神奈備掲示板の平成十三年六月ログ

荒神谷遺跡周辺の建御名方を祀る神社配置

掲示板のログ(平成十三年六月)お名前の敬称は略させて頂きます。
更新 H13.7.1    過去ログへ


[1377]  Re[1375]: どうもすみません、ありがとうございます。 [Setoh] 06/30

>  すいません。何気ないひとこと

とんでもございません。発見されたことを調べていくのは勉強になります。
前に、神無月のことで、天照大神も出雲へ赴くのかなと福島さんになにげなく尋ねたことがあります。氏は伊勢神宮にまで問い合わせて下さいましたことがありました。

神社、謎解きおもしろ情報、あつまれば本当に面白いですね。


[1376]  Re[1375]: どうもすみません、ありがとうございます。 [玄松子] 06/30

>  ところでこの間参詣したさいたま市の調(つき)神社は名前からの連想で、狛兎が
> 鎮座していましたが、狛鶏はさすがに珍しいですよね。

日吉系の神社では、狛猿、狛鶏がありますよ。生きてるのは珍しいですが。


[1375]  どうもすみません、ありがとうございます。 [あかがね] 06/30

 すいません。何気ないひとことにそこまでして下さって大変恐縮です。
 そのうち再訪して、運がよければ尋ねてみようと思ってました・・・。
 
 ま、あんまり何事も考えすぎてありがたがったりせずに、聞いてみるほうがよい。
ということもありますね・・・。

 ところでこの間参詣したさいたま市の調(つき)神社は名前からの連想で、狛兎が鎮座していましたが、狛鶏はさすがに珍しいですよね。


[1374]  Re[1346]: 狛犬? [Setoh] 06/30

>  こんなんありなんですかね・・・。

ある方から大井神社について、以下の情報を頂きました。
*大井神社の狛犬ですが、茨城県神社誌なる本を見ましたが、乗っていません。ですのでテレ番を記載しますので、お手数でもご自身でテレして下さい。尚、宮司様は、昼間は多分私立高校へお勤めですので悪しからず、029-229-8206大井神社
狛犬とは、高麗犬とも書いて、字の如く朝鮮より渡来したという説もあり.始め宮殿の装飾調度品の鎮子(おもし)と呼ばれたものが神社に移って変化したものとの説有り。岩手県遠野市常堅寺には河童狛犬があります。以上

大井神社の松本宮司様に電話で問いあわせました。以下報告。
 犬は迷い犬で神社に住み着いたので、狛犬としてそれらしき場所に飼うことにした。
 鶏は犬を飼ってからおいた。神殿の扉を開けるときに出す声は鶏の声、古くからか神祭りと縁があるので置いてみた。さほど深い意味があってのことではない。とのとりあえずのお返事でした。
信じる者は救われ・・・


[1373]  牛のあたま・ゴヅメヅ  [焼尻紋次郎]  06/30

 シッダルタさんのニューメツ(死)はB.C.383 年だそうです。 
 シッダルタさんの骨はモリヤ族の手で 10 ヶに分けられて埋められていたのですが、その 150年後のアショカ王のとき、王の名においてシッダルタさんの骨を掘りおこし、こまかく砕いて、その一片づつをインド全域(数百ヶ所)に建てた“塔”に収めました。

* 日本の国分寺発想の原点はインドのモリヤさんたちにあったようです。この骨分寺建立の風に煽られて、シッダルタさん以前のヨギ修行を中心とした(日本の!)神道勢力も「お宮」を建て始めたのでしょうか。もともと神道の御神体は岩や山や川であって、建築物や植木はなかったはずなんですが……。
* 諏訪のモリヤや物部モリヤとは直結しているはずです。ユダヤにもモリヤがありました。
* 初期では出雲にみるように「お寺・神社」ではなく、インドのように“塔”のスタイルなのが注目されます。その前はただの柱でしょう。

 古い仏教のお経はパーリ語で書いてあるそうです。
 そのあとにはサンスクリット語で書かかれているそうですから、前3世紀ごろにはサンスクリット語という人造語が急ピッチで造成されていたのでしょう。
 小生がけたたましく喋って訴えているネパール語はヒンディー語そっくりで、古い時代のヒンディー語を今に伝えていると言ってよいでしょう。ネパール語とパーリ語はかなり共通語彙をもっています。
 古い文化は隔絶された島嶼や山脈の山ひだに包まれて残る……この現象を「文化のドーナツ化現象」と呼んでいます。
 さて、そこでサリセッセ、お教えアマカネ。
 「ゴズメズ(ゴヅメヅかな?)」ということばを聞いたことがあるのですが、これナンですか。
 「牛頭天王」とは、ちょっとやそっとでは表現できない難しい神様だと『日本の神様読み解き事典』(柏書房)にありました。
 なんで「頭」がこんなにウロチョロするのか。メヅ(梅津さん!)とはナンぞや……。この2点にあがき悶えカネ。「頭」に就いては少し腹案これあり。


[1372]   よか名前 ; 酔っぱらう安房 [焼尻紋次郎]  06/29

 「酔っぱらう安房」……『かむなび』姉妹掲示板に使っているアワヨッチャンの名前です。
 これを最初にみたときには、おらも正直いうて少しふざけがきついかなと、思いました。
 本人も「名前変えようか」とここにも書いたことがあります。

 だが、けふ、判った。こんなフシギな空間に漂うこれまたフシギないのちづら。
 「どうなってんだ、どうなってんだ」のもがきこそ、酔っぱらいじゃんか。真摯じゃんか。
 このもがきがなくなったら、人生おしまいよ。
 だが、もがきのたの人生であってはならぬ。
 ほんま、これでサケのむやつは…… ……ナモ。


[1371]  Re[1368][1363]: 読者A(これから) [大三元]  [Url] 06/29

泊瀬女さん、香具さん、

拙著へのご関心ありがとうございます。
自分の地元の本屋にもないのですが、紀伊国屋とか西武池袋では平積みになっているという知らせが友人からありました。

出版社へ注文されますと送料(\380)が追加になりますので、お近くの書店に注文されるのがよろしいかと。。

今日の朝日夕刊に広告と書評が出るそうです。ご参考に。


[1370]  Re[1368][1363]: 読者A(これから)  [Setoh]  06/29

> setohさんと玄松子さんが共著で本を出したら、すばらしいものができますよ。

玄松子さんはカバー付きの本格的なものができるでしょう。
馬鹿殿様のsetohには過分なお言葉、ありがとうございます。昨日をもって某社の非常識閑散役になりました。ビジネスマンとしては失格、神社巡りではそうならぬように、皆さんについて行きたいと改めて決意しております。

言語双璧>伊豆・出雲
ソシモリの「モ」とイズモの「モ」
「モ」が国なら斎の国などは?子守歌の五木も?・・言語音痴的。


[1369]  Re[1366]: 神奈備は、どこまで発展するのでしょう  [習志野のてつ]  06/29

> 当サイト管理者の瀬藤さんは、勤務形態が変わって、
> 殿様のような生活に入られるそうで、… おめでとうございます。

瀬藤さん、膨大な自由時間の獲得、おめでとうございます。
来日したフランス人小話、窓際族を見て「あの方は会社にどれ程すごい貢献をされたのですか?」働かなくてもいい身分の獲得は、彼らにとって素晴らしいことでした。まあ、今の厳しい景気情勢の日本では、首切りに遭わず残れるのは、やはり素晴らしいことになっ
ているかもしれませんね。
月間の出社日数2日となると、従来の約20日の十分の一。単位時間当りで考えれば、10倍。時間当たり超高額サラリーをセッセと
獲得したことに、再度、おめでとうございます。
とき正に夏越しの大祓い、永年の勤務で知らぬ間に身についた諸々
の罪穢れを禊祓われて、更なる飛躍をされることを祈念いたします。
関東方面の神社にも是非お参り下さい。手始めに上野一宮・貫前神社辺りいかがですか?そばに丹生神社もありますよ。


[1368]  Re[1363]: 読者A(これから) [泊瀬女]  06/28

> 大三元さんのご著書『古代日本史と縄文語の謎に迫る』。

今週はこのご本を探しに毎日本屋さんに通ってしまいました。まだ見つかりません。
明日、本屋さんに出ていなかったら、注文しなくちゃ。
私は本を買うのが(読むのがじゃなくて)趣味なので、めざす本がないと、ついつい別の本を買ってしまいます。今日は「鎮守の森は泣いている」という本を買いました。

> > 紋次郎親分も2作目の出版をめざしてネ。また、setohさんと玄松子さんとの共著で神社のガイドブックが出版されないかナ〜と、妄想もしているこの頃です。

ダイサンセ−イ!。神社関係の本は少ないし、あっても難しいのばかり。分かりやすくて楽しいガイドブックはぜひ欲しいですね。妄想じゃなくて、実現してほしいと切望します。
setohさんと玄松子さんが共著で本を出したら、すばらしいものができますよ。
本を出す時は、香具さんも1項書いてくださいね。


[1367]  感謝  [山浜]  06/28

hin(かよ)さん はじめまして
さっそく、のぞいてみました。
雅楽にはまって間もないため、どんなことでもためになります。ここにも秦氏の影が見え隠れしますね。


[1366]  神奈備は、どこまで発展するのでしょう  [玄松子]  06/28

当サイト管理者の瀬藤さんは、勤務形態が変わって、
殿様のような生活に入られるそうで、
これまで以上に時間を自由にできるようです。
更なる発展が期待できますね。おめでとうございます。


[1365]  でしゃばって、雅楽  [hin(かよ)] [Url] 06/28

たまたま、自分の所属するMLで雅楽と秦氏に関する事をしらべて書いたものがありますので、櫃まぶしじゃなくて、暇つぶしにどうぞ↓
と言っても 本の写しです^0^ なんちゃんて〜〜

http://homepage2.nifty.com/island2/gagaku.htm

それと、雅楽のhpもありますよ→http://www.gagaku.net/


[1364]  なんぞ・なんぞ、なぞなぞ  [焼尻紋次郎]  06/28

 売られたクイズは買わざぁなるめぇ。下へカシぃ換えやしょうぜ。

 ところでサラセッセは明日から足のある身分のまま、大きな大ヒマだとのこってすが、イカガシコヲのミコトかね。
 このごろの日本人は何を聞かせてもビックリしねぇ。だが、岩槻加倉のアレがほんま古墳やったら、ま、ミナシャンでんぐり返るんじゃねーだろーか。おらっちをキャンプ・ベースにしてでんぐりがえしやらんカネ。
 chakura……チャクラなんちゅう音は倭人はキライです。そういえばサクラもさることながらカクラにもなりうる。

 人相は立派な遺跡です。
 おなじ筑豊でも田川郡には美人はいねぇ。しかし、おらがミシンの外交(セールス)やっていたときに、田川郡の「つの村」から来ていた加来(カク)という事務員は美人だった。
 -ra は強調末尾辞なのでカクラのラを脱落させたのかもしれない。

  クイズ問答 の土俵; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi


[1363]  読者A(これから)  [香具]  06/28

大三元さんのご著書『古代日本史と縄文語の謎に迫る』。
神戸の本屋では今日から棚に並びました。さっそく購入、これから読みます。

紋次郎親分も2作目の出版をめざしてネ。また、setohさんと玄松子さんとの共著で神社のガイドブックが出版されないかナ〜と、妄想もしているこの頃です。


[1362]  クイズの神様?  [Setoh]  06/28

埼玉県下特有の神社に久伊豆神社があります。54坐。
紋爺の[1360]に出ている岩槻市加倉にも久伊豆神社「大己貴命」が鎮座しています。ここの読みは「ひさいず」ですが、加須市の久伊豆社は「くいず」と読んでいます。

越谷市越ケ谷の久伊豆神社の由緒
 久伊豆神社は武蔵国の東部の地域にあたり、創立年代は不詳であるが約一千二、三百年以前にさかのぼり、特殊の信仰に支えられた神社と推察され中世以来当時の有力な武士グループであった武蔵七党の一である私市党(キサイ党)の崇敬を集めた。

岩槻市宮町の久伊豆神社の由緒
 社伝によれば第三十五代欽明天皇の御代、出雲の土師の氏人が当地に住みついて、開拓に従事した時、国土開拓の神である大国主命を、出雲の地よりむかえて、神の加護を祈ったといわれている。今を去ること壱千数百年前である。
またこの地方には久伊豆神社をまつるところが非常に多く、当社は古くより久伊豆四社の一つと称され武蔵七党の流れをくむ野与党の一派が元荒川の流域に勢力を扶植した当時氏神として崇めたもの。

久伊豆神社の元社
 文武天皇の時の東国道巡察使多治比真人三宅麿により創建されたという式内社で北埼玉郡騎西町の玉敷神社・久伊豆大明神が元社のようです。

 この久伊豆、伊豆は何でしょうか。永らく齋祀れよということでしょうか、それとも伊豆美は泉、岩槻市には和泉三社なる神社が鎮座、大鷦鷯命、水齒別命、去來穗別命と仁徳天皇以下が祭られています。


[1361]  ありがとうございます  [山浜]  06/27

瀬藤さん、ありがとうございます。
お忙しいところ、神社庁までお足を運んでいただき恐縮する次第です。
いつもしようもない質問をしているようで申し訳なく思います。m(_ _)m

雅楽は曲の調子自体に季節が割り当てられてある(平調は秋とか、盤渉調は冬)など、意味づけがいろいろあるので、献撰や撤撰などの儀式毎に定番の曲があるのかなと思ったのですが、「地域で独特のやり方」、「同じ曲もある」とのお話は少し驚きました。

最初は全部同じ曲のようにしか聞こえなかったのですが、神社参拝の車の運転中に聞くようにしたところ何曲かはわかるようになりました。
ちなみに、今年の4月15日の、熊野本宮大社祭では「平調の越殿楽(黒田節の原曲で神前結婚式で良く流れる曲ですね)」が奏上されておりました。


[1360]  アイシン・カクラ と タカクラジ  [焼尻紋次郎]  06/27

 ♪√ 花も嵐も 踏みこえて ゆくが男の 生きるみち
    泣いてくれるな ほろほろ鳥よ  月の比叡を ひとりゆく

 映画; 「愛染(あいぜん)かつら」の主題歌。この歌が流行っていたころ、満州ではアイシン・カクラという旧王朝の血をひく人物が脚光を浴びていました。アイシンとは「金」です。
アイが英語の iron(鉄)に相当し、シンはネパール語の sun(金)ならむ。

 ところで、旧大宮市の東、岩槻市には作りかけみたいな巨大な古墳跡がみられます。その規模は応仁天皇陵をはるかに上まわり、中央にはお寺があります。前方後円の“方”に当たる底辺は畠ですが、ウネの走りは、予想される昔日のものに平行になっています。小生はたまたま航空写真で紹介していた分譲墓地の折り込みチラシをみたのですが、ギョッとなって驚きました。

 その地名はカクラ(加倉)。 千葉県佐倉市(chakra……王)近くの成田市にも加倉があります。
 カクラは「神・座」でしょう。その座にすわる神が、ta-kakura かな?
 熊野のタカクラジは ta-kakura-raj が原形だと思います。raj は統治、政治を意味します。

 古代のことばホレホレ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi ホレ


[1359]  Re[1355]: この頃思うこと  [Setoh]  06/27

山浜さん> ところで、私事ながらこの頃かなり雅楽に、はまっております。神前での儀式には雅楽はつきものなのですが、献撰や撤撰の時の定番の曲などがあるのでしょうか?

 立地の断層面から雪の山形、はては雅楽まで、山のごとくはまっている山浜さん、こんにちは。
 近所の神社の神職さんに聞いたのですが、雅楽の専門集団におまかせタイプが多いようで、坐摩(いかすり)神社境内の大阪府神社庁へ行って聞いて来ました。(``!
 1.地域独特のやり方があり、定番の有無は一概には言えない。
 2.献撰と撤撰で同じ曲目が演奏されることがある。
ということのようです。以上頼りないお神奈備のお答えでした。


[1358]  こ と だ ま  [焼尻紋次郎]  06/27

> 夜明けを「告げ」る「とき」の声という説がありました。鶏が狛犬の代用も意味があるのかも。
 都祁から東方の地域をを邪馬台国の都支(闘鶏)の国に比定する事もできます。都祈は漢音でトキ、呉音ではツゲと 発音するそうです。

☆ ポリス国家形成時の南部朝鮮語は大きく分けて三つあった……は言えるみたいですね。
  その場合、それぞれがシナの中原、呉、百越(江南)のそれぞれの言語をどのように写していたか……などは、あと100年経っても分らない……のかナ?

 都祁をニワトリの「鬨・告げる」に比定したひとは、いいとこの坊ちゃん育ちだと惟ふ。サラセッセからいっぱしの“説”としての評価をもらったが、おらは“思い付いて書いただけ”と評価する。
 このご仁はオトの物理的な響きが同じである以上、そこには神が管掌している「ことだま」によって「当たらずとも遠からず」にしかならないという楽観に絶大な希望をよせている姿勢が伺われる。
 
 果して民族に“ことだま”はあるのか ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


[1357]  Re[1356][ カムナビnow「日高」 [Setoh]  06/26

 夜明けを「告げ」る「とき」の声という説がありました。鶏が狛犬の代用も意味があるのかも。

 都祁から東方の地域をを邪馬台国の都支(闘鶏)の国に比定する事もできます。都祈は漢音でトキ、呉音ではツゲと発音するそうです。

 紀の国の日高の田辺市に闘鶏神社(とうけい)が鎮座しています。偶然ではないのかも。


[1356]  Re[1348][1335]:マルヤの語源 [Setoh]  06/25

カムナビnow「日高」

> 本日は早朝より南紀日高へ行き、龍神温泉、高野山、かつらぎ町と周り、先ほど帰ってきました。
> 今日(24日)は・・・
すごいペースですね。胃のウラと不整脈とは信じられませんね。夏はほどほどにネ。

 紀の国の日高という地名は奈良時代にすでにありました。
 東北では、谷川健一さんの『白鳥伝説』には、北上川と呼ばれる前は日高見川だったとか、更にその前には日の上川だったとあります。
 また貞観元年(859)年に日高見水神の位をすすめています。
 大和の東をさすといわれる「大倭日高見国」を三輪山周辺の呼称ともしています。都祁辺りも日高見国だったかもしれません。
 日下倭人さんの『古代史倶楽部』に「―日下考―」があり、この中で新羅の神話が紹介され、この中で「新羅の祭天の場所を迎日県または都祈野と称したとあり、トキノの地名は攝津の都下(とが)または菟餓野(つがの)の名で残っている事実、あるいは奈良県都祁(つげ)村の存在に注目したい。」と指摘されています。
 都祁は何故ツゲと呼ばれたのか疑問でしたが、日高見国であったとすると、インテリ新羅人の登場でそうなった可能性も充分ありえますね。


[1355]  この頃思うこと  [山浜]  06/25

土曜日のNHKスペシャル見ました。私も瀬戸内さんと同じ時期に出雲大社に参拝したので、とても感慨深いです。本殿は今の本殿より手前に建っていたのですね。

ところで、私事ながらこの頃かなり雅楽に、はまっております。
神前での儀式には雅楽はつきものなのですが、献撰や撤撰の時の定番の曲などがあるのでしょうか?また、御祭神をお慰めするような曲はあるのでしょうか?
ご存じの方教えてください。よろしくお願いします。


[1354]  近未来・ジンジャ・エール  [焼尻紋次郎]  06/25

 I.T.革命、急激展開ちゅう。わえら近未来へしかようモノ言えしめへんのや。

* 神殿と寝る床は地下に作って、壁には岩を露出させる。
  拝殿は100人が座れる広さで、岩または木の柱を4本置いて結界を作る。
  祭壇はすべての宗派の様式を採用する。決まらぬときはジャンケンできめる。
  祭壇の奥は、グアムの横井さんがやったように風通しをよくして、50室内外のキャビンを作って、歩きまわる青年に無料で提供する。
  電車、ジドシャ、バイク、自転車などの乗り物に乗ってさまよう青年は泊まらせない。
* 炊事場、風呂、便所は地上に作って肥料製造所にする。
* この総合施設は青年の瞑想〜修練の場にする。
  日本全国に2000ヶ所は作る。
* ならずもの、不良分子がまぎれこまないように、1ヶ所10名の香具さん部隊が交替でピストルを持って警備に当たる(そのような法律を作ればいい)。
  香具さん部隊はボランティアで賄う(すまんのう)。
* 泊まった青年に朝の2時間は、後始末をさせる。
* 神社の名前は「コヒ山形」のように、古代語で命名する。
  どんじゃらほい


[1353]  処方アガアガ  [マルヤ]  06/25

Setohさん、紋次郎さん、ピロリ菌の件ありがとうございます。
近日中に、引き続き「エコー検査」とやらを受けることになっているのですが、結果次第で「抗ピロリ菌療法」を試してみようと思います。ありがとうございました。
紋次郎さん、私の心臓はいつも不整脈と診断されていますが??

今日(24日)は、橋本〜五條(南宇智)〜西吉野〜五條(北宇智)〜御所〜高田〜王子〜平群〜生駒と、昨日に引き続き南から北へ神社を訪ねつつ、大和を縦走しました。


[1352]  Re[1351][1346]: 狛犬?  [あかがね]  06/24

> http://www.kasama-kasama-j.ed.jp/kasama-j/minwa/ue/minwa14.htm

↑早速見てみました。なかなか面白いはなしですね。
 鹿島神宮も多氏絡みの神社ですし、かの「鹿島鳥居」が大井神社に由来したとしても不思議はないのかもしれません。
 ・・・ただ、私が昨日参拝してきたのは式内論社とされている、水戸市飯富町(これも飫富(=多)の転であろうといいますが)の大井神社でそこには鳥居は立っておりました。
もちろん最近のものかもしれませんが。
 神八井耳命は千葉県君津の飽富神社を創建した事になっていたり、藤井寺市の黒田神社に墓があったりと、よく分かりませんが笠間にも来ていたとは・・・。
 ただ、常陸国風土記によると水戸の大井神社のある那珂の国造の祖建貸間命は肥の国の杵島曲(きしまぶり)を歌ったとあるので、常陸の多氏は神八井耳命の子供の代、九州へわたって以降のお話であろうとは思いますが・・・。

 それはそうとやっぱり、式内社だけを廻っているだけでは駄目ですね。


[1351]  Re[1346]: 狛犬?  [Setoh]  06/24

>  こんなんありなんですかね・・・。

大井神社には鳥居がないそうですが、それとの関係でしょうか?
http://www.kasama-kasama-j.ed.jp/kasama-j/minwa/ue/minwa14.htm


[1350]  和歌山よかとこ 梅のさと  [焼尻紋次郎]  06/24

> そんなええ薬あるんやったら、もっと早よ教えとくんなはれや」・・・
☆ わてかて、テレビでおととい知ったばぁでんがな。ただ、おらの親友エットクソも1年前にピロリ退治を(このときは入院して)やりました。
  90%以上の胃潰瘍はピロリ菌のイタズラとか。そいつをやっつける西洋流クスリは用意されてあるそうです。詳しくは毒太へ。
  餌袋の裏がイテェイテェ……でちょと気になる。心臓のケはいかがさんで?
  「マルヤの語源」やっぱ、当たらず近かからずデシタカ。一応、船、船乗りさんのほうでんな。
  バッテン、「ウマ・アッタリィ〜」もおてんと様に堂々と言えるンよ。

 サラセッセ、よどこべ。梅が神経の特効薬デシタ。
 とろ火で1時間ほどかけて蜂蜜といっしょに青梅を煮込む。果肉は崩れるが気にしない。いまなら、まだ青梅は八百屋さんで売ってらいしょ。
 イタキソさまのお導きカネ。このところ、紋ちゃん毒太カネ。おらも、もういっぺん立とうカネ。


[1349]  横からピロリ菌  [Setoh]  06/24

http://www.osaka.med.or.jp/health/family/60/60.html
など参照。

抗ピロリ菌ヨーグルトがあります。
 明治乳業 プロビオヨーグルト LG21
というものです。
実験では 1回90Gを 一日2回 食間に食べています。
8週間で大半の人が相当減少していました。

 明治乳業の回し者ではありません。


[1348]  Re[1335]:マルヤの語源  [マルヤ] [Url] 06/24

本日は早朝より南紀日高へ行き、龍神温泉、高野山、かつらぎ町と周り、先ほど帰ってきました。そしたら今日も「神奈備」は書き込みが一杯。読むのが大変でした。

紋次郎さん、独特の切り口による言語解析を、いつも返し読みしてはその面白可笑しい言い回しの中にも意味があるようで、教わることが多く考えさせられています。
>  マルヤ命名の動機は「ウマ」とか「アァタリ〜〜ッ」のおつもりだったかな? だが、
>イミシンな
> イマイチの意味があった。なぜ「当タリの神」になるのか……このへん下手に書きやした。
ほにゃらかの「マル」についての書き込み、興味深く読ませていただきました。
実は私は「マル」の音韻がもつ意味を考えず(分からず、考えもせず)ただ、丸谷だからマルヤとしただけなのです。
私は吉野生まれで、両親もまた吉野生まれなのですが、マルヤのルーツは吉野のほか、房総半島、上総国にもあります。
>  胃の調子がお悪いとか。そりゃ検査しただけ時間手間をソンなすった。ピロリ菌にきまってらぁ。
そうなんです。どうも背中の胃のウラあたりがいつも重く、時々鈍痛があります。それで検査を受けたのですが、胃カメラで胃の粘膜を傷つけただけかもしれません。
ところで「ピロリ菌」って何なんですか?
> メニューは強弱二つあるが、2ヶ月たらずかけちクスリのむのがいい。テレビがそう申していやした。
神奈備ファンで、私以外にも胃の調子の良くない方がいるかもしれません。
「紋の伯父貴。そんなええ薬あるんやったら、もっと早よ教えとくんなはれや」・・・


[1346]  狛犬?   [あかがね]  06/23

 今日は水戸市周辺をうろついていました。
 五十猛命の祀られる青山神社や多氏がらみの大井神社にいってきたのですが、
大井神社には狛犬がなく、本来それが鎮座していると思しき場所には、左側に
ほんまものの犬の入ったたけかごが、右には同じく鶏がおりました。
 訳を尋ねようにも社務所もたってないし、一体誰がえさをやっているのやら・・・。

 こんなんありなんですかね・・・。


[1345]  Re[1342][1340]: ♪スミレの花咲く頃〜  [Setoh]  06/23

> 「稲倉山」はまだ判りませんが、三田市の千丈寺湖の湖畔沿いに「飯盛山」(362m)がありました。湖を挟んで県道三田篠山線が走っています。報告まで。

三田市唯一の稲荷神を主祭神とする神社、かつ唯一の稲荷神社が飯盛山に最も近い神社というようです。偶然にしては出来過ぎですね。近づきました、という感じです。AIされている〜。

三田市末 稲荷神社「宇迦能御魂命」往時より一宇の神祠あり。当地の開霊にあたり、伊奈利大神を奉斎せしが、明治40年、伏見稲荷より分霊を勧請とあります。
途中で衰えて、再建したということでしょうかね。

it's bun 逸文 原本はなく他の書物に引用されたものが載っているようだね。


[1344]  鎌八幡宮  [kammer]  06/23

>setoh様
>天王寺区空清町4の善福寺(真言宗)山門入り口に、「鎌八幡宮」の石柱があるそうです。酒、勝負事などを断つ願かけだそうで
鎌八幡宮が大阪にもあるんですね。出張で天王寺に毎月行っていますので一度よってみます。でも石柱なんですね。和歌山の鎌八幡宮はご存知のように木に鎌がたくさんささっています。昔鎌八幡宮に使用していた柱を持ってきているのでしょうか?それともまさか石柱に鎌がささっているとか。それはないですね・・・。和歌山の場合空海が四国?からもってきたもの?。
写真を見たい方はこちらのHPの丹生酒殿神社を見て下さい。


[1343]  Re[1342][1340]: ♪スミレの花咲く頃〜  [Setoh]  06/23

香具さん、ありがとうございます。
> 『猪名』と『稲』
地名で「稲」を使っている所はあるようです。猪名氏の拠点に箕面市稲という地名が残っています。

> 猪名川町近辺に戸隠神社
修験道の拠点となっていたようです。

> 『猪ノ倉峠』
近くに天満神社がありますが、摂社に稲荷神が見あたりませんが、しかし候補ですね。この神社に磐座があれば、一歩前進かも。

磐座ですと、為那都比古神社の近くの医王岩(廃大宮神社)が有名で、銅鐸も出土していますが、それ以上のものは見つけていません。

kammerさんにお知らせこれあり。
摂津を調べていた余録ですが、天王寺区空清町4の善福寺(真言宗)山門入り口に、「鎌八幡宮」の石柱があるそうです。酒、勝負事などを断つ願かけだそうで、中性脂肪対策にはよろしいようで。


[1342]  Re[1340]: ♪スミレの花咲く頃〜  [香具]  06/23

> 稲倉山/豊宇可乃売神/山の中/飯を盛る/山を台所・・・
「稲倉山」はまだ判りませんが、三田市の千丈寺湖の湖畔沿いに「飯盛山」(362m)がありました。湖を挟んで県道三田篠山線が走っています。報告まで。


[1340]  ♪スミレの花咲く頃〜  [香具]  06/23

さて「摂津の稲倉山」、摂州の産ではあるものの淀川から東はサッパリなので、西摂側を探してみます。手掛かりは、[1336] より、『稲倉山/豊宇可乃売神/山の中/飯を盛る/山を台所/丹波の国/比遅の麻奈韋』、『大阪の玉造稲荷に逗留』。

『のちにわけがあってやむおえず、ついに丹波の国の比遅の麻奈韋に還られた。』
やむを得ない訳けとは、どんな訳けだったのでしょうね。また、山を台所にする理由、山の中で飯を盛る相手など、意味を探りたくなる思わせぶりな記述です。
さて、「丹波・・・に還られた」ということは、仮に稲倉山へは丹波から来たと短絡させてみます。西摂と丹波を結ぶ素直なルートは今のJR線のように尼崎・西宮・伊丹・宝塚・三田を経由して丹波篠山へと考えられます。猪名川・武庫川沿いのルート。山らしい山が始まるのは宝塚に入ってからです。そこで宝塚市・三田市・猪名川町で稲倉山を地図で探しましたが、まだ見つけていません。猪名川・猪名野は古代の猪飼部にちなむ地名だそうですが、『猪名』と『稲』は繋がらないのでしょうか。宝塚市と三田市の境に『猪ノ倉峠』という処はあるのですが・・・。宝塚駅から南西に見えるのは『岩倉山』(489m)、1字違い! 岩倉山の南3kmはあの『甲山』・・・意味深ですね。

別のヒント『山の中』から、宝塚で有名な処に中山寺があります。安産祈願の腹帯で、関西ではかなり有名です。皇室は奈良の帯解寺、庶民は宝塚の中山寺って感じです。寺の後ろに中山(478m)があって奥の院も、この山中にあります。この中山寺は聖徳太子の開基だそうで、そこから『大阪の玉造稲荷に逗留』の件と繋がりそうな気配がします。玉造稲荷が元天王寺という説があるそうなので(未確認)。聖徳太子伝説も絡んでくるのでしょうか。「摂津の稲倉山」出てきませんね、もう少し地図を見直します。
中山寺の西にあるのが『売布神社』。
布を売るのは判りませんので、setoh先生お願いします。

猪名川・武庫川下流に広がった西摂は、弥生時代から栄えた、豊かで勢力をもった地方だったと思います。瀬戸内西国と河内・大和との交流拠点だけでなく、ここから、丹波・丹後へのルートもあり、豊受大神が籠神社と伊勢神宮を行き来する中継点だったかもしれません。(京都→淀川のルートはどうだったのでしょうネ)
『宝塚』が『高倉塚』と言い出すとトンデモ説になりますが、猪名川町近辺に戸隠神社をよく見かけるのは、これまた何故なんでしょう?


[1339]  ア−オ・アオアオ〜 キチガイ・ジャングル [焼尻紋次郎]  06/23

 kammer 将軍、サラどんともものスゲェこと言わはる。
* 爾穂とニューは意味語源がちがうとみたが、おらのヒガ目か。そのニ(土地)での「神の座
  (ホ)」が爾穗と思われます。また ni(丹)は「青」とみたがいいみたい。青稲穂では?
  アオニヨシの語源は堀井令以知さんによれば学的にワカラン段階だとのことです。尻ているのは
  紋次郎だけカネ。

* 逸文というのは、紛失していた文章という意味カネ。いづれにしろ、文章ぜんたいが後世の府会
  に満ち満ちてらいしょ。トヨウカさんは伊勢とここにしか見られぬのカネ? ケツの穴から食い
  物出してコロされた四国の神様もこんな名前じゃなかったやろか。なんでモトイセが言える?
  ヒジのマナイ……こんなの意味わかるよね。なんじゃと? まだワカランかったら下記へ。
  けふの夕方までに「ヒメの語源」をケツ飛ばしたい。“売”が絶大なるヒントだったよ。 
  イタキソ様のお導きかね。たまにはくだらんヒント言うてくれ。忙しいでイカンわぁ。

  ミナシャァ〜ン、また大勝利だ!!; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi


[1338]  Re[1334]: 将来の神社はどうなるのか?  [Setoh]  06/23

kammer らしい、真摯なご投稿ありがとうございます。
以下、雑感にすぎませんが。

> 過疎化の進む地域
過疎により朽ち果てる神社を目の当たりにしました。
岐阜県大野郡丹生川村の伊太祁曽神社の一つは合併と言う形で消滅していました。
www.kamnavi.net/it/hida/hdike.htm
林業の衰退は植樹神伊太祁曽神社を直撃しています。たった二軒の氏子では維持は無理ですね。

> なんでそんなんに金はらわなあかんのや
他の宗教の進出で地域ぐるみで運営しにくくなった神社があります。
桜井市大字滝倉の滝蔵神社(たきのくら)は某学会員が抵抗
www.kamnavi.net//as/takikura.htm
これは宗教法人を名乗る限り、でてくる問題ですね。祭祀法人という案もあるようですね。

> 最近神主がいない神社
大阪の高槻市の某天満宮は、元電機会社社員の氏子総代の方が神社の代表役員について、日頃の運営・経営に当たっておられます。神職は祭祀を専門にされる、某大学の工学部講師の若い方です。
所が一般には銭儲けを祭祀を司る神職に考えさせています。これも問題ですね。
神主が常駐していなくても、このような方が運営されておれば、それでいいのでしょう。


[1337]  丹生都姫神社と丹生酒殿神社  [kammer]  06/23

先日、酒殿神社の丹生都姫の社には何が祭られているのか聞いたところ、稲穂が祭られていたとか。播磨風土記の爾保、あるいは広島の爾保姫神社なんかから、丹穂つまり赤米なんかの稲穂=稲作の神でもあった可能性がありますよね。水→水銀→稲作の神の変化あるいは水→稲作→水銀の神の変化があったのかもと思わされるお話でした。水が始めにしたのは単に水がなんに関しても根源となるものだからなので特に意味はありません。
問題は丹生都姫神社の丹生都姫の社の祭られているものです。一体何が祭られているのか?ご存知の方は教えて下さい。
もひとつ、setoh様のHPをみて気付いた事は、丹生都姫神社と酒殿神社との祭神の違いです。丹生都姫と高野明神は同じですが、酒殿社では健御名方命を祭っています(私もsetoh様のHPで始めて知りました)。また酒殿社は気比明神、市木嶋明神が祭られていません。丹生祝氏は古来、酒殿社を里宮(三谷)、丹生都姫神社(天野)を山宮として両方を見てきました。なのに祭神が違うのはなぜ?どうして健御名方命を祭っているのか?
山登りを1時間するだけの距離の近さで、違いがあります。祭神も違いますが、天野の丹生相見氏はずっと丹生の姓ですが、三谷の丹生祝氏は一時期藤原姓を名乗っていた(名乗らされた?)時期もあるようです。南北朝時代に吉野に調伏のため藤原姓で行っています。一山違うだけで結構違うもんだと感じました。
竃門神社も、丹生酒殿神社にあってもおかしくないと思うのですが、隠す様に個人の敷地内に祭られている。なんか、大事なものを隠すかのように。なんか鉱山師に関わる秘密があるのでは?なんて空想が膨らみすぎました。


[1336]  元伊勢の元は摂津  [Setoh]  06/23

摂津国の風土記逸文から

摂津国の風土記にいう、稲倉山。昔、止与う可乃売神(う=口篇に宇、とようかのめ)は山の中にいて飯を盛った。それによって名とした。
またいう、昔、豊宇可乃売神はいつも稲倉山にいて、この山を台所にしていた。のちにわけがあって、やむおえず、ついに丹波の国の比遅(ヒヂ)の麻奈韋(マナゐ)に還られた。

さて
摂津の稲倉山ってどの山のことでしょうか?
小生、大阪住まいですが、紀州の田舎もん、あかnねー、匂いもKAGげん。

また豊宇可乃売神は伊勢へ赴く前に、大阪の玉造稲荷に逗留との話が残っています。


[1335]  マルヤの語源  [焼尻紋次郎]  06/23

 マルヤのニシパ、ご発展おめでとさんにござんす。Kamme 将軍も出番待ちというところでござん
しょうけぇ。あっしなんざは丹生都姫の「丹」にひっかかって、ブ〜ラブラ風に吹かれちいやす。
 マルヤ命名の動機は「ウマ」とか「アァタリ〜〜ッ」のおつもりだったかな? だが、イミシンな
イマイチの意味があった。なぜ「当タリの神」になるのか……このへん下手に書きやした。

 胃の調子がお悪いとか。そりゃ検査しただけ時間手間をソンなすった。ピロリ菌にきまってらぁ。
メニューは強弱二つあるが、2ヶ月たらずかけちクスリのむのがいい。テレビがそう申していやし
た。
 当たらずとも近かからず ;http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi


[1334]  将来の神社はどうなるのか?  [kammer]  06/22

最近つくづく思うこと。
それは今ある小さな神社は将来あるのだろうかと言う事です。先日の白山神社もそうですが、神社を修理するには多額の費用がいります。大阪であれば氏子も多いのでなんとかなるかもしれませんが、過疎化の進む地域ではそんなお金はなかなか出てきません。私の地域でもお寺を建て替える話が出てきていますが、1戸60万円いるそうです。将来さらに過疎化が進み、費用が集まらない地域では、神社や寺が老廃あるいはどこかに合祀されたりするんでしょうね。また、今の若者が一家の主になると、なんでそんなんに金はらわなあかんのや(関西弁)、なんていう人も出てくるのでしょう。また、最近神主がいない神社もありますよね。兼務してたり。私の地域の神主さんも亡くなって、今度は神主さんが来ないかもしれません。丹生都姫神社も管理する人はいるけど、神主さんはいないと聞いています(近くの神社の神主が兼務でやられているとか)。
そう考えると今のうちに神社巡りして写真など形に残さないとと思う今日この頃です。


[1333]  Re[1332]: 丹生都姫の会  [マルヤ]  06/22

> 賛同致します。つくられましたら是非参加させて下さい。
kammerさん、ありがとうございます。
でも実際はkammerさんの方が適任かもしれません。私よりはるかに丹生のことをご存知と思います。なにかお尋ねするかと思いますがよろしくお願いします。

私、今日は午前中は胃の検査で病院でした。胃の内視鏡検査は初めてで、カメラが小さくなった(らしい)とはいえ、かなり苦しいものでした。午後からは家で電脳郎子と顔をつきあわせています。


[1332]  丹生都姫の会  [kammer]  06/22

マルヤ様
賛同致します。つくられましたら是非参加させて下さい。
3作目も待ち遠しくて、ちょこちょこマルヤ様のHP伺わせて頂いております。

setoh様
八百比丘尼が祭られているところってあまり無いんですね。伝説は多く残っているような話みたいですが。金山って言う地名なんですね。


[1331]  丹生川上のご神饌  [マルヤ]  06/22

玄松子さん、ご指摘の通り金も白でしたね。気が付きませんでしたが、そうすれば「鍬」という字は白ずくめだったのですね。

神饌で思い出しましたが、丹生川上神社(下社)のご神饌は赤米、白米、黒米のほか、麦(青?)、粟(黄?)などと有って五行に配当できます。
私のモノ語りにも書きましたが、毎年秋祭り前に調製され、いずれも20センチ位の見事な男根形に仕上げられています。
ご興味の方はhttp://www5.ocn.ne.jp/~miyosino/yasiro_003.htm


[1330]  Re[1329]: 皆様のご縁  [玄松子]  06/22

> 「鍬」という字ですが金偏を外せば「秋」となり、白秋、白虎、など、白と繋がります。

五行では、「金」も白ですね。


[1329]  皆様のご縁  [マルヤ]  06/22

Setohさん、ご賛同いただきありがとうございます。とてもうれしく、心強い思いがします。
「丹生都比売の会」の件、神奈備ファンのご縁で、何かとお教えいただければ、つくれるかもしれません。本気で考えてみたいと思います。

泊瀬女さんの紅白についての考察、興味深いですね。
そういえば、「鍬」という字ですが金偏を外せば「秋」となり、白秋、白虎、など、白と繋がります。面白いですね。


[1328]  進化する延喜式神名帳  [習志野のてつ]  06/22

読み込むとコストと時間が無駄になると思い、延喜式神名帳をCDに落とし込んで見て(読んで、観てまで深くない)いました。
その為見落としていました。最近(実はさっき)改めてネットから見にいったら、??前と違う?…違ってました。
《 神奈備神名帳 》 は進化していた。 恐るべし神奈備!(尚、私が気付いたのは、下総の国・蘇賀比メ神社でした。)


[1327]  Re[1323]: 丹生都比売さまのご縁?  [Setoh]  06/22

>「丹生都比売の会」の件。ご賛同いただければうれしいです。
賛成です! 大賛成です!!
マルヤさんのHPに「丹生都比売の会」の掲示板が出来るといいですね。

> 丹生都姫神社の八百比丘尼
丹生都姫神社の輪橋について、続風土記に「長さ十間餘幅二間餘本社の正面五十間許池に架す 池中に小丘あり相傳ふ往古八百比丘尼神鏡を納めし所といふ」とありますね。

八百比丘尼を祀る神社が見つかりました。
愛知県常滑市大字金山字菖蒲池61の諏訪神社の摂社八百姫神社です。今の所、此処だけです。


[1326]  またまたキチガイ発想をどうぞ  [焼尻紋次郎]  06/22

 このキチガイ想念、もう少しおらの掌に入れてゴロンゴロンさせて置こうかと考えていましたが、はからずもグッド・タイミングを迎えてしまいました。

 曰く、「万象は人間の目で見えるところのものの反対事物を呑込んで成立している」デス。
khokra(からっぽ)の延長の先でとっ捕まえました。
 とにかく、古代人はそう考えていたと思うのです。

 創造を計ろうとしたら破壊を。充実を計ろうとしたらカラッポを、といえば解りが早いでしょうか。だが、テテテキやるインド偏執はそれだけでは収まらない。
 青いものを見たあと、視野を別のところに移すと、赤が残照となって見えます。古代人は青の中に赤が含まれているのだと思ったからでしょう。古代人といえど補色のことは知っていたでしょうが、白の補色は黒でもいいし、赤でもよかったでしょう。現代人はこれを見て嗤えません。
 水は火を呑みこんでいるから水でいられる。……シナの陰陽よりもいっちょ徹底カネ。
 形あるものは、やがて亡びるが、亡びるまでは形から捕われている。最も崇高なものは万物を呑みこんだ“空(くう<kho)”である! 同じ kho でも結界のウチの“マ”である“マ”とは六畳間、十畳間などの「柱と柱のあいだ」のことでした。
 あ、赤はひつじのイケニエの血でしょうよ。柱や門ぐちにぬったくたりして……。
 モーゼカネ。

 クワ、あかもさかなどは ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi で解剖。


[1325]  Re[1324]: 紅白  [玄松子]  06/22

赤飯は赤米の代用品だと聞いた事があります。

> 紅白はお目出度い色の取り合わせです。赤・朱・紅。なぜ紅白はお祝い事に使われるか?朱は魔よけの色でもあるのでしょう?なぜ?

中国で、朱が魔除けの色というのは有名ですね。中国の影響か。
陰陽五行としての意味、赤は非日常「ハレ」の色、疱瘡除けの色。
「泊瀬女さん」らしい考察、期待してますよ。

そういえば、疱瘡は、赤疱瘡(あかもがさ)ですね。


[1324]  紅白  [泊瀬女]  06/22

マルヤさんの書き込みで丹生都比売神社を思い浮かべていました。朱塗りの社殿や反り橋が実に華やかで美しい神社です。
知人にお祝い事があり、祝儀袋を用意しました。紅白です。
紅白はお目出度い色の取り合わせです。赤・朱・紅。なぜ紅白はお祝い事に使われるか?朱は魔よけの色でもあるのでしょう?なぜ?
5月末頃質問した「鍬靫」がまだひっかっています。対馬・豆酘・高御魂神社の宮司さんが話してくれた鍬=湿田、靫=乾田との説。対馬・豆酘では赤米が神様の田で厳かに栽培されるという。赤米は穀霊として神として祭ってきたとのこと。
赤米は今は水田で作られるけれど、本来は陸田で作られていたとか。
鍬−湿田−白米−白  靫−乾田−赤米−赤

神道の儀式については全く無知ですが、神社にお参りして拝殿を覗くと御幣が奉られていますね。御幣の色は、金銀・紅白・白・5色など見た覚えがあります。
もし、神名帳に「鍬靫」とある神社には本来、白い米と赤い米が奉納されたが、それが変化して紅白の御幣が奉られる・・・ということになった。そうだと面白いんだけど。

紅白といえば、諏訪大社・上社前宮のお祭りでも古式の供え物に紅白のこだわりがあると聞きました。鹿の肉(赤)に鹿の脳みそ(白)、茹でた鹿の肉(赤)に茹でた兎の肉(白)、二つの樽に蒸した米、一つの樽には串刺しの白兎を立てる。白い蒸し米は兎の血で赤く染まる。蒸した米=白、血に染まった蒸し米=赤。

神様は紅白の色の取り合わせをお好み? 紅白からの空想。
恋だ愛だの次は色???  ウーン! 方向が変だ。


[1323]  丹生都比売さまのご縁?  [マルヤ]  06/21

「丹生都比売の会」の件、このほど丹生官省符神社 M宮司さんのお世話で、横浜の同会主宰者のH氏と連絡が取れました。病気ご療養中との事でしたが、快く電話に応じてくださり、会報などの資料も送っていただきました。
お話によると病気のため、ここ3年以上も活動はしていないとのこと。
こうしてM宮司さんのご紹介で親しくお話できたのも何かのご縁と思い、「丹生都比売の会」をつくってみようかと考えています。ご賛同いただければうれしいです。

○今、小生はHP上のモノ語り「真朱の姫神」三作目を書いています。
<ヤマト編>として、7月には掲出を始めたいと考えています。
よろしければ、ご覧いただいて又ご批評・ご意見を頂ければ幸いです。


[1322]  比丘尼  [kammer]  [Url] 06/21

setoh様
>熊野宣伝の熊野比丘尼の話に尾鰭かと思っていました。
実際分かりませんが、私も尾鰭かなと思っています。ただ、作者の岡野さんが、丹生都姫神社の八百比丘尼から、丹生→水銀→不老不死→八百比丘尼(八百歳でも若若しい女性)→白比丘尼を連想してコミックの舞台にされたんだと思います。

>みなさま
すみません。私のHPでtopのページは見れるようなのですが、そこから他のページに行かないとのアドバイスを頂きました。私がみると問題無いのですが、もしお気づきになられましたら、掲示板を設置しておりますので、そこに書きこんで頂けませんでしょうか。あるいは同じ経験をされた方がおられましたらアドバイスを頂ければ幸いです。原因がわからないのでよろしくお願い致します。


[1321]  心、愛、DNA  [Setoh]  06/21

佐倉のご出身、奥吉野に坐すひふみさん こんにちは。カグツチノミコ、風邪、浄化、何かお名前の火風水が浮かびますね。
度会氏の江戸行き、難問ですね。
 所で、伊勢の外宮を見下ろす高倉山の頂上の古墳は、飛鳥の石舞台並の規模だそうですね。度会氏の祖先と言われていますね。高倉山の名も海人族の雰囲気ありありですね。

kammeさん> 丹生都姫神社の八百比丘尼の話
 熊野宣伝の熊野比丘尼の話に尾鰭かと思っていました。

 「神奈備掲示板」新境地誕生 心、愛、DNA !!!
DNA、小生なんかは遺伝的なもの、のイメージで適当に思っていましたが、色々あるんですね。

 故郷の神社を愛する心の奥底に遺伝子の働きを感じます。神様と同じ遺伝子を共有しているということ。それは故郷の土壌で培養されるんですね。だから好きで懐かしい。


[1320] 『ニロ噴文化史観(KB1320)』 [焼尻紋次郎]  06/21

 民謡の江差追分は毎年々々のど自慢みたいなのが開催された。とどのつまりは「笛そっくりの声」を出せるご仁が一位を独占するところとなった。
 民俗学の分野はなんかシランばってんが、「文章が上手でないと民俗学じゃない」みたいな風潮ができあがって久しいらしい。
 
 おらのこのごろの傾斜を察知したご仁が「これ読め」と『神木』なる本をみせてくれた。
 見て呆れた。なにやら神がかったようなモヒョロ・モヒョロした文章が並んでるのだが、それがいつ、どこの地域でそういえるのかの“学問”が、まった掴かめない。
 同質権威のもとで、50年もタラフク平和がつづくと、笛鳴らしみたいなただれが発生するが、そのことに全員気がつかないらしい。
 そういえば、元禄文化なんざはベチャクリン・ベチャクリンとして正常じゃなかった。

 この『神木』を書いた著者がなぜモヒョロ・モヒョロになったかを考えてみた。
 原因は4〜5ヶあるが、この著者はおらが先日書いたばかりの「地球規模の文化史」を把握できてないことが最大の原因で、このため「あれもある・これもある」だけの羅列に終わっている。ま、今の学者にそこまで要求するってぇなぁ酷ってぇもんでござんしょうがなぁ〜。

 そこで「地球規模の文化史」をもういっぺん、できるだけ簡潔に表現し、これに『ニロ噴文化史観(KB1320)』の名を与えておきたい。紋ちゃんこのごろ教祖さまカネ。
 ばってん、これ、暴れ者紋チャンをおおらかに包んでくれたミナシャンとサラセッセ・サリセッセのたまものならいしょ。ただし、『ニロ噴文化史観(KB1320)』がホンマかどうかはオラシラン。

 《 ニ 》 二万年前、ヒトが歩いてまわって地球規模の均一文化がひろがった。
 《 ロ 》 六千年前、原始林の巨大樹木を伐って世界規模の航海で均一文化がひろがった。
 《 噴 》 大河周辺で農耕の巨大文化が噴火し、ニロの均一状況を各地で遮断した。

 「人類はひとつ」なのら。  KBたぁ『かむなび』のことよォ〜。


[1319]  無題  [習志野のてつ]  06/21

今は奥宮となってますが、Y−I掲示板 [336] で、「酔っ払う安房」
としてカキコしてます。詳しくはそちらへ。今後この掲示板では違う
話題にしましょう。 以下[336] の概略

『弥生人の頭脳発見がニュースになり、 遺伝子型が見つかる可能性大。
その中で、ALDH2と云う遺伝子の型の違いで、酒に強いか弱いか決まる
オールドタイプモンゴロイド中に、分解能力を持たない新タイプが発生
、突然変異でアセトアルデヒド分解能力をなくし、酒に弱くなった。
弥生人は、ニュータイプの北方モンゴロイドが優勢の可能性大。縄文人
はすべて酒が飲めた・・・はずだ。』で、mtDNAや遺伝子は無関係です。


[1318]  安曇さんと度会さん  [ひふみ]  06/21

お久しぶりです。いつも、拝見させて頂いております。
3ヶ月程前に初めて投稿して以来です。
熊野に、3月3日に参拝して後、家族みんな風邪(?)でダウン。
私自身、40℃を越すが3日3晩続いてしまいました。身体の浄化でしょうか。(なにせ、メインで廻った所が、カグツチノミコトですから。)
それから、ちょっと自重して、子育てに専念しています。(三人の子持ちですので。末っ子がまだ0才児)

ところで、ひょんな事から又、旧知を暖め出した友の結婚相手が度会氏で、実は彼女の御母堂の実家が安曇氏だと判り、仰天。(ちなみに、ふたりの出会いは、やはり海だったそうです。やはり、御先祖の御縁でしょうか。)

さて、彼女によると、度会氏は江戸時代に一族全て江戸に移ったそうで、今は伊勢外宮祭祀には、ほとんど関係していない御様子。(新婚旅行にお参りに行った程度だそうです。)
何故、度会氏は、江戸に移ったのでしょう。何かその当時の手掛かりになるような資料、御存知ないでしょうか。もし、知っていたら、教えて頂けたらありがたいのですが。
よろしくお願いします。


[1317]  陰陽師  [kammer] [Url] 06/21

先日「知っているつもり」で陰陽師阿倍晴明をやってましたが、そこでインタビューされていた岡野さんのコミックに「陰陽師」があります。これの「白比丘尼」で丹生都比売神社が舞台となっています。丹生大明神告門も奏上されます。これは丹生都姫神社の八百比丘尼の話を参考にされたのでしょう。


[1316]  Re[1315][1314]…[1273]: 伊勢神宮の謎? [大三元] 06/21

「5世孫は、DNAレベルで近いとは云い難い」
>  相対的用語を使った為、カキコの中味が鮮明でなく恐縮

「DNAレベルで」とありますので、もう少し教えていただきたかったのです。
社会通念上「5世孫は、近いとは云い難い」というのには特に異論がある
訳ではありません。

>  ◎ヒトDNAは、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ではない。

宝来聡著『DNA人類進化学』というのが私の教科書なんですが、
「ヒトの染色体上のDNAには約30億個の塩基が配列されている。」
「ヒトのミトコンドリアDNAは、あらゆる生物種を通じてその全塩基配列が
解読された最初の例であるが、その結果、ミトコンドリアDNAは16569塩基で
構成された非常にコンパクトな環状のDNAで・・・」とあり人類の系統などを
「知るうえでたいへん便利な指標となる」とあります。そして母性遺伝である、
としています。つまり、ヒトのDNAには、核遺伝子のDNAとミトコンドリアDNA
の(少なくとも?)二種類ある。

ヒトのミトコンドリアの研究から日本人が二大系統に分類できる、という
ことや、幾つかの縄文人骨サンプルと幾つかの近世アイヌ人骨が同一の
塩基配列を持っていた(研究対象となった190の塩基に関して)などが
分かって来たわけです。

つまり、ヒトの遺伝的系統を論じるのに使われているDNAは、ヒトの
ミトコンドリアDNAなのだ、と理解します。核遺伝子のDNAを使った
このような研究があるのでしょうか。

ミトコンドリアDNAは母系のみで遺伝する訳ですから、応神と仁徳でさえ
母系が違えばミトコンドリアDNAは違う筈です。父系の系図しかないところで
ミトコンドリアDNAレベルで遠いとか近いとか論じることが出来ないのでは
ないか、というのが質問のポイントです。上記の縄文人とアイヌのように
100世代?も離れていても母系がつながっていれば、同じ塩基配列になるのだ、
ということでしょう。

これが私の理解なので「DNAレベルで」とお書きになったことが理解できない
のです。私の理解が間違っているからなのかも知れないのでお伺いしたものです。


[1315]  Re[1314]…[1273]: 伊勢神宮の謎? [習志野のてつ] 06/21

> 継体天皇に関してのご発言「5世孫は、DNAレベルで近いとは云い難い」
 相対的用語を使った為、カキコの中味が鮮明でなく恐縮
 「遠くて近きは男女の仲、近くて遠きは田舎の道」
 私は千葉県に住んでいますが、東京に勤めてます。朝の通勤の途中では
 なんて遠いんだろうと、良く思います。酔って帰るときは、アレもう着
 いたの?と近いと思いますが。

 社会通念についての全く個人的見解ですが、以下は参考までに書きます。 
 ・ヒトの遺伝子は、5世孫では、1/16に薄まります。遠いと思います。
 ・一般に社内規定に、4親等に対する忌引きの規定は無いと思います。
 ◎ヒトDNAは、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ではない。

 「5世孫」=玄孫(やしゃご)の考え方は、勝手解釈なので、違うかも
 しれません。教えていただければ幸甚です。
 
> 参考:…孫(性別に関係無く)、娘、(妻)、母、祖母、その更に一代前の母…
> 私の妻と同じMtDNAを持っている。…同じだと理解している。
 (上記は文意を私的意訳)ほぼ同意見です。 

この件続きは、「ほにゃらか掲示板」へ。紋席亭勝手ですが、河岸をカシて下さい。


[1314]  Re[1312][1305]…[1273]: 伊勢神宮の謎?  [大三元]  06/20

継体天皇に関してのご発言「5世孫は、DNAレベルで近いとは云い難い」のご趣旨を伺わせて戴きたく前回の投稿をしました。

参考:私の孫は私の娘と同じMtDNAを持っているはず。それは私の妻と同じMtDNA。
それは私の妻の母が持っていたものと同じ。それは私の妻の祖母が持っていたものと同じ。それはまた、その更に一代前の母のMtDNAと同じ。だと理解しているものですから。。。


[1313]  * 種の保存 [焼尻紋次郎]  06/20

 battle が終わって56年経ったのかナ。だが war は続いていた!
 日本人は骨抜きにされたうえに、飽食の時代が50年も続いた。
 メシ食えるのがアタリマエ……?? 
 シナの劉邦は子分たちに食わせることに成功して天下をとった。
 民主主義とかだそうです。

 それは高度にハネあがったコロシ合い技術を生活〜台所面に振り向けたから
可能だった。
 いまの状態が経済のうえで“常態”となったとき、更なる新しい殺しあいの
技術が開発されないかぎり、縄文の底辺へと回帰するのが経済を含めての自然
原理だべし。
 戦争はイヤダ……大のオトナが、どこから声だしてんだろ−。

 こんなレベルでの「イヤダ」が続くかぎり、種の絶滅も続くだろー。
 せめて、シベリアの地下壕で、絶滅種のDNEを保存しておいて、あるとき
人類の気紛れで取り出して復活させるしかテはねぇんだろう。

 習ヨッチャンも、つばをペッと吐いて保存しておきなよ。ばってん、そこか
ら復活する生体は、習ヨッチャンとはまったく関係(α)のない……習ヨッ
チャンからみての「アカの他人」でしかない。
 「わたし」たけなわ ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


[1312]  Re[1305]…[1273]: 伊勢神宮の謎?  [習志野のてつ]  06/20

> >  5世孫は、DNAレベルで近いとは云い難い。…
> ここの「DNA」とはミトコンドリアDNAのことだとすると…、

 「DNAレベルで」と云うのは、ヒトのDNAを考えていました。
ミトコンドリアは、卵細胞にしか含まれませんから、当然母系のみが把握対象になります。そこでミトコンドリア・イブ仮説も登場しました。(←最近人類同時多発説も力を得ています。特に中華思想の中国では)でも今巷で話題になっているにはヒトゲノムです。イネゲノムと比べても違いは10%も無い。ましてや同じヒトどうし、しかもアジア北東部の島・日本列島に流れ着いたヒトどうし、思うほどには違いは有りません。
  生命の不思議、日本の神道的アミニズムの正しさを強く感じます。所で絶滅寸前の鴇は保護されていますが、素戔鳴尊が担当していた疱瘡=天然痘は絶滅させられました。各生命はそれぞれ貴重で、人間が自分達の都合で保護したり絶滅させたりで好いのでしょうか?疑問に思ってます。


[1310]  Re[1306][1305]: 伊勢神宮の謎? [大三元] [Url] 06/19

> 大三元さん。そろそろ本が出る頃じゃなかったですか。
> 書店には何日頃に並ぶんですか。

東京が23日あたりで全国的には月末までには、ってな感じらしいです。
なにせ初めてなもんで、感覚が分かりません・・・


[1309]  Re[1307][1300]: 伊勢神宮2 [大三元] 06/19

Setoh さん、玄松子さん、こんばんは。

> 大三元さん、暫くでした。御本、ボチボチでしょうね。

はい。明日最初の100部ほどが「試しずり」とかいうそうですが上がってきます。
そこでも校正できるのか、って聞いたら、印刷工場は嫌がるので余程のことがない限り、そのまま刷り上げるそうです。って訳で、ご希望分について明日サインして発送へ回す手はずです。御予約くださった方には週末までにはお届けできるのではないかと。。。


[1308]  Re[1302]: 世の中は広いのです。 [香具]  06/19

玄松子さん>「千社参り」「千社詣」というのがあったのですか。凄い熱意ですね。「千社札」というのは、手水舎や楼門の高い所に貼られている名刺代わりのような札のことですね。中にはどうやって貼ったのか見当のつかない場所にあったりします。
私自身は信仰心や宗教心が無いので巡礼の意識はありませんが、伝統的な神社とその周辺の文化・環境が後世に伝わり続けるとイイナ〜と思って廻っています。(一拝百円のお賽銭では大それた願いです)

泊瀬女さん>私は「♪恋のイロハは見当つかず〜」の野暮な野郎ですが、謹んでご講座を拝読いたしました。なんだか『平城山』(ならやまでしたっけ?)という歌を思い出して、湯船でハナ唄を唸っています。やはり野暮介です。


[1307]  Re[1300]: 伊勢神宮2 [Setoh]  06/19

かよさんこんばんは、大三元さん、暫くでした。御本、ボチボチでしょうね。

> 最初に 宮中から おんだされた時点から
> アチコチ巡業してるし・・・

これって、史実じゃないんでしょう。斎王さんの巡行をモデルにして作られたお話じゃないかと、どっかで読んだ記憶があるんですが。・・


[1306]  Re[1305]: 伊勢神宮の謎? [玄松子]  06/19

大三元さん。そろそろ本が出る頃じゃなかったですか。
書店には何日頃に並ぶんですか。


[1305]  Re[1298][1290]…[1273]: 伊勢神宮の謎?  [大三元] [Url] 06/19

>  5世孫は、DNAレベルで近いとは云い難い。云い方は

ここの「DNA」とはミトコンドリアDNAのことだとすると、それは母系でのみ
遺伝する。だから、殆ど父系の系図しか見ることの出来ない状況では、
DNA云々はなんとも言いがたい。応神と仁徳だってDNA(つまり母系)は違って
いるだろう。

むしろ応神の母である神功皇后がオキナガの出だから、オキナガが三国あたり
まで勢力もっていたりすると、案外存外意外にも神功と継体の母とがつながって
いたりすると、MtDNAでは近いことになったりするのかも知れない。


[1304]  恋愛講座  [泊瀬女]  06/19

誰か(何か)を愛するということは素晴らしいことね。愛あればこそ人生は豊かになり生きる力となります。正しい愛の形・・・何かを愛した時、誰もが自問自答して悩むでしょう。
愛の形も人それぞれですよね。お互いに相手の心を理解しようと努め、尊敬しあい、精神の深い部分がふれ合った時愛は生まれる。そう、愛は優しく穏やかな水のたゆたいのようなもの。その幸せに身を委ねてこそ生きる歓び。
愛に溺れてはならず、奢ってもいけない。
香具さんの愛の形は素晴らしいわ。相手を深く理解しようとしているものね。それを愛と感じることのできるkokoroさんも深い愛の人。玄松子さんの誠実で細やかな愛の形は相手の心を強く打つでしょう。神奈備さんの広く包み込むような愛は穏やかな安らぎ。
愛して愛されて幸せで当然。
ところが、愛しても「相思相愛」となれるとは限らず、時として悲恋・狂恋となる。
相手を理解しようともせず、自分のことさえ理解しようとせず「好きです、好きです」と追いかけて行けば、先の悲劇は目に見えているけど分かっていてもどうにもならない。
溺れちゃならないと言い聞かせながら溺れていく悲しさ。自分を見失い狂気の沙汰となれば、相手は愛してはくれません。何も語りかけてはくれません。
今の泊瀬女は愛を見失って戸惑うばかり。人生最後の愛は取り戻さねば・・・
ナーンチャッテ! スランプなのョー


[1303]  Re:[1294]  『式内社調査報告 全25冊揃』+総索引  [Setoh] 06/19

 大阪の天地書房、千日前のビッグカメラのお隣、現物を確認しました。一冊だけ、表紙の布にしみがある程度で、他は何ら問題はなさそうですので、買いました。これで、皆さんがよく引用される文献を持つことが出来、やっと一人前の気分です。
玄松子さん、アガ。


[1302]  世の中は広いのです。  [玄松子]  06/19

> 『神社に愛されている』といえば、玄松子先生です。日本一だと思います。

室町の頃から、「千社参り」「千社詣」といわれるように、多くの神社に参拝する方々がいます。当時は、車も飛行機も列車もない時代。今でも神社へ行くと、「千社札」を目にしますね。そんな方々から見れば、まだまだ。
数や年月ではないですけどね。


[1301]  Re[1299]: 拝復、kokoro様  [香具]  06/19

拝復、kokoro様。えらい持ち上げ過ぎでっせ。振っても何も出てきまへん。
神社に行きだしてから、この6月でやっと1年の駆け出しです。無責任&能天気で遊んでいるのが本当です。(しかし、結構お金もかかるし、手間も食う、難儀な世界ですね)
昨日もkokoro様のご投稿に触発されて、マピオンで『物部』や『布留』の地名を検索しました。意外と各地にあるんですね。琵琶湖周辺にも興味が湧いてきました。
『神社に愛されている』といえば、玄松子先生です。日本一だと思います。関西の大学関係者さん、教授職を用意して招聘するべきです。(きっと人気講座になるよ)
『神社と相思相愛』は泊瀬女様でしょうか、溺愛? 失礼致しました。<(__)> 敬具


[1300]  伊勢神宮2 [hin(かよ)] [Url] 06/19

最初に 宮中から おんだされた時点からなんか きな臭いですが??トラさんのようにアチコチ巡業してるし・・・


[1299]  拝啓、香具様  [kokoro]  06/19

 拝啓、香具様。暑くなってまいりました。この分では初夏などと言っていられる期間もあっという間に過ぎ去りそうです。気象庁によれば、今年も尋常な暑さではないとのこと。貴兄におかれましてはお変わりありませんか。
 ときに最近の都祁レポート、とても興味深く拝見いたしました。貴兄の神社レポはいつも行き届いたものですが、今回のそれは特に力が入っていたと思います。実をいうと、前々から貴兄のカキコについて強く抱いていたある考えがあるのですが、今回のレポートを拝読してますますその感を強くしたところです。ところがそうした折りも折り、本日覗いたのりちゃん’ず掲示板≠ナは九頭神社と貴兄のことが話題に上っているではありませんか(美人妻のりちゃんさん、初めまして。オフ会レポ、とても興味深く読まさせてもらってます。神社、地酒、掲示板のページも楽しいですね)。思わず筆無精な小生も、こうして一筆したためる気になってしまいました。まず、僭越ですが所感めいたことを先に書かせていただくと、やはり貴兄にとって都祁村は約束された場所だったのだ≠ニいうのが小生の最大の感想であります。以下、そのことについてツラツラと述べさせてもらいますが、よろしくお付き合い下さいマセマセ。
 さて、貴兄が都祁村で、setoh御大と神社巡礼を敢行したのは、石上神宮の祭祀の源流をつきとめようとの、かの壮大なる知的冒険の一環だったと愚考します。思えば、この掲示板では、春から石上神宮と布留川上流域の神社のことがたびたび話題に上っておりましたが、その最初のきっかけを作ったのも、貴兄の2月15日のカキコ、『布留川上流の石上神社』だったのではないでしょうか。よく覚えておりますが、小生はそれを読んだとき、あっ、この方はとてつもなく深いものの入り口を探り当てたのではないか≠ニ感じたものです。続いて、3月5日の『Re[683]: 桃尾の妄想』では布留川上流域に九頭神社が三社あることを紹介し、しかもその三社の祭神が建御名方神であるという事実を指摘され、これもまたsetoh御大を初め多くの方々から反響を呼びました。小生自身もいくつかのカキコで愚考を述べましたが、とにかく大変な発見だと考えておる次第です。貴兄が先鞭をつけると、そこを糸口に後から後から興味深い事実が湧いてくる。しかも、貴兄ご自身はたまたま≠ニいう感じでいたって飄々とされている。これは一体、どういうことなんでしょう!こうしたことから小生は、貴兄についてある仮説を提起するに至ったのであります。それは一体どういうものかというと、貴兄は、
 神・社・か・ら・愛・さ・れ・て・い・る
という仮説です……ああああ、ちょっとちょっと。小生は(今日は)飲んでません。素面です。これからもう少し具体的に説明しますので、電源を落とすのはお止め下さい。
 ところで、神社から愛されている≠ニいうと小生にはもう一人、思い当たる方がおります。それは『大和の原像』を書いた小川光三氏です。言うまでもなく太陽の道≠最初に提唱した方ですが、氏は1928年の生まれなのです。というとそれがどーした≠ニか言われてしまいそうですが、この1928年というのは瞠目すべき年で、大和岩雄氏と森浩一氏もこの年に生まれたのであります。この御三方は神社をとりまく現在の言説に多大なる影響を与えた、という点でいずれも第一流の方々と言えるでしょう。ことに大和氏や森氏には、貴兄もご承知のとおり、古代史について非常に刺激に満ちたすばらしい論考が多いわけであります。しかし、それにもかかわらず『大和の原像』を読むと、小川氏はこの三名の中で、まぎれもなく誰よりも神社から愛されている感じがします。
 一体、神社について書くのはナント難しいことなんでしょう。ある程度、突っ込んで書こうとすれば、多くの古文献について考証を施さなければならないうえ、先人の研究を利用する際はそれらについても紹介しなければなりません。となると、いきおい引用の多い煩瑣な文章になる訳ですが、しかもその一方で、神さびた清浄さや古代の残響といった神社を包み込むすばらしい雰囲気もまた、生き生きと読者に伝える必要があるのは言うを待ちません。となれば、論理的なものと感性的なものの両方が求められることになり、これは言う易し、実際に行うのはチョー難しです。
 『大和の原像』を読むと感動するのですが、この書物はこうしたジレンマを完全に克服しております。しかも、それまで誰も考えなかった仕方で神社について語って、それに成功しているのです。なぜ、こんなことができたのでしょうか。それは、今言ったように小川氏が絶対的に神社から愛されているためなのです。
 『大和の原像』を読んでいくと、終始、何か神社から微笑みかけられ、ずっとそれに導かれていくような感じを受けます。最初の2っの章には、特にその感じが現れていると思いますが、中でも二上山の落陽を眺めながら、筆者が太陽の道について、最初の予感を抱くところなどにそれが実感されます。一体、この太陽の道という着想も、本当に小川氏が神社について語ったものなのでしょうか。むしろ、小川氏を触媒に大和の神社たちが僕らに語りかけていると考えられませんか。ここには、サニワとかヨリシロのシステムに通じるものがあります。あるいはその意味で小川氏は、創造者や発見者というより、伝達者なのであるかもしれません。そしてそういうところが、他ならぬ貴兄にもあるように感じるのです。
 およそ、神聖なるこの神奈備掲示板の常連諸氏なら、当然のことながら大神神社となら心中してもよい∞石上神宮へ行くと溶けてしまう∞抱きしめたい、御柱≠ニいった止みがたい神社への愛をお持ちだと思います。小生自身もそうした点では人後に落ちないつもりですが、しかし、これに対して貴兄の場合は、どうも神社の側からも貴兄が愛されているのです。とにかくそう考えないと、次々と発見を繰り返す貴兄の神社探求の成果は小生にとって説明がつきがたいものです。
 さて、『大和の原像』のクライマックスは都祁の国になっております。ここで小川氏は邪馬台国が都祁にあったとか、貴兄も訪れた都祁山口神社の奥の院の磐座、御社尾が大いに塚をつくる≠ニ倭人伝にある、卑弥呼の墳墓であるとかのいろいろな説を展開しています。それらの説の是非はともかく、むしろ小生が注目したいのは貴兄と小川氏という、共に神社から愛されている方々が、プロセスは違いながらも最終的には都祁にたどり着いたという事実であります。神社から愛されている人は何ゆえに神社から愛されるのか、ハッキリ言ってそれは謎です。でも一つだけ明らかなのは、このような方々にとって、どうも都祁村は約束の地であり、知的彷彿の果てにそこにたどり着くような方だけが神社に愛される資格を持つのだということです。
 そんなことを考えながら『山遊記』を拝読しました。これは並みのカキコじゃないんだぞ、と自分に言い聞かせながら。暑さに向かう折柄、夏バテ等に気をつけてご自愛ください。敬具

kokoro

追伸
 ふと神社に愛されている人≠フ候補がもう1人思い浮かびました。樋口忠彦という人で、『日本の景観(ちくま学芸文庫)』という本の著者です。この本でも都祁のことが特権的に扱われております。


[1298]  Re[1290]…[1273]: 伊勢神宮の謎?  [習志野のてつ]  06/18

> [1276] > 本当は祖神ではなかった。
 継体以前と以降では、祖神は違うのではないでしょうか?
 5世孫は、DNAレベルで近いとは云い難い。云い方は
 悪くて恐縮ですが,中国残留孤児が、5世孫だと主張して
 も、日本政府は決して認めないでしょう。ましてや戸籍も
 ない時代、単に言った紋勝ち:間違い:言った者勝ちでは?
 
[1285] > 伊勢の神を祟り神扱いにして...
 祟り神?天照大神は、これも喩は悪いけれど、登校拒否
 :家に引きこもり児で、社会性の無さは、とても縄文的
 だと思います。いやなことが有ったら閉じこもるって、
 とても祟り神のすることとはおもえないのですが?
 
> 韓神・園神はなにか、…この面の推定から朝廷家の本貫地
> の推定に行き着けるのでは。
 「あさもよし紀の国掲示板」に神奈備さんがかいておられる
 ソシモリは、ソのくに=園国で、「韓国に韓神、園国に園神」
 なんて発想は如何でしょうか?
 古いけれど、「ナンチャッテおじさん」に改名しようかな〜


[1297]  ホクラ神社の件  [瀬戸内]  06/18

紋次郎先生 異常備忘録を見られましたか。
ブンブン氏は大変 面倒見のいい人です。
直接 メ−ル出されたらいかがですか。
面白い話 結構ありますよ。


[1296]  ホクラ神社  [焼尻紋次郎]  06/18

 香具さん、あがあが。やっぱチャンと覚えておかないとダメですね。いやボケかな?
 エンキという神様が「女神・大地神」……だったのでしたか? おらはそれとカン違いしたのかな? なにしろ川崎真治さんの本で知ったことです。自分で辞書よむのがイチバンですね。

 芦屋と岡本のまんなかあたりに金鳥山というのがありますか?そこに保久良(ホクラ)という神社はありますか? 巨石が並べられて神道の原初をとどめているそうです。
 そこにドロカエシの沼というのがあって、そこから掌にひとつぐらいの自然にできたらしい黒い珠が出、磨いてみたら黄金の光りを発した……というのですが、ホントやろか。
 ホクラ……khokra(カラっぽの)偏執というべけんや。


[1295]  Re:[1291][1292] 高島郡の謎  [Setoh]  06/18

大伴氏の末裔風の御名の狭手彦さん、お久しぶりです。昨年の師走以来ですね。前は尾張、海部、宗像、安曇、物部等の話題でしたね。

天照大神と物部氏の祖神(男神)ですが、松前健一さんは「天照御魂神」の変質と言うか切り替えを示唆されますね。

 どんなんでしょう、太陽祭祀は遠く西の方から教えてもらわずとも、もっと自然に発生してもよさそうに思いませんか。自然神であったソラ神様を、丹後辺りから侵略してきた連中が、この神は実は我々の祖神である火明命とか天照御魂のことだ、我々は同じ祖先を持つ兄弟だ、とか言って地域の祭祀権を奪ってしまったのでしょう。
 琵琶湖を通り尾張に展開してきた海部族が乗っ取った祭祀権を、更にそれを大和の王権が奪ってしまったと考えてもいいのでしょうね。東国のおさえとしては伊勢は格好の地、ここに天照御魂の本宮として天照大神を考案して祭ったと推理できます。
 本当の皇祖神、記紀から見ると、高御皇産靈神のように見えますね。検証は出来ないでしょうが、継体天皇の祖先を探さねば見つからないのではないでしょうか。


近江国高嶋郡は継体天皇の誕生の地ともされます。
 高島郡高島町拝戸の水尾神社河北社「振姫命」
 高島郡安曇川町常盤木の三重生神社「彦主人王 配 振媛」
彦主人王は継体天皇の父、振姫は母
 振姫、物部の香り高き美女です。地域は安曇です。いつも感服いたします重厚かつ柔軟思考のkokoroさん、kokoroさんの御執心の安曇、この地の太田神社の存在、また、祭神を紀角宿彌命とする式内論社、五社神社(式内麻知神社)、津野神社、坂本神社が三座もあるのも大いに興味津々です。神社の謎が古代の謎に重なる典型ですね。


[1294]  『式内社調査報告 全25冊揃』 [玄松子]  06/18

古書店のサイトを覗いていたら、
『式内社調査報告 全25冊揃』 15万円 てのがあった。安い。
店によると35万円と値付けしたのもあるのに。
傷みがあるのだろうが、安い。


[1293]  Re[1292]: ♪だれか「アン女神」を知らないか [香具]  06/18

>世界的に有名なのが存在の女神「アン」ですが、これメソポタミアの神・・・

シュメールから続くメソポタミア神統譜の最高神が『アン』または『アヌ』で、天・天空神のことだそうです。限定詞(固有名詞)は『ディンギル』で、楔形文字では星型(八方手裏剣型)で表わします。『アン』という言葉に天の意味があるので、地の語『キ』と続けて『アンキ』(天地)となるそうです。チャイナ語系の『テンチ』と似ますね。
光の神ですから「暗・闇・黒偏執」の雰囲気は無いのですが・・・。また、父神、男神なので女神ではありません。女神エラとか、エンとか色々まぎらわしい神々もあります。
天空神『アン』の本貫地?は、古都ウルです。三笠宮様のご監修の本が読みやすいです。


[1292]  ♪ だれか「アン女神」を知らないか [焼尻紋次郎]  06/18

 Kokoroさん,消化不良をおこしながら、なんとか讀みました(これで読んだうちにはいるのかなぁ)。ドシロートながら、おらにもモンダイの大きさがわかるような気がします。
 けふも、福島さんが an-mi について『ほにゃらか掲示板』にカキコしておられるのですが、おらは安曇には「暗・闇・黒偏執」を感じるのです。
 極端なハナシ、アイヌ語のアンラコロは黒ユリ(の根)です。adho(めくら)は andho の語形をももっていて、青森の陸奥湾にはアンド湾があって、安藤氏、安東水軍で有名です。
 ネパール語に andhakar(闇)、antakaran(無意識……タカラはアイヌ語でユメ)があって「アン」はエデン語といえます。
 世界的に有名なのが存在の女神「アン」ですが、これメソポタミアの神だったでしたか、誰かシランカネ。とにかく、この女神がインドにもきて、かなりの偏執が発生したと思えるのですが、そのとき、「闇・暗」とどうかかわったか……重要なれどもオラシラン。

 気になるのは琵琶湖西岸のアド川は同じ琵琶湖周辺の他地域と比べてイヤ〜にデルタが発達していることです。これは人工的に鉱物をハタいた滓の pish(ドシャ)を流した跡のような印象を強烈に受けることです。
 はたく……古語で“こなごなにする”hatawdi は鎚。ハタタは雷。
 アド川流域の地味はどうなんでしょうか? 稲作農業生産に向いていましょうか。

 コロニーという表現、鮮やかに響きました。倭人ふうにいえば「シマ」なんでしょうね。

 サラセッセよ、開かずの扉は「モトイセにはどこもない」がいえたら、ヤツもほら吹きインチキだ。おらの友人として風下にも置けれんばい。
 そのかわり、もしあったら人類の一歩前進ばい。イマイチ・ケッケムクリかね。

  ことばのフルさと ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi


[1291]  安曇と物部  [kokoro]  06/18

setohさん6月5日[1225]『物部守屋大連』> 安曇と物部とは同根の海人族といえます。

 ム…、安曇と物部!?。海と物質。航海神とタマフリと。なんだか意外な組み合わせですな。ところが、例によって近江の神社でこれを検証したら結構ハマりました。

 まず、近江国伊香郡の式内社、乃伎多ノキタノ神社について。この神社には以下の論社があります。
 A乃伎多神社[味饒田命ウマシニギタノミコト ]滋賀県伊香郡高月町東物部
 B乃伎多神社[誉田別命、天造日女命]滋賀県伊香郡高月町東阿閉アツジ
 以下は、山田郁郎氏の『湖北の神々、その古代史』P33の記述や『式内社調査報告 第十二巻 東山道1 近江国』P481「乃伎多神社」の項を総合したものです。特に前者に負うところは大きいです。
 Aの祭神は味饒田命ですが、この祭神は『新撰姓氏禄』によれば物部氏の始祖、ニギハヤヒの孫にあたります。また、当社の鎮座地は東物部という集落ですが、言うまでもなく、物部氏の遺跡であるわけです。このことからAが物部氏と深い関係のあることがうかがえます。
 一方のBは『和名類聚鈔』の安曇郷に鎮座しており、同郷の鎮守として古来より崇敬されてきました。もともとは、二番目の祭神である天造日女命が本来の祭神であったらしいですが(第一の祭神である八幡神は、戦国時代に合祀されたことが社伝により判明します)、この神様は安曇連の始祖であります。したがって、式内乃伎多神社を介して安曇と物部が結びつく訳です。

 安曇川町横江に布留神社というオーパーツのような神社があります。
 ・布留神社[布留大神]滋賀県高島郡安曇川町横江
 布留という語は、石上神宮の祭祀や物部氏によるタマフリの呪術と関わりが深いもので、やたらな神社にこの名前が付くことはありません。ところがこの神社は、そういった関連性がまるでない滋賀県の湖西地方に、何の脈絡もなく鎮座しているのです。
 『滋賀県神社誌』にある当社の由緒は、「明細書に創祀年代不詳であるが、社伝によると、天照大神の十員を祀るとも言われ、延宝七年正月社殿再建すとあり、例祭は五月初辰の日であったが、後五月八日となる。」という簡単なものです。文中の天照大神の十員≠ニいうのは意味不明ですが、あるいはニギハヤヒが天神から受け伝えられたという十種神宝トクサノカムタカラ(天璽瑞宝アマツシルシノミズノタカラ、あるいは布留之御魂フルノミタマのこと。石上神宮の第二相殿の祭神)のことでしょうか?いずれにせよ、これだけの記述では、なぜ滋賀県の湖西地方に布留という名の神社があるのか解明する手がかりにはなりません。
 しかしながら、ここで安曇と物部が同根であるとすると、これまで見えてこなかったものが見えてきます。5月30日のカキコ『安曇系海人と建御名方神』で、僕は、安曇川町舟木、新旭町太田の大田神社、安曇川町青柳の太田神社の3っを多氏系の舟木の連の遺跡として紹介しました(詳細は『日本の神々5山城・近江』P366の「大田神社」の項をご参照下さい)。そして、布留神社のある安曇川町横江は、大体においてこの3っの作る三角形の中央に位置しており、そのいずれからも2qと離れていないのです。舟木氏という氏族には、安曇系海人との深い関わりが感じられます。安曇川という地名とあいまって、ここら一帯にはかって、同海人のコロニーがあったとみてよいでしょう。そして布留という名の神社がそこにあるとすれば、上記、湖北地方の安曇郷に、物部氏との深い因縁を感じさす乃伎多神社が鎮座していることから類推して、海人のコネで物部氏がこのコロニーに自分たちの信仰を持ち込んだと考えることが可能です。

 古代近江は地誌的にいって、琵琶湖の舟運を担った海人族との結託抜きには、どんな勢力も進出できなかったと思われます。琵琶湖の北岸と西岸にかって安曇系海人が居住していた土地があり、そのそれぞれに物部氏と関係が深そうな乃伎多神社と布留神社があるのは、古代世界における同氏の戦略が一筋縄ではいかなかったことを示唆するのであります。


[1290]  Re[1286][1285][1276][1273]: 伊勢神宮の謎? 狭手彦 06/17

かよさん、Setohさん、日下倭人、香具さん、こんばんは。

[1273] >明治まで、天皇の 伊勢神宮参拝がなかったと聞いています。
[1276] > 本当は祖神ではなかった。
天照大神なる女神は政治的創作神なのでは?おそらく物部氏の祖神(男神)を下敷きにした。
[1285] > 伊勢の神を祟り神扱いにして...
伊勢神宮の内宮/外宮制度からもそうなのでは。外宮の方が丹後の元伊勢の招請社だったでしょうか。
[1285] > 本当の皇祖神は別であったよう...
韓神・園神なのか、熊野神社、氷川神社、宇佐神宮に祀られている神なのかは論議を待つ事として、この面の推定から朝廷家の本貫地の推定に行き着けるのでは。
[1276] > 平安時代の女性文学者「いずこに坐す神?」
Setohさん、引用元は式部日記でしょうか?枕草子でしょうか?


[1289]  神社の不思議  [Setoh]  06/17

「神域の超常現象」では内のですが、神社の不思議

 出雲大社の御神体は西向きだそうです。海を見ているのでしょうか。
 日前国懸神宮の場合には東向きです。祭神は天照大神で、太陽祭祀と言われます。
 北海道神宮は北向きで、北方の侵略にそなえています。
 上賀茂神社はかっては祠の後ろが開いていて、直接神体山を拝礼する構造だったそうです。
 大神神社の御神体は三輪山ですから、方角はないのですが、拝殿は西向きで、三輪山を拝礼するようになっています。

 大きな対象を「神」があがめる(睨む)。それを人が拝む。
 山程度のものなら、直接それを拝む。
 これは、もともと、祠はいらなかったしなかったと考えていいのでしょうね。
大きな対象物(格の違う神)の場合にはそれを拝む神が出来た。これをまた拝むという感じでしょうか。理屈上の神社かもしれませんね。

 なお、出雲大社には自信がないのですが、日前国懸神宮は南面していて参拝は北向きに行います。
 出雲大社は神体山を拝むのが本来の形でしょう。これは日前国懸神宮にも言えます。

 御神体を正面から拝むようにはなっていないのは、王権の圧力があったなど特殊な例かも知れませんが。


[1288]  Re:[1278] 〜[1285]  [Setoh]  06/16

紋爺>京都市郊外あたり。「元伊勢」
丹後と伊勢を結んだ中間点が山城の山科近辺で、この辺に元伊勢とされる神社があるやに聞いた覚えがあります。non-jinjaの時代だったので、聞き流した話です。
京都市山科区日の岡夷町 日向大神宮
京都市伏見区淀下津町  伊勢向神社
あたりでしょうか。

> 世界宗教会議の記念撮影では中央席
大野さん、國學院の学長さんだった方かな。この方は京都府加佐郡大江町の皇大神社(元伊勢内宮)に関係された方と聞きます。ただしこの神社に「開かずの扉」があったかどうかオラシラン。

泊瀬女さん > 平野の杭全神社
ここ、見所の多い「良い顔してる」神社ですね。今度は連絡お待ちしますよ。

「なにがし」のkammerさん > What’s 丹生?
発足うれしいですね。息長丹生でいきましょう。

伊勢と常世
吉野祐子さんの『隠された神々』から
大和から見た東のさいはて伊勢は、この世ながらの東の神界=常世として、西の人間界である大和に相対させられていたとおもわれる。中略。神界といい常世といい、名称は美しいがつまるところは彼[あ]の世、後世である。したがって現世の帝王である大和朝廷の天皇にとっては、伊勢の地を踏むことは禁忌でった。(皇室専用の神界であり常世であった)
と記していました。

そう言う意味では「かよ」さんの黄泉の国も遠からずでしょうか。


[1287]  Re[1286][1273]:伊勢神宮の謎?  [香具]  06/16

重ね重ねの失礼!
>当時の幕府のGNPが三千石に対し・・・・
三千万石のタイプミスです。万が抜けました。万が。m(__)m

万 いれときました se


[1286]  Re[1273]: 伊勢神宮の謎? [香具]  06/16

以下は、お茶の間時代劇的妄想にすぎませんが。
最近読んだ本の中に、江戸時代、当時の幕府のGNPが三千万石に対し、皇族・公家領を含む朝廷領が十万石、このうち天皇の禁裏御料は、たったの三万石であって、朝廷は禁中並公家諸法度と京都所司代の監視の下に影をひそめてていたことが記述されていました。
伊勢参拝。ひょっとしたら、行きたくても行けない事情もあったかもしれません。
エッ?給料日前の自分といっしょにするな?・・・失礼いたしました。m(__)m


[1285]  伊勢神宮の謎? [日下倭人] [Url]  06/16

[1273]で、かよさんが書いた問題への私見です。
明治まで天皇が伊勢神宮参拝をしなかった話ですが、私もSetohさん同様、黄泉の国につながるイメージとは思っていません。

その理由を考える前に、次のことを思い起こしてみる必要があります。
@天照大神が天孫ニニギに「この鏡を見るごとくせよ」と言ったにもかかわらず、宮中から遠く離れた伊勢の地になぜ導かれたのか。
A崇神帝の時、国中に疫病がはやり背く者が出たりしたため、天照大神と倭大国魂の二神のうち、出されたのは天照大神のほうであった。
B宮中には今なお韓神・園神という別の神が祀られている。
中世では2月11日に韓神祭が行われ、現在も2月の春日祭の後の5日と新嘗祭の直前の5日には「韓神招ぎの祭」が営まれている。
この園神・韓神祭を始めたのは藤原不比等とされ、園神とは大物主で韓神とは大己貴命と少彦名命とする説もある。

これらのことから伊勢神宮に祀られている天照大神が皇祖神というのは建前で、本当の皇祖神は別であったような気がしてならない。むしろ伊勢の神を祟り神扱いにして、大切には祀るものの直接詣でることはない、といったイメージで私はとらえています。
ついでですが、明治天皇が東京遷都の後、最初に詣でた神社は埼玉県大宮市の氷川神社で、そこには素戔鳴尊・大己貴命が祀られています。


[1284]  祝!新装開店  [マルヤ]  06/16

kammerさん、いよいよ始まりますね。
楽しみです。期待しています。


[1283]  募集! 神域の超常現象  [焼尻紋次郎]  06/16

> ところで、紋次郎さん[1278]で書いておられる元伊勢とはどこのことですか?大江の元伊勢かしら?大江の元
こたえ ; シラァ〜〜ン。おらのうすらボヤ〜〜っとした記憶では京都市郊外あたり。なんでも2ケ所ぐらい「元伊勢」があるとやなかったデシタカ。

 このような、具体的な超常現象を伴った神社(仏閣も)と、そんなことが全くない神社(仏閣)とを色わけしてゆくと、「集団形成に利用しただけのチェーン店」が浮上すると同時にホンモノ様も洗いだされてくるのでは? そんなこと、やったらアカンのやろか。
 どでぇ神様をランクづけする「シキナイ」なんち、神をも恐れぬ猛々しさばい。


[1282]  追記  [kammer]  [Url]  06/16

私のHPでの名前は「なにがし」にしました。名無しのごんべさんでもよかったのですが。結構きにいっています。最近書きこみさせていただいたところは、なにがしで書きこませて頂いてますが、setoh様の掲示板関連では昔の名前のkammerをそのまま使わせて頂いております。ややこしくてすいませんm(_ _)m


[1281]  丹生HP予告編作ってみました  kammer  [Url] 06/16

HPの予告を作ってみました。
こんごは、出来上がったものからアップしていきますのでよかったらのぞいて見てください。


[1280]  Re[1279]: 大阪で大あわて  [あかがね]  06/16

> 高津宮・比売許曽神社・杭全神社・赤留比売命神社・楯原神社とお参り

 楯原神社は平野区の神社ですよね。
 あそこは武甕槌命が国譲りのあと、東国平定に向かう途上立ち寄ったということですが、関西で武甕槌命を祀っている神社は初めてでした。(春日大社は除きます。何となく。)

 他にもこういう由緒の神社ってあるんでしょうか。
 武甕槌命は実は常陸の地方神なんじゃないか。という疑いをたいした根拠もなく、抱いております。記紀神話に取り込まれた国津神。

 因みに、当社の摂社には十種神宝が鎮座しているそうです。


[1279]  大阪で大あわて  [泊瀬女]  06/16

12日から14日まで仕事で大阪にいました。スケジュールがいっぱいで自由時間が取れそうになく、かなり不機嫌でした。でも、大阪の神様はチャンスをくれましたよ。12日の午前中、仕事の関係者をマイて高津宮・比売許曽神社・杭全神社・赤留比売命神社・楯原神社とお参りできました。ヒボコちゃんの「逃げた女房」関係の神社ですね。大阪はあまり詳しくないので、方向が分からなくなったり遠回りしてしまったり、汗びっしょりで歩き回りました。大阪は暑かったわ。高津宮は大阪の人ならすぐに分かる場所なのでしょうが、地下鉄の駅から外に出たら方角が分からなくなって、かなり遠回りしてしまいました。
比売許曽神社は鶴橋の商店街から少し入った所で、まわりの喧騒がウソみたいに静かな別世界という印象です。平野の杭全神社はきれいに整備された神社で、本殿と中門が美しくいい感じです。杭全神社から1キロほどの平野公園の端のかわいらしいお社が赤留比売命神社です。朱塗りの小さな女神様らしい神社ですが、少し寂れた感じがします。裏側(公園側)にまわってみたら、コンクリートブロックの塀に下品な落書きがスプレーで吹きかけてあり、女神様がお気の毒です。バチあたりメ・・・
ここから又歩いて楯原神社へ。仕事に戻る時間が迫っていて、神社の千木とこんもりと茂った杜が見えているのに入口が分からない。あせりました。ぐるぐる回ってやっと神社の横から入れました。これってよくやるんですよね。正面から入れずに裏側とか横手から入ってしまうんです。暑い中、昼食も取らずによく歩きました。
ところで、紋次郎さん[1278]で書いておられる元伊勢とはどこのことですか?大江の元伊勢かしら?大江の元伊勢の宮司さんならお会いしましたよ。私の顔を見て「ウン、良い顔してる。美人じゃないけど」とおっしゃって。美人じゃない・・・は余計だわよ。


[1278]  開かずの扉を……元伊勢神社におきた超常現象  [焼尻紋次郎] 06/15

 もやとかキリとか霞があると神様はたち易いんですかね。
 
 とにかく、Sはその朝、むりむりに目を醒まされて、“そっち”のほうへ歩いて行かねばならない
気持になったのです。朝の9時ごろだったとのことですが、なにしろある神社に惹かれて行ってる
な……とまではわかったのですが、それからあとは経験したこともない濃霧がたちこめ、それこそ
一寸先もみえなくなったとのことです。おそるおそるゆっくり歩いていくと、濃霧は晴れたときな
にか神殿みたいなところがあって、それから再び霧がこくなって……、気がついてみたら、正装を
した神官が威儀を正して正面にいて、Sに「いらせられませ」とかなんとか挨拶をするそうです。
 
 「あんただれです?」と訊いたら返事は「ここの神官です」という。
 「なんでここにいるのですか」ときいたら「わたしにも解りませんが“特殊な来客があるので、
お迎えをせねばならない”という強烈な意識が働いて、こうしてお待ちしていたのです」という。
 不思議なことがあるもんですねぇ……などと会話を交わしたあと、神官さんが「ところで、あな
たはどこの道すじを通ってきましたか?」と訊くので、S は「そこで直角に右折しましたが、その
前はほとんど前に前にまっすぐ進みましたよ」と答えたところ、その神官はゲッとなった。
 Sが通過したコースには門があって、その扉こそ有名な「開かずの扉」だったのです。

 まだ、25年も経っていない時の事実です。
 元伊勢神社の神官さんはまだご健在なはずです。開かずのとびら……サラセッセよケッケムクリ
かね。
 トコトン調べたいご仁には、いつでも S を紹介しまっせ。いま44歳……かな? おらがいるさ
いたま市(旧浦和市)の東15キロ、越谷市にいつもおりまっせ。 
 世界宗教会議の記念撮影では中央席に座ったと言っていました。
 行き当たりバッタリのネェちゃんよか、おらの紹介のほうが本筋衝いちょらせんやろカネ。
 伊勢神宮と皇室の廟まいり……で、おもいだしたハナシでした。
   たまにはキチガイの ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi


[1277]  五大社  [Setoh]  06/15

以下の質問がありました。
●平安期の五大社とは、それぞれどの社でしょうか。
●またそれらのお社がどうして五大大社の一社であるのでしょうか?

現在京都で大社と名乗っているのは
松尾大社(松尾神社二座)
伏見稲荷大社(稲荷神社三座)
梅宮大社(梅宮坐神四社)
です。
( )内は式内帳での表示です。

ご存じの方、よろしく。


[1276]  Re[1273]: 伊勢神宮の謎?^0^ [Setoh]  06/15

hin(かよ)さん、カキコ謝。かよさんとは目先をクルクルさせずにこの話やりましょうか?おもしろそうです。

持統天皇6年3月 天皇のお伊勢参りに対して
大三輪朝臣高市麻呂 其の冠位を脱きて、朝にささあげて 重ねて諫めて まうさく
天皇はこれを強行しています。
三輪君は長門に左遷となりました。
万葉集巻九
大神[おほみわ]の大夫[まへつきみ]が長門守に任けらるる時、三輪河の辺ほとりに集ひて宴する歌二首
1770 三諸[みもろ]の神の帯ばせる泊瀬川水脈[みを]し絶えずは吾[あれ]忘れめや
  1771 後[おくれ]居て吾[あれ]はや恋ひむ春霞棚引く山を君し越えなば
これ、送別会での歌だそうです。

国津神を奉ずる氏族の抵抗
その後の朝廷の仏教崇拝
本当は祖神ではなかった。
平安時代の女性文学者「いずこに坐す神?」

小生は、ただの印象ですが、伊勢は確かに海を感じますが、黄泉の国のイメージよりはむしろ朝日が海上から昇る、勢いの地に思えます。
寡聞にして「伊勢」と「黄泉の国」とを結びつける話は承知していません。どなたか、ご存じの方、教えていただけませんか?


[1275]  Re[1268]: 舞姫について★ [Setoh]  06/15

比呂さん おはようございます。
和歌山の伊太祁曽神社の権禰宜の方から教えていただきました。

> 「豊栄舞」「浦安舞」について、何歳でやっているのか
> 「豊栄舞」「浦安舞」は何回ずつやっているのか

これは、神社によりまちまちです。
祭典の数や、時期が神社によって違うのと同じです。
舞姫の年齢もそれぞれに異なります。
靖国神社の場合ですと、舞うのは仕女(一般に言う巫女)。
浦安舞は年に数回舞いますが、豊栄舞は舞いません。

ご参考まで。


[1274]  伏拝  [香具]  06/14

setoh様、さっそくのご更新によるご教示、ありがとうございます。<(__)>
なちゅー様、私は不敬の至りばかりしています、どーしよー?????? (T_T)


[1273]  伊勢神宮の謎?^0^  [hin(かよ)]  [Url] 06/14

こんばんは、私も物部氏ファンです^0^V
さて、私は知らないので、教えて欲しいのですが、
明治まで、天皇の 伊勢神宮参拝がなかったと聞いています。
黄泉の国につながるからでしょうか?
興味あります。http://village.infoweb.ne.jp/~fwif4861/


[1272]  大切にね(*^_^*)  [なちゅうー]  06/14

こんにちは。
みなさんは神社で頂いたお守りやお札やお下がりなどを大切にしていますか?

それらを粗末に扱うことは神様への不始末となるので気をつけましょう。
もし、それらが不要になった場合は必ずもらった神社へ(可能ならば)
やむおえない場合は他の所へきちんとお返ししてくださいね。

あと、思いもよらないものに『たましい』が入っていて立派なご神体だったり
しますのでそれらの保管にも気をつけてください。
たとえば、神社の境内の小石、流鏑馬の矢、お祭りなどで使ったもののお下がり。
などなど・・・・。

いつも神社にお参りに行ったりしているみなさんのこと、
なんのきなしにに『縁あって神様が下さったもの』があるかもしれません。
自分では大切にしているつもりでも、それらの置き場所を間違うと大変です。

人が直接歩く所に直におく、家の低い位置に置いてある、
それらはいけませんので、なるべく神棚や床の間、ない場合は高いとところに
おまつりしてくださいね(*^_^*)
時としてそれらは健康に関わって来ることがありますのでね・・・。
ではでは


[1271] まだまだ当分、ひたいに汗して働く時代です  [焼尻紋次郎]  06/14

 ミナシャ〜〜ン、嗤え笑え。キカイ・オンチのおらが about 特許権ぞな。

 先日もリンクをめぐって、個人所有の考え方に異同があることが表面化しました。
 なんで生産性を上げげたり、ひとを楽しませたりする発想に、特別な権利を付与するんやろ? 開き直って考えると根が深いなぁ。

 出雲帝国直系を自称するご仁が、政権を奪われたいきさつをめぐって、元新聞記者の友人にオトコ泣きに泣きながら鬱憤をぶちまけたということです。……なんで今ごろこのご仁は泣くんやろ?
 またまたミナシャン嗤ってくだシャ〜イ。おらが“計算”をした。
 一世代25年として、ひとりの子供が生まれるためには二人の親がいた……。すると800年たらずで、先祖の総数は2億人を超えてしまう。
 薩摩と津軽はほとんど同じ先祖だとはいえないだろうが、大阪なら大阪、出雲なら出雲……と地域を限定したならば、そこに住んでいる、いた住民にはほとんど同じD.N.Aの血が流れているんだべさ。
 要するに、オトコ泣きしたご仁は額に汗して働くのがイヤだという、不心得ちがいをやらかしていたんだよ。

 いいですか? 仮に徳島のひとが経済のない社会となってりんごが食べたくなったら、海岸から砂鉄拾ってきて鉄を得て、ユーカリの木を植えてゴムを取り出し、それでジドシャ作って、右代表のオバンが青森に行ってそこで73日間ばかり働いて仲良くなったところで、ジドシャいっぱいのリンゴをもらって、徳島で待っている仲間のところまで帰ってきて「ハイ、ミナシャン食ってけろじゃ」と、タダでバラまきゃそれでいいんだ。ゼニは一銭もいらね。

 みんなが仲良く、いのちダイジで生きて行く社会を作るには、マルクスさんが割り出したところの「社会的平均での投下労働時間の交換」こそが成長率ゼロの経済(? ……2)にとって不可欠なんですよ。
 ソビエートが潰れたからといって、そこで機能していた指針のすべてがイケなかった……とするのはノータリンの言うこって、キチガイやボケとは異なる。
 原始社会では、貝を拾ったり木の実を採取するために「手をのばす」ことは労働でもなんでもなかった。だが、次ぎの世相でもそれは労働として評価されるでしょう。
 投下時間の交換をさまたげている元凶は地代と特許です。
 インドがこのところ I.T.産業で急速成長を遂げているのは、特許(人間の作ったもの……虚空)の枠がなかったり、大幅にゆるかったりしているせいではないでしょうか(未調査)。
 ひととひとが争う訴訟があたりまえの社会と化し、特許という架空の権利がバケモノとなって社会の健全な運行をゆがめています。
 インドでもダメなら、大平洋に舟を浮かべて世界が求める Goods 技術の城を作る……それだけの価値はありゃしないだろうか。
やっぱここでも神風特別攻撃隊カネ
  総合思索の『かむなび』別やしろ ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi


[1270]  ノー天気なボケの効用  [Setoh]  06/14

 玄松子さんに「画像が美しくなった」とお褒めいただきました。ありがとうございます。

SONYのMAVICAと言うカメラで画像はFDDに記録されます。大きくて重くて前時代的な代物です。平成10年春より愛用しています。

原画は約50KB程度で、windowsのペイントで縦横70%、もしくは50%に縮小してから、Graphic Workshopにかけて粗雑なJPGに変換し、25〜15KB程度の大きさにします。

 最近本屋さんで立ち読みしたのですが、縮小する前に若干ぼかす処理をすると縮小後がきれいになるとありました。時々その手法を使います。Adobe photoshopでやっています。 
 
 この前の良い天気の一日、香具さんの後ろから都祁を回った際、後で気が付いたのですが、レンズの前が汚れていました。どうやらこれも一種のボケの効果かなと思っています。
 
玄松子さんのお見立て通りなら
 神社には晴れの日が似合う。
 写真は作者並にボケを入れる。でしょうか。


[1269]  画像  [玄松子]  06/14

最近、このサイトに掲載される神社の画像が美しくなったと感じているのは僕だけだろうか。
デジカメ変えました?


[1268]  舞姫について★  [比呂★]  06/13

 はじめてカキコします。いま、私たちの学校では総合学習をやっています★私は、舞姫についてしらべようとおもうんですが、誰か舞姫について詳しい人いませんか?「豊栄舞」「浦安舞」について、何歳でやっているのか(ちなみに、私のところは小6がやってます)、「豊栄舞」「浦安舞」は何回ずつやっているのか(私のところは、春→豊、夏→浦です)などなど、すこしでもしってるかたは、おしえてください!!少しでもいい情報をおまちしております★
 よろしくおねがいします★


[1267]  この坂を越えたなら〜♪  [香具]  06/13

♪幸せが待っている〜?都はるみでした。今日から四十路、古代徘徊中年となります。
setohさま、あちこちにたくさんのヒント(宿題)、有難うございます。

のりちゃんさん>Re:[1251] 昨日はありがとうございました;より
>量子論について・・・分かり易く簡潔な説明・・・
神様の本質がひとつでも、観方や受取り方により異なるように見えるという『喩え』として、量子論の話しが出ました。のりちゃんの『オフ会レポート』で十分な説明になっていると思いますよ。会議・討論など交流のレポートが苦手な私にとって、のりちゃんの『オフ会レポート』が貴重な記録となっています。的確なまとめ方や速報力など、かなり優秀なキャリア・ウーマンだったのでしょうね。

焼尻紋次郎さん>Re:[1253] 出た!『かむなび語』の原郷;より
>シャリ(米・稲)を喋る民族の名前……おねらは「ソグド」だと判りました。
>ソグド……どっかで聞いたげな名前ですが、憶い出せません。
 20年以上前に、テレビ番組『NHKスペシャル』で、シルクロードの幻の民ソグド人の末裔の放送があり、荒れた山中に最後の数人だけになった直系ソグド人の爺さん婆さんが取材されていました。わずかな羊とともに生活している様子は、とても『シャリ(米・稲)』を食べているような民族には見えませんでしたが? あの番組が本当なら、もうソグド人の一族は残っていないかもしれませんね。ソグド人であるという誇りを持ち、気高くも親切な方々でした。シルクロードの壁画などに面影を残すのみです。
・・・当時好評だったNHK『シルクロード』でカラホトやカラコルムなど、中央アジアでは『カラ』が「黒」を表す言葉だと知ったのでした。

焼尻紋次郎さん>Re:[1266] 黒い神様はカラッポ文化だった;より
>へびを見たら・・・おおらかなもんで「可愛い」
 都祁山口神社の背後の丘、御社尾の磐座から降りてくるときに見た、ジムグリ(地潜り)というへびの子供(幼蛇)は、山吹色に近い茶色に幾何的な黒い班が並んだキレイな可愛い蛇でした。普段は地中に潜っている、おとなしい平和主義のへびさんだそうです。見かけるのは珍しいとのこと。
>香具さんは空手道を通じて・・・“気”を修めた
 紋次郎親分、それは「気のせい」です。あまり気にしないで下さい。あっしの筋肉は、今やすべて脂肪に置換されています。霜降り?・・・高価でっせ。あっしには、神社や遺跡の要所々々で、さりげなく目立つことなく八拍の柏手を打たれる某先生のほうが、アジャリや大行者よりも畏れてしまう存在です。今も『練気』を継続されているのですよ!

 さて先日、大阪府八尾市太子堂での『物部守屋公墓前祭』を見学に行ってきました。
神社関係者のみによるパフォーマンス皆無の追悼祭でした。その帰り、JR八尾駅東南の渋川神社に立寄りました。鳥居・参道・拝殿・本殿は東向き。拝殿、本殿とも立派で、本殿を囲む楠の大木が何本もあります。境内は明るく広々として、近所の幼児達がお婆さんに連れられて遊んでいました。最近は、神社で遊ぶ子供の姿を見かけなくなったので、この光景に懐かしさを覚えました。地域の神社のあるべき姿ですね。
 御祭神は、天忍穂耳命、饒速日命、國狭槌命、日高大神、菅原道真公とあり。境内摂社は、皇大神宮、春日社、浮島社、琴平社、厳島社の小祠が参道沿いに並び、本殿の南西には稲荷社、北西には(八尾市の?)天然記念物の楠の巨木とそれを祀った楠社の小祠があります。そして、本殿の裏に2m幅の通路を挟んで、小さな石の鳥居がひとつ、木の鳥居がふたつ続いて『竜王社』の小祠があります。これは、鳥居・参道・拝殿・本殿とまっすぐ続く中心軸の延長線にあり、拝殿からは本殿に隠れて見えませんが、結果的にこの『竜王社』へも拝んでしまう構造になっています。この小祠はいったい・・・何?
 渋川神社は、もと長瀬川の東岸にあったのが、天文二年(1533)の大洪水で流出し、元亀三年(1572)に現地へ移されたということです。川の神さんやろか。
周囲の路地は複雑で、あちこちに路傍の小祠がひょいと現れる歴史ある街並みでした。
古代は物部氏の本拠地だったそうですが、今はのりちゃんの縄張りの一部ですね。
・・・日高大神?、浮島社?、とは・・・。


[1266]  黒い神様はカラッポ文化だった  [焼尻紋次郎]  [Url] 06/13

 下をカキコしたあと、へびを見たらぶっ殺したくなるというおらの“D.N.A.蓄積”に想いを巡らしました。香具さんなんざはおおらかなもんで「可愛い」という。どうもおらほうは先祖の出来がわるいらしい。

 イヤ〜、辞書にはいろんな偏執が書いてあるもんですね。ネパール語には antarkalin(人間の作ったもの・当座の)という語彙があります。
 そしてメチャクチャに奇妙なものに khokra というのがあって、その意味は「木のホコラの中になんにもない」なんです。このことは3〜4日まえ http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi へカキコさせてもらいました。

 だけどミナシャン、I.T.掲示板の威力ってスゴイですね。ミナシャンのみ胸借りて数分のあいだ意識を集中させるわけですが、そのご深層心理が活躍したのでしょう、あれほどハチャメチャに解らなかった古代人の意識が、今はなんとなく解りかけたみたいなような……感じぃ〜かな、です。
 
 このうつつに、形となって出てきているものを、ことさらに軽視するわけではないのですが、まだ形となっていないもの、形が消え去ったもの……のなかに深い現象的な意味づけをし、それを文化として共有しよう……言うなればそういうことではないでしょうか。
 織物でカラムシという種類はギリシャ語でもあります。それは草などの茎を乾燥させたものです。その乾燥した茎は中身が khali(からっぽ)だということで、これは「からだ」の「カラ」でもあります。

 木も放っておけば、中身は空洞化し、khokra の空虚を抱きかかえます。
 気功では四方に竹を立て、縄をはって、気合い一発で「結界」を作ります。これに近づいた者はバカ力で7〜8M ぶっ飛ばされます。こんなのは練習すれば誰にでもできることです。
 気功そのものではなかったかもしれませんが、「ここに神社を置こう」としたとき、古代人はまず、そのような広い結界をつくったことでしょう。その一種の残存磁気が計測器にひっかかったり、ミナシャンのイルカ孔センサーを刺激している……にちげぇねぇ。

 その“一種の磁気”には植物や小動物が寄ってきて群がり、ギッチョンたべにやってくる蛙さんを狙ってへびさんもやってくる……。クマグスさんもやってくる。
 そういえば、香具さんは空手道を通じてかなりなとこまで、“気”を修めたご仁だった。オミ・オミ・オミそれいたしやした。

 ハイ、これまでの説明の途中で「ありゃ、黒はカラッポに通じるのか?」と思った人、手をあげなさい。
 しかし、黒い神様の横にピカピカの鉄柱を立てたア−リア・バラモンには、どうしても即物的な軽薄さを感じるのだがナァ。これおらのヒガ目やろか。
 大黒さんがシッダルタさんの使い走りじゃと? ウソこくでねぇだ。シッダルタさんはひとが自分に掌を合わせるのをみて、自分の説明の力の無さを嘆きながら「なんでおらを拝むのか、そんなことに神経を向ける手間ひまで、おまえさんたちのなかに巣くっている自分そのものに気を向けなさい」と叫んだはずだ。
 イナリ神のキツネじゃあるめぇし、シッダルタさんにはそんな眷属(ファミリー)は要らぬのが道理というもんだべ。
  喋べくりジンジャエール ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi


[1265]  宇智と励ge  [Setoh]  06/13

> 柱、蛇、龍、男根はホルダー
これらは同じ概念と言うことで、ホルダーの名前は「美人樹下図」とでも。

> 武内宿彌(初代?)の生国は大和か紀伊か九州か?はたまた外つ国か
 マルヤさんご指摘の大和国宇智郡 の式内社に
宇智神社「宇智大神」内臣の祖神もしくは武内宿彌を祀ったとも言われる。奈良県五條市今井4丁目 が鎮座しています。内臣のルーツがあった土地ですね。
 この社の通称を、「国生さん:こくしょうさん」と言います。くにうみですね。ホルダーの中をそそりますね。

 宇智郡は平安時代に御霊信仰が盛んになったようです。この地では、井上(いがみ)内親王の御霊となります。内親王は聖武天皇の皇女で、光仁天皇即の皇后でしたが、皇位継承のいがみあいの中で冤罪を受け、この地に幽閉後逝去しました。

 宇智郡は阿陀隼人の住まいした地でもあり、式内社の阿陀比賣神社が鎮座しています。阿陀比賣とは木花咲耶比売のこととなっています。神武記には「僕は、国ツ神、名は贄持の子と日しき。【こは阿陀之鵜養祖】」とあります。

 また、この神社の周辺一帯は、考古学上でも極めて重要な地域であり、阿太一帯に、縄文・弥生・古墳時代の遺跡が点在しているそうです。

 以上、宇智郡のうんちくでした。


>「弓月ー秦氏ー秦」
> 応神天皇を出した秦氏
夢とロマンの展開になってきました。古事記一冊からはアブリダシたのカネ。kokoroさんの古墳文化論がYOU−Iで展開されていますが、三輪山近辺の大古墳群は弓月に関係していそうとにらんでいます。突然来襲した天日矛が席巻。その日矛と葛城の協同末裔として神功応神が構想され、仁徳天皇につながっている、と考えれば、「応神天皇を出した秦氏」とはずばりいい線をいっているように思います。歴史、神様、漢字にも強い紋爺、向かうところ敵なしだね。naga生きしいや。励ましちゃらいしょ。


[1264]  竹と猛とタケとへび  [焼尻紋次郎]  06/12

 古代人の柱偏執は生活の隅々までくまなく徹底していたのではないだろうか……、この疑念はおらが胸に日いちにちといや増しにつのるばい。
* お歯黒とは黒い柱ではなかったか。
* 一寸法師が腰にさしていた針の刀も柱偏執の派生概念ではなかったか。
* ヒミコの墓? の箸塚……葬式のとき亡者のタマス(取り分)ごはんの上に箸を突き立てる。
* 道具が少なかった古代とはいえ、櫛が出る頻度が多すぎる。櫛の歯一本一本が柱だった……か。
* 櫛と串と楠……いずれにしろ偏執です。
* 杖には特別な霊力があった。棒も鉾も同様。杵には深いかかわりの偏執がインドにもある。
* このことに加えて、一本の刀は氏族全員の協同労働の成果だったので、格別な神でもあった。

 なぜ鞭をムチというか……。蛇を「 ナガムシ……naga(長い……蛇・龍)mut(土)i(神)」と呼んだこととの複合概念の産物だっしゃろ。ちなみにネパール語では鞭を「コラ」(!)という。

 きのふ M さんが来てホルダーとファイルの違いを説明してくれました。
 歯、針、箸、串、櫛、楠、杖、棒、鉾、きね、鞭などがファイルなら、柱、蛇、龍、男根はホルダーと考えてもいいんだろうか、なもサラセッセ。おらは十をきいても一すらワカランとやろカネ。
 いずれにしても「柱・蛇龍・男根」は意識の底でひとつになっていた……としか考えられません。

 神様の名前には予想外に柱や「足伐られ」がこびりついていました。
 ハナシが飛ぶようですが、竹(bamboo)をタケというのは日本語だけです。“エデン”の逆発狂ですが、これには *tak(足伐られ)の音が濃密です。足伐られと“猛”と竹。妄想だけじゃろか。
 「中が空洞……の偏執」は いたどりにもみられます。いたどりには“へび”が絡んでいました。
 キモチワリィ。おらイヤだ、これから先は香具さんたのんまっせ。
  ことばデコイ ;http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi


[1263]  武内宿彌について(続)  [マルヤ] [Url] 06/11

setohさん、ご意見ありがとうございます。
どうも私の説は論拠の背景が脆弱でいけませんね。
自分勝手な「モノ語り」の枠内に留め置いた方がよさそうです。
武内宿彌(初代?)の生国は大和か紀伊か九州か?
はたまた外つ国か、モノ語りの中で遊んでみようと思います。
また、ご教示お願いします。


[1262]  持ちネタの武内宿禰の誕生の地論  [Setoh] 06/11

オフ会の女性神職さんは掲示板が苦手、皆さんによろしくとの事です。

古事記
【孝元(カウグヱン)天皇】
 大倭根子日子国玖琉命(オホヤマトネコヒコクニクルノミコト)、−略− 伊迦賀色許売命(イカガシコメノミコト)を娶(メト)して生みましし御子、比古布都押之信命(ヒコフツオシノマコトノミコト)。−略−
比古布都押之信命(ヒコフツオシノマコトノミコト)、木国造(キノクニノミヤツコ)の祖(オヤ)宇豆比古(ウヅヒコ)の妹、山下影日売(ヤマシタカゲヒメ)を娶(メト)して生みし子、建内宿禰(タケシウチノスクネ)。

日本書紀
【孝元天皇】
妃伊香色謎命、彦太忍信命を生む。彦太忍信命は、武内宿禰の祖父なり。
【景行天皇】
屋主忍男武雄心命。−略− 即ち紀直が遠祖菟道彦(ウヂヒコ)が女影媛を娶りて、武内宿禰を生ましむ。

 この辺りで書かれている武内宿禰は神功皇后の物語に出てくる武内宿禰ではないかと思います。

 さて、マルヤさんから大和国宇智郡の人との興味ある説が紹介されました。小生は九州誕生説をこの掲示板で2〜3回はやっていますが、これを再度述べてみたいと思います。
 誕生の地の伝承は二カ所を見つけています。
 和歌山市安原に武内神社や武内宿彌誕生井があります。
 佐賀県武雄市に武雄神社が鎮座、やはり武内宿彌誕生の地と伝わっているそうです。和歌山県人としては和歌山としたいのですが、客観的に考えて見ましょう。
 武内宿禰をまつる神社は八幡社などに多いので、ここから判断するのは難しいと思いますが、母親の山下影媛を探して見ました。山下影媛をまつる神社は今の所以下の四社を見つけています。全部九州です。
 福岡県小郡市力武1063 竃門神社
 福岡県宗像郡玄海町 葛原神社
 福岡県八女郡水田町大字月田字宮脇 玉垂神社
 佐賀県武雄市朝日町大字中野 黒尾神社

 母親は木国造や紀直の女であって、かつ九州でまつられるのはどういうことでしょうか。やはり、九州の人であったと素直に考えるべきでは、と思っています。その頃の「きのくに」は九州だったとなります。
 また武内宿禰を祖とする氏族を思わせる名前の土地や神社がやはりこの辺りに揃っているとの話が前に出ていました。 H13.1.23の神奈備掲示板ログに出ています。


[1260]  武内宿彌について  [マルヤ]  06/11

少し前の書き込み「竹内宿彌は偉い」に関連して。

武内宿彌は長寿の人として有名ですね。
記紀を史実とすると200年以上も生きたことになります。「武内宿彌」はやはり固有名詞ではなく普通名詞と思われます。ではどういうことか?
武内の武は、勇猛さを表わす【建】・【猛】 タケル、タケシ、タケであり、
   内は、地名を表わす【宇智】ではないでしょうか。
つまり大和国宇智郡の剛勇な郡長さんと言ったところでしょう。
宇智の宿彌さんは勇猛で、武(タケシ)を冠せられ代々「タケシノウチノスクネ」と称され、後に武内という姓になったのかもしれません。

どなたかの説(出典は忘失)によると、成務天皇と武内宿彌は同一人といわれ、そう云われるとたしかに書記の成務天皇三年春一月の条には天皇と武内宿彌は同日生まれ々・・とあり、成務天皇の記事は特に少なく意味ありの匂いがします。としますと次の推理は如何。

猛宇智と云われた漢が大王となり、次の代に大王の地位を足中津彦に譲ったものの、新羅征討に付いては意見が合わず、気長足姫と謀り沙庭で宇気比の真っ最中、熊襲の仕業に見せかけて射殺させたのでは。
そうしますと書記の神功皇后摂政時代、巻第九は武内天皇の巻か?

○大和国宇智郡(ヤマトノクニウチノコホリ)は現代の奈良県五條市辺りでJR和歌山線に北宇智の駅名で残っています。


[1259]  神々の祭り替え −その弐−  [Setoh]  06/11

のりちゃんのオフログ> 「由義神社」なのです。「弓削道鏡を祀るべきじゃないのか?」
オフログの訂正を求めている訳ではありません。以下はそれをヒントにさせていただいて考えてみました。

 道鏡さんは神になれるのでしょうか。巷説のような「色仕掛けの権力指向坊主」ではなかったとも言われます。
 ひとつは僧侶が神として祀られることがあるのかどうか
 二つ目は道鏡は何故神として祀られる必要があったのか

【僧侶】
 弘法大師空海は日本古来の神々をも大切に祀った方で、ご本人も高野山の森の神となったものと思われます。
 今のところ、一社だけ見つけました。
茨城県稲敷郡茎崎町泊崎173の千勝神社「主 猿田彦大神 配 弘法大師、山根彦神」です。弘法大師を祀った由緒は解りませんが

 伝教大師最澄さんや親鸞、法然、日蓮さんは祭神としてはまだ見つけていません。どなたかが彼らの魂を神として祀れば神になるのでしょうが、神社庁に属する神社の中では祭神としては受け継がれていないようです。

【必要】
 道鏡が神として祀られていたとすれば、単に由義宮の宮跡だからここに祀ったと言うことではなく、おそらくはたたり神として、縁のある宮跡に祀られたのではないか、即ち、菅原道真公と同じ処遇の御霊神としてではと思います。
 この場合に、道鏡も「罪なくして追放されたりして恨みを残して亡くなった」と考えることができます。ただ道鏡がたたりを行ったと言う話はあまり聞いたことはありません。
 また、本当に巷間の噂どおりの人間なら「罪あり」ですから、追放されても当然ですから、何らたたる理由はないのです。

 物部系の神々の名前が消されたのは例の物部蘇我戦争の後の物部守屋の直轄地の現在の八尾市付近の神社から饒速日命の名が消えたと言うことです。ただ、物部一族でも石上神宮を祀っていた物部氏(後の石上氏)はあの戦争では守屋の味方をしていません。全ての物部がまとまれば蘇我氏に負けるようなことはなかったかもしれません。物部連とはそのような氏族ではなかく、緩やかな連合体だったのでしょう。

 しかし、弓削道鏡は物部の復活をもくろんだとも言われますように、守屋滅亡の後の人物ですから、もし祀られていても、消し去られる理由はないのです。消し去られたとしますと、尊皇思想の高まり、皇国史観の強化など、和気清麻呂がもてはやされたり八幡神が普及した頃かも知れません。

 また、交野の星田神社、住吉神社、天田神社の祭神は物部系の神々だったそうで、現在は住吉神に置き換わっています。これは平安貴族が枚方や交野で遊ぶ際、天の川中流の磐座で有名な磐船神社(岩戸神社)の祭神を船にちなんで和歌の神の住吉神に変えてしまったことに端を発しているそうです。いろんなことで祭神の置き換えがされているようです。はやり神に替えて反映存続を図ったのでしょう。だから神社へお参りの際には、本殿の神様より摂社の祭神を注意してみるのが、より古い時代のことが判るといいます。星田神社の本殿向かって右側の摂社の饒速日命を祀る小祠があります。


[1258]  Re[1256]:  神々の祭り替え [のりちゃん]  06/11

> 白山神社は式内社ではありません。

ありがとうございました。

>  一般に弁才天とは弁天様ですから、祭神の名としては市杵島姫、神社名としては宗像神社となっていても不思議ではなさそうです。今までは神社の摂社にある宗像神社をして主祭神を祀る為の神を神を摂社にお祀りしているものと思っていましたが、なちゅうさんご指摘のように神祭りの発端に多いとされる水神が宗像神社と変貌してきているのかも知れませんね。

市杵島姫=弁天様もそうですが、
事代主命=えべっさんになっている神社はよく見かけます。

つまり、摂社=戎神社となって、祭神が事代主命というパターンですね。


[1257]  Re[1255][1251]: 昨日はありがとうございました [のりちゃん] 06/11

> この白山神社、式内社ですか。知りませんでした。
> 神奈備サイトの一覧にありますでしょうか。

失礼しました。宮司さんのお話で、式内社の話がでてきたのですで、そう書いてしまったのですが、

「池内宮司様が兼務されている(と言うか白山を兼務ですが)高瀬神社が河内國茨田郡の式内社」ということでした。すいません。
もう訂正はないはず・・・と書いているのに、何をやっているやら、全く。


[1256]  神々の祭り替え  [Setoh]  06/11

白山神社は式内社ではありません。

『日本の神々:白水社』を見ていましたら、信州の戸隠神社の根元の神は九頭竜権現すなわち水神であり、手力男命以下の神々は名前だけの存在と記しています。
 そのような意味で、神社の祭神は重層していると言われており、調査的な参詣の場合には本殿の神々よりは摂社の神々により注意を払う人がより専門的な雰囲気を醸し出すのでしょうね。
 また仏教史に詳しい方で本地仏に注目されて神社の根元を見ようとされる方もおられます。この方面はカラッキシですが、本地仏は時代によって相当変わっているようです。
 関連がどうあるのかはこれからですが、戸隠神社の奥社本殿の近くに九頭竜社(岩戸守神社)があり、祭神は九頭竜大神、本地仏は弁才天と記しています。

 一般に弁才天とは弁天様ですから、祭神の名としては市杵島姫、神社名としては宗像神社となっていても不思議ではなさそうです。今までは神社の摂社にある宗像神社をして主祭神を祀る為の神を摂社にお祀りしているものと思っていましたが、なちゅうさんご指摘のように神祭りの発端に多いとされる水神が宗像神社と変貌してきているのかも知れませんね。


[1255]  Re[1251]: 昨日はありがとうございました  [玄松子]  06/11

> 早速ですが、レポートを作成しました。

この白山神社、式内社ですか。知りませんでした。
神奈備サイトの一覧にありますでしょうか。


[1254]  オフ会・反省会  [マルヤ] [Url] 06/11

オフ会・反省会、どなた様もありがとうございました。
居残り組は10時間もの間ご一緒させていただいたことになりますが、とても時間が短く感じられました。
とても有意義な時間でした。
次の機会を楽しみにしております。


[1253]  出た! 『かむなび語』の原郷  [焼尻紋次郎]  06/11

 風来坊さん、シャリ(米・稲)を喋る民族の名前……おねらは「ソグド」だと判りました。
 ソグド……どっかで聞いたげな名前ですが、憶い出せません。いまから鋭意調査です。
 キカイ・オンチのおらが Google ぶっ叩いてみたものの、皆目ワカラずにフリーズばかりおこすので、追求を断念しました。ソグド語の辞書……なんとしてでも入手せずんば!
 ミナシャンにもオネガヒ、どんな情報でも構いません。ソグドに関して何かあったらアマカネよ。

 古代ギリシャでの記録には「砂漠の果てに禿頭で優秀な民族がいる」とありました。ツルッ禿げはかなり日本人的ではないでしょうか? おらの髪毛はフサフサでこまぁ〜る。「励ます会」カネ。

 フリーズは起こさないので、高校用の教科書を讀んでみました。するとソグド人もシルクロードとして点在していたオアシス通商都市での“あがり”で食っていたらしい。オアシス都市はかなりのところでコーカソイド(白人)が抑えていましたので、このへんの出入りで「弓月ー秦氏ー秦」とか前漢武帝の西域進出が注目されるところとなります。
 3500年前に、ソグディアナ周辺でナニが興ったかです。
 恐らくは寒波の襲来だと見込めますが、コーカソイドの一派は南下して「黒いドラビダの城」を陥し、インドの支配階級になりました。このときソグドの数派も東進して、秦王朝を樹てたり、後世の元(モンゴル)で見られる色目人(雑多な人々)に溶けこんだことが見込まれます。
 で、応神天皇を出した秦氏の東方へのうごきは秦王朝よりも遥かにまえのことだと見ていいのではないでしょうか。なも、サラセッセよ。
 ことば古代 ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi なも。


[1252]  続いてありがとうございました。 [kammer]  06/10

土曜日はありがとうございました。初めてオフ会に参加させていただきまして、みなさま気さくで楽しい方々だったので楽しい時間を過ごさせて頂きました。特筆すべきは女性陣。神社を巡られている方で、歴史に精通している方と言うことから、私が想像していたのは、結構年配でメガネをかけて厳しい人でまるで学者のような人(勝手なイメージです)と思っていましたが、ところがところが、みなさまおきれいでキュートな方々でした。ドキドキしてしまいました。そんな緊張感はあったのですが、瀬藤様を始め皆様やさしかったので、初めてお会いしたという緊張感はあまりありませんでした。
でも、さすがにみなさんレベルが高くて。
ところで、量子論ですが、私も大学でかじっただけで、かつ長年そのほうには触れていないので何だったかなあと。確か量子は波と粒子両方の性質をもっていると言うことだったかと?でも、私はオフ会の話については量子論で説明する方が理解しづらかったかなあ。
また、是非参加させて頂きたくよろしくお願いします。


[1251]  昨日はありがとうございました  [のりちゃん] [Url] 06/10

早速ですが、レポートを作成しました。
今回は、神職さんにまずチェックしていただきましたので、後で訂正することもないと思います。
ただし、話が多岐に渡ったこともあり、理解の範囲を越える話題が結構ありまして・・・。
「月輪観」とても興味あるのだけれど、私が説明するのには、手にあまりまする・・・。
私の頭にすんなり入った部分のみレポートしております。
その他の話題について、皆さんのレポートお願いしますね(^○^)

あと、量子論について、簡単にしか説明できてません。(ちゅうか、ちゃんと納得できてないんです)もっと分かり易く簡潔な説明をくださる方(香具さん、どうですか?)よろしくお願いいたします。


 [1250]  Re[1248]: 竹内宿禰は偉い  [玄松子]  06/10

> 社は右から、1.住吉三神の荒魂 2.応神天皇 3.竹内宿禰 4.
> 神功皇后 5.建御名方命 結局一番偉いのは、真ん中に居る竹内宿禰
> としか、考えられない。竹内宿禰は偉い!

社伝によると、まず、住吉三座が祀られ、後に応神・武内・神功、その後、諏訪が加えられているようです。
宇佐神宮の場合も、応神・比売・神功の順で祀られ、中央にある比売大神が祭祀の中心という説がありますね。これは、延喜式にもそれぞれ記載されており、なかなか面白い説だと思います、が、長門住吉の場合は、延喜式には、住吉荒魂三座のみですから、公的には武内が中心ではありえません。
ただ、筑前から勧請されたとする八幡系三柱の中で、応神・武内・神功の順が興味深いですね。通常、武内の位置には姫神(比売か玉依姫)になります。また、武内はサニワですから神功皇后より序列が前になるのは、「なにかある」という印象を与えます。


[1249] Re[1248]: 竹内宿禰は偉い  [福島雅彦] [Url] 06/10

> 長門の国一の宮:住吉神社 住吉坐荒御魂神社
> 本殿は応安3年(1370)、周防・長門の守護大内弘世が造進したもので、
> 国宝指定になっています。また拝殿は、毛利元就の寄進であり、非常
> に面白い本殿、拝殿の配置になっています。…社は右から、1.住吉三神の荒魂 2.応神天皇 3.竹内宿禰 4.
> 神功皇后 5.建御名方命 結局一番偉いのは、真ん中に居る竹内宿禰
> としか、考えられない。竹内宿禰は偉い!
> 長門一の宮・住吉神社の公式サイト:http://www.tip.ne.jp/sumiyosi/

 異論、反論ではありません。何時も、皆様の薀蓄に固唾を飲む思いで拝読しています。
『高良大社』の主祭神は『高良玉垂尊』で、両脇に「八幡神」と「住吉神」を従えています。
異説として、武内宿禰とされていますが…。これは畿内皇統被征服後に、記紀の記述を当て嵌めた物ではないかと、疑っています。
 記紀編纂者は『高良玉垂尊』⇒『卑彌呼⇒天照大神』の簒奪に失敗していますので、武内宿禰を登場させた、と。此れには、語源説の裏付けを考察中です。拙速ながら…。


[1248]  竹内宿禰は偉い  [習志野のてつ]  06/09

長門の国一の宮:住吉神社 住吉坐荒御魂神社
本殿は応安3年(1370)、周防・長門の守護大内弘世が造進したもので、国宝指定になっています。また拝殿は、毛利元就の寄進であり、非常に面白い本殿、拝殿の配置になっています。云ってみればT字状態。
上の横棒に本殿5社が並び、縦長棒が拝殿となります。当然拝殿は5社の真ん中=3番目の社の真ん前となります。大きさは同じですが、真ん中に祭られている神が、左右に2社ずつを従えている感じがします。社は右から、1.住吉三神の荒魂 2.応神天皇 3.竹内宿禰 4. 神功皇后 5.建御名方命 結局一番偉いのは、真ん中に居る竹内宿禰としか、考えられない。竹内宿禰は偉い!
長門一の宮・住吉神社の公式サイト:http://www.tip.ne.jp/sumiyosi/


[1247]  本日はありがとうございました  [sola☆] [Url] 06/09

今日は、とても楽しかったです。
有意義な時間ありがとうございました。
縁があっての出会い、大切にしたいですね。
次の機会があれば、ぜひお誘いください。


[1246]  Re[1242]: 質問  [玄松子]  06/08

瀬藤さん、泊瀬女さん、ありがとうございました。
他のHPへのリンクに関しては、問題はないようですね。

僕の印象として、今回のメールは、
「製作者」が自分自身の作品(ページ)に関して自信・愛着があり、ページ内の画像・表現・文章に対する著作権を拡大解釈(誤解・錯覚・思い込み)し、見る人間を選ぶ権利を主張しているだけのようです。
僕のサイトが適していないとか、リンクして欲しくない、ということではなく、「承諾を得て」くれということ。
今回の件は、製作者の誤解、で済ませてしまいましょう。

瀬藤さん>個人のホームページで、神社紹介を行うに当たっての留意すべきことがあるのかどうか

こちらの方が、問題としては重要ですね。
神社の事や道順を地元の方にたずねる時、「ごくろうさまです」「ありがたいことです」と云われる事があります。「趣味で回ってるだけですから」と云っても「大歓迎」の気持ちは変わりません。わざわざ拝殿の鍵を開けたり、垣の中まで導いてくれる方もいます。
が、ごくたまに「みんなが手を合わせる場所」にカメラを向けることに不快感を示す方も居ます。
インターネット上の常識や法律上の権利とは違う、「気持ちの問題」が存在します。


[1245]  Re[1242]: 質問  [泊瀬女]  06/08

HP同士のリンクについての知識として[1242]で玄松子さんが書いていらっしゃることに間違いはないと思いましたが、念のため(自分の認識確認のため)に、デジタル情報処理に詳しい人、数人に意見を聞いてみました。私は自分のHPすら作れない機械オンチですが、出版関係の仕事をしているので、まわりには著作権やら公衆送信権やらに詳しい人がゴロゴロいます。それで結論としては玄松子さんのおっしゃっていることとに間違いはないということです。HPに情報公開するという事は、いかに多くの人に見てもらえるかということが目的なのだから・・・ということです。会員制のものや金銭の授受を目的としたHPは別ですね。それから、他人のHPをあたかも自分で作ったもののように表示したり、公序良俗に著しく反することの利用された場合は別の法律上の問題です。
HPリンクについて、特別な法律や規制はないとのこと。なぜかというと、コンピュータに関わる人たちは自由に情報をやりとりしようというのが本来の姿勢なので法律などで規制されるのを嫌うからだそうです。
玄松子さんの場合、何の問題もありませんね。彼のHP見たら分かりますよ。玄松子さんがいかに神社を大切に思っているか。それに彼はコンピュータの専門家なんでしょ?
「礼儀を欠いている」とどなたかが言ったそうですが、今時、彼ほど心優しく、誠実で真面目な人は珍しいのでは・・・と泊瀬女は思っています。
たまに、質問や指導をお願いするとすぐに親切で的確な返事をくれます。こちらの気分が良くなるほど礼儀正しい人ですよ。時々シニカルで少し自虐的な面も見えますが、それも彼独特のユーモアの範疇でしょう。
パソコンのこと何もしらないけど、こともあろうに玄松子さんに「礼儀」伝々言う人がいたというのでムッとしてしまいました。


[1244]  Re[1242]: 質問  [Setoh]  06/08

公開しているページ、トップページでしょうが、これにリンクを貼ることは、承諾の必要のないことです。おっしゃる通り、それがいやなら公開しないことです。

 リンクを貼ったことのみで記載のような内容のメールが発信されるとは到底考えられません。何故、メールが発信されたのか、またKJ版になりそうです。

 『玄松子の記憶』の中にも該当社関係があるのですね。問題はその記載内容が当該神社の公式見解と大きく異なるとか、例えば他の式内論社をより有力とする説を紹介しているとか、なにかありそうですね。「製作者」に頑迷神主爺が上から言わしていることは考えられますね。

 言論の自由がありますから、内容に立ち入ることは避けたのでしょうが、「リンクを貼りますよ、承諾を」と声をかけたとしますと、(おっしゃる通りこれ自身不用なことですが)、「そこの文言を直してくれたら、許諾しますよ」などと一つの機会を得ることになりますね。

 玄松子さんの問いかけから離れるのかも知れませんが、個人のホームページで、神社紹介を行うに当たっての留意すべきことがあるのかどうか、かって「神社オンラインネットワーク連盟」なるメーリングリストの中で議論になったことがあります。

発端は、神社に対して、「ホームページに出したいので、神社のことを教えてください。」との問い合わせがあったことへの返事として、「どのような内容にされるおつもりですか、内容を示して神社サイドの許可を得ることが必要ですよ」と答えた話が紹介されたことがありました。
 勿論小生は反論いたしました。神社は歴史・民俗・地域・観光の共有資源であること、その建物は景観であり著作権を有しないことを主に主張いたしました。結論的には押し切ったのですが「崇敬の気持ちをもって紹介いただけるなら良しとしよう」と言う所へ落ち着いたのです。しかし本音では崇敬の気持とは無関係だとは思っていましたが、場所柄もあり、崇敬の気持ちはないではないし、根は気が弱く優しい人間ですからそこいらで妥協してやりました。

 某神社からは、勝手に出しているとの抗議を受けましたが、上記の反論をおこなったところ、拳は下ろしてくれました。
 大半は、見つけて頂いて、「ありがとう」とおっしゃって頂けます。なかでも、「大神様も喜んで下さるでしょう。」とおっしゃて下さる神職さんもおられます。うれしいことです。

 玄松子さんのページを多く見せて頂いておりますが、ページは作者に似て目鼻立ちの良いできばえで、「礼儀を欠いている」ような表現を感じたことはありません。式内社だけではなく、各地域の神社を真っ当に紹介されておられる素晴らしいページで、その有意義な活動に日頃から感服している次第です。八百萬の神々が玄松子さんの背中をおしています。早くうちの神社も紹介してほしいと言っているように感じます。大宜都比女神の声、聞こえていますよ。


[1243]  文化は総体で比較されねばならない  [焼尻紋次郎]  06/08

 ネパールの王族が数人さん射殺されるという事故がありました。
 おらは、申し訳ないのだがその事件よりも、ネパール王族の正式の着物にこころ惹かれた。
 スカートはいてるが、その下に佩いているだぶだぶ股引は、これ銭形平次など江戸の岡っ引きがはいてるのと同じで、「世界中みてもほかに類例が見当たらないんじゃないだろーか」と思った。

 アイヌのきものと沖縄のきものもそっくりだが、そいつぁネパール〜ブータンともそっくり。もちろん日本のきものにも似いちゅう。
 ハナシこんぐらがるが、ここで気をつけたいのは、「上の事実だけでもって“ゆえにアイヌ〜ネパール一帯は同一文化圏に包括される”みたいな推論をやってはならない」ということ。
 この考えをもっとつっこめば、目のまえにたまたまチラついている現象をあげつらって「あれもある・これもある……だから両文化は類縁が深い( or 浅い)という思考をやってはならない」というこった。

 ふたつ以上の文化(偏執)比較は、“総体”でとり行われねばならない。

 二万年前、これは「神様の目はふくろうの目みたいに、あるいは生まれでたばかりの嬰児の目みたいになっている点」で共通した偏執が世界を風靡した。そして6500年前から3500年前までにレバノン杉に代表される第一次世界大航海時代が展開されて、ほぼ均一の偏執(文化)が世界中にできていた。
 そこへ四大文明圏などと呼ばれる農耕〜通商での地域的な爆発がおこった。この爆発で発達した偏執はそれぞれの周辺に波及したので「世界に普遍的だった文化の帯」を各所で分断した。
* エジプト〜中東〜インドは“爆発”後に通商によってひとつのまとまりある文化圏を形成しようとしていた。
* 突出した戦闘技術が、他のジャンルの成長を抑えたのがシナ文化だった。
  これは大きな谷、大きな平野、大きな湖をかかえているので、地域的独立自衛の国家が中央部で発達しにくいという地勢の然らしめたものだった。
* アジアで忘れられてはならないのが、アンコール・ワット文化。こんな怪物が現れたあとには、文化の連続は各所で遮断される。 

> 雲南省から南には聖木、木柱、九段の梯子、玉垣、鳥居、〆縄、勧請縄がそろっている。
☆ ……の見方、依而如件。どなどなどーな。 
  あ、語彙の一つひとつも 聖木、木柱、九段の梯子、玉垣、鳥居、〆縄、勧請縄と同じ価値をもつ。


[1242]  質問  [玄松子]  06/07

これは、僕のサイトの「芳名帳」に書いたことですが、皆さんにも聞いて見たいので、書き込み。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
今朝、某神社サイトの「製作者」からメールが届いていた。
当「玄松子の記憶」から、その神社サイトへリンクを貼っている事に関して。
・神社からの承諾を得ていない
・承諾を得るのは、最低限の礼儀
・承諾を得るべきだ
要するに、僕が「礼儀を欠いている」ということ。そのような主旨だ。

他サイトのページを、いかにも自分の作品のように見せるようなリンクや、それによって金銭を得る行為は著作憲法上問題がある。
だが、単に他サイトのURLをページに記載し、その文字列にハイパーリンクを設定する事、それ自体に何の違法性も無いのは常識。

「玄松子の記憶」からリンクしているサイトに関して、それが公的な機関のものである場合、原則的に「承諾」を得たことは無いし、得る必要も感じていない。
インターネットの各WEBサイトは、何処からかリンクされてはじめて機能するもの。検索エンジンによって表示される検索結果も、一過性のものではあるが、リンク集そのもの。ロボットによって収拾されるURLとそれに対するハイパーリンクに一々承諾が必要なら、検索エンジンが成り立たない。
リンクを拒否するなら、会員制のページにするなどの非公開にするしかない。
また、神社という開かれた場所なら、尚更のこと。実際の神社でも、ほとんどの場合、参拝は自由だし、参拝に許可は必要ない。保安上・宗教上問題があれば、もちろん非公開にするか、注意・警告がある。

個人で運営しているサイトの場合は、原則としてリンクの許可・報告を行っている。これは、「礼儀」や「義務」からではなく、ネットには色々な人間がいるからという理由。

さて、一体何が「礼儀を欠いているのだろうか」。当該サイトには、「リンクを張るな」とか、「リンクは許可がいる」という文言は無いのだが。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
どうなんでしょう。


[1241]  倭族は長江流域からネパール、インドシナ、日本へ蜘蛛の子を散らした。 [Setoh] 06/07

雲南省から南には聖木、木柱、九段の梯子、玉垣、鳥居、〆縄、勧請縄がそろっている。

習志野のてつさん[1203]> 多賀大社、参道の途中の家々に「笑門」
正月に志摩地方では「しよう門」(竹冠に犬)と墨書きした木札を吊すそうです。春が来たよ、と言うことだそうです。

香具さん[1229] > 〆縄や勧請縄は龍体の象徴と見てよいのでしょうか?
タイ国のチェンライ県に分布する赤ラフ族の邑の入り口に木から木へ〆縄が張られているそうです。〆縄はタイ語で「良いことをする縄」を意味するそうです。縄に鬼の目の絵を入れた袋をぶら下げたり、根元に竹で編んだ大きい鬼の目を置くそうです。龍体をイメージするなら、鬼の目は要らないと思います。なお、天理市中山町には鬼の目をつけた〆縄があるそうです。
以上は2件は 中公新書『古代中国と倭族』鳥越憲三郎さんの丸写でした。

習志野のてつさん[1234] > 丹生都姫様は仏教に帰依
 呉の国辺りにはいつ頃仏教が入ったのでしょうか。
 丹生都姫様は空海に高野山を譲ったことになっていますので、帰依したとしても、平安時代の日本でですね。


[1240]  『玄松子の記憶』、阿波の式内社のご予定は?  [Setoh]  06/07

恥瀬男歌 √そそのかし、つい乗って舞う、神社好き ♪

20km間隔の安曇、宗像、物部
阿波国吉野川の上流から上記氏族に関連ありそうな式内社を並べますと
(麻植郡鴨島町)天水沼間比古神(社)天水塞比賣神社2座[アマツヌマヒコ・アマツミツセキヒメ] 水沼君は宗像三神を齋祀ったと言う。
(麻植郡川島町)伊加加志神社[イカカシ] 物部氏の祖神をまつる。
(名西郡石井町)多祁御奈刀弥神社[タケミナトミ] 諏訪大明神
(徳島市国府町)和多都美豊玉比賣神社[ワタツミトヨタマヒメ] 安曇族祖神

 なぜここに多祁御奈刀弥神社が鎮座しているのか、何故この神を信濃まで持ち運んだのか、その氏族は誰か、わからないことだらけです。
 また信濃での名前は南方刀美神社[ミナカタトミ]で、「方」が入っている理由は何か、風来坊さんご紹介の大和岩雄さん説、南の方角の南方、これはお笑い説だと思いますが、吉野川下流と上流の氏族の抗争の手打ち式で宗像の像が神名に取り入れられたと言う説はいかがでしょうか。え!、もっと、お笑い説。


[1239]  かたづかない方   [Setoh]  06/07

櫛−→クス が出れば、葛 まで妄一息です。

 倭姫命が吉備国名方浜宮に巡行していますが、その論地の一つに、海南市名高の井引の森が当てられています。余談ですが、紀の国の人は「かた」と「たか」の違いを気にしないおおらかさがあります。言語音痴の由縁です。
http://www.kamnavi.net/ki/city/isebekaki.htm
 海岸の地名ですから、日方は干潟の変化とする説に説得力があります。

 奇日方さんは陶荒田神社に関連するとしますと、堺市の山手のほうで、残念ながら干潟がらみとは言い切れません。

 櫛御方→櫛御名方→建御名方と名前が変化合成されたと見れば、櫛、クス、葛の親近さで、葛の神の建御名方が出てきますね。


[1238]  神道語は潜在ペルシャ語が母体だった  [焼尻紋次郎]  06/07

 ここが顕教と一線を画すシシミ(修験・神道・密教)の場だからおべっか言うでねぇだ。

 顕教ぼうさんたちはホトケにしろウラボンにしろ、おネラとする所属構成員に有り難がらせようとしてムリムリにサンスクリット語での語源分析をゴリ押しし続けたのでした。
 インドのもう少し西のほうらしいのですが、そこから2500年前あたりに「シッダルタさん以前」の“一種のおしえみたいなもの”がこの日本列島に到達していたのです。
 さきにも、銀シャリの「米・稲」がペルシャ語に残っていたことを知りましたよね。

 日本神道にしろ神様のことにしろ、この「潜在ペルシャ語」が醸し出している文化が母体だといえましょう。その時代には現在のような国とか国語の概念はなかったので、語彙は大幅に氏族の枠かせをこえて広がっていました。そのあおりをくらったような形で、おらがネパール語のなかから多数(1200ペア)の宝物を拾うことができたのでした。大野晋教授は350ペアの類似語をタミル語とのあいだに拾うことができたのでした。

 ほんとうのキリスト教を知ろうとして多くの宗教熱心びとはヘブライ語やギリシャ語を学びます。
ほんとうの仏教を知ろうとして仏教熱心びとはサンスクリット語をまず知ろうとします。そのように言語種によって特異なひとつの思想が語られることは事実です。
 西洋風に吹かれた恋愛をして子供を作りたい……と、本気になってフランス語をぶじゅぶじゅ学んでいるオナゴ学生は吐いて捨てるほどいます。

 ペルシャ語が喋られている地帯のどこかの方言に『かむなび語』が残っているのかもしれません。


[1237]  「方」神   [玄松子]  06/06

Setohさん> 建は武神、御は敬称で大でもよい、方はやはり敬称で貴、持、主と同じようなもの

この「方」は本当に敬称なんでしょうか、ということで、「方」のつく神を少し探してみました。

◎ 櫛御方命・天日方奇日方命・別名武日方命
これ、全部同神の別名とされています。
大物主神+活玉依毘売(陶都耳命の娘)−>櫛御方命−>飯肩巣見命−>建甕槌命−>意富多々泥古。
一説には事代主の子で、神武の皇后媛蹈鞴五十鈴媛命の兄ともされています。陶都耳命は、奇日方天日方武茅渟祀とも。

「櫛御方命・天日方奇日方命・別名武日方命」
物部系のような神名で、賀茂や大神の祖。出雲にも関連付けられています。
『日本書紀』では、大物主神+活玉依姫−>大田田根子。建御名方同様、欠落していませんか。

【妄想1】この祭神に、安曇の「名方」を合成して、建御名方。
【妄想2】「クシ」御方命 = 「クス」の御方(おんかた)。


[1236]  Re[1235]: ニッカリ笑った“玄(黒)”の神  [Setoh]  06/06

>  あ、仏教の伝来なぁ、ナニ語だったかサラセッセが知ってる。うら盆(亡霊)をもちこんだペルシャあたりの宗教(……言語)で、それはシッダルタさんたぁ関係なかばい。サラセッセ何か云え。


【盂蘭盆】
http://www.kyoto-seika.ac.jp/humanities/soturon7/excellence/ura.html
サンスクリット語のavalambanaがuiiambanaに音写したものからきているとする説と
イラン語系のurvanという、死者の霊魂を意味する語からきているという説

【仏教伝来は仁徳天皇の時代に南紀へ】
http://www.wakayama.go.jp/prefg/060200/kankou/kataribe/hongu_k.htm
第十六代仁徳天皇の御代に、裸行上人という印度から渡来した大徳あり、熊野三山苦行の砌り、霊夢によりこの地に来り、この湯の花化石薬師如来の尊像を感得せられ、一切衆生の病苦を救うために、ここに尊像の周囲に草庵を結び、東光寺を開基せられた。


[1235]  ニッカリ笑った“玄(黒)”の神  [焼尻紋次郎]  06/06

 ウシに曳かれて善光寺まいり
 なんかワカランままに『かむなび』に惹かれてここまできたが、けふは最高! おらはもう乾杯したモンネ。求めよシカラバ与えられむ。やっぱ青い鳥は『かむなび』ばい。サリセッセあが。

 クリシュナは下の kur(くろ)is(イソノカミ)na(……いまのところ指導者としか、訳しきれませんアマカネ)を原意原音にして2000年ばかりを転がりまわった神名だと思いますヨ。

 折も折り! 酔っぱらってねぇお習志野ちゃんがのたもうた。
 神経の集中するところ、そうなんですよ。

 やっぱ、おらは、おらの目ン玉の黒いうちに……という個人的願望に支配されてんのか(反省!)もしれんが、極東史を大きく塗り換えるのは江南語のそのまた古代語の把握なんです。それがなぁ、習志野のォ〜、それをそのまま、もうやっているご仁がいるのだぜ。ニポシン、パカないよ。
 資料はビシッととれる。シナでもやってる。

 「あとに続く者を信ず」。受けた者にとっちゃぁ、重いことばだべ。神風特別攻撃隊がおらにのこしたことばだった。だが「生き残すいのちのために死ぬ」よか重いものがこの世にあろうか。
 おらには、まだ後続もいねぇ。

 あ、仏教の伝来なぁ、ナニ語だったかサラセッセが知ってる。うら盆(亡霊)をもちこんだペルシャあたりの宗教(……言語)で、それはシッダルタさんたぁ関係なかばい。サラセッセ何か云え。

酒のんでバチ当たったりして……。
  大飛躍ちゅう 黒文化 ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi


[1234]  『音読み』だけでもムズカシイ  [習志野のてつ]  06/06

先日「『古代技術の復権』小学館ライブラリー 森浩一対談集」で、
面白い事が書いてありましたので、ご報告。
● 「平城京」をなんと読むか?漢音(カンオン)ではヘイセイケイ、
呉音(ゴオン)ではビョウジョウキョウで、いずれでも「へいじょう
きょう」の読みはないそうです。また菩薩の菩は「ボ」と濁音でよむ
のは呉音のみで、朝鮮では「ホ」と清音になり、漢音でも「ホ」の清
音だそうです。古韓音(朝鮮の昔の発音)は漢音とかなりにていると
のことです。
● 問題は仏教が公式に認められているように半島から入っただけだと
すると、何故中間の朝鮮で消えた濁音が、また復活するのか、全く不明
となります。(ボ→ホ→ボ の変化は99.99%ない。)

●「仏教は公式には朝鮮経由で日本に伝わった。元々中国南部(呉地方
から直接、当時(西)日本に住んでいた人々に伝わり知られ(祭られ)
ていた。」結論を急ぎ過ぎてますが、有力な状況証拠でしょう。
――丹生都姫様は仏教に帰依してた?―― 無理筋ですかね


[1233]  クリシュナのバターボール  [玄松子] 06/06

http://www.bekkoame.ne.jp/~nonchan1/madras.htm

マドラスにあるようです。 バターボールは、クリシュナの好物。


[1232]  Re[1231]:黒い神様はしずかに笑った  [玄松子] 06/06

>  インドを紹介しているテレビでみたのですが、傍らに人がいたらだいたいの大きさが分かったのでしたが、草の背丈で想像して、直系5〜6mの真ん丸い黒い岩がなだらかな傾斜の原っぱに1ヶだけゴローンとありました。
>  この岩……なんという地方で、何と呼ばれている岩かいな。

http://www.tbs.co.jp/f-hakken/mystery735_1.html

これかな?


[1231]  黒い神様はしずかに笑った  [焼尻紋次郎]  06/06

 1219 でタカミヤさんが教えてくれたので、出かけていって「黒い岩のことを教えてください」
と掲示板にカキコしましたが、だぁれも教えてくれません。
 そこで「やっぱこりゃ『かむなび』の知恵者がヨカ……」と、サリセッセ出番ですじゃ。

 インドを紹介しているテレビでみたのですが、傍らに人がいたらだいたいの大きさが分かったのでしたが、草の背丈で想像して、直系5〜6mの真ん丸い黒い岩がなだらかな傾斜の原っぱに1ヶだけゴローンとありました。
 この岩……なんという地方で、何と呼ばれている岩かいな。

 先日から紹介しているクトブの鉄柱ですが、こんな記事がありました。
 「1051年にあるバラモン僧がアナグパル王に次ぎのように語った『この柱は地中深く突きささっており、大地を支配している蛇の王バスキの首根っこを押さえています』。
 好奇心を覚えた王様が柱の根元を掘ってみたら、蛇の血で土が真っ赤の染まっていた」と。

 いくら乾燥地とはいえ、永年の雨でニ酸化鉄(?)が周辺に散ったのでしょうが、注目すべきがバスキです。日本語の「はしら」の語源 *bas(神)と大地の神 ki が出ていることです。
 へびはやっぱ、土のなかにいるもので、ここでも銅鐸が土中に入ることになっている……がでてきました。銅鐸は政権交替のおりに、慌てて土中に埋めて隠したわけではないのです。

 あ、ハナシが飛んだ。
 この鉄柱の出現で、インド古層……(恐らくはドラビダの)蛇・黒・木柱の古代文化が“バラモン・シッダルタさん・仏舎利塔”へと交替したのではないか……が浮上シマセンカ……です。

 古代日本人は黒を kur (クル)と発音していた……が言えそう。アイヌは kur です。
 角川ソフィア文庫『古事記』P48 、「渚」に「ス」のふりがなを打っているのです。「渚」には物部渚鳥のように古代日本人の強烈な偏執があります。これ恐らく Nag(蛇)sa(里)でしょう。
 退治されたオロチもいたが、殺されなかった「へび崇拝氏族」もいっぱいいたわけでんな。
 退治した側の文化は、ひょっとしたらインドのクトブのことを知っていたかもしれまへん。

 師木津日子玉手見の命………テミで柱が入ってらぁ。
 阿久斗比売(大クトブ)……クトで鉄柱が入ってらぁ。
  古古こをば ;http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi


[1230]  白山オフ会は九日です。  [Setoh]  06/06

玄松子さん[1228]> 志賀島の安曇と、遠賀川の物部の、中間に宗像

桜井市芝812に國津神社(くにつ)通称九日神社(くにつ)が鎮座しています。何故か祭神は宗像三女神です。九頭から国津へ移行の途中が九日?

 H13.2.20に香具さんが要チェックと書かれていた嚴島神社(天理市布留町90)ですが、何か出そうでしょうか。

九州北岸を東から20Km間隔で並ぶ。
> 志賀島の安曇 子孫の倭国造がまつった大和神社「大国御魂神」
> 中間に宗像  XX神社「YY御魂神」
> 遠賀川の物部 石上神宮「布留御魂神」
山辺の道で同じように並ぶ必要はないのですが、XX神社を夜都伎神社、八剣神社なども宗像との関連を見ておくことがいりそうですね。
出雲建男神社も候補ですね。宗像=御名方=出雲建男神が一挙に!?!

 大和神社が磯城宮に祀られていたとすると、他田坐天照御魂神社も候補、そうすれば、YYの祭神名が天照御魂神で、大国、天照、布留と並びますね。


[1229]  山遊記その3  [香具]  06/06

setohさん[1225]>出雲建男神とは建御名方神のこととの考えが・・・

ワタクシ的には、いよいよ核心への鍵が発表されたように受けとっています。
(残りいくつの扉があるか判りませんが)重要な説として賛成したく思います。(盲信)

玄松子さん[1228]>志賀島の安曇と、遠賀川の物部の、中間に宗像・・・

安曇あるいは宗像の人達が、龍の入墨をしたような風習は考えられますか?
九つの頭の龍に拘らないと書きながらも気になっています。(九紋龍史進)

さて(4)葛神社 都祁村藺生 です。
藺生(いう)までもなく、setohさんが、こちら↓でアップされています。
http://www.kamnavi.net/as/uda/tugekuzu.htm

 都祁村の南西部にある小山戸・藺生の集落から南へ向うとしだいに山地入り、藺生峠を越えると、桜井市の北西にあたる小夫嵩方の集落へ続き初瀬ダムに至ります。
 田圃の風景が切れて、これから山に入っていこうとする街道沿いに葛神社はありました。すぐ手前には差し渡し20m程の池(農業用)、鳥居の前の街道には、手の込んだ勧請縄が架けてあります。(〆縄や勧請縄は龍体の象徴と見てよいのでしょうか?)
 境内、拝殿、本殿のたたずまいは、布留川上流の九頭神社群と似通った雰囲気。
『都介野村史』によると、『葛神社は九頭神社とも書き、祭神は出雲建雄神または建速素盞鳴命とされている』とあります。布留川上流の九頭神社では建御名方神、藺生の葛神社では出雲建雄神ですね! とすると、石上神宮の出雲建雄神社とは?
 都祁村にはまだ、東方にも室生村の手前の笠間川沿いにも九頭神社があります。藺生の葛神社とあわせて東西の抑えかもしれません。また、初瀬ダム上流域の笠・修理枝・小夫・小夫嵩方・芹井付近も未調査です。
 今の時点で『出雲建雄神=建御名方神』の決定打は出ていないようですが、少しずつの確認を進めていきたく思います。石上神宮にある出雲建雄神社から、神宮祭祀の古層が見えてくるかも知れませんので。


[1228]  Re[1225]: 物部守屋大連  [玄松子]  06/05

>  また、そうすると出雲建男神とは建御名方神のこととの考えが浮かび上がります。

御名方=宗像とすると、志賀島の安曇と、遠賀川の物部の、中間に宗像(建御名方神)が鎮座していることになりますね。
志賀島−宗像、遠賀川−宗像は、どちらも20Km程度でしょうか。近いですよ。


[1227]  Re[1220]: 山遊記その2  [Setoh]  06/05

> (1)南乃庄  国津神社(くにつ)本殿の裏壁にまわると、墨絵のような単色で『龍』が雄渾に描かれています。

アップしています。ご覧下さい。whatnewからが便利。


[1225]  物部守屋大連  [setoh]  06/05

 物部守屋大連は蘇我・物部の戦いで、敗死したことになっています。四天王寺の中には守屋祠があり、守屋さんのおかげで、立派な四天王寺ができたことを感謝する意味で祀っています。鎮魂でしょうね。
 所が、義経ではないのですが、守屋大連が生き抜いて逃亡したとの話が残っています。近江の波久奴神社の由緒に「迹見赤祷の為に射殺せらるる者は、則ちその臣漆部巨阪にして 、大臣は弟小阪伴従して其領内、即ちその当地に潜匿し大臣名を隠して萩生翁と自稱 す」と出ています。
 以降はKJ版
 残党狩りは厳しかったようで、いつまでも近江にいては危ない、こうして守屋は信濃に落ち延びたのです。当時の有数の武将ですから、安曇族がおさえていた諏訪一帯を征することは難しくなかったでしょう。元々近い関係の海人族の安曇の娘の八坂刀賣神に婿入りして、この地域の王となりました。勿論本名を名乗るのは具合が悪い、名前を申すのも恐ろしい方、とよばれたのです。建御名方の誕生です。ここで神の重層現象が起こり、諏訪湖の地の神の神格を受け継ぎ、武神、航海神、水神、龍神となりました。
 守屋大連没後、もういいだろうと神体山を守屋山と名付けたのです。
 物部守屋の行動は後の記紀編集時、建御名方神の出雲からの逃亡として潤色されたのです。
 なお、先の近江の波久奴神社は浅井郡にあり、(kokoroさん[1164])の安曇川近辺と言えます。また健御名方命を祭神とする湯次神社[ゆつぎ]も近くですね。

安曇と物部について
 姓氏家系辞書 http://www.tk.airnet.ne.jp/ponta/roots/index.htm から
綿積豊玉彦━┳ 宇都志日金折命 ━ ━ (曇連の祖)
        ┗ 振魂命 ━ 武位起命 ━ 椎根津彦命(倭国造の祖)
宇都志日金折命は穂高見命のことで安曇連の祖です。(玄松子さん[1122] )
振魂命は布留魂命、すなわち布留御魂神で、石上神宮の祭神です。また武位起命、椎根津彦命の親神でもありますので、丹後の籠神社に伝わる系図から見て、火明命ということになり、合成された神名と言われる天照国照彦火明櫛玉饒速日命が誠しやかに思えてきます。要は安曇と物部とは同根の海人族といえます。
 また、そうすると出雲建男神とは建御名方神のこととの考えが浮かび上がります。


[1224]  訂正です。(._.)オジギ  [なちゅうー]  06/05

ごめんなさい。宇天照・・・。の宇は打ち間違いです。(*^^*ゞ
タダの天照大神です。


[1223]  ありがとうございます。  [菅野壮営]  06/05

setohさん>自分にとっての神の存在がとても冷たいものになっていたと思います。少しすっきりしました。ありがとうございました。


[1222]  異ヂ空間・神社 [焼尻紋次郎]  06/05

☆ なちゅうさん>宇天照とは何と発音するのでしょうか? 天とあったら、これインドくさいですね。きのふの“南天”は南インドらしい……くさい。クトブの鉄柱は、もとはインド北部のムトゥラという聖地にあったと云われていますので、今あるデリー郊外は「南天」……ちごたか? 

☆ 宮地獄の「ヂ」……もちろん「地」も言えるわけです。その場合は、宮の「ヤ」が神社建て替え用の資材置き場……なんでしょうか。ウマシアシカビヒコ“ヂ”もありました。霊(チ)カネ。
☆ 神社には古代人が残した精神念波が今に残っているみたい。現代人は計測器もちこんで、それを“磁気”として捕らえている。『かむなび』のミナシャンは自分のアタマ運んで行って、眉間中央上部にあるイルカ孔をセンサーにしてキャッチしている。それがなかったらオモシロくもないし、続かんじゃろもん。
☆ 東原は沖縄のト−バルでは? 瀬戸王とはサラドンのこっちゃねぇか。こをば。

  ことば、こをば ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi


[1221]  難しい質問二題  [setoh]  06/05

[1187] [水鏡] さんの質問の
> 「東原(の長)」「(海色の)瀬戸王」
寡聞につき、わかりません。
直感で言えば、平将門と藤原純友だったら面白いと思いますが、全く検証はしていません。

[1218][菅野壮営]さんの質問
> 神道を偶像みたいに利用..罰当たり
質問の意味がとれませんが、困った時に神頼みして、うまくことが運べばそれでいいのでは。


[1220]  山遊記その2  [香具]  06/05

長い投稿で失礼いたします。都祁村レポート第2弾(スミマセン)。
 都祁村には現在、主な国津神社が三社あります。(南乃庄、白石、甲岡)。本来は都祁村一帯の各集落ごと、南乃庄、白石神子尻、甲岡宇内屋敷、友田クズカミ、来迎寺宇伺ら?、相河宇丸山に、それぞれ祀られていたようですが、明治時代に、この中の友田、来迎寺、相河の国津神社は都祁水分神社に合祀されたということです。

(1)南乃庄  国津神社(くにつ)
 南乃庄の三陵墓古墳群から西へしばらく歩き、舗装された大きな道路を南に折れて進むと、左手にこんもりとした小山が見えてきます。その小山の手前に西向きの鳥居があり、そこが南乃庄の国津神社でした。とくに参道は無く、50cm幅程度の農業用水のような流れを越えてすぐ境内になります。清潔で手入れの行き届いた境内でした。手水鉢に水が無かったのですが、見れば鉢の脇にカランがあり、捻ると龍の蛇口から水が出てきました。(溜まって濁らすよりはマシなのかな?)
 鳥居を潜り、境内に入るとすぐ左側に祓戸神社の小祠があります。正面には落ちついた雰囲気の拝殿があり、ここから本殿を拝めます。他府県の村社を、まだあまり見ていないので比較はできないのですが、天理市の布留川流域の村社と同様な造りの四角い拝殿でした。拝殿のすぐ奥に本殿がくっつくように続いています。本殿に向って右横に『山神神社』、左横に『九頭神社』、『歳徳神社』の小祠が並んでいます。
 『山神神社』は、村の西の宇大般若から、『歳徳神社』は、南乃庄宇垣内から合祀されたということです。(『九頭神社』は?、元から???)
 拝殿から礼拝するだけでは判らないのですが、本殿の左右側面の壁に、神楽の様子や獅子の絵が明るい彩色で描かれていました。本殿の裏壁にまわると、墨絵のような単色で『龍』が雄渾に描かれています。この『龍』の絵は、本殿地の中に入り、裏へ廻り込まないと見えません。
 『都介野村史』によると、『南乃庄西端にあり。大国魂命を祀る。九頭大明神とも称した。東山中では各荘に大国魂命を祀る国津神社があり、国土を守る神、一地方を治める神とされ、古くから農業の神、水の神として信仰された。天禄三年(972)伊勢国阿閉郡二位峰の国津大明神を河内国高安郡へ移す途中、南殿庄で一泊した。翌日神体の白石が動かなくなったので、そこに社を造って二位峰と号し、都祁水分神社の眷属となったという。ちなみに、神社背後の小山柏峰には二十数個の岩石群がある。ここが国津明神鎮座の地といわれ、十月十日には村人がここに篭り、集まって踊るのが例であった。・・・中略・・・。南乃庄では、一月八日、国津神社で神式の初祈祷を行い、藁で蛇体を作り、村の西はずれの宇大般若の山の神の祠まで運ぶ。』と記述されていました。
 境内と本殿地付近では、上の説話のご神体『白石』を示すものがありません。白石の国津神社へ運んだという古事も伝わっているようです。
 今回、時間の都合で、神社背後の小山:柏峰には寄りませんでした。『日本の神々・大和編』には、二十数個の岩石群の中央部に『秋葉大権現』と刻銘のある自然石が立っているとのことです。冬場に機会があれば再訪したいと思います。
 『山神神社』の藁の蛇体も見ていませんが、勧請縄を連想します。
 『九頭神社』の小祠、拝殿裏の龍の絵、『大国魂命=九頭大明神』の称、などなど私には濃厚なドラゴン指向の印象を受けたのですが?・・南南東に都介野岳を眺める、穏やかな風景が広がっていました。道端にはアザミがたくさん咲いていました。

(2)白石宇神子尻  国津神社(くにつ)
 国道の針(ハリ:地名)から野野上岳を目指して、県道369線沿いに北白石の集落に近づくとすぐに判りました。ここからは、東にフタコブラクダのような雄神山・雌神山の野野上岳と、南に都介野岳の頭が見えます。
 『都介野村史』によると、『・・・大国主命を祀る。末社二あり。一は春日神社で天児屋命を祀り、一は厳島神社で市杵島姫命を祀る。(中略)、昔、南乃庄の国津神社から六人の村の年寄が神体の石を運んで当社の神体にしたという古事にちなんで、神社の祭祀・維持を司る者を六人衆といい、その中で一番年長の者が社守を勤めてきた。・・・』と記載されています。元の南乃庄の国津神社は、ご神体をどうしたのだろうか?
 鳥居を潜って、境内の途中に3本の樹の根元に石英のような『白い石』(大きさは50cmくらい)が小祠とともに置かれています。露天なので、これが御神体の『白石』とは思えないのですが?樹の背後には同様な白い石がもうひとつ、置いてありました。
 境内は、とても清潔に維持されている明るい神社でした。南向きで開放的、日当たり良好です。南乃庄からの分祀になるのでしょうが、三つの国津神社の中では、境内の敷地も広く、本殿や社務所などもやや大きめの建築でした。
 『神奈備にようこそ』HPから、ご祭神:大国主命、摂社:春日神社「天兒屋根命」(境内)、摂社:厳嶋神社「市杵嶋比賣命」(境内)、摂社:雄賀神社「祭神不詳」(境外)、摂社:八坂神社「素盞嗚命」(境外)と紹介されています。
 本殿の向って左側に春日神社、厳島神社が、右側に両大神宮、穐葉大権現、熊野大権現が祀ってあるのですが、よくあるような本殿脇の小祠でなく、1m強ほどの高さの自然石に御祭神名を彫刻して立ててありました。石碑のような感じです。
 平野の社の為、裏に山がない代り、少しの叢林があって、中でも1本の高い大木が印象的に真っ直ぐ天に伸びていました。それ以外にドラゴン指向は見れませんでした。

 境外摂社の八坂神社は、国津神社から県道を挟んで南西約300m、境外摂社の雄賀神社は、国津神社から田圃を越えて東へ約400m。八坂神社は白石西垣内、古墳のような低い岡の東麓から、野野上岳を望むように東向きにありました。他の神社に石鳥居が多かったので、ここの赤い鳥居が新鮮な印象。鳥居の前の幼児向け公園で一服休憩。

 国津神社の東隣の田圃の中、神社の外垣から30mも離れていないところに、ひとつ目の『やすんば』と呼ばれる樹叢がありました。直径3mほどの範囲に、松や潅木が一塊あって、周囲の田から浮いて見えます。あと3箇所、合計4つの『やすんば』が、国津神社から雄賀神社まで60〜80mの距離を置いて、田圃の中に残っています。ここの樹木を切れば祟るので自然に残ったということですが、なんとなく手入れされている盆栽のような端整さを感じました。それに、きれいな(意図的な)放物線的カーブを描いて続いています。(この『やすんば』と同じものを都祁山口神社の前の田圃でも見かけます。)

 雄賀神社は雄神山(野野上岳の片方)西麓に鳥居と拝殿がありました。何か不自然な違和感を覚えます。神社の位置や向きが、雄神山を拝む方向に思えないのです。山を御神体として拝むために社殿が無いということですが、本来の山頂からずれた処を向いて拝んでいるようでした。
 拝殿の中には『鉄銅銀金』とある昭和十四年の大きな扁額が見えますが、はっきり言って『趣味』があいません。拝殿の裏にまわると、笹藪の中に高さ2mもない鳥居があり、その両脇に30cmぐらいの狛犬が一対、中央にお供台のような平らな石とその上に直径15cmほどの白っぽい石球が置いてありました。
 土地の人は、禁足地だから絶対に入らない、神主ですら山に入ることはない、と強調していましたが、拝殿裏一帯の笹は高さ50cm弱で揃っており、3年も前なら藪ではなかった様子でした。先の小さな鳥居より数m進むと、60cm幅の整備された山道が横たわるように現れました。しかもトラフと呼ばれるコンクリ製の側溝付きの!そこからは引き返しましたが、道は拝殿の延長先ではなく、横に向って、雄神山と雌神山の間の谷間へ巡るような続き方でした。拝殿の右手横の土手にも山道がありました。どうも、この神社の現行の祭祀方法はよく判りません。古来の神社の位置とは異なるのかもしれません。
 『都介野村史』によると、この雄賀神社(雄神神社)のご祭神は、出雲建男命と伝えられているそうです。しかし、現地に訪れても、石上神宮摂社の出雲建雄神社との接点は見出せません。白石の国津神社の大国主命を挟んで、西方の八坂神社には素盞嗚命が、東方の雄神神社に出雲建男命が鎮座している構図でしょうか。何も判明していない状態です。

(3)甲岡宇内屋敷  国津神社(くにつ)
 都祁水分神社とは坂窪山をはさんで反対の東側にありました。ここからは、野野上岳も三陵墓古墳群も都介野岳もよく見えます。白石や南乃庄の国津神社とは違って、小振りな落ちついた境内。典型的な普通の村社のイメージ。南乃庄の分祀。
 『都介野村史』によると、『大国魂命を祀る。文政6年と安政5年の標札には九頭大明神と記されている。』と記載。ここでも、国津>九頭・・・そして>葛かな?

 都祁村の国津神社については、『国津』=『九頭』と言えそうな印象でした。
そして、それは龍神らしいことも。よく天津神・国津神と言いますが、この『国津』と同じならば面白いです。(『九頭』だからといって、頭が九つある多頭竜の話しは、現時点で保留中。発音クズのみで見ました。)


[1219]  サイトの紹介です。  [タカミヤ] [Url] 06/05

玄学童蒙 〜玄学へのいざない〜

中々掲示板が充実しているサイトです。参考になるので僕もちょくちょく見てます。よかったら一度ご覧あれ。


[1218]  おじゃまします。質問です。 [菅野壮営] 06/05

はじめまして。菅野といいます。現在音楽系の学校にかよてます。夢は映画屋です。質問というより悩みにちかいのですが、学校で気のあわない人たちに、自分のあやふやな音についてのこだわりを伝えなくてはいけない状況にあり、それぞれの個人主義を否定する事なく伝えるために神道を偶像みたいに利用したりしたら罰当たりでしようか?


[1217]  宮地嶽で一言  [瀬戸内]  06/04

前略 宮地嶽の宮司のご子息で禰宜の方から直接聞いた
話ですが 嶽をゴクを読む人が結構いるとの事です。
宮地の神さんは 裏切ったら 怖いとの事。すごい御力があるとの事。
私は 古墳のある不動で金縛りにあったことがあり それ以降は
参拝しても 古墳のあるとこには行かないようにしています。
とにかく 宮地嶽は霊感ピリピリ 面白くもあり 悪いことした人には
怖いとこでも有るようです。
神功皇后の霊が見守っているかも知れませんですね。
それから 宮地の浜の初秋の眺めは最高ですね。
家族と離れて単身赴任のわが身は 何故か感傷的になります。
不倫に陥いりやすいかも知れません。


[1217] Re[1207]: ほれ、アワシマサマ  [玄松子]  06/04

>  宮地獄もオヒメ様カネ。宮地の「ヂ」は thi(女・婦人)でよかろう。形容詞後置形で婦人宮。

「宮地獄」なら、閻魔がいそうですね。

単純に、「宮」のある「土地」じゃ駄目なんでしょうか。
宮地という場所にある神社は多いですが。


[1215]  天照大神について  [なちゅうー]  06/04

こんばんは(*^_^*)
お返事の内容にうれしくなりまたお返事を書いてしまいました。
一番はじめの太陽神はだれでしょうね?
あまてるくにてるひこ、あまのほのあかるくにぎはやのみこと?
いろいろ考えられますが、きっと天照大神のインパクトが強くなってしまい、今のようにどこでもお祭りしているのでしょうね。

私の聞いた限りでは、日本で言う天照大神はインドの方から伝わってきた神様と聞いています。
太古の昔人類発祥の頃からの天照大神の魂が輪廻転生を繰り返して日本発祥の時代になり卑弥呼に生まれ変わったのだと私は思います。
だけど生まれ変わっても、天照大神は天照大神なのです。
その太陽に対するお力はきっと変わりません。

なので天照大神として確立したのは卑弥呼亡きあとだいぶたってだと思います。

なのでこの場合、本来の神様は太陽や月や水でそれらとお話する力があった人たちの魂が、今でゆう神様になったと考えるのが自然ではないでしょうか?


[1214]  Re[1213]: のりちゃんさんへ  [のりちゃん]  06/04

なちゅうーさん、こんにちは(^O^)
「アジアもののけ島めぐり」っていう本を今読んでます。
アジアの島々には、「女神」も「魔女」も多いですね(笑)

> 卑弥呼のような太陽を操る事の出来る能力(霊能力)を持った巫女が、その力で
> 女帝となり、亡くなった後の魂が神様として祭られるようになったと思いますよ?

本当のところ、原始の神道って、どんな形をとっていたんでしょうね。
人が太陽に感謝するのも、雨に感謝するのも、肯ける心理ですから、太陽や雨を神様として仰ぎ祀ったことから、始まったんでしょうね。
さて、そこで、その神様と実在の人物を当て嵌めたのはいつ頃からなのでしょう?

少なくとも、原初のころから、太陽に名前は必要ないですよね。
例えば「天照大神」というお名前がいつごろにどこの神社辺りで出現したか、なんてことを調べていったら、そこらへんはっきりするだろうなぁ・・・って思うんですが。
天照大神って言うお名前を初めから使ってる神社・・・今まで訪問した神社にないんです。
聞いたり読んだりした限り、「途中から合祀した」神社ばかり。
もちろん、伊勢神宮系の神社は除いて、ですが。
もちろん、戦火などで書物が失われ、由緒は「不明」って言う場合もありまして、はっきりとは言えないんですけど。
天照国照彦火明命なら茨木市にあるんですよねぇ。
一番はじめの太陽神は、誰だったのでしょうね?
なんてことを考えると、楽しいです。

私も、禊払って生まれたと考えるより、偉大な霊能力者が例えば「太陽」に見たてられたと考える方が自然だと思います。

ちなみに、太陽が女性名詞で月が男性名詞なのは、ヨーロッパではドイツだけなんだそうですが、韓国も太陽が女性なんですって。
男の子と女の子の兄妹が天帝から太陽と月になるように言われて、女の子は、「私は人にまじまじ見られるのが嫌」と言って太陽になったんだとか。
「見られるのがや」だから太陽になったというのは、おもしろいですね。


[1213]  のりちゃんさんへ  [なちゅうー]  06/04

こんにちは(*^_^*)

下ののりちゃんさんの話し見ました。

>そうすると、女帝も実は複数いたのじゃないかと思ったりします。
卑弥呼や神功皇后はその一人じゃないかと思うんです。
もっと突っ込めば、天照大神もその一人である可能性はあると思います。
「太古、女性は太陽であった」って。

女帝がいた。天照大神もその一人だと思う、その意見には私も賛成です。
もしかすると日本の歴史はその太陽である女帝から始まったのかもしれませんね?
ただ天照大神は禊ぎ払って生まれたのではなく、卑弥呼のような太陽を操る事の出来る能力(霊能力)を持った巫女が、その力で女帝となり、亡くなった後の魂が神様として祭られるようになったと思いますよ?

(ほら、昔は御願いごとと言えばお天気のことがおもだったでしょう?
 だから歴史でもみんな雨乞や、日照りを卑弥呼に御願いしてましたね あと、鏡を使って映し出したりもしたけど。(いわゆる水晶玉のような役目) だから神様のご神体は今でも鏡で、古墳から銅鏡が見つかったんだと思います。
 あれらの銅鏡はご神体で姿見ではないと思います)ね、そうすると日本の歴史と、神様の歴史の始まりが一つになるでしょう?


[1212]  Re[1209]: チェッ 気バラ [習志野のてつ]  06/04

>  南天とは何じゃラホイ。
「南天の鉄塔」の話 真言宗や天台宗の伝えている話。
「龍樹菩薩は、南海の竜宮に入って大乗仏教の経典を得た。」
また、「南印度の鉄製の塔に門を破って押し入り、経典を得
た。」等の話があるそうです。

我が家の宗派は日蓮宗と云うことになってます。岡山にいた時、
日蓮宗不受不施派の本山を見に行った事が有りますが寺の名前
は忘れました。不受不施派は江戸時代大弾圧を受けました。
私は日蓮宗不信心派です。

> いちどシナに入ると発音も意味もごちゃごちゃになるなぁ。

全くおっしゃる通りだと思います。『音読み・訓読み』に意味
が絡まり南海(難解のつもり)。

神様の話に戻しませんか?


[1211]  Re[1206]: 記紀と正史  [setoh]  06/04

『正史』を名乗っている本ほど疑わしいものはなし。

> 記紀と正史の区別
 記紀の片割れの『日本書紀』こそ、我が国最初の正史とされる日本紀と見なされています。次が『続日本紀』です。
『日本書紀』の後半部分以降からは記録としてある程度信用できるようになって来ますね。

 それでも国家の正史は勝者の側から記述されたもので、特に大陸では天命説による王朝の交代を正当化するための書と位置づけられていると言われます。『日本書紀』の武烈天皇の残虐な記事は次の継体天皇を天命説による正当化とも読めますね。

 近年のことでも判らないことがあります。数十年前の南京大虐殺が本当にあったかなかったかが争われています。出土した骨は100年以上前だったとか、いや爺様が現に殺されたではないかとか、歴史の記述も政治的な思惑から脱しきれないようです。

 ついでに、例えば万葉集なんかは、歴史書とは見なされていませんが、大伴氏は百年以上同じ田圃を維持しているとか、収穫期には貴族の奥方が田圃の近くの小屋に泊まり込んで差配を行うとか、記紀に書いていないことが浮かび上がります。(奈良大 上野先生の受け売り)
 これからも歴史的事実をつかめますね。


[1210]  龍樹 [玄松子] [Url]  06/04

『今昔物語』では、龍樹は、隠形の術を使って、後宮に忍び込んで失敗した。
今も昔も、男の考えることは同じ。


[1209]  チェッ 気バラ  [焼尻紋次郎] 06/04

 ほんじゃナニかい? ナーガ、ナーガルが龍、末尾の na は指導者だから、「ジュ」に 樹 or 猛の二つを宛てたわけカネ? 
 もひとつ、「猛」は「ジュ」のほか「ミョウ」とも読ませたんカネ。

 南天とは何じゃラホイ。

 いちどシナに入ると発音も意味もごちゃごちゃになるなぁ。


[1208]  音読み・訓読み  [習志野のてつ]  06/04

銅の読み 音ではドウですが、訓ではアカガネでした。
すっかり忘れていました。失礼しました。

樹のよみ 音ではジュですが、訓ではキ・タチキでしょうか?
高校時代の友人で、名前が「樹」と書く人がいました。
読みは「タツル」です。

『音(オン)にこだわれば角(カド)が立つ。
訓(クン)に竿させば流される。
とかく文字は読みにくい。』漱石ならぬ あちこちサガスです。

出家した男・女=比丘、比丘尼(びく・びくに)
在家の仏法修行男・女=優婆塞・優婆夷(うばそく・うばい)

大乗仏教八宗の始祖:ナーガールジュナ(龍樹または龍猛)
(りゅうじゅ または りゅうみょう)は龍樹菩薩とも云われ、
南天の鉄塔の中で密教が伝えられ、それがさらに中国に伝え
られ、それを弘法大師・空海が日本に伝えた。いわば日本仏
教のルーツみたいな人です。

漢字の読みは、生活密着語は圧倒的に呉音が多いそうです。
最初に入った読み方が、庶民の間に伝わり、残ったのだと
思います。一方仏教用語は後から入り、庶民が読みにくい
音として伝えられたのだと。


[1207]  ほれ、アワシマサマ  [焼尻紋次郎]  06/04

 子供のころ……といっても、おらが5歳ぐらいだったか。まだ比較的平和な日々だったころ。
 ドッヂ・ボールをして遊んでいたのでした。
 逃げる子はもう15歳ぐらいだったか、よそから遊びにきていた子でした。
 そいつがひょくれて(九州弁 ; ひょうきん言うて)ボールがくるたびに「それアワシマサマ、ほれアワシマサマ」と唱えながら逃げ回るのでした。
 それを聞いた買い物帰りの炭坑住宅のバッチェンどもが、イヤ〜に上品ぶって「おほほ‥‥」と笑いました。
 その笑いに尋常でないものを見てとったので、いまだに覚えているわけです。
 その子はひょっとしたらおませで、なにかご婦人がたのあいだで取り沙汰されていた隠語に触れていて、「ほんとうは(ボールが)当たったほうがいいんだよ」と、クワバラ・クワバラのように唱えたのではねーだろーか。

 習志野のぉー、宮地嶽の奥にアワシマ様があったヨ。
 ときのうねりのなかで、重要性は失ったが名前をここで消すわけにはイカン……として、子授け安産の御利益神社として余脈を保ってきたのではあるまいか。
 シマの原意は「境界」。アワの原意は「水」と見たが、歴史のうちには意味がずれたことも考えられる。
 アワ……阿波!  サラどんによれば、阿波の語源には朝鮮語説が巾をきかせているとか……。その朝鮮語の源流に多良岳文化がありゃしないだろーか。
 宮地獄もオヒメ様カネ。宮地の「ヂ」は thi(女・婦人)でよかろう。形容詞後置形で婦人宮。


[1206]  記紀と正史  [瀬戸内]  06/04

のりちゃんへ
記紀と正史の区別をつければ おのずから三韓征伐の有無は、はっきりするのではないでしょうか。


[1205]  Re[1202]: 初心に戻ろう  [玄松子]  06/04

> 平塚八幡神社はやはり相模五の宮ではないそうです。五の宮格あるいは五の宮の扱いで遇されてきたとのことです。

吾妻鏡に、頼朝が政子の安産祈願を相模の寺社で行ったとあります。
神社では、惣社、一宮、二宮、三宮、四宮、八幡宮、天満の宮、五頭の宮、黒部の宮、賀茂、新日吉と出ています。
この八幡宮が、平塚八幡神社ですね。五宮の位置ですね。


[1204]  Re[1203][1197] 全方位思考(志向) [あかがね]  06/04

>  銅の錆=緑青(ロクショウ)は、無害・毒じゃない。
>

 そのとおりです!!銅には全く毒性はありません。
 吸っても食べても(そんなやついないでしょうが)吐いてしまう程度で全く無害です。

 業界の回し者でした。


[1203]  Re[1197] 全方位思考(志向)  [習志野のてつ]  06/04

> のりちゃんさん、これまで誰れの洗脳も受けなかったのカネ。
> なかったと、言いきれるのカネ。
> いまさら「洗脳イヤですばい」もなかろうもんに。

 ごく最近、ある事を知って、自分自身が洗脳されていることを発見しました。

 銅の錆=緑青(ロクショウ)は、無害・毒じゃない。
  日本伸銅協会 メタル「銅」 銅と健康 というHP
  http://www.copper-brass.gr.jp/03/03-03.htm

 完全否定されても、緑青で色をつけたカクテルが有っても、飲みたくない。
 夏の縁日、かき氷にかけたら綺麗だろうが、食べない。
 
 信じられない。  完全に洗脳されている。!!!
6月30日は土曜日だから、茅輪(ちのわ)くぐり をして初心に戻って出直そうと思ってます。

先日多賀大社へ参拝してきました。参道の途中の家々に「笑門」と書かれた札が下がってました。「笑う門には福来たる」だと思ってたらとんでもない。蘇民将来の家→将門→笑門でした。
これも一種の洗脳か…イ〜エ…単なる思い込みでした。
やはり実際にお参りすること+事前・事後の調査(←おおげさ)はどちらも必要で「自分なりに強弱をつける」といったところでしょう。


[1202]  初心に戻ろう  [泊瀬女]  06/03

せっかく管理人さんに泊瀬女という優雅な名前を付けて頂いたのに、最近の私は気が狂っていたようです。ここも行きたい、あっちも見たいとドタバタと駆け回って結局アブハチ取らずということになり大混乱を起こし、すっかり落ち込んじゃいました。
そうです、あせってみたってなんにもならないし、反対に落ち込んで引きこもっていてもなんにもならない。やっぱり神社巡りは好きだから、初心に戻るつもりで地元の古社にお参りして来ました。相模二の宮・川匂神社、相模総社・六所神社、大磯・高来神社、平塚八幡神社、相模四の宮・前鳥神社。概ね国道1号線沿いです(これらの神社については日下倭人さんのHPに詳しく載っています)。
私にとってはこれらの神社は小学生の頃の遊び場だったのよ。お転婆だった子どもの頃の思い出がよみがえるかと予想していたけど、それほど懐かしさは感じませんでした。それより、地元・相模の神社の素晴らしさに感動してしまいました。青い鳥は自分の家にいた・・・といった感じでしょうかね。相模の国は歴史が浅いと思っていましたが、決してそんなことはありませんね。
初心に戻って、これからはゆ〜っくりノンビリ神社巡りを楽しむようにします。
玄松子さん、平塚八幡神社はやはり相模五の宮ではないそうです。五の宮格あるいは五の宮の扱いで遇されてきたとのことです。この件で六所神社の若い神職さんといっぱいお話して楽しかったわ。
setohさん、私も大阪出張です。でも、お集まりの3日後で、お祭りのあとの後のまつり。ザ〜〜ンネン。


[1201]  Re[1198][1194]: 三韓征伐  [のりちゃん]  06/03

> 『古事記』
> Setoh> 近江 水口神社の石王さんからの古事記です。
> Setoh> http://www24.freeweb.ne.jp/area/itakiso/kojiki1.txt
> Setoh> http://www24.freeweb.ne.jp/area/itakiso/kojiki2.txt
> Setoh> http://www24.freeweb.ne.jp/area/itakiso/kojiki3.txt

ありがとうございます。
やはり、まず原点は、記紀ですか。

一方的な偏った意見は、「理解できる基礎が自分にできてから」と偉そうに言っておきながら、はっと気づけば、里中満知子さんの、「天上の虹」読んでおりました。
もちろん、マンガとしては、上質のものですが、史実とおりではないでしょうからねぇ。
このマンガに影響受けてないわけない私です。たははのは。
偉そうなことは、もいっかい身のほど知ってから言わねば。


[1200]  Re[1195]: こんぐらがっちゃって……こんぐらがっちゃってぇ〜  [のりちゃん]  06/03

>  おらがこんなこと言い出したらハチャメチャなことになるどォ〜 どでぇ“>”マークの意味がワカラン。

“>”のマークは、過去の誰かの書き込みを引用する場合に使用しています。
“>”のマークに続く文章に対するレスポンスをこれからしますよ〜〜っていう意志表示ですね。
ネットの世界は記号が多すぎますね、確かに。
しかし、まぁ、文字も記号だし・・・。あ、自分でもなんかワケわからんくなってきた。


[1199]  Re[1197]:おっしゃる通り! [のりちゃん]  06/03

>  のりちゃんさん、これまで誰れの洗脳も受けなかったのカネ。じわじわと……何十億の洗脳は、なかったと、言いきれるのカネ。

おっしゃる通り。誰の意見にも誰の考えにも影響されないことは、無理ですね。
ただ、自分を自分の頭を通して考えることができるかどうか・・・は、その人の文章なり、考えなりを本当に「理解」できるかどうかじゃないでしょうか?
宗教団体が行う「洗脳」は多くの場合、理解できるはずのないことを「理解」させようとするものなのじゃないでしょうか?

できるだけ偏らない(つもりで)ある程度の自分の基礎ができたと思えれば、多少偏っているな、と思う「隠された神○○」なんて本も読んでみようと思います。
私なりの、「偏らない勉強の仕方」が、神社の栞による勉強なもんで。
それの是非はともかく。
そんなわけで、なるべくたくさんの神社を周るようにしているんですよ。
そして、その神社の考える「神様」を教えていただく。
時間があるからこそできる、主婦ならこその業ですねぇ(笑)


[1198]  Re[1194]: 三韓征伐  [玄松子]  06/03

> よい入門書があれば教えてください。

『古事記』

Setoh> 近江 水口神社の石王さんからの古事記です。
Setoh> http://www24.freeweb.ne.jp/area/itakiso/kojiki1.txt
Setoh> http://www24.freeweb.ne.jp/area/itakiso/kojiki2.txt
Setoh> http://www24.freeweb.ne.jp/area/itakiso/kojiki3.txt


[1197]  全方位思考(志向) [焼尻紋次郎]  06/03

 のりちゃんさん、これまで誰れの洗脳も受けなかったのカネ。じわじわと……何十億の洗脳は、なかったと、言いきれるのカネ。
 いまさら「洗脳イヤですばい」もなかろうもんに。

 世界観での“急激な”洗脳に関してのアレルギー放出のヤリクチは分かるわな?
 価値観で迷わないために http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi その他「YOU-I 掲示板」で、全方位思索の道ィ用意しちょりますばい。

  たまには参考になる ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi


[1196]  お伊勢参り  [Setoh]  06/03

伊勢神宮崇敬会事務局長 神宮会館館長  奥重視様からのメール

 伊勢参りの時は、iモードのケータイをお持ち下さい。
「お伊勢参りのお手伝い」    http://www.jingukaikan.net/i/
がスタートします。
まだ工事中のところもありますが、125社をはじめ神宮も施設を紹介しています。
とのことです。


[1195]  こんぐらがっちゃって……こんぐらがっちゃってぇ〜  [酔っぱらってねぇ・焼尻紋次郎]  06/03

 誰れが誰れの発言 or 資料を「嘘っぽい」と思ったのか……そして「聞いてるような気がする」たぁ、誰れが誰れの発言(?)を聞いたか聞かなかったか、そして「聞いているような」とは“気が利いて”いるということなのか……。オラまったくワカラン。

 おらがこんなこと言い出したらハチャメチャなことになるどォ〜 どでぇ“>”マークの意味がワカラン。

 あのな、いっぺんカキコしたことあるが、「あのですね、それはサイババさんの勝手なんですよ」と言ったオッチャンがいたよな。信者をミイラにして死体遺棄罪に問われたオッチャン。
 それとおんなじこっちゃ。
 相手が知っていそうな有名人の名前をあげつらって、そこで2〜3こと喋ればバカはそれで納得するもんダワさ。
 北九州に行ってごらんなさいよ。足の踏み場もないぐらいに「ここはジングコ−ゴー、あすこもジングコ−ゴ」ちゅうち、耳がくたぶるるばい。これが四国にはいったら「あすこもコーボーダイシ、こっちもコーボーダイシ」になる。
 コンチクショ、コンチクショ。人をバカにしくさっち……、酔っぱらいのボケぢぢぃがコンチクショオ〜〜ォ!!

 その当時の倭人主勢力を「奈良とか邪馬台国に置こうとするから、アタマがコングラがります。
多良岳の南……諫早に本営があった。地図にそう描いてあるじゃんけ。それともおヌシの目ん玉は節穴か。
 そこから、朝鮮に攻め入ったんだわさ。

 「嘘っぽい」……みごとなり。
 思ったことを、今の平和時に言わねぇと、世の中オカシくなるんだよ。戦争……イヤだろ?


[1194]  Re[1193]: 三韓征伐  [のりちゃん]  06/03

あと、歴史の入門書を読まないと書いてしまいましたが、歴史の入門書じゃなくて、「歴史ネタ集」的なものです。
「ネタ集」は、あまりにも「ネタ」を重視しすぎているように感じてしまいますし、「卑弥呼は実は・・・」のような本は、史書の自分の説の都合のよいところばかりを抜き出しすぎているように感じてしまうのです。
私の知識がもっとしっかりしてくれば、そういう本も「洗脳」されずに読めると思うのですが、今うっかり読むと、絶対洗脳されてしまう〜〜、と思うので、読まないんです。
ですから、歴史の入門書は、読みます。
よい入門書があれば教えてください。


[1193]  Re[1192][1191]: 三韓征伐  [のりちゃん]  06/03

> どうして、「嘘っぽい。」と思うのか、聞いてるような気がするんですけど。

失礼しました。あまりにも言葉足らずですね(^^;;

これは、私の「感じ」です。私は主に神社の栞から知識を得ていますので、かなりばらばらで、まとまりがなく浅いのですが、お許しくださいね。

まず、卑弥呼が中国の史書にでてくるのが、西暦239年なんだそうです。
そのころに、日本は、魏の国から金印をもらってますよね。
それは、決して「貢物」ではなく、「授かり物」なわけです。
そして、神功皇后の三韓征伐(任那日本国は369年から562年までだと言うことになっているんだそうです)は、369年。
もしその日本が主張する年号が正しいとして、130年前に、初めて魏の属国として認められた「倭」の国が、いきなり、三国征伐をしたというのがどうも、にわかには信じがたいのです。

そして、これは古田実先生の受け売りです。(あかがねさん、齟齬があれば、指摘ください)
中国の史書によると、369年に倭国王、旨が58歳で亡くなったとなっているそうです。
倭国王「旨」は、応神天皇ではないかといわれているそうです。
息子の応神天皇が、三韓征伐を達成した年に亡くなったということになるんです。
日本の主張が正しければ、神功皇后が369年に凱旋してきた後、応神天皇が生まれたはずなのに、これは、矛盾する・・・ということになるわけです。

で、次がまた私の私感です。
日本に儒教が入ってきたのは、古墳時代(応神天皇の時代以降ぐらい)だと言われているそうです。
それまでは、男尊女卑の傾向はなかったのではないでしょうか。
そうすると、女帝も実は複数いたのじゃないかと思ったりします。
卑弥呼や神功皇后はその一人じゃないかと思うんです。
もっと突っ込めば、天照大神もその一人である可能性はあると思います。
「太古、女性は太陽であった」って。
それがなぜ、神功皇后がクローズアップされたか・・・。
後世、多分記紀編纂時に、「偉大な女帝」の存在が必要となったのではないでしょうか。
持統天皇が権力を正当に認めさせるために、神話の時代に偉大な女帝がいたことを強調する必要があったのかも知れません。
理由ははっきりしないまでも、三韓と交流があった時代の女帝「神功皇后」の業績を大げさに表現した・・・(三韓との交流→三韓征伐)のじゃないかと私は感じます。

なるべく先入観を持ちたくないので、歴史の入門書や、「卑弥呼は実は・・・」のような本は読まないので、そういう本での定説を繰り返してるだけだったらすいません。

ほとんど何の知識もなしに、周った150余りの神社の栞を読んだ人間の「感じ」だと思ってくだされば嬉しいです。


[1192]  Re[1191]: 三韓征伐  [玄松子]   06/03

> 「嘘っぽい。」

どうして、「嘘っぽい。」と思うのか、聞いてるような気がするんですけど。
みんなも聞きたいんじゃないかなぁ。


[1191]  Re[1180][1177][1174]: 三韓征伐  [のりちゃん]  06/03

> よくわからないんですけど、「ど〜〜〜も」何なのでしょうか。教えてください。

「嘘っぽい。」です。
・・・大きな声では、言えませんが。ひそひそ。


[1190]  Re[1189]: 昔の名前で出ています  [玄松子]  06/03

> ◎昨年の7月14日付けの神奈備過去ログ、A.Iさん名で宮地嶽神社が
> でてます。

たまに、過去ログを読むと面白いですよね。
「A.Iさん」、当時は、「のんびり」巡ってたんだ。


[1189]  昔の名前で出ています [習志野のてつ]  06/03

『神功皇后の三韓征伐』との言葉自体は、全く気に入りません。ただ九州地方の(北や西の)神社の由緒に、神功皇后の話が良く出て来る。
どう云う形でかは別として、『九州北部から朝鮮半島へ、戦の為に人が渡った』事実はあったのだと思います。それも数次に亘って。
好開土王の碑は、一時改竄説も有りましたが、今は99%程度真実と認められています。(解釈は色々・諸説紛々です)

◎昨年の7月14日付けの神奈備過去ログ、A.Iさん名で宮地嶽神社がでてます。宮地嶽神社は日本一の大注連縄で有名ですが、息長足比売命が祭神になっています。他に勝村大神、勝頼大神の二柱が祭神で、通称『宮地嶽三柱大神』です。この勝村は藤之高磨、勝頼は藤之助麿と云う名もあったようで、二人で息長足比売命を良く助け軍功があったとされています。一時この二人は異母兄弟で、うち一人は弟橘姫の息子では?と思いましたが、違う様です。何と蘇我氏の可能性があります。

宮地嶽神社の有る宮地嶽中腹・奥宮八神社の一つ不動神社奥に、全国でも最大級といわれる横穴式石室古墳があります。実はこの石室古墳は寛保元年(1741年)に山崩れがあった為発見され、あまりの見事さに、それを祭る為不動神社を建てたそうです。石室内部からは多数の副葬品がでて、中でも全長なんと2Mもある金銅装頭椎大刀(国宝に指定)が出土、見事さに一説では蘇我稲目の墓ではとされています。

また宮地岳神社と書く時もあり、鳥栖市養父町、熊本県苓北町、長崎県佐世保市、佐賀県東松浦郡厳木町など、各地に祭られており、機会があればもっと詳しく調べてみたいと思います。
でも蘇我氏と藤の…(藤原氏?)では、相性が悪過ぎか?


[1188]  Re[1177][1174]: 三韓征伐  [Setoh]  06/03

 高句麗広開土王の碑には4世紀末から5世紀初頭の倭國の侵攻のことが書かれています。記紀の執筆に当たった人々のブレーンの中にいた渡来人で、その碑の内容を知っていたのがいても不思議ではないですね。
 臨月の皇后が直接海を渡って外征した話はどう見ても不自然です。女帝の遠征は斉明天皇が筑前に行っています。そこで亡くなるのですが、仲哀天皇の死とも重なります。その後、白村江の大敗北があります。その辺りの事実を利用して逆さまに構想された物語とする考えが多いようですね。

 所で、九州から瀬戸内(さん、書き込み、謝)にかけての風土記に多く神功皇后の話が語られていること、廣田神社(のりちゃん謝)など多くの神社の由緒に神功皇后の話が出てきます。白村江敗北以降の日本人としては快哉を叫ぶ伝説だったでしょうが、風土記の全部が全部記紀からの逆流、また神社の祭神を別の女神から神功皇后に置き換えて由緒を作ったとも思いにくいですね。


[1187]  初めまして。  [水鏡]  06/03

初めまして、色々探していたらここにたどり着きました。
ここに書き込んでいる方はみなさんとても詳しそうなので、ちょっと教えて戴きたいことがあってカキコしてます。
「東原(の長)」「(海色の)瀬戸王」という名前?についてです。
どうやら古代神話に関係あるようなのですが、私はさっぱりで…。
分かる方いらっしゃいましたらお教え下さいませ。


[1186]  山遊記 その1  [香具]  06/02

 観世音菩薩様のお導きか、天竺ならぬ天理駅バス亭でsetoh法師との邂逅を果した香具八戒は、東方の都祁村巡礼の旅へお伴したのであった。
 setoh大師のご体調も気遣わず追いたて追いたて、国道針をかわきりに、
   都祁村  北白石    国津神社   そして『ヤスンバ』x4
        野野上岳麓  雄神神社
        白石西垣内  八坂神社
        南乃庄  三陵墓古墳群
        南乃庄    国津神社
        小山戸  都祁山口神社   そして山中『御社尾』の磐座
        藺生      葛神社
        藺生     龍王神社
        友田   都祁水分神社
        甲岡     国津神社
        友田   発掘調査現場
        針      春日神社
        針      御霊神社
と、畏れ多くもご案内を強引にお願いし、かなり引き回してしまいました。
1日で、しかも『徒歩』で。 ( デ〜〜〜っと『歩き』まっせ! )
いくら田植え後の高原地帯とはいえ、遮るものも無い初夏の日差しの中、延々たる歩きとお喋りにお付き合い頂き、有難うございました。帰宅してから、チト反省であります。
setoh先生、都祁村の皆さん、有難う御座います。


[1185]  Re[1172]: 健御名方かわいや神社  [kokoro] 06/02

香具さん> 八頭神社周辺の件ですが、天理市史の資料編を見ても、布留川上流域の古墳が詳しく掲載していません。
 各県が出している埋蔵文化財分布図とか位置図とか、そんなような名前の図面を見ると県内の遺跡が分かります。国土地理院の地形図に古墳とか遺物の散布地が落とし込んであるものです。最近はCDになっている県もありますが、いずれにしても大きな図書館なら置いてあると思います。
 ただし、三重県のある役所に勤めている知人の話ですが、この図面はあくまでも目安にしかならなくて、遺跡の多い場所で新しい道路計画等があるときは専門の調査員を呼んで踏査してもらうそうです。その結果、新たに群集墳が見つかってルートの変更をすることもあるそうです。

setohさん> 諏訪信仰の源流に安曇系海人による祭祀の古層←祭祀の古層とは難解(何かい?)航海の民の真水指向でしょうか。
 これは、諏訪信仰成立以前の海人による建御名方神の信仰というものを、あったかどうかともかく、とりあえず祭祀の古層と呼んでみたわけです。

玄松子さん> 「日本の神々」に諏訪社からの勧請社数の県別一覧がありますね。
一番多いのは新潟1595社、次いで、長野1152社、群馬451社、埼玉318社です。海の無い県が多くないですか?
 ホントですね〜。海人によって建御名方神が祀られていたとすれば、海のある県にもっと諏訪神社が残っていてもおかしくないですね。
 ここで、とりあえず諏訪信仰を、
 @海人が諏訪信仰成立以前に建御名方神を祀ったプレ諏訪信仰
 A諏訪大社の諏訪信仰
 B諏訪大社を勧請・分祀したポスト諏訪信仰
 に分けたとすれば、長野の諏訪神社はAあるいはB、群馬・埼玉のそれはBという分類になると思います。さて、問題は、5月27日のカキコで、僕がこの掲示板の読者諸賢に@なのかBなのか?と問うた安曇川町舟木の諏訪神社です。実は今、『日本の神々5山城・近江』P363の「若宮神社」の項を読んでいて、大略で次のような一節を見つけてしまいました。すなわち、14世紀の半ばに伊賀国予野荘(三重県上野市)の一団の人々が、自ら祭祀する諏訪神社の本地仏薬師如来とともに当地へ来た云々。
 ゲゲ〜〜〜ッ!! ヤ・ラ・レ・タ……
 お騒がせいたしました。どうやらこの神社は14世紀に伊賀の国から分祀されたものらしいと判明しました。舟木氏とも安曇系海人とも関係はないようです。m(__)m

紋次郎さん> 琵琶湖西の安曇(あど)……おらは adho(めくら神=童神)と睨んだ。ケイタイ天皇・製鉄の場で有名ですが、ここに日本最古の古墳が出たそうですね。遮光器土偶が出たというハナシは聞かれませんか。
 遮光器土偶がこの地域から出たかどうかは分かりません。もちろん僕は縄文時代の考古学については何も知らないので参考にはなりませんが…。ただ、安曇川町で日本最古の古墳が見つかったという話なんですけど、今年の2月に湖北地方の能登川町で発見が伝えられた、最古級の前方後方墳、神郷亀塚古墳のことではないでしょうか?


[1184]  三韓征伐 [瀬戸内]  06/02

神功皇后の三韓征伐って史実なんでしょうか???ど〜〜〜も・・・・。
それは事実ではありません。
仲哀から応神への政権移行にあたっての争いをカモフラ−ジュするための創作ではないでしょうか。


[1183]  無題  [風来坊]  06/02

紋次郎様、有り難うございます。
>「シャーリ−(稲・もみ)」と、ドンピシャ。
さすがですね。上田正昭氏、和歌森太郎氏などが「サ=稲」に言及していました。上田氏は審神者(さにわ)、沙庭(さにわ)について「サニワのサはサオトメ(早乙女)のサと同義で、神に供える稲と関係がある。神稲を捧げる場、神が来臨する所の意味から転じ…」としています。和歌森氏もサナエ、サオトメ、サンバイ、サオリの「サ」を「サの神」とし稲の精を意味した言葉だろうと、していました。
取り敢えず、お礼とお知らせです。


[1182]  kammer さん楽しみにしております  [Setoh]  06/02

 今日は都祁方面の神社参詣に出かけました。天理駅のバス乗り場でばったり、あの巨漢の香具さんと出会いまして、そのスタミナにつられて都祁の神社を予想以上に廻ることになりました。先ほどまで二人でオフ会をやりました。香具さん、ありがとうございました。
席亭は酩酊で、明日にでも色々応答・報告いたします。


[1181]  「シャリ」ありましたよ  [焼尻紋次郎] [Url] 06/02

 風来坊さん、ありましたよ。ペルシャ語でしたじゃ。ローマ字になってなくカタカナですが、「シャーリ−(稲・もみ)」と、ドンピシャ。
 sal と末尾に“l”をつけて予見したところなんざは、おらのカンぞな。アタリ〜〜。


[1180]  Re[1177][1174]: 三韓征伐  [スザク]  06/02

はじめまして。
> 神功皇后の三韓征伐って史実なんでしょうか???ど〜〜〜も・・・・。
よくわからないんですけど、「ど〜〜〜も」何なのでしょうか。教えてください。


[1179]  Re[1165][1164]: 安曇系海人と建御名方神  [習志野のてつ]  06/02

たまたま、今、「神奈備掲示板」を読み直していました。
三日見ぬ間の神奈備かな!ドンドン進むペースに遅れ気味です。

> …山口の周方神社…社名に「諏訪」の付かないものも多いようです。
周方神社は、呼称は「SUWA=すわ」そのものです。
むしろ周防も「SUWA=すわ」の二文字美称の一種では?
↑これは全くの思い付きです。

平田篤胤の『仙境異聞』だったと思うのですが、千葉県銚子市近くの
須波(スワ)神社の話がでてました。神社の神木を切って建てた寺を
幽鬼のような姿の者が、これから火を付けて焼きに行くと話ているの
を立ち聞きしたところ、はたしてその日の深夜、不審火でその建物が
炎上した…と云う話でした。

◎いまこの話の神社『諏訪神社』として、佐原(香取神宮)から銚子
への道筋に有り、深夜でも明かりが点いていて、通りかかると、何と
も奇妙な気配があり、いまだ立ち寄った事はありません。


[1178]  オフ会の反省会  [kammer]  06/02

6/8は大阪に出張しますので、是非参加させてください。


[1177]   Re[1174]: 三韓征伐  [のりちゃん] [Url]  06/01

廣田神社の縁起

撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
「わが和魂は、玉体を守り、荒魂は、先鋒となって、船を導かん」と天照大神に言われたとか。
その荒魂の名前が、「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」。なんだそうです。
神功皇后の三韓征伐って史実なんでしょうか???ど〜〜〜も・・・・。


[1176]  神奈備オフ会の反省会の開催のお知らせ  [setoh]  06/01

上記表題の件下記の如しです。よろしく御願いいたします。

          記
 参加:まじめに神社のことを学ぼうされる方
    前回に参加されなかった方もどうぞお越し下さい。
 日時:6月9日(土) 午後13時半(昼飯は済ましてネ)
 場所:守口市大日 白山神社集合  地図は神奈備の表紙から
 予定:参拝、反省、神職さんの神社での講話、質疑応答
 予想:守口か梅田の適当な所で納会
 予算:¥1,000+安い店を探しましょう


[1175]  〜♪今日は淡路か明日は佐渡か〜♪  [setoh]  06/01

 最近石上神宮から布留川上流に焦点が当たり、建御名方の登場と葛、国津へと進展して、川合から物部へ無理に回しますと、結局石上神宮を祀った氏族に戻ってしまいました。
 習志野のてつさんが5/22に書き込んで頂いたように「とりわけ昔は世間の狭さを感じます」と言う印象です。

 で、都祁の国津神社や葛神社を調べていましたら、昨年の正月に参詣した都祁山口神社の近くの都祁村藺生(イウ)に葛神社が鎮座しています。シマッタ、寄っておけばよかった、と後の祭りですが、つくづく思います。

 そう言う意味では近くの神社は目下の関心事でなくとも寄っていくとしますと、これまたきりがありませんね。やはりタ−ゲットを絞って下調べをしてそこに集中して参詣するのがいいようですね。香具さんか書かれていたように、同じ神社に幾度となく参詣し、その都度の新しい発見が楽しみとなりますね。


[1174]  三韓征伐  [setoh]  06/01

学校の授業参観時、授業中の親がペチャクチャとおしゃべりをやめないそうで、生徒よりも始末が悪いとか。神功皇后の三韓征伐という言葉は目下の教科書問題とよく似た問題だそうですね。しかし、三韓征伐は記紀や神社の由緒を引用すると出てくる言葉です。これを助けた神を探して見ました。

志賀海神社由緒
 神功皇后御征韓に際しては神裔阿曇連磯良丸命をして舟師を導かしめ給ひ

諏訪大社由緒
 神功皇后の三韓征伐や坂上田村麿の東夷平定にも神助あり

壱岐島の住吉神社 
 神功皇后三韓を御親征の際、御示顕に相成り、皇后は御神託に依って、船上に御鎮斉あらせられしに、八幡宮と称するは皇后新羅征伐に持たせたまへる御旗8流を残し給いしによる。

博多の住吉神社
 神功皇后の三韓への御渡 航に際し、住吉大神の荒魂は水軍をお導きになり

播磨国風土記
 餝磨郡因達里の条に”因達”の説明として、息長帯比売命が韓国を平定しようと渡海された時、「御船前(みふねさき)の伊太氏の神がここにおいでになる。

阿曇連磯良丸、建御名方、住吉神、八幡神、住吉大神の荒魂、五十猛神が出てきました。サクセスストーリィには幾人も功名を名乗ってきますが、その一種でしょうか。それとも多くの神々の協力の下でうまくいったと言うことでしょうか。


[1173]  鹿が好物   [玄松子]  05/31

筑前の志賀海神社について、少し調べていました。志賀=鹿で、鹿の角数千本が奉納されています。安曇族により奉斎されていた神社ですが、諏訪の千鹿頭神社を思い出しました。

境内には、安曇の祖神として、宇都志金拆神も祭られています。この神は大神神社の末社にも祀られ、三輪山中磐座の遥拝所になっています。諏訪下社の大祝は金刺氏でしたね。ちょっと似てる。

対馬では鹿ノ島の志賀島神社がありますね。対馬も安曇磯良など、安曇の根拠地ですね。


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