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掲示板のログ(平成十五年 十月)お名前の敬称は省略しています。

[4656] Re[4655]: 無題  神奈備 2003/10/31(Fri) 08:46 [Reply]
風土記の飯石郡(いひしのこほり)の行政単位の復活ですね。
何年ぶりなんでしょうね。
それぞれ、由緒のある地域ですね。
所で、この合併は
> 個性を破壊するようなかたち
になるよりも、個性を伸ばすかたちになると良いですね。

[4655] 無題  安らぎ 2003/10/31(Fri) 00:37 [Reply]
 合併によって「鉄の道」が崩壊すると思います。特に
吉田村が孤立感を深めながら、新たな合併行政区に入る
ことでしょう。だけど、短期的な自己主張が強すぎて
結果的には、個性を破壊するようなかたちで合併する
のを地域の人々は納得しているのでしょうか?
 通りすがりでどうでもいいけど、今までたたらで関
与した方たちの行き場がなくなりそうで残念です。

[4654] Re[4653][4652][4651]: 音浦樋(おとらひ)  神奈備 2003/10/30(Thu) 15:37 [Reply]
『伝教大師全集』巻四に、紀伊国を代表する神として、「名草上下神」の名が見えます。この全集の他の部分にも、諸国の著名な神社列記の中に「名草上下溝口神」の名が見えます。
 名草郡は日前国懸神宮の神領ともなっており、名草で上下の二座とされる神は日前神と国懸神とするのは自然なことです。他の有力な神社は伊太祁曽神などですが、伊太祁曽の場合は三兄妹神、また紀伊三所神などと三座でセットになっています。
 江戸時代の『紀伊続風土記』には古伝として、日前神を下宮、国懸神は上宮としています。
 要するに、日前国懸神宮の本来の役割は用水の分配口の管理ー水分ー水利を司る神でした。日前国懸神宮の東600mに音浦樋と呼ばれる分水口がありました。
以上『和歌山市史』から。

> 「懸」の原義が忘れられた、という見方はどうでしょう。
天武末期と持統期は近接しており、この間に忘れられると言うよりは、紀氏の祖神の地位が伊太祁曽神から日前神(紀朝臣)国懸神(紀直)に移っているのかも。

> 伊太祁曽三神が分遷
伝承では現在の伊太祁曽神社の東500mの亥の森からとなっています。

> 国生み→・・→国懸
(..;)生み→生き生き→懸<(_ _)> 

[4653] Re[4652][4651]: 日前・国懸の語義  大三元 2003/10/30(Thu) 11:24 [Reply]
神奈備さん、早速ご覧下さりありがとうございます。

>  天照国照で形容される神は天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊、類例に天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊をあげておられませが、この神々はそれぞれ一柱の神の名を示す(思わせる)ように感じられます。実際には二柱の合成名かも。

そうですね。一つの人(神)に二つの性格を付与したり、二つの性格を二人(二神)に理解したり、ということはありそうですね。

>  日前国懸神宮の元宮とされる浜の宮の祭神は天懸大神、國懸大神。元宮だからと言って、この呼称が古いとは限りませんが、お説の一つの補強になるのかも。

おお。ありがとうございます。これなんか、まさに古来の原型を保っている、と云いたくなる事象ですね。しかし、仰るとおりこの呼称が古いということに確信が持てるのか、どうやってその不安を除去することが出来るのか・・・

> >  日前国懸神宮は日前神社と国懸神社を合わせてよぶ名前で、二座をまとめての呼称となっています。この二座には現在の伊勢神宮の内宮と外宮ほどの差がなさそうです。

二つの性格を二座に分けてみたり、一座に集約したり、なんてことなのかな、と、これは想像の域をでませんが。

> >  『日本書紀』神代紀の岩戸隠れ一書(第一)に、「天香山の金をとって日矛を作らせる。また、真名鹿の皮で天羽ブキに作る。これを用いて造り奉る神は、紀伊国の日前神なり。」と日前神の名が出てきます。上記の文には日矛については欠落があるようで、多分「紀伊国の国懸神なり。」とあったのでしょう。

なるほど。ここに「日矛」と、明示しては居ないが意味合いとしては(『古語拾遺』を参照しても)「鏡」の対が出ているのですね。

>  日矛:矛→滴り→国生み→・・→国懸

「懸」を「照・輝」の意味に考えている現状で、「懸」と「生み」とのつながりは、コトバの上からは思い当たりません。

> >  神代紀だから古い伝承とは限りません。かえって新しい創作が多いのかも。と言うのは『天武紀』朱鳥元年秋七月「幣を紀伊国に居す国懸神・飛鳥の四社・住吉大神に奉りたまふ。」と何故か国懸神のみが奉幣にあずかり、日前神の名は出てきません。

国懸 と 日前 という二つの性格を持った一つの神社、という考え方は出来ませんでしょうか?

>  天武天皇の末期にはまだ日前神は存在しなかったのか、格下の神だったのでしょう。

同上。

> 『持統紀』には国懸神の名も消え、紀伊大神の名で出てきます。天照大御神信仰が持ち込まれて日前神が誕生して来たのでしょう。

「懸」の原義が忘れられた、という見方はどうでしょう。(わかりやすく、紀伊大神とした?)

>  なお、持統存命の文武朝には、伊太祁曽三神が分遷さされています。

このお話が神奈備さんのHPにありましたよね。どこでしたっけ・・・?
浜の宮から分遷されたのでしたよね?

[4652] Re[4651]: 日前・国懸の語義  神奈備 2003/10/29(Wed) 18:14 [Reply]
 大三元さん アップのお知らせありがとうございます。
 天照国照で形容される神は天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊、類例に天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊をあげておられませが、この神々はそれぞれ一柱の神の名を示す(思わせる)ように感じられます。実際には二柱の合成名かも。
 日前国懸神宮の元宮とされる浜の宮の祭神は天懸大神、國懸大神。元宮だからと言って、この呼称が古いとは限りませんが、お説の一つの補強になるのかも。

 日前国懸神宮は日前神社と国懸神社を合わせてよぶ名前で、二座をまとめての呼称となっています。この二座には現在の伊勢神宮の内宮と外宮ほどの差がなさそうです。

 『日本書紀』神代紀の岩戸隠れ一書(第一)に、「天香山の金をとって日矛を作らせる。また、真名鹿の皮で天羽ブキに作る。これを用いて造り奉る神は、紀伊国の日前神なり。」と日前神の名が出てきます。上記の文には日矛については欠落があるようで、多分「紀伊国の国懸神なり。」とあったのでしょう。
 日矛:矛→滴り→国生み→・・→国懸

 神代紀だから古い伝承とは限りません。かえって新しい創作が多いのかも。と言うのは『天武紀』朱鳥元年秋七月「幣を紀伊国に居す国懸神・飛鳥の四社・住吉大神に奉りたまふ。」と何故か国懸神のみが奉幣にあずかり、日前神の名は出てきません。
 天武天皇の末期にはまだ日前神は存在しなかったのか、格下の神だったのでしょう。
『持統紀』には国懸神の名も消え、紀伊大神の名で出てきます。天照大御神信仰が持ち込まれて日前神が誕生して来たのでしょう。
 なお、持統存命の文武朝には、伊太祁曽三神が分遷さされています。

[4651] 日前・国懸の語義  大三元 [Url] 2003/10/29(Wed) 08:26 [Reply]
日前・国懸の語義を考えています。現状を上記URLにあげてあります。
「前」字が「鏡」を意味することがありそうだ;
「かかす」は「輝かす、照らす」の古語らしい(琉球語に残る)
が趣旨です。

[4650] Re[4649]: 私は古代で楽しんでいます。  玄松子 2003/10/29(Wed) 07:57 [Reply]
> 文献主義?
> だから、天孫降臨伝承は仏教伝来後の創作だと言われているのです。

その、「仏教伝来までの日本人は水平思考」というのは創作ですか?
文献から得た知識じゃないのですか?

[4649] 私は古代で楽しんでいます。  AYA [Url] 2003/10/29(Wed) 07:39 [Reply]
>どうも信頼に足る古い文献がないと、私にはなんともわかりません。

文献主義?
私は想像主義(想像好き)です。古代については文献が揃って無いから、私には面白いのです。
単語を○○語で解釈するというのも面白いと思いますよ。学者は、「その気になれば、何語でも解釈できる。たとえば、『古代日本人は英語を使っていた。参道はsun roadで、太陽に通じる道だ』といくらでもこじつけられる」と否定しますが、学術的に否定されてる物の方にこそパズルのように面白いことがたくさんあるように思えます。

>天孫降臨伝承なんかは、垂直思考に分類されないのでしょうか。

その通り!
だから、天孫降臨伝承は仏教伝来後の創作だと言われているのです。

何か、「○○説は正しい」「●●説は間違ってる」と“証拠(らしきもの)”をあげて言い合ってるわけですが、私的には「○○説も●●説もあるんだ〜。古代って、人間のやる事って面白いね〜」って感じです。

[4648] Re[4646]: レスです。  大三元 [Url] 2003/10/28(Tue) 15:38 [Reply]
AYA様
> 拝見しました。

ありがとうございます。

> >  「アラハバキは旅をして回る神という性格がある」とすると、修験者よりも、サンカ、ワタリかも?

どうも信頼に足る古い文献がないと、私にはなんともわかりません。

>  神は海の向こうからやってくるもの(天から降りてきたとするのは仏教伝来以後。仏教伝来までの日本人は水平思考で、垂直思考はなかった。雷(神鳴り)は天から落ちるけど??)だと思っていましたが、国中を歩き回ってる神もあるわけですね。

天孫降臨伝承なんかは、垂直思考に分類されないのでしょうか。よくわかりません。

>  サンカの起源は隼人だとする説があります。隼人は宮廷の番人になったわけなので、アラハバキも門番になった???

隼人のうちで番人になれなかったものがサンカになった、とか、なんか、どうにでもいろいろ想像できても、おもしろいけど、このテーマにはどうしようもない閉塞感があります。

[4647] Re[4645][4642]: アラハバキ  大三元 [Url] 2003/10/28(Tue) 15:31 [Reply]
神奈備さん

> > 大三元さん 興味深く読ませていただきました。

ありがとうございます。

> >  『日本書紀』斉明五年、蝦夷を服属させて大いに饗応しています。

ここに出てくる蝦夷語であろう固有名詞をアイヌ語で理解してみようと思ってますが意外に難しい。アイヌ語っぽいんですが。近く試案程度をアップしたいと思います。

> >  さて、その海神かどうかはともかくも、 一体誰がアラハバキと名付けたのでしょうか。

誰なんでしょうね。民俗の領域、というか、こういうことの「論理的(?)」研究って信頼にたる、且つ、然るべき古い時代の文献資料が無いから大変でしょうね。どうにでも言えそうなことになってしまわないのかなぁ、なんて思ってしまいます。

[4646] レスです。  AYA [Url] 2003/10/28(Tue) 07:28 [Reply]
大三元様
> http://www.dai3gen.net/arahabaki.htm
拝見しました。

 「アラハバキは旅をして回る神という性格がある」とすると、修験者よりも、サンカ、ワタリかも?
 神は海の向こうからやってくるもの(天から降りてきたとするのは仏教伝来以後。仏教伝来までの日本人は水平思考で、垂直思考はなかった。雷(神鳴り)は天から落ちるけど??)だと思っていましたが、国中を歩き回ってる神もあるわけですね。
 サンカの起源は隼人だとする説があります。隼人は宮廷の番人になったわけなので、アラハバキも門番になった???
 アラハバキの起源は、1.出雲説、2.東北説(青森説)、3.全国(縄文人の神)があるようですが、縄文人の神なら、隼人の神であるわけで、サンカとして新技術を伝えたので、神と崇められたのかも?

神奈備様
> http://www.kamnavi.net/jm/arahaba.htm
拝見しました。

 アラハバキ神社ってこんなに少ないんですね。柳田国男が『石神問答』の中で、武蔵にはたくさんあるって書いてあるけど、ないじゃん。ということは、柳田国男の時代から、今までの間で、全部消されたってこと? 何のために?
 浜北のアラハバキ神社は載ってたけど、小笠のは載ってなかったので・・・探せばもっとあるのかしら???

[4645] Re[4642]: アラハバキ  神奈備 2003/10/27(Mon) 14:39 [Reply]
> http://www.dai3gen.net/arahabaki.htm

大三元さん 興味深く読ませていただきました。

 『日本書紀』斉明五年、蝦夷を服属させて大いに饗応しています。
 津軽や胆振の蝦夷を服属させて大いに饗応した記事の後に、船一艘と五色に染め分けた絹を奉げて、その土地の神を祀った。とあり、講談社の文庫本の注に、海神なので舟を捧げたとあります。
岩波文庫では、注に齶田浦神か。とあります。
この記事は岩波新書の谷川健一著『日本の神々』では、土着民が祀った地主神に他ならないとし、アラハバキの神とだ断言していないのですが、いささか思わせぶりな書き方です。

 さて、その海神かどうかはともかくも、 一体誰がアラハバキと名付けたのでしょうか。
 神像に荒栲の脛巾が巻かれていたのを見た王権側の人間がそう呼んだのかも。

 また蝦夷をお客として饗応している記事になっているのは、マロードの言葉がなした編集者のいたずらかもしれませんね。何故なら饗応の後、皆殺しの記事がないから。

[4644] Re[4643]: アラハバキ  神奈備 2003/10/27(Mon) 10:12 [Reply]
> 神奈備さんのサイトにアラハバキ関連神社のリストがありましたが、私がリファしたのは、昔のこととてURLが変わっているみたいです。神奈備さん、あれはどこにあるのでしょうか?
>
http://www.kamnavi.net/jm/arahaba.htm
です。

[4643] アラハバキ  大三元 2003/10/27(Mon) 09:07 [Reply]
神奈備さんのサイトにアラハバキ関連神社のリストがありましたが、私がリファしたのは、昔のこととてURLが変わっているみたいです。神奈備さん、あれはどこにあるのでしょうか?

[4642] アラハバキ  大三元 [Url] 2003/10/27(Mon) 08:59 [Reply]
あらはばき と まろうど を考えた小文をあげておりますので
よろしかったらご覧下さい
今、見てきたところ、まだまだ中途半端ですが
http://www.dai3gen.net/arahabaki.htm


[4641] Re[4640][4639]: アラハバキ神社  AYA [Url] 2003/10/26(Sun) 23:51 [Reply]
>金へんに祖のハバキは、日本刀用語

知りませんでした。
通行人C様、教えて下さり、ありがとうございました。

>脛巾(はばき)

修験道に関係すると言われますが、私的には長スネ彦との関係の方が気になります。

[4640] Re[4639]: アラハバキ神社  通行人C 2003/10/26(Sun) 22:30 [Reply]
> 「金へんに祖」という時が読めませんでした。・・・わざと読めない漢字を使って、アラハバキ神社であることを隠そうとしたのかなと思いました。

すみません m(__)m 。『金へんに祖』のハバキというのは、日本刀などの鍔元にある真鍮や銅などで作った金具のことです。刀身(刃の部分)が鞘(ケース)からポロッと抜けてしまわないように固定する役目があります。時代劇などで刀を抜こうとしたときに、まず鞘の中から金色に光る金具が見えますよね、あの部分です。ちょうど刀の刃にかぶせた様子が、『脛巾(はばき)』・・・用途は違いますが今のレッグウォーマーみたいに脛(スネ)につけるもの・・・と似ているのでそのように呼ばれていました。『はばき』という用語は、工具などにも残っていると思いますが、専門職以外には日常的ではなくなりましたね。ちなみに室内の壁の下の方、床から5〜10センチの幅でついている板も、『巾木(はばき)』と呼びます。これら、「金へんに祖」・巾木も脛巾からきた言葉で『アラハバキ』には当て字でしょうね。
『脛巾(はばき)』も脛穿(はぎはき)、脛(はぎ<足のスネの古語)と穿(はき<ズボンをはくというハク)つまりスネにハクものという言葉の訛ったものだそうです。いずれも本来の『アラハバキ』とは別の言葉、借り物でしょうね。でも『脛(スネ・はぎ)』の語は少し気になるところですよね。〜スネ彦とか、〜束ハギとか・・・。
関係のないことを長々と失礼しました。

[4639] アラハバキ神社  AYA [Url] 2003/10/26(Sun) 07:10 [Reply]
小笠と浜北のアラハバキ神社へ行って来ました。写真掲示板に貼っておきました。小笠のはすぐに「アラハバキ」と読めたのですが、浜北のは読めませんでした。「金へんに祖」という時が読めませんでした。でも、近江雅和著『隠された古代』の78ページの表記にあったので、アラハバキと確認できました。アラハバキの表記が150通りもあるというのは、わざと読めない漢字を使って、アラハバキ神社であることを隠そうとしたのかなと思いました。

[4638] Re[4635]: 生駒山情報  神奈備 2003/10/24(Fri) 12:28 [Reply]
原田さん お知らせありがとうございます。

生駒山北嶺の哮ヶ峯が饒速日山なのかも知れません。底なしの井戸らしきものは確認できませんが。

 生駒山系には巨石が多く、多分ゴルフ場の造営でも失われたものがあったのでしょう。最近更新していませんが・・・↓
http://www.kamnavi.net/mn/osaka/nigiyama.htm

 いこまかんなびの地図わかりやすいですね。
 ただ市販の地図を眺めていますと、住吉大社の真東は恩地神社よりやや北の天照大神高座神社のような気がします。日の神であることが意味があるように思いますが。

[4637] Re[4634][4633]: 本の題名  神奈備 2003/10/24(Fri) 11:04 [Reply]
>>アラビア語のnabi-y(ナビー) 複数形ambiya(アンビヤ)
>>(注)神奈備の「なびい」。海人族の豊漁祈願の神である「あんば様」は複数形の語で、
>>陸の「ナビ」、海の「アンバ」である。

ありがとうございます。これは面白い。
福島県浪江町に鎮座する苔野神社(苔は草冠に召)は通称アンバサマと呼ばれているそうです。闇淤加美神、五十猛神三兄妹を祭神としており、日本武尊が創建したとか。

 また、江戸時代の亨保十二年(1727)に大杉明神がはやり神になったそうです。茨城県稲敷郡桜川村阿波958に鎮座する大杉神社「倭大物主櫛甕玉大神」が元の社でした。これが、東京都葛飾区の香取神社に突如として飛来、爆発的に信仰を集めたそうです。『民族神道論』宮田登著によりますと、『月見堂見聞集』には、「安葉大杉大明神、悪魔払いふてよいさ、世がよいさよいさ」との踊り歌が歌われたとか。 この安葉は常陸国安馬大杉大明神と称されていた安馬で、別に阿波とも記されています。

 安馬ではなく江馬大杉社と言う神社が三重県に鎮座、奉納の幡には江馬大杉社榎村神社奉再拝大屋津姫命大杉大明神廣前とあり、また五十猛神三兄妹が登場してきます。

 五十猛を主テーマとするHP神奈備の複数がアンバ様とは奇遇。

[4636] Re[4633]: 本の題名  玄松子 2003/10/24(Fri) 10:49 [Reply]
> 陸の「ナビ」、海の「アンバ」である。

カーナビのナビはナビゲート(navigate:航海)で、ネイビー(navy:海軍)と同様、海に関する言葉です。神奈備も海に関係するのではないでしょうかねぇ。

[4635] 生駒山情報  原田 修 [Mail] [Url] 2003/10/24(Fri) 10:28 [Reply]
神奈備さまへ
先日は生駒山の饒速日山情報ありがとうございました。
あれから訪ねていただいたかもしれませんが、急きょ変則休
みの日に生駒山の哮ヶ峯と言われる山塊と少し南方の生駒山
縦走路沿いにある巨石を確認してきました。周辺はすごく面
白いことがいろいろ分りそうな気がしてきました。
写真と若干の説明を「いこまかんなび写真帳」へ載せました
のでどうかご覧下さい。
なお余談ですが、私は鴨高田神社のすぐ横に住んでおります。

[4634] Re[4633]: 本の題名  ヴェトナムの風 2003/10/23(Thu) 22:40 [Reply]
ご紹介有難うございました、面白そうな本ですね。

>>アラビア語のnabi-y(ナビー) 複数形ambiya(アンビヤ)
>>(注)神奈備の「なびい」。海人族の豊漁祈願の神である「あんば様」は複数形の語で、
>>陸の「ナビ」、海の「アンバ」である。

機会があれば読んでみます。

[4633] Re[4629][4628]: 本の題名  金平糖 2003/10/23(Thu) 18:35 [Reply]
ヴェトナムの風さま、こちらこそ失礼しました。
きっかけをいただいて、同書を読んでいましたら、P.74に次のようにありました。
アラビア語のnabiyy(ナビー)、nabi(ナビー)....予言者、占い師。
     (注)神奈備の奈備に対応する。

P.72より
アラビア語のnabi-y(ナビー) 複数形ambiya(アンビヤ)
(注)神奈備の「なびい」。海人族の豊漁祈願の神である「あんば様」は複数形の語で、陸の「ナビ」、海の「アンバ」である。


[4632] Re[4631][4630]: 熊野神明についてお知恵拝借  神奈備 2003/10/22(Wed) 19:01 [Reply]
玄松子さん、ありがとうございます。
神明は神の意でしたか。
沼島に神明神社があって、自凝神社(オノコロ)の元社と伝わっているそうです。そうすると祭神は伊弉諾神、伊弉冉神と云うことにならざるをえません。沼島の北側に壁のように諭鶴羽山が聳え、元熊野宮と云われる諭鶴羽神社が鎮座、その影響下にあるので、熊野神明なる言葉が飛び出したのかも知れません。
 諾冉二神を祀るなら神明神社よりはまだ熊野神社の方がネーミングとしては後世わかりやすかった。
 山の神をヤマンドさんと云うそうです。神明神社はシメンドさんと呼ばれているようで、逆算しますとシメの神、島の神となり、オノコロ島といわれだしてから訛ってしまったシメから神明の文字を宛てたのかも。
 通りすがりの感想でした。

[4631] Re[4630]: 熊野神明についてお知恵拝借  玄松子 2003/10/22(Wed) 11:46 [Reply]
> とあるのですが、この「熊野神明」と云う言葉ですが、一体何と思われますか。

「神明社」「神明宮」と書かれる場合は、伊勢神宮の分社のことですが、
「神明」と書かれると、「天地神明に誓う」というように、一般的な「神」
という意味にもなります。
熊野神明の場合も、単に熊野神と見てよいのではないでしょうか。

[4630] 熊野神明についてお知恵拝借  神奈備 2003/10/21(Tue) 20:19 [Reply]
沼島に神明神社が鎮座。シメンドさんと云うようです。
南淡町教育委員会編の『ふるさと訪ね歩き』の説明文に「熊野神明と同様にイザナ・ギイザナミ神を祭神としている。」
とあるのですが、この「熊野神明」と云う言葉ですが、一体何と思われますか。
お知恵拝借いたしたいので書き込みました。

[4629] Re[4628]: 本の題名  ヴェトナムの風 2003/10/18(Sat) 09:26 [Reply]
金平糖さま

>>「消された星の信仰」とかいう本....「消された星信仰  榎本出雲・近江雅和/共著」

失礼しました、おっしゃる通りです。

[4628] 本の題名  金平糖 2003/10/18(Sat) 06:09 [Reply]
はじめまして。
宜しくお願い致します。
「消された星の信仰」とかいう本....「消された星信仰  榎本出雲・近江雅和/共著」のことかなーと思いました。


[4627] Re[4625]: takdirのまとめ  ヴェトナムの風 2003/10/18(Sat) 00:28 [Reply]
申し訳ありません、訂正です。

>>ことtakdirという「単語」に限定していえば、特に「神」や「宗教」のイメージは感じられません。

(イスラム教用語である「運命」という語義を除いては)・・・という条件が入ります。

[4626] Re[4625]: takdirのまとめ  玄松子 2003/10/18(Sat) 00:26 [Reply]
> それぞれ「(神が)・・・」という主語が省かれているのは明白です。

確かに。
「運命」だけでなく、形而上学的言葉全般に、「神」のイメージが付随していると考えられますから、takdirの一語のみに「神」を読むのは不自然かもしれませんね。

[4625] Re[4624][4623]: takdirのまとめ  ヴェトナムの風 2003/10/18(Sat) 00:16 [Reply]
玄松子さま

>>ムハマド(マホメット)以前の「神の意志」というのはなかったんだろうか。
>>ゴロ合わせ言語学には賛同できませんが、「運命」のような形而上学的な言葉には、
>>「神」「宗教」というイメージが付きまとっているように感じるんですが。

一般的にはその通りだと思います。
ただ、アラビアの古代土着宗教に関する情報は、イスラムによって徹底的に抹殺されたので、その周辺を追求するのはかなり難しいでしょう。聞いた話では、その被迫害宗教のことを書いた「消された星の信仰」とかいう本があるそうです。
さて、ことtakdirという「単語」に限定していえば、特に「神」や「宗教」のイメージは感じられません。かなり大きな辞書でtakdir前後の単語を確かめたり、また逆に「神」「神聖」などの意味を示すトルコ語やアラビア語を調べたりはしたのですが・・・。
焼尻紋次郎氏がトルコ語の単語とその訳語の漢語を混ぜ合わせ、足し算引き算までしなければ「tak=神」を「発見」できなかったのも分かる気がしました。
英語の例で恐縮ですが、「運命」を表すfateやdestinyの語源をたどると、fateはラテン語のfatumで、文字通りの意味は「話された(語られた)こと」。一方のdestinyはラテン語のdstinre、意味は「決定する」とあり、それぞれ「(神が)・・・」という主語が省かれているのは明白です。しかしラテン語の単語そのものは特に「神」「神聖」を表すものではないようで、それと似たような成立事情がtakdirにもあるのではないか?・・・・と愚考しているところです。

[4624] Re[4623]: takdirのまとめ  玄松子 2003/10/17(Fri) 17:48 [Reply]
> 前から「(運命)takdir」という言葉はもちろんあったはず、それがマホメット以後「運命とは神の意思そのもの」という解釈になったと考えられます。

ムハマド(マホメット)以前の「神の意志」というのはなかったんだろうか。
ゴロ合わせ言語学には賛同できませんが、「運命」のような形而上学的な言葉には、
「神」「宗教」というイメージが付きまとっているように感じるんですが。

せっかくの「まとめ」なのに、不躾でしたか。

[4623] Re[4622][4621]: takdirのまとめ  ヴェトナムの風 2003/10/17(Fri) 00:35 [Reply]
神奈備さんの実に鋭い切り口に感心いたしました。

>>>アラーの意思
>>と云うことはマホメット以降の使われ方の可能性があるとのことですね

そうですそうです、口下手な私がまどろこしくも言いたかったのは、そういうことなのです。
前から「(運命)takdir」という言葉はもちろんあったはず、それがマホメット以後「運命とは神の意思そのもの」という解釈になったと考えられます。しかし、「そのもの」であっても「同じ言葉」ではありませんから、takdirをいくら分解しても「神」が出てくるハズがないのです。
遺跡捏造の藤村某なら出るかもしれませんが・・・・

#おかげさまで、スッキリ終われました。

[4622] Re[4621]: takdirのまとめ  神奈備 2003/10/16(Thu) 08:24 [Reply]
ヴェトナムの風さん、ご丁寧にありがとうございます。
>お騒がせいたしました。
いえいえ、騒いだのは別の方で。
>アラーの意思
と云うことはマホメット以降の使われ方の可能性があるとのことですね

[4621] takdirのまとめ  ヴェトナムの風 2003/10/16(Thu) 00:53 [Reply]
お騒がせいたしました。

議論が中途半端な終わり方(全然気にはしていませんが)だったので、まとめを少々。

焼尻紋次郎さんも指摘なさっていたように、takdirはアラビア語起源の単語です。
アラビア語での意味は圧倒的に「運命」、これがトルコ語に入って問題の「神意」という訳語も出てきました。その理由は、イスラム教徒は「全てのことはアラーの意思で起こる Insha'Allah」と考える傾向があるからです。アラブ人にとって「運命」とは「神の意思」により決定されるもの、ですから「神意」と言い換えてもあまり意味は変わらない。これがtakdir(運命)の訳語儀に「神意」がある理由だと考えます。

しかし、しつこいようですが、「神の意思」と「(運命)takdir」は別の言葉です。

[4620] Re[4619][4618]: 鴨高田神社《再》  男爵@中央大学 [Mail] 2003/10/15(Wed) 02:34 [Reply]
>  鴨高田神社は昨年春の大相撲の頃に参詣、南側の鳥居のみカンナリを確認してきました。

カンナリは賀茂族のDNAの証しです。やっているうちに、神様と交信というか、神様の気持ちがわかってきます。カンナリが出ていても、全く聞こえない人もいるので、私は賀茂族の血のみが神霊の世界と交流できるのだと思います。
神奈備さんも、まさしく正当な賀茂の一族です。

源氏物語を見るまでもなく、公家というもの、本当に親子なのか、不倫不義密通の子なのか、あやしいわけですよ。しかし、DNAはウソをつきませんからね。

そして、カンナリが維持されている神社は、ちゃんと、その場所に鳥居や献灯台があり、ここにも以前、我が賀茂族の血筋の人がかかわっているなとわかるわけです。

それに、音が反響してずれるわけで、それが打ち返しのように聞こえるのに、音の速度は秒速300メートル以上でしょう。どこから反響しているのか、説明がつきませんよね。でも、「そういうこともある」と、私は割り切って納得して、眼に見えない世界とつきあっています。

>  カモが先なのか、モノノベが先なのか?
これは私も考え中なんですよ。中臣鎌足を例に取ると、彼は安威川の阿武山に葬られるでしょう。考古学的にも立証されたんですが、所伝では、あそこが生誕地だったという。つまり婿入り婚で、母方の本拠地で鎌足は生まれて育ったわけです。そこは津国造の三島県主の勢力範囲でしょう。中臣の本貫地ではないわけです。
ただし、大阪市内の「住道・スムチ」というのがあるでしょう。中臣住道連の領地だったわけですが、彼らもやはり物部の没官領の一部を受け取ったわけですよ。
もちろん、もっとも巨大な旧物部領の継承者は、四天王寺・斑鳩・播磨・備前などの巨大な私有地を持つに至った聖徳太子その人でした。

この婿入り婚という習慣は、今ではよく理解しがたいものがありますが、鎌倉時代の源氏の兄弟争いを見ていると、よくわかってくるんです。
鎌倉も婿入りで勢力争いをしているうちに、同族と他氏族と婿入り婚姻をめぐって、だんだん領地が入り組んでくるわけです。ただし、東大阪も開拓当時は田畑ができるところが互いに離れていたし、水源の確保が先決ですから、ある程度、空白の未墾地を協会にして住み分けもできていたと思うんです。中世以降のような水争いにはならなかったでしょう。
阿須伎神社の系統で、丹波の金河内というところに式内社・阿須須伎神社があるのですが、その谷間の村の入り口が「物部地区」という大字なんですよ。
それから話題になった走水の賀茂神社の隣りが「枚方市伊香賀」です。

[4619] Re[4618]: 鴨高田神社《再》  神奈備 2003/10/14(Tue) 16:59 [Reply]
 男爵さん こんにちは。

 鴨高田神社は昨年春の大相撲の頃に参詣、南側の鳥居のみカンナリを確認してきました。
前に話題となった産湯稲荷、比売許曽神社の更に東に鎮座、もっと東には祭神が岩船に乗って降臨したと云う石田神社が鎮座、おっしゃる様に物部氏の濃厚な地域であったのかも。

http://www.kamnavi.net/en/kawati/kamotakada.htm

 カモとモノノベ、分布地域がややこしいようで、お互いに振り変わりをしているように感じますね。また銅鐸の分布にしてもカモと見えたりモノノベと出たり、今に残る地名でも淡路の洲本市、摂津の淀川北岸、など。

 カモが先なのか、モノノベが先なのか?

[4618] 鴨高田神社《再》  男爵@中央大学 [Mail] 2003/10/14(Tue) 13:59 [Reply]
神奈備さん、まずは神社をお訪ねください。
三島鴨神社と同じように、鳥居下でカンナリもいたします。
鴨高田神社の由来ですが、この高田郷はもちろん、もともと物部氏族が開拓した地域なのですし、鴨氏と物部氏は大田種子尊が三輪を祭り、伊香賀色雄尊が補佐をした関係で、友族だったと思います。
しかし、物部氏が滅亡した時の東大阪一帯の戦乱の直前に、守屋大連が三輪君賢(正史には「逆・サカシ」)を謀殺したことがありました。そこで、鴨族としては、この戦乱に蘇我側の一翼として参加し、この高田郷の領地を「平家没官領」のように引き受けたのではないかという考え方が一つ。
もう一つは、ここが旧大和川の流域であり、他の旧大和川流域の式内社・賀茂神社と同じように、もともと大和川の交通支配・管理をしていた賀茂族の分家がいたということ。信長の時代にも、尾張で長良川水運を支配していたのが、生駒氏でしょう。生駒は物部の神奈備ですからね。
私は両方じゃないかと思っています。つまり、高田にはもともと鴨族が開拓した祭祀があったけれども、それから陸地の大半だった物部氏の旧領と物部の祭祀が廃止されたこと。
実は、この地域は現在でも高鴨神社の代々の崇敬者が多くて、大地主にも賀茂姓の人々がいます。東大阪は戦乱の被害が少なかったので、すごい旧家があるわけです。まあ、行ってみてください。

[4617] 船玉神 10 最終回  神奈備 2003/10/13(Mon) 11:57 [Reply]
船玉神の最終回です。終わるまでに熊野の船玉神社へと思っていまして、やっよ昨日の日曜日に参詣出来ました。船玉神社から本宮まで約2時間強で歩きましたが、本宮手前からはあいにくの雨になりました。

下記の伊太祁曽神の語源の一連のやりとりは見苦しき罵声で終わりましたが、論戦にもならない底の浅さで論じていたのかと、唖然としております。

 お口直しに、駄弁を少々。

 『日本の古代8:海人の伝統』に中の「海人の信仰とその源流」田辺悟筆があり、その中で、船神にかかわる南方的な流れとして「オナリ神信仰」を挙げられています。
 この信仰は、姉妹神が美しい蝶になって弟を守りにやって来たとか、白い鳥となって兄の船のトモにとまっている、との沖縄や奄美の信仰に見るように、(船に乗っている場合のみではないでしょうが)女兄弟が男兄弟の守り神となる「妹の力」の現れを指しているようです。

 また、造船儀礼には「山の神」から樹木を頂き、樹木の守り神を船の守り神としてしまう信仰があります。熊野の山奥や伊太祁曽神社の植樹神が船の守り神となっていくのは自然の流れのようです。これとは全く反対に、船材について来た山の神の霊を振り落とす習俗もあります。コケラオドシと言い、船を揺さぶるのです。
 この揺さぶるのは船霊を船に安定させることが本当の所、赤子をゆさぶってあやすのも、不安定な魂を安定させるためと折口信夫は言います。
 揺さぶって落として、新しい魂を安定させるのでしょうか。よくわかりません。
 
 どうも船霊とは特定の神ではなく、祖霊のようなもので、船頭の家の女が祀っている神が船を守るのであって、それゆえに女の髪の毛などが御神体とされるとの見方もあるようです。

 船玉髪の御神体は人形、毛髪、賽二個(海上浮遊の木で海亀がついているものは尊ばれる)、青銭などの幾つか、のようです。

  どうも神社名がよくわかりませんが、若狭の冠山には船そのものも御神体とする神社があるそうです。

 船内に船玉様を納める場所は、帆柱の根元の筒と呼ばれる所、またはモリと呼ばれる所、住吉の筒男の筒はここからとの見解があります。

 船に女が一人で乗ることはタブー。理由はいくつか推測されています。船霊がその女に憑いてしまうからとか言う。もし一人で乗る場合、人形または鏡などを持って乗ればいいとも言います。
 船下ろし(新造船の進水)の場合には、二人の女を船に乗せるとか、一人の場合には一度降りてからまた乗るようにするなど、一枚下は地獄の船、さまざまな信仰と迷信が残っていて不思議ではありません。

[4616] Re[4614]: ... 覆 面 を と れ ...  神奈備 2003/10/12(Sun) 23:09 [Reply]
>  瀬藤どん、こういう覆面ヅラとつきあうのはマッピラじゃ。もう、いいだろ? 
 ヴェトナムの風さん、これ以上は無駄のようです。
 モンジローさん、もう書き込みは要りません。

[4615] 無題  lang 2003/10/12(Sun) 22:59 [Reply]
ヴェトナムの風さんの言うことは正しいと思います。批判すると癌になるがごときことまで言うに至っては、もはやまともな議論は不可能でしょうが、あなたの主張は間違っている(あるいはいいかげんである)ということだけは記しておきたいと思います。

[4614] ... 覆 面 を と れ ...  モンジロー [Mail] [Url] 2003/10/12(Sun) 19:20 [Reply]
 首なしふうしゃん、アマカネ
 何を含んぢょるんカネ。オレの諭しも馬耳東風か。へつらうヒマないんじゃがねぇ。

> 貴兄の「大学書林刊;竹内和夫著『トルコ語辞典』」も参照しましたが、やはり数個あるtakdir 
> の訳語義の中で「神意」は最後に置かれて‥‥
★ どこ見ちょるんじゃ。takdir には「評価、認識、神意、場合」の4つの訳語が並び、“神意”は最後ではないぞ。事実を歪めて云うは‥‥
★ このごろの外国語辞書は、その国語にまったくのシロートでも、辞書に準拠してゆっくり読めばその国で発行されている新聞をも読むことができる……ということに主眼目が置かれて編纂されている。この辞書もその例外ではない。語源を求める姿勢での価値は訳語(日本語)の書かれた順序とは別にある。
★ takdir の二つ下に takdis( 神聖視……s は主格、名詞をあらわす) があったのを見落としたカネ。

 takdir 周辺に「からかい好きの」とか、「からむ」があるので、からかってやろーと思ったんじゃないだろうナ。

 あの、ガンになった人物……ナ、できたらオレが中に入って、お子さんぐるみの怯えを取ろうと思って、「なんでそうなったのか」を訊いたとき、「イヤア、ちょっとからかってやったんだ」という返事が来た。
 「からかっていいひととはどんな人だ?」とやりとりしてるうちに、ガンになった。
 そのテーマが「まほろば / まはらば」だった。

 瀬藤どん、こういう覆面ヅラとつきあうのはマッピラじゃ。もう、いいだろ?

[4613] 伊太祁曽の語源について  ヴェトナムの風 2003/10/12(Sun) 15:20 [Reply]
焼尻紋次郎さま

わたくしへの返信という体裁を借りて、実はご自分の言語観を長々と述べられておられる。
しかし、その中にわたくし(読みにくいので、以下「私」に変更)の質問に対する回答が含まれていないのは残念なことです。

皆さまにも誤解のないように、私の質問のスタンスをご紹介しましょう。「神奈備」は神社関係の中でも、抜群の実績と信頼を誇るサイトであると認識しております。当然人気も高く、毎日大勢の方が訪れ、掲示板の書き込みも参考にされているのは言うまでもないことです。そのような場で「伊太祁曽の語源はトルコ語(アラビア語起源)だった」と断定する書き込みがあれば、その根拠を詳しく説明するように要求するのは、掲示板参加者のいわば義務です。
私は今までにも何度か貴兄に質問したことがありますが、いずれも「神名」の解釈についてでありました。
思いつくままに挙げると、1回目はベトナム語のnuocを「ノウチ」と読み、これが「ククノチヒメ」や「竹之内」姓の語源だと断定された時(nuocは「ヌック」です)。
2回目の「大黒天の語源」はまだ記憶に新しいところです・・・・まだ他にあるかもしれません。

要するに、私はこの掲示板の趣旨に沿ってお尋ねしているつもりであり、貴兄から「ここは言語専門の掲示板ではないので・・・」と注意を受けるような書き込みはしていないはずです。

さて、今回の「伊太祁曽の語源」トルコ語(アラビア語起源)説も、多くの掲示板読者にとって「寝耳に水」の突飛な解釈であります。
>>『“TAK=神”(トルコ語 Takdir……神意、dir はこころ)』だった。

貴兄の「大学書林刊;竹内和夫著『トルコ語辞典』」も参照しましたが、やはり数個あるtakdirの訳語義の中で「神意」は最後に置かれており、基本的な訳語ではないことを示しています。ここでも基本は「評価」「推測」となっていますね。
問題は、「神意」というやや派生気味の訳語義である漢語とトルコ語(アラビア語起源としてもよろしいが)を一対一に並べ、次のような引き算によりtakの意味を推定していることです。
takdir = 神意
dir = こころ
∴ tak = 神

しかし、これだけでは神奈備の読者を驚かせた新説の説明としては、甚だ弱いと言わざるを得ません。それで、もっと他にtakを「神」とする説得力のある根拠をお持ちなら是非提示していただきたいものです。それでなければ到底納得できるものではありません。

私の申し上げたいこと(お願い)は以上です。

[4612]  ..古 代 言 語 の 銀 座 通 り ....  モンジロー [Mail] [Url] 2003/10/12(Sun) 06:49 [Reply]
 そんなにはコミいったことではないように表現できそうなので、ここに書きます。

 オレ(アラビヤ語)は伊太祁曽様のイタキを「Iー○○V」という古代造語法の一つと
して考え、処理しました。イブリ、イフキ、イサチ、ネパール語 i.nam(名前すること…
…褒美)などは、この造語法にはまることピッタシです。
 この造語法での語頭の「I」は、ほかの O や E に代替されるのではないか‥‥は、
アイヌ語にみられるだけに、ものすごくコ惑的ですが、今のオレでは E. Oへのつっこみ
は力不足です。

 それでも「IーTAK」はアイヌ語の itak , タガログ語の itago(降霊をする)、恐
山のitako(巫女)や地名の潮来(イタコ)をみごとに止揚して国境のカベを融かしてし
まいました。

 TAKは起源的には“神”ですが、瀬藤どんに訴えたいことは、神という最高の深大概
念であっても、そこは語彙というものの宿運で、「慣用によって内意が変化する」という
大法則からは免れられないということです(船神だけに適用されたなど)。

 慎んでお詫びしますが、TAKはトルコ語ではなく、結果的にはアラビヤ語から採った
ということでした。
 ヤマトタケルが詠んだとされる「まはらば」だけをみると、ma がエデン語の「原理、
本源」であり、 p∂lは朝鮮語の「陸、場所」……、こう診るかぎりではアラビヤ語とい
う核が消えて、古代国際語みたいな領域に吸収されます。また「たたなずく」も朝鮮語の
t∫∂η t∫∂ηー(青々とした)が注目されます。
 しかし、アラビヤ語ということで憶いだしてほしいのは、「マンジュー ・ 同一イント
ネーションの八重山〜薩摩〜西長崎〜津軽のコロニー ・ 3母音 」のことです。
 3母音の消長をみると、7世紀のアラビヤ・イスラーム宗教革命のまえと後の二波にわ
たって彼の地の人びとがこの日本列島に渡来して、中央文化にも深甚な影響を与えていた
ことが知れます。
 渡来したときの人数が、どんなに少数でもトップの座を占領して、食べ物さえ潤沢なら
ば、ウネメ制度などを活用すれば、同族の数は爆発的〜ネズミ算式に増えます。
 後世の平家の核はアラビヤではないでしょうか。

 アラビヤ半島は巨大なヨキ(薪割り)の形をしていて、その刃の部分は西南から東北に
かけて、ほぼ直線です。西南からインド亜大陸にぶち当ったら、そのまま東北へインダス
河を遡上すれば都市がズラリと並んでいるパンジャブ(五河)地方です。
 ヨキの両側には巾200キロ平均の地溝帯の海があって、北はメソポタミア〜ギリシャ
につらなり、南側はエジプト・カイロへの道です。
 実際問題としては、エジプトでは4000キロもナイル河を遡って、峠をこえて「刃の
部分」の交易海路に物資を運んだ(また、持ち帰った)そうです。

 幸いなことに、東北のパンジャブ(五河地方)から「刃の交易海路」を通ってアフリカ
大陸にぶち当った先には皇統3000年を誇ったエチオピアがあります。
 ダウ船というのは、いつごろから発達し活躍したのかは知りませんが、パンジャブから
エチオピアの地帯こそ、ユーラシア語の揺籃だと思います。
 途中、インダス河の河口周辺(といっても、とても広い)にはウルドゥ語が喋られてい
ます。このウルドゥ語にはウルドゥ固有の語彙はまったくなく、語彙のすべては言語学者
によって「これはヒンディー語だ、これはペルシャ語だ‥‥」といった具合に帰属先が峻
別されています。これは何を意味していましょうか?

 トルコ語にも周辺言語の語彙がなだれ込んでいて、固有の語彙はすくなかった。いや、
西洋文明の公用語となったラテン語の、そのまた基盤となったギリシャ・コイネー方言で
も、固有の語彙は40%しかなく、あとは周辺からの借用でした。
 これは何を意味していましょうか?

 オレはひとりで、パンジャブ〜エチオピアのダウ船交易コースを(ユーラシアの)古代
語銀座と呼んで、にっかり笑ってエツになっています。

[4611]  ことばにかかわる会話の場をまちがいなくするための前提事項   モンジロー [Mail] [Url] 2003/10/11(Sat) 16:43 [Reply]
 風さん、アマカネ
 自分と話すひとが、自分のキラいなニンニクを食っていても、さほど気にもなりません。しか
し、自分と話すひとが、自分とちがう言語観をもっていた場合には、ことのほかドタマにきて脳底
をガタガタゆさぶられて拒否、排除、攻撃の感情に振り回されます。
 そういう事実は経験〜風聞はありますか? 
 おれ(これアラビヤ語だそうで……)は周辺でイヤッというぐらいに見せつけられました。
 一人は子供まで巻きこんで怯えで、ガンになってしまいました。ひとりはこの逆でオモシロクっ
てたまらず、ついつい徹夜して体調を崩して、これもすぐに死んじちめぇやした。

 どうしてそうなるのか‥‥、ここを理解しないままに言葉をいじくると大変なことになります。
 言語にかかわる語彙文法は数億のニューロンから成り、そこを、会話や読書をしているときには
瞬時々々に猛烈な速度で電子が飛び交い、入ってきた音声や文字を点検〜検討して正非を選別し、
相手の内意や著者の意向を汲み取っている……というのが現今の大脳学の知見だそうです。

 では、なぜ猛烈な拒絶〜攻撃となって顕われるのか。
 それは、ガン細胞を攻撃したりする白血球、リンパ球、T細胞などが示す自己同一化機能という
ことに還元できるでしょう。「自分ではない因子」を呑みこまないでは、どう考えていいかがわか
らないワケです。
 ここの言語が示す原理みたいなものが解ってなかったので、シロート・学者を問わず、これまで
どんなに多くの精力がスポイルされたことか‥‥!
 語源にかかわる言語学が文明開化このかた、江戸時代から一歩もすすんでいないのは、このメカ
の考えが吾人に普及されてなかった‥‥この一点こそが文明の進歩を邪魔立てしてきたのです。
 このメカをわきまえない人びととは野蛮状態です。おたがいにそういう野蛮状態を離れてこそ進
歩ある会話の場に恵まれると信じますので、ここで強調したくあえて申しあげました。
 
 ここは「つっこんだ言語」だけのテーマの場ではないため、続いてwww,.you-i.org → 『沖
縄・古代』で叙べましょう。続けて書くのは「あのへん〜凡ア−リア系言語語彙」の分布情況と、そこでのわれわれの取捨選択〜評価のことです。
 語源にかかわる考証は言語理論を煮詰めながらでないと前進できません。

 あ、あれはトルコ語ではなく、よくよく見たら「ア」が○囲いされていました。アラビヤ語起源
の(現代)トルコ語というわけです。大学書林刊;竹内和夫著『トルコ語辞典』。
 TAK(神)の評価は変わらないと思います。なぜ変わらないかということは、上のサイトで。
 dil , sil(こころ)はあちこちのア−リア系言語に見られます。r , l のシメつけ枠は緩やかで
す。
 なお、『kumanolife 掲示板』には他のことをも含めてかいてますのでアマカネ。

[4610] 船玉神 9  神奈備 2003/10/11(Sat) 13:25 [Reply]
> 振袖稲荷神社」というそうですよ。住所は 台東区浅草5-48
玄松子さん、ありがとうございます。

> 伊太祁曽様の語源
ここでも、TAKが問題となっています。託宣のタクとは良く言われます。

で、多久の名を持つ神社と船霊さんとの関係は?

 船霊様は予兆を示します示す。itak、アイヌ語では話すこと。(大三元さん)

 万葉集巻七 一二六六
 [原文]大舟乎 荒海尓榜出 八船多氣 吾見之兒等之 目見者知之母
 [訓読]大船を荒海に漕ぎ出でや船たけ我が見し子らがまみはしるしも
 [仮名]おほぶねを,あるみにこぎで,やふねたけ,わがみしこらが,まみはしるしも

 ここの多気 たけ たく:古語で「船を漕ぐ」「あやつる」の意味です。
 
 多久神社の多久魂、これは船を漕ぐことを守る神と推測できます。

 「タク」の古そうな神社のリスト
 越中国婦負郡 多久比礼志神社(たくひれしじんじゃ)塩宮「彦火火出見命 豐玉姫命 鹽土老翁」富山県上新川郡大沢野町塩 由緒 塩の採れる鉱泉を祭祀対象としたもの。

 丹後国中郡  多久神社(たくじんじゃ)天酒の宮「豐宇賀能当ス」京都府中郡峰山町丹波涌田山 由緒 羽衣伝説の天女(豊宇賀能当ス・とようかのめのみこと)を祀ってある神社。この天女は酒作りを伝えたので、甘酒大明神といわれた。

 大和国葛下郡 石園座多久虫玉神社 通称龍王宮「建玉依比古命、建玉依比賣命 配祀 豐玉比古命、豐玉比賣命」奈良県大和高田市片塩町 

 出雲國楯縫郡 多久神社「多伎都彦命、天御梶姫命」島根県平田市多久町274 由緒 出雲国風土記に「多久社」とある神社。北東に大船山があり、当社は大船大明神と呼ばれていた。阿遅須枳高日子命の后・天御梶姫命が多伎都彦命を生んだ地

 出雲国島根郡 多久神社 通称 天王さん「天甕津比女命 配祀 素盞嗚命」島根県八束郡鹿島町南講武 由緒 天甕津比女命と称奉る女神様で八束水臣津命の御子、赤衾伊農意保須美比古佐和気能命の御后神。

 隠岐国知夫里郡 燒火神社(たくひじんじゃ)通称 隠岐の権現さん「大日ルメ貴尊」由緒 日本海の船人に海上安全の神と崇められている。古くは船玉大明神と云う。熊野から来たとされる。

 対馬国下県郡 多久頭魂神社(たくづたまじんじゃ)「天照大御神、天忍穗耳命、日子火能迩迩藝命、日子穗穗出見命、鵜茅草葺不合命」長崎県下県郡厳原町大字豆酘字龍良山 由緒 近くに高御魂神社が鎮座、また安曇氏の拠点、豆酘はツツで、住吉神との関連も指摘あり。船玉神のルーツか。

 対馬国上縣郡 天神多久頭多麻命神社「多久頭魂命」長崎県上県郡上対馬町佐護字洲崎西里 由緒 側に神御魂神社が鎮座、女房神。天道の母神。

 甘く見て半分程度は海や船にまつわるようです。伊太祁曽神社も浮き宝の神です。

[4609] RE: ついに 伊太祁曽様 の語源がでました(補足)  ヴェトナムの風 2003/10/11(Sat) 00:31 [Reply]
焼尻紋次郎さま

ご参考のために、私の辞書によるtakdirの意味を書きます。
REDHOUSE Turkish-English dictionary (1999)
(1)評価、推測等 (2)感謝等 (3)賛美等・・・・とあって、最後にやっと(7)に「神の意志」が顔を出します。辞書の訳語の順番は重要で、より基本的な訳語から始まりだんだん派生的な意味の語に移っていくので、「takdir=神意」と一義的に書かれた辞書があれば知らせて頂きたいのです。もしtakを「神」と置いてしまうと、より重要な(一般的な)(1)(2)(3)の方はどうなってしまうのでしょう。これらは特に「神」と関係ありそうもないですね。takdirを含む単語で例を挙げれば、o takdirdeは「その場合に」ですし、takdirnameは「感謝状、表彰状」、takdimは「優先、紹介」などの意味です。
また、この辞書にdirが立項されていない理由は、dirは「心」とか「意思」という単独の意味を持つ単語ではないからです。別の単語の語尾について「・・・だ、・・・である」とか、または強調する役目をし、よって正書法ではtak dirではなくtakdirと一語に書きます。

#このような異論を申し上げるのは、少し前に神奈備さんがおっしゃた:
>>神社には地域の氏子と崇敬者がいます。いわば神社は彼らのモノと言って
>>もいいでしょう。HP発信者は通りすがりの人間です。生半可なことで過った
>>情報を投げ散らすことは厳に慎むべきことですね。

という貴重なご意見に全面的に賛同するからであり、焼尻紋次郎さんに対するわたくしの個人的な感情などは一切含まれていない、ということは断言できます。

[4608] RE: ついに 伊太祁曽様 の語源がでました  ヴェトナムの風 2003/10/10(Fri) 00:06 [Reply]
焼尻紋次郎さん、お久しぶりでございます。

今回もまた!とお思いになるかもしれませんが、小生の貧困なる知識から生じる愚問にお答えいただければ幸いに存じます。
>>『“TAK=神”(トルコ語 Takdir……神意、dir はこころ)』だった。

takdirは一般的には「称賛」とか「感謝」、「捧げ物」などの意味です。お持ちの辞書にはたしかに「神意」と書いてあるのですね?
それからdirが「心」というのもわかりません。私の辞書にはdirそのものが立項されていない状態です。もし焼尻紋次郎さんのお使いの辞書に、それらの意味が掲出されているとしたら、私も早速購入して勉強したいと思います。出版社を教えていただければ有り難し。
あと、これは余計なことかもしれませんが、宗教的な「祝福」を表すtakdisを参考に(あるいは類推)されたということはありませんか?。しかしtakは(建築の)アーチ型屋根を指し、「神」という意味はありません。
トルコ語で「神」を表す言葉はtanri(Tanri), ilah(Allah)が代表的なものです。

[4607]  ついに 伊太祁曽様 の語源がでました    焼尻紋次郎 [Mail] [Url] 2003/10/09(Thu) 18:53 [Reply]
 何年かかったのだろうか、5年かナ?
 伊太祁曽様の語源がやっとでた。だが、それは“なる”べくして“なった”
『“TAK=神”(トルコ語 Takdir……神意、dir はこころ)』だった。
 神がでた以上、これより深い概念はない。
 
 この“神”にたどりつく直前までは、「語源というものは語形誕生時の起源と
しての語源と、歴史の経過とともに付着した“解釈可能な語源”の二者があるの
で、「イ○○V(Vは母音)」の造語にはまちがいはないのだが、ここでの○○
に当る部分は「焚き、託、樗、竹、タケル、瀧、高、」などを総括した概念とし
て受容せざるをえなかった。そこへいざなった人物は香具さんだった。
 
 やはり、(神名はおろか)多くの日本語々彙が中央アジアやキュプロス島あた
りから来ているので、吾人は須く彼の地の辞書を読むべし。
 読まずして空想を続けたり、すでに読んでしまった小域の言語種に捕われて空
想を続けることは、おたがいに時間と労力の浪費であること、ここにふたたびそ
の鉄理が、われわれを導いているようです。

[4605] Re[4604]: 鴨高田神社  神奈備 2003/10/08(Wed) 19:18 [Reply]
> 神奈備さん、久々に場外乱入します。
 男爵さん、こんばんは。
 釜・カマ、神・カミ論ですが、御神木に鎌を打ち込んでいる神社が存在しているようで、鎌が神事に利用されたのか、依代であったのか、興味のある所ですね。
 和歌山県伊都郡 丹生酒殿神社摂社の鎌八幡宮など
 鎌+木は諏訪のほうにもあったような。

> 鴨高田神社の祭神が<新撰姓氏録>に出てくる大田種子尊の孫、大鴨積尊であることは近世(江戸時代初期)の記録にも明らかなことなので、<のりちゃん>さんのご指摘は本当にありがたく思います。

 『大阪府神社史料』と言う分厚い文献集があるのですが、鴨高田神社の項では、引用されている古い文献は『河内名所図絵』で、ここにはのりちゃんが引用してくれているように、「当社の隣、長栄寺の鎮守となり、今八幡と称する。」です。
大鴨積命を祭神としているのは『神名帳考証』のようですが、これは『名所図絵』より新しいので、当方は「江戸時代初期の記録」は承知していません。

 神社の名前からは鴨の神を祭った神社でしょうから、難波で活躍したであろう味耜高彦根神なのか、何をしたのかよくわからない大鴨積尊なのか、どうもはっきりしないように感じています。

[4604] 鴨高田神社  男爵@中央大学 [Mail] 2003/10/08(Wed) 17:13 [Reply]
> >  最近とんでもない解説のある神社紹介のHPを見つけた。鴨高田神社のこと。
> >  祭神の大鴨積命を何と鴨角身命(八咫烏)とやっている。
> >  調査と勉強をせずにゴロアワセ的に同神としているようだ。

神奈備さん、久々に場外乱入します。
鴨高田神社の祭神が<新撰姓氏録>に出てくる大田種子尊の孫、大鴨積尊であることは近世(江戸時代初期)の記録にも明らかなことなので、<のりちゃん>さんのご指摘は本当にありがたく思います。

私からも心より御礼申し上げます。

しかし、高日子を高ムスビと取り間違えて、大田種子尊を「高ムスビの子孫だ」と未だに主張している堺市の陶荒田神社もありますし、間違いやすいのは理解しています。枚方市走水(三島鴨神社の対岸)の賀茂神社も、大賀茂積尊を「大鴨角命」と誤記していましたが、どうもおかしいということで、高鴨神社に申し入れがあり、今では鈴鹿宮司さんが出張祭祀に出かけています。
徳島県にも大鴨積神社があるのですが、何と「オオカムヅミ」と読み直して、古事記でイザナギ尊が黄泉醜女に投げつけた霊桃の「オホカムヅミ」と取り違えてお祭りしているのです。こうなると、まるでオヤジ・ギャグの世界ですね。

よろしければ、鴨高田神社の東喜代子宮司さんに電話して、御由来を取り寄せてください。あそこは駅前ですから、訪ねるのも簡単です。どうぞよろしく。

[4603] Re[4602]: 船玉神 8  玄松子 2003/10/06(Mon) 21:50 [Reply]
>  田町の袖摺 ?

http://www.tokyo-kurenaidan.com/okamoto-inarijinjya1.htm
現在は「振袖稲荷神社」というそうですよ。
住所は 台東区浅草5-48 らしいです。

[4602] 船玉神 8  神奈備 2003/10/06(Mon) 21:28 [Reply]
 江戸時代に作られ、明治時代にはやった端唄があるそうです。

 端唄に「紀伊の国」と言うのがあり、江戸時代に作られ、明治初期にはやったと言います。

 紀伊の国は 音無川の水上(みなかみ)に
 立たせたまふは 船玉山(せんぎょくさん) 船玉十二所大明神
 さて東国にいたりては 玉姫稲荷が 三囲(みめぐり)へ
 狐の嫁入り お荷物を 担へは 強力(ごうりき)稲荷さま
 頼めば田町の袖摺も さしづめ今宵は待ち女郎
 仲人は真前(まっさき) 真黒九郎助(まっくろくろすけ)
 稲荷につまされて 子まで生(な)したる信太妻(しのだづま)

 花の吉原周辺のお稲荷さんが読み込まれた唄で、玉姫稲荷さんを嫁入りさせるべく、仲人の真先稲荷までたてて、嫁入り行列をしたのですが、九郎助稲荷にかどわかされてしまい、子まで出来ちゃったと言うストーリィです。

 稲荷の神々、特に玉姫稲荷を出してくるのに熊野の奥の船玉神社の隣の玉姫稲荷から話を出しています。

 玉姫稲荷神社 東京都台東区清川2ー13ー20
 三囲神社 東京都墨田区向島2ー5ー17
 合力稲荷 東京都台東区浅草6ー42ー8
 田町の袖摺 ?
 真先稲荷神社 東京都港区白金台2ー26ー14
 九郎助稲荷神社(吉原神社) 東京都台東区千束3ー20ー2
 信太妻 信太森神社(葛葉稲荷) 大阪府和泉市葛葉町
 子 安部晴明?

 かどわかした稲荷が真黒九郎助(九郎助稲荷神社)、黒いことは強いこと、と言う観念が、生き続けていたのですね。


[4601] 丹生都比売神社の展覧会  ひめちゃん [Mail] 2003/10/06(Mon) 01:22 [Reply]
和歌山県伊都郡、一時期、紀伊国一宮になったこともある
丹生都比売神社をテーマにした展覧会があります。
 場所:和歌山県立博物館(和歌山城の南隣)
 会期:2003年10月11日〜11月24日
 休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日が休館)
  丹生都比売神社に伝わる国宝・重文の刀剣、お神輿、狛犬などはもちろんのこと、
かつて神社に伝わり、現在では別の所蔵となっている舞楽装束、舞楽面、絵画、彫刻など
神社伝来の宝物を一堂に集めた初めての展覧会です。
 神社伝来の宝物ばかりでなく、空海と狩場明神、丹生明神の出会いの様子、
丹生都比売神社の四人の祭神を描いた四社明神像、また、
蒙古襲来に際しての明神の活躍ぶりを記した資料など、
ありとあらゆる「丹生都比売」関連の作品が展示されます。

神社が所蔵する刀剣類は、明治時代に東京国立博物館に預けられて以来、
ほとんど地元に里帰りしたことがありません。国宝の太刀は20年ほど前に一度、
里帰りしましたが、他の宝物も含め、その伝来品が一堂に集まるのは、中世以来のことと考えられます。
  謎と伝説に包まれた不思議の神、丹生都比売の実像に迫る展覧会です。必見です。
 詳しくは、和歌山県立博物館までお問い合わせ下さい。
  電話:073-436-8684/073-436-8670

[4600] Re[4586]: 船玉神 6  神奈備 2003/10/05(Sun) 13:33 [Reply]
>  熊野本宮大社は音無川に鎮座、この川の源流に船玉神社が鎮座、熊野王子社の猪鼻王子と発心門王子の間にあたります。

さっそくのウソ発見です。
船玉神社の場所は熊野王子社の猪鼻王子と発心門王子の間ではなく、猪鼻王子の手前に鎮座しています。三越峠と猪鼻王子との間と言うべきでしょうか。また三越峠付近まで音無川の流があるようですね。

[4599] Re[4595][4594]: 自戒自戒  神奈備 2003/10/05(Sun) 10:59 [Reply]
 知らないことを知ったかぶりする姿勢は特に見苦しいですから、

 おっしゃる通りですね。

 神社には地域の氏子と崇敬者がいます。いわば神社は彼らのモノと言ってもいいでしょう。HP発信者は通りすがりの人間です。生半可なことで過った情報を投げ散らすことは厳に慎むべきことですね。こちらも見直さねば。

[4598] Re[4594]: 他山の石  のりちゃん [Mail] [Url] 2003/10/05(Sun) 09:14 [Reply]
>  最近とんでもない解説のある神社紹介のHPを見つけた。鴨高田神社のこと。
>  祭神の大鴨積命を何と鴨角身命(八咫烏)とやっっている。
>  調査と勉強をせずにゴロアワセ的に同神としているようだ。

ご指摘ありがとうございますm(__)m
これはうちのことですね。

多分、似たようなことをたくさんやっているとは思うのですが。
表現を考えなおしたいと思います。

[4597] シンポ  京都地名研究会・広報係 [Mail] [Url] 2003/10/05(Sun) 02:03 [Reply]
秘められた南山城の地名を探る 投稿者:京都地名研究会・広報係  投稿日:10月 5日(日)01時37分37秒

各社の皆さんへ
                     平成15年9月29日
                     京都地名研究会 広報担当 小泉芳孝

取 材 依 頼
 冷夏も過ぎ秋の気配が一段と早まってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。
さて、いつもご協力頂き有難う御座います。さて京都地名研究会では、別紙のようなシンポジウム「秘められた南山城の地名を探る」を開催します。
古代天皇である継体天皇や地域に伝説が残っている神功皇后などについて日本の第一人者である堺女子短期大学の塚口義信学長や、この地域を研究している京都地名研究会員をパネリストとして専門の分野から報告して頂きます。今回のシンポジウムは、伝承だけではなく地域に実在していた物で歴史教科書をなどを書き変えなくてはならないのではないかと思われる内容となつていますのでご期待下さい。
 つきましては、皆様に取材して頂きたく、まずは、連絡させて頂きます。
                 記
開催日: 平成15年10月19日(日)
時 間: 午前10時〜16時30分 
場 所: 京田辺市立中部住民センター メインホール(収容人員200人以上)
    〒610−0311京都府京田辺市草内美泥22−2 0774−64−8810
来聴歓迎(事前申し込み不用)、小冊子資料代:会員無料、非会員500円(当日徴収)
パネリスト:塚口義信 吉田金彦 小泉芳孝 石田天佑 斎藤幸雄 シンポジウムの司会 古川 章
内容
1.神功皇后伝説は、伝説でなく山城を本拠地にして居住していた。
2.仁徳天皇「奴理能美の家と皇后いわのひめ磐之媛」は、日本最初の養蚕技術を持ち込んだところ。
3.継体天皇「筒城宮」は、息長氏(渡来人)の南山城と深い関係があり筒木に来た。
4.『竹取物語』のかぐや姫は、筒木を舞台にして書きあげられた。
5.山代の渡来人に関する地名について(酒・絹織物・鉄・発酵食品)がある。
6.山背(やましろ)は、平城京の背だけであったが、難波京からの背でもある。
主催:京都地名研究会   
共催:京田辺市郷土史会 京田辺市社会教育課内 0774-62-9550 
後援:京田辺市教育委員会、葛椏s新聞社、京田辺市観光協会、かぐや姫の里を考える会、
協賛:関西元気文化圏参加事業 (「関西から文化力 POWER OF CULTURE」ロゴマーク使用)

問合せ先 
○京都地名研究会 代表理事
〒600-8429 京都府京都市下京区御供石町360
 日本語語源研究所気付 吉田金彦
    Tell&Fax 075-361-8812 E−mail:manyousousya@ybb.ne.jp
○京都地名研究会 事務局
   〒617-0002 京都府向日市寺戸町二枚田12-46 綱本逸雄気付
    Tel&Fax 075-933-5667 E−mail:nimaida@nifty.com
○京都地名研究会 常任理事(広報担当)小泉芳孝
   京都地名研究会HP http://chimei.hp.infoseek.co.jp/
HP担当  kyotochimei@msn.com 広報係 小泉芳孝

以上

[4596] シンポジウム テーマ「秘められた南山城の地名を探る」   京都地名研究会・広報係 [Mail] [Url] 2003/10/05(Sun) 01:57 [Reply]
シンポジウム テーマ「秘められた南山城の地名を探る」  投稿者:京都地名研究会・広報係  投稿日:10月 5日(日)01時49分53秒

<シンポジウム> メインテーマ「秘められた南山城の地名を探る」 
 
 山城は古くから文化の栄えた所です。京都地名研究会では、南山城における『記紀』や『万葉集』などの古代地名や人名について、研究者をお招きして「秘められた南山城の地名を探る」を開催することとなりました。このシンポジウムにより南山城の古代地名を明らかにすることにより先進的な地域であったことがわかるのではないかと考えています。
日本語と日本文化の起源を知るには、地名への関心が一つの大きな意味を持っています。文献の記録をもとに、土地の伝承に耳を傾け、南山城の古代地名を明らかにしたい。

開催日: 平成15年10月19日(日)
時 間: 午前10時〜16時30分 
場 所: 京田辺市立中部住民センター メインホール(収容人員200人以上)
      〒610−0311京都府京田辺市草内美泥22−2 0774−64−8810
<交通アクセス> JR片町線 新田辺駅・近鉄京都線 新田辺駅下車
1.近鉄バスターミナルより 京阪宇治又は奈良交通バス(約8分)「草内口」下車すぐ
             草内行き8:30 9:00 9:30
2.JR新田辺駅より東へ徒歩約18分・近鉄新田辺駅より東へ徒歩約15分 
3.自家用車の方は、国道307号線 山城大橋の東側(駐車場30台)
   ■来聴歓迎(事前申し込み不用)、小冊子資料代:会員無料、非会員500円(当日徴収)

  10:00〜 10:10 総合司会:地名研究会 糸井道浩 (入口でシンポの質問用紙配布)
開会あいさつ:主催 京都地名研究会常任理事
                 共催 京田辺市郷土史会会長
【基調講演】 10時10分〜12時30分 
10:10〜11:20「神功皇后伝説のふる里を探る―南山城の“おきなが息長”の地名を手がかりとして―」
           塚口義信 堺女子短期大学 学長 (日本古代史・文化人類学)
11:20〜11:25  休 憩
11:25〜12:05「竹取物語ゆかりの筒木について」
小泉芳孝 京田辺市郷土史会理事 葛椏s放送(日本民俗学 郷土史家)
12:05〜12:30 「南山城の神社と伝承について」
石田天祐 日本語語源研究会 潟Mルガメシュ(幻想創作家 相撲史研究家)  
休憩12時30分から13時20分(昼食・シンポの質問用紙回収)
周辺食事出来る所少なく弁当持参して下さい。

【シンポジウム】 13時30分〜16時30分
 テーマ「秘められた南山城の地名を探る」      
冒頭コメント:
「つぎねふ山代と河内との関係」−地名から仁徳・継体の筒城行幸の跡を考える−
吉田金彦 日本語語源研究会代表 姫路独協大学名誉教授
予定パネリスト:塚口義信 吉田金彦 小泉芳孝 石田天佑 斎藤幸雄
シンポジウムの司会  古川 章

シンポジウムの予定項目    途中の休憩でシンポの質問用紙回収
1.神功皇后伝説と“息長”一族それに継体天皇「筒城宮」
2.南山城の古墳(椿井大塚山古墳・佐紀古墳群・飯岡古墳群)
山代の古墳出土鏡と被葬者は? 三角縁神獣鏡 神人車馬画像鏡
3.『古事記』に記す山代の地名・人名・祭神
「かぐやひめかぐや姫とおおつつ大筒きたりねおう木垂根王」「やましろ山代の之おおつつき大筒木まわかおう真若王」「やましろ山代の之え荏なつひ名津比め売」
「やましろの山代うちのおみ内臣」「やましろの山代おおくに大国のふち之淵」「やましろの山代うち内臣のおや之祖」
4.『竹取物語』にちなむ地名「山本驛」「筒城」「山崎」「甘南備山」「三室戸」など
5.山代の渡来人に関する地名について(酒・絹織物・鉄・発酵食品)
6.仁徳天皇「奴理能美の家と皇后いわのひめ磐之媛」
7.山代・山背・山城、筒木・筒城・綴喜、山代川・わから和訶羅河・わから輪韓河・泉川(河)・木津川など
  質疑・応答 16時15分から16時30分
京都地名研究会事務局 綱本逸雄から連絡事項の報告 
閉会あいさつ:京都地名研究会から
懇親会:17時30分〜 事前申込者のみ
主催:京都地名研究会   
共催:京田辺市郷土史会 京田辺市社会教育課内 0774-62-9550 
後援:京田辺市教育委員会、葛椏s新聞社、京田辺市観光協会、かぐや姫の里を考える会、
協賛:関西元気文化圏参加事業 (「関西から文化力 POWER OF CULTURE」ロゴマーク使用)
http://chimei.hp.infoseek.co.jp/


[4595] Re[4594]: 他山の石  玄松子 2003/10/05(Sun) 00:04 [Reply]
> ゴロアワセ的に同神としているようだ。

アマチュアとしては、それが楽しいことでもあるんですが、
決め付けや断定・思い込みは、サイト運営者としては自戒したいですね。

> 調査と勉強をせずに

知らないことを知ったかぶりする姿勢は特に見苦しいですから、
自分自身のサイトも見直してみようと、ちょっと思いました。
(全部見直す気にはなれませんが)

[4594] 他山の石  神奈備 2003/10/04(Sat) 22:04 [Reply]
 最近とんでもない解説のある神社紹介のHPを見つけた。鴨高田神社のこと。
 祭神の大鴨積命を何と鴨角身命(八咫烏)とやっっている。
 調査と勉強をせずにゴロアワセ的に同神としているようだ。
 玉依比売は全て一緒の神だとの論理と似ている。神の名には殆ど固有名詞はないように思う。即ち普通名詞だから、似た神格の神は似たような呼び方があるのだろうが、それらを同じ神としてしまう愚は避けたいものだ。
 HP発信者としては、もって、他山の石とすべし。と切に思います。

[4593] 船玉神 7  神奈備 2003/10/03(Fri) 22:08 [Reply]
 今でこそ、漁業資源を守るためには上流の森を守ることが大切と言われ出して来ましたが、古代の人々には生活実感としてこのような考えがあったのでしょうね。自ずから海人は山人でもあったのでしょう。

 『海の民俗学』牧田茂著で、日本全国に船霊信仰を広めたのは熊野修験者や熊野巫女ではないかとの指摘があります。熊野巫女やくぐつと箱の中に人形を入れる船霊信仰との関連を予感されているようですが、未だ解明は進んでいないようです。

 速玉大社の速玉之男神を斎く人々が船玉神を祀ったのですが、速玉大社の例祭に「早船」が出てきますのが、語呂合わせ的で面白い。
 天鳥船や船を「はやとり」と言うことがあり、これから推測すると、ハヤタマ、フナタマ、二語は同義かも。

 唾を吐いた時に生じた速玉神、およそ熊野海人が祀るのには似合わない神のようですが、伊邪那美神の葬送の地との伝承が深く残っている熊野の地、唾と伊邪那美神の死との関係、これは何だろう。

 伊勢の滝祭神社の神について『坂十仏参詣記』に「滝祭りの神はもと竜であって、沢山の人を呑んだが、後にこれを悔い改めて、御手洗いの所にいて人々の唾を飲んで修行している」との伝えがあると言う。(『アマテラスの誕生』筑紫申真著:講談社学術文庫)
 懺悔の気持ちが唾にはあるようですが・・・。

 『ざんげざんげ船玉大明神』に「..懺悔懺悔六根清浄、四大八大金剛童子、哀愍納受の一事礼拝、紀伊国牟婁の郡、音無川の水上に、船玉山船玉十二社大明神・・」と、懺悔と速玉、船玉とはつながっているのかも知れない。

[4592] Re[4591]: お答え申し上げます。  神奈備 2003/10/03(Fri) 18:12 [Reply]
 菅田正昭さん ありがとうございます。

 「東台所神社の神がぼくを呼ぶ」、面白いですね。

[4591] お答え申し上げます。  菅田正昭 [Url] 2003/10/02(Thu) 20:34 [Reply]
 皆様、初めまして。過日、ひさびさに自分の名前を検索していると、「菅田正昭さんこの人はどのような方なんでしょうかね。異端好きかな。たま出版が多いところが気にかかる所。」という記述がありました。どなたが、いつごろ、どういう文脈で、お書きになられたのか、過去ログに行き着くことができなかったので、詳しくは解かりませんが、お答え申し上げます。
 @この人は、どのような方なんでしょうかね。
  yahooかgoogleで、わたしの名前を検索してみてください。そうすると、一番最初に、わたしのホームページがあります。それを、ご覧になってください。
 A異端好きかな。
  おっしゃるとおりです。わたしは、神道十三派の教祖たちや創始者は、みんな〈異端〉的傾向を持っていたと考えています。
  ちなみに、〈古神道〉と〈言霊〉という語は、わたしがはやらせる要因を創ったと自負していますが、〈古神道〉と〈言霊〉に興味を持つ人は、みんな〈異端好き〉の人と呼ばれても仕方ないのではないかと思います。
  それとも、〈異端好きかな〉と書かれた方は、よほどの〈正統派好きかな?〉―おお、コワーッ!
 Bたま出版が多いのが気にかかる所。
  15冊(12冊)中の、たった2冊です。しかも、昭和60年3月と昭和63年1月刊行の、かなり前から絶版でした(ただし、その後、某社から文庫版で刊行)。
  たま出版が多いというのは、書かれた方の勘違いです。
         とほかみ ゑみため 菅田正昭 拍手

[4590] Re[4588]: 倭迹迹日百襲姫の意味  神奈備 2003/10/02(Thu) 16:14 [Reply]

klarinさん ありがとうございます。
> 悪評高いタミル語説
 そう言えば、勉強不足もあって実際にタミル語説での解読に出会ったのは初めてですね。

> 倭迹迹日百襲姫は、ヤマトの「toto(ヘビ)霊を崇拝する姫」
> 意富多多泥古  蛇の子

 二つの例を挙げられており、説得力がありますね。
 特に意富多多泥古は鴨族の祖でもあり、青草の謎解きが一歩進むかも。

[4589] 補足  klarin 2003/10/02(Thu) 10:30 [Reply]
補足致します。タミル語で「蛇瓜」という場合、日本語では「蛇」のことを意味
する場合があります。以下も同様です。

●タ kakk-am    a common creeper of the hedges(垣根の普通の蔓草);
          bitter snake-gourd(苦いヘビ瓜);
*ハハ
○日 hah-a     ハハ。ヘビ。「古語拾遺」(807)に、「古語に大蛇を
          羽羽(ハハ)といふ」とある。k/h交替。


以下のようなのもあります。
●タ arac-an  a common creeper of the hedges(垣根に這う普通の蔦);

hahaは日本語内部でhohoと交替可能ですので、hohodemiというのは蛇デミという
意味になります。デミというのはタミル語tev-u (deity)と対応する日本語tem-iが
連濁によりdem-iとなったように思えます。つまり「神」です。
ホホデミで蛇神となります(あくまでも、タミル語説を是とすればの話ですが)。

「磐余(彦)」はイワレ彦、イハレ彦ですが、これと対応するタミル語もやはり「蛇」
です。
*磐余(イワレ・イハレ)
●タ viyal-am   snake(蛇);
○日 iwar-e    イワレ。vi>wi対応。wi>i交替。

前信で、タミル語のtatt-anを日本語「竜(たつ)」ともしましたが、日本書紀
本文では、鰐のことを竜(たつ)と記述しています。
とすると、日本語で鰐というのは蛇のことである可能性があります。
waniはタミル語panin-am[serpent(大きく有毒な蛇)]の-n脱落形と対応します。


[4588] 倭迹迹日百襲姫の意味  klarin 2003/10/02(Thu) 10:00 [Reply]
初めまして。ROM ONLYでしたが、手が空きましたので書き込みさせていただきます。
悪評高いタミル語説から、倭迹迹日百襲姫の意味を考えてみました。
あくまでも試論であり、仮説に過ぎませんが・・・。

以下、便宜上、DBからペースト致します。
*倭迹迹日百襲姫の「迹迹(トト)」・意富多多泥古(オホ・タタネコ)の「多多(タタ)」・竜(たつ)
●タ tatt-an   common snake-gourd(普通の蛇瓜);
○日 tat-u     竜(たつ)。-nの脱落形。
○日 tot-o     トト。-nの脱落形。
○日 tat-ane    タタネ。大物主と活玉依毘売の子とされる意富多多泥古(オホタタ ネコ)の「多多」に該当する。-nの開音化として、tatan-eとするこ ともできる。「タタ・ネ」とする
場合、この「ネ」は「の」という意味なら「蛇の子」、「神(ネ)」という意味なら
「蛇神の子」となる。後者が妥当であろう(なお、タミル語ko(king)とすれば「蛇神の王」となる)。
意富多多泥古は、本来は「大田」ではなく、姓は「大」で、名は「多多泥古」のはず
である。「先代旧事本紀」に大田田禰古の子孫として「田田彦命」という名が
出てくる。この田田彦は神部直(みわべあたひ)の祖とされる。
また、「神祇志料」に「多太神社、多田(ただ)村にありて、荘神といふ。
蓋(けだし)大物主の裔、大田田根子命を祀る」とあり、これらからも、
「大田田根子」は「大の田田根子」と本来は読むべきである。  
しかし「オホタタ」という呼び方はおそらく馴染まなかったので、後に「オホタ」
というようになっていったものと思われる。意富多多泥古が「意富の多多泥古」と
区切れるとすると、古事記の編者の一人、太(おほ)朝臣安萬侶が想起される。

倭迹迹日百襲姫の「日」は「霊(ひ)」の意味で迹迹日で「蛇霊」となる。
次に「モモソ」であるが、上代東国方言では、中央語uがoと発音される場合があった。
この上代東国方言は、元中央語であった音韻を含んでいる可能性があるので注目
すべきである。由古作枳(ゆこさき/万4385など)は「行く先」であり、
弊古祖志良奈美(へこそしらなみ/万4389)は「舳(へ)越す白波」、
世母(せも/万3418など)は「為(せ)む」であった。 

そうすると「ももそ」は、momoにタミル語他動詞接辞-ttu(日本語-suに対応する)が
後接し、「ももす」という他動詞が文献時代以前に日本語として存在していた
可能性がある。そしてこれは、上述のように更に古くは元中央語を喋る人たちに
よって「ももそ」と発音されていたと思われる。よって、maimai-suはmomo-soと
対応可能である。-ai-が日本語とどのように対応するのか、事例が少ないので
明確に対応するとは断定できないが、倭迹迹日百襲姫は蛇巫(へびふ)とされて
いるので、そうであればここは「崇拝する」ということで、maimai-suが相応しい
といえるであろう。

●タ maimai    worship(崇拝);           
○日 momo-so  *百襲(モモソ)<モモす=崇拝する。

以上からすると、倭迹迹日百襲姫は、ヤマトの「toto(ヘビ)霊を崇拝する姫」と
言うことになる。とすると、蛇霊は大物主そのものである。この姫の別名とされる
ものに、倭迹迹姫というのがあるが、この場合は「蛇を崇拝する姫」となる。
古事記 でも夜麻登登母母曾毘賣命で「日」は省略されているが、蛇霊即ち蛇で
あり、省略しても大きな差はない。

・・・などといったところです。

[4587] Re[4585][4582]: 立岩  なにがし 2003/10/01(Wed) 19:10 [Reply]
ありがとうございました。


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