神奈備掲示板の平成12年8月ログ


ログ


更新 H12/8/30


S.Setoh H12.8.30
山本 祐佳さんから、三位一体の図を送っていただきました。
『まえに神奈備の掲示板に書いた、三位一体の図をお送りします。 これが 右三巴に 似て見えるかどうかは個人の主観によると思いますが。  この図の上部には 四身一体の図がくっついています。』
 右三つ巴にそっくりですね。
なお、この図は掲示場ログ(当月分、平12年8月分)をご覧下さい。この掲載につきましての法的&道義的責任はすべて瀬藤にあります。
 神紋の起源は、祭神に関わる伝承、神職、有力氏子の由緒に基づいて出来たそうです。神社ではないのですが、天皇家が菊の紋を紋所としたのは、後鳥羽天皇の刀鍛冶好きから佩刀に菊の紋を打たせた事からと言います。13世紀ですね。(神社:岡田米夫氏)

玄松子 玄松子の記憶 H12.8.29
>大物忌神社について調べようと思い先ほど見つけました。
祭神に関して詳しく説明されていませんが、ホームページがあります。
http://www.midorinet.or.jp/~choukai/

さとう H12.8.29
こんにちは スセリさんのところからきました。
大物忌神社について調べようと思い先ほど見つけました。
大物忌大神 月山神 がお祭りされているようですが、その神様はどういう神様なんでしょう?
無知で失礼な質問かもしれませんがよろしかったら教えてください。
http://www.geocities.co.jp/Milkyway/6413/

玄松子 玄松子の記憶 H12.8.28
ややこしくしてしまうかもしれませんが、ちょっと一言。
>■宮崎県小林市 霧島岑神社「瓊瓊杵命、木花咲耶姫命、彦火火出見命、豐玉姫命、草葺不合命、玉依姫命」うがや系
こちらの「玉」は神霊ではあるでしょうが、塩盈・塩乾珠から来ているのではないでしょうか。三種の神器にもある珠の霊力というかパワーに由来するものだと思います。

>■京都市 賀茂御祖神社「賀茂建角身命、玉依媛命」かも系
賀茂建角身命の子には、玉依比売と玉依日子がいます。玉依比売が巫女だとすると、玉依日子はなんでしょう? サニワでしょうか。他の「玉依姫」と違う、この点が気になります。

>■千葉県一宮町 玉前神社「玉依姫命」たまさき系
こちらは、玉前命が正しい感じがしますね。玉依姫は付会かもしれません。

その他に、玉津島神や玉姫まで、話を膨らませるとややこしくなりそうですけど、玉津島神は稚日女命とされており、関係ありそうですが。玉+津島(対馬)に意味があるかも。

S.Setoh H12.8.28
皆さんは涼しくなるのを待ちきれずに神社参詣ですね。
>丹生都比賣神社でも、若い宮司さんがいらっしゃって、いろいろお話を聞けてよかったです。
それはよかったですね。予告して男四人で押し掛けた時は話を引き出すのに苦労しましたが・・
>紀伊国一宮だった
時代によって、日前宮、伊太祁曽神社、伊達神社、丹生都比賣神社が一宮とされています。誰が何時決めたのか調べておりませんが現在は日前宮見たいですね。
>伊太祁曽神社
奥宮司がおられる時がよろしいかと思います。仏滅の日はだいたいおりますね。tel 0734-78-0006 で確認して下さい。来る10月15日は2年に一度の御輿の出る予定の秋祭です。
>玉依姫命・・紀伊半島に限ったお話
神社の祭神については疑わしいと見なければなりませんが、玉依比売の系統を調べて見ました。
■宮崎県小林市 霧島岑神社「瓊瓊杵命、木花咲耶姫命、彦火火出見命、豐玉姫命、草葺不合命、玉依姫命」うがや系
■太宰府市 竈門神社「玉依姫命 配 應神天皇、神功皇后」ひめ系
■京都市 賀茂御祖神社「賀茂建角身命、玉依媛命」かも系
■千葉県一宮町 玉前神社「玉依姫命」たまさき系
 ほかにもあるとは思いますが・・。

 山浜さん H12.8.28
ご無沙汰しております。瀬藤さん、つ・ついに、やっと丹生都比賣神社に行って来ましたよ!!うう、涙。
時期遅れの盆休みだったので、田舎から戻るコースをわざわざ大阪経由にしてまたまた神社ツアーに行って来ました。南海電車で橋本まで行って、レンタカーを借りました。前に掲示板に書いてあったように思いましたが、やはり教良寺ルートはまだ道路工事中でしたので、国道480号線経由となりました。
丹生都比賣神社の前に、丹生官省府神社と丹生酒殿神社に詣でましたが、丹生官省府神社にちょうど宮司さんがいらっしゃって、世の中の話やら?いろんな話ができました。
丹生都比賣神社でも、若い宮司さんがいらっしゃって、酒殿神社の鎌八幡宮や丹生大明神告門についてなど いろいろお話を聞けてよかったです。(はがきを出していなかったのですが、偶然いらしたのかな?)
輪橋やら鏡池やら二階建ての楼門、そして四社明神のお社など、いちいち感動の嵐でした。
帰りにパンフレットなどをもらってきたのですが、丹生都比賣神社は紀伊国一宮だったことを知り(すみません勉強不足でした)、橘三善による一宮巡拝の話や御朱印帳なるもののの存在を知り、次に訪ねた大神神社から御朱印の旅となってしまいました(ちょっとミーハーですね)。「うーんもっと早く知っていたら」と後悔することしきりです。
その後、伊勢神宮に行きましたがどの神社もすばらしかったですが、外宮の神域が好きになりました。
10月頃には日前神宮・国懸神宮と伊太祁曽神社に行く予定です。
ところで、今話題になっている玉依姫命をお祀りしている神社ですが、千葉県上総一ノ宮の玉前神社がそうだと思いますが、紀伊半島に限ったお話だったのでしょうか?

S.Setoh H12.8.25
 瀬川さん、徐永さん、HPのご紹介ありがとうございます。それぞれ力作ですね。
 山本さん、書籍の一部の複写なら著作権には抵触しません。是非送って下さい。掲示板に入れ込めるかどうかは分かりませんので、小生にメールで添付して頂ければ、掲示板ログにはめ込んでみましょう。
さて、玉依比売について、丹生都比売との関連などを若干まとめてみました。神奈備のさらサイトからどうぞ。
みのりーさん、丹生良広氏の『丹生神社と丹生氏』によれば太宰府には丹生氏がおられたとのことです。だから、その頃には丹生都比売を祀る神社があったのかのしれませんね。その後退転したのかもしれませんね。太宰府の天神さんは今は菅公ですが、その以前の天神とは、これが疑問ですね。

山本祐佳  H12.8.25
玉依姫に興味があります。この神様について「野上八幡宮誌」はほとんど触れていないからです。
紀の国MLの中で 神社の紋に左三巴が多いとのこと、この形、キリスト教の三位一体図によく似た形を見つけました。(三つのハートの形に鳥か蛇みたいなひも状のものが出ている。)わたしの思い込みでしょうか。
著作権に問題なければスキャナで取り込んでファイルとして添付するのですが…


S.Setoh H12.8.24
 玉依姫命とは神霊が依り憑く女性の意で、古代の巫女はなべて玉依姫であったといえるでしょう。
 そこで愚考いたしました。
 素盞嗚尊は根の国に行き着くまでに彷徨い、出雲で奇稲田媛に出会う。荒ぶる神から文化の神となった。
 大国主は、祀る巫女を求めて各地を彷徨った。須勢理毘売と出会い、大国主となった。
 伊波礼毘古命も東を目指して彷徨い、ついに狭井川のほとりで比売多多良伊須気余理比売に出会い、神武天皇となった。
 天日槍命は祀る巫女の赤留比売命を求めて彷徨うが、出石の前津耳の女麻多烏と出会う。
 日本武尊は命令により東西を駆け抜けて、弟橘姫命を失うも宮簀媛命と出会うが、非業の最期を遂げる。
 仲哀天皇は巫女の神功皇后に見放され、命を落とした。
 応神天皇は比売神と出会い、皇統を継いだ。

 彷徨う神々は、祀るべき巫女と出会えれば、建国神となりえ、そこそこの巫女ならば、それなりの運命をたどるのであろうか。
 【結論】すてきな玉依姫を見つけるか、すてきな玉依姫になって下さい。

瀬川照央  瀬川さんのHP H12.8.24
はじめまして、「神奈備へようこそ」へは、延喜式神名帳とか物部氏とかで時折訪れていましたが、はじめて掲示板を拝見し、非常に奥深いキャッチボールが行われていることに驚いています。
小生は旅から得たものを中心に古代史関連の読み物をHPに掲載しています。
内容は、君が代・伊勢神宮・ルーツ(日本犬の起源から)、出雲関連4部作(三角縁神獣鏡・神在月・出雲族の関東への移動・紀伊熊野と出雲熊野)などです。よろしかったら開いてみて下さい。 http://www07.u-page.so-net.ne.jp/jf6/t-segawa/ 

徐永  徐永の庵 H12.8.23
はじめまして管理人さん、徐永と申します。
徐福で検索して参りました。私も古代史のページを持っています。
徐福については朝鮮史からの抜粋なので、多分新情報だと思います。
宜しかったら、相互リンクをお願い致します。また遊びに参ります。
http://www12.freeweb.ne.jp/sports/randy2/
では。

S.Setoh H12.8.22
丹生良広氏の『丹生神社と丹生氏』によれば、丹生氏の第一歩は筑前の伊都の地とされています。 この地は邪馬台国の伊都国に比定されますが、ここには水銀鉱床は出ていません。しかし紀の国の主な水銀産地は伊都郡内にあり、伊都国から人と共に地名が運ばれたとの想定です。 伊都国王の後裔が紀州丹生氏や怡土県主の五十跡手につながり、大分豊後丹生氏になっていったとの見解を開示されておられます。伊都国の氏神の高祖神社の祭神の高磯比めを丹生都姫と見ておられる誠に興味ある説です。

確かに、筑紫の高祖神社や託杜神社の祭神を丹生都比女命もしくは赤留比売命と見る説があります。いや同一神と見なす考え方も出てくるでしょう。丹生氏と息長氏とは天日槍の後裔と言う事になります。播磨風土記では、息長足姫が新羅征伐に赴く時、集まった神々の中に爾保都比売命がおり、自分を良く祀ってくれるならば赤土を与えようと言い、その赤土を船体などに塗って新羅の攻略に成功したとあります。帰還後、息長足姫は爾保都比売命を紀伊国筒川の藤代の峯に鎮め奉ったとあります。協力関係が見て取れます。

筑紫に怡土郡、那珂郡が並ぶように、紀の国にも東西が逆ですが那賀郡、伊都郡が並びます。ナカは中で間の意味やナーガで蛇の意味があり、偶然かもしれませんが、丹生氏が筑紫から紀州の伊都郡へ来たとの想定もできます。

それより国造の紀氏と丹生氏は同族との見方があります。この紀氏が祀っているのが前国縣神宮で、紀氏の氏神と推定される国縣神の神体は日矛鏡と言われます。物理的には形を想像しにくい日矛鏡ですが、天日矛の依り代なら話はつながります。

これは紀の国誕生の鍵を握る所まで話が延びるかもしれません。とりあえず。


玄松子 玄松子の記憶 H12.8.22
>玄武神社が京都市北区紫野雲林院町に鎮座しています。亀之宮とも言います。
> 是非一度御参拝を!
都市部にある神社なら、蜂に追われることも、蛇に悩まされることも少ないだろうと考え、今週末に京都市へ行くべく、宿の手配などをしておりました。
タイミングよすぎですね。ぜひ、参拝させていただきます。

S.Setoh H12.8.22
玄松子さん>赤留比売=丹生都比女
 こんな面白い話を聞かされると、来期の予算がどうのこうのってな事は置いておいて、まずこれを考えようと言う事になりますね。こりゃ、窓際から窓外へ放り出されそうです。
 若い人は仕事は仕事できちっとやってくださいね。
 このテーマは息長丹生氏や託宣する神とも絡んで大きいのでひとまず置いておいて、genbu.netさんにお礼の情報を一つ。

 玄武神社が京都市北区紫野雲林院町に鎮座しています。亀之宮とも言います。
 祭神は、第五十五代文徳天皇の第一皇子惟喬親王。
 由緒 生母は更衣で、刑部卿紀朝臣名虎の娘、紀静子であり、第五十四代仁明天皇の承和十一年(八四四)に誕生。
親王は天安元年御歳十四才にて帯剣を許され、同年十二月御服、四品を授けられ、同二年大宰師、貞観五年弾正尹、同六年常陸太守、同十四年上野太守となる。
 親王は第一皇子であり聡明な方で、父文徳天皇の愛情もことのほか深く、皇太子になることが予想されていたが、嘉祥三年(八五○)当時もっとも権勢を誇っていた藤原良房の娘で、女御である藤原明子が第四皇子、惟仁親王を誕生するに及び、天皇は良房をはばかられて同年十一月に生後僅か九カ月の同親王を皇太子とされた。これにより藤原氏は外戚の権を専らにするようになり、天安元年二月良房は人臣で初めて太政大臣となった。
文徳天皇は天安二年(八五八)惟喬親王の将来に心を残しつつ在位八年、御歳三十二才で崩御され、惟仁親王が御歳九才で第五十六代清和天皇に即位された。
それ以後の親王は第一皇子として生まれながら、生涯国の中央の政治の圏外を歩まれることになったが、早くより時勢を観察せられ、山崎水無瀬に閑居され詩歌吟詠などを以て過され、河州交野の奈木佐の院に、紀有常(紀名虎の二男)、在原業平(紀有常の長女を妻とする)などと共に観桜されたこともあり、また叔父の常康親王の御殿である雲林院の傍らに新殿を建立して暫く住まわれ、江州小椋庄などへ移られて諸山の木地屋に轆轤の使用を伝えられた。
都にもどられてからは、洛北の大原、雲ケ畑、小野郷大森にと隠栖され、貞観十四年七月疾に寝て仏に帰依し、素覚と号された。伊勢物語の「忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪ふみわけて君を見むとは」の歌は、惟喬親王とゆかりのある在原業平が、冬の一日親王を訪ねて語ったときのものだと言いつたえられる。この時親王は「夢かとも何か思はむ浮世をばそむかざりけむ程ぞくやしき」と御返歌されている。
時の人達は親王のことを水無瀬の宮、小野の宮などと称した。御在世中、小椋庄に金竜寺雲ケ畑字中畑に高雲寺(惟喬般若)、大森字東河内に安楽寺、長福寺を建立され東河内にて御生涯をおえさせられた。御陵墓は北区大森東町及び左京区大原上野町に現存する。
 是非一度御参拝を!


玄松子 玄松子の記憶 H12.8.22
>丹生都姫=玉依姫について
竃門神社の祭神玉依姫(相殿神功皇后・応神天皇)は、宇佐神宮の比売大神にあたり、宗像三女神の総称とされています。宇佐の比売大神が、比賣許曾だとすれば、=赤留比売=丹生都比女という着想もありえると思います。真偽は別。
また、「丹塗矢」からの発想で、下鴨の玉依姫と丹生都比女を関連付ける説を目にした記憶があります。

みのりー 源風景の森  H12.8.21
みのりーです。
>この付近に確か丹生神社もあったと思います(うろおぼえですが)。
私の勘違いでした。お騒がせしました。本当にうろおぼえでした。すみません。
>瀬藤様
>丹生神社あまた鎮座していますが、玉依姫を祭神にした神社は今のところ見つけていません。
丹生都姫=玉依姫については昔昔の話なので、その先生も居らず、その根拠は分かりません。実を言いますと私はこの同一人物説は疑わしいと思っております。

玄松子 玄松子の記憶 H12.8.21
こんばんは、残暑の中、なかなか精力的ですね。
>昔は共に式内論社だったそうですが、現在は総社とされています。
『式内社調査報告』抜粋
維新以後、明治二年姫路藩庁式内社調査の際、辻井の生矢神社(現在は行矢射楯兵主神社と称する)を式内社となした。(宮崎光彦を神官に任じ、知藩事酒井忠邦慢幕を寄進し竜野町三丁目の四ツ角に「式内射楯兵主神社在辻井村」と刻んだ石碑建立せり)これに対し、時の総社神官国学者上月爲彦は、明治三年十一月「射楯兵主神社考」を著し、藩の国学者庭山武正(射楯兵主神社社司)、春山弟彦調査副申の結果、式内射楯兵主神社は再び、元に返された。
だそうです。一年間だけのようですね。石碑があるようですが。射楯兵主神社は古文書がほとんど無いそうですが、根拠はなんだったんでしょうね。

>所で、みのりーさんが記された太宰府の近くの丹生神社ですが、小生には今のところ見当がつきません。
玄松子も知りたいです。

S.Setoh H12.8.20
 こんばんは、今日は姫路と明石へ行ってきました。
播磨総社の射楯兵主神社(二回目)と行矢射楯兵主神社に参詣してきました。行矢神社の由緒が全然分からなかったので総社で色々教えてもらいました。昔は共に式内論社だったそうですが、現在は総社とされています。
 明石では兵庫県立図書館で、県神社誌(全三冊、20cm)を見つけ、受験勉強並に集中しました。摂津川辺で五十猛命を祀る神社を新たに五社も見つけました。中にはずばり五十猛神社もありました。全数制覇を目指しているのに、未参詣社が増えていくのも又楽しいものです。

 所で、みのりーさんが記された太宰府の近くの丹生神社ですが、小生には今のところ見当がつきません。また教えて下さい。
 それと、丹生神社あまた鎮座していますが、玉依姫を祭神にした神社は今のところ見つけていません。丹生都姫も巫女的な神だったのでしょうか。やはり玄松子さんが指摘されているように玉依姫は普通名詞かもしれませんね。タカ神社のタカも普通形容詞でしょうか。

玄松子 玄松子の記憶 H12.8.20
玄松子です。
>多賀宮則伊吹戸主神。祓戸神。
伊吹戸主神(気吹戸主神)は『延喜式』大祓祝詞に出てくる、祓戸四柱の一神ですね。この神が、伊吹山と関係があるかどうかわかりませんが、 吉田神道では、風神であるとして、多賀宮の下に在る風宮に祭られているとしています。
気吹戸主神を神直日神・大直日神とし、多賀宮に祭るとしているのは、両部神道ですね。
祓神は、天御中主同様、観念的な神々で、比較的新しく、平安期に導入された「思想」だと思われますが。
ちなみに、内宮荒祭宮は瀬織津姫、滝原宮は速秋津日子、瀧原並宮は速秋津姫、というように神宮別宮を祓神にあてる説もあります。
余談:伊吹山の神は、倭建命を殺しましたが、浅井姫の頭を切り落とした神でもあります。その浅井姫の頭が竹生島で竹生島神社に祭られていますね。怖い神です。
>多賀そのものが当時「タカ」と読まれていたのではないでしょうか。

多賀大社は、古来より、多賀・田鹿・多何・田呵・田可と表記され、「タカ」と訓まれますね。字義も「高地」だそうです。

ゆか H12.8.20
 おはようございま〜す。
 『神道五部書』に、
多賀宮一座
名曰止由気太神之荒魂。多賀宮是也。(中略)
多賀宮則伊吹戸主神。祓戸神。
とあります。この伊吹は伊吹山と関係があるのではないかと思うのですがどうでしょうか?

 また、『日本の神々』の「多賀大社」の項に、社名は「タカ」と清音で呼ばれていたようであると書いています。たしかに、外宮の多賀宮は小高い丘の上にありますが、多賀そのものが当時「タカ」と読まれていたのではないでしょうか。
 もっとも、この多賀宮と多賀大社とが関係があるとしても、多賀大社から伊吹山までは少し遠いんですよね。

 『神と仏』によれば、伊吹山にも酒呑童子説話があるそうです。湖東、湖北と丹後とはつながりがあるように思えて仕方がないのですけれど。

みのりー 源風景の森  H12.8.20
丹生の四至についてですが、私が書いたのはかつらぎ町史に載っていた皮張大明神縁起の一部です。丹生祝本系帳には「品田天皇寄せ奉る山地四至、東は丹生川上を限り、南は阿帝川の南横峯を限り、西は応神山及び星川神勾を限り、北は吉野川を限る」とあります。丹生祝本系帳の方が真実味はあるかもしれませんが、本当にこの四至を支配していたかは疑問ありです。ただ、活動範囲であると言うことであれば可能性はありかと。
(つづく)
続いて、同じくかつらぎ町史より、「竃殿社 奥津彦の尊
奥津姫の尊 二神相殿に御鎮座也、右者丹生大明神酒殿社に降臨したまふ時守護之御神也」。奥津彦奥津姫はかまど(へっついさん)の神様です。奥のところにあるもの、それがかまどだから奥津彦奥津姫だそうです。水銀の神様に竃の神様、金属文化の臭いがする話ですね。しかし、私はここで出てきた津の使い方に少しヒラメキを感じ、実は丹生津姫と奥津彦姫の関係より、そちらの方が私にとっては重要になってしまったと言うことはあるのですが、とりあえずその話は横に置いておいて本題に。
(文章が長いようなので、次の書きこみに続き書きました)
以前、瀬藤様から頂いたデータから九州の竃門(かまど)神社について2つの流れがある事が分かります。1つは、玉依姫を祭っているもの、もう1つは奥津彦奥津姫を祭っているもの。ここで昔親に聞いた話を思いだしました。父が高校の時社会の先生が玉依姫と丹生都姫が同一人物であると言っていた、のだそうです。ほんとかうそか分かりませんが、何かつながりはありそうですね。和歌山ではかつらぎ町の竃門神社しか聞かず、なぜ九州に多いのか。これもまたミステリー。探せばあるのかも知れませんが。もし興味がある方いらっしゃいましたら、九州福岡は大宰府に行かれましたら、その地の守護の神社として後ろの宝満山に祭られている竃門神社に寄ってみてはいかがでしょうか。空海も中国に渡る前に立ち寄ったそうです。恐らくは修験者の修行の場なのでしょう。竃門神社の中では一番有名だと思います。ちなみに、宝満山は昔竃門山と言ったそうです。私はまだ行ったことはないのですが、一度行きたいとは思っています。この付近に確か丹生神社もあったと思います(うろおぼえですが)。また、この付近に精錬したような遺跡か何かがあったと思います(これは何の本だっ
話は丹生から少しそれましたが、九州の方が見られましたら何か興味を持っていただければと思って書きこみました。もし、どなたか何かご存知でしたらなんでも結構ですので教えて頂ければと思っております。それでは、皆様おやすみなさい。(−−)Zzzzz

福島雅彦 福島さんのHP H12.8.20
山本祐佳 さん
『ドンド焼き』に就いての仮説
現代朝鮮語で『お金』の事を“don”と言います。私は、古代倭人が、鉄挺を通貨として使った為か、金属の通称的使われ方をしていたからではないかと、疑っています。冬に行われるのも、製鐵が極度に湿度を嫌うのと符合します。大火を焚くのも、真夏より体が楽だったり…。
 玄松子さんからの情報の『左義長(さぎっちょ)』、『ほんげんぎょう』は佐賀平野で良く使われる様に記憶しています。左利き(サウスポー)の事を『ぎっちょ』とも言いますので、製鉄の長は、左利きか?とも。

S.Setoh H12.8.19
みのりーさん>東は大和国を限り、西は生石か峰筋、北は日本河、南は海に及ふまての山地を月読の尊に奉れり
これが丹生都姫の領域と言う事ですが、西は生石か峰筋とは、現在の生石山で和歌山の人のハイキング等に愛好されている山です。生石神社(創建10世紀)が鎮座しています。
 【なぜ、西方だけが決めの細かい範囲になっているか】が一つの疑問になります。
 阿て川荘の領有をめぐる高野山対寂楽寺・湯浅氏連合との確執があるようで、生石か峰筋までと言う事は阿て川荘は丹生都姫の領域すなわち高野山の領域であるとの神話的裏付けなのでしょう。朝廷には効き目があったのかもれませんが、鎌倉幕府にはあまり効き目がなかったようです。

ゆかさん> 日本武尊伝承は天日槍につながるのではないでしょうか?つまり息長氏系の伝承ではないかな?
伊吹山の麓、現在の滋賀県坂田郡米原町上丹生に神明神社(元丹生神社)が鎮座しています。昔は丹生郷だったそうです。息長丹生氏が丹砂を採取したと推定されている地点です。(朱の考古学:市毛勲さん)坂田郡には息長と言う地名があったそうで、そこへ倭王権が踏み込んで追い払われたと考える事ができますね。

玄松子 玄松子の記憶 H12.8.19
長期休暇なのに、旅に出ていないため、暇を持て余している。ということで、今日は、書きこみ散弾状態です。

>伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)の摂社に多賀宮がありますが、これは近江の多賀大社のことですよね?
これは、違うと思います。多賀宮は、豊受大御神荒御魂を祭り、元は「高宮」と云っていました。小高い丘の上にあるため、あるいは神徳が高いという字義だそうです。
多賀大社は古事記ゆかりで、伊邪那岐ですから。

ゆか H12.8.19
 こんばんは。
 七月伊吹山へ行きました。伊吹町には日本武尊の像が建っています。剣を持っています。道路には、タケル君がマスコットになってあちこちにいます。伊吹山頂にも日本武尊の像があります。若くして亡くなったはずなのに、髭を蓄えた好々爺みたいでした。
 この伊吹は伊福部と関係するのかどうか?

 直感ですが、この日本武尊伝承は天日槍につながるのではないでしょうか?
 つまり息長氏系の伝承ではないかな?と。

 伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)の摂社に多賀宮がありますが、これは近江の多賀大社のことですよね?
 その近江は息長氏の本拠地ですよね。
 それを遡ると琵琶湖を経て丹後へ行くのではないかと。
 乱暴かな?

 年内にもう一度和歌山へ行ってみたいです。相賀八幡、壁画がきれいですね。

玄松子 玄松子の記憶 H12.8.19
自己フォロー。
>紀氏から分岐しているとされる丹生氏は国津神です。
このサイトの「紀の国」のページを見なおしました。
紀氏の祖は、一般に言われている神魂命ではなく、「非公開系図」では、素盞嗚尊となっているんですね。
なるほど。そうなると国津神ですね。

みのりー 源風景の森  H12.8.19
玄松子様
>紀氏から分岐しているとされる丹生氏は国津神です。
について、和歌山県伊都郡かつらぎ町の丹生氏の古文書である「丹生祝本系帳」に次の記載があります。
「始祖天魂命、次高御魂命、次血速魂、次安魂命、次神魂命、次最兄坐之宇遅比古命、別豊耳、国主神の女児(丹生都比売神の裔)阿牟田刀自に娶いまして生める児・・・   延暦十九年九月十六日。」
丹生祝本系帳は新撰姓氏録撰述(延暦18年の勅)のために、諸国の各氏から提出せられた本系帳の一つであろうと言われている古文書です。ただし、この内容については疑わしい部分が多く、これと、その後の丹生氏の家系図との矛盾が感じられます。ちなみに私はこの古文書の内容については、大半の部分は信用しておりません。ただ、本当の家系の糸口が隠されているようには感じますので現在調査している最中です。
ただし、国津神であるか天津神であるのかについては私の低いレベルでは分からないのですが。
ちなみに、書店で売られている豪族の系図を集めた本で丹生氏の家系図が書かれていましたが、間違いが多く役に立ちませんでした。どうして間違ったのかは分かる気がしますが。

玄松子 玄松子の記憶 H12.8.19
質問です。
>紀氏から分岐しているとされる丹生氏は国津神です。
『寺院神社大事典』では、丹生氏の祖は、「天魂命で、神魂命の系統を引く」とありますが、国津神なんですか?
それとも、これは後の説なんでしょうか?

みのりー 源風景の森  H12.8.18
ちなみに、参考にならないと思いますが(その内容の真偽が疑わしい部分がある為)、かつらぎ町誌より次の記載がありますので書いてみました。

1)神武天皇の初かた紀和の国境丹生の川上に天降り給いて神勅ありき、天皇託にまかせ神策をめくらし山跡の土蜘蛛をほろほし、国土をひらき皇居を橿原にふとしく建給ふ、此神賽として、東は大和国を限り、西は生石か峰筋、北は日本河、南は海に及ふまての山地を月読の尊に奉れり、よりて天野沢中小嶼平坦の地に鎮座なる、是を丹生津比売与唱る事は直に神体ささす、・・・

2)稚日女尊、丹生津姫尊同体異名也、神武天皇の御宇大和国丹生の川上に化現したまひて、紀伊国伊都郡三谷郷榊山酒殿に降臨したまふ、此所に行宮を造り奉崇敬、崇神天皇の御宇天野に鎮座成し奉り、・・・・、天野惣神主先祖道臣命神勅をうけ奉り、丹生の川上にて祭祀をいたし、・・・

う〜ん。疑わしい。(−−)???

S.Setoh H12.8.18
 記紀に出ていない神々をして、何とか尊そうな由緒付けをしようとする試みの一つに、稚日女尊と丹生都姫を同神とする説があります。神武天皇が丹生川上で立ち往生をしているのを天上から見ていた天照大神が稚日女尊を差し向けて急場を救ったとの物語があります。(出典あるもど忘れ)後に丹生都姫として、紀の国に再降臨すると言うストーリーです。

 紀氏から分岐しているとされる丹生氏は国津神です。従って丹生氏の奉じる丹生都姫は国津神でしょう。稚日女尊は高天原の物語の中に登場しますので天津神に分類できます。同神説はありえないのです。

世の中には同神説で飯を食っている人がいます。稚日女尊、丹生都姫、朱、赤い鳥居、お稲荷さん、豊受大神と連想をたくましくして同一神としてしまう論理です。このようなストーリーは結構面白いのでつい引き込まれてしまいますが、要注意です。現在の売文屋と昔の神官とあまり変わりませんね。経済本位でしょうか。

 更に、みのにーさんに教えてもらったのですが、天野の丹生都比売神社では、丹生都姫を天照大御神の妹神の月読尊であるとして祭られているそうです。稚日女尊を天照大御神の妹として月読尊と等号で結んだのでしょうね。

 丹生氏は丹砂の採取はできたようですが、水銀を作る技術は持ち合わせていなかったとされます。秦氏や息長氏等の新しい渡来系氏族が持ち込んだのではないでしょうか。従って丹生氏は6世紀位までで主な活躍は終わって丹生とのかかわりは丹生都姫を祀る神官と言う事だったんでしょう。
 従って丹生都姫は記紀には出してもらえなかったんではと想像しています。

 秦氏と息長氏、どんな関係があったんでしょうね。秦氏、弓月王、穴師兵主、天日槍、息長、なんかハンドル名を原田一葉にでもしようかなー。

山本祐佳   H12.8.18
 玄松子さん、トンド焼きの説明ありがとうございます。
小正月にしめ縄なんかを焼く風習だったら、海南にもあります。(それはドンド焼きか!?ちょっと違う?)
また鬼遣い、追難(字が違うけど)の儀式にも似ているような気がします。でも川でするとは聞いたことがありません。たいてい神社とかお寺だ。
 なんだか私って質問してばかりなんですが砂鉄を低温で熱すると、サヌカイトができると聞きましたが、サヌカイトを広辞苑で引くと讃岐岩とありました。この讃岐岩、石器の材料になりますでしょうか。(黒曜石は古代珍重されたと聞き及びました。)讃岐の金毘羅さんと何か関係あるのでしょうか。なんかとりとめなくて、ごめんなさい。
 蛇足ですが漫画「陰陽師」面白うございます。4巻に丹生都比売神社登場ということでこれから楽しみにしています。

玄松子 玄松子の記憶 H12.8.18
「トンド焼き」は別名「左義長」と呼ばれ、止牟止や唐土の字を用います。もとは清涼殿で行われた神事で、青竹などのはぜる音に乗せて、鬼面を付けた翁などを追う行事ですから、節分に近い性格ではないかと思います。
「音」による祓いと「火祭り」の要素が含まれますが、いづれにしろ中国的で陰陽(道教)儀式ではないでしょうか。

山本祐佳   H12.8.16
Setohさん、福島雅彦さん
 どうもご教授ありがとうございます。いや、もう、目から鱗がぼろぼろ落ちる思いです。
 私は生まれも育ちも紀北の貴志川筋の人間ですが、不勉強ゆえかトンド焼きの風習は初耳です。
 丹生神社って全国ネットだったんですねぇ。金と水銀を探すお手伝いをしてくれる神様だとは聞いてたのですが。
 神様と神社に興味を持ってから3ヶ月ぐらいなのですがこれからもよろしくお願いします。

S.Setoh H12.8.16
koikoiさん
ご指摘ありがとうございます。真弓常忠宮司は八坂神社でした。

福島雅彦 福島さんのHP H12.8.16
山本祐佳さん、S.sethoさん。
  古代製鐵について
 和歌山地方には、トンド焼きの民俗伝承はありますか。中央構造線の西の端の筑後川沿いには有ります。私はこの大火を燃やすのは、古代製鐵の名残ではないかと疑っています。「水酸化鉄や砂鉄を酸化還元すると鉄が出来る」と言う知識が先行して存在する筈が無いので、偶然、鉄を手に入れた事を再現していると。河原の中洲には砂鉄が堆積します。台風や洪水で風倒木が大量に中洲に打ち上がる。放置すれば次の台風シーズンに水害の元に成る。古代人はチェンソーや油圧のカッター(蟹の挟み様の機械)が無いので、冬の渇水期に着火して除去する。
 トンド焼きの残り灰を持ち帰ると『幸』が得られる、との伝承は、其の中に、鉄に成る物が有ったかと。私は、古代製鐵実験をしました。分かった事は、比較的簡単な装置の(火鉢の兄貴位の)低温(鉄の溶融温度以下)でも、砂鉄が熔けて、鉱滓状の塊が得られます。此れは、人工黒曜石、サヌカイトとして、割って鋭利な部分を使えます。其の欠片(かけら)を再加熱して人工黒曜石を繰り返し造る段階で、割れない物が出来た。熱い内に叩くと変形する性質が有る、鉄の誕生ではないかと。鏃一つが造れる程度の製鐵遺構は近代蹈鞴製鐵の様には残らなかった。
 鉄を制する者は、国を制したと思われます。素盞嗚尊は後漢書に『倭國王帥升(スェ・サン)』として登場していると。素盞=帥升=“쇠상”(soe-sang)=製鐵王であろうと。陶器(すえき)とは、鉄の様に固い器の意味からも、「スェ」が鉄の意なのは明らかです。
 製鐵神が天照大神の農耕神と、環境問題で衝突したのが、製鐵が嫌う水分除去の為の畦切りにより、素盞嗚尊が出雲へ追放に成る神話です。製鐵の国家統制の一元化です。
 神無月に全国の神々が出雲へ集うのは、製鐵製品の分配会議でしょう。従って、地方には、余り製鐵遺構は出土しないのではないかと、思われます。

koikoi H12.8.16
いつも掲示板読まさせてもらってます。
ちょっとだけ 突然に横槍でスミマセン。
>平安神宮の宮司をつとめておられる真弓常忠さんの
この方は八坂神社の宮司ですよ。

S.Setoh H12.8.15
中央構造線沿いに流れる紀の川沿いや高野山を水源とする有田川沿いに人々が暮らしていて、鉄についての伝承にはあまりお目にかかりません。金糞と言うんですか、タタラ製鉄の残滓みたいなものも発見されたと言う話も寡聞もあるんですが、承知していません。皆さんはいかがでしょうか。
いま、平安神宮の宮司をつとめておられる真弓常忠さんの著書に「古代の鉄と神々」と言うのがあります。この中に褐鉄鉱を取り上げ、これは鈴の形をした水酸化鉄で沼沢の葦や薦の根元で成長するとされています。これは弥生土器を焼く程度の温度で熱し、打ったりたたいたりして鉄製品に出来るとされています。紀ノ川下流域で名草山周辺の「阿備の七原」がそのような沼沢と植物が茂っていたと言われています。
また、氏は丹生の土壌は水銀を含む辰砂だけではなくその他の金属分を多く含んでいるとも指摘しています。

 律令時代の紀伊国の調庸の物品名の中に「銀」があり、安諦、飯高、牟婁の名が出ています。
 また、那智の滝の後背地の山には銅を掘った穴が縦横無尽にあり、あの熊野詣では皇室が金属を持って帰る為のものとの怪説がありました。(ここは眉唾ですよ!)

さて、金屋子神ですが、金山彦神とも言われます。この神を祀る神社(配祀、合祀、摂社を含む)は県下で42座見いだせますが、有田郡金屋町には見あたりません。祭神は時代とともに変遷して行きますので、これだけでは何とも言いようがありません。

山本祐佳   H12.8.14
 瀬藤さま、皆様こんにちは。掲示板よませていただいております。(内容が詳しいのでいつも驚嘆しております。)
 ところで和歌山の歴史を勉強中の私にご教授お願いしたいのですが、和歌山に製鉄民が古代存在したのかどうか調べています。有田郡金屋町の名は金屋子神に由来するのでしょうか?丹生神社には有田川沿いに出会ったのですが…
 ご存知の方がいらっしゃれば教えてください。

てっちゃん   H12.8.12
お久しぶりです。
15日から19日まで青森近辺を旅行してきます。
下北半島〜津軽半島〜白神山地〜弘前〜大湯〜盛岡とレンタカーで回るつもりです。
なんか収穫があればカキコさせていただきます。

S.Setoh H12.8.11
 高校野球のシーズンですね。
 かっては箕島高校も常連でした。この箕島村では農閑期に船で他地方に行って行商をする「作間稼ぎ」が行われ、海南の黒江産の漆器を九州で販売し、伊万里陶器を仕入れて、江戸でも販売するようになったそうです。
 紀の国の人々も商人精神が旺盛だったようですね。何か外へ出ていかないと食えなかったんでしょうか。
 網野さんは「海民」と言う言葉で中世の商人にスポットを当てておられます。もっと昔では、縄文遺跡の三内丸山には「宝石商人」がいたのでは、と推測する向きもあるようですね。
 伊万里陶器は有田焼ですね。箕島も有田ですね。偶然なんでしょうか?

S.Setoh H12.8.9
 「ろくすっぽ見ない」訳ではありましぇーんが、節穴でんね。そこは読んだ記憶はありますが、「下へも置かぬもてなし」と言う事のルーツかな程度の印象でやんして、到底氏神様にまで思い到らなんだんよ。言語にドカンでんね。
 神様にも不確定性原理が働いているんとちゃうやろか。日常語では正体不明、それ故神様をやってまんねんと。
 沖縄の「ウタキ」は御嶽(ミタケ、オンタケ)と考えれば、タケも一つのくくり候補。素盞嗚尊が行っちゃったクマナリノタケ、ニニギが天降ったクジフルタケと「タケ」ちゃんは、高天原の真下で、根の国の入り口やいしょ。
 託宣をして見たり、出立してみたり、うろうろしている感じがしま。わても氏子やねん。

焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.8.9
 よろこべ おれもよろこぶぞォ〜〜 伊太祁曾へ一歩前進
 サラセッセが送ってくれた本(『神と仏』)な、アレ、自分ではろくすっぽ見ないのにオレに送ったらしいナ。その156ページに曰く。「高知県須崎市の鳴無神社の祭礼にはイタジョウ(女子)とギョウジ(男子)の役が出され……、神事の期間は肩ぐるま・だっこして子供を地上におろさない……」と。
 このイタジョウの一語でいろんなことが判る。すなわち、これオチョメチョ・クマル、クマリじゃんか。「イタゴ(降霊をする)」はいちおうフィリピン系だが、末尾の「ソ」はフィリピン一偏倒を許さぬみたい。これまでどこで切って讀めばいいかも解らなかったイタキソが「イタ・キ・ソ」であることも出た。紀のくにといえど、複合文化の重層からできていることも出た。
 自分ではろくすっぽ讀んでないのに貸し出してしまう……そのオトコきっぷのたまものならんしょ。あんまりウレシぃのでおエメでなく、みんなにもお裾わけ……ざぁんす。
※ 鳴無は「オトナシ」と発音する。勝浦にもあったよなぁ。これ、あまりにもアイヌ語的 でキモチわるかったが、これで「漢字と音」をひねりもじってできた地名じゃと思えるよ うになった……も収穫のひとつならめんしょ。(nar はいちおう海流)。アマカネ         

S.Setoh H12.8.8
 企画倒れのお詫び <(_ _)>
 掲示板とメーリングリストの合体と言う我ながら良いアイデアと思い立って、皆さんにお計りいたしました。おかげさまで玄松子様はじめ少数のお方から好意的なお返事を頂く事が出来ました。ご協力ありがとうございました。
 基本に立ち戻りますと、掲示板なら一覧性がありますが、メールはいちいち消さねばならず、それぞれ別の役割を果たしているようです。
 御協力を申し頂いた方もおられて申し訳ありませんが、断念させていただきます。これに懲りずに、神奈備掲示板、今後ともよろしくお願いいたします。 m(_ _)m

玄松子 玄松子の記憶 H12.8.7
>過ぎたるは及ばざるごとし、自分に言い聞かせてます。
10万社あるらしいので、過ぎても尽きることはないと思います。旧官幣社や別格官幣社などは、交通の便も良いし、休む所もあって、蛇も出ないと思いますよ。
>倭姫宮が静かで私は大好きです。
ということなので、アップしておきました。
>無料メーリングリストのサービスを利用しようと思っています 入れといてください。

S.Setoh H12.8.7
 この掲示板に新たに記入されますと、owner宛にその内容のメールが自動的に届きます。ownerはいちいち見に行く必要がないと言う特権があります。従って今の掲示板が好きなのです。
 自分の首を絞める事になると言うべきでしょうか、皆さんの便宜の為に、そのメールが届いたら(私がメールソフトを開いた時)、皆さんにお届けしようと思いますが、いかがでしょうか。ご意見下さい。
 押しつけがましくお感じになった方はご容赦下さい。
 この仕組みには無料メーリングリストのサービスを利用しようと思っています。

A.I.  H12.8.7
ぶんぶんさん、皆さんいろいろと教えて下さってありがとうございます。8月は神社巡りの旅はお休みするつもりですが、放浪癖が身についてしまったのか、どこかへ行きたくてムズムズしています。神社関連の本を読んだり地図を眺めたりしていると、ここも行きたいあそこにも行きたいと、たまらない気持ちになってきます。もう中毒症状です。過ぎたるは及ばざるごとし、自分に言い聞かせてます。
玄松子さん 「伊勢の神宮百二十五社めぐり巡拝地図」は入手しましょう。でも、玄松子さんのHPを拝見していれば必要ないような気がしますけどね。

伊勢の神宮会館は平成5年のご遷宮以来、3回ほど泊まっています。神宮会館は内宮のすぐそばなので、朝参りができます。これが何とも気持ちの良いものです。伊勢神宮はいつでも参拝の方が多くて、テンテル様(私はひそかにこう呼んでます)を一人占めにすることができませんもの。バカか・・・
早朝に一人で歩いて行くと、内宮の神楽殿の辺りや荒祭宮なんかそれはいいですよ。これから伊勢に行く方には朝参りをお勧めします。それから古社ではないけれど、倭姫宮が静かで私は大好きです。神社巡りなんてこと思い付いたのは倭姫宮の前でボーっとしていた時でした。
神宮会館で伊勢神宮の資料は何かないかと聞いたけど、その時は「百二十五社めぐり」の小冊子のこと教えてくれなかったなァ。まッいいか。

S.Setoh H12.8.7
 玄松子さんのサイトに掲載の文献集には驚嘆しています。さらに強力な武器を手元に置くことになりましたね。強いて言えば神社庁発行の平成祭礼データCDが便利ですね。necのms-dos上でしか動かない骨董ソフトである事が難点ですが・・。
 私もかって大阪の古本屋で¥25,000円で入手いたしました。今欲しいのは、各県別の神社誌です。この前に東京神田で佐賀県なんかを見つけましたが、¥30,000円程度でした。立ち読みをしてメモりました。福岡では図書館で、飛行機ぎりぎりまで粘りました。
 前にも書いたかとは思いますが、この13日(sun)の前後に下鴨神社で、大規模な古書市が開かれます。宅急便サービスもあります。行かれる方は水筒と扇子をお忘れなく。ここでは蛇はでないと思います。

玄松子 玄松子の記憶 H12.8.7
かねてより、探しまくっていた「全国神社名鑑」が、やっと手に入った。喜びの極み。
その他に、推薦できる神社資料などありましたら、みなさん、教えてください。

とが HP H12.8.6
はじめまして。京都のとがと申します。
京都貴船の関連するホームページをしらべていたら、ここただりついてしまいました。
ちなにみ、僕は、京都の左京区の文化や歴史、自然などをアヒ゜ールするHPをやっています。
神道について感心をおもちのようですので、左京区の吉田山にある吉田神社についてしらべると面白いと思います。かつて、神道をこの神社に統合しようとしたことがあったそうです。
 僕のホームページもよろしく!!! http://ha1.seikyou.ne.jp/home/Yutaka.Togashi/

えかわしんじ  HP H12.8.5
管理人さん、こんばんは。ひさびさに拝見させていただきました。大幅なリニューアルをされたのですね。
私自身、神道のことはよくわからないので大変参考になります。これからも楽しい(という表現が適切かどうかは別として)話題を期待しています!
わかやま花と緑の散歩道  http://homepage2.nifty.com/kisyuu/hana.html

S.Setoh H12.8.5
>ぶんぶんです。厳子姫ですね。
ぶんぶんさん、助けていただき、ありがとうございました。A.I.さん、平安時代の女性だそうです。
また、埼玉県児玉郡には木・火・土・金・水の五行説によって、木宮神社や金鑚神社が勧請されたという言い伝えもあるようです。

ぶんぶん  ぶんぶんさんのHP  H12.8.4
ぶんぶんです。
厳子姫ですね。この姫は海部の姫です。朝廷に行かされたのです。
従って、天火明命の娘ではありません。平安時代の話ですから。

玄松子 玄松子の記憶 H12.8.4
こんにちは。
>9月末に伊勢に行こうと思っていたけど、延期しようかしら。
伊勢の神宮へ行かれるのなら、「伊勢の神宮百二十五社めぐり巡拝地図」という冊子が非常に参考になります。歩いて巡ることを想定した地図で道順や目印が細かく記されています。玄松子は、神宮会館に電話して郵送していただきました。定価は300円です。車で回ることは考慮していないので、車の場合は、通れない道などもあり、注意が必要です。

みのりー みのりーさんのHP  H12.8.4
ご無沙汰しております。
神様のご加護についてですが、私は神様のご加護というの信じていない、というよりも別の理由で信じないようにしています。というのは、神様に一生懸命お願いして何も叶えられなければ、自分の責任なのに、神様の責任にしてしまいそうだからです。ですから、家族や他人の事はお願いしても自分の事に関しては願い事はしません。
と言っても、実際日々の生活の中で何かに守られているなあって感じる事は多々ありますけど。ご先祖さまに守られているのだろうと思っています。でも、神社に行けば「守って頂きありがとうございます」って手を合わせてますけど。
うちの祖父は神棚に祈ると神様か何かが降りてきたそうです。それで人を救ったこともあるとか。でも私が生まれた時には亡くなっていました。もしかしたら、神様が降りるところを見れば私も神様をもっと信じるんでしょうけど(笑)。親父は見てるから恐かったそうです。祈りを上げると手は上がって、声は低くなるんだそうです。
もしかして、こう書いているって事は神様を信じているのかな?

A.I.  H12.8.4
Setohさん 7月の掲示板でmanaさんのおっしゃっている籠神社の子神、真奈井御前・厳子姫のことを少し教えてください。籠神社のご祭神は天火明命ですよね。娘さんがいるの? イスケヨリヒメ? 古代日本正史には影響されてはいないつもりだけど・・・
自分が女だからではないけれど、神話の中の女性たちや女神に興味をそそられます。
何気なく買った本 吉野裕子著・隠された神々 を読んでいますが、陰陽五行説なんていうのは難しくて私の手には負えません。ただ「太一」という文字の意味にひっかかってます。伊勢の伊雑宮のお田植の時のうちわみたいな飾り、伊太祁曾神社のお祭りの時にも「太一」の文字が出るのでしょ? よくわからなーい。難しいこと考えると頭が痛くなるからやめておこうかな。
玄松子さんのレポート見せていただいています。9月末に伊勢に行こうと思っていたけど、延期しようかしら。伊勢神宮の別宮はすべてと他に何社か玄松子さんのレポートを参考に予定を立てようと思っていましたが、ヘビに蜂ですか。十種瑞宝やオオナムチ命の災難なんか連想しちゃいますね。伊勢は12月にしましょうかね。寒いのもつらいけどヘビは困るわ。

 山浜 H12.8.3
A.I.さん、こんにちは。
>神様たちから守っていただいていると感じる事って多々ありますよ。
そうですね。私は神社巡りを始めて間もないのですが、今回それを実感したような気がします。道中でのつらいことや、楽しいことやすばらしい出来事は神様が与えたことと思うようにしております。うまくいかなかったから神様にどうこうもの申すのは恥ずかしいことでしょうから。前向きな姿勢こそ神様が望んでいることかな と今回の旅行を終えて強く感じました。今後ともどうぞよろしくお願いします。

玄松子 玄松子の記憶 H12.8.3
>割と大きな神社にしか行かないからかもしれません。
伊勢神宮の別宮「滝原宮」は結構大きいですが、大きな蛇がいました。
「蛇がいる」ということは、自然が残っているということなんでしょう。

A.I.  H12.8.3
Setohさんのおっしゃる通り日本の神様とヘビ、神社とヘビは様々な伝承がありますね。でも、やっぱり恐いわ。
玄松子さんは11月にヘビに出会ったのですか。10月末になれば、一安心と思ってました。皆さんあちこちの神社でヘビに出会っていますか?
よく考えたら私は丹後の籠神社の裏手で割り箸くらいの小さなヘビを見掛けただけです。私が異常な位怖がるので、神様がヘビを見せないようにして下さっているのかな? 玄松子さんと違って、私は割と大きな神社にしか行かないからかもしれません。
山浜さん。神社巡りをしていると、神様たちから守っていただいていると感じる事って多々ありますよ。神社巡りを始めて約3年、神様のお恵みというかご加護というか嬉しいこと、楽しいこと。困った時に思わぬ形で誰かに助けられたりお天気に恵まれたりと書ききれないほどあります。
お金も時間もかかるけど、これも不思議なくらい何とかなるのよ。信仰心はないのですが、神社で手を合わせていると心が無になって清々しい気持ちになれます。言葉では表せないけど、気が遠くなりそうな幸福感に包まれることすら何度か経験しました。こういう事ってご神徳に触れるということなのでしょうか。ちなみに私はオカルト体質ではありません。

 S.Setoh H12.8.2
 ”蛇”独特な雰囲気がありますね。あちらでは、アダムとイブの時代から悪役ですね。
 日本では大和の大神神社の神様も蛇の形で現れています。玄松子さんが言われておられる様に出雲の大穴持命はおおいに蛇と関係があるとされています。出雲大社の神体山には西を向いた洞窟があり、その中は蛇がうようよだそうですね。その洞窟こそ本来大穴持命が祀られていた聖地との説がありますね。
 蛇に咬まれると恍惚となってやがては死ぬ。蛇は聖なる生き物でもあったようです。縄文は蛇の印しでは、注連縄も蛇、わー、神社は蛇だらけ。
 丹生都比賣神社は実に美しい神社です。天野大社とも言われ、標高500mの天野の盆地に位置しています。神職は不在が多いようですが、事前に葉書でも出しておくとおってくれます。実に交通は不便です。バスはありません。徒歩ですと上古沢駅から回り込むか、町石道を辿るかですが、これは一日仕事になります。車ですと途中の丹生酒殿神社なども立ち寄れます。
 私が参詣した時には”蛇”ではなく”蝶々”が私の回りをずーと付いてきてくれました。

玄松子 玄松子の記憶 H12.8.2
A.I.さん、こんにちは。
蛇が怖いということですが、それは大変ですね。
昨年11月末に、出雲をうろついていましたが、多くの神社境内で蛇に出会いました。「さすがは大穴持の国、出雲!」と感心してしまいました。

 山浜   H12.8.1
いつも自分勝手な報告ですみません。(^^;
用事で岐阜に行くことがありましたので、ついで先週行けなかった水無神社に行って来ました。
気温が高かったのですが、境内は良い風が吹いていてとてもさわやかでしたね。神社に到着したのが11時頃でしたが、神社に向かって歩いていくと太陽が神社の真上にあり、とてもすがすがしく思いました。ここは位山を神奈備とする神社とするそうですが、残念ながら時間の関係で位山は拝めず帰ってきました。そのまま、名古屋に向かう途中、尾張一宮真清田神社によってきました。さすがに尾張徳川家の庇護を受けただけあって立派な社殿でした。帰りに熱田神宮まで寄ろうと思いましたが、名古屋駅で何故か乗り場を見失ってしまい、時間切れとなってしまいました。これは「まだ来るべきではない」という御神託かな?と勝手に納得して帰ってきました。
私自身まだ心がけが悪く、何かしらの御神徳を心のどこかで期待していたりしているようですけど、こうして無事にあちこち回ることができることこそ、御利益なのかなと思ったりしてます。
それにもまして、バスの中の運転手さんやお店のおばちゃんと話したりしているとお国柄が感じられておもしろかったです。お金はかかるけどちょっとやめられませんね。
帰りの新幹線で「森首相、鶴来町の激励会キャンセル」というニュースが流れていましたが、「加賀一宮の鶴来町をキャンセルして大丈夫なのかな?」と思ったりしました。
今年の秋には、是非、丹生都比賣神社行きたいと思っております。

A.I.  H12.8.1
こんにちは 暑いですね。みなさん暑さにもかかわらず、精力的にお宮巡りをしていらっしゃるみたいですね。
Setohさん、パソコン・ダメおばさんをいつも励ましてくださってありがとうございます。伊太祁曾神社の茅の輪ってどんなのかしら。茅の輪を作ってくぐらせてくれる神社はスサノオさんに関わる神社だけだと思っていたのですが、6月に行った常陸・鹿島神宮でも下総・香取神宮にも作ってあって、???と思いながらくぐって来ました。鹿島神宮も香取神宮もスサノオさんとは関係ないのではなかったかしら。茅の輪は、その時期に行かないと遭遇しませんものね。
玄松子さん。伊勢の旅たいへんだったようですね。お体の具合いかがですか。伊勢のレポートを楽しみにしています。元気を出してレポートしてください。玄松子さんのHPの表紙の恐いこと。夜はアクセスできません。
夏の神社巡りは本当にたいへんです。何よりヘビが恐い。ヘビ大嫌いなの。いるのではないかと思っただけで足がすくみます。去年10月の初め、丹後の籠神社へ行った時、真名井神社へ行こうとして、道を間違えてジメジメした山の中に入り込んでしまいました。立ち止まって途方にくれていた時、まわりの草むらからゴソッガサッとヘビの気配、ゾーッとした足元に割り箸くらいのヘビが横切った。日頃走らない私が全速力で逃げましたよ。
神社にはヘビやトカゲは、もう付き物と言ってもよいのでしょうね。お宮に行きたし、されどヘビは恐し。どうしましょう。とりあえず、8月はお宮参りはお休みします。

さくらいたけし  HP H12.8.1
こんにちは はじめまして
■ 延喜式内社について調べておりました。手元に事典がなくて、えい、ままよ、とインターネットで検索してみたら、貴HPに出会いました。
全国の式内社の一覧…しかもそれぞれに現在の様子がわかるリンクがあって…おどろきました!。
参考になり助かりました。ありがとうございました。
■ また勉強に来ますので、よろしくお願いします。


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投稿特集 焼尻紋次郎氏の大黒様ものがたり

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