Uga文字『上紀』ウエツフミについて

 参考 『解読 上紀』田中勝也


1.撰上 貞応二年(1223)大織冠鎌足公十九代後胤 従四位侍従大友左近将監(豊後の守護大友能直よしなお源頼朝の庶子と言われる。)が、家臣から学識のある者七人を選び、散逸しつつあった古代関係の資料を集めさせたと言う。

2.大友能直の時代 鎌倉の源氏政権は三代で潰えた。戦乱と変転の激しい時代であった。親鸞・日蓮は能直より一つ若い。人間の歴史や生き方に目を向けた時代だった。

3.発見 宗像家から古写本 天保二年(1831)幸松葉枝尺さきまつはえさか氏 古写本は明治六年の大洪水で流失。
  大友本 明治七年 臼杵市の大友家で発見。

4.校合 宗像写本と大友本を校合、現在、国立国会図書館で保管、大友本の古写本は大分図書館。

5.原史料 常陸国新治郡富田家に伝承の「新はりの記」を史料としたとある。これは朝廷に奉った際、平清盛は贋文として、使者を殺し、文を焼かせたと言う。梶原影時が焼け残りを入手し、後世に伝えたとされる。それ以外に、『摂津住吉大余座記』など十二の史料を使ったとするが、全て現存していない。

6.『上紀』は何故、神代文字(ウガヤ文字)で書かれているのか?
 この国には古い文字として神代文字が存在していたとされる。例えば、豊国文字は五十猛いそたける命の考案によるもので、五十言建いそことたてるの命の意であるとされる。
 ウガヤ文字は豊国文字が簡略化してもののようで、象形文字に一層片仮名の混ざった文字のようである。
 山の民であるサンカが近年まで豊国文字を使用していた。また『上紀』の内容とサンカの生活習慣の類似点が多いことも興味深い。

7.これらの神代文字には、ひらがな、カタカナと同様に、万葉仮名では区別されていた甲音、乙音の区分はなくなっている。奈良時代後半から平安時代以降に考案さされた文字と思われる。

万葉仮名 甲    乙  角川 『古語辞典』から
き 伎 岐    紀 城
け 家 祁    気 居
こ 古 故    許 去
そ 素 蘇    曽 則
と 斗 刀    登 等
の 怒 奴    能 乃
ひ 比 卑    肥 斐
へ 幣 平    閉 背


み 美 彌    微 味
め 賣 馬    米 梅
よ 用 容    余 輿
ろ 漏 路    呂 里


ぎ 藝 幾    疑 宣
げ 家 祁    宜 礙
ご 吾 後    碁 語
ぞ 俗      序 存
ど 度 奴    杼 藤
び 毘 肥    備 眉
べ 便 別    倍 毎

い 伊 以
え 愛 衣
お 意 於

ye 延 曳

ゐ 韋 位
ゑ 恵
を 越 呼

8.千葉のサンカの長老であった印部一郎氏が語ったこと、「豊後のサンカ1600人が国守の大友能直に殺され、彼らの一切の記録が持ち去られた。」と言う。後に、島津家と大友家が対立した際、九州のサンカは島津に協力し、大友氏の滅亡に一役買うことになる。
 サンカの伝承はサンカ文字で書かれており、これを丸ごと盗んで『上紀』を仕上げたので、文字をサン カ文字から改良してウガヤ文字を考案して使用したのであろう。

表示について
 イ yi、エ ye、ウ wu、ヤ 家屋・詠嘆の也、ハ 主格の は、あ行五段とわ行五段は入れ代わり。 

9.『上紀』【第10綴】第7章  オモイカネ神、ア・イ・ウ・エ・オの5音と仮名5文字を定む
 ここに八心天之思金の命告りたまわく高天之原の言問イいとなめしに清ら言にあり故吾が天の御言を人草毎におのづから湧き出る心伝ての神たちの天の教エ訓(こ)り伝てにありこによりてそれの言霊の緒を画きてにとまをして直に口を絵に画きまして五言の声を別ち
口づから自から鳴り出るものハ アなり。
唇引くハ イなり。
押すハ ウなり。
開ぐハ ヱなり。
円ハ ヲなり。
故(口を表わす絵文字)こハ 口なり。こに物添エて五言なす(上紀古体文字アイウヱヲ)こを画きて五言と定めたまイき

10.『上紀』 【第10綴】第8章  イソタケル神、象形50文字仮名を制定
 これの時に国照大御神の御子大屋毘古の命これの五言の言霊の緒を別ちて神言の緒を十連とおつらなして五十連を御作りましてそれの形を画き千萬言ちよよろづごとの言別と定めたまイき故この大神を五十猛の命とまをすまたハ五十言猛(いそことたける)の命また五十音猛(いそねたける)の命また五十連(いそつら)の命ともまをす。
【第10綴】第20章 文字を高天之原に奉じた。ここに天津御子打ち見甚く御喜びたまイて直ちに褒めたまイて大屋毘古の命に五十建曽(いそたけそ)の命といウ御名を賜ゐ。

11.【第19綴】第2章  古体文字の制定
 ここに先に天津八心思金の命の描きたまゑる五声ハ天地の共(むた)自づからなる現(うつ)しき青人草の言の葉の始めなる此れの描き状以(さまをもって)て五十言建(いそことたける)の命またの御名ハ五十猛の命思金命の五つの声音のaiueoの仮字に装(よそ)ゐて天地のおのづからなる言葉の有りてに限りを象有るハ形画(かたえ)とし無きハ仮画(かりえ)となして五十字画となしたまイけるを積羽八重言代主の命これの五十声音の描き以て諸々の言霊を写してそれの言の趣きを書きて文なしたまイき

12.【第1綴】第3章  国生み 天津御虚空豊道之原の国ハ身一つ面(おも)十五(とおいつ)
大和(やまと)の国を秋津根別     あきつねわけ
津(つ)の国を日下根別         くさきねわけ
淡海(あわみ)の国を淡海根彦     あわみねひこ
伊勢(いせ)の国を伊勢津媛      いせつひめ
遠淡海(とウとウみ)の国を遠津海別 とウつみわけ
无邪(むさ)の国を无邪津海別    むさつみわけ
常陸(ひだ)の国を常陸媛      よちぢひめ
科野(しなぬ)の国を狭依科彦    さよりしぬひこ
野(ぬ)の国を野道路媛       ぬちぢひめ
陸奥(みち)の国を道路奥別    ちぢのくわけ
越(こし)の国を越根別       こしねわけ
丹波(たにば)の国を丹波別   たにばわけ
* 出雲(いづも)の国を出雲別   いづもわけ
穴門(あなと)の国を穴門根別  あなとねわけ
吉備(きび)の国吉備津根別   きびつねわけ


13.【第12綴】第22章 天の浮き橋
 豊日と穴門の海渡り出御在(いでみま)しの時に渡広主の命渡守姫の命ここに大宮八氷木に設(しつら)エてこれの設エ並べに大倉小倉建て並めて三里四方なす天津御子御伴の神たちに饗エまつるこれの渡りに橋以て為むハ長し船以て為むハ短し山迫(やまそ)山迫の合わゐになれば潮の息吹いと速に漲りぬ故天之浮橋を造り建てて天津御輿臣津御輿馬乗る神伴牛乗る神伴道往く神伴神伴之緒の神共に持ち添え千萬の神伴之長共たち穴門辺に渡り熊毛の国に到ります。

17.【第三綴】第17章  天照女神招来の評定と神鏡の鋳造
 大御神の御像を写し造り良かやかの謀りなして招ぎまつらにとまをしたまイき】【ここに八心思金の命の御謀りの随に伊斯許理度之男の命伊斯許理度之女の命ハ天之安之河原の河上なる天之堅石を取り金山比古の命金山比売の命ハ天之香山の眞金を取り天津眞浦の命天津麻牟羅の命ハ眞金を求きて日の大御像の御御心に適わず】【次に造れりし八咫鏡二つハそれの状美しくて諸神たちの御心にも合エり】
久久能智の命久久麻遅比売の命ハ天の眞名木を取り剥ぎて天の羽鞴を作り立てましき。

14.【第4綴】第8章  スサノヲの追放
『古事記』千位の置戸を負せ、髭を切り、手足の爪も抜かしめて、神遂らひ遂らひき。
『上紀』豊道之原の中津国を平定せよとの命令を受ける。
ここに国照大神その御子多紀理毘売の命市寸島比売の命多岐都比売の命五十猛の命五十猛背面の命大屋毘古の命大屋比売の命抓津比売の命八柱の御子神を率き御伴部の神たちと共に日向の霧島の岳に天降りなしたまイき。

14.【第5綴】第5章 須佐之男、天照女神に大蛇の剣を献上
『古事記』この太刀を取りて、異しき物と思ほして、天照大御神に白し上げたまひき。こは草薙の太刀なり。
『日本書記』本文 素戔嗚尊がいわれるのに、「これは不思議な剣である。どうして私物にできましょうか」といって、天つ神に献上された。
『上紀』国照大神 何時もこれの太刀より叢雲起きりて御空に渡るいとも奇しき太刀なり故吾が如何でか私に持て斎かめヤと告りたまイて太前に立て奉りたまウ。時に天照大御神告りたまイつらくこハ天之香山の磐染の美きの銅以て天津眞浦の神に作らしし叢雲の剣なりこれのものハ吾が岩屋に籠りし時心迫こに美濃淡海の伊吹に落としし太刀なりと告りたまイき。


15.【第六綴】第4章 稲場の白兎
『古事記』直った兎は、「大穴牟遅命が八上比売を得ること。」を予言する。
『上紀』兎喜びて大穴牟遅の命の持たせる袋を負びてひたふるに後ろ脚を持上げ前脚を伸べて御後辺に就きて御伴に罷(まか)りき。

16.【第三十七綴】第9章 五瀬命
『上紀』吾ハ日の神の御子にしあるに日に向きて戦ウハ吾が罪なり今ゆ後ハ南ゆ往き巡りて日を背に負イて撃たにと云て鳥の海に至りて其の御手の血を洗イたまウ所を茅渟の海とぞ云なる。そこより巡り出まして名草戸畔が家に入りまして暫し憩わせたまイき。
 先の時に名草戸自の家に五瀬の命の御入りたまイてその矢傷に薬あひろ以て治したまウからに傷も生々に癒ゑたまイき或る夜夕餉の御食しに御酒を進め参イらせき此に酔ゐたまイていとよく眠寝ます故臣の上たち宿直ゐまして御寝ましたまイき故名草戸自ハそを窺き見て長髓彦に賄ウ心あれば今ハ良しとウて親族の禍らゐ人を数多集めて己が家を取り巻かして廻る。


18.【第二十綴】第14章  健康な性生活と人民の担務
1-7 童男女                 育め
8-13 幼び男女               力招きを修せ
14-20 いかし 厳男女ハ性交有らじ  生業を修せ
21-30 はや 逸り男女ハ一日離り   生業を勤労げ
31-50 ますら 益良男女ハ三日離り  戸主たれ
51-70 すけ 受家男女ハ五日離り   公吏たれ
71-90 ますけ 眞受家男女ハ七日離り 郷司たれ
91-110 ちぬ 千努男女ハ八日離り  郡司たれ
111-150 まちぬ 眞千努男女ハ心の隨に 朝廷に出仕せよ
151以上 さきを 栄男女も然々に

19.【第16綴】第18章  住吉の翁
 またここに三百歳余りなす翁三人出て吾も神座せむと若人の如に清らに歓ぎ持たる貴玉を伸す紐以て結ゑる扇を翳し歌イ祝ウ
【とウとウ足らり】たらり
千々(ちち)ヤ足らりたらり
十四(とよ)ヤ十四ヤと足らりたらり
百千萬代(ももちよろづよ)ヤと足らりたらり
現人(うつど)足らりヤ種津(たなつ)足らりヤ
御代栄(みよさか)足らりたらりら
と歌イ歓く状いと雅にきここに
 天津御子の命何処の翁かもと告りたまエば吾ハ統めらぎ世を斎く住吉の翁とウて紫雲に乗らし飛び去りき故これの翁の歌を歌イますによりて其所を宇陀といウ。

14.ウガヤ王朝72代
 泰山の七十二人の聖帝を持ち込んだ。この王朝のお話の中で、弥生時代に開発された生活の知恵や技術を盛り込んだのであろう。これらの知恵は山の民が実践している。


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