神奈備掲示板の平成12年9月ログ

ログ


更新 H12/9/30


玄松子 玄松子の記憶  H12.9.30
> 玄松子さんのHPにゲストブックが設置されました。
動作テスト中なので、「しばらく内密に」って、ここで書いたら意味ないですが。
単なるゲストブックなので、コラボレーションは、神奈備で。

Setoh H12.9.30
 玄松子さんのHPにゲストブックが設置されました。
 神奈備は「オノゴロ島はどこやろ」を書き込みました。
 皆さんもこのゲストブックで神話や神社の知識を深めましょう。
 http://www.genbu.net/

山浜 H12.9.29
A.Iさん、こんにちは
貫前神社ほんとにきれいでしたね。楼門をくぐってから階段をおりて拝殿に向かうというのは初めてみました。
松尾大社で月読尊の神像を見られたのですか?まだ見ていないので今後京都に行ったとき是非見てきたいです。
貫前神社にも境内に月読尊をお祀りしておりましたね。 日本書紀でも、はてまた山岸涼子や荻野真の漫画でもありいいイメージで書かれていないのですが、そうおっしゃっていただけると自分のことのようにうれしいですね(自分はどうしようもないのですけど、爆)。

9月30日から出かけますが、時間があれば岐阜の大神神社に寄りたいところです。10月1日の伊太祁曽神社楽しみです。境内で瀬藤さんに会えたりして(笑)
> 9月30日から出かけますが、時間があれば岐阜の大神神社に寄りたいところです。
大神神社は愛知県一宮市でした。岐阜に行く予定だったものですみません。


Setoh H12.9.29
崇神天皇の時代に、豊鋤入姫が天照大神の御霊を奉じて名草浜宮に遷幸した時、(日前国懸)両神も琴浦から名草浜宮に遷り、垂仁天皇の時代に現在地に遷った。」とあります。 豊鋤入姫の物語は『倭姫命世記』が出典ですから、平安末期から鎌倉初期に形成された伝承です。
『倭姫命世記』によりますと木乃国奈久佐浜宮とあり、これは浜宮神社を指すのでしょう。
次ぎに吉備国名方浜宮とでるのですが、これをも有田郡吉備町の事とする説が和歌山にはあります。

玄松子 玄松子の記憶  H12.9.29
倭姫。
スセリさんが一時期、凝っていたような。
http://www1.kcn.ne.jp/~suseri/gojyunkou.html

A.I. 来年の課題へ H12.9.29
鬼が笑うかもしれないけど、私の来年の課題は「倭姫さまの足跡をたどる」ことにしようと思っています。本当はね、私の神社巡りは倭姫さまのご巡行の跡をたどることが最初の目標だったんです。元伊勢といわれる神社を調べているうちに“神社というのは深いぞ” と気がついた訳。いい年をして何も知らなかったのね。神社ってどこにでもあるし、あまりに身近なので、かえって知らないってことではないかしら。私なんて日本中の全ての神社には天照大神がおまつりされているんだと漠然と思っていた位なんですもの。ひどいもんだ! そこで興味がそれたわけ。神社を知る事で日本人としてのアイデンティティーが見えるかもしれないと・・・そして放浪がはじまりました。でも、あまりにも遠大な目標なので、まず二十二社巡りを目指した訳です。ところがところが、これが面白くてね。どんどん興味が広がっていったの。もう何だか自分でも分からなくなって目標も節操もなくあちこちウロついていましたが、ここでちょっと冷静になって初心に立ち帰ろうと反省しています。二十二社巡りを完結させ、倭姫さまの足跡をたどろうと思います。
図書館で「倭姫命世記」をさがしてみますが、なかなか暇がなくて、図書館で本を探すのはあまり好きじゃないの。ということで教えてください。横着ですみません。来月奈良に行くので、阿紀神社と篠幡神社に行ってみますが、他にはどうしましょうか。順序通り辿るのは無理ですから、ぼちぼちと来年1年かけようと思います。倭姫さまゆかりの神社についていろいろお教えください。丹後の籠神社、丹波大江山の皇太神社には行きました。
Setohさん、紀州はトヨスキイリヒメ関連だけでしょうか?

玄松子 玄松子の記憶 re:京都へ H12.9.29
> 丹生川上社へお参りすれば、初期の目的だった二十二社巡りが完結します。
この書き込みを見て、慌てて、二十二社一覧をアップしました。
見落としていました。ありがとうございます。でも、行ってない神社があるので、再度、慌てました。
> 玄松子さんのHPにある今宮神社のあぶり餅を食べたかったんですけどねえ。
「あぶり餅」そのものは、それほどおいしいものではありませんが、木枯らしの季節に、参拝し、その冷えた体には、お茶と一緒に縁台で食べると、絶品だと感じます。暑い季節には、向きません。

A.I. 京都へ H12.9.28
A.I.です。こんにちは。お彼岸も過ぎたというのにいつまでも暑いですね。皆さんお元気でご活躍のご様子何よりです。ヤボ用で京都に行っていましたが、暑くて疲れました。京都の主な神社はとりあえず廻ったのでもういいかと思っていたのですが、その後多少勉強したり、Setohさんはじめ皆さんのレポートを拝見して、そんなものではないことがよく分かり、あそこも行ってない、ここも知らないと焦るばかり。
用事の合間に平安神宮に寄ってみました。平安神宮には観光客が誰もいなくて(そんなこともあるのね)あの広い境内にたった一人で立っているのはちょっと不思議な気分でした。せっかくの京都なので1日だけ自由時間を取って、京都の神社巡りの補足として、足の向くまま気の向くまま下鴨神社へ(糺の森が好き)。御井神社と河合神社にお参り。それから、太秦の木島神社へ行き、三柱鳥居を拝見しました。誰もいなかったので、垣根の側の石によじ登って写真を撮っちゃいました。あの三角の鳥居は空想をかきたてますね。
このあたりから暑さにメゲて大酒神社・車折神社はパスして嵐山へ。観光客が行き交う渡月橋を渡って櫟谷宗像神社にお参りし、松尾大社に行きました。松尾大社は前に行った時、夕方になってしまい「行っただけ」だったので、改めてゆっくりと思ったのですが、修理中で社殿にカバーが掛けられていてがっかりでした。その代わりお庭と宝物殿をじっくり拝見しました。宝物殿では有名な大山咋神・市杵島姫・月読神の三体のご神像を拝見できました。説明の方がさかんに市杵島姫の像の素晴らしさを力説されていましたが、私は月読神の像に惹かれました。ハンサムでいい男ですよ。失礼!
松尾大社の南500mほどの月読神社にお参りして、ここで時間も体力も気力も尽きました。玄松子さんのHPにある今宮神社のあぶり餅を食べたかったんですけどねえ。
10月には奈良・吉野方面に行く予定です。丹生川上社へお参りすれば、初期の目的だった二十二社巡りが完結します。12月には伊勢に行って初心に戻ってみましょう。
山浜さん。私も氷川女体神社・氷川神社・貫前神社の順に行きました。その上秩父神社にも行って、節操がなかった? コースとしてはそうなるのね。貫前神社って美しいお社ですね。まったく、神社巡りなんてしていると七回生まれ代わっても終わらないわよね。

Setoh H12.9.28
『倭姫命世記』は、岩波書店の日本思想大系『中世神道論』に収められています。
注が付されており、一般の方にとってわかりやすいテキストです。より正確を期すならば、『神道大系 論説編 伊勢神道(上)』所収のテキストによるべきでしょう。
影印本は、神宮古典籍影印叢刊『神道五部書』があります。

ぶんぶん H12.9.27
おひさです。
斎宮の倭姫が詠んだ詩などは、一般的に知られている所でしょうか?
無知ですみません。

D H12.9.27
>雅楽で活躍している方に問い合わせ中です。
ありがとうございます。
和歌山も由緒ある神社が多いのに、雅楽をやっているって言う話を聞いたことがないので、ちょっと不安でした…
そういそぎませんので、ゆっくり旅を楽しんでもらってください。

玄松子 玄松子の記憶 H12.9.26
> 神社も古道も逃げませんもんね。ボチボチでんな
灰に埋まる場合はありますよね。
「離島式内社巡り」。関東を先に行っとくべきでした。

Setoh H12.9.26
>和歌山市内で雅楽をやっている団体、神社を知ってる方居ませんか?
雅楽で活躍している方に問い合わせ中です。旅行中のようです。暫くお待ち下さい。

>熊野古道、九十九王子社
熊野体験博が始まって遠慮しており、そのままずるずるです。
季節が良くなってきましたから再開したいのですが、他にもやりたい事が多く・・
神社も古道も逃げませんもんね。ボチボチでんな


Setoh H12.9.25
必須ありがとうございます。

山浜 H12.9.25
いろいろ教えていただきありがとうございます
>  ■喜寿を迎えた奥鈴雄宮司 最大の見所か?
これは最高ですね。いまから楽しみです。
伊太祁曽神社についてはじっくり見てきたいと思っております。

玄松子 玄松子の記憶 H12.9.25
> 掲示板、書き込み必須とそうでない区分があってもいいですね。
こんなもので、どうでしょうか?
わかりにくいですか?

Setoh H12.9.25
 一日は月並祭と日曜日が重なっており、伊太祁曽神社へ参詣し、いささか酒がまわっているであろう宮司さんをつかまえるのは午後がよろしいようです。電話確認済みです。

伊太祁曽神社の見所
■たたずまい 社殿の木材、ぼちぼち寿命の檜皮葺の屋根 
■喜寿を迎えた奥鈴雄宮司 最大の見所か?
■切り通しの土 大木は倒れて化石的土になった雰囲気なるも丹沙を含むとの事
■鬱蒼とした社叢と奥の三井神社 この水を呑めば風邪をひかないそうですよ。
 ■亥の杜 東へ500m 一の鳥居から東へ200mを南へ行くと見えてきます。西側からアプローチの事。禰宜さんが案内するでしょう。

掲示板、書き込み必須とそうでない区分があってもいいですね。

日前国懸神宮の見所
■離れて並び立つ同じ形の大きい壮麗な社殿
■社殿間、社殿背後の社叢
■時間があれば紀氏の古墳群と言われる紀伊風土記の丘(日前宮の前からバスあり。一時間に一本程度?)


玄松子 玄松子の記憶 H12.9.25
> ご無沙汰しております。掲示板、昔の色合いでいいですね!
最近、背景以外に、画像やアイコンを使用していない掲示板って珍しいです。
シンプルでなかなかよろしいデザインだと思います。
ところで、瀬藤さん、「熊野古道、九十九王子社」踏破は?

山浜 H12.9.24
ご無沙汰しております。掲示板、昔の色合いでいいですね!
23日に浦和の氷川女体社、大宮の氷川神社、富岡の貫前神社に行って来ました。(あまり節操のない辿りかたです、爆)。
氷川女体神社、氷川神社はどちらも埼玉の一宮ですが、女体神社の方はほんとひっそりして、御朱印を押してくださった女性はすらっとした方で、一瞬奇稲田姫が出てきたのかと思いました。氷川神社で神職の方にこの話をしたら笑っておられました。なんでも、氷川と氷川女体神社は真ん中にある中山神社をはさんで一直線上にあるとか?松本清張さんもこのことに興味を持っておられたとのこと。いろいろなこと?があってほんとに神社巡りはやめられませんね。

今のところ、10月1日に日前・国懸神宮と伊太祁曽神社に行く予定です。(ほんとは例祭の時に行きたいところですが)。よろしければ、見所などご教授ください。よろしくお願いします。


kayo kayoさんのHP H12.9.24
名古屋在住で、塾経営の傍ら、古代史の研究をなさっておられる、東山氏の新刊が出ました。地元尾張氏の新しい解釈や 草薙剣・熱田神宮、尾張大隅にも触れています。一般書店では手に入りにくい。
簡単な紹介は↓
http://village.infoweb.ne.jp/~fwif4861/sinnkann.htm
力作なので 是非お読み下さい。(私は何ももらってないよお〜)

D H12.9.24
皆さんはじめまして。
いろんなサイトをうろうろしてたどり着いた者です。
和歌山市内で雅楽をやっている団体、神社を知ってる方居ませんか?
希望としては、西浜地区-和歌浦地区辺りなんですけれど。 大浦から自転車で行ける距離ならうれしいです。 何か情報あれば、教えてください。

玄松子 玄松子の記憶 H12.9.23
>  ところで今日、県立図書館にて「大和紀伊の寺院神社大辞典」借りてまいりました。

これ、非常にコストパフォーマンスの良い本だと思います。お徳用ですね。
「京都・山城」「近江・若狭・越前」もありますよ。


Setoh H12.9.23
 新しい掲示板は「書き込みがありますと加入者の方にその内容を自動的にメールを差し上げる機能があります。ご希望の方は
owner-genkam@freeml.com 宛に、「加入」と書いたメールを下さい。脱出は「脱出」と書いたメールを下さい。

Setoh H12.9.23
 紀伊の国の一宮の日前国懸神宮は祭神や御神体が不明の謎の多い神社です。
天照大神を天石戸から出す時に作ったと言う鏡の試作品とか、日矛鏡を祭るとか、諸説が多くあります。中には、鏡が三つあって伊勢と日前と穴師に祭られているとか、時代が下がると話が大きくなっていきます。
 名草溝口神との表現があります。最澄の作と伝わる文書です。この近くに宮井用水が引かれており、名草平野の灌漑に役だったそうで、元々はこの水分神ではとの見方があります。国家神になるにはちょっと地味ですが・・。

Setoh H12.9.23
> 平家物語巻十に、紀州に落ち延びた平維盛は熊野街道を南進
> する途中「山東の王子」に参拝したという記述があります。
紀伊続風土記の時代と平家物語が出来た時代との山東の範囲は同じかどうか承知していませんが、山東荘には熊野王子社は二座見られます。
伊太祁曽神社の直ぐ北に平尾王子(これは早い目に退転したそうですが)と
伊太祁曽神社に合祀されたと言われる奈久智王子が須佐明神の南側にあります。口須佐村です。

 伊太祁曽神社を山東の王子と表現したのは知りませんでしたが、熊野の祭神がその頃には素盞嗚尊とされていたのなら山東の王子と呼ぶ事があったとしても不思議ではありませんね。
 所で、和歌山県の吉備町に藤並神社がありますが、摂社に山東神社があります。祭神は不明なのですが、ひょっとしたら伊太祁曽さんかも?


山本 祐佳 H12.9.22
和歌山にて製鉄が行われていたかどうかという私の質問に、いろいろなヒントをお与えくださいまして、瀬藤さま、福島さま、玄松子さま 有難うございました。
産鉄は行われなかったと推測できますが、鍛冶、鋳物ぐらいはしていたんじゃないかなと愚考しています。
ところで今日、県立図書館にて「大和紀伊の寺院神社大辞典」借りてまいりました。
(地図付き。)これで高橋神社を岩橋神社と勘違いするよーなへまはせずにすみそうです。
(紀伊風土記の丘へも一人でいけない、地理音痴です。これは致命的かも?)

S.Setoh 秋祭 H12.9.20
秋は祭の季節ですね。紀北の古い建物が保存されていると思われる神社と祭礼日を調べてみました。
力侍神社 10月10日 桃山時代
且来八幡神社  10月14日 数世紀経
野上八幡神社 10月15日 天文十年以降
三船神社 10月16日 桃山時代
丹生都比売神社 10月16日 桃山時代
八幡神社(那賀郡粉川町鞆淵) 10月15日 寛政三年
白岩丹生神社 10月15日 桃山彫刻

貴志川線三社
日前宮 9/26
竃山神社 10/13
伊太祁曽神社 10/15 御輿が出る年です。


玄松子 玄松子の記憶 H12.9.18
> この大野手比売神ももう一つ由来の解らない神様です。
古事記の国生みで生まれる神、小豆島の別名ですよね。
なぜ、福井に? 不思議だ。

S.Setoh 小豆島 H12.9.18
和歌山市内の道路標識に「小豆島」が突然現れます。これは飛鳥の訛りだそうです。地名が妙に気に掛かっていました。あずきで見ますと
阿豆枳嶋神社あずきしま 「大野手比売神」 香川県小豆郡内海町片城
須波阿須疑神社すはあずき「大野手比売神」 福井県今立郡池田町稲荷
この大野手比売神ももう一つ由来の解らない神様です。訳の分からない書き込みになりました。

玄松子 玄松子の記憶 H12.9.18
> まず「あずきのみこと」には調べた限り該当がありません。
これ、「阿須伎」と「阿須波」考えられませんか?
阿須波は大年の子で屋敷神ですよね。ただし、こちらは土台の方ですが。
両者を混同したものかもしれません。 あくまでも、「かもしれない」程度ですが。

S.Setoh 屋根葺きの神 H12.9.17
屋根葺き職人さんにお話を聞いたところ、屋根葺きの神様がいることがわかりました。
「あずきのみことの神」と言うらしいのですが、この神様について調べたいと思っています。
日本の神様について詳しくのっている本などがあったら教えてほしいです。との質問を受けました。
−−−−−−−−−−−−−−−−
屋根葺(ふき)、屋根、屋根葺工祖神ですが、出雲大社教務本庁、教務部編集の布教師養成テキストには、次のように記載されております。
大国主大神、屋船久久遅神、屋船豊宇気姫神、草野姫神、野槌神、草祖神、八意思兼神,天太玉命,手置帆負命,彦狭知命,天忍雲根命,塩土翁神、此二神、竹祖神、金山毘古神、金神、産土神 以上です。

一方、葺合祭祭神としては、大国主大神、大山祇神、茅野比口羊神 以上 ☆口羊は、口ヘンに羊ですが、字が見つかりません。 漢和辞典にもありませんでした。
屋根関係以外の職業による祖神は、約1、900神その職種数は、約240職種このテキストに出ていますよ!。
まさに八百万の神々が集う世間なんですね!。
−−−−−−−−−−−−−−−−
まず「あずきのみこと」には調べた限り該当がありません。
建築関係の神様は沢山あり、家屋の神として棟上げの時に祭る神に、屋船久久能遅神(やふねくくぬちのかみ)と屋船豊宇気姫神(やふねとようけひめのかみ)の二神、大工の祖先神の 手置帆負神(田おきほおいのかみ)、彦狭知神(ひこさしりのかみ)そして、問題の屋根葺きの神は、天之吹男神(あめのふきおのかみ)とあり、説明に「吹」は「葺」すなわち屋根葺きの神とあります。

参考文献は、二つありました。もちろん他にもあるかもしれませんが。
1、新撰 諸祭神名総覧(復刻版) 発行所 山雅房
2、日本神名辞典   発行所  神社新報社
どちらかと言うと、1番の方が分かりやすいと思います。


S.Setoh H12.9.16
> 足守神社の由来書はみつからず、どうも神主さんのおられない神社みたいです。
大きい看板で広告しているので、どなたかがおられるのでは・・
木枕と言う地名は紋次郎氏が「高麗座」すなわち高麗から来た王か神の坐す所を意味するのではとの指摘をしてくれていました。隣に新羅と関連のある伊太祁曽神社もあり、渡来系産鉄民がいたのかもしれませんね。
アラハバキ神の御神体は石だそうで、足守神社の御神体が何か興味がありますね。一度参詣してみます。

山本 祐佳 足守神社へお参りしてきました。 H12.9.14
大雨から一転して快晴になった13日、和歌山市山東木枕地区の足守神社へ出かけてきました。
県道13号線に立派な看板が立っていた割にはこじんまりした神社でした。入り口が観音寺というお寺になっていました。拝殿(?)にわらじが沢山積まれたり下がっていたりする所をみると
足の悪い方のための神社ということでしょう。由来の説明が欲しいところです。途中が車一台がやっとの路地なので、道を聞いたおじさんの家の庭に車をおかせてもらえたのでよかったです。初めての神社へ出かけるのは楽しいのでこれからも初めての神社、探訪を続けようと思います。

アスベル生きていたか 『ホツマツタヱ』 こんにちは (^-^)\
「アスベル生きていたか」と申します。
瀬藤さんにこの掲示板を紹介されたのでちょっと書き込んでみますね。(板が色々ありますが、ここでいいのかな?)
カンタンな自己紹介しますと、私は下記のサイトを開いている者です。
http://www.hoops.ne.jp/~simasiba/

サイトの内容を簡単に紹介しますと昨年高知県より賞を戴いたゲームソフトの企画をベースにしつつ、真偽不明の古文書である『ホツマツタヱ』に焦点を合わせています。

『ホツマツタヱ』と聞くと「えー、そんなんフィーチャーしてんのー!」 なんて声がどこかから聞こえてきそうですが、まあ、まあ、まあ(^^)
真偽はともかくこの古文書の内容は面白いですよ。
何はさておきロマンです。
で、私のサイトではロマンなコラボレーションを企画しています。
・TOPページから
→READ ME
→COLLABORATION にその具体があります。
題材は古代の人物(神様)。
彼らの誰かに思い入れのある方は、絵・音・文のいずれかのカタチでご参加をお待ちしています。
そうそう、個人的な嗜好から『ホツマツタヱ』 を標榜してますが、伝承の基については特にこだわりないので記紀伝承でも他の古伝でもないしは創作でも構いませんのでおきらくに。
こんなところかな? それでは失礼しまーす(^-^)ヽ


S.Setoh H12.9.13
瀬藤です。掲示板をinfoseekに引っ越して見ました。今までお世話になっていた掲示板が、最近またつながりにくくなったようですから。
また、今までの掲示板のログは、神奈備の掲示板ログでご覧いただけます。
今後ともよろしくお願いいたします。

さとう H12.9.13
山浜さん
いろいろ教えていただいてありがとう!
おかげで無事帰ってきました。
>出羽・月山・湯殿山三神社拝詞を見て見つけたのですが、これネット上でみれるんですか?
http://www.geocities.co.jp/Milkyway/6413/

山本 祐佳 H12.9.13
瀬藤様、皆様こんにちは。昨日の集中豪雨は地域によってはすごい所がありましたね。和歌山は警報がでて小学校は休校でした。さて、足守神社の情報ありがとうございました。それなりの準備をして出かけたいと(笑)思います。
 神奈備サイトとリンクしているHPへ出かけましたが、玄松子様の蔵書の数はすごいですね。あと生田(紋次郎)様の姓の由来のお話は面白かったです。私の父方は明治以前は柳といったそうでちょっと嬉しかったです。
 県立図書館の郷土史コーナーで紀伊国名所図絵巻の3を広げましたが貴志川は昔は岸川といったのですね。地元の歴史に触れると訳も無く嬉しいものです。
 あとかなり前の話題で恐縮なのですが、8月の熊野旅行の写真が出来てきて、社務所の看板にお烏さまの3本足について「熊野三党の宇井、鈴木、榎本をあらわす」と書かれてありました。本宮では、ということなのでしょうか。では失礼しました。

国生  H12.9.13
国生です。
瀬藤さま、ご教示いただきありがとうございます。
 勤めに追われ、まだ図書館で確認できていませんが、生田神社の神職さんに直接たずねたところ、摂津国のニ宮三宮ということではないと答えられました。また、厄除八社も生田神社の摂社末社ではなく、それぞれ独立したものというご返答でした。
 三宮神社の由緒によれば、「神戸三ノ宮」は、厄除八社の中の三宮の社名を明治6年に県令にてこの地の町名にしたということです。創祀年代は不詳で、現存するのは享保年間の手水鉢、寛延元年の石燈篭ですから、江戸時代を遡る遺品はないようです。小さなお宮が東西3キロ程の距離に一宮から八宮まで点在するのは、出来過ぎの感がありますが普通なのでしょうか?
 今回、不躾にも生田神社で質問しましたら、面子そのものを感じて恐縮しました。摂津では住吉大社プラス、広田、生田、長田の三社で神功皇后シリーズのワンセットのように勝手に思っていました私の考え違いのようです。
はからずもでしゃばってしまいましたが、今後とも宜しくお願い致します。

S.Setoh H12.9.12
 国生さん、厄除八社の情報ありがとうございます。
神戸市中央区山本通の一宮神社の由緒書によりますと、神功皇后が帰途中に生田神社を創祀したのに起因するとあります。また二宮神社などの由緒では神功皇后が順番に参拝された事になっていますね。
所で生田神社について三宮と言う事はでてきたでしょうか。神奈備はまだ見つけていません。
摂津国の一宮は住吉大社と言うことですが、広神社でも生田神社でも自らを二宮三宮とは(仮に本当だったとしても)言わないと思いますね。面子みたいなものを感じますね。

玄松子 玄松子の記憶 H12.9.10
「玄武神社」、アップしました。
この掲示板のログから、記事を転記させていただきました。

S.Setoh H12.9.10
> 和歌山と製鉄の関係についてあきらめておりません
神奈備も諦めてはいませんよ。
> 足守神社
 紀伊続風土記によると、木枕村には丹生四所明神社(伊太祁曽神社に合祀)と小祠二社として里神社、講庭 コウス 明神社が鎮座しているとあります。土人は夷の神を祀ると云ひ寛文記には氏神とのみあり。講庭 コウス の義詳ならす或はいふ村名小枕のこまの轉して講庭となれるか。と記載されており、このどちらかでしょう。足守と言う名に惹かれて狭い参道の山道で車をこすったアイヌ語研究家の方もおられます。
 夷の神と足守から容易に想像できるのが荒覇吐神(阿良波々岐神)で武蔵の入間の氷川神社などに客人社として残っているまつろわぬ人々のあがめた神かもしれませんね。現在は履き物などを祀られた落ちぶれた神となっています。参詣されたら、また教えて下さい。神奈備では宮城県多賀城市の一座だけを http://www.kamnavi.net/jm/tagaaraha.htm に紹介しています

山本 祐佳 H12.9.10
 こんにちは。こちらの掲示板の過去ログを読ませていただきましたが色々興味深かったです。いろんな方が訪問されておられるようですが どうも私が一番物知らずみたい。しかたない、関心を持って4ヶ月ですから。
昨日は憧れの丹生都比売神社にお参りに行きました。太鼓橋と楼門の美しい神社でした。かつらぎ町天野の里、というのが茅葺(今はとたんだけど)の民家が多く、なぜか屋根の軒には家紋が飾ってあるのが面白かった。またそういう家の一つに鍛冶という表札がかかっていました。(丹生都比売神社の前の家は丹生さんという表札が、神職さまだろうか?)
ところで私はまだ和歌山と製鉄の関係についてあきらめておりません。「柳田國男南方熊楠往復書簡集」には南方翁が左義長、ホンゲキョウ、ドンドについての説明がありました。明治の田辺にすら無くなりつつある風習のようでした。また「山民と海人」という本にはそれらは山民の風習のようにも書かれていました。その本には 八幡神が一種の鍛冶神であることも記載されていましたが、その根拠については詳しい説明がなかったのが残念でした。
ところで伊太祁曽神社の近くに足守神社という社が存在するようです。近くなので見学にいこうと思います。基本的なことがわかっていないのですが、これからも学習を続けようと思っています。

S.Setoh H12.9.10
紀伊國には式内社が31座が載っており、大社13、小社18となっています。
 この内、牟婁郡には6座あり、大2社、小4社です。記載順にあげますと
熊野早玉神社(大) 
熊野坐神社(名神大)
です。一応、記載順の上位の神社が格も上とされています。
 ただ、第二順位の熊野坐神社が名神大社となっており、こちらの方が上にも見えます。
 大社と名神大社については、大社の内名神祭をやった神社と言う事で、格付けとしてはちょっとは上なんでしょう。

所で、出雲国の意宇郡では
筆頭が 熊野坐神社(名神大)
六番に 速玉神社 
となっています。出雲の場合には、記載順と格付けが連動していますね。

 紀の国の伊都郡では、小田神社、次に、丹生都比女神社(名神大。月次新甞。)となっています。
伊都郡や牟婁郡では記載順と格付けがずれているのか気にかかります。
 ここで、延喜式が22年かけて完成し、それから施行まで40年の期間があった事に何らかの意味が出てきそうです。

 高野山が丹生都比女神社の格上げ運動を行ったとすれば、丹生都比女神社は一度は小田神社の次にランクされたのを、格を上げて、名神大、月次新甞が書き加えられた証になるのかも知れませんね。

 巻物見たいなものに書かれていたとすれば、順番が変わったら書き直さざるをえないでしょうが、格付けアップなら書き加えるだけで済むとのメリットがありますね。
 これはこれは 怠け者の発想でした。
 もしくは、時の神祇官が「我々はこうランク付けした。政治的圧力があって格が変わった。」と言うメッセージを残したのかもしれません。完成から40年、十分時間がありますね。
 同時に、熊野坐神社についても、その時代に熊野への崇敬の念が増してきて、かつ紀氏の運動や、出雲とバランスから、名神大社に格上げされて、それが書き加えられたたのかもしれませんね。

 記載順と格のアンバランス、これぞ格上げ運動の痕跡なり。


玄松子 玄松子の記憶 H12.9.9
>話題になっている神社が郷里にあって、びっくりしたというのが本音です。
この気持ち、すごくわかりますよ。
玄松子が神社巡りをはじめたきっかけもこの「気持ち」でした。
山浜さんも、どっぷりと、のめり込んでください。

山浜 H12.9.9
>あれっ、このサイトの五十猛命ホームページ に掲載されていますよ。
うーん、確かに玄松子さんのおっしゃるとおり、当方の見落としでした。うっかりでした。反省。
でも、「見つけた!」というわけはなく、毎年行ってる割には私の見方が雑なもので、ここで話題になっている神社が郷里にあって、びっくりしたというのが本音です。

S.Setoh H12.9.9
> 羽黒山と月山には五十猛神社があるようです。
月山には樹種播きの三兄妹の大屋津姫神社、抓津姫神社もあるそうです。
> 今度行った時調べてみたいと思います。
是非お願いします。私も行きたいのですが、有る程度場所が特定できないと、なかなかその気にはなれません。
 修験道で持ち込まれたのでしょうかなー。五十猛命と修験道とはあまりかかわりがないのですが、熊野本宮にかっては五十猛命が祭られていたようですので、ここからでしょうか、などと想像しています。
 これから、余呉湖の方の丹生神社二座を探しに出かけます。もし、琵琶湖周辺で雨にふられたら、これは喜ぶべき事です。丹生都姫は水神でもあります。

焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.9.9
 あわてる猟師はヤマの水
 ワイハ〜(津軽弁)、いろいろこまけぇこと知ってるナァ。
 だがなサラセッセ(瀬藤ニシパ)、神名にはたとえばイザナギ、イザナミの尊、イカガシコオ、アジスキタカヒコネのように、ビシッと決まる神名と、ぬらりくらりと正体を見せずにウナギみたいに逃げまわる神名との二者がマす。いや中間もマすので三者ある。
 とっ組んだ初め「イタキソ」は、じつにいろんなことを匂わせた。だが、分析・類推を続けるうちにしだ〜いに正体を現わしはじめた。霧もやに漂うユーレイ船のようだ。ここは一番ヒルザケ……じゃなかった、冷たァ〜い水でも飲んで気を鎮めるのが要領ちゅうモンダワサ。
☆ すべてが、今の手法で割り切れるなんちゅうこた、思うとバチあたるね。
☆ ばってん、神名は金属製錬の風でできている。日本列島に吹いた風はヒマラヤからが主流なれど、大陸中央部からのものも当然にも予想してかからにゃイカン。
☆ 「コソ」と「キソ」はまったく別。 ko には「○○の」と「ku-o(金属製錬の神」がある。
☆ 「キ」はエンリル ⇒ エンキ の「キ」で大地・地母神。ツクバ嶺山麓一帯も「キの国」だった。
☆ 「ソ」には強調接頭辞S- +o(神)。「so =神」はこれならまし。前が母音おわりのときは特に。
  だから、地方や山の中に“京”のつく地名がある。山口市などの「小京都」はこれに関係ないか?
☆ こまけぇことすべてに整合解釈が得られる……なぁ〜んち思うこともバチあたらましや。
☆ 上に書いた「マす」は、ネパール語 ; *bas(住 む、泊まる、坐る)⇒ 柱 ⇒ 足(cf.三本足)。
                                 あと百日 としよりヒヤミズ

玄松子 玄松子の記憶 H12.9.9
>羽黒山と月山には五十猛神社があるようです
あれっ、このサイトの五十猛命ホームページ に掲載されていますよ。 違います?

山浜 H12.9.8
出羽・月山・湯殿山三神社拝詞を見て見つけたのですが、羽黒山と月山には五十猛神社があるようです。
残念ながら場所の特定ができません、今度行った時調べてみたいと思います。
けど、拝詞の中に記録されているだけなのかなぁ?

S.Setoh H12.9.8
キソは木曽義仲を祀る木曽神社しか見当たりませんが、コソは式内社に散見されます。
 比賣許曾神社[ヒメコソ]   摂津国東生郡
 阿麻美許曾神社[アマミコソ] 河内国丹比郡
 波牟許曾神社[ハムコソ]   河内国澁川郡
それ以外に古社と思われる神社で
  福岡県鳥栖市姫方町189 姫古曽神社
  大分県東国東郡姫島村5118番地 比賣語曽社
  群馬県甘楽郡妙義町行沢139 波古曽神社
  三重県四日市市小古曽2-28-2 小許曽神社
 これらについて、イタキソと同様な解釈がつくのでしょうか。それとも、「キソ」のみの読解に適用でき、「コソ」には不向きでしょうか。プレバベルの塔言語を持っての解釈には、非常に魅力的なものを感じてやまないのですが、同時に局所解読の発展としての統一場理論が必要だとも感じております。21世紀かね。キケキケキケ

S.Setoh H12.9.8
>20世紀末現在での結論を申し渡しやしょう。
>「伊太祁曾神とは『分祀(された)・キ・so(神)』だった」。
20世紀末までには4箇月弱も残っています。あわてる古事記になりかねません。
比較的信用できる「続日本紀」に伊太祁曽神の分遷の記事があります。五十猛命、大屋都比売命、抓津比売命の三柱を分けたと言う事です。( 大宝二年(702年)〜和銅六年(713年))。
 そう言う意味で、紋次郎氏の見方は当を得ています。
 もうひとつ、伊太祁曽神社の伝承によりますと、元々、溝口万代宮の地(現在の日前宮の地)に鎮座していたものを、山東の亥の杜に遷したとあります。(垂仁天皇の時代)
 もし、紋次郎氏の「キ解釈」が妥当だとすれば、それは第一期の遷座の際、名付けられたのでしょう。イタキソ神となり、それが五十猛(いたけ)命の樹木神話とつながり、もしくは、ここが発祥の地だったのでしょう。
 第二期になると、既に分遷された神の名が出てきます。イタケ(ル)命です。この名とイタキソとを無関係と見て、わざわざ『分祀「キ」神』を妥当とする確率は極めて低いものとしなければなりません。また三座に分遷されており、他の二座のは祭神名のついた神社と思えるからです。すなわち、大屋都姫神社、都麻都姫神社です。第二期はありえないと言えます。

 第一期の遷座の時期について、垂仁天皇の時代とはいかにもおかしいのですが、(この頃があったとしても紀氏は紀の国におらず、紀氏以外に「キ」神を遷座させる必然性とパワーがあったとは思われず、)一体いつ頃か、とかねがね疑問には思っていました。
 五十猛命の樹木神話が流布した後に、伊太祁曽神社と名前が似ている五十猛命が伊太祁曽神社に取り入れられる事はあったでしょう。その場合、日本書紀に、素盞嗚尊をして、この国の事を「我が子が治める国」と言わしめる神の総本社的な位置づけにまではなり得なかったと思われます。記紀は第二期分遷後の作成ですから。
 そうすると、伊太祁曽神社から五十猛命が発生した後、五十猛命神話が流布したと考えざるをえません。さすれば、流布させたのは紀氏しか考えられないのですが、紀氏が活躍した所謂河内王朝以降の神話の流布となります。しかし、その頃には、紀氏は伊太祁曽神社を山東の里に隠れるように遷座させる必然性は見当たりません。遷座させてこそ、伊太祁曽になると言う論理は、ここに破綻を見たのであります。
 キキキ。未練だよ。


山本 祐佳 H12.9.8
どうもこんにちは。書き込みは久しぶりです。というのもしばらく読み手に専念していたからです。
 図書館で本を借りてとりあえず疑問は自分で調べようと思いましたが、「トント゛焼き」「左義長」「褐鉄鉱」こちらでお聞きした以上のことは得られませんでした。
 瀬藤さま、あさもよし紀の国MLのほうでは天一神社の情報ありがとうございます。有田郡金屋町釜中という地名があやしいですね。
 全国の神社参りなんて私には夢のようですが この8月はだんなに頼んで熊野本宮大社と熊野速玉大社にお参りできたのがいい思い出でした。もちろん観光をかねてですが。速玉さんのなぎの葉を拾ったり、本宮の宝物殿を見学したり大斎原(字が違う?)の大鳥居の下をくぐったりしました。鳥居は日本一を謳うだけあってとにかく巨大!どうして果無山脈の方を向いているのかが不思議でした。だんなは一人で旧社跡を見学に行ったのですが 私と娘はそのまま熊野川のほとりで遊びました。川の水のあまりの透明度と冷たさに感嘆しました。それにもかかわらずお魚さんが沢山いて、娘はまだ小さいのでそのまま水遊びしました。お魚は人を恐れないらしく どんどん寄ってくるのですよ。 水からあがると旧社のすぐ近くで娘が5円をひろってそのまま旧社の巫女さんに渡しました。あとで帰宅してしばらくたってから熊野古道カルタを見ると 昔は参詣前に熊野川の水で水垢離をとったりわらじを洗う風習があったそうで不思議な気がしました。

国生  H12.9.8
国生です。朝になり見直して、言葉足らずに慌てています。
「港神戸守護神、厄除八社」は、諸国にあった一宮・二宮・三宮という社格とは異なり、生田神社を中心とした八宮で、歴史的には新しいものだと思います。
もっとも、生田神社が攝津国の三ノ宮だったかもしれません。もう一度、出直してきます。

国生  H12.9.8
はじめまして、神戸の国生です。
今まで読むばかりでしたが、ついひきずりこまれました。
神戸三宮には、「三宮神社」があります。大丸デパートの斜め前。生田神社から徒歩5分程のところです。慶応4年(明治元年)の神戸事件のあったところです。もっとも現在のJR三ノ宮駅には「二宮神社」の方が近いですが。
生田神社の末社?として、「一宮」から「八宮」まで揃っています。「六宮」と「八宮」は、今は同じところに併せていますが、だいたい昔の集落があった所に沿っているのではないでしょうか。
都会の中ですが、地の人間は「一宮のあたり」とか「五宮のへん」などと、場所をあらわす言いかたをします。
ご祭神は、「二宮神社」が正勝吾勝さまで、「四宮神社」が市杵島姫さま、あとは・・・、調べておきます。他にも大小いろいろな神社が、海岸の街道沿いに並んでいますが、ポートアイランドなどの人工島に一社も無いのが残念です。
準備もなく急な書き込みで失礼いたしました。

焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.9.7
伊太祁曾神……煮詰まってきやしたなぁ。
 やっぱ、地名がカギぃ握っているみたい。
 吉里はなんと発音しやすけぇ。今は「よしさと」かもしれんが、原音はキリじゃなかっただろうか。意味は「キ・ひと」または「キ・神」。「キ・ひと」のほうが probability は高い。切り目もあるしよォ。中心の大川が紀ノ川だし、貴志川があるのはどうにもならん。 
 「キ」はいちおう「大地」で「キという地母神が護り給う土地」のことだが、kui の偏執をも受け入れただろう。
 “ kui を含んでいたこと”は「イクイシヶ峰」が証明していると思う。生石は大分市内にもある。実はオレの兄貴がそこに住んでいる。狭い豊後の一角に「イタ」と「i-kui 」があるわけです。
 i-kui-si は「クイ・びと・(の)神」とならまっしょ。「木を植えた……」などは「キ」がワカランようになった後世の府会ならまっしょ。
 このへんで20世紀末現在での結論を申し渡しやしょう。
 「伊太祁曾神とは『分祀(された)・キ・so(神)』だった」。
    未練あったらケケケ     

玄松子 玄松子の記憶 H12.9.7
>全国一の宮会のホームページがあるなんて知らなかったァ。そりゃこの方がいいわ。
でも、あまりメンテナンスされてないようで、間違いもあります。
宇都宮二荒山神社の地図は、貫前神社のものになってるし、貫前神社の地図は。。。。
市販の地図で確認してから、出かける方が良いし、それもまた、楽しみではありますね。

A.I.  H12.9.7
こんにちは。イヤァー!URLって何でもありなのね。
全国一の宮会のホームページがあるなんて知らなかったァ。そりゃこの方がいいわ。
もっと早く知っていれば道に迷うことも、無駄な遠回りなんかもしないですんだのにサ。
パソコンって扱えないから嫌いだけど、かんなびのお仲間に割り込んでバカなこと書きこんでいると、いろいろと知識が増えます。改めて感謝。

玄松子 玄松子の記憶 H12.9.7
>10世紀頃に諸国に一宮・二宮・三宮・四宮と呼ぶ社格の制が起こりました。
神戸三宮は、「三宮」があったんでしょうかねぇ。
「港神戸守護神、厄除八社」と称して、狭い地域に、一宮神社から八宮神社までありますよね。

かよ HP H12.9.7
おひさしぶりぶりデス。失礼します。
一宮と言えば、愛知県に 都市の名前にもなった一宮市があります。
一宮市博物館講座{尾張平野を語る}講演録、1996,1997、1998の中に 名古屋短期大学教授 上村喜久子さんの{中世の真清田社と一宮制}の論文、私は為になりました。
ところで、今度、神社とは全く関係ないのですが、http://homepage2.nifty.com/island2/というアホなHP作りました.よかったら遊びに来てください。 すみません.宣伝シテ!!

山浜 H12.9.3
さすが 玄松子さん
そっそく、私もブックマークに登録しました。(笑い)

S.Setoh H12.9.6
 一宮とは
10世紀頃に諸国に一宮・二宮・三宮・四宮と呼ぶ社格の制が起こりました。
その国内の有力な神社を、国司が順拝する順位だそうです。一年がかりだったとか。
また同じ頃、国毎の元締めの神社として総社(惣社)が構想され、ここへお参りすれば、その国中の神社へお参りした事になるとの信仰から生まれたそうです。
古の行財政改革ですね。

玄松子 玄松子の記憶 H12.9.6
「全国 一の宮の会」のURLがありますよ。 地
図も載っているので、参考にしてください。
http://www.ichinomiya.gr.jp/

A.I.  H12.9.6
旅の思い出にひたっていて、言い忘れました。追加です。
私は全国の古い神社を廻ってみようと思い、あちこちウロついています。別に一宮巡りをしているつもりはないのですが、結果として一宮巡りもしていることになっています。全国一の宮会という組織があるのをご存知ですか。
事務局は三重県の椿大神社内にあるとのこと。この全国一の宮会が発行している一覧表が便利です。神社名・式内社・祭神・住所・電話・最寄駅が記載されています。B3用紙の裏表に印刷されています。
椿大神社にお願いすれば送って下さると思いますが、神社にお手数をかけるのが心苦しければ、私が持っている表をコピーしてさしあげましょう。私は佐渡の度津神社の社務所でいただいてきました。
私のアドレスに住所とお名前を入れておいてくださればお送りします。
Setohさん、こういう事は複写権上許されますか?
私的使用の範囲ですよね。

A.I.  H12.9.6
こんにちは。二荒山神社(宇都宮・日光)に行ってきました。まあ暑かったこと。日光はものすごい数の観光客が押し寄せていて、ラッシュアワーの東京駅みたいでした。
日光・東照宮の裏手にあたる2キロほど北側、二荒山神社の別宮の滝尾神社が良い感じでした。日光を開いた勝道上人が田心姫に会ったのだとか。社殿の裏側に扉がありそこから女峰山を拝むのだそうです。近くには白糸滝という小さな滝がありいかにも霊地という感じでした。
中禅寺湖のほとりに二荒山(男体山)の登山口を兼ねた中宮祠があり、ここから見上げるお山が非常にきれいです。
新宮といわれる東照宮の隣の二荒山神社は観光客でワイワイしていて、早々に引きあげまし日光がこの時期にこんなに混み合っているなんて見込みが甘かった。
烏について。烏は嫌われていて不吉な印象ですが、紀州熊野で烏の声を聞くと「あっ、おからすさま」とありがたく思ったものです。三本足の烏とはヤタ烏といわれている烏ですか?今の天皇のご即位式の時、庭に立てられた色とりどりの旗の中に烏の絵の付いた旗があったような記憶がありますが、あれは三本足だったかしら。大和宇陀にヤタ烏神社ってありますよね。10月にでも行ってみようと計画してます

さとう H12.9.6
みなさーん いろいろ教えてくれてありがとう!!
実は今週末 仕事で近くに行くので(国道近くの)大物忌神社と鳥海山の上の方の駐車場にいこうかとおもいます。
ここはおすすめ!!ってあったら教えてくださいね。
http://www.geocities.co.jp/Milkyway/6413/

S.Setoh H12.9.4
katori-kさん、書き込みありがとうございます。HPで飛んでいるカラスの足が見えないのが残念ですね。
 大阪市平野区の杭全(くまた)神社さんから三本足の烏の交通安全の護符を頂いた記憶があります。
熊野からの勧請社は多く使っているのでしょうね。隠岐の島や利根川流域の神事に多く残っているというのも面白いですね。
所で銅鐸の鳥で三本足はあるのでしょうかね。なんぼ陰陽五行説で奇数が聖数とはいえ、足を三本にしてしまうとは昔の人はすごい大胆な発想をするんですね。

三本足のからす HP H12.9.3
三本足のからすについて調べております。
是非、当方からの一方的なリンクで結構ですので、リンクを張らせていただきますようお願いします。 http://www.biwa.ne.jp/~katori-k/ よろしくお願いします。

玄松子 玄松子の記憶 H12.9.3
>お祓いの時に唱える拝詞が出羽三山と同じ構成なのがおもしろかったです。
うっ。通ですねぇ。

山浜 H12.9.3
玄松子さん こんにちは

鳥海山についてですが、登山道はいろいろありますが一般的なルートのほとんどは秋田県側が一般的で、鳥海湖を経由する鉾立ルートと矢島町から登る祓川ルートがあります。
登山については次のサイトにも紹介がありました。 http://www.pref.akita.jp/rinseika/hureai/areamap/chokai/chkoko/ch_12.htm
日帰り可と書いてありますが単独峰のため、山頂に泊まった方がいいかもしれません。

鳥海山は、自分が富士山より低いのを知って、怒って山頂を飛ばして見に行かせたのですが途中で落下したのが、日本海上の飛島だといわれております。飛島も同じ神様をお祀りしているようです。
一度、7月14〜15日に山頂と飛島でと篝火を焚く「火合わせ神事」を見に行きたいなと思っております。

おもしろいことに男鹿半島の「なまはげ」に対して、ふもとの女鹿という地域には「あまはげ」というものがあります。なまはげと全く同じことをやってます。案外、神様と関係しているかも?

有史以来、たびたび噴火しており、朝廷も辺境の地でありながらたびたび神階贈位を行って天慶2年(939)に月山を追い越しております。
本殿では大物忌神社と宇迦之御魂神をまつっており、境内内には摂社として月山神社をまつっております
ちなみに神社は山形県側には、吹浦口の宮と蕨岡口の宮の二つありますが、宮司さんは吹浦口の宮におられます。
お祓いの時に唱える拝詞が出羽三山と同じ構成なのがおもしろかったです。ちなみに「とりのうみの山の神」とかいてありました

近年の研究では今から2600年前、大噴火を起こして北側には巨大な馬蹄形カルデラができ、その時の砕屑物が海岸まで押し寄せ、芭蕉も訪れている象潟の九十九島ができたといわれております。
まさに荒ぶる山ですね。


S.Setoh H12.9.2
O と WO のコンビ  大小長幼を表す。次郎長の子分の大政、小政の時代には既にKOMASAと言いました。
景行天皇の子  兄 大碓命(三野国)  弟 小碓命(日本武尊)
市辺王の子   兄 意富祁(仁賢天皇) 弟 袁祁(顕宗天皇)
開化天皇と日子坐王
  開化天皇と意祁都比売の子が日子坐王
  日子坐王と母の妹の袁祁都比売の子に 大俣王 小俣王
 古代の伝承で、地方豪族がそれぞれ皇別を主張した際に、一人では足らない場合に身代わりとしてでっち上げた兄弟(分身)ではないでしょうか。
 国府の近くの小物忌神社は山頂の分霊でしょうね。

 所で、鳥海山は「とみ」山で、これが登美の長随彦のトミに通じる事から、物部の遠祖饒速日命が降臨したとの伝承があります。
 物部文書(秋田物部氏の古伝)によると、饒速日命は鳥海山に天降り、日殿山に「日の宮」(秋田県協和町  唐松天日宮 )をおいたとされます。後に大和におもむいたとの伝承です。
 天日宮のある唐松神社は、崇仏戦争に敗れた物部守屋の一子那加世が東奥の地に分け入り数代の後、元宮である現在地唐松山頂にお祀りしたとされる伝承があります。


玄松子 玄松子の記憶 H12.9.2
大物忌について考えてたら、鳥海山に登りたくなってきました。体力がないので、来夏までには鍛えておこうっと。
で、大物忌ですが、現在は保食とか豊受とかになってます。でも多くの人は、これは大忌からの付会で、大いなる物忌がただしく、ケガレを嫌う鳥海山の神が噴火で怒りを表したとして、ケガレ祓いの神、あるいは辺境警護の武神としています。
でも、これってあまりにも中央(朝廷・平安)的ですよね。富士山のように単独でそびえる山ですから、それ以前にも神として祭られていたはずです。大物忌神社は、その神を慰撫するためのものではないでしょうか。その神社名の命名の契機に「ケガレ」があったのかもしれませんが、本質は、噴火する山の神でしょう。
大物忌の近くに小物忌神社がありますが、大物忌をおおいなる物忌とした場合、小(袁)物忌が説明できません。大物主に対し小物主はありませんよね。対偶とするなら対偶となる山などの自然物が必要だと思うんですが。
小物忌を大物忌の分霊と考えられなくもないけど、どうでしょう?

S.Setoh H12.9.1
わからない時は雑な感じの瀬藤よりは緻密な玄松子さんにメールしましょう。親切に教えてくれますよ。
二荒山神社は修験道の影響を受けているようですね。補陀洛[ふだら]→二荒[ふたあら]→[にっこう]→日光と変化した地名ですね。
宇都宮市の二荒山神社は下毛野君の祖神を祭神としています。豊城入彦命です。この命は、崇神天皇が紀伊国の荒河戸戸畔の女、遠津年魚眼眼妙媛に生ました皇子で、御諸山(三輪山)に登って東に向かって槍をつきだしたので、皇統を嗣げず、東国を治める役割になりました。毛野は「キの国」であったと言います。
玉依姫に感動していただいて、ありがとうございます。悪のりしてもう一つ「 空海弘法大師の彷徨いは謎に満ちている。深い山の中での修行か大陸への密航か、正式に帰国してからも彷徨い、ついに丹生都比売と出会い、森の神となった。」。

玄松子 玄松子の記憶 H12.9.1
>私もど素人です。
私もです。神社巡りを「意識的に」始めてから、二年になりません。
>確たる目的やポリシーがあって神社巡りを始めたわけではないので、
私もです。わからない事だらけです。わからない時は瀬藤さんにメールしましょう。教えてくれます。

山本 祐佳 H12.9.1
 瀬藤様、皆様 こんばんは
出典の名前ぐらい自分で書かなきゃいけないのに お世話になりっぱなしです。というか、最近凹み気味です。
 A.I.さん 初めまして。私もど素人です。最近になって和歌山ってこんなに神社が多いのはなぜ?とか地名の由来に興味を持ちました。
 来週は家族で大台ケ原方面へ出かけるので、途中なんとか丹生都比売神社に寄りたいもの。明日、あさっては@紀の国MLもお休みでさみしいですね。

S.Setoh H12.8.31
三位一体の図の出典は「C.G.ユング 記録でたどる人と思想」(青土社)です。

A.I.  H12.8.31
こんにちは。ヘビ大嫌いのA.I.です。
丹生神社についてのやりとりや玉依姫についての考察を拝見したり、玄松子さんのHPを見せていただいていて、皆さんの博識に圧倒され、自分の知識や考えの浅さを思い知らされて少し落ち込んでいます。8月24日のSetohさんの玉依姫についてのメッセージ、感動しちゃいました。
皆さんのディスカションが理解できるよう勉強せねばと本を読んだり、資料の整理をしたりしてました。
せっかく神社巡りを始めたのですから、多少は知識も考察も深めなくてはとは思うのですが分からないことや理解できないことが多すぎて・・・確たる目的やポリシーがあって神社巡りを始めたわけではないので、ここにきて頭が混乱してきています。悩みながらも9月になるので栃木県の二荒山神社に行って来ます。日光では東照宮もゆっくり拝観してミーハー観光します。二荒山神社は宇都宮と日光にあって下野国一宮とされていますが、どちらが本宮かわかりません。ここにもヘビにまつわる伝承があってちょっと恐いな。


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