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掲示板のログ(平成十七年 十二月 2005.12)お名前の敬称は省略しています。

[6893] Re[6892]: 船木と大田  神奈備 2005/12/31(Sat) 09:28 [Reply]
とみたさん、ありがとうございます。来年もよろしくお願いいたします。

> 二艘(一艘は木作り一艘は石作り)を以って、後代の験と為し胆駒山の長屋墓に石船を、白木坂の三枝墓に木船を納め置く〕と記されている。

 矢田丘陵の山頂近くの白石畑に船山神社の元地と巨石があると言うことで、いこまかんなびさんに道筋をおしえてもらい、探索した記憶がよみがえりました。↓
 http://www.geocities.jp/iko_kan2/heguri-funagami.html
 「船に関係するかも知れない石を探索するため、平群町にある伝長屋王墓の東南、三里に鎮座する式内社船山神社の背後に連なる矢田丘陵の一峯、宮山にあるという船上神社跡と謎の巨石を探索しました。」

 長屋王の墓と言われる墓は平群駅の北にある円墳がそれだと比定されています。生駒山に葬られたとの記述がありますので、比定地の円墳や矢田丘陵でいいのかどうかは不明ですが、かんなびを名乗る人間にとっては、磐座探訪はぞくぞくする程楽しい催しで、本音としては由緒はどうでもいいのです。磐座さえあれば・・・

[6892] 船木と大田  とみた 2005/12/30(Fri) 23:08 [Reply]
神奈備様 とみたです。年の瀬を迎えましたが、本年は私がごとき素人にも温かいご教示をいただきありがとうございました。

いろいろな古代史の本を漁っておりますが、たまたま掲題のことが、松前健さんの著書、日本の神々(中央公論新社刊にでておりましたので
紹介させていただきます。〔住吉神代記〕の〔胆駒神南備山本記〕にも〔大八嶋国の天の下に日の神を出し奉りし者は、船木の遠つ神大田田神なり〕といい、〔この神の造れる船二艘(一艘は木作り一艘は石作り)を以って、後代の験と為し胆駒山の長屋墓に石船を、白木坂の三枝墓に木船を納め置く〕と記されている。

これは住吉大神を奉じて航海を管掌する豪族津守連の部下として船材を扱う船木連の伝承である。

この氏族は造船ばかりでなく葬法にも結びついており、木船と石船とを、かって彼らの祖神が太陽神を舟に入れて送ったことの記念として二つの墓の中に納めたというのである。

以上です、詳細は不明ですがご参考までにお送りします。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

[6891] 大田、多田、多氏、船木氏  神奈備 2005/12/30(Fri) 11:00 [Reply]
 出典書籍の名を忘れたのですが、川西市の式内社の多太神社を「オオタ」とのルビがついていました。一般論としては大田田根子との関連で、「大田」から「オオタ」と読まれるのですが、「田田」に注目、蹈鞴製鉄との関連を見て、「タタ」と訓する見方もあります。

 今年の秋に和歌山県海南市の多太神社に気のおけない方々と参詣する機会を得たのですが、その際に老宮司さんから、川西市に鎮座する多田満仲ゆかりの源氏の建立との説のあることを披露されていました。川西市の多田神社は「タダ」であり、多田満仲はタダのミツナカであるので、それはないのではとの印象を持ちましたが、オオタと呼んでいた可能性もあるなら、それも考慮にいれないと創建譚や由緒を語ることはできないなとの想いに至り、流石、年の功と今更ながらに感心をしている次第。

 最近、「大田」なる地名にひかれて調べていたのですが、多田、大、太、多も考慮していかないと解けないのではないかとの思いに至りました。丁度、いこまかんなび様がその旨をご指摘、注意を喚起して頂いた船木氏のルーツが多氏のグループにあることもあり、一層のややこしさが出てきました。

 船木という名と大田とも幾つかつながっているようで、年明けには一つ船木と言う地名をピッックアップして調べることから始めようと思っています。
 船木氏は紀ノ川上流の丹生都姫神や金属採取にもかかわっているようで、それが摂津にも動いています。紀の国から摂津へとは呉勝さんの移動コースなのですが、松阪市の黒部には意非多神社が鎮座、黒部は呉部の訛りではないのかとか、意非多はオイタで、大田や多田などとの関連も見えそうで、これまた面白い展開が見られるかもしれません。

[6890] もしかすると、ひつぎのかみ?  あまつひつぎすめら [Url] 2005/12/28(Wed) 19:31 [Reply]
岡本天明の日月神示をご存知ですか、口調といい、内容といい、
どうもそれを継承した感じのする、おことばが、ネットに登場しました。
ほんとうだったら、大変ですよね。

http://www.godbrain.com/members_blog/?catid=70

[6889] Re[6888] [6887] みんな思い出せないの?      倭亞府 2005/12/27(Tue) 18:03 [Reply]
仁徳陵傾きの謎が簡単に解けます。それとともに古墳が国土計画の一環であることも解ります。★
五本の直線をクロスさせて造った五芒星図形
http://blogs.dion.ne.jp/pentacross/archives/2005-07.html
奈良盆地は琵琶湖と同じく断層陥没地帯で、縄文期には湖でした。それが弥生期には水位が下がり湿地帯に。ここに大陸や半島から知恵者が入植し(徐福伝説、唐古・鍵遺跡)、

[6888] Re[6887] みんな思い出せないの?    倭亞府 2005/12/27(Tue) 11:03 [Reply]
古代 ペンタクロス文化:学問
http://blogs.dion.ne.jp/pentacross/archives/cat_118169.html

[6887] みんな思い出せないの?  先祖 2005/12/25(Sun) 18:33 [Reply]
最新情報ではありません。周知の事実です。
重要な地がどんどん無残な姿(開発)に!日本国家の責任!一般人が悪いのではない!許可した国家、教育を主導してきた国家の責任!歴史認識問題!
重要な地に税金投入しないから自治体が金儲けのために土地開発で税収アップしなければならなかった。三位一体の改革でさらに加速!政府の責任重大!とほほ!
今となっては「人気者の一人の独裁者」による焚書・抗儒は不可能。
測量技術(数学、地学、天文等々)の凄さは整った形の山(神なビ山)が証明済み。浅間・筑波・富士の三山は自然の叡智が位置決定。しかし、その三山から同じ距離にある本物(中山?蓬莱山?カムイイトー山?三輪山?)は人類の叡智。この山を基準に各地の山や農地の条理(都市計画?)が整えられた。筑波山・本物・名古屋城・大阪城・熊本城がほぼ一直線(誤差数パーセントだからかなり精度が悪い!)
ギザのピラミッド・本物・江戸城一の丸ラインはものすごい高精度。
日本国で、緯度経度を考えた真ん中は有馬富士のある兵庫県ですか?
有馬富士周辺で開発を免れた農地の条理の方向は本物ですか?
整った山が多数あるのは香川県でその代表は讃岐富士ですか?
金毘羅さん周辺の農地の条理が向いている方向も本物ですか?
与那国の海底遺跡の傾きまで正当化可能なほど先祖の叡智は凄い?
各地であまりに傾きが違いすぎ!こんな大変な都市計画(農地計画)が継続できるわけありませんよね!東西南北にあわせるほうが簡単だし一般人にもその凄さが一目瞭然ですよね。言い出したらきりがない!「一般人受け重視」が現在の政府の意向でしょ?日韓共通の歴史認識でしょ?あまりにも違いすぎる!!!!!!!!
まさか・・・・
五瀬命(長男)が御所市を「ごせ」と読ませるきっかけですか?
五瀬→いつ・せ→伊勢(伊勢神宮)ですか?
 本物と与那国の海底遺跡を結ぶラインが内宮・外宮の間を通過?
まさか五瀬→ごせ→越せ→越→こし?
たしか伊勢は「うまれ国」ですよね!
みんななぜ本物のフォローができないの?ついて来れないだけ?価値観の違い?
金持ち(金重視!)には貧乏(こじき→古事記)が理解できない?価値観の相違?
本物をキープしている自治体を埼玉県で発見したのちょい昔の先祖たち!
越生(お・ごせ)って御・御所?御所よりも上なの?
うまれ国?越国?
高志(こし)国と考えると本物がまさに中津国!つじつまが完全一致!
高天原→高ま→たま・・・・埼玉の玉、多摩川や玉川のタマ!
外来系の人々は「高ま」を「こま」と発音したのか!だから高麗が「こま」か!
 西洋系が朝鮮系?いつのまに入れ替わったの?
 KOMA→KOA(mが消える日本?)→コア→CORE→核→中心部
(韓国式風水では「こま:高麗:日高市」が日本の中心だそうですよ!びみょ〜)
すると中津国の北にある比企地方は「ひき」ではなく「しき」か!しきの宮!
ヤマトの語源?ヤマ・トーでしょ?まさか重要な山(三山?)の外だから山外でヤマトでは周辺部になってしまいます。周辺部は西(さがり)、暮(くれ)、環(わ、かん)と表現されるものです。おっきなわ?だいわn?環国とは「わこく」?「かんこく」?中心の国が中国?大陸部?人類の当然の流れ!小さな国で大きく栄えるな!場所がねえんだよ!武力や権力(金、財宝)にこだわるやつは周辺部で大きく栄えろ!
ウルップ富士・三春(田村)富士・本物・富士山・浅間大社の一直線を確認してもまだ信じられませんか?
この情報を読んで「まるで外国みたい」といってしまった人は・・・・・・・
外国の遺跡をみても「これも日本の影響か!」と思ってしまう人が・・・・・
イギリスには19.5度で有名な遺跡がある。本物周辺も山々により19.5度が多数残されている。山頂が三角錐の山まで用意されている!
19.48度、球に内接する正三角錐(正四面体)の回答。

大八島の説明のとほほ、なんで専門家は・・・・神々(地球)が作ったことは間違いないが・・・・・・とほほ・・・・・・
北海道、本州、四国、九州の四つの島に加え、
本物の真北の粟島、真南の新島、真東の鹿島(海水面の高い時代は島!)、そして真西の島が巨大なユーラシア大陸(アフリカ含む?)!
本物から1000km(地球一周の40分の一)の距離にあるのは・・・・・

注意
地球は球です。
歪んだ地図使って「位置制度が悪すぎる」なんて言ったら大恥かきます!
緯度経度が碁盤の目になった近距離に限定すれば誤差が容認できます。
でも目視可能な距離では誤差一%以下でも・・・・・・・・・・・・・・・・


埼玉県というと秩父夜祭。
屋台(山車)の掛け声は「ほーりゃい(蓬莱)」!
秩父音頭。
♪おらがほうじゃこうだよ!おっかしけりゃお笑いなっと!こらしょ!♪
解るやつだけ解ればいい。
(分数の計算のできない国会議員が多数いるであろう現実を考えましょう!)

魏志倭人伝の方向音痴(含む解説)はあまりにもこの国を知らなかっただけ?
夏、フェーン現象で西日本より気温が高い東北地方。
冬(今年)、鹿児島で雪、名古屋で大雪。しかし中津国や関東平野は・・・・。
本物からみればエジプトは北西。エジプトから見れば本物は北東。90度ずれるのが当たり前!なんでみんなちゃんと理解しなかったの?信じていれば・・・・・!

中国大陸に突然現れた中山国。東京湾が渤海湾、朝鮮半島が房総半島と考えればその位置は見事にJR中山駅から成瀬駅(多摩丘陵)。
ここに書かれたことはすべて偶然の一致ですよね!
整った山は人間が整形したのではなく自然が作り上げた形でしたよね!
19.48度の角度にこだわるのなんてナンセンスですよね!
ハワイなら北緯19.48度と北緯19度48分に富士山より高い火山が用意されています!
火の国である熊(球磨)国のるーつまで「こま」ですよね!
ある地方の方言(古語?)は母音が「あいういう」ですから!

[6886] その他の太田  神奈備 2005/12/24(Sat) 16:45 [Reply]
河内国の太田
 志紀郡の太田 (八尾市太田1〜9丁目)
 羽曳野丘陵の先端部の平地、蕪の産地。明応二年(1493)文書に大田云々とあります。

 丹北郡の大田 (八尾市丹北太田、若林町1〜2)
 屯倉神社(旧三宅天満宮)、摂社に式内社酒屋神社があります。中臣酒屋連が祭祀にあたったようです。
 応永二十六年(1419)の文書に太田が見えます。


阿波の太田
 美馬郡大田(美馬郡貞光町大字太田)に熊野十二所神社が鎮座、鉄釣る灯籠の銘に「阿州太田」とあります。永徳二年(1382)。

 海部郡太田村(海部郡海南町浅川)に御崎神社「猿田彦神」など。


伊勢の大田
 鈴鹿郡に大田庄があります(亀山市太森町)南宮大神社が鎮座。
 
 安芸郡太田(安濃町太田)文禄検地帳に「太田」の地名が見えます。縄文晩期から弥生時代の竪穴式住居跡などの遺跡があります。

周芳の大田(美祢郡美東町大字大田)
 村内を船木街道が通る。仲哀紀にある「大田」に比定されています。大田八幡宮、土師神社が鎮座。
 秋吉台の台上の北馬コロビ遺跡からは後期旧石器、有史時代の土師質器、サヌカイトも出土しています。


丹後国竹野郡(京都府竹野郡弥栄町字和田野太田)
 大田庄は船木庄と隣接しています。6世紀前半の太田古墳群からは、瑪瑙製勾玉、碧玉製管玉、水晶製切子玉などが出土。儀器のようです。


大和国十市郡(橿原市太田市町) 日神度 ☆☆☆
 ここに鎮座の天満神社は式内目原坐高御魂神社二座に比定されており、顕宗天皇三年、日神、人に著(かかり)りて、阿閉臣事代に謂(かた)りて曰く。「磐余の田を以て我が祖高皇産霊を献れ。」とあります。


近江国高島郡(高島郡新旭町)
 安曇川左岸、南東は船木村。天正十一年(1593)文書に太田とあります。式内太田神社が鎮座、社伝では、延歴の頃(782)、豪族大伴氏の子孫大田宿弥の末孫が、この土地に移住し土地を拓き、大伴氏の祖神「天押日命」をまつったのが始めであるという。祖先の名を地名とした。


三河国加茂郡  (愛知県加茂郡旭町大字太田)
 太田川の水源にあたります。伊雑神社が鎮座。
 

[6883] 相撲と大田  神奈備 2005/12/23(Fri) 20:00 [Reply]
 大田について考えている頃、たまたま入った古書店で加古樹一著『遊牧騎馬民族国家大和』と言う本がありました。目次を見ますと何と!!「太田という地名」についての諸関連」の章があるではありませんか。何かやっている時、それに関連する情報と巡り合うことがありますが、これだ!と思い、\330と安かったこともあってすぐに購入。帰って見てみるとなんのことはない、章のタイトルと中身はまったく違う代物でした。
 §1 タイトル 「播磨国風土記」に登場する太田
    内容 銅鐸に関しての佐原氏のインチキをかき立てている内容のみ。
 §2 タイトル 古代朝鮮・所在の太田
    内容 ここで播磨の太田里の風土記の話が登場。それと大田田根子。
 §3 タイトル テレビコマーシャルに現れた三輪の素麺神糸・ハリマの素麺揖保の糸等々としてあらわれる「太田」の地名
    内容 ここでは三輪山の下箸墓の近くの太田の地名、また揖保の素麺産地にも太田の地名が残っていること。
 次ぎに「太田」という地名は朝鮮から出発しているという。騎馬民族がやって来たとのお話が続き、物証をいろいろあげておられる。面白いのはモンゴル相撲について触れており、高砂市曽根の天満宮の祭礼について記しています。太田と相撲の関連を指摘しているわけではなく、騎馬民族渡来説の補助資料としているようです。【引用以上】

 相撲は大きいヒントです。大和に相撲の伝承が残っています。一つは當麻町です。当麻蹴速塚があります。當麻町太田から北に1.5km程度の場所です。
 また桜井市穴師に相撲神社が鎮座、やはり桜井市太田の東1.5km。
 和歌山の井辺山八幡古墳から相撲取りの埴輪が出土しています。名草郡大田郷から3km。
 
 相撲と大田、どのような関係があるのだろうか。
 力士の埴輪が出土している古墳と太田地名の場所と近いのは高槻市昼神車塚古墳と摂津国大田で3km、橿原市四条大田中遺跡と桜井市の太田は3km強、埼玉県の酒巻古墳や土浦市天神山古墳など東日本の力士出土地と太田とは相当な距離があり、関連付けは難しいようです。
 
 相撲は土地神への儀礼や葬送儀礼と結びついているようで、日神を出すと云う神事との関係付けはしんどい所ですが、当麻蹴速の相撲は七月七日に行われましたが、これと七夕とがつながり、棚機姫、織女となれば、日神につながりそうですが、直接の相関関係はないと見るべきでしょう。

[6882] 石見国安濃[おおざと扁に也]郡(おおだ)  神奈備 2005/12/23(Fri) 09:22 [Reply]
 島根県大田市三瓶町多根 国引きで有名な佐毘賣山神社が鎮座
 島根県大田市三瓶町小豆原
 島根県大田市長久町長久
 島根県大田市長久町稲用
が比定地です。

 佐毘賣山神社は三瓶山にかかわる神社で、山麓に八社の同名社が鎮座し、いずれも湧き水の出る地だとかで、そこから周辺が開発されていったそうです。『日本の神々』白水社。
 面白いのは、死体化生型の伝承が残っています。「ソシモリにオオゲツヒメと云う五穀の神がいた。荒ぶる神に切り殺されたが、その時体の各所から馬、蚕、大豆、稲、小豆、麦が出た。末子のサヒメはこの五穀の種を持って赤雁にまたがり比礼振山(益田市乙子町:ここにも式内佐毘賣山神社が鎮座)にとまり、さらに東へ進み、三瓶山に来てその種を播いた。」との伝承です。

 この伝承は素盞嗚尊、五十猛命の植樹神話と似ているようで、興味あるところですが、ここのオオダは日神を出すとか祀ると云うことには直接には関係していないようです。


[6881] 摂津国島上郡大田  神奈備 2005/12/22(Thu) 08:04 [Reply]
 茨木市大田鎮座の太田神社について『大阪府史蹟名勝天然記念物』から
 土俗大神宮と称せり。西南字太田山にあり。創建の年月不詳。播磨風土記には呉勝の裔として、太田の原を帰化民族とすれども、新撰氏姓録摂津神別に中臣藍連同神(天兒屋根命)十二世孫大江臣之後也、中臣太田連同神十三世孫御身宿禰之後也、とあり、而して安威、太田、耳原等の土地相接して存するを見れば蓋しこの太田連が其の祖神を祀りしものとなるべし。

 これから見ると祭神は天児屋根命と云うことになろうか。

 また太田の東方には、弥生後期〜古墳時代中期の「太田遺跡」があり、竪穴住居跡、大量の埴輪、鉄製利器・須恵器・銅鐸などが出土してます。これらの出土品からでしょうが太田田根子を祭神とする説もあるようです。
 
 『播磨国風土記』(揖保郡大田の里)の条の、始め呉の勝が紀伊の国の名草の郡の大田の村についた。その後、分かれて来て摂津の国の三島の賀美の郡の大田の村に移って来て、それがまた揖保の郡の大田の村に移住して来た。
の中間の場所です。茨木市近辺の古墳の中には紀の川沿いでとれる緑泥片岩が使用されているものもあり、明らかに紀の国との関連がありそうです。

[6871] 讃岐国香川郡大田郷  神奈備 2005/12/18(Sun) 11:07 [Reply]
 高松市中央部の太田上町、太田下町、松縄町、伏石町が比定地。
 廣田八幡神社が鎮座、中臣太田連が祀ったと言われます。中臣太田連と言えば、摂津の島下郡の太田神社を祀った氏族でもあります。讃岐と紀伊とは紀氏の瀬戸内の海運の経路にもあたり、関連が深いようです。それ故ではないでしょうが、当地と紀伊の太田とは東西のライン上に位置しています。東西のラインは太陽の運行の特殊なケースであり、日神との関連が思い浮かびます。悪のりをして言えば、讃岐国大内郡の水主神社「倭迹迹日百襲姫命」もそのラインにあり、山城の水主神社と同じ役割なのか、または三輪山の神妻となった倭迹迹日百襲姫命も日神を祀る神であり、ここの大田と日神との関連は匂わないではない。

[6870] 備後国世羅郡大田郷  神奈備 2005/12/17(Sat) 19:44 [Reply]
 広島県世羅町本郷村の東大田、西大田が比定地。山地です。式内社の和理比売神社が鎮座、櫛稲田姫を祭神としています。
 この地の日神との関連は不明。

[6869] 播磨国佐用郡大田郷  神奈備 2005/12/17(Sat) 19:44 [Reply]
 佐用郡上月町久崎一帯の地とされています。赤穂の北20km付近。
 『播磨国風土記』に讃容の郡邑宝(おほ)の里とされています。『風土記』には「弥麻都比古命が井を治りひらいて粮を食べ、さて仰せられた。「私は多くの国を占めた」と。だから大の村といい、井を治ったところを御井の村と呼ぶ。」とあります。

 弥麻都比古命を孝昭天皇と見る説があるようです。和邇臣の祖統にある天皇です。和邇氏は大神氏や鴨氏にもつながる氏族であるのですが、欠史時代の天皇の名が風土記に登場するのはいささか疑問と思われます。

[6868] 播磨国揖保郡大田郷  神奈備 2005/12/15(Thu) 19:42 [Reply]
 『播磨国風土記』(揖保郡大田の里)の条に以下のことが書かれています。
 大田と称するわけは、昔、呉の勝が韓の国から渡って来て、始め紀伊の国の名草の郡の大田の村についた。その後、分かれて来て摂津の国の三島の賀美の郡の大田の村に移って来て、それがまた揖保の郡の大田の村に移住して来た。これはもといた紀伊の国の大田をとって里の名にしたのである。

 比定地は姫路市の西端の下太田、太子町の東側の上太田、下太田でこれらはつながっています。

 この地域を歩き回りましたが、紀伊や摂津との具体的な関連は見いだせませんでした。
 太田とは少し離れた場所になりますが、同じ揖保郡に粒坐天照(いいぼにますあまてらす)神社が鎮座、一方摂津には疣水磯良神社が鎮座、また摂津には新屋坐天照御魂神社が鎮座、ほぼ同じ東西のライン上にほぼのっているようです。ラインを東に引っ張りますと、水主神社(水主坐天照御魂神社)が鎮座しており、日神信仰の痕跡を語っているやに見えなくもありません。

 紀伊の国の太田には日前国縣神宮が鎮座、この神社も天照国照の神と同義が認められるのではないかとの提案↓もあり、そう言う意味では日神にかかわる「太田」の地名と人々がが移動していった痕跡があるとも考えることができます。
http://www.dai3gen.net/kunikakasu2.htm

 また摂津の太田神社は中臣太田連が祀った神社とされています。播磨には中臣印達神社が鎮座、中臣と言う場所に祭られた印達神(五十猛神)と解釈されていますが、中臣氏の移動がなければ中臣なる地名にはなるはずもなく、中臣太田連の役割も興味あるテーマになりましょう。

[6867] 出羽国出羽郡大田郷  神奈備 2005/12/14(Wed) 21:49 [Reply]
 山形県の大山川流域で、この川の古名は大田川。
 東田川郡三川町には加茂神社「御祖神」が鎮座していますが、山城賀茂系のようです。

[6866] 上野国吾妻郡太田郷  神奈備 2005/12/14(Wed) 21:49 [Reply]
 群馬県吾妻町厚田に太田神社が鎮座、厚田に加えて、金井、川戸、三島を太田郷に『中之条町史』は比定しています。
 金井の一宮神社は上野国一宮である一之宮貫前神社「經津主神」を貞観年中に勧請したものだそうです。
 川戸には川戸神社、迩迩藝命に加えて何と五十猛命も祭られています。
 三島には鳥頭神社(とっとう)が鎮座、倭建命を祭神としています。
 日神とのかかわりは要検討です。日神の出動は何となく内陸よりは海に近いイメージのように思われます。

[6865] Re[6863]: 素朴な疑問  神奈備 2005/12/14(Wed) 08:27 [Reply]
神社本庁発行の『平成祭データ』CD版 平成七年発行によりますと
神社の数(本社のみ:摂社末社を除く)では
一位 新潟県 4789社
二位 兵庫県 3847社
兵庫県の旧国別には
摂津国  425社
播磨国 1911社
丹波国  403社
美作国    6社 佐用郡佐用町(美作国吉野郡)
但馬国  735社
淡路国  367社

摂津国部分で和歌山県とほぼ同数。お伊勢さんの鎮座する三重県でも828社です。
兵庫県に多いのは、多分人の住んでいる面積が大きいこと、
また和歌山や三重ほどには神社合祀(明治末期)が激しくなかったのではと想像していますが、これは未確認で単に推測ですので、兵庫県神社誌などでお調べの後、発表して下さいね。
なお、摂津国の大阪府部分 205社です。摂津国の兵庫県部分と大阪府部分との面積はそれほどの差がないと思いますが、神社数では倍以上の差になっています。これの一つの要因は使用データが『平成祭データ』ですので、神社本庁加入神社に限定している神社数が数えられていることに注意がいります。大阪府の摂津国部分は単立と言うか神社本庁に加入していない神社が比較的多いからだと思います。

[6864] 信濃国水内郡大田郷  神奈備 2005/12/14(Wed) 08:24 [Reply]
 『吾妻鏡』に大田庄が出てきます。また正倉院御物の布袋に太田と記載があるようです。
 @上水内郡小川村と中条村、長野市東部を加える説もあります。
 A上水内郡豊野町豊野
が比定地とされています。長野市の東部の赤沼に大田神社「大鞆和氣命」が鎮座しており、長野市東部も大田郷だったのでしょう。
 豊野町豊野には伊豆毛神社(出雲大明神)が鎮座、また豊野町石には粟野神社「天日方奇日方命」が鎮座し、出雲系の神々の名が見えます。ははり葛城鴨の存在が気になります。

[6863] 素朴な疑問  すずむし 2005/12/14(Wed) 03:25 [Reply]
こんにちは、初書き込みです。
大学で史学を専攻しているもので、いろいろ検索しているうちに此方にたどり着きました。
兵庫県て、日本で2番目に宗教法人の多い県なんだそうです。
さらに、またまた2番目に神社が多いそうです。多くの人はそれが、兵庫県には五つの国(播磨とか?)があるからって言うけれど、私にはいまいちわけが分かりません。
どなたかご存知の方いらっしゃいませんか?

[6862] 常陸国久慈郡大田郷  神奈備 2005/12/13(Tue) 07:58 [Reply]
 『常陸国風土記』によれば、綺日女命は天孫降臨に従い、日向の二上峰に降臨し、後に美濃の引津根へ移り、崇神天皇の御代に、長幡部遠祖・多弖命が美濃から久慈の当地へ遷したという。常陸国の久慈郡太田郷に、長幡部の神社が鎮座、祭神を綺日女命。多弖命としています。
 常陸太田市宮本町・幡町が太田郷で、縄文前期・弥生時代の遺跡が出ています。
 遺跡はともかく、日神の衣装を織っている女神を祀る神社があり、太田と言う地名そのものも美濃から持ち込まれた可能性があるでしょう。

 『古事記』開化天皇の条に、丹波の河上の摩須郎女を娶って生んだ皇子の中に~大根王がいて、三野國之本巣國造である長幡部連之祖とあります。美濃の引津根とは本巣付近だったのでしょう。

[6861] Re[6860][6859]: 白山神社  神奈備 2005/12/12(Mon) 21:04 [Reply]
> > 脇本と言う所の道路沿いに神社があって、
>
> 住所は脇本の隣り、奈良県桜井市黒崎339 になります。

玄松子さん、ありがとうございます。
こんなページを見つけました。
http://www.geocities.jp/nrk_kurokawa/sakurai/hakusan.htm


[6860] Re[6859]: 白山神社  玄松子 2005/12/12(Mon) 19:16 [Reply]
> 脇本と言う所の道路沿いに神社があって、

住所は脇本の隣り、奈良県桜井市黒崎339 になります。


> それで或いは新聞にあった「白山比盗_社」ではあるまいかと思い、後日お参りに
> 行ってみました。

新聞にあったものかどうかは別として、「白山神社」あるいは「白山比め神社」と呼ばれている神社です。


> 白山比盗_社につきまして、ご存知のことがあれば教えていただきたく、お願い
> 申し上げます。

白山比め神社の本社は、石川県にありますが、(http://www.shirayama.or.jp/
分霊は各地に祭られています。奈良県内にも20社ほどあります。

[6859] 白山神社  よう [Mail] 2005/12/12(Mon) 17:25 [Reply]
はじめて書き込みさせていただきます。
すこしお尋ねしても宜しいでしょうか。

先日、雷丘で発掘作業があって、新聞にも、出土品から雄略天皇との関連性がある
のではないかと言うような、内容の記事が書かれていました。
紙面には、雄略天皇の宮のことと共に、白山比盗_社のことも紹介されていて、この
神社には、万葉集にある雄略天皇の歌の、碑が建っているとのことでした。

私はよく橿原市へ出かけますが、桜井市出雲や、脇本というところを通ります。
脇本と言う所の道路沿いに神社があって、境内の非常に判りにくい場所に、石碑が
建っているのを、車の中から、見つけました。
それで或いは新聞にあった「白山比盗_社」ではあるまいかと思い、後日お参りに
行ってみました。

境内には、雄略天皇の歌碑があり、この地で歌が詠まれたことが説明されていて、
その文中に、この神社が白山神社であると書かれていました。
ところが、この神社には、小さいながらかっちりした拝殿と、奥殿があり、玉垣は
めぐらされているものの、鳥居がありません。
周りを探しましたが、どこにも「白山比盗_社」であるという表示もなく、祭神が
どなたであるかもわかりませんでした。

また神社のリストを見ましたところ、白山神社の所在地は生駒郡の平群になっていま
した。
北陸の辺りに、白山仲居社という神社があるようですが、桜井の白山神社は見当たり
ませんでした。

白山比盗_社につきまして、ご存知のことがあれば教えていただきたく、お願い
申し上げます。






[6858] 武蔵国埼玉郡大田郷  神奈備 2005/12/12(Mon) 06:08 [Reply]
 比定地は埼玉県北葛飾郡鷲宮町、久喜市白岡町、宮代町など。太田荘の鎮守は式外の鷲宮神社、浮き島とよばれた微高地に鎮座、土師連の祀る土師宮から鷲宮に転訛したと言われる。祭神は天穂日、武夷鳥が27の氏族を率いて入植したので、祖神を祀ると言う。久喜市には太田神社が鎮座しているが、いくつかの神社を合併してこの名をつけたと言う。白岡町太田新井にも太田神社が鎮座、建御名方命、天穗日命が祭神。
 日神のお出ましとあまり関連がないようです。

[6857] 下総国匝嵯郡大田郷  神奈備 2005/12/11(Sun) 09:16 [Reply]
 比定地は旭市でここには太田神社が鎮座、第六天とも言われ、面足尊、惶根尊を祀る神社です。天常立尊系に神々で伊弉諾尊、伊弉册尊の一代前に面足尊、惶根尊の名が見えます。天照大御神のお爺ちゃんとお婆ちゃんと言うことになるのかな。
 当地は海上国造の支配する地で、国造は天穂日命─武夷鳥命─出雲建子命と流れる系譜上にいます。
 ついでですが、泉川村(旭市泉川)に内裏神社が鎮座、壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)の妃である耳面刀自命が東国に逃れてきて、死後に祀られたようです。
  
 上総国になりますが、木更津市下郡の十二所神社にも耳面刀自命がまつられています。木更津市太田に鎮座の刀八神社は日本武尊、刀八大明神が祀られており、由緒としては海に身を沈めて日本武尊を無事に渡航させたのですが、尊は太田山山頂から姫を偲んだのです。里人は祠に日本武尊を併せ祀ったとです。

 上総、下総ともに日神のお出ましとあまり関連がないようです。

[6856] 安房国安房郡太田郷  神奈備 2005/12/10(Sat) 19:36 [Reply]
 @館山市館山、北条、豊房
 A館山市大戸、長田、山萩、南条、大網、真倉
 と比定地に説か別れているが、館山市の中央部のようでです。それぞれの村に神社が鎮座しているのですが、やはり近くの安房神社が目立ちます。延喜式内社の名神大社で、祭神は天太玉命、この神は忌部氏の祖神で、天岩戸開きの神話に登場、天照大御神にお出ましいただくことに貢献のあった神で、まさに日神を出す神そのもの。鎮座地の館山市大神宮は館山市の南西端の海に近い場所、ここを太田と強弁するつもりはないのですが、太田であってほしい(..;)。

[6855] 日神を出す  神奈備 2005/12/09(Fri) 18:27 [Reply]
 「日神を出す」とは以下のとこ。

 手力男命や宇豆女のように天岩戸開きに努めた神々。
 船木氏の祖や紀直の祖の紀豊耳命のように日神と見なされている神功皇后や日の御子を船に乗せ、その船玉を祀ること。
 日神となった天照大御神の衣料を織る女神達。
 三輪山の神も日神として祀られていた時期があろう。これを祀った百襲姫や大田田根子。

[6854] 遠江国周智郡大田郷  神奈備 2005/12/09(Fri) 18:26 [Reply]
 周智郡森町や袋井市太田に比定されています。森町の天宮神社境内からは縄文中期の遺跡が出ています。遠江国の一宮は大田郷鎮座の小国神社です。式内社。杵築大社を大本宮というのに対して遠江国地方の美称である小国を名乗ったとされています。別に許当麻知神社と呼ばれていました。
 格別に日神と関係するような土地とは思えません。

[6853] 遠江国長下郡大田郷  神奈備 2005/12/08(Thu) 20:59 [Reply]
 『静岡県の地名』によりますと、磐田市二之宮、下大之郷付、福田町下太、南田、豊田町池田付近に比定されています。
 二之宮とは鹿苑神社のことで、江戸時代までは高根明神と言われていたようです。遠江国には高根神社「味鋤高彦根命」が十社ほど鎮座しており、賑やかです。隣の伊豆国では賀茂郡に集中して数社が鎮座、葛城鴨の進出の跡かも。
 ここの太田は海に近いと言った程度で、今の所、日神を出すなり運ぶなりの雰囲気は感じられません。葛城鴨の果たしてきた役割がどうであるかを問題とする必要がありそうです。

[6852] 常陸国久慈郡大田郷  神奈備 2005/12/07(Wed) 21:08 [Reply]
 『常陸国風土記』によれば、綺日女命は天孫降臨に従い、日向の二上峰に降臨し、後に美濃へ移り、崇神天皇の御代に、長幡部遠祖・多弖命が美濃から久慈の当地へ遷したという。常陸国の久慈郡太田郷に、長幡部の神社が鎮座、祭神を綺日女命。多弖命としています。
 常陸太田市宮本町・幡町が太田郷で、縄文前期・弥生時代の遺跡が出ています。
 遺跡はともかく、日神の衣装を織っている女神を祀る神社があり、太田と言う地名そのものも美濃から持ち込まれた可能性があるでしょう。

[6851] Re[6850]: 隼人の犬吠え  神奈備 2005/12/07(Wed) 20:15 [Reply]
 八代さん、投稿ありがとうございます。

 都で隼人が門を守ったり、俳優を行ったりする風習はいつ頃まで遡れるのかと言いますと、どうやら天武帝の頃からです。それまでにも隼人は徐々に畿内に来ていたのでしょうが、あまり話題にはなっていないようです。

 警蹕の一つに隼人の犬吠えがあったのはよく判ります。狼が夜の山奥で遠吠えをしたようですが、「神と対話をしているようだ。」と表現した方がいましたが、まさに神降ろしの声のようなんでしょう。

 鶏の鳴き声、特に長鳴鳥の声は神を呼ぶ声と言うのに相応しく聞こえます。
 警蹕のルーツはどこにあるのでしょうね。夜明けの鳥の声あたりかな。

 大阪市の図書館の棚に『古事記が笠沙が載ったわけ』が置かれていました。読ませて頂きます。

[6850] 隼人の犬吠え  八代新一 [Mail] [Url] 2005/12/07(Wed) 10:27 [Reply]
 『隼人の犬吠え』に関心のある方がいらっしゃるようなので、阿多隼人の末裔から ひとつ。
 
 『犬ぼえ』は、現在も神社での「お払い」のときなど 神主さんが「オー ー」と発声されるもので、伊勢神宮では、「延喜式」で隼人が練習するよう定められたそのままに聞かれ、例えば、有名な「黒川能」を奉じる山形県櫛引町の春日神社では、祭神が神社から「能の演舞場」へ渡御する道すがら、暗闇の中で「やー」とも「いえー」とも聞こえる人々の大声がそれで、「魔除けのかけ声」とだけ伝わり、高知県の一の宮「土佐神社」の神幸行列には、古く「犬吠」というものがあった(高知県の地名 三七一頁)とのことですが、今「警蹕(けいひつ)」と称されています。

 類例は、江戸の大名行列の「下にー、下にー」が有名ですが、記・紀神話に、瓊瓊杵尊が木花咲耶姫を見初めた場所と載せられる『笠沙の岬』では、中国道教にあって『禹歩』と称される独特な歩き方と共に発せられる『おいやっな(居るな、居てはいけない)』のかけ声などがあります。

 ついでに、『古代隼人が国防に従事していたこと』を ひとつ。

 今、「日本」という国名に属する列島域に、確かな「律令国家」を発足させた七〇一年の「大宝律令」には、今の防衛庁と警察庁を合わせたような「衛門府」の下に『隼人司』なる役所が載せられ、更に『壱岐、対馬、日向、薩摩、大隅等の国は鎮桿、防守、及び蕃客、帰化を惣べ知れ』と載せられているのですよ。

 つまり、「西海道の隼人域の人々」は、「日本国」という名の「国家誕生」が確実な奈良時代当初から、大宰府になかった「国防、沿岸警備」を担当して、712年の古事記、720年の日本書紀という「日本最古の歴史書」に、神代からの話として「宮垣を守る隼人」として載せられ、六八六年の天武天皇の葬儀に「隼人の代表」は弔辞まで述べたことも載せられています。

 そのような「隼人」は、全国的規模で一年をかけて準備され、夜中0時を中心に、同じ儀式が2回繰り返される新天皇「即位の大嘗祭」で、式場の正門を守る任務を担当し、式の中では皇太子が新天皇誕生に際して「ひざまずいて拝礼」をする直前に、「隼人の舞」を舞うことになっていました。
 その縁起は神話「海幸彦・山幸彦物語」に『吾 汝の俳優の民たらむ』と載せられているのですが、このような詳細は、927年に成った「律令の施行細則」である『延喜式』に書かれています。

 隼人が「鎮桿、防守」を担い、コーストガードを務めていた真相は、奈良時代の末近く、光仁天皇の宝亀11年(七八〇年)七月の続日本紀によって確かめられます。

 『筑紫の大宰は、西海に僻居して、諸蕃朝貢し、舟楫相望めり。是に由りて、士馬を簡練し、甲兵を精鋭にして、以て威武を示し、以て非常に備ふ』(続五 一四九頁)

 『賊の船卒に来りて我が辺の岸に着かば、当界の百姓、随身の兵を執り、并せて私粮を賷ちて要処に走り赴き、死を致して相戦ひ、必ず救兵を待て。逗留を作して、賊をして間に乗せしむること勿かれ』(同)

    *引用図書 「続一〜五」 新日本古典文学大系「続日本紀」の各巻
                 校注 青木和夫  ほか 岩波書店 二〇〇〇年
 

[6849] 美濃国大野郡大田郷  神奈備 2005/12/06(Tue) 21:21 [Reply]
 比定地は大野村麻生など。『岐阜県の地名』によれば、ここに麻続の牧が置かれていたとありました。麻続とは伊勢国の式内社に麻續神社の名が見えるように、神の服を織ることであったようです。ここも大田郷と織り物とが揃い、日神登場の衣服を織っていた場所と言えます。

 美濃には美濃加茂市に太田と言う地名が残っています。ここに鎮座の県主神社は日子坐王を祭神としています。ここを日神を出すことのと関連はむつかしいようです。

[6848] 美濃国安八郡大田郷  神奈備 2005/12/06(Tue) 19:19 [Reply]
最近、「大田、太田」にこだわっています。美濃国安八郡の大田郷から。

 大垣市、安八町、輪之内町下大榑などに比定されています。
 輪之内町に加毛神社が鎮座、祭神は神別雷命となっていますが、この地域は鴨君日子坐王の御子の神大根王が本巣国造となったり、また長幡部の祖となっています。『常陸国風土記』によれば、綺日女命は天孫降臨に従い、日向の二上岳に降臨し、後に美濃へ移り、崇神天皇の御代に、長幡部遠祖・多弖命が美濃から久慈の当地へ遷したという。常陸国の久慈郡太田郷に、長幡部の神社が鎮座、祭神を綺日女命。多弖命としています。
 織物の神が祭神です。天照大御神も織姫でもあったようで、これは日神と無関係ではありません。日神の登場を準備している神と言えます。

 ついでですが、日子坐王が鴨君と称されるのは『姓氏録』で左京皇別下の鴨県主、摂津国皇別の鴨君は日子坐命の後とされており、大国主の後裔ではない鴨君がいたようです。

[6847] Re[6846]: 縄文式の《森業》  神奈備 2005/12/06(Tue) 09:04 [Reply]
> お久しぶりです。
こちらこそ、ご無沙汰です。

 かって天理市の東の山奥に産廃処理場を造るとの話があって、天理市長は反対を表明しましたが、何かの疑惑をしかけられて失脚したように記憶しています。
 昔、岐阜県でしたか御嵩町長が刺されたことがありましたが、○暴に等しい産廃業者が利権を求めて跋扈する状況が続いています。
 マンションの耐震で建物関係の検査の民営化がどうであったかが問題となっています。さぎにかかった人は気の毒ですが、彼らは少々劣った人々のはずです。安物買いをして銭を失うのは世の道理、国に金銭の支援を要請する前に、組織犯罪であることを立証し財産の没収を行うこと、次ぎに銀行のローンを踏み倒すこと、などを考えるべきでしょう。S学界がらみのはなしもあるようで、某大臣は公金の支出を早々に表明、おかしな話です。
 環境問題のさいたるものであるゴミ処理・産廃処理は民営で利益を求める行為に任せていいのかどうか、これまた疑問の多い所です。
 具体的にどのような廃棄物が対象なのか承知していませんが、奈良女子大の環境学部などと共同ワークして取り組むのがいいのかも。

 桜木神社 紀の川の支流である喜佐谷川の下流に鎮座、風光明媚な立地で、心安まるいい神社です。この周辺の自然は貴重なものだと思います。

[6846] 縄文式の《森業》  賀茂朝臣 [Url] 2005/12/06(Tue) 02:39 [Reply]
神奈備さま

お久しぶりです。
私も経済学、経営学、戦略学といろいろ学歴を経てきましたが、いよいよ日本文化史学、特に古代思想の復興とその再現考察に向けて一歩を踏み出そうとしています。

今日は先祖の一人、イスケヨリ媛尊が葬られている神武天皇陵に参拝してきました。
高鴨神社の鈴鹿宮司は、奈良県神社庁主事補となり、橿原神宮内に結構な事務所を持っていますので、烏帽子・直垂・狩衣に着替えさせてもらいました。

かつて日本人が神聖地として崇め祭ってきた水源地の神社は、今や荒廃して大変な状態です。
特に今日、話題になったのは吉野宮滝遺跡の近くの桜木神社で、近くの山林に奈良県議会議員の弟が産業廃棄物処分場をつくるとのこと。

奈良県の神奈備はこのように叩き売られ、つぶされ、穢されているのです。
何とかなりませんか。
何とかしたいものです。

[6845] [6844][6843][6842][6841]: すごい!すごい!!  まりりん 2005/12/05(Mon) 22:20 [Reply]
うっわぁ〜い\(^o^)/ありがとうございます。
神奈備さん"^_^"すごい!!!ほんとうにすごい!!!!
今、とてもハッピーな気持ちです。
神奈備さんがそばにいらしたらほっぺにチュッ-☆するかも・・・(^^ゞ

ずっと調べていてくださったのですね。ほんとうにありがとうございました。
胸のつかえがスッキリしてハッピーな気持ちと同じくらいに嬉しい思いが込み上げています。ようやくめぐり会えた・・・そんな感じです。
心から感謝します。

ますます神奈備さんのファンになっちゃいました(^^♪
これからもHPへおじゃまさせていただきます。
また解らないことが出てきたら教えてくださいネ(*^^)v
ありがとうございました。
これからも、頑張ってください。



[6844] Re[6843][6842][6841]: ごめんなさい  神奈備 2005/12/05(Mon) 21:05 [Reply]
 忌部氏の本貫の地はどこかと推理しますと、国内ではどうやら阿波の国のように思えます。なんとなれば、ここから安房などへ忌部氏が発展していっているように見えます。紀伊、大和、伊勢などへ。
 『記紀』によりますと、忌部氏は王権へ仕え、中臣氏とともに祭祀を司ったようですが、中臣氏と競い合い、蘇我氏に近づいて、乙巳の変のあおりで力を失ったようです。この時に忌部氏の一部は阿波から八女山方面に逃れたのではと推測しています。何故、八女山かと言いますと、ここに八女津媛神社が鎮座、また阿波には忌部氏が齋き祀ったであろう天石門別八倉比賣神社が鎮座、多分同じ神様を崇拝し、歴史を共有する氏族が残っていたのではと思えます。
 この八女山付近には薄野神社が鎮座、祭神は天太玉命の末裔の天一箇目神を祀っています。また八女山付近には宮地嶽神社が鎮座、まさにぴったしはまりました。
 さて、「天狗さまの様な雰囲気」からは猿田彦神との発想が自然なのですが、このイメージが降りて来たのはやはり阿波の忌部氏の祖神を祀る大麻比古神社が延喜式の名神大社として鎮座し、大麻比古神社は天太玉命と猿田彦神の神徳を称えて奉った社名と言われており、阿波の忌部を引き出すヒントだったのでしょう。
 とぼしい想像力を発揮したいささか青草話になってしまいました。

[6843] Re[6842][6841]: ごめんなさい  まりりん 2005/12/05(Mon) 14:59 [Reply]
お返事!ありがとうございます。
すごく悩ませてしまってみたいで・・・すみません(^^;;;

今、仕事中なんですが(汗汗)
朝から考えていてどうしても気になってしまって・・・
職場のPCにもお気に入り登録して、書き込みをしています。
(課長許して☆☆)

ここ何日かそんな内容の夢を続けてみます。
でも、その神様(夢の中でご自分でそう言われます)の
「住所・氏名・年齢などなど??」を聞こうとすると目が覚めるんです。
大分のしゃくま山(?)や福岡の宮地嶽神社に縁があるみたいなんです・・・

神奈備さんのHPしか頼れないゾ〜〜って思って・・(なれなれしくてすみません)
よろしくお願いいたします。

[6842] Re[6841]: 初めましてm(^^)m  神奈備 2005/12/05(Mon) 13:56 [Reply]
まりりんさん こんにちは。
すごい謎々です。
四国から九州へ遷座していった神?
ご覧の方々のアドバイスと時間を頂きたい所です。

[6841] 初めましてm(^^)m  まりりん 2005/12/05(Mon) 11:14 [Reply]
こんにちは。
初めてお便りをさせていただきます。宮崎在住の乙女♀(ン???)です。
以前よりお気に入りに登録させていただきおじゃましていましたが、
今回は教えていただきたいことがあり、書き込みを決心した次第です(^^;

下記にあるような条件にあてはまる神様(だと思います)がおいででしょうか???

@もともとは四国方面においででした
Aある事情(内容はわかりません)により追われることとなり
 九州は高天原の地に逃げてきました。
B宮地嶽神社に関係(さだかではありませんが・・・)があって、
C天狗さまの様な雰囲気(・・・のような気がします)があり
Dわりに(失礼します・・)力をお持ちです。

漠然としていて申し訳ありません。
少しでも該当する方がおいででしたら教えていただけませんか?
よろしくお願いいたします。

[6840] Re[6838][6837][6829]: 八尾の太田  神奈備 2005/12/03(Sat) 15:08 [Reply]
> 八尾の太田について、何かご存知ありませんか?

八尾市の大田の地名はいつ頃まで遡ることができるかですが、『和名抄』には出てきていません。八尾もしかり。
大正二年まであった太田村は渋川郡や丹比郡にまたかる地域のようですね。

明応二年(1470)正覚寺合戦の布陣した場所として太田の名が登場、また丹北郡の太田郷は応永二十六年(1419)に京都のお寺にあるお経の奥書に出てくるようです。

[6839] Re[6838][6837][6829]: 奈良市広岡町の九頭神社  タイシ 2005/12/03(Sat) 07:04 [Reply]
鴨神社参拝されていたのですね。
http://kamnavi.jp/en/kawati/sikiato.htm

今度、HPの地図参考に参拝します。m(__)m

[6838] Re[6837][6829]: 奈良市広岡町の九頭神社  タイシ 2005/12/03(Sat) 00:04 [Reply]
> 再度訪問、やはり違っていました。
> 再掲しております。

拝見しました。当たり前ですが、奈良市史の写真より綺麗ですね。
こちらに、書くべきじゃないかもしれませんが、記事の中に太田田根子が出てきましたので、少し、太田について書かさせて頂きます。
八尾空港の南側に太田の地があるのは、知っていたのですが、地図を見てますと、同じ八尾市の西高安町の水越の交差点あたりに、太田川があり少し気になって調べてみたら、このあたりは、大竹村で字鎌之森で昔は、鴨之森と言い、鴨神社もあったようです。少し、東には天照大神高座神社があります。
八尾の太田について、何かご存知ありませんか?
因みに、三輪の田原本町にも八尾がありました。
いつも、質問ばかりしてすみません。m(__)m

[6837] Re[6829]: 奈良市広岡町の九頭神社  神奈備 2005/12/02(Fri) 21:45 [Reply]
> これは探索のし直ししかないわ。

再度訪問、やはり違っていました。
再掲しております。

[6836] 青草 Re[1578] 終わりに  神奈備 2005/11/30(Wed) 21:05 [Reply]
>> 耳を大きくするのは権威の象徴であって、その為に耳朶に穴を開けて輪をぶら下げたりしたので、大耳、耳垂と呼ばれたのです。
> なんか、小説のレベルですよね。民俗学なんてこんなレベルなのか。
値嘉の島(五島列島?)の首長らしい名に、大耳、垂耳がいたと『肥前国風土記』に出てきます。海南島の風習とさほどかわりはないようです。小説のレベルと言うほどのフィクションとは思われません。

> 論理じゃなくって、想像の世界だと思う。
民俗学を論理だけでやれとは酷な話。想像の世界が入ってきて当然です。

> こんなレベルからどうやったら脱却できるんだろう。
 想像力でしか復元することができないのは古代の民俗を語る場合、避けられないことです。現に折口信夫にしても『死者の書』によって二上山の葬送にかかわる神秘とか闇を描いています。西側に古墳があるとか、頂上に大津皇子の墓があると伝承されているだけでは語れないものがあったのでしょう。心のようなモノ。

[6835] 青草 Re[1578] 耳よ  神奈備 2005/11/30(Wed) 08:59 [Reply]
>> 瀬戸内海で吉備の国などをたて、ついには信濃までたどり着いたのです。
>論拠?

投馬国の官を彌彌といい、副を彌彌那利と。
倭建のお供をした吉備の祖は御suki友耳建日子で耳の仲間。
要するに、耳の一族が吉備の国の祖となっています。

>> 耳を大きくするなり耳輪をつける風習が海南島付近にあり、これが南九州に持ち込まれて隼人の犬祖伝説になった。
>無理矢理、って気がしますが、耳輪と犬祖と関係ある、ということには、しっかりした論証があるのでしょうか?

 ここは奇妙な書き方になってしまいました。論証を求められることはもっともなことです。
 海南島では、犬祖伝承と耳輪と両方を持っているようで、それは隼人にも入ってきたと考えて不自然ではないと言う程度の論拠です。
 それを受け継いだ安曇は瀬戸内を東遷しているので、吉備にも上陸、耳の一族として吉備の建国を行ったとの推理。


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