神奈備掲示板の案内とログ

神奈備掲示板

神奈備掲示板、あさもよし掲示板 過去ログ

掲示板のログ(平成十三年十月)お名前の敬称は省略しています。
更新 H13.10.31


[2081] 鉄火場の谷  [Setoh] 10/31

長滝町の民話の「八っ岩」を紹介します。

 むかし出雲の国のひの川に住んでいた八岐の大蛇は、一っの身に八っの頭と尾をもっていた。 素盞嗚尊がこれを八段に切断して、八っ身に八っ頭が取りつき、八っの小蛇となって天に昇り、水雷神と化した。
 そして天のむら雲の神剣に従って、ヤマトの国の布留川の川上にある日の谷に臨幸し、八大竜王となった。今そこを八っ岩という。

 天武天皇の時、布留に物部邑智という神主があった。ある夜夢をみた。八っの竜が八っの頭を出して一つの神剣を守って出雲の国から八重雲にのって光を放ちつつ布留川の奥へ飛んで来て山の中に落ちた。 邑智は夢に教えられた場所に来ると、一っの岩を中心にして神剣がさしてあり、八っの岩ははじけていた。
 そして一人の神女が現れて「神剣を布留社の高庭にお祭りください」という。そこで布留社の南に神殿を建て祀ったのが出雲建雄神社(若宮)という。

 八っ岩に一っだけ平たいものがある。これをばくち場という。 貞観年中(859〜877)に吉田連の一族、都祁の村公康敬が神殿を造って神格となし、八剣神となし、田井庄町の八剣社として祀られたという。

 八っ岩の隣に ほおづき谷というところがある。八っ岩に蛇がいた。その目の玉がほおづきの如く赤く見えたので ほおづき谷という。

 天理市史 民話編から

バクチをやった八つ岩らしいですね。
香具さんの写真の桃尾の滝の奥の「八個石」も中央の石は平たく見えますね。こいこい、なんーて。

なにがしさん,酒船石情報,ありがとうございます。
蜥蜴さんの「穂国幻史考」リンク集からどうぞ。


[2080] 酒船石  [なにがし] 10/31

setoh様
三重県勢和村丹生の酒船石は「川原平一氏蔵」とありますので個人の持ち物かもしれません。
ちなみに、明日香村の酒船石は地図上にも載っています。関係ありませんが、丹治氏が空海の時代住居していた明日香村島庄が酒船石から1KMほどの所にあります。また、空海が京都と高野山の行き来のための宿泊所として天皇から頂いた弘福寺も島庄から1KMほどのところにあり、丹治氏と空海との関係がうかがわれるような立地です。


[2079]  コ レ カ ラ 紋 々  [焼尻紋次郎] 10/30

 KOKOROさん> 「倶利伽羅とはインドのサンスクリット語で”剣に黒龍の巻きついた不動尊”
        で古来より倶利伽羅紋々として入墨までにされて信仰されている」と

★ あがあが。こういうおカキコみると、寿命があと十年以上も保証されたみたいな気になります。
  富山県小矢部市の桜町遺跡から、学者をビックリさせた縄文期の木組み技術が出土しました。
  そして小矢部のここは金沢市とのあいだがクリカラ峠で分けられています。このクリはボッカの
  同義語 ; 「荷物持ち」の“苦力”で、カラは *KARRE(活動)が考えられます。
  蘇我 / 物部 戦争のあと、インド系のことばはなんでもかんでもサンスクリット語になりまし
  たが、サンスクリット語はラテン語とともに人造語で、これを喋って暮らした民衆はだれもいな
  かったのです。
  もちろん、“剣に黒龍の巻きついた不動尊”ではないなどと言い張るつもりは毛頭ありません。
  しかし、サンスクリット語をめぐる解釈には「アチャラカ解釈」が多いこともタシカです。
  そういうことよりも、メカに詳しいミナシャンは「ほにゃらか」にでている辞書と手続きで
  「クリ」とか「カラ」をサンスクリット語母体のインド諸語をナマでひくことができるように
  なっています。
  桜左近という優秀なご仁に恵まれて「ににぎ」の意味もでました。いま語源学は「ほにゃらか」
  リードで革命的進歩を遂げつつあり。 
  おらもやってみるのですが「カーン」と鐘ひとつが鳴って、失敗ばかりでんがな。キカイ・オン
  チはイカン。キカイ・オンチはイカン。

  「八大竜王ってなんだろーなぁ」などと考え込む時代は終わりました。YA HAT HATI DAI RAI な
  どを、どうぞ思いきってぶっ叩いてみてくだシャイ。ただし、これらがインド語圏以外に語源を
  もっているときには、おらシランもんね。

  いままで流のやり方で「はちだい」を考えると、「ハチ」は「YA(神)」、「ダイ」は沖縄のニ
  ヘデービル(ありがとう)、アイヌ語のイヤイライケレ(ありがとう)に含まれている RAI〜
  DAI で「恵み、満足」……となる。すなわち、「恵み、満足をもたらす神」として意識された龍
  (いのち神)でんがな。
  ウソ臭いと思うひと、ぜひ「ほにゃらか」でナマ字引きに挑戦してくだシャイ。
  あ、アンタおらの寿命考えてくれはるのか。ニヘデービル。そんなことヌーンアランシガヨ〜。
  
  インド諸語検索が載っている ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi


[2078] Re[2071][2057]: setohさんからの質問への回答  [kokoro] 10/30

 ひふみさん、はじめまして。

> ここの八大竜王の御本尊ですが、剣に龍が巻きついた形をしています。

 剣に龍が巻き付いた神様は、倶利伽羅クリカラ不動と呼ばれるものです。全国的に広く信仰されているようで、石仏などでみかけます。某寺院のサイトで見つけた記事に、「倶利伽羅とはインドのサンスクリット語で”剣に黒龍の巻きついた不動尊”で古来より倶利伽羅紋々として入墨までにされて信仰されている」とありました。

> 他で祭られている八大竜王も、こんな感じなのかどうかはわかりませんが、弘法大師の頃からこういうふうだったのかもしれません。
> 草薙剣とヤマタノオロチと八大竜王と、やはり何か関係あるのでしょうか。

 龍泉寺の場合だけではなく、一般的にも八大竜王と倶利伽羅不動が同一視されているのか不明ですが、とりあえずそうだと仮定して話を進めると、草薙剣とヤマタノオロチと八大竜王は「剣」というカテゴリーでくくることができるでしょう。しかし、では、全ての八大竜王の信仰が外の2っと結びついているかというと、そうまでは言えない気がします。
 ただ、僕の興味に引きつけて言ってしまうと、「八大竜王」=「倶利伽羅不動」という線からは、不動明王に龍神の観念があったということが出てきて面白いです。かっての神仏習合で、八剣宮の本地は不動明王とされ、例えば『平家物語』剣巻や『熱田の神秘』で「生不動(七不動)」が登場するのもその影響と思われますが(『神社による古代史A』参照)、ここから布留川上流域と同じくこの神社にも龍神信仰の要素があった可能性を感じさせます。また、八剣宮や夜都伎神社の伝承にある八≠ヨの偏執は、八大龍王と関係があるのかもしれません。

 さらに草薙剣と龍神との関係ですが、次のようなこと考えました。草薙剣は現在、熱田神宮の正殿に祀られていますが、明治以前はその東の土用殿に祀られていました。また、さらにその以前はやはり正殿に祀られていたといわれ、それがいつしか土用殿で祀るようになったといい、この経緯が少し謎めいています。ところで、土用殿の背後付近には湧水があり今でも大都市のまっただ中で清水が流れています。草薙剣を正殿から土用殿に遷したのは、こうした立地を選んだためかもしれません。また、土用殿付近には龍神社という境内末社があり、西面しておおむね土用殿の方を向いています(正確に向いているとまではいえません)。湧水のそばに龍が祀られるのは珍しくないですが、この神社は湧水地点からちょっと離れていて、むしろまるで土用殿に寄り添っている感じです。こうした土用殿のそばの湧水や龍神の存在は、布留川上流域の剣の伝承と龍神信仰を僕に連想させます。なお、熱田神宮境内の地図は下のサイトをご参照下さい。
http://www.atsutajingu.or.jp/keidai/keidai.htm

> 龍と亀とは、まさに鬼門ですね。

 確かにそうです。面白い観察ですね。

> 八大竜王に関しては、もう少し調べてみます。

 何か分かれば教えて下さい。

香具さん> 長滝町に下りた所で、近くのご老人に確認の話しを聞くことができました。(驚嘆すべきは!)この翁がまるで私達を待っていたかのように、路上で迎えて下さり、納屋の前の道に座り込みながら話しを聞けました。話しをしていると奥さん(媼と書くべきか)が、熱いお茶と枝のついた柿をお盆に載せて現れ、わざわざ柿の皮を剥いてくれました。
 この方から教えて頂いた要点をまとめますと、

 お疲れさまでした。香具さんとsetohさんが翁から伺った話はとても貴重なだと思います。文献等にも載ったことがないのでは。このカキコは価値があるとおもいますヨ。


[2077] 何十年ぶりなのだろう  [香具] 10/30

遅くなりましたが、奈良県天理市長滝町『飛び火山』の龍王社の画像を。
http://photo.goo.ne.jp/user/ixtlan
にて、10/30〜気まぐれ までアップしてます。
(スペシャル・サンクス:MR.インディ・ジョーンズ・kokoro)


[2076] 関係ないかもしれませんが  [りん] 10/29

 八大龍王さんのお話で、ちょっと気にかかりましたので・・・。
 浦島太郎さんが、亀に乗って着いたのが竜宮城。
 四天王寺は青竜権現で、亀たくさんいます。
 宇佐神宮は亀山といわれている上に神殿があります。
 そういえば、伊勢神宮や真名井神社にある六芒星のようなマークの
 中央部分が、亀の甲羅に似ていると言っていた人がいました。


[2075] Re[2067][2063]: チョットお邪魔します  桃色蜥蜴 10/29

>  桃色蜥蜴さん,こんにちは。
> > 社宮司荒羽々気神社
> これで一つの神社を表しているのでしょうか。社宮司も荒羽々気も,ひょっとしたら,大和や紀の国のクズ神も縄文を引っ張っているのかも。クズ神も磐座と密接です。
>
縦に一続きで書かれていました。千郷村誌で確認しましたが、やはり、社宮司荒羽々気神社となっていました。
オレ写真からっきしダメだけど、一緒に行った鳥取の友人が、デジカメ持参してましたから、近いうちに送ってくると思います。そのときは、転送します。

紋の旦那
「ほにゃらか」読みましたよ。


[2074] りょーさん参拝  [香具] 10/29

 先日、長滝町の『りょーさん』へ行ってきました。setohさんとご神職の方との3人のメンバーでした。kokoroさんの詳細なレポートのお蔭で比較的スムーズに到着しました。と言っても、途中では道が判らなくなる程の薮や倒木があり、何回か躊躇したところもありました。それでも、よく見ると最近、鉈で切り開いたと思える、新しい切り口の笹や潅木がありましたので、無事に辿って行くことができました。
 確かな情報も無い段階で、あそこまで行かれたkokoroさんの探索力には驚嘆します。植林により見通しがきかない山中では、コンパスを持っていても地図が読みにくく、現在位置の把握が難しいものです。

 さて、私達の行程ですが、まず長滝町の九頭神社へ参拝してから、ご近所の方に道を尋ねると、快く教えて下さり、さらに車で行ける処まで送って頂きました。長滝町の九頭神社については、setohさんが神奈備What’s Newにアップされています。
 送って頂いた地点からさらに30分ほど進み、最後は薮を掻き分けて山頂の南斜面に向かうと、竜王社の裏側に出ました。この最後の薮は、kokoroさんの伐採跡が無ければ、諦めて引き返すような処でした。

 長滝町の人達は、この竜王社を『りょーさん』と呼んでいます。この『りょーさん』は、2間四方ぐらいの敷地に石垣を積み上げた本殿地があり、低いながらも周囲に瑞垣を巡らせた造りになっていました。石燈篭や石段も備えており、山中の小祠にしては本格的な施工だと思います。
 本殿の小祠は高さ50cmほどの石造り、側面に『明治九□□九月吉日』の彫文字を確認しました。背面にも何か彫ってあるようですが、損耗が激しく判りませんでした。側面の『□□』も甲と天のような字に見えるのですが、判読できません。明治9年は丙子、甲戌なら明治7年となり、合いません。石祠には扉は無く、正面は四辺周囲を残して5cm程の深さを彫り出した形状です。この凹んだところに何があったのか、今となっては判りません。この小祠の下や横、背面に7〜80cmぐらいの薄緑色の磐が4つほどあります。磐座の上に祠を設置したような構成です。

 年表をみると、明治6年に徴兵令公布、地租改正が開始されています。不平士族の乱と平行して、以後数年にわたり全国各地の農村で地租改正反対の一揆が起こる、そのような時代に、この神社が再建されたようです。
 瑞垣の奉納者名は長滝町にある姓ばかりで、殆どが次男・三男のようでした。このことについての考察も、setohさんが神奈備What’s Newにアップされています。
 本殿地の手前にある直径1.5〜2m弱の湧水池は、確かに大きさの揃った丸石で丁寧に周囲を組んでいました。池のすぐ隣りは、幹の太さが二抱え以上もある大木が根ごと倒れており、根が生えていた所が窪みになっています。大きいので倒木だと気づかないくらいでした。
 竜王社から少し上った山頂付近に、差し渡し1m程の5〜6個の磐が点在しており、竜王社本殿内の磐と同じ種類のようでした。山頂付近は聖地として崇拝されていたのでしょう。ここ竜王社の場所は、山頂から南側斜面を少しおりた処。深い木立の中なのに神社の周囲だけ空が開き、陽射しが注いでいました。昼食を摂り、しばらく居ましたが、とても気分が落ち着く場所でした。天候や時間帯が良かったのかも知れません。

 その後は、山の南斜面の尾根道を伝い、長滝町に下りてきました。この道は傾斜がきつく、下りなので助かりましたが、逆に登るのはとても疲れそうなルートです。
 長滝町に下りた所で、近くのご老人に確認の話しを聞くことができました。(驚嘆すべきは!)この翁がまるで私達を待っていたかのように、路上で迎えて下さり、納屋の前の道に座り込みながら話しを聞けました。話しをしていると奥さん(媼と書くべきか)が、
熱いお茶と枝のついた柿をお盆に載せて現れ、わざわざ柿の皮を剥いてくれました。

 この方から教えて頂いた要点をまとめますと、
・長滝町北西にある586mの山を『飛び火山』という。『りょーさん』は、まさしく飛び火山の山頂近くにある。
・飛び火山は昔、山頂で烽火を上げる地点だった。龍王山と奈良市街あたりとの中継になる。
・まだ植林が育っていない若い頃に、飛び火山から奈良の大仏が見えた。
・『りょーさん』脇の池は昔から涸れない湧水である。山頂では烽火を上げる役の者が生活していたが、水が涌いているので、それが可能だった。水が無ければ烽火役が詰めて居れない。
・『りょーさん』は、昔、雨乞いのときに祈願しに行ったと聞いている。水利が改善されたので行かなくなったのであろう。
・『ヒの谷』の『八つ岩』はそんなに大きなものではない。伝説に言われるような巨岩ではないので、ここの八つ岩が本当の八つ岩なのか疑問を持っている。
・若い頃に、伝説の怪異『ジャンジャン火』という夜中に大きな青い火玉が飛ぶのを見たとこがある。しかし、月の光に照らされたミツバチの大群が移動するものではないかと考えている。
 などなど・・・・。いずれにしろ、『りょーさん』が『長滝町の竜王社』であることは確定できましたが、『日の谷』まで行くことはできませんでした。しかし、土地の人の証言により、『日の谷』という処があり、大きさはともかく『八つ岩』と伝えられる岩が存在していたことは判りました。

 それにしてもsetohさんにご同行頂いたら、すべて順調に事が進みます。村の人達が待っていたかのようなスムーズなご協力を頂けることに感心しました。ご人徳と共に、厚いご加護があるのでしょうね。
 長滝町の竜王社を再発見し発表されたkokoroさん、暖かく迎えて頂いた長滝町の方々、そして、この掲示板のみなさんのご声援に厚く感謝いたします。


[2073]  ナグサ・ヒ・神(メ)  [焼尻紋次郎] 10/29

ドン(2070)> あらま、そうですかい。異教徒の集団は固有名詞ではあらへん紋ね。

★ 「誰が 異教徒(拝火教)の集団をそう呼んでいたか」ということと、アラビア語で NAG と
  HUSHA が夫々ナニを意味していたか……ぐらいを最低のところで掴んでおかぬことには、
  「これ固有名詞ではない」とは言いきれめぇ。だども、すべての固有名詞は意味があって
  その意味はフツーの動詞・名詞に還元されるけんどもヨォ。
  2068で書き忘れましたが、ナグサには NARKAT(葦)の短縮形の「ナ」に「草」がついた
  語形が考えられます。このことはすでにどこかで書きました。
  「クサナギ」には“恐ろしく、忌み嫌うべきもの”を 「NAG(へび)する」が込められてい
  ます。「へびする」とは諏訪神社に残る柱切りの行事で、まっさきに神木に打ち込むカマの背
  に刻まれた“へび”です。大地の神(YA mat……ヤマタ)から縁を切ってもらう神事でしょう。

  ここにきて、紋チャンかなりまっとうなこと言うようになったと思うひと、手を挙げてくだシャ
  イ。ドタマばかでもミナシャンのカキコとおらの取り憑かれでの精進努力のお陰ばい。
  その点、瀬藤ドンは「おら、能力ない」と、すぐに逃げる。教養に邪魔されてんのら。
  乗りかかった舟ぞ。『消された星信仰』(榎本、近江共著)だけでなく、アラビア語の辞書一冊
  を A から Z まで読みなさい。ほれ読みなさい。
  
  いろいろ『かむなび NOW 』書いたよ http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi


[2072] Re[2071][2057]: 八大竜王  [あかがね] 10/28

 さらに横合いからですいません。

 今日、たまたま常陸国風土記に載っている「賀毘礼の峯」(式内薩都神社の本社というか奥宮と言うかにあたる)に登ろうと思って日立市くんだりまで出かけたんですが、悪天候のため断念せざるを得ませんでした。
 が、麓の遥拝所の境内に八大竜王が祀られてました。初めて見たのであんまし気にせず、写真も撮らずに帰ってしまったんですが、全国的なものなんですね。剣の形をした石に龍が掘り込まれてました。

> ちなみに、伊勢の朝熊山にも、八大竜王は祭られているそうです。
> あそこは、伊勢神宮の鬼門でしたね。

 賀毘礼神社は日立市なんで江戸、或いは水戸の鬼門なのかもしれませんね。


[2071] Re[2057]: setohさんからの質問への回答  [ひふみ] 10/28

横合いから、失礼します。少しでも、参考になればと思い、書かせて頂きます。

今日は、うちの近所のお寺「龍泉寺」境内にある「八大竜王堂」の落慶法要があって、お参りに行って来ました。
ここの八大竜王は、もともと役行者がここには龍神様がいると祭られたのが初めで、その後、弘法大師が八大竜王として祭られたのが始まりです。
場所が場所ですので、(大峰の麓)主人曰く、多分ここが修験関係で祭られている八大竜王の始まりかもしれません。
奈良の他の龍神様を祭っている場所と同じく、ここもやはり山の上(山頂ではありませんが)で、湧水群にあります。
ところで、ここの八大竜王の御本尊ですが、剣に龍が巻きついた形をしています。(昔はそのせいか、戦勝祈願に来る方も多かったとか。)
しかし、お札の方には、八匹の龍が描かれています。(ちょうど、熊野のお札のような感じ)
他で祭られている八大竜王も、こんな感じなのかどうかはわかりませんが、弘法大師の頃からこういうふうだったのかもしれません。
草薙剣とヤマタノオロチと八大竜王と、やはり何か関係あるのでしょうか。
又、ここのまさに水が涌き出ている大岩の所に祭られている竜王は、亀の背中に乗り、背中から頭上に龍がいる人型で表わされています。亀の上に乗っているのは、中国では世界が亀の上に乗っているとした思想から、世界を治めるものとしての意味もあるのかもしれない(主人談)そうですが、それにしても、龍と亀とは、まさに鬼門ですね。

又、私としては、明日香や藤原宮の鬼門方向に出雲族(石上も含めて)が、裏鬼門の方向に鴨族がいるのは、鬼をもって鬼を制した蝦夷征伐を彷彿とさせるのですが。
(三輪山も、初めから蛇信仰だったのかなあ。)

八大竜王に関しては、もう少し調べてみます。
ちなみに、伊勢の朝熊山にも、八大竜王は祭られているそうです。
あそこは、伊勢神宮の鬼門でしたね。
ところで、日の谷はどうでしたか。楽しみにしています。


[2070] 無題  [Setoh] 10/29

できる紋> あらま、そう。固有名詞の解釈を、ほかの固有名詞でナントカできる紋ですカネ。
あらま、そうですかい。異教徒の集団は固有名詞ではあらへん紋ね。

なにがしさん> 奈良県明日香村の酒船石、三重県勢和村丹生の酒船石は・・
近々に勢和村に行きたいと思っています。ここの酒船石って,詳しい場所書いていましたら教えて下さい。
所で,一月ほど前に出た千田稔さんの『飛鳥ー水の王朝』面白いですよ。飛鳥の酒船石の遺跡の亀形石像物などや狂心の渠などを取り上げて飛鳥の風景を説いています。尤も飛鳥酒船石「朱造石」説と亀形石像物との関係などは問題視もしていないようです。


[2069] 無題  [なにがし] 10/28

本日久しぶりに前に読んだ本を再度読み返してみました。そこで再発見したことを。
「私は酒船石は鉱石選別装置であると想定しているが、奈良県明日香村の酒船石、三重県勢和村丹生の酒船石は・・・」
「丹後国丹波郡の比治里から考えられることは、谷有ニの指摘する『山伏修行の行くところに金属資源あり』(「日本山岳伝承の謎」未来社、128頁)、『修験者が山中に埋もれた金属資源を見つけ出す知識や技術を身につけていた・・・彼らが聖(ひじり)と呼ばれたのは、山中で冶金の火を治す。つまり火治りだからとする説がある』(同書、156頁)という指摘を思いださざるを得ない。これは五乗重氏の「高野聖が怪しげな科学知識をもっていて鉱山開発などもする」(『高野聖』角川新書、119頁)という指摘と重なる」
この五乗重氏とは恐らくは五来重氏の間違いだと思います。また、次に、
「川崎真治は、『”銅”の汎世界的語源考』(『東アジアの古代文化』1981年26号)で、インド・パーリ語の「銅」を意味するタンバ(tamba)、タンバ・ローハ(tamba−loha)は、古代セム語の血を意味するダーム(damu)から由来するが、これが赤を意味するタン(丹)となったとして、日本語のアカ・カネとして銅を意味するものとなったと言う。丹波は『銅の国の名や銅山の名になっている』とし『丹後国風土記』逸文の『丹波国の比治里にはインドのクリシュナ物語が残っている』と指摘している。それは天女の衣を奪う羽衣伝説である」

以上佐藤任、堀井順次、本城清一、柚木伸一、若尾五雄著「真言密教と古代金属文化」(東方出版)よりの引用です。すでにお持ちでしたらすみません。ちなみにこの本は、空海と丹生都姫(丹生氏)および稲荷神(秦氏)との関係を書かれた本です。

酒船石は奈良県五条市(宇陀)にもあり、丹治氏(後の丹党)の実家である明日香と、丹治家信(丹生家信)が空海と出会ったとされる五条にもあり、丹生(丹治)と鉱物(特に銅)との関係はやはり強そうに感じます。恐らくは空海と銅の関係も強いかと。水銀との関係も書かれてましたが分かりやすかったです。


[2068] Re[2067][2063]: チョットお邪魔します  [焼尻紋次郎] 10/28

>  「名草(なぐさ)の巨石群」は,この名草と言う地名の謂れなんかわかりましたら面白いですね。
☆ あらま、そう。面白いカネ。瀬藤ドンから初めて一般論として「古代固有名詞の意味がわかるこ
  との効用」を是とする旨をうかがったみたいなような感じ。

>  紋さんは無視したのですが,アラビア語にnaghushaがあり,ナグゥサァーと読むようで,意味は拝
  火教(異)徒の集団だそうです。神武東征軍から見た紀の国は異教徒の集団だったかも。
☆ 固有名詞の解釈を、ほかの固有名詞でナントカできる紋ですカネ。
  あ、「無視した」の場はここの庭続きの http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi ですの
  で、ときどきは見にきてください。ろくなこた書いちゃねぇけんど。
  KUSA は堀井令以知さんによれば「恐ろしく忌むべこもの」で、名詞形ですが、もともと kus が
  「おそろし、忌む」であって、これに NA が接頭されたような気がしていたのでした。
  すなわち、「こわくもないよ、嫌わないでよ」みたいな NAKUS にクセ音の A が添えられたのでは
  ないか……という想念です。
  しかし、瀬藤ドンからそう言われてみれば、なるほどキミョウな語形やなぁ。NAG は蛇神やし、
  HUSHA は「房のくに」のフサか?……フサには PSY-AU などが考えられるも。

☆ とかげのおにいさん、アラハバキに「足神」が添えられていたこと……は、ウンジュの大発見
  だべす。「ほにゃらか」に書いたよ。


[2067] Re[2063]: チョットお邪魔します  [Setoh] 10/28

 D.Kさん こんにちは

 「名草(なぐさ)の巨石群」は,この名草と言う地名の謂れなんかわかりましたら面白いですね。
紋さんは無視したのですが,アラビア語にnaghushaがあり,ナグゥサァーと読むようで,意味は拝火教(異)徒の集団だそうです。神武東征軍から見た紀の国は異教徒の集団だったかも。
 和歌山市の神体山である名草山の北端に岩長姫を祀る祠がひっそりと建っています。また紀の国にはかって,大山祇神を祀る神社が多くありました。

 桃色蜥蜴さん,こんにちは。
> 社宮司荒羽々気神社
これで一つの神社を表しているのでしょうか。社宮司も荒羽々気も,ひょっとしたら,大和や紀の国のクズ神も縄文を引っ張っているのかも。クズ神も磐座と密接です。


[2066]  ア ラ さ が し  [焼尻紋次郎]  10/27

 瀬藤ドンにナニかの原稿を送ったら、誤字脱字の「アラ探し」をしてくれたことがありました。
 この「アラ」の意味はいまだに解りません。

 しかし、XAXA に蛇の意味があるとはいえ、ふつう*HAWA あたりは「風・呼気」が一般的で、しか
もここに ARA がきている以上、この「アラ」は「燃やす・焼く」にしかなりません。
 音がそのままで、概念のほうが大幅に移り変ったのが普通の推移ですので、アラハバキとは「燃や
す風神」が始発概念だった……としかならないと思います。すなわち金属精錬の神です。
 このアラハバキが歴史の途中でどのように化けたかはオラシラン。


[2065]  鬼門と言えば・・・  [ヒン]  [Url] 10/27

名古屋にも、石神さんみたいな
物部の武器庫と言われてる神社があります。
これが、私の思うに、熱田の鬼門方角だな〜(違うかな?)

高牟神社っていいます。
同名神社が、愛知県内にまだありますが、
よく、武器庫とここが、いわれてます。
まだ、行った事ありませんが、先の大戦でほとんど焼けたようです。
残っていたら 面白い史料だったのに・・・

関連HPhttp://www.city.nagoya.jp/siseki/01ku/cose011.htm
http://www.aasa.ac.jp/people/onomi/3819.html


[2064]  アラハバキ巡り  [桃色蜥蜴]  10/27

昨日の午後、鳥取の友人が訪ねてきました。久しぶりの再会でついつい深酒
彼も古代史興味あるから、今日、砥鹿神社、竹生神社(新城市)、本宮山とアラハバキ巡りをしてきました。
竹生神社、表示は、社宮司荒羽々気神社と表記されていました。
本宮山の荒羽々気社は、いつのまにか社殿新しくなっていました。それに赤いのぼりがかなりの数奉納されていました。のぼりには、『足神』と白抜きされていました。


[2063]  チョットお邪魔します  [D.K]  [Url] 10/27

アラハバキについて、こんな物を作りました。
正体はホボ特定出来ていますが、古墳の保護が
目的のページなので有益なご意見、ご協力、
お願いしたいところです。


[2062]  建・オ  [焼尻紋次郎] 10/26

 香具さん、「建」をタケとはつおんするのか、将又「タテ」と発音するのか、ここがワカラン
かぎり、おらは取っ組む気にならん。ばってん、こーゆー場合の「オ」は神です。
 台湾と、大牟田ちかくに「タケオ」がありましたなぁ。


[2061]  こともちろらね  [香具]  10/26

>ひふみさん
有難うございます。気をつけて行ってきます。
吸い付いた山ヒルはタバコの火で払うのでしたネ。(あ、3年前に禁煙してしまった)

>kokoroさん
出雲建雄神のご神名の件。草薙剣が八岐大蛇の尾から出てきたから、『出雲・猛・尾・神』と妄想してみたのですが、あまりに親爺ギャグっぽいので却下。
『建』を険しい山上を意味する岳や嶽の『タケ』、『雄』を丘・峰・尾根・峡の『オ(ヲ)』、山の峰に居ます神の意で『タケオカミ』としたら、『タカオカミ』に似てしまいました。ウ〜ム、駄法螺かぁー?(デボラ・カー)。却下が続いています。
 さて、桜井市の出雲地区の地名は、いつくらいまで溯れるのでしょうか?


[2060] Re[2057]: setohさんからの質問への回答  [Setoh] 10/26

詰めた質問ではなかったので,私信にしたのですが、公開質問になってしまいましたので,掲示板で若干補足します。

1.『尾張志』
『尾張志』の引用社伝の確からしさについての応援的質問のつもりでした。

『続日本紀』の成立は延暦十六(797)年で,この時期ないしそれ以降に「社伝の元」が記述されたのであれば,『続日本紀』の記述と同様の順の安部ノ朝臣・多治比眞人池守の順に書くところでしょうが,そうではない所がみそで,安部ノ朝臣宿奈麻呂没後で多治比眞人池守が幅を利かせていた時期にそう遠くない頃に「社伝の元」が作られたと絞り込めるのではないかと想像したわけです。

2.鬼門
 kokoroさんご指摘の「龍」の字のつく龍田大社と龍王山は藤原京の鬼門鎮護といえるでしょうね。宮を守っていますよ、と目に見えていてほしいと思ったので、長滝町のダケ山では隠れてしまうように思ったこと,またたまたま乙木村の水源の山で龍王が祭られているのではないかと危惧した訳です。
kokoroさんの次回の「出雲への偏執を説明」を楽しみにしております。

3.出雲建雄神
 石上神宮の成立史に関わる重要なポイントだと思います。これもkokoroさんの次回以降を楽しみにしております。

 先ずは,明日の土曜日の参拝,これでkokoroさんの領域に少しは近づけるのかも。


[2059] 日の谷オフ  [マルヤ] 10/25

27日、土曜日の「日の谷オフ」その日は残念ながら所要で行けそうにありません。
レポートを楽しませていただくことで我慢することにします。
香具さん、kokoroさん、日の谷探索期待しています。またまた神奈備掲示板は目が離せなくなりました。

kokoroさん、ありがとうございます。
昔に書いた「にゃんこの歌」のことまで憶えていただいていて、とてもうれしです。


[2058]  ニニギの意味が割れたヨ  [焼尻紋次郎] 10/25

 『かむなび』はオメデタいっぱいね。
 ニニギの意味も割れたヨ。庭続きの「ほにゃらか」もオメデタいっぱいあるね。
 ニギハヤヒが割れるのも時間のモンダイ。今夜も大カンパァ〜〜イ!
  http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi

 九つのアタマを持つ龍……クマリの選考テストのとき使う椅子のこと忘れないでヨ。


[2057] setohさんからの質問への回答  [kokoro] 10/25

 setohさんからメールで以下の質問がありました。嬉しいです。感謝、感謝!!

kokoro>> 日の谷は藤原京や浄御原宮など飛鳥地方にあった宮都の東北、すなわち鬼門に位置しています。
setohさん> 確かにマクロには東北の方角ですが、長滝町ではあまりにも山の中過ぎるように思いませんか。ここには八つの霊石が例えあるとかしても、平野側に里宮を置いてそれを鬼門の鎮守とするのでしょうね。それでも平野側の出雲建雄神社や夜都伎神社の論社は北に偏り過ぎているように思います。三輪山なんかの方が、平安京の比叡山をイメージすればピッタリなんですが。

★これは鋭い質問です。確かに、日の谷は飛鳥地方から見て北に離れすぎの感じですね。ところで、僕はsetohさんのおっしゃる平安京の比叡山≠ェ、藤原京では龍王山に該当すると考えています。まずはそれについて説明させて下さい。
 龍田大社は藤原京の大極殿からみて、かなり正確な西北方向に位置しています。西北は道教で言う乾で呪術的に重要な方角です。このため、当社はしばしば藤原京の乾鎮護の社だったともいわれます。時期的にも、藤原京が造営された頃は道教がもてはやされていたのでありえる話です。とにかく、この宮都の造営にはかなり道教の呪術が意識されていた可能性があります。
 さて、大極殿の東北(鬼門)には龍王山の山頂があるのです。この布置はかなり正確で、龍田大社 → 大極殿 → 龍王山頂を線で結ぶときれいな直角が現れます(るるぶ『奈良を歩こう』に載っている縮尺の大きな地図だと分かりやすいです。試してみましょう!)。これは作為としか思えません。
 風水で木気は東に該当します。その象意は青龍です。また、龍は全身が鱗で被われていますが、鱗も陰陽五行で木気の象意とされます。したがって、龍も雷や植物と同じく、木気の代表的な象意です。龍王山は、文字通り龍神信仰の山で、ご存じの通り山頂近くに龍神を祀った小祠があります。してみると、藤原京の鬼門に龍王山があるのも鬼門に木気≠フ呪術ではないでしょうか(これは吉野祐子先生か誰かがすでに指摘済みかもしれませんが)。
 ちなみに『天理市史』によると、龍王山頂の龍神は、天理市の藤井町と田町の人たちが祀っているそうです。藤井町の産土神は三十八神社という神社です。同書によれば、この神社の創祀年代及び由緒は不詳ですが、「あるいは三十八ミズハメ神社で水波売神(※kokoro龍神と同じく水神)を祀ったのではないか。<中略> 特殊行事として一月十三日に鬼と大書した的を手製の弓で射る的撃ちの古式がある(P652)」そうです。もしかすると当社は、もともと龍王山の山頂の龍神を祀る里の宮で、的撃ちの古式は藤原京の鬼門鎮護の残滓かもしれません。地形図で見ると、神社は龍王山から延びてきた尾根の突端にあります。これは神体山の里の宮でよくみられる立地です。
 ところで山頂の龍神を祀った小祠ですが、同じく『天理市史』によると「龍王山頂近くに田・藤井町と柳本町の竜王神祠がそれぞれ祀られている。同山の北西斜面に新しくつけられた林道の終点近くの道路傍に小祠がある。その前に清泉が湧き、老杉が立っている。<中略> この祠から旧道を少し登ったところに、同じような祠と遊水地(※地≠ヘ池≠フミスプリ?)があり、常に水をたたえている(P652)」とあります。前者は田町と藤井町の龍神、後者は柳本町のそれですが、山頂近くにあってそばに湧水があるというのは、僕が出かけてきた日の谷の龍王神社そっくりです。龍王山が藤原京の鬼門鎮護と関係があるとすれば、類推で日の谷の龍王神社もそうした宮都の鬼門鎮護と関わりある感じがしませんか。
 しかしながら、これらはあくまでも状況証拠です。setohさんの質問「長滝町ではあまりにも山の中にあり過ぎる。出雲建雄神社や夜都伎神社の論社は北に偏り過ぎている」への明確な回答にはなっていません。そこで唐突ですが、僕は宮都の鬼門鎮護の神が日の谷に鎮座した理由は、出雲との関係を考えないと説明がつかないと思います。布留川上流域の神社郡は出雲と深い関係にあります。出雲武雄神社、夜都伎神社、建御名方神を祭神とする3っの九頭神社、八頭神社、日の谷の龍王社…。全部そうです。僕は最終的に、こういった出雲への偏執を説明することで、この問題に答えようと思ってます。これについては、『神社による古代史F』で扱う予定です。しばしお待ちを!

setohさん> なぜ、出雲建雄というネーミングになったのでしょうか。出雲から来た天叢雲剣だから出雲、ここまでは良いとして、建雄は何でしょうか? 人の名? 刀鍛冶の名? この頃、剣に人名をつける習慣があったのでしょうか?

★建≠ヘ猛々しいという意味、雄≠ヘドイツ語の男性名詞の定冠詞みたいなものではないでしょうか。出雲≠煬ナ有名詞の出雲ではなくて、かなり位相的に捉えられている気がするのです。つまり道教では、風水がその典型ですが、方角をすごく気にします。大和からみて出雲は西の方角です。そしてこの西≠ニいう方角が重要なのであって、ここでは固有名詞として出雲自体はあまり意味を為していない気がするのです。極端に言えば、かりに出雲が大和の西になかったら、出雲という語がここに出なかったくらい…。したがって、出雲建雄神≠ニは西から来て日の谷に降臨した荒御魂≠ニいう観念を神格化したものだと思います。詳しくは『神社による古代史F』で。

setohさん> 『尾張志』とはいつ頃書かれたものか承知していませんが、引用の「和銅元年九月九日勅命によりてあらたに寶劒を齋蔵奉りて多治比眞人池守安部ノ朝臣宿奈麻呂等勅使として参向てことさらにかく八劒神とたこへり祭り給へり」ですが、『続日本紀』では 正四位上の阿部朝臣宿奈麻呂・従四位下の多治比真人池守を造平城京云々と、阿部朝臣・多治比真人の順に記載されており、格も阿部朝臣のほうが高く、翌年には従三位になります。
 なぜ『尾張志』は格の下の者から先に記載したのでしょうか。

★『尾張志』は天保14年(1843年)成立の文献です。あまり古いものではありません。また、『張州府志』という文献にも同様の記事があるようですが、こちらの原文は未確認です(成立年代も僕には不明)。しかし多分これらは、江戸後期に多い地誌の類でしょう。そういうものには、逸文≠フような感じで古い文献の記事が採取されることもありますから、それ自体の年代が若くても、取材源のそれが古いことはありえます。
 多治比眞人池守と安部ノ朝臣宿奈麻呂の列記の順番ですが、ちょっと回答は思い付かないです。ただ、『続日本紀』を読むと、多治比眞人池守の方が政治家として安部ノ朝臣宿奈麻呂より大成した感じがします。長生きしたせいもあるでしょうけど。彼は、有名な長屋王の変の時にもちょっと顔を出したりします。それに対し安部ノ朝臣宿奈麻呂の方は、不遇な親戚が安部姓を名乗れるよう天皇に言上するとか、やることが何か地味です。そういうことで『尾張志』の筆者は執筆時に、メジャーな多治比眞人池守の方を先に書いてしまったのかもしれません。

cひとりごと
 日の谷で藪や雑木に鉈をふるってきたが、よく考えると木気の植物を金気の刃物で打ち倒したことになるな。五行の「金剋気」か。うーむ、相当まずいな。祟られるかも。でも、それくらい大目に見てもらえるだろう、たぶん。深く考えないようにしよう。


 でも当分、雷には気を付けた方がいいか…



[2056] Re[2043][2042]: 最大限の賛辞   [kokoro] 10/25

香具さん> 朝からコーフンしていますーーー!おめでとう!!kokoroさん!すごい!

 ありがとう香具さん!やった、やりましたよ。こんないい目を見さしてもらえるなんて、神社巡りやっててホントよかった。よかった。山奥の神社って神さびてて落ち着かないようなのが多いですけど、この神社は何か気持ちよかったです。「まぁ、久しぶりのお客なんだから、ゆっくりしてきんしゃい」ってな感じでしただ〜。しまった、ワンカップ持っていくんだった〜。

香具さん> 20年近く以前に刊行された低登山の本に記載されていた通りです。その頃はまだ、桃尾〜大国見山〜日谷山〜長滝ルートが通れたそうですから。

 やっぱり、あの山でよかったんですね。これもよかった。よかった。

香具さん> しかもハメ(マムシ)の活発な季節に無事辿り着き
香具さん> 虫で怖いのは、蜂や百足よりも山ダニです。ツツガムシがまったく居ない保証もありません。

 エッ、そうなんですか!?

setohさん> 小生も賞賛の声をお送り致します。

 ありがとうございます。これからもがんばります。

泊瀬女さん> kokoroさんの八剣神社・日の谷のレポートをプリントアウトして持って行っていたので夜は読みふけりました。

 ご愛読、感謝します。ホントに読者がいるのはすごく励みになります。

泊瀬女さん> みちのく一人旅から帰ったばかりです。

 よかったですね。また、楽しいレポートを期待してます。

紋次郎さん> 山頂ちかくの湧き水はまわりが石で囲まれているそうですが、その並んだ石の群れのなかでも、ひときわ大きなメインみたいな石はなかったでしょうか。

 湧き水の周りの石は単なる石垣による護岸で、付近には祭祀の対象になるような石はなかったです。しかしながら、クズ族には九頭竜という龍神に端的に現れているように、龍の観念がまとわりついています。そして、クズ神社には巨石を祭祀した痕跡のあるものが多いです。したがって、龍と岩石はクズ族の祭祀を介して結びつくように思われます。
 ところでそのうちに、「ネパールとチベットには言語や文化上の繋がりはありますでしょうか。」という質問をすると思います。その時はよろしくお願いします。

マルヤさん> 『雨タンモレ、タンモレ』

 はじめまして。吉野の雨タンモレは切実な願いだったのでしょうが、マルヤさんのユーモラスな文章を読んでいると、絵本の出来事を目にしているような気にさせられました。すばらしいセンスですね。ちなみに僕は、竹内まりやの曲が流れてくると『猫にゃんにゃん』を思い出します(←皆さん、分かりますか?)。


[2055] 日の谷オフ、皆さん頑張っていってらしてください  [ひふみ] 10/25

凄いですね。改めて、神名備サイトの底力(?)のようなものを感じて感激しています。
前々回の桜井の大神神社といい、今回の天理といい、何れの地も親戚がいるので良く行く場所です。一人なら、絶対参加してみたいと思いつつも、三人の子育て中なので、たぶん又無理でしょう。(少々、ジレンマですね。)
皆さんの御活躍のレポートを楽しみにしております。

皆さんが行かれる日の翌日、28日の日に、近所のお寺(龍泉寺)の八大竜王社の落慶法要があります。ここは、修験の地ですから、ここに祭られている八大竜王というのは、一応法華経に書かれているお釈迦様を守護するというお役目(らしい)の八人の竜王尊という事なのですが、元々この地に祭られた初めは、水源の神様という事なのでしょう。
龍泉寺境内の水源地は、神泉洞という洞窟内の地底湖あたりからの流れという話もありますし。
何れにしても、あちこちで祭られている水神としての龍神様や、ヤマタノオロチが、仏教の八大竜王尊と一緒になってしまっている感じはします。
おおかた、修験道の影響もあるのでしょう。
そういえば、修験においての弁天さんも、八臂の弁天さんとして剣等の武器を八本の腕に持った像として祭られています。(もともとは、軍神だからという話ですが)
剣と水と龍。どう関係してくるのでしょうね。
kokoroさん達、皆様の展開に期待しています。

なお、山ヒルや、まむしは、主人の話ではもうそろそろ大丈夫だろうという事です。
20℃以下でだいぶ動きが鈍くなるとか。でも、マムシは地面を這っているけど、山ヒルは木の上から落ちてきますから、帽子とかあった方が良いかも。
気をつけて行ってらしてください。


[2054] 雨乞いのこと  [マルヤ] 10/24

吉野地方の「雨乞い」についてはSetohさんが書き込まれた通りです。やはり「大とんど」が中心になるようです。
私の手元に、大正2年8月の雨乞い神事の記録がありますので簡単に、ご参考まで。

この年、西吉野一帯は未曾有の大旱魃で大被害、池にも水はまったく無く、底は真っ白に乾いて大きな亀裂が全体に広がっていた。
そこで、「雲破ち大トンド」、「火振り雨乞い祈願」の神事を行うことに決定。
村人は鐘や太鼓を鳴らしながら、みこしを先頭に 『雨タンモレ、タンモレ』と天に向かって大きな声を張り上げ、祈りを込めながら岳まいり、大トンドの準備をして、夕方から村人各自がタイマツに点火して行進。やはり『雨タンモレ、タンモレ』と天に向かって声を張り上げ、タイマツを上下左右に力いっぱい振り回しながら練り歩く。行列の最後尾には火消し役がいて残り火を消してゆく。
その後、神官がタイマツの聖火で大トンドに点火して、大トンド・雨乞い祈願神事を行った。
大トンドは雲をも破る勢いで燃え盛ったそうです。

後日、祈願のお陰で村に大雨が降り、恵みの雨が降った嬉しさに雨喜びの休日は三日間続いて盛大にお祝いをしたと云われます。


[2053] 無題  [なにがし] 10/24

マルヤ様
空海の道についてはあくまでも推測の域を出ません。丹治氏、丹生氏の家系図以外は実際に調べたわけでもなく、現地にいったわけでもないので、裏付けがありません。吉野からの道は五来氏や大山氏の論をつかわして頂いております。

話は変わりますが、マルヤ様の人脈にはいつも驚かされる次第です。どうやってそんな方々とお知り合いになるのか。また、いろいろと教えて下さい。


[2052] Re[2049][2046]: 『日の谷オフ』のお知らせ  [Setoh] 10/24

> 先ほど、みちのく一人旅から帰ったばかりです。
> 仙台出張だったので、仕事の前後を神社巡りの日程にあてました。
> 1日目は多賀城の総社宮、荒脛神社、志波彦神社・塩竃神社、御釜社。

泊瀬女さんは神社巡りの間にもお仕事をされている、偉い。

泊瀬女さん> 香具さん、軍手は分かるけどワンカップはどうして要るの?
香具さん> 気持ちです。こころです。『神さん、来させて頂いて、ありがとう』っていう。

基本的にはそういうことです。
kokoroさん> 「夜都留伎」神に比定される長滝町日ノ谷(火の谷)の龍王社があり、ごく最近まで乙木の人々は、旱魃のとき雨乞のために竹之内峠を越え、そこに詣でていたという。

上記の記載の件は,吉野ご出身のマルヤさんがお詳しいと思いますが,大和山地に多く見えるタケ信仰(中世以降はダケ信仰と濁る)のことで,大字ごとにダケ山に登って,雨乞いを行う習俗をさしています。この祀り方は,大字の人々が弁当とお酒を持って登山し,大ドンドを行いながら太鼓をうつのが基本で,頂上から火を持ち帰ることもあるようです。
 ワンカップは(一升瓶,樽ならなおよし)今回の必需品です。太鼓は某氏の腹でも,ドンドは危険ですので,ダケノホカリ(岳の草を刈る)ほんの少しで,真似事になります。
 みなさまのご多幸を願立てしてきます。よいことがあった人は願果たしに行ってくださいね。


>[2051]  山頂ちかくの涌き水  [焼尻紋次郎] 10/24

 もう、ご高齢になられた川喜多二郎さんが若いときに書かれた『鳥葬の國』(ネパール探険紀行)
という本があります。
 そこに「ルー」という“小さな立て岩と、それを取り巻く土の溝”のことが紹介されています。
 日本から行った探検隊員たちは、知らずに犬みたいにその岩に小便していたら、地元のひとから
「チンチン・カット!」と怒鳴られ叱られたそうです。土の溝はまさに水が流れることを予想したよ
うになっていたからでしょう。カットは英語と同一のネパール語で、日本語のチンチンはネパール人
には覚え易いことばです。「チク」が「チチクル」のそれ。
 この“構造”はセックス・ドッキングと龍(< ルー)を想わせます。
 
 おとといから師匠、兼、戦友の高橋稔が沖縄からわがベッド脇にやってきました。
 放っておくと「○○島の湧き水は△△島の湧き水と同じ水脈だ」と、一日のうち73回ぐらい言い
ます。偏執といわんか“強執”です。○○島と△△島は200キロも離れているのです。
 沖縄本島はウルマといいます。「マ」は島で、「ウル」は「うるかす」のウルで、水です。そして
同時に「龍」になっています。
 この UR が日本では浦上天守堂や三浦半島の「ウラ」となり、朝鮮のことばぐせで「ウリュウ」と
なっています。雨竜町が北海道にあります。シナは LON です。
 
 KOKOROさんおめおめ! 山頂ちかくの湧き水はまわりが石で囲まれているそうですが、その並んだ
石の群れのなかでも、ひときわ大きなメインみたいな石はなかったでしょうか。
 瀬藤ドンが「出羽三山に行くつもり」とカキコありましたが、行ったときにはぜひ、湯殿山のセッ
クス・ドッキングの“立岩”に焦点を絞っておくれ。山頂ちかくに湧き水があって、その泉の上には
岩が張り出ています。YU とは今でこそ温泉ですが、ただの湧き水も YU でした。アイヌ語でもこの
とおりです。
 胎児を水子という。古代人は「水にはいのちの微粒子が溶けこんでいる」ことを信じて疑いません
でした。虹やスペクトル現象は神そのものだったことでしょう。泡も不思議な神わざだったはず。
 空中を漂う水の粒……もやや霧のなかに神が「立ち」ます。
 タイム・スリップして、おらが「ちんちん・カット」と叱られている場にいることができたなら上
手に弁解してあげれたことだろう。「ユをかけてあげたのだ」と。英語 URINE カネ。ユバリぞな。


[2050] Re[2049][2046]: 気はこころ  [香具] 10/24

泊瀬女さん、こんばんわ!
羨ましい、みちのくコースですね。いいお仕事やな〜。各神社の印象を教えて下さいね。

> 香具さん、軍手は分かるけどワンカップはどうして要るの?

気持ちです。こころです。『神さん、来させて頂いて、ありがとう』っていう。
あくまで、素朴なお祈りですね。(そうですよね、setohさん)

それにイザというときは貴重な栄養源にもなります(震災のときがそうでした)。
お下がりは基本的に飲みたいです。周囲の土を荒らしたくないですから。(エコ時代です)
塩を撒く人もいますが、山中では草や木が枯れるもとになるので反対です。
生卵やお米やお餅もね、山中では迷惑ですね。祭壇のあるところに限定してほしいです。

大神神社の摂社・末社、山之辺沿いの神社などで、酒、塩、玉子を撒き散らして、掃除もせずに引き揚げる似非宗教者達、お仕置きヤ!(産廃物不法投棄よりマシか?)

> 行きたいヨ〜。山の上の湧水を見た〜い。

写真を一杯撮ってきますね。晴れますように。
神様が神様やから、チト心配。(雨乞いの龍神さまですから)


[2049] Re[2046]: 『日の谷オフ』のお知らせ  [泊瀬女] 10/23

先ほど、みちのく一人旅から帰ったばかりです。
仙台出張だったので、仕事の前後を神社巡りの日程にあてました。
1日目は多賀城の総社宮、荒脛神社、志波彦神社・塩竃神社、御釜社。
2日目、仕事の前に大崎八幡神社に早朝参拝。大崎八幡神社の国宝の社殿は改修中で残念でした。
3日目は仕事の合間にまた塩竃まで飛んで、鼻節神社に。
仕事で出張なのに、こんなことやっていたら、そのうちクビになるわ。
今日は仙台から福島まで東北本線沿いに佐倍乃神社、竹駒神社、大高山神社、刈田嶺神社。ひたすら歩き回りました。
日本三景の松島は時間が足りなくなってサンセットクルーズとなり、仙台市内も観光用ループバスで一周しておしまい。全く何やってんでしょうね。
塩竃には2度行ったので、2回も美味しいお寿司を昼食に食べました。神社巡りの旅ではたいてい昼食抜きなのに今回はちゃんと食べられました。
kokoroさんの八剣神社・日の谷のレポートをプリントアウトして持って行っていたので夜は読みふけりました。setohさん、まとめておいてくださってありがとう。
帰ってきたら『日の谷オフ』のお知らせ。行きたいヨ〜。山の上の湧水を見た〜い。
鎌でも鉈でも持って参加したいです。ところで香具さん、軍手は分かるけどワンカップはどうして要るの?
みちのくの旅から帰ったばかりで、今週奈良に行くのは無理ですねェ。残念無念!


[2048] 空海の道  [マルヤ] 10/23

なにがしさん、こんばんは。
早速の書き込みありがとうございます。
さすがですね。文面から史料の確たる裏付けがうかがわれます。
特に丹生氏(丹治氏)のことは、村岡空氏も辻本氏もご存知ないことが多いのではないかと考えられますので、機会があれば[2047]等の、なにがしさんの書き込みお見せしたいと思います。


[2047] 空海の足跡  [なにがし] 10/23

空海が高野山に登った道を考える上で注意する必要があるのは、
@天皇に上奏した「南行一日、西行両日程」
A高野山の伝説a)「五条で猟人に会い丹生明神の導きで高野山に登った」あるいはb)「五条で猟人にあい、丹生都姫神社で巫女に丹生都姫が神懸りし、空海に高野山を譲った」
この2つが良く言われる道だと思います。で、どちらが正しいのか?と考えると間違った方向にいきます。つまり、両方正しいと私は考えています。
以下私見。ポイントは狩場明神こと丹生家信(丹治家信)。
@について。空海が吉野で修行していていたころ、丹治氏の拠点は明日香村。丹治氏家系図では高野山あたりまで活動範囲があったようです。恐らくは、中国に行く前に丹治家信と出会い高野山に案内してもらっていたのではと推測します。その工程については、五来重氏(高野山の重鎮)や大山源吾氏が書かれている吉野→金峯山→天川郷→野迫川→天狗木→高野山(大峯高野街道)ではないかと思います。これがだいたい「南行一日、西行両日程」になるらしいです。空海が中国よりかえったころ、丹治家信は丹生氏の養子となり今の和歌山県伊都郡かつらぎ町三谷にいました(丹生氏家系図より)。九度山の慈尊院は歩いて20分程度。丹治氏家系図には「空海に高野山を問わしむる」とありますから空海は明日香にいる家信の父家義か祖父影家の家に寄って、家信が高野山を活動範囲としている丹生氏に養子にいっている事を聞いたのではと思います。そこで、もっとも協力を得られる家信に近い高野山を選んだのだと思います。ちなみに、中国への資金源は丹治氏の銅だったのではと思っています。丹治氏は宣化天皇の末裔(丹治氏家系図、丹生氏家系図より)なので朝廷に対しては多少なり影響力はあったと考えられます。このころ故あって明日香に籠居していますが、空海に丹治氏復活をかけたのかもしれませんね。
Aについて。空海が天皇の許可を得たあとの、高野山への道のりは、高野山を開くのに協力が得やすく地元の豪族であり知り合いでもある丹生家信を訪ねていく道がだったと思います。それが五条での家信との再開と丹生都姫の神託(家信との約束)の道だったのです。九度山→天野→高野だったか、三谷→天野→高野だったのかは分かりません。この両方の道はいずれも天皇が通った道だからです。三谷からのルートでは天皇は三谷津まで舟で来て三谷坂を登り天野へ上ります。いわゆる丹生総神主が丹生都姫神社に出勤する道です。紀氏が国造新任の時は都からの帰りに三谷の丹生酒殿神社に参拝します。なぜならここが丹生氏の聖地だからです。丹生氏の神事は三谷で行われるのが多いのはそのためです。と言うことは、天野に上る前に空海は三谷によって地元の神に参拝する方が可能性としては高いかな、と思っています。

という事で、私の推測では@もAも空海の道だと思います。

>丹生川上に寄ったとする丹生氏の文書
そんな文書があるんですか。もし私が書いていたら書き間違いです。この場をおかりして訂正致します。

補足:大山源吾氏はマルヤ様などの書きこみでもうおなじみのお方ですが、五来氏は知らない方もおられるかも知れませんので紹介を。
五来氏は高野山大学の教授で、良くフィールドワークされている方のようです。つまり、今まで読んだ丹生に関する本のなかで、文献だけに頼っていないのが伺えるのが五来氏の本です。


[2046] 『日の谷オフ』のお知らせ  [Setoh] 10/23

目的  kokoroさんの発見の「日の谷,龍王神社」に香具さんと共に行こう! 
日時  10月27日(土曜日)9時30分に集合
時間  天理駅前(近鉄とJRは近接)
弁当  持参のこと。なおJRと近鉄の間にコンビニあり。
その他 手袋(軍手),虫除けスプレー,ワンカップ。
参考資料 神奈備掲示板[2042] kokoroさん「日の谷の冒険」

参加ご希望の方、ご意見・ご質問・ご相談は下記アドレスまで、ご一報下さい。
ixtlan@mail.goo.ne.jp


[2045] 浮かれてます  [香具] 10/23

ハイッ!まだ舞い上がってます、KAGです。レポートを読んだだけの私ですら、こんな調子ですから、現地で発見されたkokoroさんの感慨はどれほどのものか・・・。

 唐突ですが、今週の土曜日、10月27日(土)に、『日の谷オフ』を設定してみようかと考えています。いきなりですし、月末ですし、予定がつきにくいかもしれませんネ。
まだ提案で、この日に確定してはいません。でもワクワク・ウズウズして落ち着かないので早くいきたい。
 天理駅発の9時40分のバスがありますので、できれば、JR天理駅に9時30分に集合したく思います(この次のバスは昼過ぎまで無いですから)。
もっとも人数が集まれば、タクシーで割り勘で行けるので10時集合も考えられます。
(帰りには、石上神宮の出雲建雄神社に参拝するのもいいですね。)
天気の移ろいやすいこの季節ですが、なんとか土曜日ぐらいまでは保つでしょう。

以上は提案ですので、これから煮詰めましょう。
参加ご希望の方、ご意見・ご質問・ご相談は下記アドレスまで、ご一報下さい。
ixtlan@mail.goo.ne.jp
『熱田さんオフ』の重要な前哨戦ですネッ!


[2044] Re[2042][2043]:お見事!!  [Setoh] 10/23

kokoroさんの快挙に先ず香具さんの一声,これが出ましたので小生も賞賛の声をお送り致します。おめでとうございます。準備万端,確信を持ってのアプローチ,お見事!!

「布留川上日谷山武尾大神」とある「布留川上日谷山」
kokoroさん>香具さんのおっしゃられた大国見山頂から長滝町へ降りてくる処に、池のほとりに龍神を祀った古い社があった≠ニいう龍神を祀った古い社≠ニいうのは、当該龍王神社である可能性が高いと思います。
香具さん>まさしくここが、『日の谷の龍王社』に違いありませんゾォ!(断定)
と云うことですから,御両所は見解の一致を見ました。ついに発見ですね。

香具さん>けっして、ひとりでは行かないで下さいネ。
香具さん,是非,日の谷遠征の日を設定してください。


[2044] Re[2042][2043]:お見事!!  [Setoh] 10/23

kokoroさんの快挙に先ず香具さんの一声,これが出ましたので小生も賞賛の声をお送り致します。おめでとうございます。準備万端,確信を持ってのアプローチ,お見事!!

「布留川上日谷山武尾大神」とある「布留川上日谷山」
kokoroさん>香具さんのおっしゃられた大国見山頂から長滝町へ降りてくる処に、池のほとりに龍神を祀った古い社があった≠ニいう龍神を祀った古い社≠ニいうのは、当該龍王神社である可能性が高いと思います。
香具さん>まさしくここが、『日の谷の龍王社』に違いありませんゾォ!(断定)
と云うことですから,御両所は見解の一致を見ました。ついに発見ですね。

香具さん>けっして、ひとりでは行かないで下さいネ。
香具さん,是非,日の谷遠征の日を設定してください。


[2043] Re[2042]: 最大限の賛辞  [香具] 10/23

 朝からコーフンしていますーーー!おめでとう!!kokoroさん!すごい!
偉いッ!素晴らしいッ!快挙ですーッ!これで日本も夜明けに向かうゥゥッ〜!
とうとう、ご神意に適いましたネ。埋没神の覚醒だ!!レポートに詳細に記述されているとおり、まさしくここが、『日の谷の龍王社』に違いありませんゾォ!(断定)

>石を積んで周囲を護岸した円形の池・・・
>山頂に近い場所の湧水・・・
>長滝町の集落の北西に山頂のある標高586mの山・・・
 20年近く以前に刊行された低登山の本に記載されていた通りです。その頃はまだ、桃尾〜大国見山〜日谷山〜長滝ルートが通れたそうですから。

>近年造成された工業団地「作業用道路 火の谷線」
 この道路はゼンリン詳細住宅地図の最新版にしか載っていません。当然ながら、この地図でも『笹藪』から先の道はありませんね。

 たいへん難儀な場所で、さぞお疲れのことと思います。見事に発見し、何より無事に帰還されたことをお祝いいたします。
 現地経験のない方には想像が難しいでしょうが、レポートにさらりと書いてある程に容易ではありません。薮漕ぎにしてもナカナカ進めませんし、すぐ迷います。鉈で伐採したからとて、TVのようにすぐ道が拓けるわけではありません。倒木やヌカルミ、鬱蒼とした薮に阻まれると、もと来た道に引き返すことすらできなくなります。もちろんコンパスがあっても殆ど役に立ちません、見えている目標地点に辿り着くことさえ困難なのですから。
 里山には、高山とは全く異なる危険があります。

 今回、この近づくことすら難儀な場所へ、しかもハメ(マムシ)の活発な季節に無事辿り着き成果を発表されたことは、kokoroさんの地道なご研究とたゆまぬ努力が、神意に適った結果だと思います。お祝いと感謝です。これからも益々のご発展をお祈り申し上げます。

>kokoroさんのレポートにより『私も行きたい』と思われた方々へ。
 けっして、ひとりでは行かないで下さいネ。地形の複雑さに加え、蛇や虫などのガーディアンもいます。(虫で怖いのは、蜂や百足よりも山ダニです。ツツガムシがまったく居ない保証もありません)霊的に敏感な方も無理だと思います。霊能力の有無などよりも、それこそ神意に適うかどうかだと思えますから。
 またROMの方の中には、この地での自己流の祭祀や祈願、呪詛、交霊、採気等を試みたい方もでてくるやもしれませんが、現時点では厳しく戒めたく思います。何ひとつ持ち込まず、思念すら残さずという姿勢で臨みたいものです。資料にある通り、聖地・禁忌の地でもあり、何よりも『水源涵養保安林地区』なのですから。
 天理市の公的な史跡調査こそ実施してほしいですね。・・取急ぎ、お祝いの言葉だけ。


[2042]  日の谷の冒険  [kokoro]  10/23

 日の谷、行って来ました! 土曜日は名古屋で会社のバレーの試合があったので、その足で近鉄電車に乗って橿原神宮前まで行って1泊し、日曜日の朝5時に起きて出発。天理駅前のアーケードで、まだシャッターの閉まっていた金物屋のおばさんを起こし、鉈を買ってから勇んで出かけました。
 日の谷については以下のような情報があります。

@『天理市史』の「八剣神社」の項 P676〜677
「神代のむかし、素戔嗚尊に切られた八伎の大蛇が天に昇り <中略> 布留川上の日ノ谷に降臨して鎮まられたと伝える(桃尾の滝の上流の山に、八ツ岩と呼ぶ巨石がある)」
A『式内社調査報告 第三巻 京・畿内3』の「夜都伎神社」の項 P1009
「「石上振神宮略抄」によれば、夜都留伎神は八伎大蛇の変身で、布留川上の日ノ谷に降臨鎮座す。八龍王八個石が是で、<中略> 日ノ谷は古く都祁郷に属し、八ツ岩と呼び禁忌の地とされ、修験者の行場でもある。」
B『日本の神々4大和』の「夜都伎神社」の項 P320
「現夜都伎神社の東方には、『石上振神宮略抄』に「夜都留伎神は水雷神で日ノ谷に鎮座する」とある「夜都留伎」神に比定される長滝町日ノ谷の竜王社があり、ごく最近まで乙木の人々は、旱魃のとき雨乞いのために竹之内峠を越え、そこに詣でていたという」

 これらには齟齬がある気もしますが、総合すると大体日の谷は桃尾の滝の上流の長滝町にあり、そこあるいはそのそばの山に八ツ岩や龍王社があり、それらが夜都伎神社の上社らしい≠ニいうことでしょう。さて、地形図で見ると桃尾の滝の脇から、上流に行ける道が載っています。が、この春に日の谷を目指した香具さんから、この道は倒木や土砂崩れで奥まで行けなかったというメールを戴いていたので、このルートは除外しました。結局、長滝町の九頭神社の横の道路を、神社から2〜300m登った場所に入り口がある林道から、山に入る事にしました。地形図上では、この道から桃尾の滝の上流部まで東の方から進入できることになっています。
 ところがこの道も最初の20mくらいで何故か途切れており、仕方がないのでそのまま山の斜面にある杉林の中を登り、尾根に出てそま道のようなものがあったので、それを西の方にたどり、そうすると「作業用道路 火の谷線(だったと思います)」という道路に出て、それをまた西の方に行くと、道が途切れて笹藪があり、それを鉈で伐開すると何となく昔は道だったような場所があらわれて、そこを進むと竜王神社に着きました(簡単に書きましたが、火の谷線に出るまではそれなりにハードでした)。ちなみに、火の谷線へは、福住インターの近くにある近年造成されたらしい工業団地付近からだと苦労しないで入れます(入り口に「作業用道路 火の谷線」の標識あり)。途中で倒木があって進めなくなりますが、それでもここから入れば普通の乗用車で笹藪の近くまで行けます。ただし、帰りは途中までUターンは無理です。
 竜王社が鎮座していたのは南向きの緩やかな山の斜面でした。社殿は高さ80pくらいの小さな石祠だけで、石で組んだ簡単な壇に載っています。これらはさらに、高さが70〜80pで、2.5m四方くらいの石垣に載っており、その四囲は、前面と側面に石製の瑞垣があり、背面は山の斜面で瑞垣はありません(だったと思います。ゴメンナサイ)。瑞垣の柱には寄進者の氏名が彫ってあり、日付はありませんでしたが、明治〜大正頃のものでしょう。石垣の前面には5〜6段の石段が付いており、石段の取り付いているところは瑞垣が途切れています。石段の手前には一対の石灯籠があり、左側のそれに龍王神社≠ニ彫ってありました(右手のは倒れていました)。石祠の直背後に接して4っの岩があり、これらは磐座であると思われます。石祠の背後の岩は横に寝かしてあって背が低く、一番右と一番左にある2っは屹立していて高さは70〜80p位ありました。ただし、これらの岩は、石垣を造営したときに動かされたかもしれないので、古代のままの配置を留めているかやや疑問が残ります。
 この神社の祭祀はここ最近、完全に断絶しているようでした。入り口にあった笹藪は、伐開しないととても通れないほど繁茂していて、ここ最近だれも人が通らなかったことを示しています。石垣の上には雑草が繁っていたし、雪害や台風による倒木がそこら中を荒らしていました。石垣や石段も崩れかけて隙間が空いており、全体に荒廃した雰囲気です。
 そういった中で、社殿からやや左手の4〜5m離れたところに、石を積んで周囲を護岸した円形の池があり、今でも澄んだ水が湧いていました。池の大きさは直径2mぐらいで、ここから溢れた水は池の手前から細流になり、山の下の方に流れ落ちています。これには心がうたれました。おそらく祭祀遺跡だと思われますが、山頂に近い場所の湧水なので、最初にここで神を祀った古代人は、ことさら神秘的に感じたと思われます。
 神社の東、約10m位の所に山の上に行く怪しい石段があったので登ってみました。が、奈良県の基準点がある山頂に出ただけで何もありませんでした。しかし今思うと基準点の管理だけであれだけの石段を設置するのもおかしいので、もっと探せば何か見つかったかも知れません。ただし、倒木や藪がひどくて簡単に探索できる場所ではなかったです。また、石段は下の方にも続いていたので、どこに通じていたのか気にかかりましたが、やはり倒木と藪に阻まれて確認できませんでした。
 さて、この山を地図上で特定しようとするとハタと困ってしまいます。僕の持っている国土地理院の地形図は調査時点が7年前なので、工業団地や火の谷線らしきものは載っていません。しかも火の谷線に出るまで、道のないところをかなり歩いたので、地図を見るプロではない僕にはますます分からないです。ただし、龍王神社が南面する山の斜面にあったことから、長滝町の集落の北西に山頂のある、標高586mの山がそうである気がします(はっきり言って自信ないです。間違っていたらすいません)。いずれにせよ、この神社のあった山が『吉田神祗管領裁許状』(享保7年)に「布留川上日谷山武尾大神」とある「布留川上日谷山」ではないでしょうか。また、とすれば、この神社が出雲建雄神社の古社地である可能性もあります。それからまた、香具さんのおっしゃられた大国見山頂から長滝町へ降りてくる処に、池のほとりに龍神を祀った古い社があった≠ニいう龍神を祀った古い社≠ニいうのは、当該龍王神社である可能性が高いと思います。
 気になったのは八ツ岩です。龍王神社の石祠背後の4っの岩が、破壊された八ツ岩の残骸かも知れないですが、やはり『天理市史』に八ツ岩が巨岩≠ニある以上、別に探す必要がありそうです。
 火の谷線は標高が高いところを通っていて、谷底は見えません。このため、下の日の谷の底を探してみようと思い、天理ダムの湖岸道路から分岐して長滝町の集落へ行く道の途中にある林道から日の谷へ入ってみました(当該林道の入口には、トステムの看板がある工務店経営の一軒家があります)。ちなみに、どうしてこの谷が日の谷だと分かったかというと、火の谷線が通ってる辺りの谷はこれだけで、しかも桃尾の谷の上流に該当するからです。
 道の入り口から日の谷に出るまでは約1qくらいですが、その間、倒木と笹藪がすごく、ずいぶん鉈の世話になりました。また、日の谷に入って200m位の所で、この林道が土砂崩れで途切れたので、そこからは仕方なく谷底に下りて進みました。左右は比較的急斜面ですが、谷底は平たく、わりあい幅もあります。かっての田圃跡らしく、石垣で段々が造られている場所も目に付きましたが、今は植林されて杉が植わっています。付近の地質は崩れやすそうな砂質で、実際に山の斜面には崩落した跡がかなり見受けられました。この平たい谷底はそれらの土砂が堆積したものでしょう。その中をデルタ地帯を写した航空写真みたいに幾筋か沢が流れていました。沢は水量があり、その水音はそこら中に充満しています。谷は深く、植物のせいもあり、かなり暗かったです。八ツ岩を探してかなり奥まで行きましたが、とうとう4時近くになってしまい、日が落ちるのが心配だったので引き返しました。この日の谷は足場は最悪で倒木も多く、薄気味悪いのでおススメではありません。あのまま行っても八ツ岩は見つからなかったと思います。とにかく、八ツ岩のありかは謎のままでした。土砂崩れで埋まってしまった可能性もあります。

setohさん> kokoroさんの力作をまとめてみました。

 特別コーナーまで作っていただいてありがとうございます。本当に何とお礼を言って良いやら。ひたすら感謝です。
★ 興味をもった人は、神奈備表紙から左上のさらサイト(whtanew)に入っていただくと「神社による古代史 八劒宮編」とあるのですぐ分ります。香具さんの写真まで付けてもらって、ヴィジュアルも充実、読みやすくなりましたヨ。読んでネ。読んでネ。読んでネ。読んでネ。お願いです!(笑)

香具さん> 『神体山』(景山春樹著)は、新装版が再刊されましたね。

 この本、ずっと探してました。おかげで今日、本屋に行ってついに手に入れました。ありがとうございます。


[2041]  空海の足跡 訂正  [マルヤ] 10/23

[2040]の文中、私の書き込み違いで以下の訂正をします。

●越野越え→越部越え
●島住→鳥住
多分このほうが正しいと思われます。


[2040]  空海の足跡  [マルヤ] [Url] 10/23

話がガラリ変わります。
ずいぶん以前に、空海の辿った道についての、なにがしさんの書き込みがあったと記憶します。その空海の道について吉野の郷土史を研究しておられる方から手紙をいただいていますので紹介します。
その方は、村岡 空氏(作家で光明寺住職)に紹介していただいた辻本氏で私、マルヤも貴重な資料を頂いたり、何かとお教えいただいています。
その手紙の一部を原文のまま次にお伝えします。

●空海の道について
(長岡又は奈良の)大学を抜け出した(犯罪行為)空海が高野山へたどりつく道程について諸説あり、
(A)、明日香の川原寺で一泊し、五条犬飼より舟にて九度山慈尊院あたりに着いて登山したというのが従来からの一番ポピュラーな説。
(B、川原寺から芋峠又は越野越へをして比曽寺に入ったとする。
同寺は当時中国僧なども居て一種の治外法権地域で、ここなら(犯罪行為によって)捕まる心配がない。
この寺で空海は中国語を習い、また求聞持法(虚空蔵菩薩を本尊とする行法)のことを知ったのではないか、そしてこの行法を実践するために吉野山に登ったのであらう。
当時の吉野山は修験道が未発達で山林修行者のための寺(日雄寺)があったようである。以後の空海は求聞持法実践の場所を求めて深山を転々としたと云ってよい。
高野山にもこの行法の実践道場のようなものがすでにあって、それを聞いた空海が狩場明神(猟師)の案内で高野山に到着したのであらう。のちになって、「吉野より南へ行くこと一日、更に西に行くこと二日」と記したルート(空海の道)は狩の人が案内した尾根道だと思はれる。
〇丹生川上に寄ったとする丹生氏の文書は恐らく(天野の)丹生津姫神社のものと思はれるが、鎌倉時代のものであらう。丹生から黒木、櫃ヶ岳、桧川迫、大峯、天辻峠から高野に行くルートがあったか?
以上、(A)、(B)二説のうちB説は光明寺の村岡空氏の説で、同氏によって公にされた考へ方で、このたびも電話によって確認いたしました。同氏は空海研究の第一人者でそれを生涯の仕事とされている方です。
今も大覚寺の寺誌に「般若心経秘鍵」の研究を、もう永い間連載されています。空海のことならあの先生にお尋ね下さい。
〇そこで、すこし愚考を申し述べます。
西吉野村史の地理のところに堀井甚一郎氏が、吉野山の奥から島住へ出て、地蔵峠、広橋峠を横切り、立石の上の方を通り、尼ヶ生に出る古い道を紹介しています。尼ヶ生の一行寺の上には「ウデン堂」あとと云われる平地があって、うでんどうとは何かと悩むところですが、ここが吉野山から高野山への宿坊であったと地元で伝へています。そこで、空海もこの道を通ったのではないかとするのが私の考へです。
「吉野より南へ一日」位の地点です。ここから、唐戸との境のアカユワ(赤岩)に下り、折坂の道をのぼり波宝神社の社頭に出て(私のいわゆる聖なる道と呼ぶルートにのり湯塩から大日川に出て富貴箇川を経て高野の奥の方に出るのです。この道はさらに、現在の竜神スカイラインに添って下り田辺に出るのです。これは歴史以前からの道であると私は考へています。)
尼ヶ生から赤岩を経て白銀岳に行くのは「更に西にゆくこと」にあたると思うのですが如何でせうか。
空海は高野と京の間を何度も通っています。いつも同じ道とは云へないでせう。
私が空海の道と呼ぶのは最初に高野へ行ったときの道のことです。高野に寺を建てるについては色々な人の協力が必要で、そのたびごとにルートもことなり、色々な説が加わったのではないでせうか。
   以上手紙の部分(原文まま)

●比曾寺  参照ページhttp://www5.ocn.ne.jp/~miyosino/yosinoji2_002.htm


[2039]  無題  [キッコーマン(気功人)]  10/22

焼尻紋次郎さんへ。

>キッコーマンさんウンジュのカキコはスペースを取りすぎる。

本当にスペースを取り過ぎますよね。わたしは人に理解してもらうためには、
ある程度きちんと書かないと意志が伝わり難いと感じております。
文章力や表現力のある人間ならまだしも、学生時代は現代国語2、漢文5と
いう作文が大苦手だったわたしには、意志を簡単な文章で伝える術を身に
つけていないのです。ましてや、一度も会ったことの無い人間同士のやり取り
となると、わたしなりに精一杯表現して、誤解を産まないように努力はして
いるつもりなのですが・・・
皆さんには大変ご迷惑おかけしておりますm(_`_)m

ということで、焼尻紋次郎さんの指定の掲示板に霊的なことは出没させます。

りんさんへ。

>ところで稲荷神社の祭神は「豊受之大神」で御狐様は、その御使いで
>あると聞いておりました。違うのでしょうか?

御狐様がその御使いというのはかなり後から付け足しになったことだと
わたしは認識しております。
わたしが尊敬する郷土史の先生に以前お伺いしたとき、稲成り−>稲背
(稲を背負う)−>稲荷 というように言葉が変化したようで、稲背の
ときに、御狐様がどこからともなく登場したそうです。
稲を背負う姿ときつねが獲物を担ぐ姿が似ていたのが元々のようです。

わたしの私見では、「豊受之大神」は歌と踊りを舞う人物で、人が踊り
舞うことによって神がかりにあり、神様の指示を出したり、婚姻の儀を
したりと、巫女もまた本来舞踊をしてトランス状態になって、様々な
啓示を与えていたのではないでしょうか。
豊作を祝い、舞い踊るときに降りてくる神を「豊受之大神」と呼んだのだ
とわたしは思っています。
わたしの「真空導引術」は以前「真空舞踊術」という名称で、実は神を
呼ぶための踊りでした。

>玉造稲荷があった所に、太子の四天王寺が建っているのは、丹波の影響
>なのでしょうね。
>海部氏は、家系図を遡ると天皇家よりも古い家系だそうですね。

わたしの住んでいる鶴崎から東に5kmのところが「丹生」「丹川」、
そして「坂ノ市」。ここにはりっぱな海部氏の市営博物館があります。
聖徳太子の血縁関係も以前霊的に調査した事がありました。

>明智家が細川家に輿入したのかどうか、家系図の写しをもらっている
>ので、(枝が違って)書いてないかもしれないけれど、見てみますね。

ありがとうございます。
わたしの認識では、明智光秀の叔母は細川本家に輿入れはしていません。
でも、何か史実的に書き残っているものがあれば、わたしとしてはもっと
うれしいのですが(^^ゞ
 
>謝さん?反応ありましたね。
>でも何も答えてくれませんが、頭を右に傾け、穏やかに微笑んでおられた。
>兄弟と書かれてましたが、女性と感じられるので御本人ではないかも?

謝シューリンという方は女性で、末娘です。謝ビンラン氏ははじめ上に3人
の兄がいたとわたしは霊的に受けました。わたしは守護霊である謝ビンラン氏
以外は触れ合った事がありません。
りんさんに接触したのは謝シューリンさんではありませんか。

>第二神殿に祀られている「比売大神」は卑弥呼だと思うと話されていると
>「違う、違う」と必ず∞の方が首を振られるんです。
>ただ、それだけなんですけど。

わたしの場合、通常の質問に対する回答は、右手に反応が現れます。
∞的な動作はNOで、それ以外にYESでも右回りと左回りがあり、
多少意味合いが異なります。

香具さんへ。

>最近では『光るナナムイの神々』(比嘉豊光撮影)という写真集を購入
>しました。宮古島北部の集落の年間祭祀を撮影した記録です。祭祀の原点
>を見ているような感じ。濃い〜です。圧倒的存在感です。

それは見て見たいですね。
12月26日からわたしは4日間宮古島に行く予定になっています。
わたしの知合いの家系が、宮古島で代々ユタの仕事をしているそうで、
同行してくれるそうです。
9月の初めには、韓国の済州島に3日間行ってきました。
卑弥呼一族のルーツ、シャーマンのルーツがここにあると感じていたのですが、
済州島に来て納得させられるものが多くありました。
町並みは沖縄の雰囲気が色濃くあり、山々の景色は熊本の阿蘇の風景、霧島連峰
一帯の風景にあまりにも良く似ていました。


[2038]  ココカラハキモノヌゲ  [習志野のてつ]  10/22

九州のある神社に、出ていた立て札。「ココカラハキモノヌゲ」
一人の敬謙な信者は、着物すべてを脱ぎ、裸でお参り。「やはり生まれた
ままの姿でお参りするのが本当だ。」と喜んで納得していました。別の参
詣者は、立て札を見て、履き物を脱ぎお参りしました。「足の裏が痛い」
と不満たらたらでした。言葉だけで、かつ書いてある事だけで「考え」や
「思い」を人に伝えるのは難しい。「思い込み」は尚更でしょう。

◆ 本日の日経の記事ですが、韓国である遺跡から出土した稲(炭化米)の
DNA鑑定の結果、一粒は熱帯ジャポニカである事が判明。(21日発表)
◆ 熱帯ジャポニカは、中国から直接伝わったとされてきたが、朝鮮半島経由
の可能性がでてきた。但し逆に日本から半島に伝わった可能性も。
◆ たった一粒なので、まだ良く判らない。 この記事他の新聞では見てません。


[2037]  元伊勢について 番外  [Setoh]  10/22

田原本町秦之庄に春日神社が鎮座しています。ここの境内に笠縫神社があります。
倭姫の笠縫邑は檜原神社が有力ですが,豊鍬入姫の笠縫邑はひょっとしたら田原本町かも知れませんね。どうも紀の国から見ましても,豊鍬入姫には秦氏の影がちらついているようですね。


[2036]  『かむなび』の語源が出たヨ  [焼尻紋次郎]  10/22

 ミナシャァ〜〜ン、おめでとう!!
 2〜3日まえから『かむなび』の語源が、ゴソゴソと動いていたのですが、瀬藤ドン自らの、
NABI の開発これありて、ここに10月22日、『かむなび』の語源が下での如し割れました。

 見にらっしゃい。
 丹波も参考にならんやろカネ。
 「おらも、辞書読み仲間に入れてくんろ」という人、ほかにおらへんやろか。カンタンで、誰
でもすぐに夢中になれて、メチャ・オモロイ趣味でっせ。広く募集中ぞな。

 http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi


[2035]  ほなこつ。イエ、本の事  [香具]  10/22

 掲示板投稿2000番突破、おめでとうございます。いつも厚かましい拙稿をお許し頂き有難うございます。今後とも益々のご発展をお祈り申し上げます。(お蔭様でNo.2000のキリ番も頂きました)

さて、ひと区切りつきましたでしょうか?(いいかな?)
途中、なんとなく読書や師事することに揶揄の響きもありましたので、天邪鬼な気持ちを起こして本のことを少しばかり。以下、私事で失礼します。

 2年ほど前のこと、まだノンカミの頃ですね。『逝きし世の面影』(渡辺京二著)という本を買ったとき、ふとその隣りにあった『家の神』(鶴見俊輔著・安達浩写真)という本も手に取り、写真が気に入ったので共に買いました。昭和47年の本の再発行版、田舎の家と家族の民俗を、誕生から墓場までの人生に沿った写真で編集されています。
 都会の賃貸集合住宅で生まれ育った私には、客(余所者)としてしか入っていけない、物陰から覗くような疎外感を覚えたものです。自分の帰属の希薄さを突きつけられたような気がしました。しばらくして、それまで興味のなかった歴史や民俗関係に目を向けはじめ、やがて神社巡りにはまったわけです。マンションを購入したときに、念願の香取大明神・鹿島大明神のお札を部屋に祀ったりもしました。子供の頃に通っていた剣道場にあった神棚に憬れていたのです。ミーハーですが、それだけでマンションといえども家らしい雰囲気が備わりましたヨ。伝統の力ですね。

 そいうことで、神社の民俗的な部分にも興味がありましたので、『神に追われて』(谷川健一著)、『憑依の視座』(川村邦光著)、『南の精神誌』(岡谷公二著)、なども目を通し、巫女さんや神社の発生などの考察のきっかけになりました。(といっても、まだまだ考えが纏まるような段階ではありませんが。)
 『神に追われて』は、「科学的愛情」?をもった視点で記述されている好著だと思います。谷川先生の『民俗の宇宙1・2』は価格が高いので図書館利用です。
 南方、柳田、折口・・・は基本的素養でしょうが、文系に弱い私には敷居が高いので、ゆっくりと眺めはじめているところです。

 最近では『光るナナムイの神々』(比嘉豊光撮影)という写真集を購入しました。宮古島北部の集落の年間祭祀を撮影した記録です。祭祀の原点を見ているような感じ。濃い〜です。圧倒的存在感です。忙しいことを口実にしている、私達の生活は希薄過ぎるのかもしれない。アクが強い写真集ですから買う人はいないかもしれませんが、本屋か図書館で一度パラパラと立読みして頂きたいナと思います。伝わる方には伝わるかも・・・。

 『神体山』(景山春樹著)は、新装版が再刊されましたね。初版が30年前ですから掲載写真の風景と、今の景色では変わっているようです。
 変わっているといえば、『日本の神々・九州編』の中の羽島崎神社の祭りの写真は、昭和30年代ではないかと思います。両親の故郷なのですが、去年この本を現地に持参したところ、老人達にはウケてました。


[2034]  稲荷神社?  [りん]  10/21

 そうですか。「豊受之大神の田庭」!という意味なのですか・・・。

 ところで稲荷神社の祭神は「豊受之大神」で御狐様は、その御使いで
あると聞いておりました。違うのでしょうか?

 玉造稲荷があった所に、太子の四天王寺が建っているのは、丹波の影
響なのでしょうね。
 海部氏は、家系図を遡ると天皇家よりも古い家系だそうですね。

 キッコーマンさんへ
 明智家が細川家に輿入したのかどうか、家系図の写しをもらってい
るので、(枝が違って)書いてないかもしれないけれど、見てみますね。
 
 謝さん?反応ありましたね。
 でも何も答えてくれませんが、頭を右に傾け、穏やかに微笑んでおられ
た。
 兄弟と書かれてましたが、女性と感じられるので御本人ではないかも?
 
 キッコーマンさんが歴史上の事を感知されるというので思い出しました。
私もありました。私の場合は本当かどうかわかりませんけどね(笑)
 宇佐神宮の神殿は古墳の上に建っているという説があるんです。
 私のように、こういう話が好きな方とお話していると、その方は「卑弥呼」
の墓の上に建っていて、第二神殿に祀られている「比売大神」は卑弥呼だと思
うと話されていると「違う、違う」と必ず∞の方が首を振られるんです。
ただ、それだけなんですけど。


[2033] 「みんなが迷惑してる領域」にはいった。 [焼尻紋次郎]  10/21

 瀬藤ドンはたしかに「やれやれ」と、嗾(けしか)けたムキもあったが、キッコーマンさん
ウンジュのカキコはスペースを取りすぎる。これまでの『かむなび』のおしとやかさからみて、
そーゆーことをおらビンビン感じるよ。
 同様カキコ、相互研修は、http://cgibbs.mmjp.or.jp/bbs/show/www.you-i.org/bbs でやり
ましょう。
 何人が心霊にほなこつ関心があるか……おらには超能力これありて、すぐわかるばい。
 ミナシャア〜〜ン、心霊・超能力に関心あるひとは、こっちの水においでんせぇ。
 キッコーマンさん、『かむなび』への挨拶はいらん。庭続きじゃ。


[2032]  Re[2029]:チャラチャラ流れるお茶の水  [玄松子]  10/21

終わっているようなので、ROM解除。

>  そこでおらが「もしそこにエスキモーの青年がいてそれを見たとしたら、エスキモーの青
> 年は観音さまでない別の現象を見たはずだ。なぜならエスキモーの青年には観音像は前もっ
> てインプットされていないから」と言ったところ、ヤツはミョウな顔をしていました。
>  心霊での受像(霊聴)なんちゅうものも、そんなもんぞ。

人間(生物)なら、誰しも、そのような「モノ」は見えているのかもしれません。
ただ、成長する過程で、「知」というフィルターが脳内に形成され、存在しないもの・見えるはずのないものとして処理され、見えなくなっているのかもしれません。
ところが、極度のストレス・鬱病等で、そのフィルターが機能しなくなった時、見えてしまうのかもしれません。薬物やホルモンバランスの変化でも同様にフィルタが無効になることもあるでしょう。また、成長の過程で、そのフィルターが形成されにくい体質の人がいるのかもしれません。
もともと、見えているのですから、ちょっとしたキッカケで、見えていると自覚しさえすれば、いつでも見えるということです。
さらに、ある行為(修行)の過程で、そのフィルターを取り除く事に成功することもあるでしょう。その場合、特定の手順(所作・祈祷)を再現することによってのみ、取り除く事が可能という場合もあるかもしれません。

その見える「モノ」が観音かアラーか天使かは、その人の経験(知識)に依存するのかもしれません。それは、存在しないはずのもので、特定の名称で呼ばれるものではないからです。

今回、「見える」と書きましたが、人によっては「聞こえる」「感じる」かもしれないし、「触れる」こともあるかもしれません。神経伝達の結果(現象)のことです。


[2031]  すべては人が選んだ道では・・・  [キッコーマン(気功人)]  10/21

焼尻紋次郎さんへ。

>その教祖さまに共通するのは心霊的能力でしょう。また、そのほとんどは
>ヒタイに汗することを嫌って、ロボット〜ブタ・ニンゲンからゼニを合法的
>に巻き上げることにウツツをぬかしています。
>どうか、この現実を直視して、あるべき人類意識への革命の志士になって
>ください。

神や仏を語って、何か力あるもののように偽って商売していても、人を
救うことができるのなら、それもまた意味のあることかもしれません。
ごく一般的な人間の特徴として、お金をたくさん積み上げると効果が
あると信じているところがあるようです。
10万円出しても、健康、平和そして安心が来るのであれば、幸せだ
考える人も多いのではないでしょうか。本当は未来のことなど保証は
無いのですが、気持ち的に安心できることを好むようです。

わたしは神に絶対的に従わなければならない という固定概念がない
ので、神様に嫌なことはいやだと言います。
しかし、神を信じる人はこのことをし続けないと神を裏切ることになる
と思って、ひたすらにそのことをし続けます。継続は力なりとはいい
ますが、それをすることが安心と平和を得る第一歩なのです。

わたしみたいに、固定概念や風習などに疑問を持って、必要なものと
必要でないものと再評価する人は少ないようですね。
神に捧げる拍手なども回数やおじきの方法など本当は深い意味がある
のでしょうが、風習化し過ぎて、だれもその意味を知らないことが
疑問に生じてきます。
気持ちがいいからそれをしている と言っても間違いではありませんが、
その源流に流れる深い意味は何なんでしょうね。


[2030]  たくさんの貴重な情報ありがとう。  [キッコーマン(気功人)]  10/21

日出倭さんへ

>丹波は本来但波と記し、その語源は「豊受大神の田庭」の意だそうです。かつては
>但馬も但波の一部だった様です。但波国一帯で一大勢力を誇っていたのが海部
>(あまべ)です。

丹波は本来但波と記し、その語源は「豊受大神の田庭」の意 ということを
知ってなるほどって感じがしてきました。稲作の神、豊作の神、その恵みに
対して日本民族が神々に感謝を込めて、神を称えるために歌い踊って、稲成り
の舞いを踊り、稲成り神社(本来豊受大神を祭っていたのかな?)が誕生し、
それが稲を担ぐ人の姿が、小動物を背中に抱えて逃げるきつねと連動して、
きつねを祭るようになってしまった。

わたしが丹波(丹後)に対して非常に関心が行くのと、稲荷神社に近寄れ
ないのと、田の神様にはとても愛着があるのは、この当たりから来ている
と感じます。
「豊受大神の田庭」というのは、いい言葉ですねえ。


りんさんへ。

>明智光秀の娘である玉姫が、のちの細川ガラシヤです。

>ところでキッコーマンさんは明智家とどんな縁があるんですか?
>光秀公は天海上人との噂もありますよね。
>ガラシャ夫人は娘さんでしたか・・・お市の方と混同していたか
>もしれません。

このようなことを記載するのは、抵抗ある方もいるかとは思いますが、
わたしは3、四年前に天海上人の生い立ちを霊的に探ったことがあり
ました。
そして、天海上人の秘法「天源」を世に広めるため、「天源帝王学」
なるものをビジネス分野に応用し展開しております。
今後は、弘法大師の秘法の真髄を注入した「天源法王」を世に顕わす
つもりでいますが、これは学問の世界ではなく、悟りの世界への
アプローチブックです。
わたしは魂の部分だけを提供し、具体化するのはわたしではなく、
その道に長けている人がそれぞれの能力を発揮してやってくれます。

ここからは、わたしが過去へのアプローチで解析したことであり、
これが真実であるかどうか、判断できる文献はありませんので、自分たち
で判断してください。

ちょっと話しが逸れてしまいましたが、細川家と明智家とはガラシャ
以前の血縁関係があります。それは、明智光秀公の叔母に当たる人が
細川家に嫁いでいるとわたしは霊的啓示で受けました。
天海上人は明智光秀ではありません。しかし、明智光秀の参謀という
要職にあり、徳川家康は天海上人を召抱えることを条件に、明智家の
一族を葬り去ることをしませんでした。これを取り持ったのが、細川
公だとわたしは感じました。

天海上人がはじめにお仕えしたのは、毛利元就公です。毛利元就公の
計らいで、大内公を通じ韓国に渡り様々な秘法を体得してきました。
大分市森町にある専想寺は天然上人が開祖ですが、山口より来て500
以上のお寺を九州・四国・中国一帯に創建しました。この専想寺は
代々大内家のものが跡を取っております。わたしの家内の菩提寺です。

天海上人は今の富山県の欄間職人の次男として生まれ、萬15才にて
仏門に入り、あまりにも智慧に秀でていたため、特別な修行を修得
させるために、当時仏法が華咲いていた韓国に行くようになったよう
です。 中略
こんなことはどうでもいいことなので、割愛します。

わたしと明智家、細川家が関係しているのは、この天海上人との
関係が深いからです。ここまでの話しもどこの文献にも記載されて
いませんし、これから先も何の歴史的文献がありませんから、確か
める術がありません。
ただ、わたしが導かれて行く方向が、だんだんとそのような方向に
進んで行ってますので、わたしの歴史を振り返って行けば、それが
事実であったかどうか判るのではないかと思っています。

一人一人が歴史の道しるべなのですから、わたしがわたしの歴史を
創って行く時、そこに過去の清算も含まれているのだろうと思い
ます。
あまり回答になっていませんが、りんさんとも深い因果関係がある
みたいなので、わたしといつか会うことがあれば、お互いの関係が
はっきりしてくるだろうと思います。

謝ビンラン、謝シューフォー、謝シューリンという名前に何か感じる
ものがあれば、きっとりんさんとわたしの守護霊の一人とは兄弟だった
のでしょう。


[2029]  チャラチャラ流れるお茶の水  [焼尻紋次郎]  10/21

 キッコーマンさんはシランかシランばってん、いま泊瀬女さんが「元伊勢神社」を巡って
レポを入れてくれています。その発端はおらのひとりよがりの観測かもしれんばってん、お
らが友人 S の体験談をここ『かむなび掲示板』にカキコしたからだ……と思っています。
  S とは西南戦争のとき、ニセどんたちの怒りを鎮めきれなかった初代士学校々長 S さん
のヒ孫です。どこかハッキリしませんが彼が20歳まえ、「行かねばならん」という意識に
駆られて歩いて行くと、“元伊勢神社”の開かずの扉がいつのまにか開いていて、そこの神
主が「正装して客人を迎えねばならん」という気持になって、その S がくるのを待ってい
た……というのです。

 その S が「朝の8時、香港のホテルの窓からモヤの向こうに巨大な観音像が“タチ”あ
がるのを見た」というのです。
 そこでおらが「もしそこにエスキモーの青年がいてそれを見たとしたら、エスキモーの青
年は観音さまでない別の現象を見たはずだ。なぜならエスキモーの青年には観音像は前もっ
てインプットされていないから」と言ったところ、ヤツはミョウな顔をしていました。
 心霊での受像(霊聴)なんちゅうものも、そんなもんぞ。

 いま日本には登録されている宗教法人は50、000あるそうです。このごろでは文部省
の方針で新規登録はほとんど受け付けないので、宗教的行為をやっているモグリを入れると
約20万人ぐらいの教祖みたいな人々がガンばっている計算になりましょう。
 ちょうど、日本にある神社の数と同じですね。
 その教祖さまに共通するのは心霊的能力でしょう。また、そのほとんどはヒタイに汗する
ことを嫌って、ロボット〜ブタ・ニンゲンからゼニを合法的に巻き上げることにウツツをぬ
かしています。
 
 どうか、この現実を直視して、あるべき人類意識への革命の志士になってください。
 S はいま44歳。おらっちの東12キロで整体師やっています。
 心霊立国……はブラジルでしょう。なにか斬新なアイディアへのヒントが転がっているか
もしれません。

 いまのこの傾向は従来の『かむなび』の様子から大幅にズレてしまっていますが、それを
予知能力で察知したおらは、瀬藤ドンの諒解をまず取り付けたのデシタ。
 宗教なるが故に殺しあう……。殺されるのはタリバン兵士だけではない。ここまでアメリ
カを支援したらおらたちも殺されたって恨み言うわけにはゆくまい。チンコンミサ曲カネ。
 ドンのひとことで、チャラチャラ流れるお茶の水、ほれ、ネェチャンタチ……。


[2028]  知っている範囲で・・・・・・  [日出倭] [Url] 10/21

私の知っている範囲で書き込みます。

・「丹後」と「丹波」について

>丹波國は、西暦七一三年に国の中心であった北五郡(熊野、竹野、丹波、与謝、伽佐)が分>離され、新たに丹後國となりました。これは筑紫が筑前・筑後、吉備が備前・備中・備後>と分国されたのとは形が違い、丹波をそのまま残した上で丹波の中心部を丹後(タニハノ
>ミチノシリ)としたのですから、為政者に何らかの考えがあったのでしょう。

「丹後元伊勢伝説」http://www.dance.ne.jp/~h2/special-1/05-motoise/index.htm
 より抜粋

丹波は本来但波と記し、その語源は「豊受大神の田庭」の意だそうです。かつては但馬も
但波の一部だった様です。但波国一帯で一大勢力を誇っていたのが海部(あまべ)です。

・ガラシヤについて

明智光秀の娘である玉姫が、のちの細川ガラシヤです。
キリスト教の洗礼を受けて、ガラシヤを名乗りました。
ガラシヤとは「恵」を意味します。

         散りぬべき 時知りてこそ 世の中の
                 花も花なれ 人も人なれ
                    (細川ガラシヤ 辞世の句)

・丹後町について

丹後町に丹後一の古社を自称する竹野神社があります。
用明天皇の后であった竹野媛が、晩年出身地である竹野郡に戻り、天照大神を祀ったの
が神社のはじまりだそうです。

近くには丹後最大級の前方後円墳である神明山古墳や、周囲2キロメートル四方に及ぶ
巨大な磐「立岩」があります。
間人には現在間人皇后と聖徳太子の像が建っています。(^_^) 


[2027]  誤解です。  [りん]  10/21

 玄松子さんへ
 違うんです!私は、パソコン初心者なので打つのにとても
時間がかかるんです。やっと送信できたら玄松子さんの書き
込みが増えていて、続けて読むと「あちゃー」って感じ。
 薬を飲んでないっていうのは、そのまま受け取って下さい。
ただ、「飲んでないよ」って事を伝えたかっただけなんです。
ごめんなさい。感じ悪かったでしょー。
 Setohさんのおっしゃる通り、会ってお話できれば問題ない
事なんでしょうね。
 
 Setohさん、三柱神社!ありがとうございました。
 
 細川家といえば、よく義祖母が「細川の七代祟りじゃけ」って
言ってた。何の祟りなのか聞いておけばよかったな・・・。
 どなたか細川家は不思議な家って書き込みされてたので思い出
しました。

 ところでキッコーマンさんは明智家とどんな縁があるんですか?
 光秀公は天海上人との噂もありますよね。
 ガラシャ夫人は娘さんでしたか・・・お市の方と混同していたか
もしれません。
 神様に関係なくて怒られちゃうかな? 

 ひふみさん、ありがとうございました。
そうでした。あまりにひどい風邪の時は「葛根湯」でしたね。
 この間までと書きましたが、よく考えたら断乳して1年近くになっ
てました。下の子って「いつまでも赤ちゃん」な気がしちゃいますね。
お互いがんばりましょうね。
 やっぱり子供には、「神様、仏様はいるんだよ。誰も見ていなくて
も神様、仏様は知っているんだよ」と教えています。
 宗派とか教義とかそんな事より、子供には目に見えないものに感謝
する気持ちを教える事って大切ですよね。


[2026]  失礼しましたm(_`_)m  [キッコーマン(気功人)]  10/20

前の投稿でなにがしさんの投稿記事がコピーされてしまいました。
深くお詫び申し上げます。

setohが訂正いたしました。(管理人のカキコです)

なにがしさんの分かりやすい文章に感心しております。
ありがとうございました。


[2025]  それぞれへの回答、感謝  [キッコーマン(気功人)]  10/20

桃色蜥蜴さんへ。

>何度も言ってますが、『リンゴが云々の話』それが選民思想です。
>それともマスターションベンですか?

わたしが述べていることは、選民思想の話しをしているのでなく、
りんごをどんな上手に説明しても限界があるので、理解できる
人が理解すればそれでいいと言っているのです。
りんごはりんごを食べたい人が食べればいいのであって、食べたく
ない人が食べてもおいしくもないと思うからです。
それぞれに、数学が得意な人、社会が得意な人、音楽が得意な人、
持ち味があるのですから、その持ち味を活かすことに努力をされて
協力して行きましょうよ といいたいのです。

神様を感じる人、感じない人、それが神様を感じるから偉いとか、
感じないから偉くないとか言っているのでなく、なにがしさんが
述べているように、霊的世界が分かるから喜びが増すということ
でもなく、返って不幸になる人も多いので、控えて方がいいですよ
と忠告しただけです。
わたしの文章の書き方が悪いのが問題なのでしょうが、もう神様や
霊的世界が分かる、分からないの話しは辞めにしましょう。
ここで戦争しても何の解決にもなりませんし、相手に打ち勝つために
この掲示板があるわけでもありませんから。
ただ、日本の歴史の中に存在する神々が、わたし達にこの掲示板を
通して出合わせてもらった仲間なのですから、相手を攻撃することは
辞めにしましょうよ。

わたしも一部感情的になった部分もありましたが、いろいろな意見に
感謝して、お互いを尊重して行きましょう。考え方は10人いれば、
10人それぞれ違うわけですから、勝ち負けに囚われず、何を悟る
べきか、お互いに冷静になりませんか。


なにがしさんへ。

>私は一般人なので霊能もなければ神の言葉も聞けません。霊能を持った人は
>大変だしかわいそうだと思います。見たくも無いもの見、共鳴したく無いもの
>に共鳴して体調がおかしくなったり。それらの人はそのまま能力がなくなるの
>を待つか、さらに修行して能力を制御できるようにならないと、普通の人より
>は多分不幸ですよね。選ばれた人と言えば聞こえはいいですが、それがその人
>にとって幸せなのか不幸なのか。

なにがしさんの言葉はとてもわかりやすいですね。
本当に感謝します。ありがとうございます。
わたしが言いたかったことが分かりやすく述べてありますね。
20代の頃、霊的世界を深く探求してわたしも同様に結論に至りました。
わたしは霊的世界を中途半端に知ることは、不幸を招くし控えるべきだと
感じております。
わたしは神様によってわたしのからだを治して頂いた経緯があり、神様
との契約もあり、その道を避けて通ることができません。
わたしは前にも記載させてもらいましたが、霊的世界以上に神様の世界は
知らない方が知らない方が幸せであると思います。
ありのままの状態で神様の息吹を感じることの方が大切だと感じて
おります。
わたしの家内や子供達は、霊的世界も神様の世界もよく知りません。
わたしは彼女を見ながら、本当に幸せな人だと感じております。
平凡な生活を感謝して生きて行けることが、一番の幸福であると
わたしは思います。
一日が平凡で平和であることが、世界では普通に得ることの出来ない
のが今の現実ではないでしょうか。

日本は神様に愛されているいい国だと心から思います。
日本に生まれたことにまず感謝しないといけないですね。


[2024]  目もくらむ霊、憑依の問題  [Setoh]  10/20

 神奈備掲示板は「皆様から神社や古代のお考えのご紹介やご意見などを頂きたく思います。 大いにコラボレーションいたしましょう。」と云うことを趣旨として開設しておりますので,今,目もくらむような話題になっている「霊の問題」は神社誕生の本質に迫るものとして歓迎することは先に書きました。

 掲示板に書き込まれておられる方々は自分の言葉使いにピリピリしておられるのは当然で,従って,他の方の引用、反論にもピリピリされるのは当たり前のことです。所が,掲示板は電子媒体ゆえの大きい弱点を内包しています。顔をつきあわせながら,(ついでに御神酒を頂きながらも)論議出来ないということです。これを軽減する方便の一つがオフ会でしょう。一度,熱田神宮集合のオフ会でもやりたい所ですね。

 ところで,ひふみさんが『古神道における最終的な奥義は「自霊拝」。自分自身が生ける聖地、神の宮になる事。』と書かれていました。結局神社と云う形ができあがっていったのは,「神となった人」がいて,この人をあがめる,うやまう,政を託すると云う事になったとすれば権力機構と神社発生とは大いに関連があったと言えますね。
 泉が湧いていて,ここを聖地としてその一体の山を神体山として立入禁止とし,その源泉を守ったとか,病を治すべく大木の側に横たわった,その大木を聖なるものとして崇めたとか,このようにしてできあがった神社もあったのでしょうが,今となってはどう見分けるのでしょうかね。祭神もどこまで信用できるかもありますし・・。


[2023]  Re[2020]: このサイトは神奈備です。  [桃色蜥蜴]  10/20

> こんばんわ。瀬戸内です。
> 最近 霊能力とかの話題があがっていますが このサイトには、あまり似つかわしく
> ないと思います。
> それぞれ 心の問題を論じても結論はでません。
私もそう思います。
2011でも書きましたが、多くの人は、この神奈備の資料を見て書き込みしているのです。
丹波の丹後の関係すら知らないというのは、まったく席亭の資料を見てないのでは?
常識的に考えれば、席亭の資料について、質問、疑問を書き込むのが、神奈備掲示板の趣旨ではと私は思っています。
心の問題(主観的な事項で客観的に第三者に伝達できない霊的(?)とか称する事項)を論じていても、情報の共有はできないと思います。
霊的能力(?)とやらを持っていて、皆の治療(?)を目的とするなら、それは、神奈備掲示板で行うのではなく、それに適した場所で行うのが筋だと思います。
キッコーマンさん
何度も言ってますが、『リンゴが云々の話』それが選民思想です。
それともマスターションベンですか?


[2022]  太古から人は野山を歩いた。  [瀬戸内]  10/20

最近 ここ3ケ月ぐらいですが 山歩きをしています。
よく 立花山に登ります。白岳 松尾岳 三日月山コ−スとあります。
300メ−トル前後の山ですが 結構きついです。
登っている最中は、息があらく 頭の中は真っ白です。
太古の人は、結構歩いたのではと思います。
山の頂上から見つめる眺めは素晴らしいものがあります。
それと 同時に何か偉大な力(神様)を感じます。
何か 祈らずには 願わなければならぬ 思いにつかれます。
山岳信仰の一端を感じました。
秋の日 好天 立花山 雑感


[2021]  Re[2019]: なにがしさんへ  [玄松子]  10/20

ROMするつもりでしたが、一言。

> 玄松子さんへ、
> その魂と交信できるのが私のところでいう霊能者です。
> そういっているのにそれを疑って、説明しろとは
> もし私の言っている事が本当だった場合は、あまりにも失礼なのでは?

僕の書いたどの文章をさして「疑っている」と判断されたのでしょうか。
最初の貴方への返信に、
玄> 現実に、神や霊を感じる人はいるでしょう。
と書いているではないですか。霊感のある人を否定していないし、疑ってもいないことを、最初に明白にしているではないですか。失礼なのはどちらです。


[2020]  このサイトは神奈備です。  [瀬戸内]  10/20

こんばんわ。瀬戸内です。
最近 霊能力とかの話題があがっていますが このサイトには、あまり似つかわしく
ないと思います。
それぞれ 心の問題を論じても結論はでません。
明るい 話題で行きましょう。
最近 私はそこへ行くと心が和む神社を見つけました。
本当に落ち着きます。
それは かの香椎宮の禰宜の方の夢枕に出てきて 十数年前ぐらいに社を
建てられたとの事です。本当に心が和みます。
現代版 大神比義かも知れませんね。


[2019]  なにがしさんへ  [なちゅうー]  10/20

なにがしさん(T.T)
>霊能力とは死んだ人などを見れる力。神の言葉を聞ける人は霊能力者とは違うと思いま
>す。神の言葉を聞ける人は必要な時意外は神にお伺いを立てません。
>普段は普通の人です。人が困った時に神にお伺いを立てます。神棚に向かってですけど

ほんとうにそのとうりです。
私のやっている事もまさにそれです。
自分の意見は一切入れずにただただ神様にお伺いを立て言われた通りにする
そのために必要な物が見え、言葉が聞こえる。
私は本当はこの事が言いたかったのに言葉が見つからず
また新たな誤解を生んでしまったようです。

断食や、臨死体験や薬物をしていなくても見えてしまう人がいることを
伝えたかっただけなのです。

>見たくも無いもの見、共鳴したく無いものに共鳴して体調がおかしくなったり

本当にそのとおりです。
何で自分がこんな痛い思いをしなくてはいけないのか
本当に疑問でならないし、このパワーの前では本当に私など無力でさからえません。

>神道は、人間生きていくためには、自然災害が無いことが大切ですので、風の神様や山>の神様、稲作の神様など多くの神様に祈り、幸せにくらせる事を願うのがもともと神道>だと思っています。

本当にそうですね。
私の言いたいことがきちんとなにがしさんには伝わったみたいで
とてもうれしいです。
とてもうれしかったのでお返事してみました。
どうもありがとうございます。

玄松子さんへ、
神社にある神様の本当のご神体はその、その方の心であり魂です。
鏡などはあくまでも物です。
その中に魂が宿っているのです。
その魂と交信できるのが私のところでいう霊能者です。
そういっているのにそれを疑って、説明しろとは
もし私の言っている事が本当だった場合は、あまりにも失礼なのでは?

勉強不足と言ったのではなくではなく、
本当に霊能について知りたいのならば私が説明する事が出来ないので
その辺を調べれれば自ずと答えがでるので
ご自分でお調べ下さいと思っただけです。


[2018]   ひふみさんへ   [キッコーマン(気功人)Mail]  10/20

はじめまして、ひふみさん。

>私の乏しい知識ですが、古神道における最終的な奥義は「自霊拝」だったように、
>記憶しております。自分自身が生ける聖地、神の宮になる事。でもそれは、決して
>他の存在を自分の中に降ろすという事ばかりではないと思います。

わたしも「自霊拝」というか、自分自身が生ける聖地、神の宮になる事。
このことが人間としての最終的な姿だと思います。
人を愛する前に、まず自分に対してどれだけ感謝して、自分という存在を認め、
自分が神が住むことのできる神の宮となれるか、そこが人生の最高の極みでは
ないかと考えています。

この宇宙を自分の中に呼び込むことができる能力が人間にはあるとわたしは
思います。宇宙という中の小さな存在(ミクロ、α)であると同時に、宇宙
そのもの(マクロ、Ω)にもなり得る存在が人間の本質の中に存在している
とわたしは考えています。


[2017]  S.Setohさん、ありがとうございます  [キッコーマン(気功人)]  10/20

>「HP凡海郷」から引用しますね。
>丹波國は、西暦七一三年に国の中心であった北五郡(熊野、竹野、丹波、与謝、伽佐)
>が分離され、新たに丹後國となりました。これは筑紫が筑前・筑後、吉備が備前・
>備中・備後と分国されたのとは形が違い、丹波をそのまま残した上で丹波の中心部を
>丹後(タニハノミチノシリ)としたのです。

わたしも丹後のことはいつも気に掛かっていたのですが、このようないきさつが
あったということは全く知りませんでした。わたしは丹後ちりめんの老舗から
時々シルク商品を購入しております。

りんさんへ。
明智光秀に関して、細川ガラシャは明智光秀の長女ではなかったでしょうか。
妹だったですかねえ。わたしもあまりはっきりしてないのですが、わたしは
長女と認識しておりました(^^ゞ

それから、熊本市内にある加藤清正公の菩提寺「本妙寺」の参道に、たくさん
のお寺が並んでいますが、そこに「東光寺」というお寺があります。
わたしはこのお寺にお呼ばれしたのですが、お寺の女将さんに、
わたしは明智家にゆかりのある者です。ここにお呼ばれしました
と述べたところ、
女将さんがびっくりして、あなたは表の看板を見てきましたか?
と尋ねられたので、
いいえ、何かあるのですか?
とお尋ねしましたら、表の看板を見てくるように言われてびっくり。

このお寺には明智光秀公の五女「松本弥々(やや)」のお墓が祭って
ありました。松本弥々は豊前の殿様に輿入れしていたと記憶しています。

みなさんへ。

わたしの場合、このような不思議なことがよく起こりますので、人間の
常識を超えた世界があることは、わたしにとっては当たり前のことなの
です。こんなことも経験しなければ難しいと思うのです。
でも、こんなことを理解して下さい と言っても、りんごを見たことが
ない人に、りんごをどんな上手に説明しても限界があるので、理解できる
人が理解すればそれでいいと思います。
りんごを見たことのない人は、そのりんごを見るまではどんなに説明しても
100%信じることはできないですよね。

そうすると、本当にりんごを見たければ、りんごの味を知りたければ、
その人が必死になって努力して(道を尋ねたり、歩いたり、お金を使って)
そこまで到達するしかありません。

霊的世界を本当に知りたければ、わたしがお勧めするとすれば、一週間断食
をして、1週間滝などで水行に打たれて、霊的感性を高める方法が一番かと
思います。神に出会いたければ、40日くらい山篭りして、自然と向き合い
自然と対話して気を触れ合わせてみてください。
100%とはいいませんが、かなりの確率で何らかの神様の息吹を感じる
ことができるとわたしは思います。

何事においても、悟るということはコトバでは理解できない部分が絶対に
生じるものですよね。
その人が経験したことを本当に理解しようとすれば、わずかでもいいから
その人と同じ経験をすることだとわたしは思います。
その人と友達になりたいと心から思えば、その人の興味のあることを自分
で少しでもいいから体験して置かなければ、共通点ができないので平行線
のままになってしまいます。


[2016]  なんのための神おがみやろカネ  [焼尻紋次郎] [Url] 10/20

 計算まちがい、訂正。
 先祖の数は300年前で3万人、600年前では10億人を超えます。
 いまのままなら、沖縄の人口はあと150年ぐらいでシナの人口よりも多くなります。
  AND 、オレ、キカイ・オンチ、漢字オンチ。

 ついでに……なにがしさん。ひとが仲良く生き続けるだけとか病気治しだけなら、あっ
しのようなインチキ要領とか、社会制度だけで十分じゃなかろうか。
 シッダルタさんが言い遺したのは「自分の中核となっているものを掴め」ということで
はないかと、おらはそう思っています。
 イエスさんも「狭い紋からはいれ」と言うたとのこってすが、「その狭い門から入って
いって自我の中核を掴め」と言うてるんと惟ふ。
 ここ当分のウンコ垂れ、メシくいが確保されていりゃぁシヤ〜〜セじゃあんめぇ。どう
せ死という破局迎える身が、いまメシ食ったところでどうなるってぇ紋じゃなかろう。

 それにしちゃぁシッダルタさんもイエスさんも喋り過ぎだよな。あゝもいろいろと喋ら
れたじゃ、これから突入しようとする若衆には雑念・障害にしかなるめぇに。
 オッチョコチョイじゃったんじゃなかろうか。いや、後世のヤツらが数々のことばを
ツギハギしたんかナ?


[2015]  能力   [なにがし]  [Url] 10/20

霊能力等々知らない内に難しい話題で、乗り遅れてしまいました。
難しい事はわかりませんが私の思いこみを。
仏教とは、みんななかよく生きるには自分はどういう行いをすればいいかを説いたもの。お釈迦さまもそうして苦悩して悟りを開かれました。それは苦しい修行だけでなく日常
の生活自体が修行と言えば修行ですよね。
神道は、人間生きていくためには、自然災害が無いことが大切ですので、風の神様や山の神様、稲作の神様など多くの神様に祈り、幸せにくらせる事を願うのがもともとの神道だと思っています。
霊能力とは死んだ人などを見れる力。神の言葉を聞ける人は霊能力者とは違うと思います。神の言葉を聞ける人は必要な時意外は神にお伺いを立てません。当家ももともと神主ですので、神主になるときは修行がありました。祖父はその最後の人ですが、普段は普通の人です。人が困った時に神にお伺いを立てます。神棚に向かってですけど。
私は一般人なので霊能もなければ神の言葉も聞けません。霊能を持った人は大変だしかわいそうだと思います。見たくも無いもの見、共鳴したく無いものに共鳴して体調がおかしくなったり。それらの人はそのまま能力がなくなるのを待つか、さらに修行して能力を制御できるようにならないと、普通の人よりは多分不幸ですよね。選ばれた人と言えば聞こえはいいですが、それがその人にとって幸せなのか不幸なのか。


[2014]  掲示板過去ログから  [Setoh]  10/20

 setoh  三柱神社 H12.12.11

丹後には三柱神社と言う神社が33座はあります。中でも竹野郡丹後町の間人谷の上、間人宮の谷、間人宮の下にもそれぞれ鎮座しており、祭神は稚産霊神、倉稲魂神、保食神となっています。
間人皇后に付いていった東漢直駒(を祖先とする者)が神社を建立したそうです。
 また舞鶴市には6座あって火産霊神、奥津彦神、奥津姫神が祭神となっており、大和の橿原と同じ祭神です。別の系統ですね。竈門神社の祭神にも同じ組み合わせがありますね。
空海を考えるには聖徳太子も考えに入れる必要があるのでしょうかね。


[2013]  モ尻 モ尻 亀よ亀さんよ  [焼尻紋次郎]  10/20

 めくらにどうして色を教えるか。
 あっちに“つっこみ”を敢行したら、全員が同じ体験ができる……だから、とにかく突っ
込んでみる必要がある……という見解もいちおうは成立するかの如しです。
 ダガネ。
 オレ一人が成立するために、何人の先祖がいたかを計算してみたら、800年足らずで3
万人を超えた。5ペアの夫婦10人がひとつの氏族として出発した場合、環境さえ潤沢なら
わずか200年で116万人になる。
 まだ王様がいない段階でのことですが、通婚、交易、言語を漠然と共有する広域の「くに」
がありました。それをアイヌはモシリと呼んでいますし、レプチャ語は MO でした。
 人々はこの MO でアワやゴキブリのように蝟集してゴジャゴジャと生きた。その MO のな
かでは凝縮するのは人相骨格だけでなく、精神性もまた凝縮する。だからよく謂われるよう
に県民性ということはゼッタイにある。
 ひとの出入りが激しくない「島根西部から山口県の北海岸」だけに犬神憑きの錯乱が見られる。

 桐山靖雄さんがいう間脳妄想は、突っ込んで行った者全員が体験する領域ですが、そこに
は自分と他人の区別がなく、時空概念もなく、因果律もない。だったらナニも覚えていない
ほうがいいのだが、それが夢以上の明瞭な記憶となってシャバで蘇ってくるのでハナシはやや
こしい。
 そんな程度のところで「おらは霊界を見てきた」なんち言われたんじゃ、こっちの人間はた
まったもんじゃない。
 ミョウなもんを見さえすれば、そこに「霊界語」が確立される……? ウソこくな。
 「あのひとと、このひとが見たミョウなものは違っている」とみるべきで、違ったままそこ
に霊界語を作り、それをナマのままにシャバ人にぶっつけるなぁ、このへんでやめにしねぇか。
 
 心霊の領域はみんなが知恵を出し合って組織的に、創造に前進しなければならない。個人単位
でのなぐりこみを続けたんじゃ、人類はいつまでたってもお猿さんだべ。

 ーー精神文明の統一カネ。これ神風特別攻撃隊と紋チャンの悲願あるヨ。


[2012]  無題  [ひふみ]  10/20

ここ何日か。皆様のお話、興味を持って拝見させて頂きました。
皆様にとって、かくも神社というのは様々な意味を持つ空間である事を実感させられました。神という存在も。

仏教において、日本に定着したのが俗に大乗仏教といわれる方であり、小乗仏教の方はあまり一般民衆には必要とされなかった様子。道を求める修行者にとってのみ、密教や禅、修験道などの形で残されているように思います。
日本の神道においても、自分以外の大いなる存在に救いを求めたり感謝を捧げる形等が、一般的なのでは。最近、良くきく古神道が、仏教で言う所の密教等にあたるのではと、私なりに認識しています。

さて、最近の神奈備サイトで話題になっていた霊能ですが、自分には霊能があると言われている方達は、自分以外の存在においてのみ、霊や神という名で相対していらっしゃるようにお見受けするのですが、いかがでしょう。

守護霊、守護神、指導霊、様々な人格神、龍神等、それこそ世の中にいろんな人や生き物がいるように、私達が通常認識している空間以外の所にも、いろんな存在がいるのでしょう。
それこそ、テレビのチャンネルが周波数によって色々画面を変えるように、人それぞれの周波数(波動やオーラと言った方が良いでしょうか?)によって、いろんな人や生き物、場所、存在と出会うのでしょう。人それぞれの周波数、それは、その人の生き方・家系・環境等で構成されて来たものだと思います。

友達で、「ヴィバサナ」というタイ仏教の行を体験した人がいます。
どういうものかというと、(彼女から聞いた限りではありますが)行をする人何人かで、グル(宗教的指導者)の元、合宿をするそうです。
その間、自分の行動を一挙手一投足にいたるまで、それが自分自身のどこから来る行動であるかを認識するそうです。怒りや悲しみや笑い等の感情や様々な思考まで、それがどこからわいて来たものであるかをじっくり観察するそうです。
何回か体験した後、彼女が私に言った言葉。
「現実」とは、「現れ実る」と書くんだよね、と。

私の乏しい知識ですが、古神道における最終的な奥義は「自霊拝」だったように、記憶しております。自分自身が生ける聖地、神の宮になる事。でもそれは、決して他の存在を自分の中に降ろすという事ばかりではないと思います。

自分の身体を考えて見た場合、自分を形作っている物は実は穴だらけで、常に流動しているという事を知っていらっしゃいますか。
ミクロの目で見れば、生きているというのは、そういう事だと思います。皮膚は常に呼吸して、外界から空気やら水分やらを出したり入れたりしているし、身体の中も細胞は常に新陳代謝して、色んなものを取り込みつつも吐き出している。
では、いったい何をもってして、今の私はここに固定化した「私」として認識されているのでしょう。

現実=今この瞬間は、私にとって自分自身を写す鏡のようなものだと思います。
様々な出来事も、全て自分自身が招いているものなのでしょう。
では、この「自分」とはいったい何か。
 
とりあえず、私が感じる範囲では、生きようとし生かされているもの。
心理学者のユングの人類の共通無意識説をとるなら、地球の一部なのかもしれない。
子供を産んで思うのは、この子達の心臓の脈動の第1拍は、明らかに自分の心臓の脈動から始まっているのだという事。それは、生命の初めまでも遡れるのでしょう。

そして、自分自身と思っているかくも非力な存在は、とてつもなく大いなる存在の一部であり、多数の存在とつながっているのかもしれないという事。
そう考えると、霊能というものは、大いなる存在を身体とすれば神経のパルスみたいなもの(情報伝達能力)で、鍛えれば本来誰にでもある能力であり、又家系等によっては、すでに鍛えられている場合もあるのかもしれない。

場所がら、様々な霊能者や先生と呼ばれる人に会ったけれど、本当に凄いなと思える方達は、一様にとても謙虚な方が多いように思えます。
ただ、立ち居振舞いが美しかったり、その一言一言が普通の言葉なのに深く心にしみわたったり、そばにいるだけで、なんだか穏やかな気持ちになれたり、背筋がピンとする気持ちがしたり。(もっともそういう人は、自分の事を先生とか霊能者とかは言いませんが。周りがそう思うだけ。)
もしかしたら、悟りを少しでも得た方というのは、「自分」が自分という固定した存在ではない事、又、今「自分」と感じている存在がとても大きくて小さい事を、実感された方ではないかと想像してみたりもします。

私にとって、聖地(神社)とは、原点に返るところ。
先頃公開された「千と千尋の神隠し」の主題歌にもあったけど、基本的には「ゼロになるからだ」です。そういう場所だと、思います。
だから、カタカムナ文献でいう所の「イヤシロチ」なのでしょう。
「元気」、つまりは「元の気」に戻すところ。
以前、ある人に、神社をあちこち詣でる事は、「神遊び」だといわれた事があったけれど、「遊ぶ」という事はひいては、「祭り」という事でしょうか。神輿をかついで練り歩いたり、阿波踊りのように踊ったりするように。
身体に経絡があるように、あちこちをつなぎ、まつり(祭り)あわせる。
そして、いつか、自分自身も一部である事を実感するのかもしれない。

この神奈備サイトも、いろんな人が祭りをしている場なのかもしれませんね。
これからも、楽しみにしています。
(瀬藤様、又、長々書いてしまいました。すみません。)

追伸、りん様。
私も今、三人目を母乳育児中で、風邪気味です。
風邪の時は、薬を飲めないと思っていたのですが、桶谷式母乳保育の先生にお聞きしたら、「葛根湯」は大丈夫だそうです。
あと、民間療法の、「大根あめ」(はちみつに大根の薄切りをひたしてその汁を飲む)とか、体力がない時など「梅醤番茶」(梅肉に熱い番茶と醤油を注ぎ、しょうがの絞り汁を入れて飲む)も身体が温まって良いものです。たんぽぽコーヒーも、母乳には、おすすめです。頑張ってくださいね。



[2011]  精神的病の本意  [桃色蜥蜴]  10/20

玄松さんも指摘しているように第三者に自分の意思を伝えるのは、客観性が必要(誤解をまねかないよう玄松子さんの紋の旦那の皆が解るようにという旨の引用という意味です。)
神の領域には、主観的な部分もあると思います。
しかし、この掲示板の基になる神奈備資料を契機に、このBBSに入ってくる人の多くは、神奈備資料の客観性に引かれてくる人も多いと思います。
私もその一人です。
体験しなければ解らないと言うことになれば、古代に生きたことない現在の私達が、神代の世界を理解することは不可能ということになります。
知識を得てそれを想像する。これって間違ってますか?
霊的交信とやらで交信できる人間だけが、神々の世界に触れれる。
これが選民思想だといってるんです。
多くの人が神奈備の資料を見て、このBBSに書きこみができ、共有できる情報は共有する。
私は、そのように感じ神奈備BBSに書き込みをしてきました。
神奈備資料、とり様によっては、心霊現象も含むものと思います。
しかし、日本の古代の考察にとって神社は不可欠なものではないと思います。
それを心霊現象という一面だけの書きこみが占領するとすれば、それこそ、せっかくの神奈備資料を見た人も萎縮し、貴重な情報提供ができなくなるのではと思い、敢えて多重人格なる表現を用いたわけです。
キッコーマンさんの表現じゃありませんが、私は、自分の意見を押し付けるつもりはありませんが、BBSは、情報の共有の場所と思っております。
情報の共有と言うことになれば、少なくとも一般第三者に伝達できる客観的な見解を持っての書きこみを心掛けるのが賢明と思いますが



[2010]  不思議だよね  [玄松子]  10/19

誤解・曲解されているようなので、少しまとめて、しばらくROMします。

まず、この掲示板で、りんさんの「体験」について質問がありました。
それに対し、「高次元の神霊」とする方と、「多重人格」とする方の意見が書かれました。僕にとって、これは興味深い内容なので、その後のやり取りを注目していました。
が、話があまりかみ合っていないような印象を受けたので、
「人は信じたいものを信じるんんだなぁ」という感想を書き込みました。
残念ながら、これに対するレスはありませんでしたが、
その後、やり取りが終わりそうな雰囲気だったので、
「憑依・交霊」と「多重人格」は、どう違うのか、どうしてそのように判断したのかなどと、問いかけたのです。
ついでに「薬物」でも同様の現象があることを付け加えましたが。

ログを読み返していただければ、わかると思いますが、りんさんの出来事に関して、僕は意見を述べておりません。当然ですが、りんさんを精神病だとか薬物依存だと思っておりませんし、そのように書いてもおりません。わからないから質問しているだけで、立場としては、りんさん側に立っているつもりだったんですが。


[2009]  私の場合  [りん]  10/19

 Setohさん、習志野のてつさんへ
 丹波の事よくわかりました。ありがとうございます。
 いますぐでも飛んで行きたい!位、興味がある所なんです!「謎の丹波王国」
 
 間人皇后の宮殿跡がある「三柱神社」で、竹野郡丹後町にあるのだそうですが
インターネットでは見れなかった・・・残念。
 てつさんが何か御存じなら教えてください。
 祭神はどなたでしょう?

 桃色蜥蜴さんへ
 小笠原藩がそんな事とは知りませんでした。
 私の住んでいる所は、小笠原藩の最後の地なので、例の妙見神社がある
山に墓所があります。
 そういえば城の近くに弓道場もありました。
 宮本武蔵が剣客(?)としてしばらくいたのではなかったかな?
 巌流島も近いので、武蔵小次郎祭りとかもあっています。

 なちゅうーさんへ
 私に起きる不思議な事なんですが、少しずつ進化していってるんです。
 昨日、気がついたんですが、「この人を助けてあげたい」と思った時
に、どうも進んでいっている気がします。
 この先、どうなっていくのやら・・・。
 
 ちなみに、私は子育て中なので、この間まで風邪薬さえ飲めませんでした。
 (母乳だったから) 



[2008]  Re[2007]: 思ったこと・・。  [玄松子]  10/19

> いきなりですが!
本当にいきなりですねぇ。

> 玄松子さんの私の書き込みへのレスは失礼でしたよ。
> 霊能力を薬物依存だのとは本当に不愉快です。

玄> 桃色蜥蜴さんが提議している問題は、そのような自分以外の「存在」が自身の行動や
玄> 思考に影響を及ぼす、いわゆる憑依・憑霊は、多重人格の一症状ではないか、
玄> ということですよね。

ここでは、桃色蜥蜴さんの問題提議に関する、再度確認ですね。

玄> 現実に、神や霊を感じる人はいるでしょう。でも、同様に多重人格によって、
玄> 他の人格が身体や思考を支配してしまう人もいますし、薬物依存症の症状にも似た
玄> 現象はおきますよね。その違いは、どこにあるんでしょう。

現象が同じ(あるいは似ている)他の事象との違いを、ただ聞いていますよね。
りんさんからは、「精神病と心霊現象の境は、ないと思います」という意見をいただきました。敬意を感じる発言です。

神を全く信じていないものが、神社巡りにはまったりしませんよ。正しく神を知りたいだけです。精神病や薬物依存は単なる例に過ぎません。神霊を体感できない者にとって、体感できる方の意見は非常に興味深いものです。それを「体感しなきゃわからない」で済まされては、元も子もありません。

> 神様の成り立ちについて知りたいのならもっとその辺を勉強したらいかがですか?

さて、僕は「神」について書き込んだ記憶がないのですが、どうして勉強不足だと決め付けるんでしょうか。不思議です。たしかに、何事に関しても勉強不足であると自覚はしていますけどね。


[2007]  思ったこと・・。  [なちゅうー]  10/19

いきなりですが!
玄松子さんの私の書き込みへのレスは失礼でしたよ。
霊能力を薬物依存だのとは本当に不愉快です。
あげくの果てに、注目しているだけだ、否定も肯定もしていない
もっと詳しく教えろ?
あまりにも一方的です。

そもそも霊能力は『本人の勘違い、もしくは病気』と言われてしまったら
他に証明する手だてない本人だけに感じる物なのですから・・・。

でも、見える物は見えるし。聞こえる物は聞こえるし、感じる物は感じるのす。
眼をとじると見えるのだかしょうがない。
本人の意思とはなくても。

ここはかなびなので、神様のことにふれますが、
日本の神様は本当に禊ぎ払った時にうまれてきたのしょうか?

私はちがうと思います。
外国の神様と同じように
きちんと母親から生まれて、人間としての人生を歩み死んで霊界に行った
のだと思います。

ただ一つちがうのは、生きているときに、霊界と、人間界、そして宇宙を
つなぐ橋渡しの出来る能力があったのだとおもいます。
そして、その能力を生かし、病気を治したり、祈祷をしたりしていて
その能力から後々、人間から神としてまつられそして、その時の
権力者が神社を造ったのでは?

霊能者には2種類あって仏様(人間霊)としか交信出来ない人
そして、位の高い仏様(観音様)、神様と交信出来る人があるのです。
それを、仏様(人間霊)だけ交信出来る人がでているTVなどを
みていて、それだけしか知らない人が、そこに神様、仏様を
絡めて霊現象を話すから話しがややこしくなるのでは?
(インチキだの薬物依存だの)
それは、それ、これはこれです。
 確かに神様の霊能力は存在するのですから。(と私は思っている)
 そもそも、かなびでは、神様の霊感を持つ人を神職とよんでいるの
 ではなかったでしたけ?)

少なくてもここはかなびです。
神社に興味があり、神様のご神体の存在を信じている人たちの集まりなのでは。
その人たちが霊能力を否定(私にはそう思います)するなんて
ちょっとおかしいのでは?
神社の成り立ちに興味を持つのは歴史的にいいことですが
神様の成り立ちについて知りたいのならもっとその辺を勉強したら
いかがですか?



[2006] Re[2004][1997]: 皆様はじめまして  [習志野のてつ] 10/19

>「丹波の中心部を丹後」としたようですが,中心は丹波のままとするのが常識的ですね。
> そうするとと今の丹波は丹前になります。ぼちぼちその季節ですね。

備前の国を分割した美作、上総を分割した安房、伊勢から分かれた志摩もその例で
しょうか?(←思い込み=違ってても御免なさい)備前前ではゼンゼンだめですね。
御免でなく新免宮本武蔵は、美作の人で、智頭線に「宮本武蔵駅」なんて有ります。
続けてのカキコ失礼 御免なさい。


[2005] 御回答のようなフニャラ  [習志野のてつ] 10/19

りんさん> こんにちわ よろしく

> 間人皇后はおかしな事に、味方であるはずの蘇我の手から逃れる為、
> 里帰りしたと地元では言い伝えられているそうですね。  

*御質問のようですので、私に判る範囲での回答のようなもの。
(1) 地元での言い伝えについて
寡聞にして知りません。考えられる事は
@ 後に蘇我氏が政権から抹殺された為、蘇我氏に関連する良い情報は
抹殺し、悪い情報のみ残した。(=事実の歪曲) 50%
A 大妃(おおきさき)として、(つい使ってしまいましたが、正確に
云うとこの頃まだ皇后と云う敬称はない)蘇我一族が敗れても、一定の
地位を保つ。(=血族の部分保全)30%
B 親子・兄弟は味方とは限らない。後に藤原家や天皇家で行われたこと
を先取りした。(=血族の争い) 15%
C その他 5% 程度の可能性でしょう。
当時どこまでを一族と認識したか良く判りません。天智の娘が4人も
弟である天武の妻になっている。母親の異なる兄弟姉妹の結婚は許された。
他にもいろいろ考えられますが、資料不足=思料不足です。

> そして、弟である崇峻天皇を殺害した東漢直駒と「三柱神社」を造った。
> どういう事なんでしょうね?

(2) どこの「三柱神社」のことでしょうか?これも寡聞にして知りません。
教えて下さい。東漢直駒は、百済系渡来人として蘇我大親分に従っていたので
有り得ますね。

大君(おおきみ)、大連(おおむらじ)、大臣(おおおみ)は、もともとは
同等だったが、大君が抜け出た。 との説あります。蘇我氏が滅亡の時に、
なぜそれまで集めていた諸家の歴史書、天皇記を焼いたのか?蘇我氏が、当時
自分の為に、これを行っていたから。 説もあります。(つまり蘇我天皇説)
今の時空から振り返って、思い込みで話すのは難しい。



[2004] Re[1997]: 皆様はじめまして [S.Setoh] 10/19

 凡海郷の日出倭さん,こんにちは。老人島の凡次郎曰く「読み方知らず」。
 古代の日本はどこもかしこも不思議な地域ばっかりですが,丹後はこれまた謎の多い所ですね。今後ともよろしくお願いいたします。
 
 りんさん>丹波と丹後の違いはよくわからないんです
「HP凡海郷」から引用しますね。
丹波國は、西暦七一三年に国の中心であった北五郡(熊野、竹野、丹波、与謝、伽佐)が分離され、新たに丹後國となりました。これは筑紫が筑前・筑後、吉備が備前・備中・備後と分国されたのとは形が違い、丹波をそのまま残した上で丹波の中心部を丹後(タニハノミチノシリ)としたのです。

 「丹波の中心部を丹後」としたようですが,中心は丹波のままとするのが常識的ですね。そうするとと今の丹波は丹前になります。ぼちぼちその季節ですね。

香具さん,天理市には竜王祠が多いようですね。
 竜王山頂上の藤井田龍王社
 柳本の竜王社
 竹之内峠を西から昇る途中の小祠
 長滝町日ノ谷(火の谷)の龍王社
これが香具さんの「大国見山頂から長滝町へ降りてくる処に、池のほとりに龍神を祀った古い社」なのか,長滝町の九頭神社か,九頭神とは九頭竜王ですから,長滝町の九頭神社は相当有力な候補社と言えますね。

香具山も竜王山ともよばれたとか。


[2003] Re[1996]: 玄松子さんへの回答と質問 [玄松子] 10/19

なぜ、質問されているのかなぁ。僕の言葉が足りないからだろうな。

> わたしが今まで数多く体験しているからです。
> 「自発動」に関しては、本をよく読まれる玄松子さんが気功の文献をご覧
> になれば、だいたい理解できるのではないでしょうか?

どうして、「本をよく読まれる玄松子さん」という表現になるのか不思議ですね。不快でもありますが。
この単語一つのために、本を読む気力はないので、ネットで検索して知りました。深い瞑想状態や気を練っている時に、勝手に身体が動くことのようですね。経験はありませんが、理解可能な現象ですね。
「勝手に身体が動く」のは、酒や薬、寝ぼけ等でも起こりますが、それとは違いますよね。すると、「神棚を拝む」=「瞑想状態あるいは練功」となります。神棚を拝んで瞬時にそういう状態になるということですね。これが不思議の元ですね。


> 本を読んでも自分が体験したことではありませんから、素直に信じることが
> できないのです。
本を読むことは、「信じる」ではなく「知る」行為ですね。体験できないことを知ることです。


> >桃色蜥蜴さんの「多重人格」についても同様です。

引用が不完全ですね。正しくは、
> と、そのように感じ、これまでの経過を注目していました。
> これは、桃色蜥蜴さんの「多重人格」についても同様です。
これは、「桃色蜥蜴さんが、霊媒体質=多重人格と書いたことに関しても同様に、なぜだろうと経過を注目している」と書かれていますね。否定も肯定もしていません。注目しているだけですよ。

>>特定の人々の特殊性を強調する表現は、桃色蜥蜴さんのいわれる
>>「選民思想」を連想させますね。
> 玄松子さんの言われる「選民思想」とは如何なるものなのでしょうか。

「選民」=「神から選ばれた民族」ですよね。辞書に載っていました。

>神様がわたしを諦めて、玄松子さんのような優秀な人材に目を向けていただけることを望んでいます。
と書かれていますよね。「選民」を連想させますよね。それによる幸・不幸は関係ありませんよ。


> 同じ土俵に乗らなくては、何をどう改善すべきは分かり合えることも
> できないでしょう。わたしはわたしの考えが間違っているのであれば、
> 素直に聞き入れる用意はあります。

焼尻紋次郎さんが、再三書かれているように、体験・体感していない者にも、わかりやすく説明・解明してほしいとお願いしているだけですよ。


[2002] 神よりも素晴らしきもの α にもういちど挑戦せむ [焼尻紋次郎] 10/19

 フツーの意識での「考える」とか「思う」……そしてその思念をここら掲示板などにカキ
コすることとは、事物の間の関連を見極める作業です。だから、事物のちがいごとに名詞を
設けたり、うごきのちがいに動詞をつくります。
 ところが、おらの先輩の加藤喜八郎さんは、その区分作業を危険視する。
 「○○と△△」のような対立概念の設定に神経をとんがらせる。「フジツボと地球」とい
う考え(概念把握……偏執)そのものに疑問をなげかけるわけです。

 ペッと吐き出すツバでいいそうです。これを培養しておき、その電気(電気でいいそうで
す)反応を継続して数値をとり続けていたら、その母体……ペッとツバ吐いた本人が大きな
自動車事故に遭ったり、死んだときには、異常な数値をみせる。これはオカの上にいる子兎
と潜水艦のなかにいる親うさぎとの間のことでも観測されました。

 部分は全体を写しているという考え方はカタカナで難しく表現されて流行しています。
 科学には不見当識という成果があります。
 考えるということは、ちがいを比較する大脳作用ですが、それがまったく機能しない領域
がある……しかも、厳然としてあるのです。時間的把握ではビッグバン以前の宇宙、空間的
把握では260億光年から先の空間……これが不見当識です。
 もういちど言いますが、これ科学用語です。

 たしかに……、地球を知るには地球から離れるのがいいでしょう。そして大宇宙を知るに
は大宇宙から離れてみるのがよかんべぇ。
 だが、大宇宙から離れることとは、なんだべ?
 
 カニさんは目ん玉を外に向けて突き出している。あの目を内側に向けたらどうなるんやろ
か。人間はそういうぐあいに、神経を純化させてみたり、神経を切ってみたりして「お猿さ
んでないごっこ」をやってみることができる。
 人類はここ3万年ぐらい“神”という概念をえて、鼻くそ、目くそをうわ塗りし続けて混
迷の度を深めました。
 “神”しかないんやろか? いや、それがある。
 ゴマンナンマン……いや5兆の5兆倍もウジャウジャいる生命体の一つひとつが、神経統
律主体としての「自我」をもつのは当然の現象として受容できる。
 だが、その“「5兆×5兆」分の一”になぜオレという現象が付着したか……この視角で
得られる意識を α と名前をつけた。
 この α ならモンクあんめぇ。まだ混迷の「コの字」もまったく湧いてきていない。
 α さえ掴んだら、人間には神もホトケも要らないヨ。掴んだら、即、死ねるよ。

 『ユー・アイ掲示板』になるまえ、『かむなび』の庭続きとして α を尻ズしたのでした
が、売れゆきサッパリで店じまいしました。
 α はことばが入る領域で、次世代文明の核となりうる資格じゅうぶんですばい。
 http://cgibbs.mmjp.or.jp/bbs/show/www.you-i.org/bbs でもう一回やるでぇ。


[2001]  焼尻紋次郎さんへPartU  [キッコーマン(気功人)]  10/19

>一夫一婦制度や私有財産制度が本然的人間の佇まいを写したものではなく、
>その反対の偏執であることは、ミナシャン直感でわかるやろ。

この思想はキリスト教の思想から来ていますよね。
なんで夫婦関係が一夫一婦制でなければならないのか、イスラム教徒みたい
に一夫多妻制が許されないのか、わたしは不思議でなりません。
イスラムの教えでは夫婦でなく姦淫した者は、即刻死刑という厳しい教え
もあります。
日本のように、妻がいながら自分の娘みたいな女学生と売春するなんて、
わたしから言わせると、人道にも劣ります。
それであれば、自分の奥さんの同意の元、妾を持つ方がどんなにいいこと
でしょうか。妾(第二夫人)に対して生活の保証(責任)を取るわけです
から何の問題もないでしょうに。それに子孫を残すことは、動物の世界に
おいても当たり前のことです。
優秀な子孫を残そうとする行為は、動物であれ、人間であれ、微生物の
世界であれ、すべての共通することですから。
今の若者が子孫を残さなくなってきていること、このことが実に大きな
問題ではないかとわたしは思います。
「自分という存在に自信がない」「自分の親に魅力を感じない」
「生きることが面倒くさい」「子供を育てることが嫌だ」
いろいろ理由はあるでしょうが、その根底にあるには愛情の不足では
ないかとわたしは思います。 ビタミン愛欠乏症!!

>社長の病気が治ったのは、キッコ−特殊能力によると“信じて”疑わない
>ようだが、経済や名誉慾に懲り固まった意識が、ウンジュが発揮する
>「3消し、4消し(おらの価値観みてけろ)」の作用に触れて、一種の
>トランス・パーソナル・セラピー(超我療法)効果が得られたのかもしれんよ。

わたしの特殊能力だけでは限界があるため、整体の先生を呼んで骨の矯正を
してもらったり、自分たちで気功を修得してもらったり、食事療法の改善をしたり、
光線療法を用いたり、活性イオン水を取り入れたりと、その人の気のバランスを見て、様々な智慧をフルに活用して、その人の健康回復に最善の方法を用いています。
様々な悪い生活習慣がからだに沁み付いていますので、それを剥がして行くには
時間と忍耐を要します。
わたしはあくまでも治療が専門ではありません。自然界には玄米とかアロエベラ
とか、ハーブだとか、おおばことか、身近な道端にも人間にとって大切な漢方薬
が溢れているではありませんか。
昔のおばあちゃん達が普通にやっていたことを、現代は科学的に効果があると
立証できるようになっています。それでも高い健康食品に手を出す単純な人間
も数多く存在しています。

運動すること無しに、からだを怠けたまま食べ物だけで本当の健康に得るなんて、
そんなバカな話しはありませんが、女性の多くが盲目的にそれを信じています。
本当に美しい人は、毎日何らかの努力をして、その状態を保っているのですが、
それを理解できないのは、健康食品を販売している人にも大きな問題があると
わたしは感じます。

病院に行っても簡単な肩こりを一つ治せないのですから、これが医療と言える
のかどうか、シップを貼って炎症を抑える、痛み止めの注射を打つなんて、
その場しのぎのハリボテではないのでしょうか。10年間以上も大学や病院で
多くの医学の勉強をしながら、一番簡単な手当てを修得していないのはなぜ
なんでしょう。
レントゲンと血液検査をしないと病気を判断できないなんて、30年前の
町医者の先生に尋ねたら、自分の手が一番信用できると言って、バカ笑い
されたことでしょう。

解剖することが医学であるなら、一流の板前さんの方が上手かもしれません。
あんまり医学のことを批判すると叱られそうですが、わたしが幼少のころの
田舎の先生の優秀だったことは、わたしでも理解できます。
病気の判断は、ほとんど触診と聴診器だけでした。レントゲンを取るのは
骨が折れているのを見るときぐらいではだったように記憶しています。

真夜中になって、何を書いているのか、わけが分からなくなりましたが、
まあ、それなりに判断してください。
おやすみなさい (_ _).。o○


[2000]  Re[1995]: 割り込み失礼します  [香具]  10/19

> 香具さんの goo の写真を一部勝手に使用しています。
『勝手→有効』でございます。恐縮しつつ、光栄に存じます。

>竹之内峠を越ええて行く長滝町日ノ谷(火の谷)の龍王社とは,
>長滝町の九頭神社のことですかいな。

 山間の地形を無視して、地図上で単純にみると、田井庄町の八剣神社、布留町の石上神宮、滝本町の石上神社、長滝町の九頭神社は、ほぼ東西線上に並びます。
 また乙木町の夜都伎神社の真東は竹之内峠の山を越えて苣原町の九頭神社となります。このラインをさらに延長すると都祁村藺生峠を越えて藺生の葛神社となり、室生村の『拝の山』(はいのやま)にまでなるのですが・・・
そこまでは延長する意味がないですね(笑)。この話しは、別に置いといて・・・。

とてもローカルな話しなので、まずはルートのご説明から。
 石上神宮から国道25号線を布留川に沿って登り約3kmで、桃尾の滝へ向う分岐点。
ここを過ぎてさらに2km弱で天理ダムに着きます。この天理ダムには、さらに上流の苣原町から流れて来る布留川と、藤井町(龍王山)から流れてくる藤井川、長滝町から流れてくる長滝川が注いでいます。
 さて、竹之内峠ですが、この道は竹之内町の十二神社より南の法念寺側から登っていく道になっています。峠を越えると藤井川の谷と沿うように天理ダムの方へ向います。

 現在、竹之内峠を越えて長滝町へ行くには、途中に天理ダムのある大きな谷を横断して対岸の長滝口へ渡ります。ダムの上で標高300m、そこから長滝町へは一気に標高差100mの急な勾配の坂を登っていきます。(このルートは氷室神社がある福住町へ抜け道となります)
長滝町は、このように急な山地にある処です。
 さて日の谷ですが、・・・私にはまだ判っていません。
kokoroさん、見つかりそうですか?

 長滝川沿いの急峻な谷が『日の谷』ならば、長滝町の九頭神社であるかもしれません。しかし、九頭神社は『龍王社』なのか、乙木町と長滝町の関係など未調査です。
 また、大国見山頂から長滝町へ降りてくる処に、池のほとりに龍神を祀った古い社があったそうです。この春先、道に迷ったのは、この社を探してのことでした。

 伝承のスケールからして、天理ダムになる以前の、長滝川、布留川、藤井川の3つ川が合流していた巨大な谷間なども妄想するのですが・・・・。
ここは奈良県在住の方々のご教示を仰ぎたいところです。(Zさま、Sさま、助けてネ)


[1999]  焼尻紋次郎さんへ  [キッコーマン(気功人)]  10/19

いやはやどうも、申し訳ありませんね。
焼尻紋次郎さんの気持ちをよくよく分かっているのですが、
たまにはこのような討論もいいではありませんか。

世界中で宗教戦争が起こっていて、その問題がこのようなコトバの
ちょっとした読み違いや、自分とは正反対の人間同士の反発から
生じるものです。ですから、やはり根気よく対話して、お互いの
接点を見つけてある程度信頼し合えるようになることが望ましい
のではありませんか。

気持ちがうやむやで混沌とした状態のままでは消化不良を起こし
兼ねません。
最近日本の離婚率が非常に高くなっていますが、その大きな要因
が性格の不一致です。性格の不一致というと納得してしまいそう
ですが、夫婦の性格が不一致なのは当たり前の話しです。
自分と違うものを持っているから、魅力があるから一緒になった
わけなのに、だんだん夫婦の対話がなくなって、すれ違いが生じて
離婚しているのではないでしょうか。

まあ、わたしも案外理屈屋なところがありますので、自分なりに
理屈が合わないと追求する癖があるのです。

焼尻紋次郎さんから見れば、まだまだ若いなあ と思えるかもしれ
ませんが、わたしはまだまだ老ける年でもありませんし、間違えても
修正の効く年齢です。
失敗を恐れるようになれば、老けた証拠?かもしれませんし、今は
失敗を恐れずチャレンジしてみたいと思います。

話しは変わりますが、大分市内にある春日神社の池の浄化実験をはじめました。
昔は神社の池はきれいだったなあ と思うのですが、今はどこも汚くなって
います。博多の住吉神社の池もしかり、宇佐の薦神社の池もしかり、わたしの
故郷都城の神柱神社の池も汚くて仕方がありません。
地下水の水が元気が無くなって、微生物菌が活性化しないので、落葉などの
分解ができなくてペドロ化したりアオコが異常繁殖してしまうのでしょうね。
みんな、愛する郷土の神社や仏閣の水や池の水質改善に努力しましょう!!


[1998]  丹波と丹後  [りん]  10/19

キッコーマンさんへ 
 丹波と丹後の違いはよくわからないんです(笑)
 でも地域としては近くなんだろうと思っていたんですが?
 主人の祖母は細川家です。苗字は途中から少し変えていますが、巻物の
家系図が伝えられています。

 明智光秀の御妹がガラシャ夫人で、丹後出身だそうですね。
 間人皇后は鬼前大后とも呼ばれていたようで、酒呑童子も鬼ですよね。
 修験道の開祖、役小角も鬼ですしね。
 
 間人とは、神と人との間に入る人で、巫女を表すという説もあると書き
忘れていましたら、さすが紋次郎さん!の書き込みで確証を得た気が致し
ます。ありがとうございました。

習志野のてつさんへ
 間人皇后はおかしな事に、味方であるはずの蘇我の手から逃れる為、里
帰りしたと地元では言い伝えられているそうですね。  
 そして、弟である崇峻天皇を殺害した東漢直駒と「三柱神社」を造った。
どういう事なんでしょうね?

 私は、精神病と心霊現象の境は、ないと思います。
 何故、そう思うかはここで書くと御迷惑になると思うので、どうしても
聞きたいという方がいらっしゃればメール頂ければお返事します。
 
 それと、宇佐神宮は元々、神仏習合で以前は境内で護摩を焚いてたそうです。
ということで、私も神様と観音様をお祀りさせて頂いてます。
なので、両方共、波動を受けます。
 あまり深く考えず、流れにまかせています。
 運命に逆らってもしょうがないですし・・・。


[1997]  皆様はじめまして  [日出倭] [Url] 10/18

皆様はじめまして

縁有って神奈備さんと相互リンクさせてもらっている日出倭と申します。
峰 小雪さんや香具さんからこちらの掲示板が面白いと聞き、久しぶりに
覗いてみたところ、間人皇后その他のお話が出てきたので、思い切って初
めて書き込みさせていただきます。

間人皇后のエピソードについては、習志野のてつさんが書かれている通り
です。

[1983] で、りんさんが書かれている
>酒呑童子といえば聖徳太子の弟君が関わ
>っていませんでしたか?
というのは、麻呂子親王のことですね。麻呂子親王は聖徳太子の命を受け
て土蜘蛛退治のために丹後に派遣された人です。必勝祈願の為に七体の薬
師如来像を自ら彫って、丹後の要所に安置したとの伝説があります。
現在その伝承地は丹後に十数ヶ所ありますが、私の調査ではどうやら正し
くは八ヶ所であり、北極星と北斗七星の配置がなされているようです。

[1992] キッコーマン(気功人)さん
細川幽斎は知将であり、文人であり、オカルティストですね。
大本の神紋は十曜星ですが、これは本来細川家の家紋である九曜星に由来
するとの説があります。晩年の宮本武蔵が唯一召し抱えられたのは、幽斎
から数えて三代目の細川忠利です。細川家は不思議な家系です。

長々と書き込んでしまいましたが、Setohさんはじめ皆様今後ともよろしく
お願いします。

蛇足ですが、お時間が許せば一度私のHPも覗いてやって下さい。


[1996]  玄松子さんへの回答と質問  [キッコーマン(気功人)]  10/18

>りんさんの霊媒体質ではないかという件ですが、これは気功を中の
>高度な精神状態で発生する「自発動」というものです。
>と言い切ったことです。この発言を見て、

りんさんが言われる∞の動作をして・・・体験した ということは、
わたしが今まで数多く体験しているからです。
そして、そのことをりんさん同様にレイキをはじめ、正当な気功の先生に
質問したことがあるから、すぐさまに「自発動」であると判断したのです。
この質問に対しては、このような回答でよろしいでしょうか。
「自発動」に関しては、本をよく読まれる玄松子さんが気功の文献をご覧
になれば、だいたい理解できるのではないでしょうか?
申し訳ありませんが、わたしは気功の本もろくに読んでおりません。
わたしの場合は、多くのケースで自分の体験から判断するようにしています。
本を読んでも自分が体験したことではありませんから、素直に信じることが
できないのです。

>桃色蜥蜴さんの「多重人格」についても同様です。

玄松子さんは多重人格をどのように捕えているのでしょうか。
自分の意志を持ちながら、多重人格みたいに変化させることができる
とすれば、それも精神分裂症なのでしょうか?
玄松子さんの意志がどこにあるのか、わたしにはよく理解できない
のですが、是非教えてくださいませ。

>特定の人々の特殊性を強調する表現は、桃色蜥蜴さんのいわれる
>「選民思想」を連想させますね。

玄松子さんの言われる「選民思想」とは如何なるものなのでしょうか。
わたしは個人個人がそれぞれに素晴らしい才能を持っていると述べている
のですが、あるものは音楽に、あるものは武術に、あるものは霊的能力に、
それを現実のレベルで身近な人々に用いることをお伝えしているつもり
ですが、その「選民思想」とどう繋がるのでしょうか。

わたしが言いたいのは、自分に与えられた才能を、幸せのために使いなさい。
必要でないことを望んでも得たとしても、それが必ずしも自分の幸せ、他人
の幸せに繋がるのではありませんよ と言っているつもりなんですが。
わたしの文章表現力が足りないために、そう取ることができないのであれば、
それはわたしの責任ですが・・・

>地球は人間が存在するずっと以前から動いています。地球にとって人間は、
>タンカーの船底にこびりついたフジツボのようなものでしょ。

例えば、玄松子さんは「人間は・・・フジツボのようなもの」と規定して
いますが、ではなぜそのように断定できるのでしょうか。玄松子さんは
そのことを体験から悟ったのでしょうか。

わたしは、「人間は元来神聖なものである」という気持ちがあります。
とても「フジツボ」と同等とは考えていません。
しかし、自然は私たちにとってかけがえのない宝であり、気功をする人間
として、自然から豊かなエネルギーをたくさん頂いております。
ですから、ゴミやタバコをポイポイ捨てる人間に対しては、腹正しくも
あります。すべての物が活かされて、一生を全うすることを願っております。

玄松子さんは、人間と万物の関係をわたしが、主と従の関係と見ていると
考えてはおりませんか。玄松子さんは、一体どのように考えているので
しょうか。
玄松子さんの何をどのように悟っているのか、今のわたしにはさっぱり
分かりませんので、よろしければ、わたしに玄松子さんの考えを分かり
やすく教えてください。
同じ土俵に乗らなくては、何をどう改善すべきは分かり合えることも
できないでしょう。わたしはわたしの考えが間違っているのであれば、
素直に聞き入れる用意はあります。
是非、玄松子さんが悟られている人間とは、地球とか、何でも構いません
ので教えて頂ければ幸いです。
よろしくお願い致します。m(_`_)m



[1995] Q33NY  [Setoh] 10/18

 Q33NY のお話,ご存じですか。
Qは、アメリカの航空会社を意味します。  → これは嘘です。
33は、航空便名を意味します。  → これも嘘です。
NYは、ニューヨークを意味します。
Q33NYと全て英数半角にて入力して,確定。ドラックし、Wingdingsというイスラム系の絵文字フォント
に変換すると,戦慄の暗号が浮かびあがります。→ 結局全部嘘と云うことです。
予め,例のテロがwindowsに埋め込まれていたというお話です。これが噂の敷衍,サイバーテロの一種です。

kokoroさんの力作をまとめてみました。香具さんの goo の写真を一部勝手に使用しています。
www.kamnavi.net/log/kokoro8.htm

竹之内峠を越ええて行く長滝町日ノ谷(火の谷)の龍王社とは,香具さんの写真の31ー33の長滝町の九頭神社のことですかいな。


[1994]   理科の本  [焼尻紋次郎] 10/18

 中学校の理科の本を読んでごらんよ。
 そこのどこにワカランことばがあろうぞ。ハナシとは本来、こーゆーもんぞな。
 “神”とはカミナリとかイワシのアタマのような魔よけ頭蓋骨の *KAMA あたりから発達
してきた。初めのうちよくワカッタあるよ。
 そこへ種々の宗教が言いたい放題を言うたので、発音は同じでも内意の受け取りかたが
千差万別になっちまった。
 キリスト教でもよく神ということばをつかう。おらの親友はセブンスデイ・アドベンチス
ト派だが、それでも、トコトンはなし合ってみたら、抱いていた神概念が千差万別じゃったと。

 ことばをワカルようにして喋ろうぜ。
 相手が分かろうが解るめぇが喋べくりまくるなぁ、マスターションベン。わっかるかな? 


[1992]  地球を動き始めている  [キッコーマン(気功人)]  10/18

玄松子さんへ

>日本の良き伝統をもう一度、科学的に立証しながら復活させるときが
>来ているのだとわたしは感じております。

日本の良き伝統を科学的に解明して復興させようとする動きは、建築業界、
食品業界、産婦人科、宗教学会などさまざまな分野ですでに始まっています。
そして、このことは日本のみならず世界中で始まっていることです。
よ〜く目を凝らして見れば、わたしの身近なところで、大きなうねりが
動いていることが分かるでしょう。

身近な生活もじっくり大局的に観察することで、世の中に流れる息吹を
感じることが出来るはずです。何の方向性もなく人類の方向性が勝手に
動いているのであれば、このようなベクトルは存在しないでしょう。
神を実感するとは、そのような時代を読む能力からでも理解できるの
ではないでしょうか。
コトバに囚われるのは簡単なことですが、『神』というコトバだけ
書いても千差万別、みんな感じ方が違うのです。
『神』とか『自由』とか『平和』とか、みんな捕らえ方が異なるの
ですから、コトバだけで共通の土台に乗っかるのは難しいのです。
本を書いた人のことを本当に理解しようとすれば、作者に会うしか
方法がありません。本だけではその人物の5%も理解できないで
しょう。だって、自分なりにその人のことを勝手にイメージして
しまうからです。

だから、聖徳太子や弘法大師、イエス・キリスト、そして話題の
神を本当に理解しようとするのであれば、直接会って対話する
しか、その人物を本当に理解することは不可能なことなのです。
霊が実存するのであれば、イチローではありませんが、打てない
ことはない、つまり交信することは問題なく出来るということ
です。

しかし、それらの人物と交信する(対話)ことが幸せに繋がるかどうか
と判断するならば、決して幸せには繋がらないということです。
ミステリー、理解不可能、未知なる世界であるが故に、多くの人々は
探求する欲望に駆り立たれて、人生を愉しむことができるのであって、
悟りのあるものには見えなくていいものが、見えてしまうのです。
結論的には、人生を本当の意味で愉しむことが出来なくなってしまう
ことに繋がります。
初めて見る映画も先が分からないから、ドキドキして興味を持って
見るのでしょう。わたし達の人生も先が分からないから毎日がドラマ
チックで愉しいのではありませんか。
未来を予見することに、何の愉しみが生じるのでしょうか。
神をどの程度理解することが人間にとって本当に幸せなのか、それは
やはり他人から教えてもらうことではなく、自分で悟っていくことが
本当に幸せに繋がるのではないかと思います。
わたしに現れる神と、わたし以外に現れる神とは源流は同じであって
も現れ方が異なってくるのです。人間のそれぞれの本心に神は相対
するのであって、他人が植え付けるものではないからです。

基本的な神の方向性を示すことはできても、神そのものを教える
ことは不可能です。わたしの相対している神は、神のほんの一部
にしか過ぎません。わたしの心の成長と共に、神はわたしに対応
して来るからです。神にとってわたしは小学1年生なのかもしれ
ませんし、それも劣等性である可能性もあるのです。

玄松子さんの方が文面から言えば、わたしよりもずっとずっと有能
な人材だと思います。神様がわたしを諦めて、玄松子さんのような
優秀な人材に目を向けていただけることを望んでいます。
わたしはいつも神様に、
「わたしような何もない人間に来ないで、世の中で実力があり、知名度
 が高く、神を語っている人のところに行って下さい。」 とお祈り
しています。
ですから、そのうちにそのような優秀な人々が神を、精神世界を世の中
に正しく解き明かしてくれることでしょう。
わたしは細々と、大分の田舎の方で地域の人達と交わりながら、神を
じっくり語らって行ければ、それで幸せなのです。

りんさんへ。

>太子のお母さんが「間人」と書いて、「はしひと」と呼ば
>れていたのですが、地元丹波では「たいざ」と読むのだそう
>です。

聖徳太子はわたしのルーツとはとても深い関係があるんですよ。
それから、丹波ではなく、丹後の国は細川家や明智家の関係で、
とっても深い関係があります。以前は明智家と因縁の深いところに
よく導かれていました。
わたしの今住んでいるところは、細川家の御領地だったところで、
わたしの家内の先祖は昔からここに住んでおります。

酒呑童子というコトバには妙に心が反応しますね。昔から知っていた
ような記憶の断片がありそうです。

桃色蜥蜴さんへ。

>キッコーマンさんが、「無いほうが幸せだよ」というのは、すっごく
>わかります(笑)
>
>ここで一言、だったら最初から言うなちゅうの。キッコーマンさん

そうですかねえ(笑)
でも、話題にしたことで桃色蜥蜴さんともこうして会話できるきっかけに
なったわけですし、みんなもわたしの書いたことに反応をしているわけ
ですから、やはり意味があったんじゃないですかね。

「無いほうが幸せだよ」というには、わたしの具体的な体験に基づいたもので、
これからそのような世界に首を突っ込む人には、やるなら覚悟してからと、ある
意味での忠告にもなったかもしれませんし・・・
どうせ深入りするのなら、家庭の幸せのためにどうすべきか研究する方が実利
的に有効ですよね。
男性にとっては、たくさんの女性を研究することの方が有効のように思います。
営業する上で、女性を味方につけると家族ぐるみのお付合いもしやすくなります。
ご主人の友達として行くと奥さんが怪訝な顔をすることもあるので、ケーキの
一つでも持って、奥さんと友達になることを優先したら、けっこういい結果が
出るもんです。
女性のネットワークの方が男性より何だか根の張り方がしっかりしていますね。
女性は偉大な存在です(笑)



[1991]  「シヤーセ〜〜」、お猿さんは虚に吠えた  [焼尻紋次郎]  10/18

 日本人が家族やファミリー単位でシヤーセを追い求めるようになったのは、第二次世界大
戦の BATTLE のあと、尚、完膚なきまでに日本民族を骨抜きにしようと投入されたアメリ
カの謀略 WAR によるものである。キッコーマンさん、これどな。
 一夫一婦制度や私有財産制度が本然的人間の佇まいを写したものではなく、その反対の偏
執であることは、ミナシャン直感でわかるやろ。アフリカにもアマゾンにもチンポ・メメコ
丸出しの氏族がおるでぇ。ピグミーには神も悪魔も精霊もおらん。
 われわれはここの掲示板でも「共同意識」という底辺を疑わないし、またその存在が事実
であるがゆえに大我に就くことができる。社長の病気が治ったのは、キッコ−特殊能力によ
ると“信じて”疑わないようだが、経済や名誉慾に懲り固まった意識が、ウンジュが発揮す
る「3消し、4消し(おらの価値観みてけろ)」の作用に触れて、一種のトランス・パーソ
ナル・セラピー(超我療法)効果が得られたのかもしれんよ。

 とまれ、てめぇ身辺だけのシヤーセを希うは“神”の許すところじゃあんめぇ。
 いやさ、シヤーセ志向意識なんちゅうもななぁ、ことばを尻すぎた APE(お猿さん)の
偏執たらめ。このごろ……飼いコロされサラリーマンが多すぎるもんな。

 玄松さん、すげぇアナリスぶりでんなぁ。関東の水はウンジュのアタマに合うことはタシ
カらしい。関東はふるさとと大略同じイントネーションやろが。身体に合う水かどうかは、
十分にアマカネぞな。

 峰小雪さん、大脳学者はナンデモカンデモ分かってると思うたら、おおまちがいらしい
よ。ナンデモカンデモ分かっちゃねぇと見たほうが早いらしい。
 オランウータンは一日のうち4時間も5時間もボケ〜〜ッとしているが、あれ瞑想してい
るのかもしれん。だが、超能力で恋人の居場所だけを追い求めているのかもしれん。

 いずれにしろ、人類はお猿さんから出てきた。そしてまだ十億年は経っていねぇ。
 「自分という現象」すら、からっきし手も出ねぇちゅうにぃ、なんで神様をウンヌンでき
る資格があるんカネ。

 タイザはオラシラン。ハシト、ケベスは
 http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi でほにゃらか。


[1990]  『間人』  [習志野のてつ]  10/18

『間人』は、「はしうど」又は「はしひと」でしょう。
聖徳太子の母君である穴穂部間人皇后(用明天皇の皇后)が、蘇我と物部の争い
を避け、しばらく座して(=住んで)おられた。その地を遷座(センザ)される
時、その村に、世話になったお礼として「間人(はしうど)と名づけてよい」と
云われた.これを村人が、「畏れ多い」ので、間人(せんざ)と呼んだ。

今でも、現在の天皇に対し、名を呼ぶ事はしていない。「昭和天皇」は諱=いみな。
本名はたしか裕仁。今上は明仁だったか?昔は本名を呼ばれる事は、その呼んだ相手
に支配されることであります。陰陽師でもやってます。
男に呼ばれて女が本名を答えることは、婚姻に同意した事を意味します。
これが今だったら、みんなで多重婚をしなければならず、大変ですね。
中曽根元総理は「大勲位」と呼ばれます。偉いのか、馬鹿にしてるのか?

大阪で長脛彦と争った神武は、戦いの最中に木の影に隠れました。が、
畏れ多いので、「あるひと」が隠れたと、歴史書に載りました。
これは、ばかにして書いたと思います。


[1989]  Re[1983]: 気について  [桃色蜥蜴]  10/18

>  病は気からとも言いますし、目で見た事でも錯覚という事もありま
> すしね。
『気』とは、それなんです。
 
>  そして、現在行われている神式の結婚式は、小笠原流で、陽の式、
> 陰の式ともう一つは確か親類を紹介するというような3部形式になって
> いるのだそうですね。
この小笠原流って言うのが曲者です。
小笠原流は、江戸幕府お家芸(作法、弓術)と言うことになってます。
明治維新で幕府は倒れるものの、実質天皇の座についたのは、南朝傍流のどこ馬の骨かわからない御仁
戦後、愛知県豊川からあいつが天皇になるなら俺の方が南朝の正統だって名乗りを上げたって言うのも一利あります。
そのとりなしやったのが、旧幕側の武田の支流・小笠原。
おかげで、騎射の流派が、歩射まで口だし
本来の弓の道までかえてしまった。断罪もんです。



>  キッコーマンさんが、「無いほうが幸せだよ」というのは、すっごく
> わかります(笑)
ここで一言、だったら最初から言うなちゅうの。キッコーマンさん

>  桃色蜥蜴さん、酒呑童子といえば聖徳太子の弟君が関わ
> っていませんでしたか?
なにかありましたか?あったら教えてくだせぇ

>  それと、タイザという言葉もお聞きしていいですか?
>  太子のお母さんが「間人」と書いて、「はしひと」と呼ば
> れていたのですが、地元丹波では「たいざ」と読むのだそう
> です。

タイザって読むのは知ってましたが、間人って「ハシヒト」っても読むんですか?


[1988]  あっ  [峰 小雪]  10/18

x 心霊現象と精神医学がどう違うか
○ 心霊現象と精神分裂病がどう違うか

です。ごめんなさい。。


[1987]  NHKスペシャルで  [峰 小雪]  10/18

皆様こん☆☆わ(^_^) 峰 小雪です。

以前NHKスペシャル「驚異の小宇宙 人体 脳と心」で、沖縄で神ダ−リになる女性の
脳波を分析しているのを見ました。脳波の波形は覚醒時のそれで精神分裂のそれでは
なかったと説明があったと記憶しています。ビデオやDVDになっているようですので
興味のある方はお調べになられてはいかがでしょうか。。

私は精神医学にも大脳生理学にも歴史学にも興味があるんですが、何分素人ですので、
心霊現象と精神医学がどう違うかとかという議論になると、精神医学の専門家の方に
分析して(素人の私が本を読んだだけで臨床例に触れずに症例を判断するのは危険だ
もん)いただけたらなぁ(^^;なんて。。ここならROMに精神医学の専門家いらっし
ゃいそう。。(期待)

あっ 歴史の掲示板にふさわしくない脱線なら削除してください…>Setohさま


[1986]  Re[1984][1980]: ありがとうございます。  [香具]  10/18

横からの割り込み、そして連続投稿で失礼します。
玄松子さん、論点を整理して頂いて有難うございます。
これで私にも、ここのところ一連の流れの意味が、やっと判りかけてきました。
> 3.神が降りてくる(憑依する)事。
このポイントに関して、思い出したのですが、
『審神者(サニワ)』でしたか? 判定役の方。
私にはとても重要な役と思えるのですが、みなさんはいかがでしょうか。


[1985]   Re[1982][1974][1959]: 科学的愛情  [香具]  10/18

setohさん、いつも有難うございます。
>>奈良県磯城郡川西町結崎にある都留伎神社
>これは江戸時代の創建、小祠がポツント。
・・・まったくいつも、ろくに下調べもせず現地へ赴いてからウロウロ探訪になってしまいますので助かります。一言の言葉や一行の文にも、その裏にたくさんの時間、労力、経費、そして熱意があることを実感しています。HPや掲示板は、みなさんの人生の一部を共有させて頂いているようなものですね、感謝拝読です。紋次郎親分の言う『ミナシャンの御胸をお借りする』ですかネ。問える、応える、語れる場のあることの有難さを思います。

>守口市大日町の白山神社の秋の祭礼・・・
ウッ、ウウッ、アウッ!(何やねんナ?)
街中なのに、山中の遺跡よりも探しまわりました。
お祭りのときなら賑わいで分かると思いますが・・・。

kokoroさん、
>ここが上手く撮影できない・・・
写真撮影は難しいですねー。とくに構図が限定される所が多いですし〜。
すると時間帯による太陽の位置、光りの当たる方向を工夫するぐらいです。
しかし、大概は時間の融通がきかないので、やはり難しいですね。

>濃い〜写真類≠チて?もしかしてアレ≠ェ写っている・・・
イエイエ、なぜかどんなに不気味でおどろおどろしい処でも、素晴らしく神々しい処でも、撮影して写っているのは、あるがままの景色です。誰が撮っても不思議なものが写るネンという場所でも、至って正常な写真しか撮れません。たぶん才能がないのでしょう。
むしろ自然の運行や人々の営みに感動を覚えるお気楽者ですから、奇跡や不思議の焦点が違うのかもしれませんネ。科学的愛情なんです(マッドかも)。
濃い〜写真類というのは、行ったらアカン、写したらアカンという類いです。
次回のレポート、期待して待ってますヨ。


[1984]  Re[1980]: ありがとうございます。  [玄松子]  10/18

ひょっとしたら、もう、終わっているのか。

> わたしも神様のことは、そんなに意識することなく、のんびりと
> 日々感謝しながら生活する事が望ましいと思います。
> 神の世界や心霊の世界を知ったから幸せになれるとは、わたしも
> 感じないのです。

1.神を信じる事。神を崇敬する事。
2.神を感じる事。
3.神が降りてくる(憑依する)事。
4.神をかたる詐欺。
これらを混同すると話はややこしくなります。1・2は日常、4は論外。問題は3でしょ。
この場合、「神」を「仏」「主」「アラー」等としても意味は同じです。

以前、
>日本の良き伝統をもう一度、科学的に立証しながら復活させるときが
>来ているのだとわたしは感じております。
と、書かれていますよね。だったら、もう少し「立証」して欲しかったですね。
ついでに、「理事長」「社長」「先生」といった単語を用いるのは、権威主義と取られかねませんね。


[1983]  気について  [りん]  10/18

 ∞は気の流れだと書きました。
 神様もそれぞれ気を持っていらして、自分を示す時、そう表されて
いるだと理解しました。

 「気」というのは人それぞれもっているもので、「心」の事を「気
持ち」、気を持っているというのも、そういうところからきているの
ではないでしょうか?
 病は気からとも言いますし、目で見た事でも錯覚という事もありま
すしね。 
「人の心を科学的に解明する事」など出来ないし、しても意味のな
い事かな?と思います。
 自然でいいのではないかと・・・無理に信じる必要はないし、また
頑強に否定する事もないかな?と考えます。

 この頃、思った事は、すべて陰陽のバランスなのではないか?とい
う事です。始祖の形もそうですよね?
 そして、現在行われている神式の結婚式は、小笠原流で、陽の式、
陰の式ともう一つは確か親類を紹介するというような3部形式になって
いるのだそうですね。
 いわゆる、心霊現象もこれに当てはまるのではないか?と思うんです
人は亡くなって、肉体が滅んだのは目で見えても、「気」までなくなっ
てしまうのか見えないでしょ?見えないだけに、ないかもしれないし、
あるかもしれない。後は信じたり、感じたりという世界になるのかな?
とフト浮かんだので書いてみました。

 キッコーマンさんが、「無いほうが幸せだよ」というのは、すっごく
わかります(笑)
 私も平凡が一番だと思います。
 家族が皆、健康で笑って暮らしていければそれでいい。
 子供を持って、つくづく、そう思います。
 その平凡は、なかなか手に入らないものですね。
 自分の子供だけ幸せでも、他に不幸があれば、自分達に
も何らかの形で、不幸が訪れるかもしれない。
 結局、自分の為に子供達を救えたらいいなと思います。
 
 桃色蜥蜴さん、酒呑童子といえば聖徳太子の弟君が関わ
っていませんでしたか?

 今日、大分の国東半島で「ヶべス祭り」という火祭りが
あったそうなのですが、この祭は、すべてが謎なのだそう
です。由来もいつからあるのかもわからず、奇妙な面をつ
けて行われていました。
 言語にお詳しい焼尻紋次郎さん、ヶべスって何でしょう?
 それと、タイザという言葉もお聞きしていいですか?
 太子のお母さんが「間人」と書いて、「はしひと」と呼ば
れていたのですが、地元丹波では「たいざ」と読むのだそう
です。


[1982]  Re[1974][1959]: 神社による古代史E 『飛鳥の鬼門鎮護の神』  [kokoro]  10/17

 ヤッホー、香具さん。読んで下さってアガアガ〜。読者様は神様ですよ、ホント!
 アルバムの写真、早速拝見しました。お上手ですね。特に出雲建雄神社は。僕はどうも、ここが上手く撮影できないんですよ。これも相性ですかね。

> 熱田さんにはまだ未参拝ですし〜(泣)。

 良いですよ、熱田さん。謎めいてて、探求心をそそるんですよ。

> 都留伎神社も未チェックのままなんです。何か関係があるのでしょうか。

 いつもながら素早い、setoh席亭の下記のレスポンスがあったようですけど、

setohさん> 江戸時代の創建、小祠がポツント。

これって、実際に現地に行った感じですね。かなわないなぁ。

> 濃い〜写真類は割合しました

 エッ、何ですか濃い〜写真類≠チて?もしかしてアレ≠ェ写っているとか…。


[1981]  Re[1979]: なんだか・・・。  [玄松子]  10/17

> 守護神=自分のことを守ってくだっている神の称号を持った霊
> 守護霊=自分の事を助けてくださる、仏様

「神の称号を持った霊」と「仏様」の違いは宗教の違いで、単なるラベルの違いだけではないでしょうか。

桃色蜥蜴さんが提議している問題は、そのような自分以外の「存在」が自身の行動や思考に影響を及ぼす、いわゆる憑依・憑霊は、多重人格の一症状ではないか、ということですよね。

> 守護霊に関しては誰にでもついてくださっています。

これでは、振り出しに戻しただけじゃないでしょうか。

現実に、神や霊を感じる人はいるでしょう。でも、同様に多重人格によって、他の人格が身体や思考を支配してしまう人もいますし、薬物依存症の症状にも似た現象はおきますよね。
その違いは、どこにあるんでしょう。


[1980]  ありがとうございます。  [キッコーマン(気功人)]  10/17

なちゅうーさんへ。

わたしも神様のことは、そんなに意識することなく、のんびりと
日々感謝しながら生活する事が望ましいと思います。
神の世界や心霊の世界を知ったから幸せになれるとは、わたしも
感じないのです。
返って、あまり深く知らない方が生きていくためには幸せでは
ないかと思うようになりました。

ただ、あまりにも神様や心霊のことを道具にして、金儲けをしたり、
恐怖観念を植え付けて宗教に勧誘する人々が多いために、時たま
頭に来るだけなのです。

なちゅうーさんの言われるところの守護神は、わたしの場合阿修羅神
でしょうね。「羊のお面を被った狼」であると、わたしの親しい人間
には話しています。

お礼と感謝の気持ち、これが一番大切だとわたしも本当に感じています。
ですから、他人には「あまり心霊の世界に興味を持たずに、返って知らない
ことの方が幸せなんですよ。」と助言しています。
わたしがよく言ってあげる事は、「自分の家庭を何よりも大切にしてくだ
さい。家庭が幸せであることが、神様やご先祖様が守ってくださる最良の
方法ですよ。」というのです。

なちゅうーさんが言われるように、神の深い世界に一度足を踏み込んだ
者は、重たい十字架を背負うことになります。その十字架を自分が担がね
ばならない使命を持って、生きてきているのでしょうね。
わたしは何度も何度も普通の家庭の生活をしようとしても、神はしつこく
追っかけてきて離そうとはしません。
だから、わたしのような十字架を自分の子供に背負わせないために、
わたしはわたしに与えられた使命を全うして行くしかないのです。

少しでも分かり合える方がいたことを心から喜んでいます。
こんなことを書くと不自然ですが、神を真剣に求めなければ、神に
至る道を悟らなければ、わたしは普通の幸せを手に入れることが
出来ただろうと思います。
何も知らない何気ない人々の幸せが、たぶんわたしに嫉妬心を
与えて、少々強烈な文章となって現れてしまったのかもしれません。

自分という存在をすべて受け入れ認めること。何よりも愛すること。
自分の家庭を心から愛し、家庭の幸せのために生きること。
自分の回りの環境を少しづつ改善し、家庭の幸せを伝えること。

どんなに能力がある人でも、このことが基本ではないでしょうか。
ギリシャ神話の神々の問題は、すべて家庭の中から発しています。
今発生している、イスラム教徒とアメリカの問題、特に中東問題は
聖書の中で発生した夫婦関係と兄弟けんかが元もとの発端になって
います。

知識は人を幸せにしてはくれない。知らないことがその人のためで
あり、知らないから苦しみが少なくていい。世界の問題を知らなけ
れば、今ある現実の自分の生活に没頭することができるのだから。

なちゅうーさん、いろいろ書きましたが、取り敢えずありがとう
ございました。m(_`_)m



[1979]  なんだか・・・。  [なちゅうー]  10/17

なんだか・・・。
霊的現象や神様を語るに破滅だの宇宙の創造だの神のレベルだの対峙だの
そんなむずかしい話しになったら
ああ〜体験しないと判らないとわからないんだなぁ〜
ともう、考えるのも嫌になってしまいますよね。( ´−`)
また体験したことのないひとは、それに反発したくもなる気持ちも分かります。

かなびに訪れる方は、みなさん神社が大好きですよね。
神社に訪れて、お賽銭を払い願い事をする。
そのお賽銭は神社の運営や修繕に役立つ、
神様のために使われるお金です。
いわゆるお礼の気持ちです。

よく、神社のお掃除などをボランティアで続けてくださる方には
その末代までの幸せは保証されます、これが神様のところで
言う守護してくださると言うことです。

私は普通のかたは神様のことを考えるのはそのくらいでいいと思います。
そして、その神社の始まりに興味を持つのもいいことです。
神社だって小さい所はお参りしてくれる方がいないと
寂れてしまうのですから。

それと、守護神、守護霊を誤解している方が多いようですね。

守護神=自分のことを守ってくだっている神の称号を持った霊
    (この場合はきちんと神様の方で、この方を守るとおっしゃいます)
守護霊=自分の事を助けてくださる、仏様
    (自分の先祖の霊とかではなく、観音様やお不動様などの
     きちんとした位の高い仏様がお力になって下さっています。)

守護神に関しては普通は判りませんが
守護霊に関しては誰にでもついてくださっています。

でも、自分の先祖も守ってくださると信じて、仏壇に手を合わせるのは
いいことです。
神棚にも、自分のことを守ってくださると信じて毎日かしわ手を
うつのはいいことです。
仏様は困った時に助けてくれる一番身近なかたです。
感謝を込めてお参りするのはいいことです。

これも、お礼と感謝の気持ちの現れですから。

でも一番大切なのは自分の意志で運命を切り開く努力
なのではないでしょうか?
普通の生活を普通に送れる感謝と努力。
私は神様や、心霊現象を身近に感じるよりこっちの方が
大切だし、幸せになれると思います。

大いなる神様や宇宙や太陽を身近に感じたい気持ちは分かりますが
そんな物を使って何か出来る能力を、役目としておわされるのは
ほんの一握りです。
そういった、能力がある場合は、本人の意思に関わらず
道が出来ていてそうなる運命になっています。
でも、そんな人は表にはでこれません。

ただただ、自分にかせられた重荷や、それを知らせるための痛みに
つぶされそうになりながら
修行にいそしむのです。


[1978]  Re[1974][1959]: 神社による古代史E 『飛鳥の鬼門鎮護の神』  [Setoh]  10/17

> あと、夜都伎神社からほぼ真西、約7kmの奈良県磯城郡川西町結崎にある都留伎神社も未チェックのままなんです。何か関係があるのでしょうか。

これは江戸時代の創建、小祠がポツント。

 守口市大日町の白山神社(しろやま)秋の祭礼のお知らせ
 10月20日 宵宮  山車 やたい 形態 曳き山
 10月21日 例祭  山車 やたい 形態 曳き山 神輿 氏子地域巡航

稚児行列は20日2時から、太鼓は20日午後8時から、
献湯祭、例祭は21日午前10時から、御輿の宮入は
20日午後7時半、両日5時半より神楽奉納
となっております。


[1977]  Re[1975]: 新しい時代には新しい器を用意しよう  [桃色蜥蜴]  10/17

キッコーマンさん
25年ほど前、あるきっかけで座禅とかやりました。
また、武道も一通りやり、今は格闘技から弓術へ移っておりますが、自然との一体感と言うことは実感しております。
霊的交信云々というのは、座禅で言うところの魔境でありまして、それを通り越してこそ道が開けます。
そうした体験から発展途上の段階にあると申したわけです。
他力無用、最後は、自力。
頑張ってください。
Setohさん
写真新しくなりましたね。
なんと砥鹿神社(里宮)の荒羽々気社じゃありませんか。
また、砥鹿神社の感想などお聞かせ下さい。


[1976]  Re[1966][1965][1962]: あくび……か?  [Setoh]  10/17

> しかし人体におけるツボ。風水で云う所の龍穴でしたか!
> ホッホオーウ !! ふくろう状態でアマカネ

 古市場の宇陀水分神社の手水舎の近くに井戸(穴 ツボ)があります。この穴と天空との間には気と云うのか光というのか,天空に向かって出ている(入ってくる)そうです。小生は気がつきませんでしたが,どなたか参詣される時に感じて見てください。

 所で大阪湾沿いの池上曽根遺跡から沢山のイイダコツボが出土したそうですね。
この前参詣した天河弁天神社の鎮座地を天川村坪内と云いますが、円形の地形からの連想で,大陸の仙人の住居であった「坪中天」からとったとか。この壺はクラインの壺だったかも。
 
 天然の壺は瓢箪(葫廬コロ)で,大陸の神話では,伏羲と女カ[女篇の渦のつくり]が大洪水にあったとき,葫廬に入って助かった後、木の周りを回って神婚したとあります。日本ではイザナギ・イザナミ尊の神婚はオノコロ島で柱を廻りました。小生の手元の地図では確認出来ないのですが,山東省の渤海北岸に葫廬島があるそうです。この辺りからのヒントで記紀神話が書かれたのかも。


[1975]  新しい時代には新しい器を用意しよう  [キッコーマン(気功人)]  10/17

桃色蜥蜴さんへ

>その原因を霊的現象として処理すれば、万人に客観的に伝達できない。
>これが問題だと思い提議したわけです。

わたしもある面においては、あらゆることを霊的現象として取り扱うのは
多いに疑問があります。誤った宗教概念に突入すると、水子の霊だの、先祖
の祟りだのとまくし立てて、その人に恐怖観念を植付けて、仏壇だの仏像
だの、魔を切るヒスイだの石だのと、物品販売に繋がりかねません。
病気に困っている人の弱みに入り込んで、神様だの先祖だのと知りもしない
世界のことを、あたかも知っているかの如く話すことは詐欺行為です。
神様やご先祖様を利用するとは、もっとも卑劣なやり方であり、わたしが
一番嫌うことでもあります。

しかし、霊的な問題が世の中にひしめいている事も事実なのです。
この両方の世界をバランスよく見切る、直観力を要する第三の目が
必要となってくるのではないかと思います。
両方の世界を見渡せるバランス感覚を、どうやって養成するかが
この21世紀の課題でもあるかとわたしは感じております。

わたしはかつて、人間のからだに捕り付いた悪霊退治に奔走したこと
もありましたが、今はほとんどしていません。
悪霊との闘いは壮絶な精神的、肉体的闘いであるにも関わらず、難病が
治ってしまうと愚かにも人間はそのことさえ忘れてしまいます。
本人が、家族が命懸けで病気と闘ってこそ、生きる価値があるので
あって、他人が善意を払っても、また同じ過ちを繰り返すだけです。
イエス・キリストも数多くの奇跡を見せましたが、その結果、だれも
十字架場に救いの手を差し延べる者はありませんでした。
奇跡では人は救えないし、また救ってくれないということです。

今、わたしの世代やわたしより若い世代に、本当に素晴らしい若者が
ぞくぞくと出現しています。彼らは与えられた能力をフルに発揮して、
それぞれの道を着実に歩き始めているのです。
わたしは彼らの成長を心から愉しみにしています。
わたし達のような既成の枠を全く超えた、新しい概念を持って逞しく
生きているのです。

>守護霊として人格神としてとらえれば、先程の神の教示に繋がりやすい。
>守護霊=人格神としてとらえるうちは、それこそ霊的(?)に未熟な段階なのでは

ご指摘、ありがとうございます。
わたしはわたしの守護霊を神とは思ってはおりません。
わたしにはたくさんの守護霊達が協助してくれていますが、これはあくまでも
わたしを通して成長を願う協力者であって、神様ではあり得ません。
わたしが霊的に未熟なのは、わたし自身が分かっております。
霊的な世界を、いかにして世の中に正しく誰でも分かりやすく示すことが
できるか、それがわたしの課題であるとも思っています。

もし、桃色蜥蜴さんが霊的世界と交信する術を身につけることが出来れば、
その世界のことを現実のこととして信じることができるでしょう。
神様と実際に交信することができるのであれば、誰が神様を否定する必要が
あるでしょうか。

わたしは、わたしが体得した術を何人かの人に伝承しています。
だからと言って、だれでもが悟り得る世界でも実はないということも最近
分かってきました。
今までのすべての自分を捨て去ることが出来なければ、到達することの
できない世界であるとわたしは感じます。つまり、地球上の中から物事を
発想するのではなく、宇宙の彼方から地球を見て判断する能力が必要と
なってくる と言えば分かりやすいでしょうか。
つまり、全く違った視点から物事を見据えなければ、神様を理解すること
は不可能であると、わたしは自分の経験から断言することができます。

そのためには、責めて一度は地球外に旅立ち、宇宙の彼方へ行って、神様
と対峙して対話する必要があるのです。自分はいつでも宇宙の彼方へ行ける
(既成概念を捨てる)という確信のない人には、本当の神様を見えてきま
せん。

桃色蜥蜴さんは、わたしの発想がおかしいと思われるかもしれませんが、
そう思ってもらっても一向に構わないのです。普通の概念ではおかしい
ことなのですが、わたしが本当に120%できると確信すれば、宇宙が
わたしの中に入ってきます。
弘法大師は宇宙の神である「大日如来」と一体化する瞬間を得ました。
理趣写経?(漢字が出て来なかった)の真髄は、学問で体得できるもの
ではなく、悟りの中ではじめて得られる教典です。

悟るとはすべてを悟るのでなく、悟って行く段階があるとわたしは
感じております。未熟であるが故に、神がわたし達を必要とし、手助け
するのであって、神のレベルに上り詰めれば、その者は新しい宇宙の
創造主になります。
この宇宙の有限なる神から誕生した、新しい神の子、新生宇宙の誕生が
そこから出発するのです。

わたしはそう悟って、今からの宇宙のために現実にわたしが成すべき事
を、現実のレベルで、少しずつこの地域から歩き始めているのです。
今、世界中で新しい命の芽が誕生しています。
この広大な宇宙はその新しい命の芽のために、神様が準備したものです。
この地球の破滅を教訓として、彼らは新しい出発をして行くことでしょう。
そのために、わたしはわたしのできることを準備しているだけなのです。


[1974]  Re[1959]: 神社による古代史E 『飛鳥の鬼門鎮護の神』  [香具]  10/17

kokoroさん、アマカネ!
第6回も興味深く拝読しました。はやくも次回への催促です(笑)。
拙アルバムの画像を、旧布留街道沿いの神社と石上神宮、そして布留川上流の神社と藺生の葛神社に差し替えました。(50枚の制限があるので濃い〜写真類は割合しました)
夜都伎神社に行った頃はデジカメを持っていなかったので、肝心の夜都伎神社の画像がありませんが。熱田さんにはまだ未参拝ですし〜(泣)。
あと、夜都伎神社からほぼ真西、約7kmの奈良県磯城郡川西町結崎にある都留伎神社も未チェックのままなんです。何か関係があるのでしょうか。
http://photo.goo.ne.jp/user/ixtlan


[1973]  カムイ・ワッカ の滝  [焼尻紋次郎]  10/17

 北海道、知床半島の北側、斜里の東にカムイ・ワッカの滝というのがあります。
 日本人には「カムイ=神」となりますので、「神の滝」と誤訳されることしばしばです。
 だが、この意味は「毒水」です。「人間のこころに“ハッ!”」が、カムイ……と意識され、
そういう時間帯が永かったのでした。
 アイヌ語でオオカミは WOSE kamui です。ウヲ〜ッと吠えるカムイです。日本語のオオカミ
も同じようなもんだっしゃろ。


[1972]  Re[1968]: パシュトウ−ン人の儀式  [焼尻紋次郎]  10/17

> 最近 記憶の断片が蘇ってきました。
> 人間の記憶力 結構 すごいと思いました。
> 鍛えれば 自分の過去 未来が読めるようになるかも?
> それは ありえませんね。 ははは

☆ 生まれて初めての REPLY カキコですばい。

 おらは、セールス技術を身につけて、日本ヒエラルキーの外に立つ資質を得ました。
 まだ25歳、東京・飯田橋で内勤事務をしていたとき、中野営業所のセールスに応募してきた17
歳の青年が、入社後すぐにセールスの世界に怯えてしまって、困った所長が本社に泣きつき、困った
営業部長が、おらに「なんとかしてくれ」と泣きついてきました。
 おらはその晩、その青年に深呼吸させたあと、ろうそくの灯をみつめさせ、その間、誘導されるこ
とはけっして怖くないこと、人間にはそのような資質が誰にもあること、おらを信じたらほんま未来
が見えること、今がそれをみる絶好チャンスであることをゆっくりと話してあげました。

 10年前の7月13日、「ナニが見える?」と訊いたら「となりのミヨちゃんと、川岸にあそびに
来ています」という。「いま見えているミヨちゃんの服装や髪形をよくみておきなさい」………。
 そのつぎには、5年後の7月13日へと誘導したあと(ここはダイジなので喋らせなかった)、催眠
から醒ましました。
 「何が見えた?」ときいたら、「青い波板がついた二階へあがる階段があって、ぼくはその下で荷
造りをしていました」との返事でした。「それ、いままで勤めていた出版社じゃないのか?」と訊い
たら「そうです」と目を輝かせて返事をしました。
 「何ならオレがついて行って社長にお詫び言ってあげるよ」というと、もうその青年は未来展望に
疑う余地がないことに自信を得ていたらしく、「いや、自分だけで大丈夫です」と、その翌朝に去っ
て行きました。
 「こんなこと、おらの人生には掃いて捨てるぐらいに湧いて出るのだ」と思っていたので、その青年
の行った先や、その後のケアなど考えませんでした。

 瀬戸内っつぁん、ミナシャン、催眠で死んだ後の世界を見てみてみんカネ。
 精神文明にはいろんなジャンルがあります。ひとつだけを専売にすると、足をひぱられ、また他人の
足を引っぱる関係に陥ってしまいます。「これが人類の進歩におおきな障害になっている」……と気が
ついて鏡をみたら、シワくちゃよぼよぼのジジババだったりして……。
 こんなリクツ……、やってみなくてもワカルやろ?

 「人間にとっての影響力が“神”である」と定義したオトコが、まもなく わがベッド脇にきます。
 高橋稔です。『ユー・アイ』>『ユー・アイカラー』>価値観に書いています。
 ボンテンさん(霊界で誘導してくれるというアレ)とも縁を切って、自我の中核を得たオトコです。
   http://www.you-i.org


[1971]  因果  [桃色蜥蜴]  10/17

キッコーマンさん
モノゴト原因があって結果がある。
原因のない結果はない。
その原因を探ること。
その原因を第三者に客観的に伝達できてこそ
英知が結集できる。
その原因を霊的現象として処理すれば、万人に客観的に伝達できない。
これが問題だと思い提議したわけです。
神の教示。
この言葉から派生するもの、すなわち、選民思想です。
自然との一体感とは似て非なるもの
自然と一体化し、万物を認め、万物の現象を読む。
これが、日本古来からの八百万の神祭りの姿だと思います。
守護霊として人格神としてとらえれば、先程の神の教示に繋がりやすい。
守護霊=人格神としてとらえるうちは、それこそ霊的(?)に未熟な段階なのでは



[1970]  なんとなく・・。  [なちゅうー]  10/17

こんばんは。
瀬藤さんから依頼されてコメントいたします。

霊感ってゆうのは目に見えない物なので、ホントに困りますね。

霊感には2種類あっていわゆる、自縛霊が見えたり、のりうつったりという
仏の霊感と、病気を治したり、霊的に物事を解決するのは神様の霊感があります。

神様の霊感はその能力とともに人類発祥の頃から輪廻転生を繰り返し
その人個人に脈々と受けつがれているのです。
なので初めから決められている物なのです

ひとつ言えることは、神様の霊感があると、良くも悪くも、人生がそれに
大きく左右されてしまいます。
人生にレールをひかれてしまう感じですかね。
また、それにこだわる事により普通の生活が送れなくなり不幸になります。

なんとなくコメントしてみました。
ではでは。



[1969]  桃色蜥蜴さんへ失礼しましたm(_`_)m  [キッコーマン(気功人)]  10/17

桃色蜥蜴さん(様?)、「さん」を付け忘れて大変失礼しました。
心よりお詫び申し上げます。m(_`_)m

わたしの本業は、大型工場から農業用水などの業務用水処理器から
家庭用水処理器(水道管元付)の販売であります。。大分県下に各種
メーカに代理店になってもらうのがわたしの仕事でございます。
その他、微生物資材や「水」に関係する様々なことをしております。

わたしの年齢は36才で3人の子持ちであり、「真空導引術」や指圧、
マッサージはわたしの特技であり、決してわたしの職業ではありません。
ただ、この能力故にどこに行っても生きていけるだけの自信はあります。
わたしの願いは、日本に住んでいる人が病院を頼りにせず、自分達の
家庭の中で健康を維持できる能力を共有出来ないか、そのことを考えて
家庭で出来る健康法を編み出しているところなのです。

人間にとって、果たして奇跡は必要かと言えば、そんなものは必要ない
とわたしは思います。奇跡を信じて生活するよりも、現実の世界に着実
に根を下した方がどれだけ、人の助けになることでしょうか。

神を闇雲に信じることは、わたしから言わせてもらえば、「お前はバカか」
と言いたいことも山ほどあります。神は信じるものではなく「神を実感せよ」
とわたしは言いたい。神を語るのであれば、神を実感した者が語るべきで
あって、聖書の中に、教典の中に、古文書に中に、神は決して存在いない。
守護霊や高級霊、過去の霊人のことも、どんな難しい本を読んだからと言って、
それを理解できることでは決してない。
りんごも見ただけではそのおいしさは知ることは決して出来ない。
りんごをかじって、それもたくさんのりんごをかじることで、りんごの本当に
味を知ることができるのではないでしょうか。

悪霊のような「腐ったりんご」だけを題材にする愚かな者達は、決して神聖な
世界を垣間見ることはできるはずがない。「腐ったりんご」だけしか食べたこと
がない者が、どうして本物のりんごを知ることができるのだろうか。
成長ホルモン剤と抗生物質だらけのブロイラーの卵しか口にしたことがない人
は、この卵がおいしいと感じてしまう。放し飼いの健康な地鶏の卵は味が濃くて、
色が異様に濃くておいしくないと言ってしまう。
本物を知るためには、何よりも育つ環境が重要なのだとわたしは感じる。

わたしはこれからの子供達に、失われた本物の世界を実感させたい。
誤った大人の固定概念など必要ない。古いしきたりなど必要ない。
しかし、日本人の中に培われていた古き良き伝統は復興すべきである。

「南無阿弥陀仏」とは何か、「南無妙法蓮華経」とは何か、唱えながら
その意味を知らない人々があまりにも多過ぎるように感じる。
本当に仏になることを願うのであれば、そのことを自分で悟るべきで
ある。それを知らずして、死んだら仏になるとは何事か。
わたしはクリスチャンであるというなら、キリストに聴くべきである。
「あなたは本当に再臨するのか」と。「あなたは死ぬために来たのか」
と。

わたしが神であれば、仏であれば、あまりにも愚かな人間に対して
どれだけの天罰を与えることだろうか。神が創りたもうこの神聖な
地球をこれだけめちゃめちゃにして、あらゆる環境を汚染し、破壊
してしまった。
わたしは思う。必要な人間は14万4千人だけであると。
この数字の意味は、神のなぞなぞかもしれない。

わたしの怒りは時に頂点に達して、阿修羅の如く、龍神の如く強烈な
怒りとなって発せられてしまう。どうしようもない。
縄文時代、弥生時代、日本中の至るところで汚れを知らない神聖な水が
溢れていたのに、今は見る影もない。
豊かな土壌は汚染され、大地は血を流して泣き叫んでいる。
大地の深い悲しみに耳を傾ける人がどれだけいるのか。
山河や海の苦しみに誰が本当に耳を傾けているのか。
それを聴くことができなければ、私たち人類は大きな清算を受けることに
なるのではないだろうか。目には目を、刃には刃を。
大地の怒りは大地が叫び、空の怒りは空が狂う。水の怒りは自らの体内の
水が汚染されることだろう。動物や植物の流した血は、わたし達の血の
代価で清算されることだろう。
神にも仏にも頼ることはできない。決して救うこともしない。
人間の責任において、人間自身が責任を持って清算するべきことなのだと
わたしは思う。神が奇跡を起こすことはあり得ない。神に頼ることは人間
のすべきことではない。
神を助けることが人間が成すべき、本来の使命ではないのか。
「神を助ける者を神は助ける」のであって、すがる人間など全く持って
必要としていない。わたしはそう感じている。

わたしは神が願うのであれば、地獄でも行こう。命の救いを求める人間
は多いが、神のために地獄に行く者は皆無に等しい。
地獄がなぜ怖いのか。それは地獄を知らないからである。
今のこの世の中の地獄に比べれば、あの世の地獄の方がまだ救いがある
とわたしは感じる。

止め処のない変な文章になってしまいましたが、これはわたしの正直な
気持ちであって、だからと言って、わたしが記載したことを信じる必要
は全くありません。
「信じるものは救われない」 「悟りを開くものが救われるのである」
すべては自分が今何を悟るかであって、確証のないものを信じても
真実の救いは果たして見えてくるのだろうか。

あなたを天国に導いてくれるのは、あなた自身であって、他の誰が
あなたを天国に案内してくれるのか。決して他人に左右されず、
良きものはどんどん吸収し、悪なるものは捨て去ることが得策で
あると、わたしはそう感じている。それだけである。

このわたしを信じても救いはない。あなたはわたしではないのだから。



[1968]  パシュトウ−ン人の儀式  [瀬戸内]  10/16

話題がかわりますが 今 世間を騒がせているアフガンに関して。
旧ソ連が侵攻する以前ですから 25年以上は前かと思います。
彼らの儀式(訓練?)が雑誌に載っていました。
それは 子羊を馬に乗って奪い合うものです。
最近 記憶の断片が蘇ってきました。
人間の記憶力 結構 すごいと思いました。
鍛えれば 自分の過去 未来が読めるようになるかも?
それは ありえませんね。 ははは


[1967]  屁ポコ・ほっホ−  [焼尻紋次郎]  10/16

 爺イからオナゴにされちゃったヨ。

 キッコーマンさんも、蜥蜴しゃんも二人とも、おらの言うことには不審を感じたはずだ。
 キッコーマンさんはとしをミナシャンに告げてないが、その若さでアッチの領域をかいま見た
という実績はすげぇ。しかも、他人の暗示なしで一種の高みを得られたことはスバラしい。
 また、キッコーマンさんは、職業は別に持ってござる。このことも、ミナシャン尻めぇ。
 導引と言ったり、引導と言ったりも並みのグルじゃないシルシだ。
 その調子なら一般人が錯覚ナシで会話・通信できることばが、或いは開発されるんじゃないか
……との期待見込みが強いハンデおらはモノ言う。
 いまの世の中、右を向いてもひだりを見ても、心霊もチョ−ノーもゼニまみれ。そのくせ公営
バクチ場に出かけて行って、当たり券を予知してゼニをかっさらって、それを精神文明高揚に役
立てる特攻隊は、ひとりとして輩出していねぇ。
 「何のためにハグレ暮らしをやってんじゃ、オンドレヤァ〜」ちゅうちド突きあげたい。
 「ソンナコト、神様ガお許シニナリマシェン……」。おきやがれってんだ、コンチクショー!!
 経済をこの世にゆるした“神”の責任はどうなるんじゃい!?

 言っときますがネ、ミナシャン。これからさきのエスパーがホンモノかどうかを見極める目ぼし
はこのドバ荒らしをやれる人物かどうかです。まことに簡単カネ。

 あっちの岸は人跡未踏、ウンコだらけかもしれないし、ぶひゃぶひゃのドロの堆積かも知んねぇ。
 そこを、「こっちの水(掲示板)は甘ァまいぞ」と、基盤整備しているのが蜥蜴シャンだがね。
 特殊ニンゲンの通過儀礼じゃ、皮むきの割礼といっしょじゃ、アマカネぞな。

 おらは漢字オンチで、漢字の読み方を質問するたびに「愚紋(問)だ」とヘポコ(嫌う)されて
愚答(シガンかけ)もしてくれなかった。『かむなび』ちゅうのはあんがいドタマ固いんです。
 だが、あっしがおる限り、鼻汁かけぐらいはやらせてもらいまっさぁ〜。

 「ホッホ〜」まで言えないうち、長くなったのでアマカネ。
 「○○さん」のことは http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi で「ほにゃらか」。


[1966]  Re[1965][1962]: あくび……か?  [習志野のてつ]  10/16

>  神祭りや神社(の発祥の歴史)にも関わるお話で,歓迎しております。
>  古い神社の立地は人間の体で云えばツボにあたるそうで,古来の人間は
>  対人間ではなく,神と見なした天空や大地との交感の場として祭りの場
>  を設置し維持していったのでしょう。

神社の近くや、敷地内によく遺跡がある。親亀・子亀・孫亀
縄文時代の遺跡に、弥生時代の遺跡が乗り、更にその上に古墳が乗る。

理由としては次の様な事を考えていました。
@. それまで存在した祭祀を否定する為、わざわざそうする
A. その場所の環境が良いので、敢えて同じ地で祭祀を行う
B. その複合型
しかし人体におけるツボ。風水で云う所の龍穴でしたか!
ホッホオーウ !! ふくろう状態でアマカネ

話は変わりますがツボといえば
イイダコ撮る為の蛸壺、大阪湾で弥生時代に発明したらしい
さすが、「たこ焼き」の本場です。この発掘される状況が
蛸壺文化の発展を告げる? 今興味を持って調査中です。


[1965]  Re[1962]: 屁は尻のあくび……か? [Setoh]  10/16

カシコネ紋ちゃん>心霊たのチョ−能力を『かむなび』で話題にすること、態度表明……どな。

 神祭りや神社(の発祥の歴史)にも関わるお話で,歓迎しております。古い神社の立地は人間の体で云えばツボにあたるそうで,古来の人間は対人間ではなく,神と見なした天空や大地との交感の場として祭りの場を設置し維持していったのでしょう。
 小生は鈍感人間ですが,神奈備オフ会の神職兼女神は霊感があるそうで,ヒーリングと音楽との関係などいろいろ試みておられるようです。霊力とα波辺りとは大いに関係しそうですね。大いに興味を持って論戦に聞き耳の状態です。

 所で,オモダル,カシコネと云うペアー神が居ますが,アラビア語でオモダルは船長,カシコネは船乗りの女房だそうですね。手紙の末尾の「かしこ」もカシコネからだとか。


[1964]  かなりお怒りの誤用ス?  [桃色蜥蜴]  10/16

キッコーマンさん
桃色蜥蜴に「さん」をつけるの忘れてますよ。
感性はないよりあったほうがいい。
でも、理性でコントロールできなければ、それは凶器。
癒しとやらはできません。


[1963]  桃色蜥蜴へのちょっとした反論  [キッコーマン(気功人)]  10/16

>東洋医学ということなら解ります。
>それを守護霊だのチャネリングだのと分けの解らない事を結びつける
>から精神的な病だというんです。

わたしは東洋医学や気功の優秀な先生を何人も知っていますが、その方達
から直接、東洋医学とか気功を学んだことはありません。
その方達から治療を受けている中で、ひらめきが生じて、わたしなりの
マッサージ療法や指圧療法、導引術(古典的気功舞踊)を体系化していき
ました。

特に導引術は言葉さえ知りませんでしたが、わたしが30才のときに、
2,000年前のわたしの守護霊謝ビンラン氏より3日間の直接指導の元
で基本的なことを修得させて頂きました。その基本をベースにして、
わたしなりの導引術を体系化して行ったのです。外気功の方法も独自に
修得したものであり、わたしは既存の気功法を習ったことはありません。

桃色蜥蜴さんが信じる、信じないは別にして、守護霊やチャネリング
=> 精神的病気とするのは、少々乱暴過ぎるのではありませんか。
日本のマスコミや報道によって、情報操作されているところもあります。

例えば、レイキというハンドヒーリングは、米国やヨーロッパでは医学
的に認められていて、病院の治療で数多く活用されています。その中に、
ハイヤーセルフという高次元の存在との交信みたいなものもあります。
レイキ(霊気)は元々、日本で発祥しながら日本で廃れて、米国、欧米
各国で体系化されて日本に逆輸入されています。
日本の良き伝統をもう一度、科学的に立証しながら復活させるときが
来ているのだとわたしは感じております。

例えば、「イスラム教=過激」という認識ではなく、イスラム教徒にも
素晴らしく優しい人もいれば、過激な人間もいる。人それぞれを見て
判断すべきだとわたしは思うのです。
「守護霊を語る人はすべて精神的病である」 というのは、多くの
優秀なお坊さん達も否定することにもなり兼ねません。
たしかに、精神的病気にかかっている人が、守護霊がこう言っているとか、
変な声が聞こえるという人が多いのが事実ではありますが、わたしは
そのような人との関わりはしていません。

もっと日本の未来を、現実を見据えて働いている会社の経営者と会話した
方が人間的に成長できるからです。現実問題とそれの対策、精神的世界を
バランス良く理解することが必要ではないかとわたしは思います。

これはあくまでもわたしの考えであって、同意する必要もありませんし、
否定する必要もありません。みんながそれぞれの考えを出し合って相手を
理解することが大切であって、自分の意見をはっきり述べることも必要
かと思います。そうする中で、お互いの本心が見えてきて、それぞれを
理解することができるのだろうと思います。

言葉だけで相手を理解するのは本当に難しいことです。
ですから、数多くの対話を繰り返し、繰り返し、だんだんと相手の真意
や育った環境から来る発想方法が見えてくるのだろうと思います。

桃色蜥蜴さん、みなさん、これからもよろしくお願いします。
カチンと来ることがあるかもしれませんが、若輩者と思って大目にみて、
末長くお付合いくださいませ。
どんな人間でも、どこかにいいところはあるはずですから。m(_`_)m



[1962]  屁は尻のあくび……か? [焼尻紋次郎]  10/16

 先祖の人数を数えてみる。すると700年前には3億人もの先祖がいた。
 2000年前には……あ、おら数字オンチじゃった。そのゴマン何万もの先祖のなかで、なんで
有名人だけが「おらの先祖だ」との意識の座を占めるんカネ。み〜〜んないっしょや、いっしょ。

 戻って来れるンやったら、退屈しのぎに錯覚覚悟で洞穴探険もいいじゃん。
 「え〜〜、宗教屋でござい」とか「え〜〜、超能力屋でござい」とモノウリがよく脇道を通って
行く。「どんなキンギョかね」と声かけたら、「オレの乾分にならんと教えたらん」とぬかす。

 共通体験がある場所……素朴的実在論の領域でことばは生まれでました。
 同じ呼び名の“気”といっても、まだまだ今は21世紀カネ。宗教家どうしがコロシ合いぞな。

 オトコが「好きだ嫌いだ」いうなぁ、おらは好きでねぇんだが、好き嫌いでよか、瀬藤席亭は
こういう心霊たのチョ−能力を『かむなび』で話題にすること、態度表明……どな。
 おらはぁ、なんぼでもカキコすることあるばってん。

 ところで、ミナシャンに約束した「ネパール語 / 日本語・アイヌ語対比一覧表」はドンパチ
のあおりぶち喰らって、拙速に仕上げました。
 「日本語で1260ペアは下らん」と思っていたにィ、同じ意味の語彙を極力集めるように計っ
たところ、類似語彙数が激減しちゃった。1050ぐらいしかない。こいつぁバツわりいや。
 そこで、もいちど真剣になって類似語彙を集める作業に没頭ちゅうです。
 そこでいま、アタマ抱えているモンダイ語……。ネパール語で、あくびは HAI という。アンタ
これ日本語の「屁」に似いちゅうと思うカネ。


[1961]  要らぬ世話かもしれませんが  [桃色蜥蜴]  10/16

気功人さん
盲学校で按摩、鍼灸を学んで、そのあと怪しげなものに手を染めてって例もあります。
誰とは言いませんが...
そう言う見方もあるんですよ。


[1960]  Re[1957]: 聞いてみてよかった。  [桃色蜥蜴]  10/16

りんさん
私の住んでいる穂国(東三河)は、その丹波道主王の子・朝廷別王(ミカドワケノミコト)と関わりがあるわけです。
私の周りにも霊的(?)なものに悩んでいた人いましたが、逆に理性的に考えるようになり、治ったって言う人沢山いますよ。
霊的というより勘が鋭いって言うんですかね。
武道とかでも、普通の人がわからなくても、ちょっとした気配で相手の動きがわかるんです。
でも、それは、決して、特殊なものじゃない。
武道とかは、訓練によって体得するから自覚してる。
主体的に体得したものは、説明がつくから、分けの解らないもの持ちさないんです。
りんさんみたいに自覚してなくて身につくと、りんさん思うように何か不可思議なものに結び付けてしまうんです。
俺は、三河の香具師の元締めの血筋で酒呑童子=道宗(サンカの始祖)→丹波道主末裔等、異伝承聞いております。
丹波の話興味あります。また、丹波の話お願いします。


[1959]  神社による古代史E 『飛鳥の鬼門鎮護の神』  [kokoro]  10/16

 9月27日の『神社による古代史D』の続きです。
 前回、小子部連系らしい道場法師には平城京の鬼門鎮護の聖人という観念がある、と指摘しました。ではなぜ、そのような観念が生じたのでしょう。
 この『神社による古代史』が扱っているのは、天武天皇の晩年から平城京造営の頃まで、西暦にして7世紀後半から8世紀初頭くらいまでの時代です。ところで、この頃の日本では、道教がかなり盛んで、特に天武天皇の治世ははじめて占星台が置かれるなど、この隆盛がピークに達したといわれます。鬼門(東北)も道教起源の考え方で、陰陽五行(木火土金水)が陰気である水気(北)から陽気である木気(東)へ相生する際、陰陽の切替わりが起こるため「気」が乱れやすく、邪気が溜まるとされます。
 中国の『山海経』という奇談集に、こんな説話があります。中国の東方数千里に「度朔山」という山があり、その山の上に枝が三千里にもおよぶ大きな桃の木がありました。そして東北に伸びたその巨大な枝の方に門があり、そこから鬼達がこの山に出入りしていたそうです。天帝は神荼と鬱塁というニ神に命じて、この門の見張りをさせましたが、二神が休息している時には鬼が侵入してくるともいいます。この話には、門から出入りしたのは鬼達ではなく死者の霊魂であったというバリエーションもありますが、いずれにせよこの話が鬼門という言葉の語源なのだそうです。元興寺に伝わる道場法師の伝承は、この『山海経』の説話がモデルになっているのが感じられでしょう。
 さて、家相学では今でも、家の鬼門に植物を置くことを奨励します。植物は木気を象するもので、鬼門にそれを置けば陽気発動へテコ入れできるのです。ゴチャゴチャした説明は避けますが、とにかく風邪にパ○ロン≠ニ同じく鬼門に木気≠ニ覚えて下さい。ところで易学で木気にあたるのは「雷天大壮」の卦で、これは強大な天の上に雷鳴がとどろき、陽気が盛んに発動している状態≠ナす。このため、雷も木気の代表的な象意ですが、小子部連は前回説明したように雷と縁が深く、このような氏族を鬼門鎮護に当たらせるのは、やはり鬼門に木気≠フ呪術たりえます。小子部連系で雷神の子とされる道場法師に、鬼門鎮護の聖人≠ニいう観念があるのはこうしたことと深い関係があると思われます。
 ここで、神社の話に戻りましょう。前回のカキコで出雲建雄神社と夜都伎神社の祭祀氏族は、道場法師の出身氏族と同じく小子部連だったのではないかと示唆しました。とすれば平城京と道場法師の関係から類推して、2っの神社も宮都の鬼門鎮護に関わっていた可能性があります。両社の上社は日の谷という場所ですが、『日本の神々4大和』に、「現夜都伎神社の東方には <中略> 「夜都留伎」神に比定される長滝町日ノ谷の竜王社があり…(P320)」とあり、この記事から日の谷は、天理市長滝町の集落からやや北方とみてよさそうです。地図を開けばその近辺は、藤原京や浄御原宮など飛鳥地方にあった宮都の東北、すなわち鬼門に位置しています。そこで今後、2っの神社は飛鳥地方に営まれた宮都の鬼門鎮護と関わりがあったとして話を進めます。実際に『石上振神宮略抄』によると、出雲建雄神が朱鳥元年に日の谷に降臨したとき、「是地に天降りて帝都を保ち諸の氏人を守らしむ」と言っております。これは「宮都の鬼門にあたる日の谷を鎮護し、帝都と人心を平静に保つ」の意ではないでしょうか。
 ところで、飛鳥地方の宮都の鬼門鎮護に関係があった≠ニいうのが重要なのです。すなわち、飛鳥にある藤原京から奈良の平城京へ遷都した際、平城京はこの二つの神社より北に遷ったので、これらの神社はもはや宮都の鬼門鎮護の役割がはたせなくなります。その結果、両社の祭祀の意義も当然に変質を被ったはずです。『石上振神宮略抄』によれば、夜都伎神社の御神体は比礼が八つある小刀子≠ナした。おそらくこの小刀子こそ八剣宮に祀られている宝剣ヤツルギ≠セと僕は思うのですが、遷都による祭祀の変質に伴い、この剣を夜都伎神社で奉斎する意義がなくなったのです。そしてそのために、この小刀子を八剣宮に移すことになり、それが、「多治比眞人池守と安部ノ朝臣宿奈麻呂等が和銅元年9月9日、勅命により神剣を奉献し八剣宮を創祀した」、という『尾張志』の記事に繋がるのではないでしょうか。
 もちろん、それだけでは説明できていない事柄がまだまだたくさん残っています。例えば当該小刀子を夜都伎神社で祀る意義がなくなったにしても、とうしてまたそれを尾張に移したのか。また、草薙剣とヤツルギの関係、とりわけ後者の前者に対する二重性の問題。それから、草薙剣は出雲建雄神社及び夜都伎神社の祭祀にどう絡んでくるのか。さらに『石上振神宮略抄』にある夜都伎神社の由緒には出雲のことが出てきますが、この出雲の問題等々。こういったことについては、また考えていこうと思っています。
 次回は前回予告してできなかった、クズ族を扱う番外編を予定しています。布留川上流域の3っの九頭神社や、吉野町南国栖にある浄見原神社等の話です。この連載も長くなりましたが、番外編を入れてあと3回で終了させるつもりです。

☆ 引っ越しました。


[1958]  ひさしぶりの書き込み  [玄松子]  10/16

人は誰でも、自分が信じたいものしか信じないもんなんだなぁ。


[1957]  聞いてみてよかった。  [りん]  10/16

 ∞は気の流れだったんですね!
 「そうだ」とピンときました。
 古神道のメル友も∞に揺れる事があると言ってました。
 
 私の先祖は、2000年前は中国にいたので引導術といわれるもの
知っていたかもしれませんね。 
 卑弥呼の時代に「帰化した」となっているので。

 この掲示板に書き込みしたのは、キッコーマンさんの過去ログ
を見て、私の事も書いていいかなと思ったのと、私の両親が宮崎
県串間市出身だからです。

 キッコーマンさんの言われた「何かを教えようとしている」と
いう事と、「正しいかどうか判断しなければならない」という事
は、同じ事を御住職からアドバイスを受けました。
 気功なのかどうなのかわかりませんが、その御住職も体を治し
てくれます。どうしても治らない肩凝りなど大変助かります。
肩凝りもあまりひどくなると頭痛まででて本当に辛いものですか
ら。

 私は心霊現象を目の当たりにし、困っている人をたくさん見て
きているので、「ある」と思いますが、助けを必要としない方が
「信じないぞ」と言っても「そうだろうな」と思います。
 困って助けを必要とする人が助かれば、それでいいので、皆が皆
信じなくても構わないと思います。
 ただ、正直いって「霊能者」と言われる方の中には「?」と思う
事はあります。

 私の住んでいる所は、氏神様が「妙見神社」の本山です。
 御存知かもしれませんが、祭神が北極星、北斗七星です。
 数ある祭神の中に「丹波道主命」がおられます。
 丹波には「天の羽衣伝説」が北斗七星の化身だと言われているの
でしょう?では、なぜ本山が丹波ではなく、ここ福岡県なのか?
 道鏡事件で和気清麻呂伝説の残る山にあるんです。
 諸説ありますが、次期天皇を占う御神託を何故、伊勢神宮でなく
わざわざ宇佐神宮まで遣わせたのか?
 聖徳太子の母上も丹波の出身らしいし、宇佐神宮は、太子の側近
であった秦氏が大きく関わっていますよね。
 この辺なんかありそうだと思うんですよ。
 答えはまだでないんですが・・・。


[1956]  穂の国歩かれましたか  [桃色蜥蜴]  10/15

言ってくだされば、案内しました。
穂→宝→豊だって言われてますよ。
豊橋は、明治に入ってから、それまでは吉田です。戦国時代以前は、馬見塚
豊川は、中世ぐらいからですね。
ところで、奥宮はいかれました?
奥宮の荒羽々気社は、場所も奥宮の手前の一等地(もっとも今はスカイラインで行っちゃうから奥宮の下)、社も人が入れるぐらいの大きな立派なものですよ。


[1955]  ホッホッウ  [Setoh]  10/15

 穂の国を歩いて来ました。気がつかないのが不思議ですが,豊の国でもあるんですね。地名に「豊」が多くついています。豊橋,豊川、などなど。いつ頃から「豊」がはやったのでしょうか,なぜ「豊」なんでしょうか。まさか穂→宝→豊ではあるまいし。太閤さんもこの辺りだったか,豊臣ですね。
 砥鹿神社里宮では荒羽々気神社が何とも門番的な場所におかれていましたが,草履など一切ありませんでした。社宮社は神職さん三人とも初耳に近いようなお話ぶりでしたが,それでもで文献を調べていただき,江戸時代に近くには鎮座していたこと,多だし合祀の記録は神社にはないようでした。
 参拝に来られていたインテリ風の女性にさりげなく聞きますと,この神社の北の方にすこし行ったところにあり,昨日がお祭りだったですよ,との実に明快に教えていただけました。


[1954]  東洋医学  [桃色蜥蜴] 10/15

東洋医学ということなら解ります。
それを守護霊だのチャネリングだのと分けの解らない事を結びつけるから精神的な病だというんです。


[1953]  気功に関する事項  [キッコーマン(気功人)]  10/15

日本のマスコミがやたらと気功について、大袈裟な報道をしたり
していますが、気功は誰でもができることであり、あまり特殊な
能力ではないのです。気を鍛錬することで、人によって様々な
特殊能力(深層意識の潜在的能力)を発揮することができます。

わたしの場合、相手のからだに手を当てて気を流すことで病気の
箇所を当てることができますが、これは以前の日本の伝統医学では
当たり前のことだったのです。
手を当てて気で治療することは、わたしの曾ばあちゃんも当たり前に
やっていたことです。
中国の北京医科大学の中医学専攻課程では、中国針、温灸、気功は
必須項目であって、気の能力は科学的にかなり研究されているようです。
必須項目に中国針一本で外科手術箇所に麻酔をかけて、切開する実技
もあり、わたしは医学が一番進歩しているのは中国であると判断して
おります。漢方の世界は現在日本でも広く普及するようになりましたが、
その理論は驚くほどの科学的要素を含んでいます。
今存在する人間の能力の限界で、科学的に証明できないから否定すること
は簡単なことですが、20世紀の科学重視主義、人間至上主義の結末は、
あらゆる面における環境汚染の嵐となってわたし達に返ってきました。
21世紀は、今まで人間が解明できなかった未知なるものが、科学的に
表に出てくるようになるでしょう。

それでも、信じない人は信じない。信じる人は信じる。迷いの生じる人は
迷い続けるだけです。選択するのは人間自身であり、神も仏も救うことも
関与することもしません。自ら自分の運命を決定すればよいことであって、
他人に責任転嫁する必要もないし、他人に押し付ける必要もありません。
わたしが信じる道を勇気を持って前進できる人間が、真の意味でこの21
世紀を生き残ることができるのではないでしょうか。

わたしはどのようにでも、どこでも、どんな環境でも生きていける能力を
持っているならば何も怖いこともありません。例え自分の肉体が死んでも、
生きる力さえあれば、どんなかたちをしても再びこの地上で生きる事だって
可能なことなのです。これはあくまでもわたしの感性の話しであって、他人
に押し付ける気持ちがありませんので、何も信じる必要はありません。

日本で公表されている「気」の能力がすべてであると勘違いしているかも
しれませんが、「気」は人間の、生命の未知なる能力を発揮できる無限の
力を持っており、個人個人によって本来備わっているものなのです。
本当に高い能力を持った先生たちは、自分の今ある生活に没頭している
ため、マスコミに出てくることはほとんどありません。
人を助けるために昼夜無く身を粉にして働いている先生達が、そんな暇は
ないのです。少なくともわたしの知っている優秀な先生たちはそんな方々
ばかりですが・・・

わたしは気功に触れて、まだ7年目のひよっこですが、それでも気功教室
を開いて、ある理事長とか社長とかのからだの癒しをしております。
催眠術なんて知りませんが、気功だけで腰痛や肩こり、足の腫れなどは
10分もしないで治すことができます。今の病院は肩こり一つ治すことは
できません。痛み止めを打って、シップを貼るのが一般的ですが、これも
日本では治療と言われているようです。


[1952]  Re[1951]: RE  [瀬戸内]  10/15

> >霊能力だとか称してるヤカラ
> >どうでもいいことには、首突っ込みますが、なんでいま話題のウサマ・ビンラディン氏の>潜伏先とか霊視だか透視だかやるヤツいないんですかね。
> >ありゃぁイカサマですぜ。

事実は小説よりも奇なり
意外と特殊能力を活用しているのではと思います。
本当の能力者は、あまりTV等には出てこないと思います。
生命を狙われる可能性がありますから、用心深いと思います。.


[1950]  特殊能力  [桃色蜥蜴]  10/15

霊能力だとか称してるヤカラ
どうでもいいことには、首突っ込みますが、なんでいま話題のウサマ・ビンラディン氏の潜伏先とか霊視だか透視だかやるヤツいないんですかね。
ありゃぁイカサマですぜ。


[1949]  IK(1)AKHA(目)SI(人)KO(の)ミコト  [焼尻紋次郎]  10/15

 去年、おらの友人 K が「多重人格現象は病気ではなく、やっぱ心霊的現象だ」と言った
ので、「そのことを『かむなび掲示板』に今すぐ書け」と手電したのでしたが、やっぱその
発言は他人の受け売りだったのか、カキコなかったのは残念デシタ。

 ここは「ことばが通じる掲示板の世界」のはずです。ですから、“一種の病気”と置いて
みることはリクツ(ベロごと)展開のうえで不可避必然のコースでしょう。だから、おらは
そう言いきったニィチャンの発想と勇気をまんず讃えなならんと惟ふ。
 そして「無理からぬ」と判断されたりんさんの、自然な佇まいがこれ又いいねぇ。
 おらたちは、このようにヤミクモに放り出された状態に「まず、あった」……。ここの事
実認識がダイジかね。それを個人単位の30年か50年の研鑽の成果だけで、ことばに顕わ
して悟ったようなツラする“猿”の顔にはペッと鼻汁(ネパール語 ; シガン)かけてやりた
い。
 日本のシシミ(修験・神道・密教)のいいところは、神というえたいの知れないものへ、
人間くさいベロを絡ませないことでしょう。ただ尤もらしく、人間としてできるかぎりの神
域をこさえておく……、そして「これ(ことばでは言えない)わすれるな」と、1200〜
1500年間、そのダイジを継承させ続けた。
 もちろん、その「ダイジ」はこんご人類の総力を傾注して開発せなならん。

 だから、ことばで固めつくしたようなヒトゴロシ集団には、即効的なことばはナニも持た
ない。でも、國ができ始めてこのかた、列島こぞってこの偏執を護ってきた日本は、相手が
一神教であろうとなかろうと、宗教教義のちがいによるケンカの仲裁役にはピッタシの資質
を備えていると言うべけんや。
 瀬藤席亭よ、あのケンカなんとかしなせぇ。イカガシコオのミコトカネ。


[1948]  気?  [桃色蜥蜴]  10/15

私も格闘技をはじめ武道をたしなみますから、呼吸法により潜在能力を発揮できることは経験的に知ってます。
これは、五官以外の精神的集中によるものであることはみとめます。
しかし、相手のからだニ触れないで云々というようなものは、催眠術等の暗示をかけているのをあたかも気などといって説明しています。
多重人格も完全にそのメカニズムが解明されているわけではありませんが、あれも1990年ごろから多くなっているんじゃないですか?
今の科学で解明できないものを神秘とするのではなく、第三者に客観的に説明できる方法をとるのが、懸命だと思います。
丹波の話面白いですね。興味アリアリ


[1947]  りんさん、ひふみさん、霊媒体質の回答  [キッコーマン(気功人)] 10/14

焼尻紋次郎さんがわたしの心を呼んで頂いたみたいで、ありがとう
ございます。
りんさんの霊媒体質ではないかという件ですが、これは気功を中の
高度な精神状態で発生する「自発動」というものです。

>私の嫁ぎ先は、大昔、宇佐神宮の宮司をしていた様な家系なので、
>現在、神棚に御祀りしています。
>神棚を拝むと決まって、∞を手や頭や体が動いて示されます。

わたしもりんさん同様に「自発動」によって、頭のてっぺんから足先
まで『∞』を中心に回転させて、からだの調整を行なっていますが、
この基本的な動作は、中国で気功のルーツになった2,000年以上
前からあった引導術(気を感じてイメージしてありのままに踊る)に
通じています。
引導術を極めて行くと、相手の気を読みヒーリング(気の癒し)をする
ことができるようになるのです。これは古典的な陰陽道に通じるところ
ではないでしょうか。
引導術は特に害があるものではなく、心を空にしてあるがままの精神状態
(無我の境地)にすることで、からだのひずみなどの矯正もしてくれます
が、ただし、最初のうちはしっかりした指導者に正しくみて頂いている
ことが大切だと思います。
わたしはちなみに、真空導引術の師範代をしておりますので、少しでも不安
な点があればメールでもください。

>それと、籠神社、聖徳太子、キリスト、古代遺跡などの本やテレビを見ていると、 
>自分の意志ではなく左目をつむります。

これは高次元の守護霊または高級霊があなたにコンタクト(目を使って合図にして
いる初期的動作)しているみたいですね。そのことを心の中でリーディングする
訓練が必要かもしれませんが、焦らないことです。
コンタクトの方法は人によって様々ですから、あなたの場合左目を使って初期的な
コンタクトをしているようです。小さな子供に数字の1、2、3、4・・を教育
するのと同様に、あなたに対して何らかのメッセージを伝えようとしているよう
です。
理性で解読するようにしないで、心で、ハートで解読することで伝えたい内容が
だんだんと感じれるようになると思います。ただし、そのメッセージを鵜呑みに
せず、最初は心に止めるだけにしてください。それが正しいことがどうかは、
時間の経過で判断した方がよろしいでしょうね。

1990年以降からりんさん、ひふみさんみたいな体質の人がたくさん派生して
いますが、このことも時間の経過と共にだんだんと理解できるようになります
ので、今は現実の生活を最重要して毎日を過ごすことを希望します。
たぶん、りんさんは聖徳太子、キリストなどとの霊的コンタクトもチャネリング
の方法の修得やチャクラの開放によって、たぶん可能になるかと思いますが、
一般的な生活をする上ではそのことはあまり重要なことではありませんので、
無理に開放する必要もないとわたしは感じます。

ちょっと抽象的な言葉で理解に苦しむかもしれませんが、悟りの世界、覚醒
した高次元世界と今現在交わることで得することはないだろうと思います。
無理に重荷を背負うことはしない方がいいとわたしは忠告しておきます。


[1946]  ありがとう  [りん] 10/14

 お返事くださってありがとうございます。

 精神病か、そうでないかは、ここで証明することは難しいので読む方
の御判断におまかせしたいと思います。
 ただ、私自身、その手の病院にかかろうと思った事、かかった事、周
囲の人から勧められた事はありません。
 けれど桃色蜥蜴さんがそう思われたとしても無理のない事だと思いま
す。

 この場でしていいのかどうかわからないけれど、変だったら消してく
ださいね。
この質問に至った経過を少しお話させてください。
 
 変わった事が起きるようになりましたが、自然な事と受け止めています。
 私には、色々と教えていただける方がいて、その方は神道や修験、比叡
山での修業を経て、現在はある有名な古寺の末寺を名乗っておられます。
 霊能力にも長けておられて、実はこの方から「お宅は宇佐神宮に関係し
ていたんじゃない?」と言われ調べたところ、その通りであったというよ
うな事もありました。
 
 見えない世界からメッセージを受けても、今はまだわからなかったりし
ます。都合の悪い時などは拒否もし、或る程度コントロール出来ます。
 
 元々、日本古代の謎などが好きで、「能力は遺伝するから聖徳太子のお
母さんってどんな人だったのだろう?」それと自分の先祖調べをしていま
した。
 私の苗字から郷土史を調べると、「漢の霊帝の末孫で明日香村に応神天
皇から領地をもらった。」となっていました。
 一族の中に、東漢直駒がいて「臣下による史上初めての天皇暗殺」をし
たとされているのですが、彼は地元丹後では「間人皇后と神社を造った」
とされている様ですね。
 別々の事を調べていて一つに繋がった気がしました。
間人神社の事も知りたいです。
 
 こんな事をしていたら、少しずつですが、不思議な事が起きるようにな
ってました。
 霊感のあるという人と出会うと「霊感強いよ」と言われる事もありまし
たが、その頃は「えー?幽霊とか見たことないよ」という感じでした。
 尾の長い鳥が見えると言われた事もありました。
 これも何の事だったのか調べ中です。

 結局、先の質問が知りたかったので単刀直入に聞いてみました。
 左目つむりは、古神道や聖書に関わりがあるらしい。
 仏像や天皇の像など古くなればなるほど、左目をつむっているという
話を聞いたのですが、どう関わりがあるのかわからないんです。


[1945]  Re[1941]: 初めまして  [Setoh]  10/14

霊媒体質は病ではないと思います。原始の人間が持っていた猛烈に強い第六感ではないでしょうか。猿から進化した人は,毒蛇、熊,もろもろの災厄を避けて生き延びました。ひふみさんが云われるような「自分自身に内在しているものが感応」するのが該当するのでしょう。災厄の風景・雰囲気を感じる抜群の能力と言えるのでしょうね。
りんさんのケースは潜在意識が猛烈な暗示となっているように思うのですが,ひふみさんが「自然に風が通るごとく息を入れると、良い音が出ます」と書かれているようにゆっくり向き合っておくことでしょうね。


[1944]  霊媒体質  [桃色蜥蜴]  10/14

いまでいうところの多重人格って言うのに当てはまるんじゃないですか?
単なる精神的な病


[1943]  Re[1941]: 初めまして  [ひふみ]  10/14

りん様、はじめまして。こんな事を、この掲示板で書いてよいのかどうかわかりませんが、参考までに。
私も、俗にいう霊媒体質でした。りん様のとは、だいぶ程度がちがうかもしれませんが、神社などで祝詞をあげていたりすると、合掌している手が不思議な動きをしたりするのもよくあり、不思議な体験もいくつかあります。その当時は随分悩み、色々な方にこれは何なのかと質問した事も何度も。
でも結局、色々な過程を経てきて思うのは、答は自分自身の中にあるという事。そういう状態が出てきているのは、自分自身に内在しているものが感応しているのでしょうから。それが何なのか、自分の表層意識に現れて理解するのは、自分自身に準備ができた時だと思います。何年かかるかすぐなのかは解からないけど、それまでは、その現象を受け止めながらもとらわれない方が良いと思います。自然な自分自身の流れを塞き止めないよう。見えるものまで見えなくなってしまうし、変な渦が出来てそれに巻きこまれてしまう危険性もあります。霊媒体質というのは、良くも悪くもいろんなのに巻きこまれやすいですから。
鎮魂の為に土笛を友達にもらいまして、最近ようやく良い音が出るようになりました。土笛を吹くコツは、決して吹こうとしない事。笛の穴に自然に風が通るごとく息を入れると、良い音が出ます。様々な現れも、そんなものなのかな。老婆心ながら、あくまで体験談。不愉快に思われたら、すみません。


[1942]  毛を3本むしり取って考えよう  [焼尻紋次郎]  10/13

 りんさんアマカネ(これニューギニア高地石器時代人の挨拶、至便にしてイミシンぞな)
 りんさんのおカキコみてキッコーマンさんがウズウズしてるこったろうと思います。
 ここは、おカキコの額面どおりに受け取らせてもらいますよ。

 アドバイスではなく、おらのただの感慨ざんすが……。
 ことばが通じる領域から見て不思議な現象がよく起きますよね。ここの掲示板のメーン・テーマ
の神社が斯くなるまでの経緯のうちには、そのような神業としか思えないような心霊的現象が厳然
としてあったからだと思います。
 暮らしのなかで、そのような現象を見せつけられた人々のほとんどが、無検討無反省のまま「フ
ツウのことばが通じない世界」へ突入し、はてはオウムやタリバンのように、こっちの世界に出て
来て殺し屋にまでエスカレートしてしまいます。

 心霊の領域はこれから先の文明の行方を決定づけるだけに、個人も社会も避けて通ることも無視
することもできないでしょう。
 それだけに“機”に臨むにあたって、小生は次の2点が大いに気がかりです。

 人類はお猿さんの領域から脱皮して、まだわずか2万年ぐらいしか経っていない。完全認識があ
りうるのか。偉ぁ〜〜い人が言ってることばの数かず……それってどこをどうすれば錯覚ではない
といえるのか。
 その特殊能力を「再現性ある資質(石井さんアマカネ)」まで固めて、それを経済のなかに漂わ
せようとしたとき、ほとんど全員が他の心霊ジャンルのヤリクチをインチキ呼ばわりしないことに
は成立しない関係に立ち入る。

 ……んならば、こんなこと、やらんほうが MATHI(ネパール語 ; 上のほう)じゃなかろうか。

 そんなことのカキコは http://cgibbs.mmjp.or.jp/bbs/show/www.you-i.org/bbs でも大歓迎。


[1941]  初めまして  [りん]  10/12

 こんばんは、りんと申します。
 実は、お聞きしたいことがあります。
 私はかなりの霊媒体質なのですが、何か意味のあることらしいけれど
 わからない事があるので書いてもいいですか?

 私の嫁ぎ先は、大昔、宇佐神宮の宮司をしていた様な家系なので、
 現在、神棚に御祀りしています。
 神棚を拝むと決まって、∞を手や頭や体が動いて示されます。
 どういう意味なのでしょう?

 それと、籠神社、聖徳太子、キリスト、古代遺跡などの本やテレビを見ていると、 
 自分の意志ではなく左目をつむります。
 不動明王が左目をつむっているのと関係があるのではないかと言う人もいました。
 何か情報がありましたら、教えて頂けないでしょうか?


[1940]  1924・香椎宮写真  [マルヤ]  10/11

お陰様で、神奈備の客人から香椎宮の写真を入手できました。
今月中にでも小生のHP上で使用させて頂きたいと思っています。
ありがとうございました。


[1939]  すさのおの尊について  [にぎはやひおたく]  10/11

福島雅彦さま、ありがとうございました。疑問が解けてすっきりしました。また新しい読み方を考えようと思います。今後ともよろしく。


[1938]  Re[1908]: 何何々、あれあれあれ  [なにがし] [Url] 10/11

ご無沙汰です。ここのところ休日返上で仕事しており返事が遅れてすみません。

> 実はわたしの先祖に巫女がおりますが、かつて真言宗の「西の高野」として
> 繁栄を極めた宮崎県日南市にある鵜戸神宮に、今から400年ほど前に
> わたしの先祖である内田萬壽姫様が幼少より鵜戸神宮に熱心にお参りしており、
> 19才のとき突然神憑りになり、真言密教の尼(丹生)僧として、巫女として、
> 30年間飫肥藩主の伊東家にお仕えし、遺言により鵜戸神宮の分社を建立して
> 戴き、その祭神として祭られております。
> これって丹生都姫と深い関係があるのでしょうか。

巫女として丹生都姫のお力を頂いていたと言うことは深い関係だと思います。
真言宗は神道とも関係が深いです。丹生祝氏の中には神主でありながらアジャリ
でもある人がおりましたから、尼僧でありながら巫女でもあると言うのはおかしく
ないと思います。


[1937]  Re[1930]: 「天白明神」のこと  [習志野のてつ]  10/11

私も横合いから、失礼します。
愛知県の知多半島、名鉄常滑線に寺本駅が有ります。元々立派な寺が有った
為の駅名です。その寺とは熱田神宮から草薙の剣を盗み出した僧:道行のため
に建てた名刹、法海寺です。現在の地名は愛知県知多市八幡。つまりここに八
幡神社があります。この八幡神社は、法海寺の鬼門を静める為に建てられたそ
うです。八幡神社のお祭りには、摂社である天白社に御輿で渡ります。…
やっと天白社に辿り着きました。ふー…道行さんは新羅の王子ですから、
強いて言えば新羅との関係を感じます。

尾張氏とは別勢力では?知多半島は尾張氏とは別の勢力がいた可能性が強い。
草薙の剣を盗んだ僧を優遇している。尾張氏の勢力範囲に赦し置く理由はない。
日本武尊に対し、尾張氏の宮津姫は拒否、物部系穂積氏は弟橘姫を同行させている。


[1936]  天白、針の件  [助八]  10/11

Setohさん、福島雅彦さん、ありがとうございます。
 ご両所の見識の深さに感激しました。
 現在、藤森栄一著「古道」の途中ですが、稲作の道と天白信仰の広がりがすべて一致します。天白川の北、瑞穂区に田光という地名もあり、伊勢の菰野周辺と緑区大高を拠点とした尾張氏以前に年魚市潟を含む伊勢湾を横断した弥生人の流れが読み取れて感激しております。
 また、地名の針も積年の疑問が解けまさに秋晴れです。


[1935]  さ ば え な す  [焼尻紋次郎]  10/11

 おらも横からサバエばな。
 先日、ここで「ヒラ」が問題となった時点では、まだ堀井令以知さんの辞典抜粋パンフはできて
なかったんだったですカネ。日本古代語としてヒラには「傾斜地」がでていました。
 先達の苦労を盗むような……、なんかこう、わりぃみたいダナァ〜。こんな感慨は苦労にんじゃ
ないとワカランやろね。
 ひとには夫々好きこのみがあるとみえる。福島さんな「たかる(さばえなす)」という語彙が好
きですなぁ。
 おらのアタマんなかには「イカル(農耕)」という中心概念形が定着しておま。これ川崎真治さん
からうつされた「好きこのみ」ざんす。
 このイカルを中心に据えて眺めたら、ネパール語に BALI(畑)ANIKAL(飢饉) balwai(食べ物
屋・菓子屋) HARAM(油菜) KALO(鋤き) PARBAR(野菜の一つ) PARTI(荒れ地) PHARUBA(両手
を使う鍬)が得られました。
 食べ物屋・お菓子屋が顔を出すのは不自然に感じられましょう。実はこれアイヌ出身のアイヌ語学
者の知里真志保が haru(野菜・など)に“べんとう”という訳まで添えていたんです。もちろん、
その訳は正しいのですよ。
 それくらいにバル、ハル、イカリは世界的広がりをもっているのでした。
 
 そういうあっしゃ半年前、瀬藤席亭から教えられるまでサバエ(五月蠅)をシランかっとってん。
 席亭さんは「さばえなす」が好きなことばらしい。
 だが今は、堀井令以知さんなどの言語学者が「サ」に五月の意味を与えるまでの、そのまた語源
までがわかった。旬のまえの生気みなぎるころ合いが「サ」で、早(サ)と同根だったのでした。

 晴天白日、日進月歩カネ。いま http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi も日進町です


[1934]  Re[1933][1930]: 「天白明神」のことを教えて下さい  [福島雅彦]  10/11

> 針
> 雑記草の針が分かり易いです。↓
> http://nagoya.cool.ne.jp/gggyg/zakkisou/mukasizakkisou/0011zakkisou.html
> これの 001122 の記事をご覧ください。

横合いから、失礼します。
※上記の記事を拝読しましたが、『墾』を『はり』と何故訓むかが、真の解答に成ると思いました。
“벌”(beol)=原、野原(民衆書林・韓日辞典)が、古代倭語の臍の緒だと思います。
※開墾・耕作可能な、『原(ばル)』の当て字が、『針』だと思います。
 因みに、『平針』⇒傾斜地の原、『高針』⇒原が寄って集(たか)っている、
『大針』⇒広大な原、の様相を呈していないでしょうか?。
九州の地名の『○○原』の殆どが『ばる』と発音します。語頭の場合は清音化して、『はる』です。壱岐の島の『原(はる)ノ辻』、『針摺』⇒巴利國の摺(つル⇒水利のある耕作地)。


[1933]  Re[1930]: 「天白明神」のことを教えて下さい  [Setoh]  10/10

愛知県の人々をさしおいて、僭越ながら
天白
三重県菰野町の天白信仰がわかりやすいです。↓
http://www.town.komono.mie.jp/rekishi/279/

雑記草の針が分かり易いです。↓
http://nagoya.cool.ne.jp/gggyg/zakkisou/mukasizakkisou/0011zakkisou.html
これの 001122 の記事をご覧ください。


[1932]  かむなび・・・神奈美・・・神奈備。 [マルヤ]  10/10

Setohさん、こんばんは。
「天下春命」の神名の件、親切で詳しいご返答、ありがとうございます。
物部氏系の神様で美濃以西ですか。それに「かむなび神社」という神社も随分あるのですね。いつもながら情報量とその確かさ、守備範囲の広さに感服します。
「神奈備掲示板」を利用させていただくと、大抵解ってしまうので、自分で調べることを手抜きしてしまいそうです。


[1931]  丹生都姫と大汝の神  [Setoh]  10/10

『釈日本紀に引用されている播磨国風土記』には「神功皇后が新羅征伐に赴く時、集まった神々の中に爾保都比売命がおり、自分を良く祀ってくれるならば赤土を与えようと言った。その赤土を船体などに塗って新羅を攻略した。帰還後、神功皇后は爾保都比売命を紀伊国筒川の藤代の峯に鎮め奉った。」とあります。

 丹生都姫の故郷として播磨を考えても差し支えがないと思います。

『播磨国風土記伊和の里』には,「大汝命がその子の火明命が強情で乱暴者だったので置いてきぼりにしようとして失敗、大汝命の船が打ち壊されます。その時、大汝の神が妻の弩都比売(平凡社吉野裕訳注:おそらくは土(ニ)ツ比売の転訛)にいわれることには云々」と出てきます。

 ニツ比売が出てきます。丹生都姫のことか母神か,大汝の神にきわめて近いと言えます。


[1930]  「天白明神」のことを教えて下さい  [助八] [Url]  10/10

教えてください。
名古屋市の南東部に天白区(テンパクク)という区があります。昨年の東海豪雨で大洪水になった天白川がありまして、昔、橋の端に「天白明神社」が祀られていた(現存せず)ために区名に採用されました。が、天白明神(神社、社)の由来がもう一つ判然としません。定説がありません。尾張氏との関係も一向に接点がないのです。どうやら洪水の多い河川(天竜川、利根川沿い)と諏訪地方にも見られます。ミナカタ系?サルタヒコ系?
ついでにもう一つ。この地方には針のつく地名が多くあります。平針、高針、大針などですが、由来のわかる方は教えて下さい。


[1929]  無題  [石上佳孝]  10/10

>1912Setohさま、
>淡路の物部の役割は運河を管理すること,運河を掘る,後に河内の王権が確立された段階で閉鎖した,と言うことではないでしょうか。

ご返答ありがとうございました。2000年前の海水面がいまより高かったとは
ちょっと思えないのですが、興味深い仮説ですね。確かに洲本から三原、松帆に
かけては淡路でいちばん開けた平野ですし洲本川を延長してゆけば東西両岸をつ
なぐことが出来ると考えられたのでしょうか。
神功皇后の朝鮮征伐から河内の香坂王・忍熊王との戦いに勝利して応神天皇が即
位するという記・紀の伝承ですが、水野祐氏の三王朝交代説ですね。しかし実際
に兵の移動があったのかどうかは分からないですね。ここら辺はもう少し考古学
的な証拠が出ないとなんとも言えないのかも知れません。


[1928] 雨の天候特異日 [Setoh]  10/10

香具さん> いけません
小生もこの前に生駒山の饒速日山に近づこうとしましたが,ブッシュがきつく,蛇もでそうで,来年の春先まで見送りました。
穴師のゲシノオオダイラはもっとやっかいでしょうね。桃尾の滝の奥のお話を思い出します。


マルヤさん> 「天下春命」
谷川健一『白鳥伝説・下』p130から
天下春命は八意兼神の子で、武蔵秩父国造らの祖である。『旧事本紀』によると,饒速日が天磐船に乗って降臨したときの供奉の神々の一つである。従って物部氏と関係がふかい神である。引用以上

 武蔵国多磨郡の式内社の小野神社の祭神にその名が見えます。他に埼玉や東京に7社,関西ではご紹介の丹波国何鹿郡の式内社の珂牟奈備神社と京都府乙訓郡大山崎の小倉神社摂社若宮神社の祭神になっています。
 また「かんなび」式内社は備後国葦田郡の賀武奈備神社,丹波国何鹿郡の珂牟奈備神社,山城國綴喜郡の甘南備神社の名が見えます。非式内社も美濃以西ですね。


あかがねさん> 「かんなび」神社,明日香村にもあるそうです。
お久しぶり。明日香村に神奈備と云う地名があり飛鳥坐神社が鎮座しています。ご承知の出雲国造神賀詞には,「己命の和魂を倭の大物主の命と名を称え、大御和の神奈備に坐せ、己命の御子阿遅須伎高孫根の命の御魂を、葛木の鴨の神奈備に坐せ、事代主の命の御魂を宇奈提に坐せ、賀夜奈流美の命の御魂を飛鳥の神奈備に坐せて云々」とあります。
大御和の神奈備とは大神神社,葛木の鴨の神奈備とは高鴨神社、飛鳥の神奈備とは諸説があるようですが,飛鳥坐神社,加夜奈留美命神社や飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社が候補です。


福島雅彦さん> 素盞嗚尊
ありがとうございます。帥升と素盞嗚はS+S,そうすると『載斯烏越』を“Zai-Si-Wu-Yue”“Sai-Si-Wu-Yue”と濁らなければ,S+Sとなり,近いとは言えないのでしょうか? 曽尸茂梨もソシでS+Sで,素盞嗚尊の感じが出ています。


[1927]  Re[1916]: 素戔嗚尊について  [福島雅彦] [Url] 10/10

> 魏志倭人伝に卑弥呼の最後の使者として現れる「倭載斯烏越」は「わのすさのお」と読むのではないでしょうか。卑弥呼と素戔嗚尊は連合して倭国を形成していたと考えています。素戔嗚尊の子いたきそ(五十猛)は、卑弥呼とのつながりで紀伊国へやってきたのでしょう。どう思われますか。

『にぎはやひおたく』さん、今晩は!
御亭主から御紹介戴いた、古代史の謎解きに挑んでいる、福島雅彦です。
語源からの解明に取り組んでいますが、『倭載斯烏越』は未だ取り組んでいませんでした。
※後漢書にも卑彌呼が登場し、素盞嗚尊も『倭王帥升』として登場していると思っています。
『帥升⇒shuai-sheng』と、中国書記官が聴き取った倭人の発音は、
『素盞嗚⇒soe-sang・王』=“쇠상”(製鐵)王(古代倭語が朝鮮語に臍の緒を留めている)であろうと思っています。
須恵器=陶(すゑ)器=“soe”器=鉄の様に堅い器の意、ですから。
※『載斯烏越』の中国書記官の聴き取り書きは、倭人が何と発音したかを復元しましても、素盞嗚尊にはならないのではないでしょうか。
大漢語林・大修館書店から引き出した、“Zai-Si-Wu-Yue”の近似音だと推測します。言語学者の様に、音韻の法則など用いずにアバウトの範疇から、古代倭語の固有名詞か職掌名が浮かび出れば、答えが得られると思いますが、現時点では判りません。
 中国側が、使者の『載斯烏越』にでは無く『難升米』に応えているのは、
報告を聴いて、張政が渡来するのに間が在った為だと思います。
因みに“Zai-Si-Wu-Yue”⇒『○使・ヲゑッ』とか…。


[1926]  Re[1925]: かむなび2(というか3かな?) [マルヤ] [Url] 10/09

>  「かんなび」神社といえば、奈良県は三郷町の龍田大社のすぐ近く(徒歩ニ、三分)にも「神南備神社」がありました。一昨日行って来たのですが、式内社でもないですし、由緒も良く分からなかったです。
>  龍田大社の摂社になっていて、万葉集に歌われる歌所として有名らしいとのことでした。
>  あとは明日香村にもあるそうですが、これは良く知らないです。

あかがねさん、こんばんは。
早速の情報ありがとうございます。龍田大社は参拝したことがありますが、「神南備神社」には気がつきませんでした。もう一度行ってお参りしてこようと思います。ありがとうございました。


[1925]  かむなび2(というか3かな?) [あかがね]  10/09

 「かんなび」神社といえば、奈良県は三郷町の龍田大社のすぐ近く(徒歩ニ、三分)にも「神南備神社」がありました。一昨日行って来たのですが、式内社でもないですし、由緒も良く分からなかったです。
 龍田大社の摂社になっていて、万葉集に歌われる歌所として有名らしいとのことでした。
 あとは明日香村にもあるそうですが、これは良く知らないです。


[1924]  香椎宮の写真についてお願い  [マルヤ] 10/09

どなたか香椎宮の写真使わせていただけませんか。
小生のHPで使用したいのですが、あまりにも遠いのでなかなか撮影に行けそうにありません(私は大阪府に住んでいますので)。
できれば香椎宮の近辺の写真も2.3枚あれば、なおありがたいのですが。
サイズは、7×5センチ位で使います。jpgでコピーさせていただければ助かります。
よろしくお願いします。
maruyaio@skyblue.ocn.ne.jp
http://www.yasaka-io.com
最近あらたにドメインを取得しました。もちろん、前のURLでも繋がります。


[1923]  かむなび  [マルヤ]  10/09

Setohさん、久しぶりに書き込みさせていただきます。
京都府の神社を調べていて、その名も「かむなび」神社を見つけました。
「河牟奈備神社」と書き和銅年間創立の式内社だそうで所在地は
京都府綾部市十倉名畑町古気良10  山陰線山家駅10kmとあり、祭神は「天下春命」という。
神社名もまったく初めてで、神名もどんな神様なのか何も分かりません。
神社名で興味を持ってしまった訳ですが、どなたか教えてくださいませんか。


[1922]  かむなび  [瀬戸内]  10/09

人里近く、姿優美な山、神々が降臨され、鎮まる山。かむなび。
最近 上記にぴったりのところを見つけました。

それから 山登りはいいですね。頭がスッキリします。
スッキリしたところで 神社を見つければ最高です。
邪心がないのがいいです。


[1921]  卑弥呼に関する啓示。ごめんなさいm(_`_)m  [キッコーマン(気功人)]  10/09

昨日、わたしの実家のある宮崎の都城から大分市内に夜な夜な帰る途中、
前々から気になっていた幣立神社に立ち寄ろうかどうか考えていたところ、
突然車の中でコンタクトが始まり、
関之尾から出た女神∞幣立で神が飲み込んだ≠ネどと手話による通信
が始まりました。最初は何を言っているのか不明だったのですが、時間
かけて解読したところ、卑弥呼の出発は、都城の関之尾(餅丘)町一帯であり、
そこには有名な関之尾の滝があります。そこから20Kmくらい霧島連峰の
山側へ歩いて行くと、霧島神宮と高千穂河原があります。
卑弥呼は何かの理由で北上し、幣立神社の地点で卑弥呼が宇宙神に相対して、
神が降りてきて巫女として出発した場所ということでした。

この高千穂河原はわたしが31才の春に、家内と新婚旅行をしているときに、
初めて神様と対話した場所でもあります。

わたしがもし幣立神社に足を運んだ場合、10中八、九神様モードに突入
するだろうと直感的に悟りました。ということで、取り敢えず、もうしばらく
幣立神社に行くのは辞めようと思います。家庭第一のわたしにとっては、
神様モードはあまり好きではないのです。人類の未来より、わたしの家庭を
今は優先させたい。

最近、わたしの回りで覚醒する人がどんどん出てきているので、急がず、
慌てず、のんびりと、わたしなりのペースで世間のことを理解して行きたい。
超高速モードは危険が大きくて大嫌いです。神様ごめんなさいm(_`_)m


[1920]  スモトリの神様に触発されて……  [焼尻紋次郎] [Url] 10/09

 角力とり専用の神社があったとはおろろきです。

 そこでちょくと SOD 辞ながら訊くばってん、職能専用の神様がいたんじゃないだろうか。
 吉原のメカマたちは「沼田〜日光」間の金精様をしげく拝みました。
 あんがい、ゼゲン神社があったりして……。

 武将が戦勝祈願に拝んだ神社は、なんだかどれもこれも海辺に近いような気がする。
 サンカはオオクニヌシだろうが、へば傀儡は何かいの。
 ヤクザは金毘羅山かね? 宮大工がごっそりお伊勢さんに参っていたりすると URE しいネ。
 そうだ、バンズイインチョウベェさんなら、分かるんじゃないだろうか。
 「畳屋の神」……なんちゅうのが出てくると、もう、オラシラン。
 武家の神様は一軒々々ちがってんじゃないだろーか。


[1919]  いけません  [香具]  10/09

 小川光三氏「大和の原像」にある、斎槻岳のゲシノオオダイラを探しに、纏向の穴師山へ行ってきました。今の大兵主神社が、元来、上社として祀ってあったと云われている処です。
 JR巻向駅の西にある纏向石塚古墳を起点に、穴師山の山麓にある大兵主神社へ向かい、その横に伸びる道を中腹まで登りました。途中、穴師山のみかん畑に作業に行く60歳代のオヤジサンにルートの確認をしたところ、
『そんなら、ワシらがこまい時分に(子供の頃に)、ゲシィ、ゲシィゆうて遊びに行きよったところやと思うけど・・・。もう何十年も、だ〜れも行かんから道も崩れて薮だらけや。まず無理や、行かれへんな、行き止まりやでー。テンノウザカからも、いっしょのこっちゃ、行けんやろなぁ〜。』
という注告を受けつつも、行けるところまでと道をきくと、三叉路を右に進むように教えて頂きました。
 傾斜のきつい蜜柑畑の側道を登ると行き止まりとなり、その先は薮に覆われていました。登山用のスパッツ(脚半のようなもの)で足元を固め、ストック(登山杖)をつきながら、山鉈で纏わりつく蔓を切り払い、薮漕ぎを始めましたが、1時間ほどしても何mも進めない鬱蒼とした薮でした。立っている足元の地面すら草で見えない状態で、道が崩れているのか、足が地面に届かず薮に浮いた状態になる処もあり危険と判断して引き返しました。50年以上前、土地の少年が遊びに行った山道は、今では、猪ですら通っていない様子です。
この大兵主神社横のルートからゲシノオオダイラへ行くのは、枝打ち職人のような専門の山林業者でない限り無理のようです。あとは、尾根の反対側のテンノウザカからのルートがあるかもしれませんが、この日は諦めて、見晴らしのよい蜜柑畑の尾根に登り、眺望を撮影することにしました。

 小川氏は著書で、ゲシノオオダイラを『夏至の大平』と想定されていましたが、今回なんとなく他の語彙も含めて検討が必要のように思いました。(確たる理由はありません)
また、テンノウザカを『天皇坂』と想定されていますが、大兵主神社摂社の天王社を見て『天王坂』ではないかナとも、思いました。天王社がテンノウザカから大兵主神社境内へ遷されたと妄想したのです。

 結局、一日ウロウロしたのですが、現在のゲシノオオダイラは容易に辿り着けそうな処でないことだけが判りました。ご参考までに(言い訳け写真集)↓
http://photo.goo.ne.jp/user/ixtlan



[1918]  Re[1914]: テッヘ、九頭神  [香具]  10/09

山の辺の宿題を解決しようと、穴師山を彷徨していました。芹井や白木に行けなくて残念です。滝蔵神社の裏から眺めた白木方面の山並みに感動しましたので、機会を作って歩き廻りたいところです。
小夫の天神社の境内摂社に九頭神社寄進のタカオカミ神社がありましたので、どこの九頭神社だろうかと楽しみにしていましたら、白木のタカオカミ神社からだったのでしょうか。面白いです、白木行きたいナ。


[1917]  Re[1916]: 素戔嗚尊について  [Setoh]  10/09

にぎはやひおたくさん,こんにちは。
> 「倭載斯烏越」は「わのすさのお」。卑弥呼と素戔嗚尊は連合して倭国を形成していた。
興味津々の仮説ですね。
 卑弥呼は魏の国の史書に出てくる倭の女王ですが,その頃の倭国には多くの国々があって,特定の地方の有力な女王だったに違いありませんが、他の地域でも,また前後の時代にも多くの女王や補佐官がいたことでしょう。たまたま史書の記録に載ったのが卑弥呼であって,それに日本の神々を結びつけるのは,夜道での落とし物を,街灯周辺の明るい場所だけで探すようなものだとの印象を持っていますが・・。まー,難しいので思考停止という所ですね。 
 なお,『日本の古代史の謎解き』(福島雅彦さん)神奈備リンク集にあり,では福島さんは師升を素盞嗚尊と解読できる旨発表させれいます。この「倭載斯烏越」=素盞嗚尊 説についての氏のご見解を問い合わせていますので,氏のご高説を披露していただけるものと思っています。お楽しみに。


[1916]  素戔嗚尊について  [にぎはやひおたく]  10/08

魏志倭人伝に卑弥呼の最後の使者として現れる「倭載斯烏越」は「わのすさのお」と読むのではないでしょうか。卑弥呼と素戔嗚尊は連合して倭国を形成していたと考えています。素戔嗚尊の子いたきそ(五十猛)は、卑弥呼とのつながりで紀伊国へやってきたのでしょう。どう思われますか。


[1915]  豊岡市のやなぎ行李  [焼尻紋次郎]  10/08

 けふのミノモンタ番組で豊岡の柳行李が2000年前から伝えられていることが放映されました。
 この番組ではアメノヒボコが伝えたと言っていました。
 「こうり」はネパール語に KHOL , KHOR(篭・ケース)とあって、行李がネパール語であることはタシカです。アメノヒボコかどうかは別として、出土品の年代から2000年前が割り出されたことと思います。
 重要なのは、これでネパール文化は遅くとも2000年前には日本列島に上陸していた……がいえることです。
 放映の解説に「キリュー細工」というのがあったのですが、あれ、どういう意味だっしゃろ。


[1914]  テッヘ、九頭神  [Setoh]  10/08

 香具さんに滝倉の東奥の白木までとそそのかしたのですが,「テヘッ?」と行くような所ではないよ,と云うことでした。
 で,滝倉からテヘテヘ歩いて白木に至りました。
 なんと,北白木の高オガミ神社で「九頭社」と陰刻された石碑を見つけました。山また山の奥、葛の地だったんです。小夫付近の高オガミ神社は要調査ですね。


[1913]  虚(嘘ではなく)をつかれた  [焼尻紋次郎]  10/07

 紋爺ィでケツコー、“師”呼ばわりだきゃ〜やめちょくれ。片尻ビジビジばい。

 その頃、あっしが考えていたのは、淡路の両端を舟で通過しようとしたら、急流や激流の関係で
あらぬ方向に持ってかれてしまう。それよか、淡路島の川運を利用すると安定通過が得られる。川
を利用する以上、「荷下ろし、担いでの陸路運搬、また舟への積み込み」の手間を省くためには低
い分水嶺は人の手で掘削して取り除き、両河川を繋いだ方がいいに決まってる。
 そして、淡路はそのような地形にピッタシだ……というもんデシタ。
 
 いまでも尻屋岬の沖で、年間平均2億円の海難事故が発生しています。
 「あの舟、どこ行った……?」と探してみたら、結局敵がたの手に渡っていた……では目も当て
られん紋な。
 
 陸繋島、人工流路、チクシなど呼び名がバラバラになりましたが、これは日本列島だけにみられ
る文化醸造作用です。いま♪『勇敢なる水兵』の歌にのせて「ほにゃらか掲示板」で尻ズしていま
す。

 それにしても瀬藤さんの深層心理はいつも創造力に満ちた“関連”を思いよるらしいでんな。
 おら、あのころ、物部とか応神なんざはチーとも考えつかんかった。

 タカマガハラは淡路だった……は、瀬藤さんの永年の痔論でした。いまんとこあっしゃ“原”を
柱のなかに押し込めてしまっちゃった。パーリ語で柱は PHALAKA なんです。
 ネパール語だったりパーリ語だったり、アタマんなかがごちゃごちゃになりますが、きのふ「秋
田県の象潟(キサガタ)のキサ(象)がネワール語(ネパール語の隣接氏族)にあった」という
由々しき報告が「ほにゃらか」にカキコされ、おろろいています。こりゃホンモノですばい。
 
 ほにゃ ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi


[1912]  淡路の運河  [Setoh]  10/06

1900 石上佳孝さん> 淡路に運河が、というのは興味深いお話ですが、どのような運河があったとお考えでしょうか?

紋次郎師匠とのやりとりの中で出てきた話に尾鰭をつけて解説してみます。

大阪に河内湖があった頃になるのでしょうか,今より海水面が高かった頃、西淡町に流れ込んでいる河川や三原町の湖沼付近は海だったのではなかったか。ここは陸繋島の雰囲気。そのあたりから緑町を丁度28号線沿い位にそって洲本川に抜けるようになっていたのではないか。緑町役場付近が運河として抜け道ができていた。
 なぜ運河が要ったのか。西から東への瀬戸内海を通っての軍隊の移動を両端の海峡の両岸に基地をつければ遮ることは可能だった。所が淡路の物部氏が運河を作っており,神功・応神軍を淡路島をすりぬけさせてしまった。これには大和に権力をはっていた連中は虚をつかれ,緒戦敗退,以降もずるずると負け戦が続いたのではないか。と言う仮説でした。
 淡路の物部の役割は運河を管理すること,運河を掘る,後に河内の王権が確立された段階で閉鎖した,と言うことではないでしょうか。


[1911]  Re[1909]: 長田吉備名方浜神社  [泊瀬女]  10/05

> 吉備名方浜の宮は吉備町長田のもと浄教寺の東にあったが水害後「昭和28年7月発生」寺の前保育所の入口左側に高さ約70センチ幅約50センチの石碑が立っている。皇太神宮をまつっていた。今は田殿神社に合祀されている。。
> 10月5日、氏から夕刻メールを頂きました。現地に赴いて調べていただき太所、上記の記述通りだそうです。

お手数をおかけしました。ありがとうございます。
国主神社境内に「吉備名方浜宮」の石碑が建てられたのは、元文5年(1740年)だそうです。江戸時代、徳川吉宗が将軍だった時代ですね。吉宗は紀州の出身、関係ないか。
榎下さんによろしくお伝えください。

スケジュール帳をながめて、吉備の国と紀州吉備にいつ行かれるかとため息ついてます。
今年中に行きたいところ、笠・小夫・滝蔵にもう一度。ヘビが出ない時期に秉田神社と与喜山天神社。吉備の国、紀州有田。年末にはお正月用の〆飾りを買いに伊勢にも行きたいし、京都にも行かなくては。母は大分に行きたがっているし。アーァ!時間もお金もな〜い。
友人達が誕生日のお祝いに(私,10月生まれ)東京ディズニーシーに泊まりがけで招待してくれるって。ありがたいけどねェ。そんな時間があったら、神社巡りに行きたいのが本音。
フランス料理もイタリアンも、新しい服もいらない。神社でボーっとしていたい。


[1910]  『私の杉山神社考』  [Setoh]  10/05

 海老名市にお住まいの方から『私の杉山神社考』という小冊子をいただきました。
 武蔵の国の都筑郡の唯一の式内社である「杉山神社」の祭神や地域の歴史について述べておられます。 小生も若干の資料を送らせていただきました。
 祭神として本来は房州から入植してきた忌部氏の氏神で「天日鷲命」ではなかろうかとされています。そこへ8世紀に古東海道の貫通により征服神である日本武尊を併祀,更に11世紀頃の熊野神人の宣布活動で五十猛命が併祀されていったと結論を出されています。
 小生は今まで五十猛命から日本武尊へ祭神が変遷したものと漠然と考えていたので,目から鱗でした。


[1909]  長田吉備名方浜神社  [Setoh]  10/05

1873 泊瀬女さん> 長田吉備名方浜神社 、元地は長田の国主神社である

吉備町にお住まいの方に現状を質問いたしました。下記のお答えをいただきました。
『各方面で調べました 吉備町史に一部記載されていました。
吉備名方浜の宮は吉備町長田のもと浄教寺の東にあったが水害後「昭和28年7月発生」寺の前保育所の入口左側に高さ約70センチ幅約50センチの石碑が立っている。皇太神宮をまつっていた。今は田殿神社に合祀されている。昔崇神天皇の54年紀元前44年皇太神宮を3年間奉祀した古跡といわれる。同神宮はその後和歌山県海草郡の浜の宮の方へ移されたと伝えられている。お国主の命をお祭りしていた。合祀されたが今も名方浜の宮の隣に祭っている。
以上町史からの文献です。一度現地へ行って参ります。』とのことです。
また現地で見られたことを教えていただけるとおもいます。
 ようこそ、ふるさと糸野のホームページへ・・・ by 榎下昭和さん
 http://www.micocoulier.com/itono/"
を発信されています。

10月5日夕刻、氏からメールを頂きました。現地に赴いて調べていただいた所、上記の記述通りだそうです。


[1908]  何何々、あれあれあれ  [キッコーマン(気功人)]  10/05

>Setohさんへ
>佐賀関に椎根津彦神社が鎮座
>丹生や五十猛命となると紀の国との縁浅からぬものを感じます。

坂ノ市から歩いて30分、里という場所に「大分市 海部古墳資料館」
があり、1600年程前に住みついた海部の人々の生活を堪能できる
資料館です。まだ行ったことがないですが、わたしの自宅から車で
15分なので、足を運んで見たいと思います。
この里には、わたしと同姓の「内田」さんがゴロゴロいます。
佐賀関の椎根津彦神社にも今度足を運んで見ますね。
Setohさんは、何でそんなに詳しいのですか。わたしは書物を
あまり読まないので、知識が蓄積されません。

>なにがしさんへ
>丹生都姫神が真言宗を守る,
>空海が高野山に来るとき狩場明神と出会い、巫女に神がかった丹生都姫
>により高野山を譲りうけると言った伝説があります。

実はわたしの先祖に巫女がおりますが、かつて真言宗の「西の高野」として
繁栄を極めた宮崎県日南市にある鵜戸神宮に、今から400年ほど前に
わたしの先祖である内田萬壽姫様が幼少より鵜戸神宮に熱心にお参りしており、
19才のとき突然神憑りになり、真言密教の尼(丹生)僧として、巫女として、
30年間飫肥藩主の伊東家にお仕えし、遺言により鵜戸神宮の分社を建立して
戴き、その祭神として祭られております。
これって丹生都姫と深い関係があるのでしょうか。
この神社に行くと、弘法大師空海の貴重な資料を見ることができますよ。
内田萬壽姫様の直筆のものや衣類、全体描写図をあります。尼僧という
より宝冠を被った卑弥呼といった感じがわたしはしてきます。


[1907]  Re[1905][1904]: 丸石信仰  [Setoh]  10/03

我ながら、記憶力もひどいもんですね。
泊瀬女さん> まん丸の石が注連縄を乗っけて、あったでしょう。
はい。思い出しました。花窟神社の手水舎の側に鎮座していました。注連縄は鉢巻きのようなイメージでしたかね。
ほかに周参見の稲積島にあったようですが,これは見逃していました。稲積島も丸石の上部が海面から出ているとも思えますね。
熊野本宮の神殿わきにも境石に囲まれて要石も丸石で,これは「やおよろずのかみ」だそうです。これも見逃しです。

ひふみさん> 地中よりぼこぼこと産まれようとしている風景を見ました。
 丸石は自然に出来る場合があるようです。静岡県相良では磐から生まれだすようにあります。火山弾とかの説もあります。
 山梨にも多いようです。関東圏は東北にも近いし,原始祭祀の痕跡が多そうで,いいですね。


[1906]  Re[1904]: 丸石信仰  [ひふみ]  10/03

神社では、ありませんが。初めて南紀を訪れた時、那智大社より熊野本宮まで熊野古道を二日かけて歩きました。途中、確か一日目だったから那智よりの場所だと思うのですが、道の両脇の山の斜面から大きな丸石達が、まるで巨大な卵のごとく、地中よりぼこぼこと産まれようとしている風景を見ました。前日に花の窟で丸石信仰を感じ、又、那智大社をイザナミノミコトとする説があるのを思い、まさに熊野は生まれ変わりの場所なのかもしれないと、思ったのを覚えています。昔いとこが、地質学上からは丸石の誕生は川の流れと関係があるように言っていた事を覚えていただけに、あの風景は驚きでした。


[1905]  Re[1904]: 丸石信仰  [泊瀬女]  10/02

>  南紀には何度か行っているのですが,不注意深いのか,目撃をした記憶はありません。

ご覧になったはずですよ。ついこのあいだまでindexに写真を載せていらした「花の窟」の参道にみごとにまん丸の石が注連縄を乗っけて、あったでしょう。


[1904]  丸石信仰 [Setoh]  10/02

 最近の狂牛病への対応がもたもたしているのも猪飼野問題が根底にあるようですね。

 最近、丸石信仰という本を入手しました。パラパラですが,山梨と和歌山(南紀)に目立っているそうです。そこそこの大きさです。力比べに使えそうです。
 南紀には何度か行っているのですが,不注意深いのか,目撃をした記憶はありません。

 丸いモノは玉というのでしょうか占いなどでも使われていますね。 暗示に懸かりやすくなるのでしょうか。
 写真で見る限り人工的に思えます。ただの磐座信仰よりは手を加えられているのかも知れません。

 皆さんのご存じの神社で,丸い石を祀っている所がございましたら教えてください。


[1903]  「モノノベ語」が出た!!  [焼尻紋次郎] 10/02

 ミナシャン、アマカネ
 いま、あっしゃネパール語に似た日本語(約1200ペア語彙)とアイヌ語(約450ペ
ア語彙)を一覧表にまとめる作業にいそしんでいます。
 朝鮮語と日本語は140ぐらいしか似た語彙はなかとです。
 騒がれた大野晋教授のタミル語での類似は350語彙ですので、あっしのみつけた宝物が
どんなに宝物か……、自画自賛アルネ(また瀬藤禎祥師に叱られるかもしれんバッテが、
ダァレも褒めちくれへんさかい、なも)。

 その作業過程のうちに、おとといから、サンスクリット語にはなくてネパール語にある、
しかもチャンと日本語化されている「仏教用語らしき一群の語彙」が出て来たのです。
 おとといは「世話」と「シャリ(米)」を挙げましたが、どうみても MURKHA SANGA
(畜生といっしょ)は「性」と同一で、またハンニャ(鬼女?)はネパール語 PANJAR(骸
骨)です。そして、この二つともやはりサンスクリット語ではありません。

 小生はまだサンスクリット語の辞書は持っていません。5年前、いちど宮坂先生に簡便な
サンスクリット語辞書を紹介してもらったのですが、そのメモを紛失したままなんです。
 で、正確なことは言えない段階ですが、こう次ぎから次ぎにサンスクリット語ではマシャ
クに合わない語彙がでてくる……ということは、組織的且つ大量の同様語彙群があるという
ことにほかなりません。
 ちくま学芸文庫刊『暮らしのなかの仏教語小辞典』宮坂宥勝著には約600のサンスク
リット語起源らしい日本語彙がでています。この辞書には上の4語彙は出てなかったり、
シナでの「訳語」が、まったく日本語ともサンスクリット語とも大幅に違っているのです。

 これらはミナシャン、モノノベ語と呼んでもいいのではないでしょうか? 
 正規の仏教用語が百済からもたらされたものとするならば、物部が護ろうとした「我が国
本来の“神”」の周辺用語に、これらがすでに混入していたわけです。

 ホトケとは男根の精だったし、「うら盆」もサンスクリット語ではなく、やはりペルシャ
方面のことばでした。
 やっぱ、仏教とシシミ(修験・神道・密教)は根元がちがってたのら。

 紙製の一覧表…… A-4 で14枚、 まもなく完成。『かむなび』のオッチャン・オバチャ
ン・ネェチャン・ニィチャンに限りさしあげますので、お申しつけください。
  陸繋島〜人工流路 ; http://cgibbs.mmjp.or.jp/bbs/show/www.you-i.org/bbs


[1902]  無題  [石上佳孝]  10/02

焼尻紋次郎さま、色々興味深いお話ありがとうございます。

ところで、ひとつ誤解がありますので、正させてください。

>愛日……これも有り難うございます。淡路のひとは「日」が好きなんですね。

書き込みの内容から淡路のことばかり書きましたので、私が淡路生まれと
誤解されたのだと思いますが、私自身は大阪生まれの大阪育ちでして、生
まれたのは大阪の堂島(江戸時代米相場のあったところ)でして、生っ粋
の浪花っ子です。愛日小学校とは、大阪のビジネス街の中心地であります
今橋4丁目にありました大阪市立小学校でも有数の名門校で、近くには
淀屋橋の名前の元となった淀屋跡や住友グループ発祥の地、住友の浜があ
ります。しかしこの名門校も、あの悪名高い越境入学禁止措置により、廃
校となってしまいました。いわゆる人権措置によるものです。

古い時代のことを調べる時に必ずぶつかるのが、この行政による人権の壁
でして、今でも腹に据え兼ねるのが行政による町名変更の暴挙です。表向
きは町名を整理して行政サービスを合理化するという名目のもとに全国的
におしすすめられたこの町名変更の真の狙いは部落隠しに過ぎないことは
みなさんよくご存じのことと存じます。確かに生まれた地区によって言わ
れない差別を受けることは言語道断ですが、そのことと、古くから伝えら
れた歴史の一部である町村の名前を「希望が丘」とか「桜町」とか、なんの感
慨もわかない良く分からない名前に平気で改ざんして行くというのは、我
々自身のご先祖に対する一部の人間のテロではないかとすら思えます。

たとえば大阪市の東に位置する生野区に猪飼野というところがあります。
ここは古事記にも名前の出てくる古い土地で、もともとこの南方に百済と
いう帰化人が住んだと伝えられる場所があったのですが、仁徳天皇がこの
百済を訪れられた際に立ち寄られた場所に今も御幸の森神社という古社が
あり、最近大阪市の指定文化財に指定されました。ところが戦前城東運河
掘削のため朝鮮人労働者をおおぜい連れてきたためこの場所はコリアタウ
ンと言われるほど、韓国・朝鮮系の人が大勢住み着くことになりました。
ところが、この在日朝鮮・韓国人問題と部落問題が妙に連合して、猪飼野
という名前が好ましくない連想をさせるということから行政名から一切こ
の名前が消されてしまいました。部落問題など、はるか後世の江戸時代に
起こったにも関わらず、万葉時代ゆかりの名前を消してしまうなど、まさ
に暴挙という他ありません。みなさんもこういう事例をご存じではありま
せんか?


[1901]  朝鮮のむこうに見えるものはネパール文化 [焼尻紋次郎]  10/01

 石上佳孝さん、アマカネ
 おらも初めのうちは『かむなび神社』の床の下を別荘にして、ジーっと耳を澄ませていた
のでしたが、あんまりオモシロイもんで、床のうえに這い上がって喋りはじめたんです。
 そしたら吐く息も使うことばも着ている着物も、あまりにもクサい紋で、リッパな別荘
http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi をあてがわれたような始末でんねん。
それでも、ここにカキコして叱られてばぁいやす。

 おとといも、上田さんと石上佳孝さんの会話を盗み聞きして、われながらアッパレな手柄
立てさせてもれぇやした。
 ソホリ……あがあがざんした。ソホリの意味解釈ですが、けふ「まず、これでマチゲェ
ねぇ」ちゅうのが出ましたので、3時間以内に上記へホニャリます。

 朝鮮とのあいだには「共通の歴史認識」作ることは可能だと思いますヨ。
 そんでもってあっしゃケッケムクリ(豊後方言 ; いっしょけんめい)励んで、毎日が
チョーおもれぇんで……。
 朝鮮文化の先にはシナではなく、ネパールが見えてくるのです。前漢の武帝は広大な領土
拡張をやったのでしたが、朝鮮南部と日本列島は征服しないままでした。それはシチョウ運
搬は倭人がやっていたからで、その倭人の同族の多くが朝鮮南部と日本列島にいたからだ…
…と、おらは睨んでいます。
 来年のワールド・サッカーは三本足のカラスがシンボル・マークだそうで、今なら北朝鮮
が外れていますのでタイミングとしては絶好でんねん。……だがヤタガラスの YATA に決
定打が出らんとです。

 日本列島はほったらかしにしていても、他に抜きん出たスバラシイ文化が醸造される地形
に恵まれていました。それが CHI(みち)KUS(貫く)-I(所)……チクシだと睨みつけて
いる次第です。
 チクシ〜陸繋島文化に就いては三日の猶予をアマカネ。いまチョー・オモロイことやって
まんねん。

 愛日……これも有り難うございます。淡路のひとは「日」が好きなんですね。
 日外と書いてアグイと読ませる学者さんがいました。3〜4回ハナシに行ったのでしたが
酒を急ピッチで呑むことだけが身につきました。スポンと大竹割ったようなおひとでした。
 アグイは「大きい耳」にまちがいないでしょう。でも「アイジツ」はすんなり解釈したら
「ケンカに勝つ」……こんなのウソにきまってらぁ〜。なも。


[1900]  無題  [石上佳孝]  10/01

焼尻紋次郎さん、アマカネ(笑)

>朝鮮の人々で日本語の起源を朝鮮語に求める論者のほとんどに“恨(ハン)”が底流れ
>していて、正確な事実の写し取りが歪められている現実はイカンしごくです。

恨、というより、朝鮮文化優越論とでもいいますか、野蛮な日本には文化など
あった筈はないのだから、日本に残っているものは「全部」朝鮮の物まねなのだ、
という抜き難い偏見がありますね。確かに、古代には半島から渡来した人々自
身が作り上げた建物や工芸品などたくさんあったと思いますが、そもそも帰化
した人々に住む場所を与え、活動の場を与えたのはこの国に元から住んでいた
人々なのですから、「全部」朝鮮のものだ、というのはあまりに偏った見解と思
います。ただ韓国の研究者にははなからそれを信じ込んでいる人も少なくない
ようなので、親朝鮮・韓国派の政治家が言うように共通の歴史認識を作る、な
どと言うことはどだい簡単な事ではないと思います。

>「淡路には運河〜人工流路があったはずだ」と瀬藤師とやりあったことがありました。
>シデがでてきました。それを追いかけたところ、インドの岩塩を産する聖地の「シデ」
>まで行った……ところで沙汰やみになりました。

淡路に運河が、というのは興味深いお話ですが、どのような運河があったとお考えでし
ょうか?島をめぐる環境からは、特別運河など作らなくても海沿いを廻れば簡単に島を
一周できそうな気もします。また大きな川らしいものもないのですが・・。

>愛日はなんと発音するのでしょうか? 

「あいじつ」と発音します。何か古典に準拠するのだと思いますが、不勉強の故忘れまし
た。スミマセン。意味は「時を大切にする」というような意味だったと思います。

今後ともよろしくお願い申し上げます。


[1899]  世話はサンスクリット語ではなかった [焼尻紋次郎] [Url] 10/01

 筑豊のオッチョコチョイなんざは、いつも他人の世話やいて誤解されるのですが、もがき
苦しんでいる同僚を放っておけないのです。そういう「引き上げてあげる世話」をネパール
語で LOKSEWA といいます。

 世話ということばはサンスクリット語ではないか……と思われるのではないでしょうか?
 ところがドッコイ、こいツァ、サンスクリット語にはなく、ネパール語でした。
 サンスクリット語がジャンジャン入ってくる以前の段階に、仏教用語みたいな語彙が沖
縄を含めての日本列島に入ってきていた……由々しき事実なんです。
 シャリ(米)もサンスクリット語にはなく、ペルシャのほうにありました。

 ことばで意識と歴史を掘りくり返す; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi


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