは、マガゴトを『はる(放る)』、「ふ(経)」を付けて継続状況の意味を重ねれば、『はらふ=祓う』になる言葉であると思います。
枕詞のシカケは、蘇我=菅にからめて、菅が、お払いに使う道具であることから、「百張」「蘇我」と掛けたものでありましょう。 

●百襲
「百張蘇我乃國」に百襲の字がみえるところに興味をひかれます。 ですが、よく考えてみれば、「百張蘇我」→「百祓菅」です。 この菅を麻に置き換えることができれば、百襲→百麻 となります。
すなわち、神道で使うところのお払いの象徴に百という形容をつけたものが百襲なのかもしれません。

※上記において、「ももはるそがの」としました。
「はる」という動詞を使って、継続してしまう用法ではないかと、今、思いました。[6616]参照。


[6616] Re[6615][6614][6605][6604][6603][6602][6582][6580][6578]: 倭迹迹日百襲姫命  スターダスト(hoshikuzu|star_dust)) 2012/12/05(Wed) 13:49 [Reply]
大三元様
>
> > ●百襲(その2)
>
> いいですね。

ありがとうございます。


> > なお、【目百襲】説は、マホソよりも、ミホソ・あるいはムホソあたりでないと具合が悪そうだとも思われます。マ・ホソでは、ホが本当は造語系ですので…なにか違和感がございます。
>
> 痛いところを突かれました。異名(目妙)と系図の方(細姫)からは魅力ある解なのですがねぇ。。。

私も優れた魅力ある仮説であると感じております。 「目」は名詞では「マ」「メ」ですが、対応する動詞は「ミ」ですので…これを「三(ミ)」に掛けて 「目細」=「(三百襲)ミホソ」とするのは…少々遠いですかね… いきなり動詞のまま、次に繋げてしまう例があると良いのですが。(あとで「千千衝」周辺において強引にでっち上げた自説を書かせてください。)


[6615] Re[6614][6605][6604][6603][6602][6582][6580][6578]: 倭迹迹日百襲姫命  大三元 2012/12/05(Wed) 13:23 [Reply]
スターダストさん

> ●百襲(その2)

いいですね。

> なお、【目百襲】説は、マホソよりも、ミホソ・あるいはムホソあたりでないと具合が悪そうだとも思われます。マ・ホソでは、ホが本当は造語系ですので…なにか違和感がございます。

痛いところを突かれました。異名(目妙)と系図の方(細姫)からは魅力ある解なのですがねぇ。。。

[6614] Re[6605][6604][6603][6602][6582][6580][6578]: 倭迹迹日百襲姫命  スターダスト(hoshikuzu|star_dust) 2012/12/05(Wed) 11:07 [Reply]
●百襲(その2)
やっぱり書くことにしました。

琉球松様wrote:>倭迹迹日百襲姫命について、大野普は日本古典文学大系『日本書紀(上)』の頭注で、「トトビは鳥飛び、モモは百、ソは十であろうか。トトビは魂の飛ぶことの比喩となることがある」と書く.

上代において、「十」を「ソ」と読んでいいのは、十の倍数の時ですね。大野先生も重々ご承知のことと思います。
ミソカ(三十日)などは大丈夫ですが、ソカ(十日)とは言いません。トヲカになるわけです。
−ソは、造語系の表現のトヲなのですね。
これに類しているのは、モモとホの関係です。−ホは造語系です。
百は「モモ」ですし、「ホ」とは読みません。
三百は、「ミホ」ですし、「ミモモ」には、なりません。
チイホは、千五百ですね。これを、チイモモとは言いません。
(チーママみたいな。などとすぐに思いつく私はオジサン系駄洒落精神の持ち主です。)

んじゃぁ、無理やり、百襲=モモソを、「モモ」「−ソ」としたらどうなるのか。ソは造語系ですから、直前の数字の10倍を示しますので、なんと、モモソ=100*10=1000であります。
百襲=千
の等式が偶然にも出てきました。 (そうは言っても、不思議だなと思うだけで、真理だとは考えておりません。)

なお、【目百襲】説は、マホソよりも、ミホソ・あるいはムホソあたりでないと具合が悪そうだとも思われます。マ・ホソでは、ホが本当は造語系ですので…なにか違和感がございます。
天孫本紀に、宇摩志麻治命の四世孫で大木食命の弟に、三見宿禰命、六見宿禰命の二人がいますが…関係が読み取れるかどうかわかりかねます。


[6613] 勉強になります  スターダスト(hoshikuzu|star_dust) 2012/12/05(Wed) 10:36 [Reply]
皆様のご意見、実に興味深く、勉強になります。正直なところ、面白くてしかたがありません。おおげさかもしれませんけれども幸せです。

●百襲(その1)
大山元さんの論考『おすひ飯高・考』
http://www.dai3gen.net/ihitaka.htm
を参考に、私の責任で論理を飛躍してみます。

1:上記論考では、以下のような考えを提示されています。
「おすひ」を「上衣」と「照る・日(月)」というダブルミーニングに使っているのか、とも思ってみたいからである。」
2:百襲の襲は、衣(そ)であり、また、襲(おすふ・おすひ)のダブルミーニングが込められていると仮定します。

すると、百襲には、「強調の意味の百」+「照る・日(月)」の意味があるかもしれない…語の表記にて意味が近似している「五十日」の…おおざっぱに言えば2倍の勢いのある(笑)百襲ではなかったかなぁと。
さらに思うのですが、「照る・日(月)」の対象として、日や月ばかりではなく、霊(ヒ)も対象としてよいのならば、大物主が想起されるかもしれません。 少彦名神が常世の国へ去り、ともに国造りを行っていた大国主神が今後の国造りについて思い悩んでいた時に、海の向こうから光輝いてやってくる大物主が表れたとされます。(『古事記』より。)百襲姫が祭祀した大物主は海の霊(ヒ)であったことでしょう。しかも、照り輝きつつ来たのですから、「照る・霊」でもありましょう。
※個人的見解ですが、海霊(うな・ひ)は、海に関わる龍蛇信仰の表れと考えております。『天孫本紀』に見える宇那比姫命(うなひひめのみこと)の名も、ここからきていると考えておりますし、海人族系の女性シャーマンの名として受け止めることが可能かもしれないとさえ想像しております。吉備系の播磨稲日大郎姫の「稲日」もまた、ひょっとしたら、海霊(うな・ひ)から来ているのでは…そうであったら楽しいなとも。 さて、「稲日」が「海霊(うな・ひ)」ならば、霊の意味で日の字を当てる例となっており…「照る・日(月)」の対象として、日や月ばかりではなく、霊(ヒ)も対象としてよいかもしれないという、かなり迂遠な循環論法になってしまっております。 
※人名の末尾についている「ヒ」が字義通りの「日」、すなわち太陽信仰に関わるのは、たぶん、大伴氏だけではないのかなぁと感じております。 尾張氏系ないし、その血をある程度受けている人たちの人名では、系図を見る限り、人名の末尾に単独の「ヒ」がついていることはなく、「ナヒ」「ヌヒ」などとなっているようです。海霊(うな・ひ)がその起源ではないかと推察しております。

長くなりました。●百襲(その2)は、あまり面白くなく、細かいはなしですので、今回は省略させていただきます。


[6612] Re[6607][6606]: 春日千乳早山香媛  大三元 2012/12/03(Mon) 21:51 [Reply]
琉球松さん

はい、「早山香(ハヤマカ)」と「速眞若(ハヤマワカ)」とは同じでしょうね。「まやわか」も含めて、あ列音の連続で発音しにくいですね。

なお、この周辺に「真舌」という表記の姫様が居られますがこれは「真若」の誤記ではなかろうか、と思ってます。

[6611] Re[6609]: ト・タの通音あるいは古事記におけるモ  大三元 2012/12/03(Mon) 21:45 [Reply]
スターダストさん

母母恩已麻和加中比彌 のことを忘れていました。
> ●有坂秀世「古事記に於けるモの仮名の用法について」
> ( http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/arisaka/arisaka_mo.html )
ここでも論じられているのですね。よく見つけて下さいました。

> 母母という表記が気になりまして、上を探し出しました…一読して「うへぇ」となりました。

悩ましいですねぇ。推古期には既に「も」の甲乙混乱していた、とすると古事記の用字はそれよりも古くからのもの、ということか。母母恩已 は 百師木 ではない、ということか・・・(字面から オモノキ を思い出しましたが無益のようです。)

> ●トとタは音が通じているのか
> 先日、トとタの音が通じるかどうかというオハナシになりました。 その後、以下のような例を思い出しました。
> タワワ=トヲヲ
> タワム=トヲム

そういえばそういう話のやりとりがありましたね。これも忘却の彼方でした。
今「あまだむ」が「あまとぶ」の転であろうか、とする記事を見つけました(時代別国語大辞典上代編)

「タリ」はわかりません。

[6610] Re[6609]: ト・タの通音あるいは古事記におけるモ  琉球松 2012/12/03(Mon) 17:23 [Reply]
 スターダストさん、OKじゃないでしょうか。

 あちらの説、こちらの説、北からも南からも、文献から伝承から。。。
 ハッ、とさせられる説の連続で、ワクワクしますよ。

[6609] ト・タの通音あるいは古事記におけるモ  スターダスト(hoshikuzu|star_dust) 2012/12/03(Mon) 15:28 [Reply]
●有坂秀世「古事記に於けるモの仮名の用法について」
( http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/arisaka/arisaka_mo.html )

母母という表記が気になりまして、上を探し出しました…一読して「うへぇ」となりました。

●トとタは音が通じているのか
先日、トとタの音が通じるかどうかというオハナシになりました。 その後、以下のような例を思い出しました。
タワワ=トヲヲ
タワム=トヲム

※もののほんには、木の枝に果実が成長し、枝がタワムことから…とあるようです。
たわわに実のなる木…
私的理解では、生命の充足する様子がタワなりトヲなりにあったのではと勘繰っております。 物部氏の呪文?に、数字の「十」を「タリ」としてあったり、また、タラシヒコの名前は「(いのち)満ち溢れてくる」タリではなかったかと。 タラチネの母は、チ(乳というより命のチ)がタルという意味でもなかったかなと。雑談が過ぎました。おゆるしください。


[6608] 母母恩已麻和加中比彌  スターダスト(hoshikuzu|star_dust) 2012/12/03(Mon) 15:06 [Reply]
母母恩已麻和加中比彌なる人物名が『上宮記』逸文に出てきます。
マワカとモモとが共に登場していますので、個人的には、従来から注目しています…


[6607] Re[6606]: 春日千乳早山香媛  琉球松 2012/12/03(Mon) 15:03 [Reply]
 「早」につてなんですが。。。

 これはたんに「ハ・サ」でもありますから「早山香(ハヤマカ)」で「速眞若(ハヤマワカ)と同じでしょうかね。「ワカ」は「新人・継承者」。
 「早・速」は、適当な場所に挿入される美称辞なのではないかと?(日を強調する場合が多いようですが)。

 そうすると「倭迹迹日百襲姫」の「迹」の一つは「速」の誤字で「倭迹速日百襲姫」?。。。『古事記』に「ト・トヒ」が足りないのは、ことさらに「速」を入れる必要がなかったのかもしれません。

 しかし、「日」が「目」の誤字との考え方も、これまた捨てきれない!
 と言うのも、別名「倭迹速神浅茅原目妙姫」を見た場合、「神浅茅」が奄美沖縄の聖域「神アサギ・神アシャギ・神アシャゲ」に相当し、「目妙」が性交を意味する「マグハヒ(宮古方言では結婚の意)」にもつながるからで、"聖域で神と交わる資格を持つ鳥飛なる女性" という意味において、"初代"倭迹迹日百襲姫に相応しいとも考えられます。
 "2代目"倭迹迹日百襲姫は、『魏志』倭人伝の「壹與」13才で、"最後" の倭迹迹日百襲姫は「ホトを突いて死んだ」女性かもで、孝元天皇〜開化天皇の時代は、一人の男性を除く4〜6人の女性大君の時代じゃないでしょうか。

[6606] 春日千乳早山香媛  大三元 2012/12/02(Sun) 19:51 [Reply]
日本書紀によると 孝霊天皇妃 細媛命(磯城縣主大目の娘)は一説、春日千乳早山香媛。一説、十市縣主等祖女、眞舌媛とある。

 春日千乳早山香 媛  は 古事記では
 春日千千速眞若 比賣 と書かれる。これと
 倭 迹迹 日百襲姫  を比べてみて、もしや原点は
●倭 千千速目百襲姫  ではなかったか、と想像している。

●既述のように「百襲」を「ももそ」と読むに関してはここの「もも」が古事記では「母母」とあり、それなら乙類の「もも」である;しかるに数値の100を言う「もも」は甲類である;という重大な疑問がある。

●「百襲」は「ほそ」と解するべきではなかろうか。そうすると「百襲(ほそ)」は孝霊妃「細」媛の「ほそ」に合致する。「百襲」を「ほそ」と解する根拠は「倭迹迹日百襲姫」の別名に「倭迹速神浅茅原【目妙】姫」があることである。【目妙】は【目細】と同じであり、マクハシと読む。これをマホソと読み【目百襲】と宛てた、それが「日百襲」に誤写されたものと推定した。また「眞若比賣」の「眞若」も「目若、目少」と理解することも可能であろう。

●「倭迹迹日百襲姫」は孝霊皇后倭国香媛の娘とされているが、原点を「倭千千速目百襲姫」と考えるので、名前の継承の観点から孝霊天皇妃 細媛命、一説「春日千乳早山香媛」の娘なのであろう、と推定する。

●話は転じてスサノヲの子であり、「天津彦彦火瓊瓊杵尊(ニニギ)」の父親である「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊」は普通「マサ・カ・ア・カツ・カチ・ハヤ・ヒ・アメノ・オシ・ホノ・ミコト」と読まれるが、頭音だけを拾って読み、他例を参照して読みを調整すると「マヤワカ チチハヤヒ」という音列が抽出できる。詳論は http://www.dai3gen.net/mayawaka.htm

●すなわち「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊」と「春日千乳早山香媛」が多くの同音、類字音を共有している。この二人の間に「ニニギ」が入る筈だ。孝霊天皇の和風諡号は「大日本根子彦太瓊」であり最後の「瓊(に)」が「瓊瓊杵(ニニギ)」の「に」に相当するか、と考えている。ちなみにニニギの母の名は色々に伝わるが「栲幡千千姫」もある;「千千」が注目される。


 

[6605] Re[6604][6603][6602][6582][6580][6578]: 倭迹迹日百襲姫命  琉球松 2012/12/02(Sun) 10:13 [Reply]
 「百=桃」。。。ん〜、これも捨て難い。

 桃が魔除けになるというのは沖縄でも理解できます。祖先に供える場合、桃は女性の象徴ですね。「ホト」と解釈してもいい。イザナギもイザナミから逃れる際に桃を使ってますね。

 「ソ」などについて、大和岩雄さんは著書『箸墓は卑弥呼の墓か(大和書房)2004 』で以下のように書いてます。
*** 倭迹迹日百襲姫命について、大野普は日本古典文学大系『日本書紀(上)』の頭注で、「トトビは鳥飛び、モモは百、ソは十であろうか。トトビは魂の飛ぶことの比喩となることがある」と書く。上田正昭はこの説を採って、「鳥のようにとんでゆくたくさんのたましいにちなんだものであろうか」と書き、「ヤマトトトビモモソヒメという名は、女人が神まつりにしたがった、たましいの司祭につけられたもので、特定の個人名というよりは、普通名詞的な名乗りであったのではないかと思う。だから、孝霊天皇の娘にも、孝元天皇の娘、このヒメの名が出てくるわけだ」と書く。***

[6604] Re[6603][6602][6582][6580][6578]: 倭迹迹日百襲姫命  神奈備 2012/12/02(Sun) 08:00 [Reply]
> 「百」が「桃」として「襲」はどうしましょ。

襲うしましょうと云う案がないのが辛いところです。

[6603] Re[6602][6582][6580][6578]: 倭迹迹日百襲姫命  大三元 2012/12/01(Sat) 20:37 [Reply]
神奈備さん お騒がせしてます

>  これを姫の名前に取り込むと、蛇神につかえたことは「迹迹日」は、tokkoni(t/kにゆれで、tottoni、更にtottohi)ということかも。

おお、神奈備さんからアイヌ語説!面白いですね。

>  また、「百襲」は桃、即ち魔よけ、また弟は吉備津彦こと桃太郎、纏向遺跡の崇神宮か卑弥呼の館と言われる建物横から桃の種が三千個弱も出土、名前に繰り入れられたのでしょう。

「百」が「桃」として「襲」はどうしましょ。

[6602] Re[6582][6580][6578]: 倭迹迹日百襲姫命  神奈備 2012/12/01(Sat) 16:08 [Reply]
 この姫や母のクニアレヒメの名は一体いつ頃付けられたのでしょうか。姫は大和王権を支えた三輪山の蛇神につかえて、王権への禍を排除しました。
 これを姫の名前に取り込むと、蛇神につかえたことは「迹迹日」は、tokkoni(t/kにゆれで、tottoni、更にtottohi)ということかも。
 また、「百襲」は桃、即ち魔よけ、また弟は吉備津彦こと桃太郎、纏向遺跡の崇神宮か卑弥呼の館と言われる建物横から桃の種が三千個弱も出土、名前に繰り入れられたのでしょう。
 言語苦の神奈備としては皆さんの論議を眺めるのみですが、無理をして一言。

[6601] Re[6599][6595][6594][6593][6592][6591][6589][6586][6585]: ふたつある「迹」  大三元 2012/11/30(Fri) 17:18 [Reply]
スターダストさん (良いハンドルですねぇ!)

> tup(移る) - tobu(飛・跳) 他に移る
>      - tohu(問・訪) たずねる

飛ぶ(とぶ)の「と」は乙類
問ふ(とふ)の「と」は甲類(記紀では全て。万葉では甲乙半ば。)
             (時代別国語大辞典上代編による)

私はご紹介の本に全く信を置いていません(似た音とすごく広い意味対応の例を列挙しているだけで、ほとんど吟味されていないので)。

なお、私の持ってる版(第1刷)では top(移る) となっているのですが、スターダストさんの投稿によれば tup に直されているようですね(?)

[6600] Re[6586][6585]: ふたつある「迹」  スターダスト 2012/11/30(Fri) 15:14 [Reply]
> 倭迹速神浅茅原目妙姫 という名称もあり「迹速」の部分が「飛・羽矢」に相当しますね。
> http://www.dai3gen.net/yamatoto.htm

浅茅原で思い出しましたが、
倭者彼々茅原浅茅原弟日僕是也
※倭はそそ茅原、浅茅原弟日、僕(=やつこ)らま」

よく考えてみますと、そそ茅原の「そそ(音はtsotso)」と、弟日(wotoFi)の語義に、(個人的には)満足したことがなかったのです。

そこで、浅茅原ツナガリで、
弟日(wotoFi)→ wo toFi → 若い トヒ(=蛇)
と解釈できたら面白かろうと…ふと思いました。
トヒを天皇家の血統に流れるモノとして…
あるいは、そそ茅原の「そそ(tsotso)」が、発音の近い?迹迹ではなかったか…

考えすぎは大好きです。 そして、すぐにヘコミます。

[6599] Re[6595][6594][6593][6592][6591][6589][6586][6585]: ふたつある「迹」  スターダスト 2012/11/30(Fri) 14:57 [Reply]
ふたつある「迹」の謎にアイヌ語方面から登攀してみましたが、ルートが切れています。以下。

日本言語学会会員の片山龍峯氏の著書『日本語とアイヌ語』巻末の
「アイヌ語−−日本語 音韻対応表」より、いくつか抜粋してみます。

※投稿者注:アイヌ語 − 日本語 の対応にて。

tup(移る) - tobu(飛・跳) 他に移る
     - tohu(問・訪) たずねる
     - tabi(旅)   たび

paye   - haya(早・速) 
(行く・出かける
to advance )
     - haya-ru(早) 心がそちらに進む
     - haya-ru(流行)

===
目標は、ト・ハヤ の語義をアイヌ語で照会できるかどうかの検討でした。
tup paye をト・ハヤであると仮定すると面白いかどうかです。
tupもpayeも基点となる所からどこかへ移動することにつながっていますが…
ここから先は、よくわからず、霧が立ち込めており、ルートが切れています。

[6598] 無題  琉球松 2012/11/30(Fri) 12:58 [Reply]
 やさかさん、ご報告ありがとうございます。

 焼尻紋次郎さんのご冥福をお祈り致します。

[6597] 失礼いたしました  やさか 2012/11/30(Fri) 12:21 [Reply]
大三元さん、琉球松さん
お話展開中に割り込んですみませんでした。
どうぞお続けください。
大変失礼を致しました。

[6596] ネット仲間の「訃報」  やさか 2012/11/30(Fri) 11:56 [Reply]
神奈備さんは既にご存知と思いますが、差出がましくも私(元HN/マルヤ)から皆様に悲しい訃報をお伝えします。
「神奈備掲示板」でもおなじみの、みなさんご存知「焼尻紋次郎」こと生田氏が逝去しました。
ご夫人からのハガキで知ったのですが、今月七日78歳で永眠なさったそうです。
十数年來、神奈備のご亭主と最も親しく交流があった方の一人で、古くからこの掲示板に馴染みの方は、ああ、あの「紋ちゃん」と懐かしく想い出されることでしょう。
彼は、大変なインテリかつ博覧強記とも言える方で、独特の「価値観論」を展開されていました。
きっと今頃は旧友高橋氏との再会を喜び、価値観談義に花を咲かせていることでしょう。
謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。

[6595] Re[6594][6593][6592][6591][6589][6586][6585]: ふたつある「迹」  大三元 2012/11/30(Fri) 11:04 [Reply]
>  「ト」は「ツ」の転ってえのはどうでしょう?

「ツ」と「甲類のト」には同じ漢字が使われている、ということは調べてあります。
http://www.dai3gen.net/tuto.htm
「迹」は「乙類のト」なので私の調べた範疇では「ツ」に通用しません。

[6594] Re[6593][6592][6591][6589][6586][6585]: ふたつある「迹」  琉球松 2012/11/30(Fri) 10:20 [Reply]
大三元さん

 「ト」は「ツ」の転ってえのはどうでしょう?
 接続詞「ノ」。。。とすると「ヤマトのトヒ・・」、だめかなあ!?

[6593] Re[6592][6591][6589][6586][6585]: ふたつある「迹」  大三元 2012/11/30(Fri) 10:05 [Reply]
松さん
>  まあ、この方法が『日本書紀』に採用されているとは断言できなくて、歴史的仮名遣いも無視できませんから、苦悩の一夜を過ごすことになるわけです(笑)。

お話しがよく「見えません」が、それぞれの場所での漢字を音読するのが適当か、訓読するのが適当か、ということなのではありませんか。日本書紀でも音読のみならず訓読もいくらでもあるのではありませんか。(なんか外しているかな?)

>  そして気になるのは、"「百襲」は「ほそ(細→くはし=妙)」" 。。。「ホソ」は琉球語の「フス」で?お腹のおヘソ(国の中心との意味もある)との解釈も成り立つかもしれません。

その語は「扶桑(ふさう)」と解されていますが(沖縄古語大辞典)それで良いように思います。

[6592] Re[6591][6589][6586][6585]: ふたつある「迹」  琉球松 2012/11/30(Fri) 09:27 [Reply]
大三元さんのサイトは、お気に入りの上位に置いてますよ〜。
 こちらが立てばあちらが立たず。。。大三元さんの苦悩が溢れている様が痛々しい(笑)。

 以前の書き込みで「仮名遣いではなく文字そのももに意味が」としたのは、中国周代以降の漢字の使用方法について、NHKスペシャル『漢字誕生 王朝交代の秘密』 を参考にしてみたわけです。
 ご覧になった方もお気づきになったと思いますが、中国大陸において意思を伝える為に漢字一字に意味を持たせて、言葉が通じなくても文字の意味を知れば理解ができるというもの。

 まあ、この方法が『日本書紀』に採用されているとは断言できなくて、歴史的仮名遣いも無視できませんから、苦悩の一夜を過ごすことになるわけです(笑)。

 そして気になるのは、"「百襲」は「ほそ(細→くはし=妙)」" 。。。「ホソ」は琉球語の「フス」で?お腹のおヘソ(国の中心との意味もある)との解釈も成り立つかもしれません。

 大三元さん、もうしばらくお付き合いお願いしますよ。
 これは我々琉球圏の島立の思想とも関わる可能性があります。「私達の崇める神は大和のヘソの御嶽(聖地)の出身である。沖縄だけになってもこの神におつかえしよう!」との神歌が現在なおも神祭りの中心思想なわけです。

[6591] Re[6589][6586][6585]: ふたつある「迹」  大三元 2012/11/29(Thu) 20:17 [Reply]
松っつぁん

>  大三元さんの解釈はどうでしょうか?
http://www.dai3gen.net/yamatoto.htm
をお読み下さいましたでしょうか。この姫様の名前に関して古事記と日本書紀のどちらが古い(オリジナル)のか;両方ともに疑義がありましてどちらともなんともハヤ。

大きなポイントは:「母母」は「もも(乙)」 に対して「百」を「もも」という場合の「もも」は甲類。だから原義が100なら古事記は間違い。反対にもし「母母」が正しいのなら日本書紀が「百」という字を使うのが間違い。
 私説では「百襲」は「ほそ(細→くはし=妙)」ではなかったろうか、というものです。また、倭「迹速」神浅茅原目妙姫 と 倭「迹迹」日百襲媛命 を勘案して
倭「迹迹速」日百襲媛命 あたりが原点か、とも思ったりします。
「迹迹」と「千千」を同一視しますと「千千速比賣命」などとの共通性も出てきます。


[6590] Re[6589][6586][6585]: ふたつある「迹」  琉球松 2012/11/29(Thu) 17:15 [Reply]
追記

 「ト」が脱落したと考えるか。。。としましたが、「トヒ」が脱落しているとも解釈できますね。
 「トヒ・トビ」は、神女を表すでしょうか?

[6589] Re[6586][6585]: ふたつある「迹」  琉球松 2012/11/29(Thu) 17:06 [Reply]
大三元さん、久しぶりです。

 『古事記』では「夜麻登登母母曾毘売命」ですから「ヤマトトモモソヒメミコト」でいいのでしょうけど、「ト」は一つだけですね。
 これは、「ト」が脱落したと考えるか、そもそも『古事記』のほうがオリジナルに近いのかという問題もあります。
 
 大三元さんの解釈はどうでしょうか?

[6588] Re[6587][6586][6585]: ふたつある「迹」  大三元 2012/11/29(Thu) 16:49 [Reply]
弊サイトをご覧頂いたようでありがとうございます。

> 「とど」と「ただ」は、元は同根であろうと推察できるそうです。

「と」と「た」が通じるか、という論点ですね(通じるとすると「ちち」「とと」「たた」をまとめちゃうことが出来て魅力的ですよね)。「と」「た」通用の実例が見つからないのですが、辛うじて探し出せたものは:
 肥前国風土記佐嘉郡条の「世田(よた)姫」が
 逸文では「與止(よど)姫」とも書かれている、
というものだけです(私としては)。
この逸文も「後代の記事とすべきである」と岩波本の頭注にあり、根拠に使うには弱いものでしょう。

[6587] Re[6586][6585]: ふたつある「迹」  hoshikuzu|star_dust 2012/11/29(Thu) 14:19 [Reply]
>
> > ああ…倭・飛・羽矢・若屋比売に近くなってまいりました!
>
> 倭迹速神浅茅原目妙姫 という名称もあり「迹速」の部分が「飛・羽矢」に相当しますね。
> http://www.dai3gen.net/yamatoto.htm

なんと! 大三元様の見解がはるかに優れているようです。 正直…参りました。
又、甲乙の音の違いについて考えても見なかったので、なんともはや…へこみました。
やぶれかぶれで…ちょっと書いてみます。
===
大野晋先生がものした辞書によりますと、「とどむ」と「ただよふ」の二語の語幹にある「とど」と「ただ」は、元は同根であろうと推察できるそうです。
ただよふ :小さな振動を持ちつつ、同じところにとどまっている
とどむ  :ぴたり とどまっている
というような按配であったと記憶しています。 

さて、大田田根子は、オホ氏であると 大和岩雄氏がおっしゃいます。氏部分が大、名前部分が田田根子ですね。 この田田が、迹迹と同じ意味合いを持った言葉なのかなぁと昔、考えたことがあります。 ちはやぶる(中略)たつたがわ から、「ちはや」と「たつた」との組み合わせを考えてみたのですが、どうにも駄目でした。たつた=たた、とは、なりそうにもありませんでした。
 

[6586] Re[6585]: ふたつある「迹」  大三元 2012/11/28(Wed) 14:20 [Reply]

> ああ…倭・飛・羽矢・若屋比売に近くなってまいりました!

倭迹速神浅茅原目妙姫 という名称もあり「迹速」の部分が「飛・羽矢」に相当しますね。
http://www.dai3gen.net/yamatoto.htm

[6585] ふたつある「迹」  hoshikuzu|star_dust 2012/11/28(Wed) 13:54 [Reply]
倭迹迹日百襲媛命にて
迹がふたつ重なることについて、考えてみました。

意味が異なる、二つの「ト」に、同じ漢字を当てはめてしまっていたとしたら?という発想です。

倭・迹・迹・稚屋姫命は、別名に
倭・飛・羽矢・若屋比売とありますので、これをキーに、ふたつの迹の意味の違いを捉えることを試みます。

そこで、古語に「疾風」(はやて)があり、また、「疾し」(とし)という語もまることを思い出してみました。「疾」は、トでもあり、ハヤでもあります。

※(とっととしろ)の言葉のトットは、疾く疾くとしろの短縮でもありますし。
http://kotobank.jp/word/%E7%96%BE%E3%81%8F%E7%96%BE%E3%81%8F

さて、迹=疾として
倭・迹・迹・稚屋姫命を
倭・迹・【疾】・稚屋姫命 と置き換えてみますと、
倭・飛・羽矢・ 若屋比売とが、一致いたします。
これには、なにかを感じます。

この調子で倭迹迹日百襲媛命に援用いたしますと、
ここは一旦、迹日は、「飛び」=「蛇」だと思いこんでおいてですね…
倭迹迹日百襲媛命
倭【疾】迹日百襲媛命
倭【疾】【飛】百襲媛命
倭【ハヤ】【飛】百襲媛命
ああ…倭・飛・羽矢・若屋比売に近くなってまいりました!

[6584] Re[6581][6579]: 南方刀美神社  hoshikuzu|star_dust 2012/11/28(Wed) 13:41 [Reply]
> > 「ミ・ナカタ」の部分に注目すれば
>
>  南方は宗像と同義かなと思っていましたが、おっしゃる通り、ミ+ナカタの分け方が成り立つのは、『延喜式神名帳』に、阿波國名方郡に多祁御奈刀弥神社という式内社が記載されています。地名が名方郡ですので、ナカタはありえます。ナカはナーガに通じ、阿波には那賀郡もあり、蛇神信仰の強いお国柄だったのかも知れません。
>
>  ただ、神社名が多祁御奈刀弥神社で、おそらくはタケ+ミ+ナ+トミであり、ミ+ナ の理解が難しい所です。

延喜式でみると
阿波:多祁御奈刀弥神社
信濃:南方刀美神社
ですね。信濃のほうは、あるいは、ミ・ナカタ でもいいかもしれません。

[6583] ミナカタ etc.  大三元 2012/11/28(Wed) 08:29 [Reply]
系図を下記のように並列にしてみております。そこからの推論。
1.ミナカタ≡天日方奇日方である。
2.天日方奇日方の配偶者日向賀牟度美良に「トミ」の音を認めると、1.において
  ミナカタの配偶者がミナカタトミであることと一致する。
3.日向は「ヒムカ、ヒナタ、ヒカタ」が可能
4.「ツクシヰ」から「ツクシ」が「アタツクシネ」までつながっている
5.活玉依姫≡ヌナカハ姫 は「玉=ヌ」でつながる。
6.ミホススミの「スス」が五十鈴の「鈴」

(系図中:「=」は婚姻関係。「≡」は equal の意味)

               オキツクシヰ
                 ↓
      三島溝咋     ヘツクシヰ
      ↓          ↓
事代主 = 活玉依姫   ≡ ヌナカハ姫 =大国主
    ┃               ┃
  ┏━┻━┓            ミホススミ*
五十鈴姫  天日方奇日方 ≡ タケミナカタ=日向賀牟度美良
*ミホススミ アタツクシネ             トミ
                                      
ある事件、事象、先祖名などが異なった家系経路で伝承された結果、と云えるような気がします。

余談:
神沼河耳命(神武の子、第二代綏靖天皇)の「神」は「日向賀牟度美良」の「賀牟」を牽いているか。(なお「良」は「郎」と同じく「イラツメ」あたりに読む)。

「意富加牟豆美命」は「桃」のこと・・・「百襲」に絡んでくるのか???


[6582] Re[6580][6578]: 倭迹迹日百襲姫命  琉球松 2012/11/24(Sat) 16:01 [Reply]
神奈備さんへ

 崇神天皇は、卑弥呼死後の "男子を王とし" で大乱に陥った失敗?を避けるために「百襲姫」を利用したんじゃないかと考えています。
 しかし、結局はイリ王朝のある時期に "ホト突いて死ぬ" ことになったと思われますね。

 女性の宗教権を男性の下に置く、現在の日本の「ハツクニシラス」は、やはり崇神ではないかと。。。

[6581] Re[6579]: 南方刀美神社  神奈備 2012/11/23(Fri) 11:28 [Reply]
> 「ミ・ナカタ」の部分に注目すれば

 南方は宗像と同義かなと思っていましたが、おっしゃる通り、ミ+ナカタの分け方が成り立つのは、『延喜式神名帳』に、阿波國名方郡に多祁御奈刀弥神社という式内社が記載されています。地名が名方郡ですので、ナカタはありえます。ナカはナーガに通じ、阿波には那賀郡もあり、蛇神信仰の強いお国柄だったのかも知れません。

 ただ、神社名が多祁御奈刀弥神社で、おそらくはタケ+ミ+ナ+トミであり、ミ+ナ の理解が難しい所です。

[6580] Re[6578]: 倭迹迹日百襲姫命  神奈備 2012/11/23(Fri) 11:27 [Reply]
> そう仮定すると「倭迹迹日百襲姫命」は、"ヤマト(の思想?)を継承する太陽女神" ではと思いますね。

 崇神天皇(百襲姫)の時代こそ、ヤマトの思想(神祇政策等)が確立された時期ではないでしょうか。百襲姫は大巫女王として、この確立するに当たって大きい役割を果たしたのでしょう。この観点からは「継承」を重ねるネーミングには苦しい所があるように感じます。
 しかし、迹迹の重なりについてはよくわからない所があります。

[6579] 南方刀美神社  hoshikuzu|star_dust 2012/11/22(Thu) 15:52 [Reply]
『延喜式神名帳』に、信濃国諏訪郡「南方刀美神社(ミナカタトミノカミ)」二座 とあります。建御名方寓命神社でもあり建御名方神を祭っているのでしょうけれども、「南方刀美」に注目してみたいと思います。

「刀美」は蛇ではありませんでしょうか? 本来の祭神は蛇神ともされるミシャグチ神であったようですから、蛇信仰の合致による習合にすぎないのでしょうか…

「ミ・ナカタ」の部分に注目すれば、ミは敬称、ナカタが語幹になるわけですが、これが、やはり、蛇を表してはいないかと苦吟中です。
というのは、登美・能・那賀須・泥・毘古の例でもみたとおり、那賀須がヘビ、登美も蛇ということになると、ひとつの名に、ヘビが二重に出てきています。「南方刀美」もまた、蛇が二重に出てきているのではないかと考えてみています。トミ・ナガスネヒコもタケ・ミ・ナカタ(トミ)も、天孫族本流による列島統一に反抗したクニガミであろうと捉えはじめますと、なにやら面白そうです。


[6578] 倭迹迹日百襲姫命  琉球松 2012/11/22(Thu) 09:58 [Reply]
 『日本書紀』の「倭迹迹日百襲姫命」は、仮名遣いではなく文字そのももに意味があるのではと考えますが、どうでしょうか?

 「倭」には「ヤマト」の意味があるのは疑いないし、「姫・命」もしかり。
 「百襲」は、琉球方言では首里城正殿や国王を意味し、つまりは全てを統治すると解釈できますね。
 「日」は太陽でしょうか。
 そして問題の「迹」なんですが、辞書でみるとほとんど「跡」と同義で、「痕跡」や「引き継ぎ」をも意味すると考えられないでしょうか?

 そう仮定すると「倭迹迹日百襲姫命」は、"ヤマト(の思想?)を継承する太陽女神" ではと思いますね。
 その「迹」を2つ並べることで、"ヤマトの真の継承者" として強調しているかもしれません?

 蛇(鮫)の意味が込められている可能性は捨て難いのですが。。。

[6577] Re[6576]: 注連縄  神奈備 2012/11/20(Tue) 19:44 [Reply]
> 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊には、「ナギサ」という語がはいっていますが、

名草の武と言えば、五十猛を想起します。神武papaの名には何人かの神様の名前が潜り込んでいるのかも知れません。その中の一柱であっても不思議ではありません。


> 倭迹迹日百襲姫命は、倭・迹・迹日・百襲姫・命と分解できれば(注1)…迹日=トビにて蛇がはいってきますね。蛇神大物主を祭祀するに相応しいことかと思われますがいかがでしょう?

同感です。彼女の名前の解読では有力な説になるものと思います。

> 富来隆氏
 氏の著作の『卑弥呼』(朱と蛇神をめぐる古代日本人たち)に詳述されています。なお、追従する説はなさそうで、今の所、孤立無援の説かも知れません。

> [6576] 注連縄
注連縄をアラハバキと呼ぶのは面白い話ですが、一度確認してみたい所です。何でも「蛇」の吉野祐子さんも言っておられないお話ですし・・・

[6576] 注連縄  hoshikuzu|star_dust 2012/11/20(Tue) 13:27 [Reply]
http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/kambbs.cgi?mode=res&resmode=11243
にて注連縄の話題について触れられていました。

http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/09/03/4559931
にて、蛇信仰と注連縄:吉野裕子の「猿田彦=蛇神=伊勢大神」説 の記事があります。
今気がつきました。

[6575] 無題  hoshikuzu|star_dust 2012/11/20(Tue) 13:21 [Reply]
登美能那賀須泥毘古を、登美・能・那賀須・泥・毘古と分解できれば…
妹の名「登美夜毘売」とも考え合わせれば、登美=トミ(トビ?)が浮上してきます。
やはり蛇神属性を感じさせます。

以下のブログ記事に大分大学名誉教授の富来隆氏の論文の概要が載っており、興味をひかれます。
●那賀須泥毘古と竜蛇族
http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/14010405.html

===
あまり関係ないかもしれませんが、ニジ=ニギもまた蛇の関連語であると吉野裕子がおっしゃっていたような記憶があります。ニギハヤヒですとか。
このハヤが…倭・飛・羽矢・若屋比売にも登場していまして、ひょっとしたら、蛇と親和性の高いなんらかの理由が隠れいてるかもしれないと想像しています。



[6574] Re[6561]: 来年は名草戸畔の年  hoshikuzu|star_dust 2012/11/20(Tue) 13:06 [Reply]
>  ナグサはナーガの変形で、ナグサ山は蛇神の坐す山の意味と思われます。

「八尋和邇(やひろわに)が腹をつけて蛇のごとくうねりながら」豊玉毘売命が産んだ、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊には、「ナギサ」という語がはいっていますが、誕生の様子から蛇を連想させ、かつ、ナグサはナーガの変形だとすれば、ナギサ=ナグサの可能性が出てくるかもしれませんね。 いかがでしょう。海龍?



>  戸畔はトベ、中国地方のトウビョウ、九州のトウベ、大和などのトベ、全て蛇を表す言葉、名草戸畔とは、蛇神を祀る巫女中の巫女王を示しています。

倭迹迹日百襲姫命は、倭・迹・迹日・百襲姫・命と分解できれば(注1)…迹日=トビにて蛇がはいってきますね。蛇神大物主を祭祀するに相応しいことかと思われますがいかがでしょう?

注1)百襲姫は古事記では「夜麻登・登・母母曾毘売命」なのですが、トビだけ脱落してます。このことから上記分解はある程度信憑性があります。

やはり孝霊天皇の皇女、
倭・迹・迹・稚屋姫命は、別名に
倭・飛・羽矢・若屋比売とありますが、
飛をトビとみなせば、ここにも蛇がいます。


[6573] Re[6572][6571]: 古事記の国生みの順  神奈備 2012/11/16(Fri) 09:45 [Reply]
> 百襲姫やその母の活動範囲の重要度を順を追って表現しているんじゃないでしょうか。

孝霊天皇と大倭クニアレ姫はイザナギとイザナミの原型だったかも知れませんね。

国生みの順で、四国の次ぎに隠伎島(乙・弟島は苦しいと思います。)が来るのが問題で、これを二神や二尊でどう説明するかが問題です。

[6572] Re[6571]: 古事記の国生みの順  琉球松 2012/11/14(Wed) 15:31 [Reply]
 これはどうなんでしょう?
 古事記には距離は記されていませんから、百襲姫やその母の活動範囲の重要度を順を追って表現しているんじゃないでしょうか。
 だからこそ「大倭豊秋津島」の順位は下がると考えたいんです。

 国生みで重要なのは、四国瀬戸内海側の扱いが順位でも文字数でも、断然優位ですね。
 大倭クニアレ姫と伊予「愛媛(兄姫)」、そして乙姫「弟姫(百襲姫?)」が主役級かも?

[6571] 古事記の国生みの順  神奈備 2012/11/10(Sat) 19:23 [Reply]
古事記の国生みの順について、10月のウガネット(浪速の古代史研究会)で、宮崎みどりさんが、
http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/
鳴門の渦潮からの距離が近い順に書かれていると指摘されました。
で、調べてみました。
http://www.benricho.org/map_distance/
を使用しました。

淡路之穂之狭別島   40km
伊予之二名島 四国 130km
隠伎之三子島 隠岐 260km
筑紫島 九州    380km
伊伎島 壱岐    450km
津島  対馬    490km   
佐度島 佐渡    660km   
大倭豊秋津島 本州 700km 秋田県

確かに近い順になっています。素晴らしい発見です。
さて、8世紀頃には、2点間の距離をどのようにして知っていたのでしょうか。

還ります時に生んだ島々

吉備児島 岡山県児島半島
小豆島  香川県小豆島
大島  山口県
女島  大分県
知訶島 長崎県五島列島
両児島 長崎県男女群島

鳴門の渦潮では、小豆島、児島の順になります。吉野川を遡るか、高松に行くと距離順になりますが・・・

[6570] Re[6563]: 自然  大三元 2012/11/10(Sat) 08:34 [Reply]
神奈備さん、いろいろブレインストーミングを経たものの
> 古来より日本には「自然」の和語がなかったとされており、どうやら正しいようです。
のようですね。

> 即ち日本人には「自然」なる概念がなかったのではないかと疑われるのです。
自然現象事象の個々は神・霊として認識されていると考えて良いのでしょうが、それらを全部ひっくるめた思考はなかった、ということかしらね。

>  しかし今や世界でも珍しい程、自然を愛し、自然のありようを神と敬意を示している国民だと思われます。
そういう国民、そうでない国民、中間派などさまざまでしょう。国土を汚染して平然としている国民もおるしぃ。。。

>  「自然」を和語で言うと、「ありのままのもの」、「おのずからなっているもの」と言うことになるのでしょうが。

そういえば「おのころ島」は「自凝島」だ、という解説がありますね。とは云え「おのころ」が「自然(総体)」の意味とも認めがたい。

ありがとうございました。

[6569] Re[6568]: 自然  神奈備 2012/11/08(Thu) 09:05 [Reply]
伊邪那岐命・伊邪那美命が生んだ神の中に自然の神などがあります。

家屋の神
大事忍男神
石土毘古神
石巣比売神
大戸日別神
天之吹男神
大屋毘古神
風木津別之忍男神

自然現象の神
大綿津見神
速秋津日子神
速秋津比売神
 上記二神の子神
 沫那芸神
 沫那美神
 頬那芸神
 頬那美神
 天之水分神
 国之水分神
 天之久比奢母智神
 国之久比奢母智神
志那都比古神
久久能智神
大山津見神
鹿屋野比売神(野椎神)
 上記二神の子神
 天之狭土神
 国之狭土神
 天之狭霧神
 国之狭霧神
 天之闇戸神
 国之闇戸神
 大戸或子神
 大戸或女神

生産の神
鳥之石楠船神(天鳥船)
大宜都比売神
火之夜芸速男神(火之R毘古神、火之迦具土神)

伊邪那美命の汚物から生まれた神
金山毘古神
金山毘売神
波邇夜須毘古神
波邇夜須毘売神
弥都波能売神
和久産巣日神
上の神の子
 豊宇気毘売神

[6568] Re[6567][6566][6565][6564][6563]: 自然  大三元 2012/11/06(Tue) 13:33 [Reply]
「自然が作ったもの」:宇摩志阿斯訶備比古遅神
「天下を作った神」:天下造大神、造ったもの(天下)とは自然のこと
「高」を「産んだ霊」:高皇産霊尊:「高」ってなんじゃ。高天原???
           葦原中国???「高」と「葦」、「葦高神社」???
           葦原中国の「芽」が宇摩志阿斯訶備比古遅神???

秋雨昼下がりの妄想でした。

[6567] Re[6566][6565][6564][6563]: 自然  神奈備 2012/11/04(Sun) 21:27 [Reply]
> 英語の nature、これの語源を遡って行くとラテン語の natus その意味は birth(誕生)だそうです。

 生命力と言うことでしょうか。

 『古事記』では、最も古いとされる天地開闢神話の中の、宇摩志阿斯訶備比古遅神が想起されます。

[6566] Re[6565][6564][6563]: 自然  大三元 2012/11/03(Sat) 15:56 [Reply]
英語の nature、これの語源を遡って行くとラテン語の natus その意味は birth(誕生)だそうです。ふむ「ムスヒ」(高皇産霊尊)に相当するか。

[6565] Re[6564][6563]: 自然  神奈備 2012/11/03(Sat) 11:20 [Reply]
> やまつみ、わたつみ、くくのち、いはつち、かなやま、かぐつち・・・これらを統合する語がない、ということですね。

大三元さん、興味を持っていただきありがとうございます。日本書記では。
『神代紀』
高皇産霊尊、勅八十諸神曰。葦原中國者、磐根木株草葉、猶能言語。夜者若穂火而喧響之。晝者如五月蝿而沸騰之云云。

『神武紀』
昔伊弉諾尊目此國曰。日本者浦安國。細戈千足國。磯輪上秀眞國。〈秀眞國。此云袍圖莽勾爾。〉
復大己貴大神目之曰。玉牆内國。
及至饒速日命乘天磐船。而翔行太虚也。睨是郷而降之。故因目之曰虚空見日本國矣。

とあります。別段、日本人には抽象化する能力が欠けているわけではなさそうです。
 
 自然神を統合すると結局、あらぶるかみ、ということでしょうか。これですと、自然と畏れ慎みながら共生すると言う感じがでてきます。

 一方、西欧人のように支配し征服したい気持ちが勝ってしまうのかも知れません。これは明治以降の主流の考えです。江戸時代後期から、「自然」と言う言葉が使用され始めたようで、支配・征服の思想と軌を一にしているようにも思われます。


[6564] Re[6563]: 自然  大三元 2012/11/03(Sat) 08:30 [Reply]
神奈備さん 面白いテーマですね。
今云う「天然、自然」は、「神」ないし「神性の一部が具現されたもの」みたいな捉え方だったのかしらね。 やまつみ、わたつみ、くくのち、いはつち、かなやま、かぐつち・・・これらを統合する語がない、ということですね。

[6563] 自然  神奈備 2012/11/02(Fri) 19:28 [Reply]
 古来より日本には「自然」の和語がなかったとされており、どうやら正しいようです。即ち日本人には「自然」なる概念がなかったのではないかと疑われるのです。
 しかし今や世界でも珍しい程、自然を愛し、自然のありようを神と敬意を示している国民だと思われます。この矛盾はどうしたことでしょう。
 それは「自然」はあまりにも当たり前の存在だったので、言葉すら不要だったとか、山川草木を示す言葉は全て自然の一部を表しており、それで間に合ったということでしょうか。

 「自然」を和語で言うと、「ありのままのもの」、「おのずからなっているもの」と言うことになるのでしょうが。

[6562] Re[6561]: 来年は名草戸畔の年  琉球松 2012/10/25(Thu) 14:25 [Reply]
 神奈備さん、面白いですね、勉強になります。

[6561] 来年は名草戸畔の年  神奈備 2012/10/25(Thu) 09:16 [Reply]
名草山の名草戸畔と紀三井寺について。

 ナグサはナーガの変形で、ナグサ山は蛇神の坐す山の意味と思われます。
 戸畔はトベ、中国地方のトウビョウ、九州のトウベ、大和などのトベ、全て蛇を表す言葉、名草戸畔とは、蛇神を祀る巫女中の巫女王を示しています。
 名草山西麓にある紀三井寺は、紀の国の蛇さんのいる山の寺の意味、巳の蛇は水神であり、井戸の意味にも使用されたようです。


[6560] 無題  まるできいろ 2012/10/24(Wed) 19:04 [Reply]
神奈備さん、初めまして楽しく拝見させてもらってます。
そして、勉強もさせてもらってます。
これからも、宜しくお願いします。

[6559] 大己貴神の幸魂・奇魂の登場のシーン  神奈備 2012/10/21(Sun) 19:59 [Reply]
『日本書記』巻一第八段一書第六◆一書曰。
 如吾不在者。汝何能平此國乎。由吾在故。汝得建其大造之績矣。
現代語
 もし私がいなかったら、お前はどうしてこの国を平げることができたろうか。私がいるからこそ、お前は大きな国を造る手柄を立てることができたのだ。

 大己貴神と少彦名命が心を一つにして天下を造られた。後に少彦名命は常世郷に去った。その後現れた神が上記のセリフを言っています。セリフの「私」とは、少彦名命のことと読めます。少彦名命こそ三諸山に祀られた神と言えます。 

 大己貴神の幸魂・奇魂を大物主神としているのですが、正しくは少彦名神と言うことです。


[6558] 八段錦  神奈備 2012/10/19(Fri) 15:07 [Reply]
 日頃の運動不足の解消のために、太極拳に八段錦と云うものがあり、八種の体操があり、そのうちの二段錦を繰り返し、やっています。足への負担が多くならない程度ですが、少しは役にたつのかも。
 皆さんも雨の日などにどうぞ。
http://taiji60.blog17.fc2.com/blog-entry-8.html

[6557] Re[6556][6549]: 皆様初めまして  神奈備 2012/10/09(Tue) 09:28 [Reply]
> 宗像系皇族

長屋王の子孫の高階峯緒は在原業平が伊勢齋宮と密通した時の伊勢権守兼神祇伯だったそうです。いたんですね。

[6556] Re[6549]: 皆様初めまして  神奈備 2012/10/08(Mon) 11:04 [Reply]
> 宗像系皇族

長屋王は一族もろとも殺されました。後、どのような方が該当するのでしょうか。

> 万葉語はほぼ百済語であり、

渡来人がすぐに学長を務めたり、皇族の先生になったりしているのは、確かに言語が近かったと言えるのでしょうが、古代の百済語について、文献上はどこまで遡りうるのでしょうか。


[6555] Re[6549]: 皆様初めまして  琉球松 2012/10/07(Sun) 13:32 [Reply]
前立腺隊じっちゃマンさん

 "地区名が「日蒔の里」" とありますが、現在でもこの名なのでしょうか。
 色々と想像をかき立てる地名です。「日向き」の可能性はあるでしょうかね。東に向いているいような一般地名なのかとも。。。

[6554] Re[6553][6552][6551]: 普天間から  琉球松 2012/10/03(Wed) 11:53 [Reply]
 ちょっと言い過ぎました。すみません。

[6553] Re[6552][6551]: 普天間から  琉球松 2012/10/03(Wed) 10:08 [Reply]
神奈備さん、気にかけてくれて感謝します。

 2日目も我が家(普天間基地の東側中城村)の真上を通過していったんですけど、この低周波は大きな問題になると思いますね。

 私、琉球松。。。ちょっとパニック症状の気があって、まあ、心の病ではなく脳機能障害の一種ですから、薬剤のおかげで普通の生活には支障はないのですが、この機が発する振動に強いストレスを感じます。

 とっとと出て行ってもらいたい! 引っ込め民主党(怒怒怒)!!!!

[6552] Re[6551]: 普天間から  神奈備 2012/10/02(Tue) 21:16 [Reply]
>  問答無用なんですね、国家ってあまり信用しないほうがイイんでしょうかね。

 福島原発事故安全宣言、小浜原発安全宣言、オスプレイ安全宣言、どう見ても見識のありそうでない総理大臣がやっているんです。
 卑怯者の嘘つきの人間をいつまで総理にしているんでしょうね。問答無用で不信任です。

[6551] 普天間から  琉球松 2012/10/01(Mon) 22:45 [Reply]
 オスプレイが頭上を通過していきました。

 中途半端な重低音で、人の脳を攻撃的にするような感じがします。
 奄美上空を経由して沖縄にやって来るって、なんか、日本海軍の四式重爆撃型特攻機を連想してしまいました。

 問答無用なんですね、国家ってあまり信用しないほうがイイんでしょうかね。


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