神奈備掲示板の案内とログ

神奈備掲示板

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掲示板のログ(平成十六年 十月)お名前の敬称は省略しています。

[5719] Re[5715]:むらくも  恋川亭 2004/10/31(Sun) 13:10 [Reply]
> 道行を蹴殺して草薙剣を奪ひ取る。
・・・住吉さんだけに、上段・中段・下段の三段蹴りだったのでしょうね。当麻蹴早も真っ青!

> 籠神社も若狭湾に面して、熱田−住吉連合(○暴にあらず)に加えてほしい所。

湾ですね、船ですね、交易ですね。海運だけに開運のご利益が。

[5718] Re[5716]:むらくも  恋川亭 2004/10/31(Sun) 12:55 [Reply]
> 忌部氏の祖神・天日鷲命は、阿波で穀、麻を植え、製麻、製織の諸事を創始されたとか。
> 忌部神社の神紋も、麻や梶の葉ですからね。

『穀』や『梶』が今ひとつ判らなかったので、玄松子さんのサイトを拝見しました。
穀=梶(かじ)、引用させて頂きます。

−−−梶(穀)のほう、
『忌部神社  徳島県徳島市二軒屋町2−48』
http://www.genbu.net/data/awa2/inbe_title.htm
『梶紋』
http://www.genbu.net/sinmon/kaji.htm

−−−麻のほう、
『忌部神社  徳島県吉野川市山川町忌部山14』
http://www.genbu.net/data/awa2/inbe2_title.htm
『麻の葉紋』
http://www.genbu.net/sinmon/asa.htm

 梶紋の神社の広がりも面白そうですね。何かおおいに語っているようなのですが、こちらの耳が悪くて・・・(^^)、はっきりと気づくまで興味深く意識しておきます。

[5717] 妹の力  神奈備 2004/10/30(Sat) 14:42 [Reply]
新潟県神社庁の方が、潟県中越地震神社被災情報サイトをブログで開設されています。
http://niigata-jinjacho.blog.ocn.ne.jp/jisin/
相当な被害の状況ですね。

2才男児4日ぶりに救出されましたが、母と姉は亡くなりました。二人の妹の力を感じます。

[5716] Re[5709]:むらくも  玄松子 2004/10/29(Fri) 17:56 [Reply]
> > 忌部氏の香りには紡績の側面もあるんでしょうか?
> 金属精錬の神と言われる天目一箇命は、筑紫と伊勢の両国の忌部の祖神と言われています。忌部氏は金属だけではなく、繊維も得意分野だったのでしょう。

忌部氏の祖神・天日鷲命は、阿波で穀、麻を植え、製麻、製織の諸事を創始されたとか。
忌部神社の神紋も、麻や梶の葉ですからね。

[5715] Re[5699][5695][5692][5687]:むらくも  神奈備 2004/10/28(Thu) 20:47 [Reply]
>  伊勢湾内に終日居て思ったのは・・・、大阪湾沿岸民から見て方位が90度入れ違うのですね。大阪湾の住吉さんの位置が、伊勢湾の熱田さんの位置になるのかな?・・・青草的になってきました、脱線失礼します。

『住吉大社神代記』に、神財流代長財、即ち神宝として、
神世草薙釼一柄 在驗 日月五星 左青龍 右白虎 前朱雀 後玄武
とあります。 日月五星などは釼に描かれているのでしょう。
http://www.kamnavi.net/sumiyosi/index.htm

『平家物語』には以下の通り。
道行尚立返りて、三七日行なひて今般は、九条に包みて出でける間、袈裟をも破る事〔を〕得ずして、筑紫の博多まで逃げ帰りたりけるを、熱田明神、安からぬ事と思召し、住吉大明神を討手に下し、道行を蹴殺して草薙剣を奪ひ取る。

草薙釼は熱田神宮にあるのが相場ですが、一時、河内方面に来ていましたが、それゆえに、住吉大社の神宝となってしまったのではないと思います。

熱田と住吉、祭祀を司った氏族は尾張氏と津守氏、ともに火明命の後裔です。さらに言えば、丹後の籠神社の海部氏も同族となり、海部氏の系譜に天村雲命が登場するのも故あり。

籠神社も若狭湾に面して、熱田−住吉連合(○暴にあらず)に加えてほしい所。

[5714] Re[5712][5705][5703][5702]: 松尾の磐座  神奈備 2004/10/27(Wed) 08:10 [Reply]
> 古事記ゆかりの「多神社」拝殿横の招魂木の実が枯れる前の状態で台風で落ちていたので、始めてこれが鈴の原型だということを納得しました。太安万侶さんが教えてくださったように感じました。

招魂木、オキタマがオガタマに訛ったそうですね。
岩戸開きで天鈿女命が手に持って舞った鈴の木のルーツ。
http://www.kamnavi.net/as/oosiritu.htm
に木と種の写真を入れました。

[5713] 加豆怒  恋川亭 2004/10/27(Wed) 00:13 [Reply]
・・・百千足る家庭も見ゆ国の秀も見ゆ

 桂川の大昔の名が、葛野川とか。北山の豊かな森林資源、縄文一万年の伝統を誇る杣人や木の匠たち、黄河仕込みの治水技術(秦氏持ってたの?)。度々の遷都に伴い活況を呈する木材の集散地。保津峡から桂川を通って淀川へ。
 桂川が大きく直角近くに曲がっている周辺、意味深やなぁ。『葛野の大堰』(秦氏造成?)。人工ダムを造って、計画的に大量の木材を流していたりして・・・、後世の「鉄砲(林業用語)」のように。それを『打下』と言ったかどうか???
 松尾の月読様から『葛野の大堰』が、眺めることができた・・・かもかも??? 幻視幻影幻想、謝々。

[5712] Re[5705][5703][5702]: 松尾の磐座  サン・グリーン [Mail] [Url] 2004/10/26(Tue) 10:24 [Reply]
> 長野でも数回の体感地震。みなさん大丈夫でしょうか。
長岡ではその後震度4以上の余震が200回を越えたとのこと、今日の無情の雨が心配です。
関西も近い将来に起きると予想されている「南海地震!」人事ではありません。
被災地の皆様にお見舞い申し上げます。
>
> 神奈備さん > 玄松子さん、お登りになるんでしたら、声をかけてください。枯れ木も賑わい、ご一緒いたしますよ。
> ペギラさん > わたしも。。。
サン・グリーン>わたしもお邪魔でなければお願いします。

神奈備さま
23日、桜井を歩く会ではありがとうございました。
古事記ゆかりの「多神社」拝殿横の招魂木の実が枯れる前の状態で台風で落ちていたので、始めてこれが鈴の原型だということを納得しました。太安万侶さんが教えてくださったように感じました。10月は古代の風を感じながら奈良を歩くのはいい気持ちですね。行程は平地10キロでしたが、腰の方はいかがですか?
またよろしくおねがいします。松尾のいわくらは前から行きたかったところです。
>

[5711] Re[5710][5707][5706][5705]: 松尾の磐座  神奈備 2004/10/25(Mon) 12:23 [Reply]
福嶋さん こんにちは。
> > 打 う、うた、うち、うつ
> > 下 おろし、おろす、くだる、くだす、さがる、さげる、した、しも
>  
> ※「打」⇒「た(だ)」
> ※「下」⇒「け(げ)」
> ※※「打下」⇒「猛・武」は、ありませんか?。

訓よみのみをリストアップしましたが、『新抄格勅符抄』の神名には当然音よみもありますので、おっしゃる通りです。
音よみの神社例 伊太祁曽神社
訓読みの神社例 速玉神 など
打 ダ、チョウ
下 カ、ゲ
猛、武に相応の葛野の神、特に神格が高そうまたは式内大社があって、『新抄格勅符抄』で特定できない神様がいたら、いいんですが・・。
音でタカであれば、葛野郡ではないのですが、綴喜郡の高神社が当たりますが、神格不明、式内小社、鍬靫で、無理筋のようです。

[5710] Re[5707][5706][5705]: 松尾の磐座  福島雅彦 [Mail] [Url] 2004/10/25(Mon) 01:13 [Reply]
> 打 う、うた、うち、うつ
> 下 おろし、おろす、くだる、くだす、さがる、さげる、した、しも
 
※「打」⇒「た(だ)」
※「下」⇒「け(げ)」
※※「打下」⇒「猛・武」は、ありませんか?。

[5709] Re[5708][5695][5692][5687]:むらくも  神奈備 2004/10/24(Sun) 08:33 [Reply]
> 忌部氏の香りには紡績の側面もあるんでしょうか?
金属精錬の神と言われる天目一箇命は、筑紫と伊勢の両国の忌部の祖神と言われています。忌部氏は金属だけではなく、繊維も得意分野だったのでしょう。
忌部氏は神祭りで幣を捧げるお仕事、多分これを作るのもお仕事。だから麻を植えるのかも。現在も、大嘗祭に木綿・麻布など種々の物を献上するのは阿波忌部氏の末裔。
歴史と文化の薫り高い麻植郡の名は吉野川市と言う名前に変更されています。オエの音を嫌ったのかな。出雲で大国主も発しているのに。

> 天村雲命=建位起命 なのでしょうか
補助線として五十猛命を置けば、何となくわかったような気分。
海部家の文書の一書では、建位起命の子に宇豆彦命がいますが、この宇豆彦命の同じ名前が紀氏の系譜に、大名草彦→宇遅比古→宇豆彦とあり、紀の国魂神の五十猛命を置くことはさほど不自然なことではありませんとの我田引水。

[5708] Re[5695][5692][5687]:むらくも  恋川亭 2004/10/24(Sun) 02:48 [Reply]
10年前、震災の渦中に居ただけに、新潟での被災者の方々の大変な状況を察します。

> 『伊勢国風土記』逸文に、天日別命が伊勢津彦を信濃に追い払って伊勢の国を平定したとあります。
> 伊勢には天目一箇神も居て、忌部氏の香りがしています。

「天日別命と天日鷲命とは別神」だったそうですね、すみません。天日鷲命→忌部氏。阿波忌部、麻植大宮司家の系図を『古代豪族系図集覧』より引用してみます。

 神魂命 → 角己利命 → 五十狭布魂命 →
 天底立命 → 天背男命 → 天日鷲翔矢命(天日鷲命)→
 大麻比古命 → 由布津主命(阿八別彦)−−−−

この天日鷲翔矢命の子には、大麻比古命の兄弟として、
  天白羽鳥命(伊勢麻績連祖、又名 長白羽命)
  天羽雷雄命(倭文連祖、又名 武羽槌命)
と記載されていました。阿波忌部 → 伊勢 → 安房忌部。
忌部氏の香りには紡績の側面もあるんでしょうか?
 『あさうえ』→ 麻植(オエ)
       → 淡・阿波・安房(アワ・アウェ)
・・・かなり、青草です。(/..)/
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
さて、本線に戻りまして『天村雲命』。海部家の文書では、

 天火明命 → 天香語山命 → 天村雲命 → 倭宿祢命

とありました。また、

 彦火明命 → 彦火々出見命 → 建位起命(タケ・イタテ)
 →〔宇豆彦命→〕 倭宿祢命 → 天登目命(葛木彦)

という記述もあるそうです。
 天村雲命=建位起命 なのでしょうか?

天村雲命が出てくる別の系図を見てみます。
『古代豪族系図集覧』より引用(尾張国造家の系図)

  天火明命 → 天香語山命 → 天村雲命 →
  天忍人命 → 天戸目命 → 建斗米命 →
  建多乎利命 → 乎止与命(小豊命:尾張国造初)

 乎止与命?・・・宮簀媛命のパパ!でしたね。偶々、尾張国造・熱田大宮司家の始祖に着目しただけです。この始祖神達からは、各地の国造や連・直など多様な氏を輩出しているので、天村雲命をもって尾張氏に限ることはないのですが・・・。
 宮簀媛命のストーリーが有名なだけに、草薙剣→天村雲命と遡りたくなりますね。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 國生神と関係しそうなので(遠慮)、渡会氏の系図を途中で省略していましたが、天日別命から五代降って、大若子命、乙若子命とあります。
 この大若子命、垂仁天皇の頃の大神主だったとか。天皇から標剣(しるしのつるぎ)を賜り、朝廷の命令で越の国の平定に従ったという。(・・・なんだか、ヒントがこの辺りに有りそうな感じです)
 玄松子さんのサイトから、検索・引用します。

『草名伎神社』
http://www.genbu.net/data/ise/kusanagi_title.htm
 標劔仗神(みしるしのつるぎのかみ)
 草薙劔 『神名秘書』
  境内社 式内社 伊勢國度會郡 大間國生神社
      豊受大神宮摂社 大間國生神社 おおまくなり
      大若子命(一名 大幡主命),乙若子命

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
@ 天叢剣(アメノムラクモのツルギ)というのは、
  「天村雲命に所縁の剣」という意味かナ?
  (剣よりも、まず神様ありき→海部・尾張・渡会の祖神)

A 「叢」という字はクサムラという意味もあるので、
  この漢字に引っぱられてクサの語が付いた可能性は?
  (ムラクモ→叢雲→叢→クサムラ→草ムラ薙ぐ→草薙)
  もっとも、クサも草でなく、ナギも薙でない別の古語、
  例えば「民を平定させた」という語義かも?

B 伊勢『草名伎神社』にある御神体の標剣(しるしのつるぎ)
  つまり「天村雲命に所縁の剣」と、
  朱鳥元年に天武天皇病気平癒のために
  皇居から熱田神宮に奉納された草薙剣とは、
  別の剣として分けて考えてみたいナ?
  (草薙剣複数説または固有名詞ではなかった説)

C 鉄の鍛造のときに加熱して赤らめることを
  「沸かす」とも言うことがあるが、
  「湯」(湯立て)と表現できる状態は、
  鋳造(鋳物イモノ)の方がイメージが近い。
  イタテ神かもしれない天村雲命に「所縁の剣」は、青銅製?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 以上、かなり妄想的なので青草向きの報告でしたね。

[5707] Re[5706][5705]: 松尾の磐座  神奈備 2004/10/23(Sat) 21:55 [Reply]
> ひょっとして、「うたおろす」と読んで、歌荒樔田(うたあらすた)であるという見解に達していたのでしょうか。

滋賀県高島町打下は うちおろし。
京都、寛永期に 打它公軌と言う町衆がいました。 うだ さんです。

打 う、うた、うち、うつ
下 おろし、おろす、くだる、くだす、さがる、さげる、した、しも

うつさ、太秦、面白いですね、
『新抄格勅符抄』では、葛野打下神とあり、葛野をつけています。太秦神としますと、大酒神社となるのでしょうが、葛野をつけないと打下神だけでは山城国内で一意的に決まらないと考えれば、月読神にひっつける意味でも、歌荒樔田にかこつけることができそうだと言った程度。

[5706] Re[5705]: 松尾の磐座  玄松子 2004/10/23(Sat) 21:00 [Reply]
> ところで、「打下」は、どのように読むのでしょうか。(読めるのでしょうか)
> 「うつさ」と読むと、「太秦」に近いですね。

ひょっとして、「うたおろす」と読んで、歌荒樔田(うたあらすた)であるという見解に達していたのでしょうか。
ならば、蛇足だったかも。

[5705] Re[5703][5702]: 松尾の磐座  玄松子 2004/10/23(Sat) 20:11 [Reply]
長野でも数回の体感地震。みなさん大丈夫でしょうか。

神奈備さん > 玄松子さん、お登りになるんでしたら、声をかけてください。枯れ木も賑わい、ご一緒いたしますよ。
ペギラさん > わたしも。。。

撮影は禁止なので、長野から積極的に予定を組んで、という気は今のところないんですが、いづれ。

ところで、「打下」は、どのように読むのでしょうか。(読めるのでしょうか)
「うつさ」と読むと、「太秦」に近いですね。

[5704] Re[5703][5702]: 松尾の磐座  ペギラ 2004/10/22(Fri) 22:44 [Reply]
>> 玄松子さん、お登りになるんでしたら、声をかけてください。枯れ木も賑わい、ご一緒いたしますよ。
>

来春からなら時間が取れると思いますんで、
わたしも。。。

[5703] Re[5702]: 松尾の磐座  神奈備 2004/10/22(Fri) 22:43 [Reply]
> 松尾大社の松尾山(別雷山)にある磐座へ登拝できることは、みなさんご存知でしたか?
> http://www1.neweb.ne.jp/wa/matsuo/iwakura01.html
>
知りませんでした。そうですか。
玄松子さん、お登りになるんでしたら、声をかけてください。枯れ木も賑わい、ご一緒いたしますよ。

[5702] 松尾の磐座  玄松子 2004/10/22(Fri) 18:57 [Reply]
松尾大社の松尾山(別雷山)にある磐座へ登拝できることは、みなさんご存知でしたか?
http://www1.neweb.ne.jp/wa/matsuo/iwakura01.html

三輪山同様、届け出ればできるようです。
残念ながら、一人では禁止だそうで、僕が登ることは難しいのですが。

[5701] 打下情報  神奈備 2004/10/22(Fri) 15:28 [Reply]
葛野郡の9世紀頃の村名と現在の字
(『京都文化の再発見』後藤清、山尾幸久編 淡交社)

下林  大北山、小北山、杉原
上林  北野、等持院
綿代(メテ) 谷口
田邑  御室、宇多野、常磐谷
葛野  太秦、郡
川辺  中野、下嵯峨東部
高田  嵯峨野、東梅津、西梅津
橋頭(ハシモト)  下嵯峨西部、天竜寺
櫟原  上嵯峨
山田  上山田、松室、杉尾谷、下山田
川島  上野、徳大寺、上桂、下桂、千代原、川嶋
大岡  御陵、岡


京都名所図会 西京編
旧鎮座地については、松尾橋より南、桂川右側の月読塚(西京区桂上野町(カツラカミノ)、桂の里(下桂村)、下嵯峨斎宮神社など。

で、月読塚を探して歩きました。
某割烹料理屋の老主人談
 私が子供の頃に、あのマンションの向こう側に、椋の木が数本はえていた小さい森があった。月読神社の跡と言い伝えられていた。今は住宅地となってなんにもない。月読神社には松尾神の親神を祀ると言う。

 で、そのマンションの南側に行ってみました。上桂公園の北西側のマンション群にあたります。確かに住宅地になってしまっていました。
マピオン
http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=25000&el=135%2F42%2F00.950&pnf=1&size=500%2C500&nl=34%2F59%2F34.341

写真掲示の神奈備別荘に写真をアップ。

[5700] Re[5686]: 今日はありがとうございました。  神奈備 2004/10/20(Wed) 16:29 [Reply]
古事記の勉強会、飛び入りさせていただきありがとうございました。
パソコンに画像をプロジェクターで見せながらのお話、興味深く拝聴いたしました。特に神話がお祭りと言う形で再現されている神社と祭礼の画像は貴重なものだと思います。編集のご苦労察するに余りあります。
今後のご発展を祈念いたします。

三貴子の内の素盞嗚尊ですが、鼻から誕生しました。この神は台風の暴威を示す神(その子五十猛命は猛烈な台風のそれ)と言う原田大六氏の説が思い出されます。台風の目は一つ、まさに金属精錬の象徴の天目一箇神と重なってくるような気がいたします。
例えば、紀伊山地の一目の神、素盞嗚尊ならば似合う雰囲気ですね。

[5699] Re[5695][5692][5687]:むらくも  恋川亭 2004/10/19(Tue) 22:16 [Reply]
 たくさんのヒントを有り難うございます。『チャート式の参考書』みたいで嬉しくなっちゃいます。今週の宿題ですね、今から海部氏の系図を眺めます。
 嬉しいといえば、佐賀県の嬉野へ行ってきました。仕事なので神社も遺跡も立寄れなかったのですが、嬉野温泉を流れる塩田川の地図を見たら、川沿いに丹生神社がいくつも点在しているのですね。機会を見て再訪したいところです。

> 朝も早よから、尾張まで。

 よくご存知で。ハイ、朝も早よから常滑まで何度か行ってます。これも新空港の仕事なのでノンカミ状態。残念!立寄りたいところがあるのですが。
 伊勢湾内に終日居て思ったのは・・・、大阪湾沿岸民から見て方位が90度入れ違うのですね。大阪湾の住吉さんの位置が、伊勢湾の熱田さんの位置になるのかな?・・・青草的になってきました、脱線失礼します。

[5698] Re[5693]: リンクのお願い  神奈備 2004/10/19(Tue) 19:44 [Reply]
全国一ノ宮巡拝会様のHPと相互リンクをさして頂きました。「吉野にようこそ」のマルヤさんが紹介してくださいました。
こちらこそよろしくお願いいたします。

余談
ある種の能力のある神職さんはやはり毎年いくつかの一ノ宮を巡拝されています。パワーを頂けるそうですね。

打下メモ
『梁塵秘抄』
金の御嶽に ある巫女の打つ鼓 打ち上げ打ち下ろし面白や 我等も参らばや

[5697] Re[5696][5694][5691] 葛野郡  ペギラ 2004/10/19(Tue) 17:04 [Reply]
> > 「読」のある写本もないでしょう。

失礼いたしました。
印本・宮本にあるそうです。

国史大系は□(括弧)内の表記で「読」を記載しています。

國學院大學の資料はそちらを選択したのだと思います。

[5696] Re[5694][5691] 葛野郡  神奈備 2004/10/19(Tue) 14:44 [Reply]
>>> 山背国葛野郡月読神。樺井神。木島神。波都賀志神等神稲。
> 原文では、月読の「読」の字はありません。

神社データベース・古代
http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/kindex2.php?J_ID=11801
は読み下しではなさそうでっすが、山背国葛野郡月読神となっています。國學院大學の学生さんの手によっていますが、棒読みはしなかったのですね。
また、講談社文庫の『続日本紀』は読み下しで、月読となっています。

> 「読」のある写本もないでしょう。
月神では駄目だから月読神とかってに「読」を盛ったのでしょうか。

[5695] Re[5692][5687]:むらくも  神奈備 2004/10/19(Tue) 14:44 [Reply]
> 天嗣桙命 → 天鈴杵命 → 天御雲命 →
>『天牟羅雲命』 → 天波与命 → 天日別命−−−−

弘法大師にゆかりのある高知の室戸の五所神社の祭神に、天鈴鉾大神、天御雲大神、天村雲大神、天波與大神、天日別大神の名前が見えます。
五所神社では天鈴杵ではなく、天鈴鉾になっています。ホコホコの方が暖かい。

> 天日別命
『伊勢国風土記』逸文に、天日別命が伊勢津彦を信濃に追い払って伊勢の国を平定したとあります。
伊勢には天目一箇神も居て、忌部氏の香りがしています。

> 櫛真乳魂命
天香山神社 奈良県橿原市南浦町
『海部氏の文書』での天村雲天命の親神は天香語山命ですが、このような形で顔を出しているんですね。

> 天曽己多智命
見当たりませんが、天底立神なのかな。 

> 天波与命
朝も早よから、尾張まで。

[5694] Re[5691] 葛野郡  ペギラ 2004/10/19(Tue) 11:30 [Reply]
>おそらく歌荒樔田も現在地の近くの桂川べりだったのかも。
>例えば、桂離宮の月波楼辺りとか。
>
桂上野の月読塚と岩波大系本の頭注にありますが。
玄松子さんなら行ったことがあるかもねぎ。(笑)

> > 山背国葛野郡月読神。樺井神。木島神。波都賀志神等神稲。

原文では、月読の「読」の字はありません。
「読」のある写本もないでしょう。

現代の読み下しから、「読」が存在してきます。
ですので、「月神」と「月読神」の区別に関して疑問を感じたのです。

この月神だけが、どうして地名の神ではないのか?
葛野郡月神。というのでワンセットということか?
葛野神でも、月神でも、通用しない複雑な場所にあり、
同名の月神もあるということからなのか?
だから葛野郡月神。

そうすると、葛野の下に「打下」をつける理由もそこにあるのかもしれない。
ということで、「打下」は地名であろう。

> この神々は全て葛野郡のことかどうか、
> 樺井神 綴喜郡の樺井月神社
> 波都賀志神 乙訓郡の羽束師坐高御産日神社
> 従って、綴喜郡や乙訓郡も葛野郡であったとの説もありますが、これではあまりにも広すぎますね。

黛弘道説ですね。
「律令国家成立史の研究」って本も見たことがありませんので、
詳しくは解りませんが、「弟国評」という書かれた木簡が出土してからは、
成立しないだろうと、岩波大系本続日本紀の補注にあります。

平安京成立時の宇太村。この場所は???

[5693] リンクのお願い  管理室 [Mail] [Url] 2004/10/18(Mon) 23:07 [Reply]
全国一ノ宮巡拝会事務局です。
今日、巡拝会員の世話人横井さまより貴神奈備ネットを紹介されました。早速訪問いたしました。想いは皆様と同じと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

[5692] Re[5687]:むらくも  恋川亭 2004/10/18(Mon) 22:57 [Reply]
<『古代豪族系図集覧』より引用>

  神皇産霊命 → 櫛真乳魂命 → 天曽己多智命 → 
  天嗣桙命 → 天鈴杵命 → 天御雲命 → 
  『天牟羅雲命』 → 天波与命 → 天日別命−−−−

@渡会氏?!
Aパパは御雲だったのね。その他は・・・読めないッ
B天日別命?天日鷲命?
ムラムラ・・・勝手に暴走中

[5691] Re[5690][5688][5684]: 再々 山城国 月下美人  神奈備 2004/10/18(Mon) 21:03 [Reply]
桂と葛、カズのような音だったのでしょう。
熊野本宮が洪水で遷座していますが、移転先は大斎原のごく近くの山の裾です。おそらく歌荒樔田も現在地の近くの桂川べりだったのかも。例えば、桂離宮の月波楼辺りとか。

> 山背国葛野郡月読神。樺井神。木島神。波都賀志神等神稲。
この神々は全て葛野郡のことかどうか、
樺井神 綴喜郡の樺井月神社
波都賀志神 乙訓郡の羽束師坐高御産日神社
従って、綴喜郡や乙訓郡も葛野郡であったとの説もありますが、これではあまりにも広すぎますね。

[5690] Re[5688][5684]: 再々 山城国 月下美人  ペギラ 2004/10/17(Sun) 16:25 [Reply]
葛野郡宇太・宇多村というのがどこなのか?
宇多野の下ならば、
山城国風土記云からも考えられる、月読の旧社地予想の西京区桂
でぴったんこかんかんだろう。

でもずいぶんとアバウトです。
800年当時の葛野郡は、どんな村の構成になっていたのだろうか?

[5689] Re[5685]むらくも  神奈備 2004/10/17(Sun) 10:24 [Reply]
> せっかく継承した蛇毒を制することが出来なかったと・・・

天叢雲剣が伊吹山にとどまっていたので、その神霊は消えずに残っていた。。そこに天叢雲剣即草薙剣の化身とも言うべき日本武尊が現れ、火花が散って、神霊が化身をやっつけたと言うことにばらないかな。
こういうことが成り立たないのなら、どっかで等号が切れているのかも。

[5688] Re[5684]: 再々 山城国 月下美人  神奈備 2004/10/17(Sun) 10:23 [Reply]
> 樺井月神。というのが存在している。これらの神は従五位上になる神。
> 月神と月読神は違うということ?

延喜式神名帳の綴喜郡には
樺井月神社[カハヰノツキ](大。月次新甞。)
月讀神社[ツキヨミ](大。月次新甞。)
の名が見えます。ルーツは大住の月読神だったような由緒があります。


> 歌荒樔田(うたあらすだ)と打下とで関係するものはないだろうか?
宇多は勾配のある地ですから、現在も上ノ谷町と言うような地名がありますから、宇多の下をして打下はあり得るのかも。

葛野打下神と葛野の冠の社名は延喜式等では葛野月読神だけですから、上記打下と元地の歌荒樔田とのからみで、葛野月読神がクローズアップされてきます。

[5687] Re[5685][5682][5680]むらくも  恋川亭 2004/10/17(Sun) 00:22 [Reply]
<勝手に引用>
『女王に属していない国々と神々 』
http://www.kamnavi.net/ym/ymkuna.htm

 阿波板野 大麻比古神社「大麻比古神」
      銅鐸出土。
      徳島県鳴門市大麻町板東字平草広塚13

 阿波麻殖 山崎忌部神社「天日鷲翔矢尊 ほか」
      徳島県麻植郡山川町忌部山14

 阿波麻殖 天村雲神社「天村雲命、伊自波夜姫命」
      徳島県麻植郡山川町字村雲133

 阿波麻殖 天一神社「天目一箇加美」
      山川町には湯立郷あり、射楯である。
      徳島県麻植郡山川町奥川田 未確認

 阿波麻殖 川島神社「天日鷲命 ほか」
      銅鐸出土。
      徳島県麻植郡川島町大字川島193ー1
<引用終わり>

群雲(むらくも)。群がり湧き立ち出でる雲々。と言えば『八雲立つ出雲八重垣・・・』
雲の如く湧いて立ち昇るたくさんの煙?
古代の産業都市の様子?スモッグ?→ 青草に逆戻り(笑)

[5686] 今日はありがとうございました。  サン・グリーン [Mail] [Url] 2004/10/16(Sat) 19:30 [Reply]
神奈備さま

今日はわざわざ阿倍王子神社での「古事記の勉強会」においでいただきありがとうございました。ちょうど天の岩戸開きのところだったので、とてもタイミングが良かったです。
パソコンとプロジェクターで資料や音声を入れながらお話し始めてようやく勉強会らしくなりましたが、まさか神奈備さまが来てくださるとは!
まさに、岩戸が開いた感じです。また、時間があるときに助っ人に来てください!

それから、おたずねの「歩く桜井講座」の情報を書き込ませて頂きますね。
10月23日(土)近鉄橿原線・笠縫駅。午前9時半集合です。
参加費は資料代500円。弁当水筒は各自持参。雨天決行
問合せ先・0744−46−2222(桜井ジャーナル、室原さん)
今回は古事記編纂者太安万侶の多神社〜保津、宮古の鏡作伊多神社〜黒田の廬戸神社周辺(田原本町の西部)を歩くそうです。

[5685] Re[5682][5680]むらくも  玄松子 2004/10/16(Sat) 17:54 [Reply]
> 伊吹山では、同じ神どうしで戦ったことになるのかな。

草薙剣を持った日本武尊は、草薙剣(天村雲命・五十猛命)の化身だけど、
手放してしまったから、敵になったという見方ならできそうですよ。
せっかく継承した蛇毒を制することが出来なかったと・・・

[5684] Re[5683][5681][5679]: 再々 山城国  ペギラ 2004/10/16(Sat) 13:18 [Reply]
> 歌荒樔田(うたあらすだ)と打下とで関係するものはないだろうか?

岡山県久米郡中央町
打穴下 うたのしも

打下で宇太(うだ)の下(しも)なんてのは、どうでしょうか。

[5683] Re[5681][5679]: 再々 山城国  ペギラ 2004/10/16(Sat) 12:27 [Reply]
> 何故、葛野打下神であるのか、単なる打下神ではなく、また打下とは何か?
> 何故、占部神であるのか、地名はいらない=ユニークに決まる。
> ここが解読のポイントのように思います。

状況証拠を幾ら積み上げても、所詮推理の積み重ね。
決定的な証拠の「打下」を攻略しなければ
公判は維持できません。ですね。(笑)

歌荒樔田(うたあらすだ)と打下とで関係するものはないだろうか?

[5682] Re[5680]むらくも  神奈備 2004/10/16(Sat) 09:01 [Reply]
阿波の天村雲神社の紹介、拝読いたしました。
http://www.genbu.net/cgi-bin/update.cgi?index=7&target=awa2/murakumo2_title.htm

ご承知のことでしょうが、面白い話なので。谷川健一『古代人のコスモロジー』p.188

伊吹山の神は『古事記』では牛のように大きな白い猪であったが、『日本書紀』では大蛇となっている。『源平盛衰記』には、この大蛇というのは胆吹大明神の法躰であるといっている。そしてスサノオが八岐大蛇を退治して得た剣をアマテラスに献上すると、大神はたいへにょろこんで、これは自分が天の岩戸に閉じこもったとき近江国の胆吹岳に落ちた剣に違いない、と言ったという話を紀している。『日本書紀』によれば、その剣はヤマトタケルの持っていた草薙剣でもある。中略。栗田寛は、ヤマトタケルがまたいて通った大蛇は伊福部神と同じ神であると言っている。

> 五十猛命=天村雲命= 天叢雲剣→草薙剣 =日本武尊
> という図式まで妄想していたんですが。(青草として)

伊吹山では、同じ神どうしで戦ったことになるのかな。

[5681] Re[5679]: 再々 山城国  神奈備 2004/10/16(Sat) 09:00 [Reply]
> 大同元年以前に神階の記録があるのは、
> 賀茂神・松尾神・乙訓神

大同元年とは806年で話題の『新抄格勅符抄』が出来た年とされています。

その約100年前の大宝元年、松尾大社の社殿が現在地に創建されているようです。
また『続日本紀』の記事では、この年に、神稲を中臣氏にやるようにとされた山背国葛野郡月読神、樺井神、木島神、波都賀志神で、松尾大社より古社であるのかもしれませんが、後には中二階的な神々。

 大同元年の神封記録には過去の神階から押していきますと、「神稲」の神々になるのでしょうが、その神名の表示が説明できません。

何故、葛野打下神であるのか、単なる打下神ではなく、また打下とは何か?

何故、占部神であるのか、地名はいらない=ユニークに決まる。

ここが解読のポイントのように思います。

[5680] Re[5678]:青草[966]むらくも  玄松子 2004/10/15(Fri) 19:35 [Reply]
>  天香山命の御子神の天村雲命と、八岐大蛇の尾から出た刀の天叢雲剱とは関係があるのかないのか、あるとすれば、大蛇の精が天村雲命と言えますね。
> また、素盞嗚尊が取り出したので素盞嗚尊の御子神と言えるのかも。

五十猛命=天村雲命= 天叢雲剣→草薙剣 =日本武尊
という図式まで妄想していたんですが。(青草として)

[5679] Re: 再々 山城国  ペギラ 2004/10/15(Fri) 14:55 [Reply]
> > 山背国葛野郡 月神・樺井神・木嶋神・波都賀志神

記録の中でも極めて古い部類の山城の神

大同元年以前に神階の記録があるのは、
賀茂神・松尾神・乙訓神

新抄を見ると。
賀茂神 若雷神24戸 鴨御祖神20戸 
松尾神 4戸
乙訓神 6戸

これらと比較して
葛野打下神 9戸・占部神 9戸・許志摩神 9戸・羽束神 4戸

というのがどういう位置だったか。

>まあ同じように、葛野月讀神も貞観元年(859)に正二位になりますが、それ以前の神階がないのかも知れません。

このあたり正確に記述されているかどうかわからないことばかりですが、
三代実録の記述は
・・・・・
山城国正二位勲二等松尾神従一位。
()葛野月読神、平野今木神並正二位。

不明の()の部分が無位なんてことはありえない。
平野今木神の前に階位がないということは、同等だろうと推測できる。
貞観元年までに、平野今木神は従二位となっている。
ということは、不明の()の部分は従二位だと思われる。
そう考えると三代実録の山城国の記述順序は、
きちんと上位より順に記述されていることが証明される。

もろもろの謎のひとつにも加わるかもしれないのものが、
貞観元年のこの一連の記述の中にある。

従五位下樺井月読神。木嶋天照御魂神。和支神並正五位下。
とあるのだが、そのあとに
従五位下祝園神。・・・と続くところに、なんと、
樺井月神。というのが存在している。これらの神は従五位上になる神。

月神と月読神は違うということ?
わっわっわからん!!!(叫)


[5678] Re:青草[966]むらくも  神奈備 2004/10/15(Fri) 08:45 [Reply]
玄松子芳名帳から
> 『式内社調査報告』には、当社の写真と地図が載せてありましたが、解説は山川町村雲の同名社のものでした。

『式内社調査報告』は貴重な資料ですが、小生は大和宇智の高天岸野神社の地図が一尾背神社のものとなっており、ウロウロしたことがありましたが、このようなミスは珍しいことですね。

 天香山命の御子神の天村雲命と、八岐大蛇の尾から出た刀の天叢雲剱とは関係があるのかないのか、あるとすれば、大蛇の精が天村雲命と言えますね。
また、素盞嗚尊が取り出したので素盞嗚尊の御子神と言えるのかも。

天村雲命の別名を天五多底命としていること、穂屋姫と五十猛命の妹神の大屋姫の類似など、神々のことについての伝承の混乱が見られるようで、奉じている民人が離散したり、各地で他の神々を奉じる民人と集合したり、いろんなことがあったのでしょう。

 谷川健一著『青銅の神の足跡』に、(小学館文庫p142)に、山川町の湯立に触れており、射楯と見ており、播磨の伊達郷の射楯兵主神社のことまで紹介しています。いかにも射楯神、伊達神、五十猛命、さらに天五多底命まで同じ神であるように示唆していますね。

[5676] Re[5675][5674]: 再々 大宝元年  神奈備 2004/10/14(Thu) 20:44 [Reply]
> これ以外にどう推理できるのか??
さあ、そこですわ。

> 続日本紀
> 大宝元年(701)
> 夏四月 丙午(三日)
> 山背国葛野郡 月神・樺井神・木嶋神・波都賀志神
この続きの文章は「などの神稲については、今後は中臣氏の給付せよ。」です。
 
100年ほど前の神稲の記事に並んだ神々との相関ですが、一体どの程度なんでしょう。途中に平城遷都や平安遷都もあり、世は動いていたので。

 しかし、『新抄格勅符抄』は806年の記述、櫟谷神社は嘉祥元年(848)に無位から従五位下に任ぜられていますので、無位の神に神封が与えられたかどうかですね。まあ同じように、葛野月讀神も貞観元年(859)に正二位になりますが、それ以前の神階がないのかも知れません。それでも与えられているようですね。
 打下神を葛野月読神とすると占部神を樺井月読神にあてることになり、大隅隼人と占部との関連がつくにくい所。

 さらに「打下」の説明をつけてしまいたい所です。

> 『新抄格勅符抄』の葛野打下神とは一体どの神社のことか、未だすっきりしていない人もおられるようです。
かく言う神奈備が一番すっきりしていないようで...

[5675] Re[5674]: 再々 大宝元年  ペギラ 2004/10/14(Thu) 11:26 [Reply]
> 『新抄格勅符抄』の葛野打下神とは一体どの神社のことか、未だすっきりしていない人もおられるようです。
>
続日本紀
大宝元年(701)
夏四月 丙午(三日)
山背国葛野郡 月神・樺井神・木嶋神・波都賀志神

延喜式までの
葛野月読神・樺井月読神・木嶋坐天照御魂神・波都賀志神
延喜式での
葛野坐月讀神社・月読神社・木嶋坐天照御魂神社・羽束師坐高御産日神社

新抄での該当しそうなところは
葛野打下神 9戸・占部神 9戸・許志摩神 9戸・羽束神 4戸

これ以外にどう推理できるのか??

[5674] 再々 葛野打下神  神奈備 2004/10/08(Fri) 11:29 [Reply]
『新抄格勅符抄』の葛野打下神とは一体どの神社のことか、未だすっきりしていない人もおられるようです。

近江の比良明神即ち白鬚神社は式内社ではありませんが、社伝によれば垂仁天皇の時代、倭姫によって社殿が再建とあり、古社のようです。

平安時代に近畿の山岳信仰の重要な山として本朝七高山が指定され、その中に比良山が入っています。比良明神は修験や仏教寺院と未分化ででもあったのでしょう、それで式内から漏れたのかも知れません。

比良明神の鎮座地は滋賀県高島町で、昔は近江国志賀郡打下(うちおろし)と言う所でした。別名「打下社」です。この名前は、長門国の式内社住吉坐荒御魂神社の宮司家が応安年中(1368〜)に近江国滋賀郡から打下社を勧請して百太夫社とし、本社の枝社としたとあります。

祭神の神格は道祖神、船玉神など海陸両面の猿田彦神のようなもののようです。それを打下神と称したのか、上記神社が鎮座していたからか、これはよくわからない所。

さて、とにかく葛野打下神とは、葛野に鎮座している道や河川路の安全祈願の神と言うことのなります。

現在の櫟谷神社の立地は昔から変わっていないと考えれば、大井川の流れが急激な川下りの状態から船遊びが出来る穏やかな川を眺める位置に鎮座しており、河川航行の安全を祈るには打ってつけ。

[5673] 高間山は霧と小雨  神奈備 2004/10/05(Tue) 10:49 [Reply]
 この前、あまり天気が良くなかったのですが、金剛山へ登りました。かっては高間山、高天山と呼ばれていたそうですが、山頂に金剛寺が建てられてから呼び名が変わっていったそうです。

 高間はタカマ、高天はタカアマで、そのような名だったのでしょう。手間もタムマ、タムアマ、タアマ等と読めるのかも知れません。頂上の葛木神社には手間天神である少彦名神も祀られています。どっかでつながっているのかも。

「高天」との名を持つ式内社がこの山中に鎮座しています。
高天彦神社 http://www.kamnavi.net/as/katuragi/takamahi.htm
高天岸野神社 http://www.kamnavi.net/it/kinki/takaamaki.htm
高天佐太雄神社 http://www.kamnavi.net/as/uda/satao.htm

 この内、高天彦神社の祭神は高皇産靈神を中心としているようですが、神社の名前が語るように高天彦神と素直に見るべきでしょう。記紀にないから「高天」の字から高天原を連想して、上記の神としたのかも知れません。葛城氏が勢いを持っていた時期にその祖神を祀ったとの説明もありましたが、それなら武内宿禰とか襲津彦なら判りますが、説得力に欠けています。

 鴨族の土地に鎮座している古社であり、鴨族の女神下照比売の夫であった天若日子神を殺した高皇産靈神をこんな所で祀るはずがないとの意見があります。これは面白い意見です。

 しかしこのように一旦高皇産靈神が祀られてしまうと、その神霊を取り除く術がさるのか否か、本殿内に別座を設けてそこでお祀りし、本座には高天彦神を祀ると云う方法があるようですね。

[5672] お山は晴天。  神奈備 2004/10/01(Fri) 17:05 [Reply]
 10月は晴天からのスタートでしたね。やはり気温は30度を越えたのでしょうが、日影はさわやかでした。葛城修験の原点のような地が犬鳴山で、山間の和泉砂岩の渓谷で、途絶えることのない水がとうとうと流れていました。幾つかの滝があり、行者滝の前では十数人の男女が修験者と共に般若心経を唱えておりました。

 参詣道には多くの祠が巨石群を背景に鎮座、稲荷、九頭龍、八大龍王、大岩魂、韋太天など、何となく非主流の神々が多いようでした。

 寺院としては大本山七宝瀧寺と言う高野山末寺ですが、江戸時代までは修験の道場だったようです。そのたたずまいと神々を拝見していますと、町中の神社よりははるかに縄文の息吹が残っているように思えました。大阪にこのような場所があったと言う感激の一日でした。

 町中の神社では勝間南瓜で有名な生根神社(住吉大社北側からの勧請)があります。祭神は少彦名神ですが、勝間はコツマですが、手間天神とは関係はなさそう。この神社の摂社に由加神社が鎮座しています。
 
 倉敷児島の由加神社さんのサイト http://www.yugasan.or.jp には全国で52社を見いだされていますが、生根神社摂社についてお知らせした所、どうやら53社目に登録されたようです。イチローの気分?

 皆さんもユ(由、瑜)カ(加、伽、賀)のユカユガ神社を発見されたら、児島の神社に知らせて上げて下さい。
 
 児島では由加大神とは手置帆負命、彦狭知命の二柱をあわせてのことのようです。本地佛は阿弥陀如来なのかも。また、ゆがの語源は、梵語のヨーガ(yoga)からきたとのこと、ヨガとくれば太極拳とか、修験に繋がっていくのかも知れません。

 今春に幾度か訪問した兵庫県揖保郡太子町の立岡に立岡天満宮があり、境内に「由加社」があったようです。残念ながら参詣致していません。


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