掲示板のログ(平成12/2月) お名前の敬称は略させて頂きます。



ログ
更新 H12/2/27


玄松子 HP H12.2.26
>小雪舞う大和の村屋坐弥富都比賣神社に行って来ました。境内にあるはずの久須々美神社は通称恵比須神社とされる神社でした。
この情報は、玄松子のHPに反映させていただきました。


Setoh H12/2/26
小雪舞う大和の村屋坐弥富都比賣神社に行って来ました。境内にあるはずの久須々美神社は通称恵比須神社とされる神社でした。
守屋宮司に直接確認したので間違いのない所です。恵比須井手は田に川の水を曳く目的の堰みたいなものですが、久須々美神社の前の鎮座地にあったが現在までは残っていないようです。
一昨年の台風により神社本殿は鮮やかな朱色に新築され、全体にすごく明るい雰囲気になっていました。 台風以前には森の中深くと云う陰気な印象で摂社などにも近ずく気がしない様相でしたが、パァーット明るいのもまた良いものですね。


玄松子 HP H12.2.24
>そこの祭神は牛頭天王と婆利采女となっており、それぞれ速須佐之男命、櫛稲田姫之命の仏教的な呼び名との説明がありました。住吉の妃、婆利塞女と同じ神でしょうか。

「日本の神々」(新紀元社)では、粟島は、婆利塞女で、天照6番目の娘で、住吉の后、婦人病で離縁されたとあります。

「和漢三才図会」には、加太粟島神社祭神は「俗に女神とする。つまり住吉神の后で帯下の痼疾があったため棄て去られた。それゆえこの神を祈ると腰から下の病気がよく治るという。誤りも甚だしい。どうしてこうなったのであろうか。」とあります。

「安倍晴明」(藤巻一保)の巻末に牛頭天王縁起がありますが、牛頭天王が龍宮まで、頗利采女(はりさいじょ)を后にするため旅をし、その途上に蘇民将来と出会う話があります。

婆利塞女と頗利采女は明らかに同じ女神だと思いますが、手持ちの資料では、確認できません。 ただ、粟島(婆利塞女)も牛頭天王も病の神としての共通点はありますね。


Setoh H12/2/24
奈良市三碓に添御縣坐神社が鎮座しているのですが、そこの祭神は牛頭天王と婆利采女となっており、それぞれ速須佐之男命、櫛稲田姫之命の仏教的な呼び名との説明がありました。住吉の妃、婆利塞女と同じ神でしょうか。
 御所市蛇穴540に野口神社があり、現在の祭神は神倭伊波礼毘古命、日子神八井耳命となっていますが、作物の収穫を司る水の神(龍神)と言う名で二神を祀ると理解しにくい説明になっています。この鎮座地の蛇穴(さらき)ですが、新来=サラキ(今来)の意と説明さています。なお野口は山口、水口と同様神聖な地であり、奈良県には「野神」と言う小字が約二十ケ所もあり、野神を祀った所であるそうです。
  焼尻紋次郎さんによるとsal =蛇 は凡世界的に言えるようです。穴を aki と言ったには、童神の akiか口のang(あんぐ)ではないか。サラキは蛇口。 銅鐸をサナキといふとすればr ⇒ n の音転を考えると銅鐸も「へび穴」と言える。 野口、山口、水口の「くち」は ネパール語の guthi (助け合いの会)……その集合地と思われる。櫛引の「クシ」はこれをあてたい。
筑紫の語源にもかかわってきますね。
 さてお水取りも近ずいて来ました。キサラギの行事です。ここにもキサラが登場します。若狭の遠敷明神との関係や如何。


玄松子 HP H12.2.23
「キサラ」という語感が、かなり日本的で「美しい」言葉という印象を持つんですが、言語学的にはどうなんでしょう。アイヌ語・チベット語・韓国語などで、読み解けませんかねぇ。
大宮売神は、、「御巫祭神八座」の一ですね。
忌部氏伝来の大殿祭の祝詞にも載っているらしいです。 ただ、天宇受売命の別名という説もあるとか。


Setoh H12/2/23
追加
大宮売神も2座でした。
・ 大宮姫神 粟島神社 高知県香美郡夜須町
・ 大宮姫大神(主祭神の1柱) 稲荷神社(粟島神社) 兵庫県神戸市北区有馬町1745 でした。
大目←→大宮 ありえますね。目とは為政者や官僚の意とか。


Setoh H12/2/23
伎佐良妃命に関して情報を頂きました。
アワシマ神社でほかに女性神を祀る例を拾い上げてくれています。
多い順には神功皇后息長足姫 10、市杵嶋姫命3、天照大神、豊玉姫、衣通姫 各2座です。
多い方が当たりとは言えないでしょうが、もし伎佐良妃命が神功皇后の別名としますと、香春の大目命とともに第三の名前の候補と考えられますね。
「キ」が頭に来ている神は半島からの渡来神との説もあります。香春もそう云う名前です。
 大目ですが、佐渡に式内大目神社があり、祭神は「大宮賣命」となっています。神戸市有馬の粟島神社の祭神が大宮姫大神となっており、この神の事を調べなくてはいけませんね。巫女?


自称:大和のアマチュア考古学者 H12.2.21
瀬藤さん
>石見の祭神は白髭明神となっています。 >白髭神社の本社は桜井市初瀬の白髭神社との説があります。 >初瀬は猿田毘古命、天宇豆賣命が祭神です。 >三重の椿大神社当たりのほうが本社らしいい雰囲気ですが・・ >豊の國の豊日別とは猿田彦の事を云うらしいですね
玄松子さん
>鏡作神社境内、拝殿右横(つまり、もうひとつの神社との中間)に稲荷らしき祠があります。
>白髭=猿田彦なら、稲荷の可能性もあるかもしれません。
>これ、気になりません?
なるなる、すごく気になりますネ〜。
ここらへんのことについてどなたか、詳しい方はいらっしゃいませんか。


Setoh H12/2/18
かよさん、すてきなHPを発信されていますね。
所で、案山子について、焼尻紋次郎さんからのメールを紹介いたします。
「案山子の語源はイカガシコオ(モノノベの先祖神)。オレ、この思い込みは当分ゼッタイ譲られん。」
イカガシコオから頭のイ(偉大な)とコオ(神)を抜いたらカカシになります。
メール終わり

 香香背男といふ神がいます。又の名を天津甕星神、星神などといいます。
正体ははっきりしませんが、まつろわぬ神、悪神とされていました。ルビは「かかせを」です。
 といふ内容をかよさんのHPの掲示板に書こうとしたのですがidとかpwが出てきてどうやら失敗したみたいです。

>宇佐は 日本の敦煌?
この敦煌の意は西の仏教國の事でしょうか?


玄松子 HP H12.2.18
>ごぶさたしています。久しぶりに投稿させていただきます。
本当におひさしぶりです。
>「白髪社」と書いてありました。
これは、すごいですね。
鏡作神社境内、拝殿右横(つまり、もうひとつの神社との中間)に稲荷らしき祠があります。
白髭=猿田彦なら、稲荷の可能性もあるかもしれません。
これ、気になりません?


Setoh H12/2/18
 おひさしぶりです。
石見の祭神は白髭明神となっています。
白髭神社の本社は桜井市初瀬の白髭神社との説があります。初瀬は猿田毘古命、天宇豆賣命が祭神です。
三重の椿大神社当たりのほうが本社らしいい雰囲気ですが・・
豊の國の豊日別とは猿田彦の事を云うらしいですね。


大和のアマチュア考古学者 H12.2.18
ごぶさたしています。久しぶりに投稿させていただきます。
石見鏡作神社のそばにある神社の名前がわかりました。
橿考研附属博物館の情報コーナにおいてある「大和国条里復元図」に「白髪社」と書いてありました。


玄松子 伎佐良妃命 HP H12.2.18
>日枝神社 摂社 粟島神社「少彦名命、大國主命、伎佐良妃命」
>に祀られている伎佐良妃命について
日本の神の名について、いろいろ調べておられる、EST Museumさんのサイトに問い合わせてみました。
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/1901/
残念ながら、現段階ではわからないそうですが、調査してみるとのことです。
ネットを利用して、わからない事を調べ合うということは、感動ですよね。


てっちゃん H12/2/17
バンザーイ
また掲示板がみれる。やはりいいものですねえ。
カムヤマトイワレビコと神武天皇って別なのですか?
それとも神社によって祭神名が違っていて区分したのですか?
それにしても南九州にカムヤマトにしても神武にしても多いとは面白いですね。


Setoh H12/2/17
始祖天皇の地方に祀られた祭神名
祭神名 群馬 愛知 福井 奈良 京都 福岡 熊本 宮崎 島根 岡山
神倭磐余系 0  4  6   9   0   6  20  18  6 16
神武天皇  0  1  8   4   4  19  41   3   4 3

袁本抒命系 0 0   4   0   0   0   0   0   0 0
継体天皇  0 1   24  0   0   0   1   0   0 0

御間城入彦系 1 0  0  1   0   0   0   0   0  1
崇神天皇   1  1  1  0   1   9   1   1   0 1

田舎にもおらが邑の誇りとばかりに天皇名で祭り上げる連中がいる。
途中での支援者は印象に残った名前で祭る事でお忘れなくとアッピール。
奈良は王権の入れ物に過ぎない。
王権は外部から招聘して地元の豪族の突出を回避する知恵がある。


haru H12/2/16
はじめまして。
なぜか今古事記を読んでいるのですが、とっても気になる神様が!
建御雷神!!
彼は「ターミネータ2」を彷彿とさせません?
以前からこの神様が気になってしょうがないのですが・・・
大好きー!


Setoh H12/2/16
you might think but today's some fish
云うまいと 思えど 今日の 寒さかな
所で
新潟県中蒲原郡村松町5976番地
日枝神社 摂社 粟島神社「少彦名命、大國主命、伎佐良妃命」
に祀られている伎佐良妃命について
一 読み方
二 どんな神様?
がわかれば、よろしくお願いします。


Setoh  素人バンザイ H12/2/16
>ホントの素人で良く解らない事が多く(テッチャンさん)
歴史がらみのHPを出されている過半の方は良く解らない事が多い人達でしょう。学者先生でも実際には良く解らないから研究されているのでしょうね。
この前、丹生都比売に関して、お名前を名乗って頂けませんでしたが、大変詳しい方から突っ込みのメールを頂きました。引用文献なんぞは名前も聞いたことのない古典からで、冷や汗もんでした。しかしおかげで勉強になり、HPの誤解を与える部分の修正もできました。プロはプロと言う所がやはりありますね。
しかし素人の強みの物怖じしない独創性は大切にしたいですね。我々は学問的生命や名誉なんぞは初めから持ち合わせていないプロではないプロレタリアですわな。


山浜 どうもありがとうございます H12.2.15
早速ご回答いただきありがとうございます。
丹生都比売神社については日頃よく高野山に行くものでちょっと気になっていました。
「丹生大明神告門」は(ちょっとミーハーですが)夢枕獏原作、岡野玲子画の「陰陽師」から知ったのですが祝詞の内容が元伊勢の比定地の様に散らばっているのを見てなにか、意味合いがあるのかと地図やら地質図やら引っ張り回していたところです。
「後追いの祝詞」とはなるほどと思いました。中央構造線沿いに多い話も感心しました。
実際、地質調査をすると断層沿いに神社が多いことが気になっております(逆は真ではないのですが)これからもよろしくお願いします。


Setoh  丹生大明神 H12/2/15
山浜様 投稿ありがとうございます。
「丹生大明神告門」で「忌杖刺し給ひ」の地をすべて確認したわけではありませんが、丹生神社として跡をとどめている所が多いようです。
考えても見ますと、「丹生大明神告門」はそれぞれの実在していた丹生神社の場所の云われを語っているのでしょうから、いわば後追いの祝詞でしょうから、そういう事でしょうね。
所で、丹生都比売神社にご興味を持たれた訳など教えて欲しいですね。


山浜 丹生大明神 H12.2.15
初めまして
丹生都比売神社について探していたらこのHPにたどり着きました。
ところで教えてほしいのですか、「丹生大明神告門」で「忌杖刺し給ひ」とされている土地は実在の土地なのでしょうか
よろしくお願いします


玄松子 飛鳥 HP H12.2.13
連休50社! ギネスものと云うか重労働ですね。
普通の場所なら大変ですが、橿原周辺は式内社の溜り場状態ですからね。
天香具山周辺(1Km四方もない)だけでも6ヶ所ありますから。


てっちゃん  宇佐の地 H12/2/14
宇佐の地に南九州への進出の最初の拠点となったと言うことの根拠ですが、、、
やはり宗像三神が今では宇佐神宮の奥の宮になっている大元山に下ったと言う伝説が有るからです。 これは北九州からわざわざこの地に連れて来たと言う事を物語っているのでは無いかと言う気がしました。
大元山では三本の棒状の石が御神体になっているそうですがこれは相当古く今の宇佐神宮のができる前からのものらしいです。
八幡神とか応神天皇とか神宮皇后はあとからつけたものでは無いかと思います。
あとニギハヤヒの遠賀川のことについては私には良く解りません。
このニギハヤヒはとても気になる方なのですね。この時代の謎を解くためにも非常にキーポイントになる方だと思います。
いずれにしても僕はホントの素人で良く解らない事が多くいろんな方の説をつなぎ併せたり旅に言ったりして当てずっぽうの事を言っているだけですが確信がもてるようになれば嬉しいです。 これからもいろいろと皆様にお教え願いたいと思います。


Setoh  ギネス 宇佐 H12/2/14
連休50社! ギネスものと云うか重労働ですね。
古代徘徊老人様やテッチャン様はこの掲示板のjavaで致命的エラーが生じてご参加頂けないようです。再び、かっての掲示板をテストしております。 「ご案内とログ」の最後部から入れるようにして、たまにアクセスしています。今のところは順調につながっているようです。
テッチャンさんの3>南に行った人たちは最初に宇佐の地に到り北九州より宗像三神を祭ってここに最初の南への拠点を作った。そして南九州側の思想的モニュメントとして宇佐神宮を作る。<宗像三神を祀ったと云うのは海人族ですね。そう思います。全体に面白い見方ですが、宇佐と饒速日命に次の疑問があります。
●宇佐の地である必然性は如何
●饒速日命は出雲よりは遠賀川流域とのかかわりが強いように思うのですが
 饒速日命は大国主に祟られて死んじゃった どっかに記載がなかったですか?


玄松子 飛鳥 HP H12.2.13
3連休に風邪気味ながら、明日香・橿原の式内社を巡ってきました。
橿原は比較的平坦でしたが、明日香を自転車で回るのは疲れます。
特に、気都和既神社へは、1Km以上も自転車を押すことになりました。
戻りは、アッと言う間なんですが。
50社ほどまわるうちに風邪は消えてなくなったようです。


Setoh  確率の問題 H12/2/12
たまたまCHINAの書物に取り上げられた國の固有名詞に日本の神々を当てはめる必要はないと考えます。
感じで云いますが、紀元前500年位から後500年位に神様が出来上がり人格化したとして、倭人伝は100年間をカバーしたとすると1割。
地域を九州とすると、出雲、吉備、大和、越 など 1〜2割。
掛け算で聞きますから1〜2%の文字資料(それもxx弁をCHINA人が聞いて古いCHINA語に直して今の知識で読んで!)ですから、厳密に読むとか細部までをそれに頼るようなレベルの物ではないと思っています。
卑弥呼=天照大神はロマンです。1%以下で万馬券ですね。


Setoh  伝饒速日命の墓 H12/2/12
昨秋に古代徘徊老人様からご教示を頂いた饒速日命の墓にやっとの思いでたどり着きました。
俺も好きやなー等と思いながら・・・


瀬藤禎祥  元気生徒くんへ! H12/2/11
元気生徒さんお急ぎのようですね。
検索サイトで「五獣鏡」と入れてページを見付けて探してみて下さい。 獣の名までは記載されていないと思います。
そこでサイトを発信されている方のメールアドレスを見付けて問い合わせて下さい。

>昔はナゼ、「村」ではなく「ムラ」だったのでしょうか。
今の村は市や町と同じく行政単位です。昔のムラにこの村の字を当てはめると誤解が生じるからではないでしょうか。
他に「邑」や「屯」などいろんな表現があったのでムラとしたと思います。記述された方の良心でしょう。


元気生徒! 「漢式五獣鏡」 H12/2/10
はじめまして。
突然ですがみなさんに教えてもらいたいことが・・。
「漢式五獣鏡」の五獣って何なのでしょうか?
学校の研究授業が土曜にあります。 よかったら教えてください。
また昔はナゼ、「村」ではなく「ムラ」だったのでしょうか。
めちゃくちゃな質問をお許しくださいませ。
よろしくお願いします(~-~)


福島雅彦 古代史の根底を揺るがす世紀の大発見! HP H12/2/10
論文が長いので、宜しかったら私のHPへお越しの上、御高覧下さい。
後漢書の『倭國王帥升』=素盞嗚尊である、と。


てっちゃん  日向神話雑感 H12/2/10
こんにちはてっちゃんです。久々に投稿します。とは言っても新しい掲示版が僕のコンピュータでは落ちてしまうので瀬藤さんにメール経由で投稿させて頂きます。

さて宇佐の話(といっても日向神話から神武東征)ですが僕はこう考えます。はずかしながら穴だらけの仮設ですが。

1.九州に来た渡来人は最初九州の北側に集落を作った。

2.やがて南九州の方に進出する人たちとと出雲に進出する人(または先に出雲に渡来してきた人たちもいたかも知れない)に別れて勢力は二分した。

3.南に行った人たちは最初に宇佐の地に到り北九州より宗像三神を祭ってここに最初の南への拠点を作った。そして南九州側の思想的モニュメントとして宇佐神宮を作る。

4.やがてもっと住み良い?山間の高千穂の地に移転してここに宮を作った。これが天孫降臨神話となる。

5.時代がもっとくだると南九州のクマ族とかソオ族とかを取り込むようになり本格的に南九州を支配するようになる。この時の記憶が山幸、海幸などの一連の神話となる。

6.その渡来人と原住民との連合国が西都原である。

7.やがて勢力を今度は東の方大和に向けるようになる。これが神武東征談である。

8.大和の地は最初に別れた出雲に行った勢力も目をつけていた。先に出雲からやって来たのがニギハヤヒである。

9.だから紀記ではニギハヤヒと神武は同じ天孫族と言っている。

10.結局、ニギハヤヒと神武は結託してナガスネヒコを大和から追い出すか殺すかして大和を渡来人のものにして国を作って行く。

11.大和では最初は出雲勢力と南九州勢力とあったが結局、南九州勢力が凌駕してしまう。これはオオクニヌシの国譲り神話である。

とアウトラインを考えてみました。
別に僕は学者では有りませんので学説でも何でも有りません。
こんな風に考えたら楽しいかななんて思っているだけです。
何か有りましたらご意見下さい。


か よ  興味あります HP H12/2/10
先日は 武烈の御解説有り難うございました。
八幡神も興味あります。
宇佐は 日本の敦煌?


ま さ@Black Comet Club おおっと、宇佐 HP H12/2/9
宇佐、昨年行って来ました。
別府に出張した帰りに、無理矢理自腹で行ったのです(笑) すごいですね、あの規模は。
和気清麻呂が道鏡事件で宇佐に行って来たときの記事には「宗廟」という表現がありませんでしたか?(うろ覚えですが)
で、応神天皇のことなんだとするならば、あの祭神配置(向かって右から応神、三女神、神功)はおかしい。やっぱり三女神が主神なんじゃないでしょうか?紀にも出ていますし。
そうすると、確かタギリ姫は大己貴神の妻で、しかも加茂武角身の母なので神武とも饒速日とも関係ありそう


瀬藤禎祥  宇佐八幡 H12/2/8
宇佐八幡は記紀に登場していません。
宇佐は日神の生まれませる三女神は宇佐嶋に天降ったと紀にあります。
大和王権との関係は8世紀の仏教と同期したのでしょうか。
仏教以前の宇佐八幡
 大元山(御許山)を神体山とする磐座信仰=宮地直一氏
 寄藻川の水分神信仰=田村圓澄氏
 7世紀には御許山付近で道教 大神比義は道士、道士連中に道鏡を奉納じたのは香春の新羅系氏族の赤染氏であり、その斎祀る神は辛國息長大姫大目命であった。

 大仏造立に香春の銅を献上するなど、大神氏がうまく立ち回って、一地方神から一挙に宮廷と関係を持ったと云う事でしょう。
石清水八幡として男山に勧請され、武家の世になると頼朝は鶴岡八幡を氏神とした。
権力志向の神みたいですね。仏教系は国家権力にへばりつきたい感じは今の世も変わりませんね。

欽明天皇の6世紀の時代に
宇佐郡辛國宇豆高島に天降り、続いて
大和国胆吹嶺
紀伊国名草海島
吉備国神島
宇佐郡馬城嶺
比志方荒城辺 ひしがたのあらきのべ(宇佐市乙女)
に移ったのを辛島勝乙目が祀ったと云う説もあります。
この移動経路は何でしょうね?



瀬藤禎祥  生田淳一郎氏から、宇佐について H12/2/7
「ヤマタイの東のほうにもいっぱい國がある」と書いてあることに注意・関心・興味を惹かれました。
エーゲ海でわかるとおり、島嶼群は文明をよび興します。
ひとがいるかぎり、瀬戸内は優れた文明を曵きださずにはおきません。
「まだまだ、東のほうにもいっぱい國がある」……というその東方の國のことを、仮にあずまの國だとしたら、瀬戸内が蒸発してしまうじゃないですか。……であれば、ヤマタイ國は中津平野でしかない。そう思ったのでした。
その目でみると、和気のキヨマロが國のダイジにあたって、神のご意向を訊きに行ったウサ八幡とはナニモノだったのか……、ここをひっぺがしたら日本建国のイキサツが暴露される。これが小生の今のテーマです。
八幡はあんがい簡単です。ハタタ(雷)の神の意味が分らなくなって「機織り」にひっかけて「軍旗」の幟をぶったて祭る神(三本足のカラスが噛む)。
モンダイは「ウサ」という語彙。もっと古くからあった地名だと言ってしまえばそれまでだが、その地名のウサは、大きくハチマンを修飾・規制していないだろうか……、これがテーマの核心。それを言語資料でここで、本格的にひっぺがそうと……。
ひとがいるかぎり、瀬戸内は優れた文明を曵きだす……。しかも、ウサは朝鮮と瀬戸内の交点です。
しかし、気の利いた山に恵まれていない。小高い薮のなかに神社がある。この地はみすぼらしい。そのみすぼらしさが、それだけにこの地の重要性を反映させている。
「ウサ」は日本語にはないが、沖縄・アイヌ語に 「usa =たくさん」があります。
沖縄での「ウサガミソ−リ(たくさん食べそうらえ)」の「ガミ」には少し不自然なものを感じます。食うことを「ハム」とはいうが「カム」とは言わないはず。「宇佐神」が本来の語音を変えたのではないだろうか。「噛む」は「乙女が酒をカム」となら言うが、その kam は本来は空気を遮断して発酵させることだった。
ウサという語はいろんなことに関連を示します。
* 出雲神話にうさぎが出てくる。
* 「ぬさ(幣)」は強調接頭辞の N をかぶせた語形。
* 「すさ(ノオノミコト)」は強調接頭辞 S をかぶせた語形。
* 山形県遊佐町の「ユサ」にも似ている(これはユ“溶鉱炉”の里か)。
* そのまま讀めば「ウ(大)サ(里・王)」のニ様にとれる。
* 臼杵(岩窟仏で有名)の us .の開音化したもの。ki=土地・土地神(世界語)。
* ウシ(大風・大人)の訛りか。
で、けっきょく、ここではわからずじまいです。もっとも華々しい解釈は「大王」でしょうが、そういう事実がなにか言い伝えられていましょうか


ま さ@Black Comet Club 同一神?いやいや(笑) HP H12/2/3
大彦と弥彦と大屋彦は同一ではなく混同では?という考えなんですが。
>外宮の息長氏関与説は、なかなか賛同してもらえないのですけれど。
私も興味あります。


瀬藤禎祥  飛鳥と丹後 H12/2/7
第25回飛鳥史学講座 06-6368-0055
13日」13時15分 明日香村中央公民館 飛鳥駅から無料迎バスあり
テーマ「巫女たちの文化ーミコ・ハフリ・ノロ・クマリ」
講師 上井久義関西大学教授  テキスト代¥1000円

息長氏の本拠地は京田辺市の朱智神社「迦爾米雷王命(神功皇后の祖父)」の東の方で、息長山普賢寺と云う寺の名に地名が残ります。
また普賢寺下大門65には地祇神社「息長帶比賣命」が鎮座しています。

籠神社は丹後半島の根本ですが、この北に伊根町があり、浦島伝説や徐福伝説がある所です。
与謝郡伊根町本庄浜191 宇良神社 浦島子
与謝郡伊根町新井松川8-3 新井崎神社 徐福
伊根町は家の裏が海になっていて家の中から船が出るようになっているそうです。
西へ回りますと
加佐郡大江町天田内東平178-2 豊受大神社(元伊勢外宮)
加佐郡大江町内宮宮山217 皇大神社(元伊勢内宮)
と称する神社が鎮座しています。式内社でないだけに本物かも。


玄松子 心は飛鳥 HP H12.2.6
今度の連休に、明日香をうろつく予定です。
が、風邪で体調最悪なので、無理かもしれない。
完成した大神神社拝殿も見たいのですが。

>外宮の息長氏関与説は、なかなか賛同してもらえないのですけれど。
ちょっと興味あります、これ。


ゆか 史局の背後に息長氏の影は? H12/2/6
> 親戚てあの息長かいな。ほや。
史局の会話、おもしろいですネ。背後に息長氏の影響力がなかったか?と思っています。
応神と神功、天武と息長、内宮と外宮、みんなパラレルな関係ではないだろうか?
天照を奉斎した天皇、止由気を奉斎した息長氏。そんな関係が考えられないでしょうか?
外宮の息長氏関与説は、なかなか賛同してもらえないのですけれど。
暖かくなったら、丹後へ数人で出かけることになっています。籠神社、その他。
ここは見ておいたほうがいいってところがありましたら、ぜひご紹介くださいませ。帰りは、湖西まわり になる予定です。日帰りなのでちょっとしんどいかな。


瀬藤禎祥  ある日の史局の会話 H12/2/6
欽明朝の肇ちゅうのはあの河内のササヤンやったな。どっから出てきたん。
鉄の商いで大きなったんよ。その先代はわからんな。
よっしゃ、ほんならオホドの親戚にすごい女傑がいたらしいんで、彼女登場してもらおら。
倭人伝の卑弥呼にあわそか。期間が足なんだらトヨもいっしょや。足姫やな。親戚てあの息長かいな。ほや。
彼女に新羅やっつけてもらおか。そらええどすな。
女傑やから、斉明さんと、則天武后のイメージでいこか。
 
 息長帯比売と神功皇后の二つしか名前がでませんね。
強いて云えば香春神社の祭神の辛國息長大姫大目命でしょうか。



ゆか 気長足姫(息長帯比売) H12/2/5
おはようございます。
神功皇后紀の最後のところに、
>皇太后を追尊びて気長足姫尊と曰す。とあります。これは謚だと言ってるんですよね。ということは実名があるはずだと思うのですが見当たりませ ん。風土記にも、この名前で出ています。志賀島には神功皇后にまつわる伝承が幾つもあるらしいのです。
でも実在したのかどうか?
まったくの創作なのか、モデルになる女性がいたのか、実在したけれど実名が残らなかっただけなんでしょうか?


瀬藤禎祥  白日別 H12/2/4
神奈備にようこその五十猛命ホームページに白日別神を祀る神社一覧を掲載しております。ご覧下さい。
なお、白日とは太陽信仰にもつながるやに聞いております。念為。


瀬藤禎祥  不祥の淫祠 H12/2/4
丹生都姫を調べていましたら「神捨て」が行われれた事がわかりました。
わが紀の国の誇る丹生都姫神をなんと「不祥の淫祠」として捨てているのです。
岡山県和気郡の日笠下邑や福岡庄の福岡邑(邑久郡長船)の丹生神社が岡山市西大寺の芥子山の大多羅寄宮に捨てられていました。
神功皇后は聖母だったか。夫の仲哀天皇の暗殺、武内宿禰との密通、本来の皇統の簒奪、騙し打ちの指図などが思い浮かびます。
この皇后も「不祥の淫祠」として捨てられているのでしょうかね。

大彦、弥彦、大屋彦 同一神 「まさ」かとも思いますが、興味津々。


福島雅彦 筑紫神社の御祭神 HP H12/2/4
五十猛命と「白日別神」と、古来両説有り、と。
この「白日別神」を御祭神にする神社は、他に在りますでしょうか?。
「白」は、「新羅」系統を表すと言う説がありますので、天武朝に阿ったかとも。となると、比較的新しくなり、古代の九州皇統縁の御祭神は抹殺されたかと。


ま さ@Black Comet Club 一つ、追加情報 HP H12/2/3
秋田県地方は、江戸時代初期に誤った時代考証で古代系の名前に郡名が変更されています。
律令時代→平泉藤原時代→ 中世  →  江戸 →明治以降
    →鹿角郡   → 鹿角郡→   鹿角郡→鹿角郡
    →肥内郡  →比内郡┐        →北秋田郡
秋田郡 →秋田郡   → 秋田郡→   秋田郡→南秋田郡
    →檜山郡   → 檜山郡→   山本郡→山本郡
河辺郡 →河辺郡   → 豊島郡→   河辺郡→河辺郡
山本郡 →山本郡┐    →山北北浦郡→仙北郡→仙北郡
平鹿郡 →平鹿郡→山北3郡→山北中郡 →平鹿郡→平鹿郡
雄勝郡 →雄勝郡┘    →山北上郡 →雄勝郡→雄勝郡

参考まで。このせいで式内社の副川神社(旧山本郡)が、現在、山本郡との境である南秋田郡八郎潟町と、旧山本郡内の仙北郡神岡町に分かれて再建されているのです。


ま さ@Black Comet Club 勝手な推論 HP H12/2/3
>五十猛命を祀る由緒が皆目分かりませんでした。
私は瀬藤さんと同様、五十猛は弥彦神だという認識です。
そうすると、越の王だったとも言えます。(勿論子孫が王だった可能性もありますが)
秋田、山形の古四王神社は、大彦を祭神としていますが、これは阿部比羅夫の遠征以降のことではないか?と考えております。
証拠は何もないんですが(笑)
越王であれば、度津、弥彦の神である五十猛がふさわしく思えます。


玄松子 Re:隠れキリシタンか少童神の母親か HP H12.2.2
> 聖母(しょうも)宮の名の神社とマリヤを祀った神社が九州にあります。断言しにくいのですが、他の地方には存在していません。
> 下県郡厳原町大字中村645番地
> 八幡宮神社「應神天皇 ほか」
> 摂社天神神社「安徳天皇、菅原道眞 合 安徳天皇、宗義智、宗義純、マリヤ、神役人立花氏ノ女靈」
こちらは由緒書きでは、小西行長の長女で、宗義智夫人「小西夫人マリア」となっています。
他の神社の詳細は分かりませんが、祭神を見ると神功皇后を「聖母」としているようですね。
ただ、その表現が九州だけにあるということは不思議ですね。



瀬藤禎祥  Black Comet Clubさん ようこそ H12/2/2
ま さ@Black Comet Club様、カキコとリンクありがとうございます。
>五十猛尊に興味を持っております。 )^o^(
秋田へは一昨年五十猛命と唐松神社を訪ねて行きました。森の美しさは素晴らしいですね。
いくつか参詣したのですが五十猛命を祀る由緒が皆目分かりませんでした。由緒が調べられたらお願いします。
東北は日本古代の宝庫ですね。歴史時代の流れ者だけではなく、快適な縄文時代を謳歌した連中にルーツを感じますね。
>邪馬台国の位置 あまりこれについては信念はありません。2000円札を持って日帰りができる事が望ましいといった程度です。σ(^◇^;)



ま さ@Black Comet Club はじめまして HP H12/2/2
ご挨拶が遅くなりましてすみません。
はじめまして。古代史と神話に関するコーナーのあるHPを作っております。
こちらのサイトも勝手にリンクしておりました。m(_ _)m
個人的には邪馬台国東遷説ですが、五十猛尊に興味を持っております。
邪馬台国の位置については異論があるのですが(笑)
こちらのサイトは、かなり参考になりますのでこれからもお邪魔させて下さい。
五十猛尊と古代越との関係など調べて行けたらと思っております。


瀬藤禎祥  隠れキリシタンか少童神の母親か H12/2/2
聖母(しょうも)宮の名の神社とマリヤを祀った神社が九州にあります。 断言しにくいのですが、他の地方には存在していません。
福岡県山門郡大和町大字鷹尾字築山126 聖母神社「神功皇后」
山門郡瀬高町大字泰仙寺字芦高14 聖母神社「神功皇后」
山門郡瀬高町大字本郷字町並710 聖母神社「氣長足姫尊」
長崎県壱岐郡勝本町勝本浦554番地2 聖母宮「氣長足姫尊」
福岡県糟屋郡篠栗町大字若杉字石ヒシキ1047 太祖神社「伊邪那岐神 配 八幡大神、聖母大神、天照皇大神、住吉大神、志賀大神」
朝倉郡夜須町大字赤坂2608 五社神社「天照大神、住吉大神、笥飯大神、春日大明神、聖母大神」
長崎県壱岐郡勝本町本宮西触字花川1437番地 八幡神社「住吉大神、聖母大神、八幡大神」
下県郡厳原町大字中村645番地 八幡宮神社「應神天皇 ほか」 摂社天神神社「安徳天皇、菅原道眞 合 安徳天皇、宗義智、宗義純、マリヤ、神役人立花氏ノ女靈」
玄松子様がHPを開設されました。あっと言う短期間ですごい集中力です。 神奈備トップからもjumpできます。


玄松子 五十猛神社 HP H12.2.1
松岡改め、「玄松子」です。
リンクありがとうございました。
お礼して、九州超ローカル「五十猛神社」アップしておきました。



瀬藤禎祥  童神のいろいろ H12/2/1
生田淳一郎様から、多くの人々にお知らせをと下記のメールを頂きました。
あ ど  adho(めくら・大鳥神) /あどけない /遮光器土偶
     「イ・アド」 ⇒ えぞ (フロイスはイエゾと書き遺している)
     青森県野辺地 ; メドチ(河童)は me(川)dho(童?)chi(怪物)か
安堵の地名はあちこち 安曇 宇奈月(温泉)
     方言「あとさま」……N + at(u)i =那智 atui = アイヌ語 ; 海? 
 
         西南日本および南朝鮮部で to =海
ア キ aki (子)  秋、安芸 など    aki = agri =農耕
オ キ  アキは 印欧祖語 ; okw(目)と同根ならむ。
     オキクルミ(アイヌの始祖神) オキナガタラシ オキナワ  沖源氏

ヤナギ  YA(神)N・aki(子) N ; 強調接頭辞
ヤ キ  i・aki ⇒ やき   この語は i(神)aki(子)からなる。
                 又は ya(神) aki(〃)  〃
     焼尻島 焼山 八木

       コ   子  ku(窯焼き) o(神)とダブる。
     子安川(ヤスはデブヤス……あばれ神) 小貝川 小見川
         a- ; 不定人称形となった「吾(あ)」⇒ あご湾、阿漕 N-……なごや
     ma-k……「まく(タネつけする)」 ⇒ まき(一族)
カ タ  アイヌ語 ; hehaci-macikaci ネパール語; ketaketi ……少年少女
カ ツ  日本の地名は「かち・けた」ではなく、カツ・カタである。
     勝山、勝田、勝守山(福岡県飯塚市) 片貝 姓; 香月
     アマガツのガツは「欠ける」を意味するネパール語 katta とダブる。

bala   ネパール語 ; *bala(子供)  日本語 ; わらべ、原、孕む
     地名 茨城 井原
 
ワ カ  どこかの「古代」に「カ」だけで「神」があったか? はたまた *kam
の急言として「カ=神」が浮上したか? ……「ワラベカミ」の急言

         台湾語ワカは牡鹿
     若柳 若水
 


発足以来のログです。
ログ



神奈備ホームに戻る