掲示板のログ(平成12/6月) お名前の敬称は略させて頂きます。

ログ

更新 H12/6/30


玄松子 玄松子の記憶 H12.6.29
>伊勢の売店ですか、手に入りますか、不安ですね。
福岡の図書館にありましたので、コピーしてきました。ありがとうございました。
また、伊勢市観光協会から、「伊勢の神宮百二十五社めぐり地図」という本を紹介していただきました。神宮会館にあるそうです。

焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.6.29
 「野山・里歩きのおすすめ」……2
 あっしのことば遣いは、ついつい チョ−厳しくなりがちにござんす。
 この10項目下で、ちょと書きやしたときには『ほっつき歩きのお奨め』とやらかしていやした。
 あっしが、申し上げたかったなぁ、他人様からどやしつけられたあとの、できあがった(でき損なった)目で見るんじゃなく、できるだけ、生まれたままに近い目で野山や(同時に)里を歩いて見る体験こそが、でき損なった部分を自覚させるってぇこってござんす(ホント−は、ここ言っちゃダメなんだがナァ〜)。
 生まれたままでぽ〜っとつっ立っていたら、あのひとやこのひとが次から次にやってきて、左からどつき、右から蹴飛ばし、頭ごなしに地球にめりこまされたり……、変形に変形を重ねて、そこの集団形成のなかで「いい」とされていたものを、いつのまにかてめぇでも「いい」と思い込むようになったりして……。
 こうのとりや鶴の白系カニシ(金属製錬士)の前には、光を呼び込む烏をダイジにした黒系カニシがいましたね。

玄松子 玄松子の記憶 H12.6.28
>お伊勢さんの売店に神宮の崇敬会発行の「お伊勢まいり」なる小冊子が売られています。

伊勢の売店ですか、手に入りますか、不安ですね。

ところで、今日書店をのぞいていたら、「日本の神々」谷川健一著が新装復刻されていました。箱無しですが。今月は、「1九州」のようですから、おいおいと出るんでしょうね。


中世のお遍路さん H12.6.28
 焼尻紋次郎さんへ
白装束というと神職のカジュアルルックorパジャマ、私がお願い事をした神社の方は、トレーナー姿で、掃除をしていたりします。
そして、お遍路さん。仏教ですね。ついでですから私は、浄土真宗ですよ。こちらから見ると「特定の団体」になるでしょね。創建の際の副頭取の子孫だそうです。
白装束は、夜討ちの作法でもあります。ハッカー対策とか私のような殴り書き人を考えると、瀬藤さんの心労如何なるものかと・・・・・。
最後の白装束は、武家の作法です。吉田梵舜の紹介らしいですが、明治の廃刀令に従って、「最早武士の時代ではない」って、売ってしまったそうです。
差別のお話:引越し先に、一揆の石碑がありました。その苗字が同じだったことで、親族かと間違えられました。学生の時だったので教われる人が多く、いろいろとお話を聞き廻りました。その経験が、このHPに役立つものなのかという点、考えもしなかった意見ではありましょうし、それがなんなのさとお考えかもしれない。
「頭で立っている」:;ヘーゲルのカントに対する言葉ですね。人間は概念で考える、概念はその人が使う言語で表される。つまり、人は、言葉で考える。でしたっけ。
「体から出してよい音は、言葉だけ!!」という台詞があったな、物真似俳優への注意としての台詞です。
緑のお遍路さんの方もいいな・・平日3組まで、なんていう団体規制の適用を受けてものともせず。 「あそび」違いのようです。取り留めの無い人なんですね、私って。
時の行者に、ご迷惑ばかりをおかけしてすいません。
お邪魔しました。             EX桑原成吉

S.Setoh H12.6.28
 伊太祁曽神社の神紋は「太」「大の下に一」です。
 伊勢神宮別宮・伊雑宮いざわのみや)での御田植祭の竹取り神事には天帝の別名、「太一」と書かれた軍配うちわ(俗称)が空中高く掲げられます。
   さて、神社には普通巫女さんがいますね。むかしはの巫女さんは遊女だったのです。日本でも奈良時代までは巫女と遊女が分離していなかったようです。 江戸時代までは巫女が「あそび」と読み、称され、遊女を兼ねていたのですね。
 江戸時代の東海道中膝栗毛の弥次・喜多道中の目的地は伊勢です。 一生に一回は伊勢詣をしたいというのが庶民の願望だったといわれています。
 伊勢詣が全国的に盛んだったのは、堂々と遊女遊びに出かけれたからです。 「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」、津には別の意味があったそうで、松阪で遊んだのでは。
 神を祀った後のなおらいは遊女遊びだったそうです。
 今でも新興宗教の教祖の周辺には美女を集めます。美女に勧誘させますね。オウムもそうでした。
 またまた、神様も女好きですね。大国主命なんかは、何遍雨戸を開けて侵入し、事に及んだか。 大国主は子供の種をまき散らしたのですね。五十猛命は木の種でしたが・・・。

 さて本題ですが、お伊勢さんの売店に神宮の崇敬会発行の「お伊勢まいり」なる小冊子が売られています。数百円だったと記憶しています。神奈備の記憶ですからあやしいものですが・・
 これには125社の祭神や住所(町名まで、番地なし)、備考として実に簡単な説明が掲載されています。本文中には若干の地図もあります。

玄松子 玄松子の記憶 H12.6.28
今度の遠征先に「伊勢神宮」などを考えています。
神宮には125の社があるそうで、全部まわるのにどれだけかかるんでしょう。
まず、125社の名称と場所を調べなければ。
良い資料は無いでしょうか?

山浜 H12.6.27
Setohさん、玄松子さん いろいろご教示ありがとうございます。
地震が続いたと思えば、今度は三宅島噴火のおそれですか?これは神の怒り?、いったいなんなんでしょう???

玄松子 玄松子の記憶 H12.6.27
自己フォローです。
> 正確な年代や法令名を思い出せずに悶々としていますが、
和銅6(713)年の風土記編纂の詔 「畿内七道の諸国は,郡,郷の名は好字を著けよ」
延長5(927)年の延喜式 「凡そ諸国の郷里の名は二字とし,必ず嘉名を取れ」 だそうです。
(参照 http://www2s.biglobe.ne.jp/~kotoito/koto/timei1.htm

東金砂神社サポート 東金砂神社 H12.6.26
茨城県の東金砂神社から遊びにきました。 とりあえず足跡です。 宜しく御願いします。

玄松子 玄松子の記憶 H12.6.26
> 神社名の漢字の使い方は一種独特です
正確な年代や法令名を思い出せずに悶々としていますが、
昔、地名を好きな2字にして良いということで、各地の地名が美字を用いた2字になった、と記憶しています。神社名は、変化しにくいので、それ以前の表記の名残ではないでしょうか。
また、神社名を式内に戻す傾向にあるので、平安以前の日本語(たとえば万葉仮名)的な表記になっているのかもしれません

S.Setoh H12.6.26
 ブンブンさん、神奈備からもリンクさせていただきました。
山浜さんの行動範囲は広いですね。
 神社の名前は地名(熊野坐神社)、神名(稲荷神社)、その組み合わせ(葛木坐一言主神社)、創立豪族の名(寒川神社)、はたまた、神社名から地名が出来たと思われるもの(五十猛町)と千差万別ではないでしょうか。
全部が全部そうなっているとは限らないのですが、神社名を地名にする際、一文字違えておくと聞きました。 伊太祁曽神社は伊太祈曽に、宇太水分神社は宇陀郡に、気吹雄命または伊福部宿彌を祀る伊富岐神社は伊吹に鎮座しています。
伊奈波神社は文永五年に正一位因幡大明神となっています。稲葉山への遷座はそれから約300年後ですね。ここからは推測ですが、神社が来たから稲葉山となったのでは・・。この山は懐かしき岐阜高校の校歌では金華山となっていました。  わけのわからんことを書きました。

山浜 H12.6.26
日曜日に岐阜の伊奈波神社に行って来ました。
雨上がりのせいか、空気は澄んでいて境内はものすごく神々しい雰囲気がありました。また、拝殿の前には石の御神橋がありましたが、とても感激しました。主祭神は五十瓊敷入彦命(垂仁天皇の第1皇子)とか。
ところで神社名の漢字の使い方は一種独特ですが、何か決まりがあるのでしょうか?
この神社については斎藤道三が稲葉山に居城するに当たりこの地にまつったそうで、読みからすると稲葉山と関係ありそうですが、単なる思いつきでしょうか?

ぶんぶん ぶんぶんさんのHP H12.6.26
業務連絡です。リンクを張らせていただきました。
以上です。今日はあっさりと、退散致します。

焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.6.24
 「あんた 地球の大きさ知ってるかい」と訊かれると、アタマのいいご仁は「ハイ、○○キロメートルです」と答えるだろ。だが、あっしのいう地球の大きさはそーゆー意味での大きさではない。
 てめぇの五体と比べての大きさのこった。五体の大きさもまた、歩けばそこで見える。
 あっしらの先祖がお猿さんだったころには、まだそんなには歩いていなかったが、石器を使い始めた140万年前あたりから4000年前までは、さかんに歩いた。立ち上がって歩くことによってのどにスキマができ、そこで奇妙な発声を利用して言語をえて、ほかの生き物とはまるでかけ離れたバケモノとなった。場合によっては、ヒトはアタマで歩いている。
 歩いてみればわかる。なにがわかるかは、地球の大きさだけではない。だからシシミ(神道・修験道・密教)のみなさんは歩いた。 歩かなければ見えないのだ。
 歩くといっても、続けて少なくとも10キロ以上あるかないと、内面からの突き上げには巡り合えない。30キロ歩いたらきっと見える。
 ふだんの日に練習も要るだろう。コースの途中……中心部に峠や尾根をおこう。
 まちがっても二人(以上)で歩いちゃぁいけねぇ〜〜イヨッ! また、白い着物を着たりして、どっかの団体の宣伝をしちゃぁならねぇ。ふだん着で歩こう。

桑原成吉  H12.6.25
実は。ニュートンの研究ノートに「WASAN」の書き込みが。在るようです。出典が解らず、和算の紹介の本のなかでの記述として、あいまいで申し訳ありませんが。自分で言っておいて言い訳してる、立ち読み乱読の知ったかぶりをお許し願います。
話の腰を折り過ぎるので、古代のロマンから覚めてしまった皆さん御免なさい。
瀬藤さんおじゃましました。

S.Setoh H12.6.23
LIME POSTさん、ようこそ。この掲示板に書き込むのに許可はいりません。皆さん、自由ですよ!!!
桑原さん、ようこそ。
紀元前3世紀に、アルキメデスとユークリッドは「取りつくし法」と言う積分によく似た手法で、面積計算をしています。
 それをヒントにニュートンとライプニッツはそれぞれの研究の必要性から微分積分にたどり着いたと考えるのが、自然なように感じます。もし、関孝和の和算をそれぞれが見ていたとすれば、ニュートンとライプニッツの大バトルの際に、暴露されていても不思議じゃないと思いますが・・・。
 関孝和は「点竄術」と言う行列式を使った一元連立方程式の解法をうち立てたようで、これは評価されています。微積分の発見者と見なすのは日本人の手前味噌で、アルキメデスとユークリッドの水準(それでも凄い)に至ったのではと思われます。
 それよりも、算額を掲げている神社が多くあるようですね。 神社の算学を扱ったHPが相当前からありますね。小寺裕さんの
http://www.asahi-net.or.jp/~nj7h-ktr/index.html
だったかな。

桑原成吉  H12.6.23
 5/8書きなぐりの桑原です。御挨拶遅れまして申し訳ありません。
お礼と感謝として、瀬藤さんに教えて頂いたおかげで、群書類従の寛永諸家系譜図集における、系図の混乱、諸説云々がどのようないきさつでそうなったのか、私の推測があっているかもしれないと、改めて感じてます。
もっとも、どこかで誰かが、もう既に、ではあります。
私の場合は、ものぐさの節句働きで、どうやら物部の端くれらしいというところに行き着きました、その程度ではあります。
江戸時代に、和算において、微分の論文が関孝和によって出されています。漢文だったのも手伝って、ニュートンやライプニッツは読めなかったかもしれないのですが。当時の日本人も彼らに紹介できる人はいなかったでしょう。パクリだったという証明はできません。しかし、写本の流布は、日本地図の持ち出し事件で明らかなように、彼らにヒントとなるものが、同時に手に入った可能性を否定できないのであります。漢文体なので中国人の翻訳や、図から、着想を得る事は可能ですから。
情報やアイデアは、タダじゃない。と教わってはいても、ついやっちまうんです。出処を示さず何食わぬ顔して。
学生のとき学外の集まりで、私のレポートを旧帝大系の先輩氏にパクラれて、いやになったことなど思い出してしまいます。
お礼とお詫びやらと思って、再び書きなぐってすみません。リンク先としてお願いできるか、まだまだ修行が足りません。

LIME POST  H12.6.23
皆様、はじめまして。
 私、今年からインターネット環境の無い人が投稿する形式のHPを開催しております。
 現在、古代史、俳句、絵画・・・あるのですが、古代史については、反応が無くて寂しい限りなのです。
  http://ww2.tiki.ne.jp/~muez/
 の場所です。
 皆様方に閲覧していただいて、ご意見等を掲示板やメール頂けると幸いに存じます。よろしくお願いいたします。
 なお、こちらの掲示板に掲載させて頂くにあたっては、瀬藤様の許可をいただいておりますので、ご容赦下さい。

土偶Ω H12.6.21
どうも。始めまして。
北海道に住む浪人生、土偶Ω(どぐう・おめが)です。
神話・民俗学と呼ばれる分野に幼い頃から興味を持っていました(自覚はしてなかった)。
現在國學院大學を目指して予備校通いです。
今後、神話の自己分析を書かせて頂きます。どうぞご贔屓に。

S.Setoh H12.6.20
 ううさん、なつかしいですね。民俗学の方面と言う事ですかね。
日本列島は民族の吹き溜まりみたいな所だったのでしょうね。
どっかに神話のルーツがあって、それが各地に伝わって形を変化させ、再び吹き溜まりで集合したのか、各地に住んでいる人間が、時代に前後はあってもよく似た神話を持つようになったのか、どう検証できるのか、なんて思いますね。
数学の微分積分学は、ニュートンとライプニッツがほぼ同時に、独立して構想したようですね。
 収斂のない仮説のぶつかり合い、ほんとに、石にしみ込んだ太古の声を再現する技術でも開発されないと、解けない謎ですね。
 最新学説なんかにふれられる機会も多いでしょうね。うらやましいですね。いろいろ、ご指導をお願いします。

うう H12.6.21
浮世の世事に追われて、なかなかおじゃま出来ず、心苦しく思いながら、早何ヶ月…。瀬藤さん、本当にお久しぶりです…(^^ゞ大学生活にも慣れてきて、もう一度こちらにおじゃまできるメドがやっとたってきました。また、すっとんきょうな質問等するかもしれない、未熟者のううですが、瀬藤さん、このHPの皆様、またよろしくお願いします…m(_ _)m

さて、今日は大学で学んでいる文化人類学について少し…。
ここで今、記紀の天地創造神話ことについて講義が始まっているのですが、この講義を聴くうちに、私は記紀って何なんだろう?という根本の部分での疑問にまた突き当たってしまいました。
 講義の内容によると、イザナギとイザナミがアマテラスら3人の子供を産む神話と天孫降臨のニニギ神話は全くの別物の神話。ちなみにイザナギとイザナミの話をアマテラス系とすると、こちらは中国南部と東南アジア(とくにカンボジアのクメール族)の神話と瓜二つで共通点は日食神話、三きょーだいが生まれる、上の二人は太陽と月の意味、末弟は悪行を起こす。そして洞穴に入る(天の岩戸)。
 またニニギ系の神話はツングース語系の神話と瓜二つで天孫降山神話と三種の神器が共通点の部分なのだそうです。
 まだ講義は始まったばかり…。しかし東アジア周辺(とくに朝鮮や中国南部)は視野に入れていたものの、オセアニアやシベリアあたりまで最低でも範囲として考えないと いけない。まだまだ私の考え方は甘かったなぁと、ただひたすら反省…。
 これと記紀が「日本」独自の形となっていくまで、どんな変遷があるのか。ますます神社を調べていくことが楽しみになってきました(^^)

S.Setoh H12.6.20
神社数は現在で12万〜13万社、江戸後期には小祠を入れると恐らくは3倍、人口は4倍、一人当たりで言うと12倍もあったと思っていいでしょう。
 神社がこれ程に多くまつられているのはどうしてでしょうか?
現在でも霊感の力の強い方は、籠もって、観応されていると聞きます。例えば、
http://www.iris.dti.ne.jp/~tsugeno/" の告野さん。
 またいざなぎ流なる民俗信仰を持つ高知県香美郡物部村には祈祷や呪詛を行う太夫が現存しています。
 恐らくは、古代の人々、もっと古い原始時代の人々は、神様をもっと敏感に感じていたんではと思います。 今の我々にも、第六感とか虫の知らせとか、ありますね。古代の人はもっと、これがすごかったんだろうと思います。 鬼が出る、蛇が出る、山賊が出る、海賊が出る、熊が出る、山蛭が落ちてくる、サメが出る、子供がおぼれている、洪水になる、危険と隣り合わせで生きていた人々ですから、ものすごく敏感だったと思います。 そうでなければ、人間が今日まで生き延びれなかった、ここまで進化しなかったと感じます。殆どの人は神の声を聞いていたんでしょうね。 だたら、村を造ると、神社が出来ていったんですね。自分たちの神様が別の神様に従ったら、自分たちも従ったんでしょうね。恐らくは、古代の人々は、多くの危険と共に生活をしており、感の働かない者は淘汰されたんでしょうね。瀬藤なんかはまず淘汰です。
 尊敬すべき先輩である焼尻紋次郎さんの
 http://www.you-i.org/ にも「心霊体験」、「霊能者 長谷川わか」のページがあります。
 ブンブンさんのホームページにも、異常体験のコーナをお持ちですね。日本の神々の奥深い源流へのアプローチですね。リンク歓迎いたします。

ぶんぶん ぶんぶんさんのHP H12.6.20
ぶんぶんです。確かに下記私何が言いたかったのか言語明瞭、意味不明ですね。
頭の中が纏まってないようです。
空海が吉田神道に教えを求めた逸話?やらありますし。
丹後との関わり(良く言われる、元伊勢の厳子姫しかり、元伊勢=火明=ニギハヤヒ?・・しかり)を思うと大抵、不思議な人物に見えてくるのです。
その心は、いったい何物なんだというところでしょうか。
時に、相互リンク(と言ってもやった事ないので不安です)お願いしたいのですが、いかがでしょうか。

自称:大和のアマチュア考古学者 H12.6.20
ひさしぶりに、のぞかせていただきました。
おどろきました。わたしのことが話題に・・・。恐縮です。
Hp更新。現地説明会やら、明日香探索やら、唐古・鍵探索やら、ホケノ山周辺探索で忙しくて・・・
ボツボツ更新しますのでまたよろしくお願いします。

玄松子 玄松子の記憶 H12.6.19
着々と「五十猛命ホームページ」が成長していますねぇ。
いったい、何社あるんでしょうか?
完全踏破してもらいたいものです。

S.Setoh H12.6.18
>丹生と空海の関係が気になりまして。それが、>真言密教ってなんだと思っただけです。
言葉の使い方も様々な日本語でした。
>HPのリンク紹介に載せていただいても ライさん、ありがとうございます。
熊野に自ら建てた山小屋にて生活するヤゾーさん、書き込みありがとうございます。
意外と思ったのですが、格闘技のやりとりが掲示板に多く、やはり山の生活とはまず体力勝負と言う事でしょうね。

ヤゾー 。 ヤゾーさんのHP  H12.6.18
はじめまして、熊野の山の中にて、自ら建てた山小屋にて生活する者です。熊野の自然やサンカに関したHPをやってます。
丹生都比賣さんや須佐之男さんと は何故か縁があります。興味のある方は見てやって下さい。
http://www.kumanolife.com/index.html

ライ  ライさんのHP H12.6.18
今回は、北斗神社の情報を頂きまして心から感謝いたしております。わざわざ お調べ頂きまして本当に有難うございます。とても、参考になります。これからも、なにかとよろしくお願いいたします。
あと宜しければ私のHPのリンク紹介に載せていただいても宜しいでしょうか?宜しければお返事下さい。お願いいたします。

ぶんぶん ぶんぶんさんのHP H12.6.17
ぶんぶんです。すみません、今帰宅した所で眠たて・・。
丹生と丹後と空海のラインが気になったもので。
結局空海は真言密教を隠れ蓑にしていた可能性があるからです。否、真言密教ってなんだと思っただけです。
オカルティズムに一見思われそうですが。??

S.Setoh H12.6.17
こんにちは、ライさん、訪問ありがとうございました。 諏訪の北斗神社につきましては、その存在すら知りませんでした。神社庁発行の平成祭礼データのCDにも記載されていません。 北斗の名を持つ神社は
福岡県嘉穂郡嘉穂町大字大隈町988 北斗宮「天之御中主神」天智天皇の御代に北斗星を信仰した人が北斗大明神を勧請したそうです。
大阪市旭区大宮3-1-37 大宮神社の摂社北斗社「北斗大神」が見いだせます。
北極星のイメージですね。太一神ですか、これが北斗七星を祀るのなら、いささか、御柱祭と関係するかも知れません。
以下は、斉藤守弘氏の「神々の発見」からですが、太い柱に横木をつけた十字形を立てて神の支配する場所とする。 十字形は殷週の時代には数字の七の意味で、そこから夜空を蛇行する北斗七星の信仰につながり、また十字形巨木が御柱祭事の原型ではないかとしています。 北斗七星は北辰、辰州、すなわち信州と言う事のようです。
 ところで、諏訪大社の御頭祭はミサクチ神の祭りで、御贄柱に縛り付けられた少年を小刀で切ろうとしている所に別の使者が現れて止めるそうです。
聖書に記載のアブラハムが我が子イサクを手にかけようとした時、Godが止めるんですね。
御イサク・チ祭で、イサクが入っています。アブラハムが登った山はモリヤ山と言います。

みのりー  みのりーさんのHP H12.6.17
どうもご無沙汰しております。Setoh様お褒め頂きありがとうございます。私のホームページの丹生関連の記載については天野真人さんが担当されており、一般的に言われている事と丹生さんが書いた本「丹生神社と丹生氏の研究」の引用もあり、私見についてはあまり載せておらずなんだかお恥ずかしいとの事です。ところで丹生と高野山については空海と丹生氏の関係は良かったのか悪かったのか勉強不足で分からないのですが、その後の高野山僧侶と丹生氏の間にはSetohさんの記述の通りで、いい関係ではなかったかもしれません。 高野山の力が強かったのでしょう。交流はあったようです。参考に松田文夫著「紀州史の豪族」より、「丹生恒信は天野丹生明神社の神主であるとともに、高野山の御社(金堂の西に在る丹生・高野明神・伴神を祭る高野明神社)および高野山奥の院弘法大師廟のそばにある脇社(丹生・高野明神を祭る)の神主であった。」また「高野山金剛峰寺の僧侶と天野・丹生明神社の神主丹生氏らと一体になって脇社の遷宮儀式が行われたと解される」との事です。 他に参考としては、寺林峻著「空海秘伝」(東洋経済新報社)も空海と丹生氏との関係を書いていますが、丹生の部分については小説ですので想像が多く、史実とは言えないのですが、なかなか面白かったですね。以上珍しい本について書かせていただきました。水銀と空海と丹生についてはいろいろな本で書かれているので省略させていただきました。ちなみに、インターネットで丹生を検索すると「丹生都比売」(読んでみました)と言う本に関するサイトと「安倍晴明」のサイトを良く見かけますね。特に安倍晴明は今ブームでしょうか?丹生都比売もメジャーな言葉になりつつあるのでしょうか?
ところで、ぶんぶんさんはどうして丹生と空海との関係に興味をもたれたのですか。もしよろしかったら教えて下さい。

ライ  ライさんのHP H12.6.17
初めましてライです。
私は、須佐之男系や国津神系の神社をまわり、調べて旅するのが好きで、今回、長野県の諏訪大社へいったのですが、そこで北斗神社という所を見つけたのですが、時間がなく見て来れませんでした。もし、北斗神社の祭神もしくは何か御存じでしたら教えて下さい。お願いいたします。もし宜しければメール叉は私のHPの書き込みにお願いいたします。
http://www.hello.co.jp/~poyon
poyon@hello.co.jp
までお願いします。

S.Setoh H12.6.16
 弘法大師空海は讃岐の出身ですね。姓は佐伯氏、蝦夷の血をうけていたのではと言われます。 だから、鉱山や金属採取にも詳しかったのでは、と思われています。
   神社は昔は「モリ」とよばれていました。日本の神々は森にいるんですね。空海も森の神になったんですね。 あの高野山の奥深い所に一大宗教都市を出現させました。
 資金源は何んだったのか、金属、なかんずく水銀だったのですね。往古、遣唐使の土産や滞在費用に充てるべく、水銀が利用されていました。古代日本は水銀の輸出国だったのですね。空海は水銀に目を付けまして、高野山を手に入れました。
丹生都比売神から譲り受けた事になっていますが、幾つかの話が伝わっています。
 借地の契約書に「十年」と書いてあったのを、後から「ノ」を書き加え、「千年」としたとか、借用年数の所を鼠がかじってしまい、わからなくなった、従って永久に借りる事にする。

 こんな話が残る事は、無理矢理取り上げたのか、丹生都比売神サイドには決して快い事ではなかったんでしょうね。しかし、丹生都比売神社が焼失してしまった際、高野山の坊主が駆け付けて再建をしたりしています。

 また、丹生都比賣につきましては、研鑽されているみのりーさんのホペ
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kamado/"
に詳しい資料も出ています。

ぶんぶん ぶんぶんさんのHP H12.6.16
百貨店HP主催のぶんぶんです。おはよう御座います。
S.Setohさんの、HP土日にゆっくり拝見させていただきます。
丹生と空海の関係が気になりまして。
あれこれと、気が多いものですから。
急速に失われつつある文化、霊学、太古神法など気をもんでいるのです。もちろん、どれ一つとっても奥が深く後継者がいない状態ですから、大変の様です。

玄松子 H12.6.15
>かってよく投稿して頂いていた大和のアマチユア考古学者さんのHPを見つけました。
僕も以前に見つけていたんですが、最近更新されてないようですね。

S.Setoh H12.6.15
 かってよく投稿して頂いていた大和のアマチユア考古学者さんのHPを見つけました。
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SanJose/7126/
です。明日香の小字を細部に渡り調べ上げている労作です。
大字、小字が失われていく中で貴重な調査です。
本来は、国家プロジェクトとして、全国の大字、小字を調べ上げて残したいものですね。

ぶんぶん ぶんぶんさんのHP H12.6.14
ぶんぶんです。ちょっと誤解を招く書き方をしてしまいすみません。
平十字はある仙人ですが、現在関係者が生きていますので名前が書けないのです。
あれこれ、経過は掲示板「異常備忘録」に書いています。
又、カタカムナ神社は架空の神社です。楢崎氏の創作(もちろん分け合っての事です)です。
保久良神社は誰でも勘違いしてあたりまえで、カタカムナ神社かとTELがよくかかって来てこまっているようです。 僕がおじゃま(別件で)したときも、1件かかってきましたから。
いわゆる、ミトロガエシの池は楢崎さんの金鳥山事件当時の関係者から聞いて今度、網、スコップなどで掘る予定です。何かでたら、アップします。
何分、相似象関係者を傷つけるわけにはいかないのでそのあたり、交渉が必要かと思っています。 (僕の師範の彼女?が相似象の宇野さんと知り合いなものでこないだ、これを言ったら怒ってましたから。)
では、また参ります。(同じことを、当サイトにもカキコしておきます)今後とも宜しくお願いいたします。
http://www2.gateway.ne.jp/~bunno/

S.Setoh H12.6.14
 「神奈備」に玄松子さんの労作になるバナーができました。
 さてさて、保久良神社の奥に金鳥山がありますね。カタカムナ神社とはどの神社でしょうかね。幻の神社の近くにお住まいのブンブンさん投稿ありがとうございます。
 最近、ヘブライ語とカタカナが似ていると言う本を見たばっかりですが、日本の歴史もまだまだ分からない事だらけですね。
 日本の上古代に、高度な文明を有していたアシア族という種族が存在し、神農氏らによって伝えられて、支那の文化の元となったとの説ですね。確か神農さんも角を持つ神様ですね。牛頭でしょうか、素盞嗚尊に通じますね。面白いですね。
 尤も、日本の上古代の高度な文明は、どこへ消えたんでしょうか、なんて考えていると、消化不良になりますね。
http://www2.gateway.ne.jp/~bunno/
に立ち寄ったのですが、平十字さんの正体とか・・、すみません、見つけられないんですが・・・。

まさ H12.6.13
基本的に神とは「畏きもの」なんですよね。
凄いモノに対する純粋な「おそれ」や「感謝」なんですね。
だから人(及びその集団)も「神」だし、自然や器物も「神」である。

焼尻さんが「神の国」発言に言及されておりますが、首相の発言が貴殿のおっしゃるような大所高所からの発言(確信犯ともいう)であったなら、もっと上手に話すべきであり、あの弁解を聞く限り、結局それほど深い考えがあっての発言ではなかったのではないか?と思わざるを得ません。
と、いうことは、あのような浅い認識と時代錯誤とリップサービスのないまぜになった発言と、それに対する「鬼の首を取った」ような馬鹿騒ぎ批判はどうでもいいのです。
言えるのは、首相が軽すぎて考えてモノを話せない人物だということと、それしか批判できない「進歩的文化人」の底の浅さのみ。

ぶんぶん ぶんぶんさんのHP H12.6.12
はじめまして、ぶんぶんと申します。スセリさんのサイト経由で、おじゃまいたしました。
内容盛だくさんで、ゆっくりと見せていただきます。
僕は神戸ですが、地元の郷土史青年によると、六甲周辺には、「スサノオ」が多いとか。・・。ちなみに、内の町内の産土様も八坂神社です。
家から、歩いて30分の所にカタカムナで知られる「金鳥山」があります。ここに関しては、様様なことが一応判ったのですが。・・平十字さんの正体とか。興味の尽きない、ところです。
http://www2.gateway.ne.jp/~bunno/
また、お立ちより下さいまし。
本当は神道サイトなのですが、百貨店状態です。

杣庄 裕章  H12.6.8
こちら(滋賀県甲南町)のほうでは 字(あざ 50戸から250戸 自治会)にひとつ神社があり、川を挟んで町が発展しているため、半分位が北向きです。
大体が江戸時代の社殿のため、老朽化がすすみ、護持運営も難しくなってはいますが、なんとかたたずまいを残していきたいものです。
明治に合社したところも多いようですが、田舎では小さな神社が沢山あり、道に面して立てられたりしているところでは、向きは人のいるほうに向いているようです。

S.Setoh H12.6.6
地震、雷、火事、親父  昔は神様に近かったんでしょうね。
 熱田神宮の御垣内に、地震に関係する末社が鎮座しているとの事です。
 春日大社の木が枯れる、談山神社の塚の鳴動なんてのもあるらしいです。
 尋常でないという現れなのでしょう。
地震といえば鯰ですね。
「大鯰の靈」が祀られている神社があります。
熊本県阿蘇郡一の宮町手野2110 国造神社摂社の鯰社です。 祭神は「大鯰の靈」由緒はわかりません。
地震を封じ込める石でしょうか。要石(かなめいし)が祀られています。
三重県名賀郡青山町阿保1555 大村神社摂社要石社「祭神は要石」

山浜 H12.6.6
このごろは、神社(仏閣でもそうですが)に詣でると気持ちが安まります。
世の中のいざこざなど一時的ですがさらっと忘れられます。
それで、6月3日に神田明神に詣でて帰ってくるとき、例の地震です。東京ではずいぶん初期微動が長かったです。
地震となんか関係があったのかなあ?なんて勝手な想像をしております

S.Setoh H12.6.3
みのりー さんのHP、丹生都姫、参考になります。流石、奥深いですね。
>丹生都比売は天照大御神の妹神である月読(稚日女尊(わかひるめのみこと)と言われている。
この説は面白いんですが、せっかくの地元の誇りである素晴らしい神様を、中央政権の神様の系列に入れてしまうのは残念な気がしますね。

焼尻紋次郎さんから
>あのラクガキ、少なくとも前半分は消してけれ。技術……、そんなことできないのかナ?
>技術的にダメなら、全部削除されたし。
とメールがありました。『「紀のくに」は酒(キ)の国じゃねぇぞ。・・』の記事ですが、面白いのでおいておく事にしました。
全く当たっていないわけでもないんで・・・
 ではでは、竃紋で、酒の燗でも・・

みのりー  みのりーさんのHP H12.6.3
来週土曜日に和歌山県立図書館に行きます。丹生さんが書いた「丹生神社と丹生氏の研究」はもっているので、それ以外の著書を調べる予定です。
もっと時間があれば高野山の宝善院(元丹生院)と丹生狩場神社(毛原宮)も行きたいな〜。
だれか宝善院や丹生狩場神社に行かれた方がおられましたら、何でもいいので教えて下さい。よろしくお願いしま〜す。

焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.6.1
「紀のくに」は酒(キ)の国じゃねぇぞ。
 皆の衆、キヲツケロ〜〜ッ かんなびの亭主 こと サラセッセは曲学阿世をやってのけて、てめぇの出身地の「紀のくに」が「キ(酒)のくに」だということにして、真っ昼間から酒飲む正当性をでっち上げようとしているものにあらむや。
 秦氏が酒造ったことは言えても紀氏が酒に密接に関係していただろうか……オラシラン。
 灘の生一本の「キ=酒」はレプチャ語にもあって、キ(酒)が超古代の交易品だったことも考えられる。
 一万年ぐらい前、木を燃(アラ)やして得られる蒸溜の酒(世界語 ; アラッキ)は、その後の交易品となったことはタシカざんす。
 酒を「噛む」が「神」の語源だちゃぁ〜誰が言うた。 ネパール語*gum(密封する・発酵させる)が「噛む」「醸す」の語源ならむや。

 あ……、「神の国」な。
 ゼニモーケ(ジャーナリズム)とか、目先のてめぇらの勢力拡大にのみ目を奪われている連中は、「神の国」で騒いだあとになって「神の国ということが、当分間、二度と社会的コンセンサスが得られず、今後それを言ったが最後、すぐに抹殺されるメカとなる」……そのことに思いを馳せての総理攻撃なのかどうか……。ここは由々しき問題点である。
 憲法を無視した発言こそ時代を動かす原動力であろう。総理〜国会議員ともなれば、尚更、憲法を無視した固有の信念に基く発言は無制限に許されて然るべきである。現行法規遵守義務は下級執政官僚だけでいいのではなからむか。
 諸賢の声きかせてくんろ。 ホペ; www.you-i,org E メールアドレス; zik@you-i.org

S.Setoh H12.6.1
 まほろばの国大和に鎮座する大神神社(三輪明神)は、三輪山そのものを祀るとも言われ、また神の遣いとして蛇が現れたりしています。 蛇の好物は、そう、お酒ですね。この神社はお酒の神でもあります。少し北側に狭井神社があり、おいしい水がこんこんと湧き出しています。 おいしいお酒はおいしい水からできます。
神と酒、原始の神はシャーマン(巫女)に入神して託宣を下すのですが、神懸かりに酒を用いるのは世界共通の現象です。 古代の酒は「酒を醸む(かむ)」事により作りました。口の中で醸むのです。そして壷の中で発酵させるのです。口の中で醸むのは若い娘が当たりました。飲み頃に発酵する期間があり、お酒を必要とする日のX日前に酒を醸んだそうです。いつでも飲める現代とはだいぶ違いますね。
書記崇神紀
この神酒(みき)は、わが神酒ならず、倭成す(やまとなす) 大物主の醸(か)みし神酒

「酒を醸む」の「醸む」が神の語源だそうです。



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