神奈備掲示板の案内とログ

神奈備掲示板

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掲示板のログ(平成十八年 一月 2006.1)お名前の敬称は省略しています。

[6982] ふいごについて  かまさい 2006/01/31(Tue) 21:26 [Reply]
はじめまして 過去ログのふいごの言葉につられて書き込みさせていただきます。
箱型のふいごはご承知のようにピストンとシリンダおよび吸排気弁からなっています。
http://www.kuzuha-tc.jp/~archmetal/kanren5-2.html
ピストンとシリンダ間の空気漏れを防ぐために、ピストンに密生した柔毛を持つ狸の革が巻かれています。
http://www.asahi-net.or.jp/~bq9t-tkhm/fuigo.html

箱型ふいごの出現時期は、気密性を確保するために板を平滑に削ることができる台かんなが南宋から伝わった以降で、
12〜13世紀頃という説が有力視されているようです。

[6981] Re[6980][6978]: 布奈木の郷 13 淡路国津名郡 北淡町舟木  神奈備 2006/01/31(Tue) 08:46 [Reply]
 日置(ヒキ、ヘキ)と言う二文字から、朝鮮語での解釈として、海城、土などがあるようです。『古代倭王朝論』(畑井弘氏)から。

 熊襲征伐の目的で派遣されて、玉名郡に拠点をおいた日置氏がいます。その氏神が疋野神社とか。祭神が波比岐神と言うのはごろあわせなのかどうかですが、下記サイトでは波比岐神と五十猛命とを同じ神とした説明があります。よく判りませんが・・・。
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/keijiban/hahiki.htm
 熊襲退治の先鋒として五十猛命を掲げて攻め込んだ名残が韓国宇豆峰神社とも言われ、熊襲の敵としての共通項があるようです。

> トンカラリンや新田神社にも行きたいし。。
> ご一緒したいものですが。

古代の恩讐を越えて、nick隼人と神奈備五十猛、ご一緒したいものです。

[6980] Re[6978]: 布奈木の郷 13 淡路国津名郡 北淡町舟木  nick [Url] 2006/01/31(Tue) 00:28 [Reply]
日置氏にしても卑弥呼にしてもなぜか当地隼人と所縁があると唱える方々も多い。
卑弥呼神社なるものも出来てしまった。裏山には卑弥呼が住んでいたとも。。
だれか実証しませんか。。
トンカラリンや新田神社にも行きたいし。。
ご一緒したいものですが。

[6979] 古代日本  尼子安綱 2006/01/30(Mon) 13:03 [Reply]
 日本文明の特色は、一言で言うと「縄文と弥生の融合」
ということになると思いますが、その融合というものを
最初に達成したのは、古代出雲王朝であろうかと思います。
出雲王朝は邪馬台国よりも40年前に出現し、東西日本の
分け目となるフォッサマグナを超えた連合政体を日本海側
に実現しているからです。現在でも太平洋側はここを境に、
東は縄文的西は弥生的な名残が残っています。一方日本海
側はあまり明確でなく、山陰の出雲弁と東北弁が類似して
いるといったことが見受けられます。

一方、古事記/日本書紀などのような日本最古の文書も
縄文と弥生の葛藤と融合がイザナミとイザナギの国産み
神産みの物語として描かれています。しかし最終的には
縄文が弥生に席巻され、イザナミは死に、出雲と伯耆の
境、比婆の山に埋葬されてしまったのです。縄文のシン
ボルとしてのイザナミは一体どうなったのかあまり手が
かりはありませんが最近の考古学には目覚ましいもの
があります。それで私などは、島根県と鳥取県の県境付
近の考古学的ニュースには目が離せないのです。

[6978] 布奈木の郷 13 淡路国津名郡 北淡町舟木  神奈備 2006/01/30(Mon) 07:53 [Reply]
 野島川支流の折ヶ谷川が北流している地域で、北側は海人の野島。
 当地には未だに女人禁制の石上神社が鎮座、伊勢の神島から檜原神社を通る東西線上にある西端の神社。
 菅公作の十一面観音を収める観音堂があります。また、「ヤマドッサン」と言う山神を祀る珍しい行事が残っている。薩摩風の呼び方か?
 山神は夜の間に表戸の少しの間より入り、表の間に用意されたご馳走を食べ、翌日、田の神になって出かけていく。田の取り入れが済むとまた山に帰っていくそうです。
 石上神社の祭祀に当たったのは、古くは太田氏と日置氏だそうで、近くに太田所と言う集落があり、姓は太田が多いそうだ。
 日置氏は九州のトンカラリン遺跡の上に墓があるとされるほどの日神祭祀の氏族のようです。太田氏もまた日神祭祀にかかわったのでしょう。

 当地を舟木と言うのは、舟木氏も居たようで、恐らく太田氏と同祖であったのかも。北の野島海人の船材を供給していたのでしょう。

トンカラリン遺跡は未だ行っていないので是非行きたい所です。

[6977] Re[6976][6975][6974][6973][6969]: 遅ればせながら…  nick [Url] 2006/01/29(Sun) 22:19 [Reply]
> > 因に、ドメイン取得以前のIP直リンクの場合は、現在リンク切れが発生しています。IPの部分をドメインに置き換えていただければ、アクセスできると思います。

せっかくの「有料」のドメインですから。できうればこれにするのがマナーですが、、、
その方がページを設置しているフリーサイトを変更しても「ドメイン・アクセス」なら、「リンク切れ」の心配無用な訳で。。。

私の所など画像が肥大化傾向ですぐオーバーして今有に700MBありますから。。
これで動画でも掲載したら。。。恐ろしくなってきますが。
昔はあちこちのフリーサイトを探しては四苦八苦して設置していましたが
最近やっと落ち着いて一括設置して、ドメイン取得当初の数年前の
在宅サーバー環境に戻りつつあります。

ま、リンク切れを心配しないのであればどこでもいいですが、、
只フレームにしているから「ホームへ戻れない」というトラブルが発生する
可能性はありますね。
要するに手抜きで全部のページをチェックしていないから。笑。

また、ページも回線が重たかった頃のデザインですから、未だにサムネイル画像が。
出来たらこれも今流行のサイズに変更したいのは山々ですが。
少々手を広げ過ぎた感が否めず療養中の身ではしんどい。

この「神奈備」サイトは大規模だからご苦労をお察し致します。

各々のサイトの内部事情も垣間見えるお話で。ご参考にはならないが。

[6976] Re[6975][6974][6973][6969]: 遅ればせながら…  神奈備 2006/01/29(Sun) 19:48 [Reply]
> 因に、ドメイン取得以前のIP直リンクの場合は、現在リンク切れが発生しています。IPの部分をドメインに置き換えていただければ、アクセスできると思います。

ヒャヒャ、赤面ものです。(^-^;  (^-^;
早速修正いたしました。<(_ _)>

[6975] Re[6974][6973][6969]: 遅ればせながら…  HISASHI [Url] 2006/01/29(Sun) 18:15 [Reply]
神奈備様

>  小生の延喜式神名帳の各神社の所で貴HPの内部にリンクを張らしていただいており、ご注意書きの「リンクは自由ですが、出来ましたらhttp://www.kamimoude.org/」をリンク願います。」とあるのですが、そうはしていません。主旨をご理解頂き、ご容赦をお願いいたします。

こちらこそ、リンクをして頂き有難うございます。

で、大層な話ではなく、直リンの場合サイト構成変更に伴いリンク切れが発生する為、トップページのリンクをお願いしているだけで、「トップページでなければリンクを認めない」というものではありません。総てに対して、変更の連絡が出来ませんからね。

まぁ、ここいらは、サイト夫々の考え方ですので、色々な考えが有って良いと思っています。

因に、ドメイン取得以前のIP直リンクの場合は、現在リンク切れが発生しています。IPの部分をドメインに置き換えていただければ、アクセスできると思います。

長々とすいませんでした。今後とも宜しくお願いします。

[6974] Re[6973][6969]: 遅ればせながら…  神奈備 2006/01/29(Sun) 17:45 [Reply]
 「神詣」のHISASHIさん、書き込みありがとうございます。
 ZOUさんに紹介いただいた宮道神社、山科神社の発信者の方ですね。
 また、リンク集に「神奈備にようこそ」入れて頂き、ありがとうございます。
 小生の延喜式神名帳の各神社の所で貴HPの内部にリンクを張らしていただいており、ご注意書きの「リンクは自由ですが、出来ましたらhttp://www.kamimoude.org/」をリンク願います。」とあるのですが、そうはしていません。主旨をご理解頂き、ご容赦をお願いいたします。

> ご友人が、「京都」と考えられた経緯やきっかけが鍵になるかもしれませんね。

 沖縄の方、サン・グリーンさんの知り合いとなると、感性の強い女性の方のように思います。
 山科界隈を足で歩かれれば、感性で発見されるのではない

[6973] Re[6969]: 遅ればせながら…  HISASHI [Url] 2006/01/29(Sun) 07:49 [Reply]
> 沖縄ではウタキや聖地は拝み所(ウガン所)なので、社、祠、社殿などの違いは友人には分からないと思います。玄松子さまやいこまかんなびさまのいわれる神の社、または神の居ます所(ヤマトタケルの子どもの神霊が祀られているにもかかわらず、今はほぼ忘れられてしまっている場所)を探しているのだと思います。
> いずれにしろお騒がせして申し訳ありませんでした。

はじめまして。

話を混乱させるかもしれませんが、「祭祀を忘れた」には「御祭神名が判らなくなった」もふくんだほうが良さそうかも。創建この方、戦乱や合祀などにより、判らなくなっているケースは多々ありますから。

必ずしも、「路傍の祠」ばかり出なく、神社境内の境内社とかも含んだほうが良いかも。

明治の神社明細帳(昭和20年まで更新されている)と平成祭データですら御祭神名が違うケースがありますかねぇ。

ご友人が、「京都」と考えられた経緯やきっかけが鍵になるかもしれませんね。

ご友人が、目的の「祠」や「場所」にたどりつけられると良いですね。

[6972] Re[6969]: 遅ればせながら…  ZOU 2006/01/29(Sun) 03:45 [Reply]
サン・グリーンさん、お世話になります。
あまり価値のありそうな情報ではなかったかもしれず、少々心苦しく思っております。
影響力のあるこの掲示板ですから、書き込み以外の別な方法ででも何らかの情報が集まれば良いですね。
沖縄のご友人が、うまく目的の神祠に辿りつけますように(-人-)

[6971] Re[6969]: 遅ればせながら…  玄松子 2006/01/28(Sat) 18:30 [Reply]
ちょっと気になる書き方です。

> 沖縄ではウタキや聖地は拝み所(ウガン所)なので、
> 社、祠、社殿などの違いは友人には分からないと思います。

沖縄の方であっても、通常の神社を「祭祀も忘れたれた方の祠」と表現するでしょうか。

山科神社は、山科一宮とも呼ばれる社です。また、ともに主祭神は日本武尊だと思われます。日本武尊の御子を祀る祠と表現するものでしょうか。

福知山には、日本武尊の御子だけを祀る島田神社がありますが、祭祀が忘れられているわけではありません。

[6970] 惟神 カムナガラのつどい  田口幸範 [Url] 2006/01/28(Sat) 12:21 [Reply]
サイトを拝見し書き込みさせて頂きます。同じ気持ちが響き合いますように。

大阪・中之島の真ん中で、心ある方々千人のつどいを開催します。
清らかな光の太柱が立ちますように。
**********************
惟神 カムナガラのつどい
3月5日(日)開場14:30 開演15:30 大阪市中央公会堂・大集会室
出演:岡野弘幹・桑名晴子・天河大辨財天社宮司 柿坂神酒之祐
会場音楽:宮下富実夫
ローソンチケット[Lコード:53034] 全席自由 前売5,500円 当日6,000円
【主催・問い合わせ】
JRP:078-948-5525 www.jrpc.or.jp
企画制作:FOUR CORNER,INC.:0797-38-7024 taguchi@mist.ocn.ne.jp

「カムナガラ・惟神」とは古神道の言葉で「自然であること」の意味。関西を代表する雌雄の音楽家であり奉納演奏家である岡野弘幹と桑名晴子に加え、弁財天を祀り全国的に著名な天河神社の柿坂神酒之祐宮司を迎え、音霊と言霊により「こころの岩戸開き」を分かち合います。
**********************
遥か悠久のときを遡り縄文の世には
世界はひとつの海を人々が行き交う
ワン・ワールドだった
海洋を渡り世界の民が日本を訪れた
その証は磐座に刻まれている
私たち日本の遺伝子には
世界が挿入されている
そのスイッチをひらけば
世界があらわれる
私たち日本はどこから来て
今どこへ向かおうとしているのか
世界に果たすべき役割とは何か
まずはひとりひとりが
みずからのルーツを知り
心の岩戸をひらくことからはじめたい
そして解き放とう 日本の心を
*********************

[6969] 遅ればせながら…  サン・グリーン 2006/01/28(Sat) 11:54 [Reply]
さすが、天下の神奈備さまの掲示板のスピードの速さにびっくりです。
私の質問にその後ZOUさまはじめ神奈備一族様いろいろとご親切に回答やご意見をありがとうございました。
遅ればせながら改めて御礼申し上げます。

特にZOUさまの地元ならではの貴重な情報、ありがとうございました。
沖縄の知人にも宮道神社、山科神社のことをさっそくメールにて知らせますね。
(いちどゆっくり、神奈備さまのオフ会か、温泉にでもご一緒したいですね(*^_^*))

沖縄ではウタキや聖地は拝み所(ウガン所)なので、社、祠、社殿などの違いは友人には分からないと思います。玄松子さまやいこまかんなびさまのいわれる神の社、または神の居ます所(ヤマトタケルの子どもの神霊が祀られているにもかかわらず、今はほぼ忘れられてしまっている場所)を探しているのだと思います。
いずれにしろお騒がせして申し訳ありませんでした。

[6968] 布奈木の郷 12 伊勢国朝明郡舟木明神  神奈備 2006/01/28(Sat) 09:43 [Reply]
 『青銅の神の足跡』(谷川健一著)を多いに参考にして:−
 四日市市の耳常神社は舟木明神と呼ばれていたそうです。近くには耳常神社も鎮座、共に伊勢の舟木直の祀る神社だったと『青銅の神の足跡』(谷川健一著)は述べています。則ち船木氏が居たのです。
 この朝明郡の一部を割譲して員弁郡を設けたようで、ここは物部氏の伴部の猪名部の居住地であり、猪名部神社もいくつか鎮座しています。造船用の材木を切り出す船木氏と造船の猪名部氏が隣り合わせに居住している事例です。
 四日市市大鐘町に太神社(かっては大神社)が鎮座、昔の大金郷だそうです。大和の多神社の分祀で、船木氏と同祖の多氏の祀る神社だったようです。なお、大金とは銅鐸が出土した故の命名だそうです。

 太神社と耳利神社の間に伊坂丹生水神が祀られています。船木と丹生、紀伊、伊勢多気郡にそのつながりを見ましたが、丹生神が勧請されたのかも知れません。

[6967] 風説  風渦 [Url] 2006/01/28(Sat) 05:56 [Reply]
太神=テンジン=天神 ?
宇風神=ウジガミ=氏神 ?

出雲神、諏訪神、八幡神、伊勢神、稲荷神、秋葉神・・・など凡て風神(天神) 

【 拙HP「古代之風」http://kaze.world.coocan.jp/ 】






[6966] Re[6965]: 布奈木の郷 8 尾張国山田郡舩木郷  玄松子 2006/01/27(Fri) 22:03 [Reply]
> 淡路の神代は旧三原町(現南あわじ市)誕生時に神代村(くましろ村)から三原町神代(三原町じんだい)と読み方が変えられました。

であれば、

> 兵庫 20 淡路国三原郡神稲郷 (伝)三原郡三原町神代地頭方(じんだい)

で正しいということになります。

「淡路国三原郡神稲郷」は、現在の「三原郡三原町神代地頭方(じんだい)」という文章でしょ。


> 淡路の神代は(くましろ)です。

説明も無く、このように一言を書き散らす投稿こそが残念です。

[6965] Re[6964][6963][6923]: 布奈木の郷 8 尾張国山田郡舩木郷  淡路 2006/01/27(Fri) 16:45 [Reply]
> ありがとうございます。
>  神稲郷はクマシロです。
>  ゼンリンの地図の神代のルビはジンダイとなっています。

淡路の神代は旧三原町(現南あわじ市)誕生時に神代村(くましろ村)から三原町神代(三原町じんだい)と読み方が変えられました。
歴史的地名(読みもですが)が変えられて行くのは悲しいですね。
三原も消えてしまいました。。
残念です。


[6964] Re[6963][6923]: 布奈木の郷 8 尾張国山田郡舩木郷  神奈備 2006/01/27(Fri) 16:29 [Reply]
> > 兵庫 20 淡路国三原郡神稲郷 (伝)三原郡三原町神代地頭方(じんだい)
> 淡路の神代は(くましろ)です。

ありがとうございます。
 神稲郷はクマシロです。
 ゼンリンの地図の神代のルビはジンダイとなっています。

 南あわじ市内の郵便番号
 http://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/subpage.php?p=5847&t=1137050851
もジンダイですね。

[6963] Re[6923]: 布奈木の郷 8 尾張国山田郡舩木郷  淡路 2006/01/27(Fri) 15:09 [Reply]
> 兵庫 20 淡路国三原郡神稲郷 (伝)三原郡三原町神代地頭方(じんだい)

淡路の神代は(くましろ)です。

[6962] 布奈木の郷 11  船木氏と丹生  神奈備 2006/01/27(Fri) 07:49 [Reply]
 『住吉大社神代記』に、紀伊國伊都郡に丹生川上に天手力男意氣績ゞ流住吉大神が鎮座していることを記しています。後裔社↓。
http://kamnavi.jp/ki/itonaga/ouga8.htm
 また『播磨国風土記逸文』には、「神功皇后が新羅征伐に赴く時、集まった神々の中に爾保都比売命がおり、自分を良く祀ってくれるならば赤土を与えようと言った。その赤土を船体などに塗って新羅を攻略した。帰還後、神功皇后は爾保都比売命を紀伊国筒川の藤代の峯に鎮め奉った。」とあります。
http://kamnavi.jp/ny/kamitutu.htm

 現在住吉大社の宮司である真弓常忠氏の『古代の鉄と神々』の中で「船木氏は丹生川上よりも砂鉄の豊富な播磨へ移動」と推定されています。
 丹生川上は砂鉄や金などに加えてもっとも多く採取できたのは丹沙でしょう。水銀の硫化物です。『播磨国風土記逸文』の赤土も紀の国産の丹沙であったのでしょう。

 丹後にも丹生神社が鎮座、また伊勢の多気郡は後世までの丹沙の産地があります。多気郡勢和村丹生です。伊勢白粉で繁昌したようです。
http://kamnavi.jp/ny/mienyu.htm
http://kamnavi.jp/ny/mietaisi.htm

[6962] 布奈木の郷 11  船木氏と丹生  神奈備 2006/01/27(Fri) 07:49 [Reply]
 『住吉大社神代記』に、紀伊國伊都郡に丹生川上に天手力男意氣績ゞ流住吉大神が鎮座していることを記しています。後裔社↓。
http://kamnavi.jp/ki/itonaga/ouga8.htm
 また『播磨国風土記逸文』には、「神功皇后が新羅征伐に赴く時、集まった神々の中に爾保都比売命がおり、自分を良く祀ってくれるならば赤土を与えようと言った。その赤土を船体などに塗って新羅を攻略した。帰還後、神功皇后は爾保都比売命を紀伊国筒川の藤代の峯に鎮め奉った。」とあります。
http://kamnavi.jp/ny/kamitutu.htm

 現在住吉大社の宮司である真弓常忠氏の『古代の鉄と神々』の中で「船木氏は丹生川上よりも砂鉄の豊富な播磨へ移動」と推定されています。
 丹生川上は砂鉄や金などに加えてもっとも多く採取できたのは丹沙でしょう。水銀の硫化物です。『播磨国風土記逸文』の赤土も紀の国産の丹沙であったのでしょう。

 丹後にも丹生神社が鎮座、また伊勢の多気郡は後世までの丹沙の産地があります。多気郡勢和村丹生です。伊勢白粉で繁昌したようです。
http://kamnavi.jp/ny/mienyu.htm
http://kamnavi.jp/ny/mietaisi.htm

[6961] Re[6958][6956]: さらなる割り込み、失礼します。  玄松子 2006/01/27(Fri) 00:58 [Reply]
> たとえば、道端のお地蔵さんは、「お寺」とは呼ばないでしょう。

この場合の祠は、「祭祀も忘れたれた方の祠」に関するものです。

祠自体に、寂しいという意味はありません。(小さいというニュアンスはありそうですが)
祠(ほこら)は、神倉(ほくら)であり、神の社(やしろ)を意味しています。

[6960] Re[6957] :さらなる割込み、失礼します。  いこまかんなび [Url] 2006/01/26(Thu) 23:30 [Reply]
有難うございます。
祠といえば、何やら寂しい小さなお社、その状態に至っても、お金をさほどかけられることもなく、なお神の存在が地域の民衆などの間に微かにも伝承して信仰されているもの。?
神社といえば、鳥居や燈籠や拝殿・本殿など、何から何まで地域の人達の厚い?信仰に支えられ、さらには広範囲の人々からも厚いご利益を期待される立派な構えの建築物・工作物、一定の形式を整えた構造物を伴った神の鎮まる地ということでしょうか。よく表現できません。
神に対する扱いは、その時代・時代の政策等によっては大きく取り扱いが変わるものだったかも知れませんし。
昔は式内、今は小祠、果ては場所不明、なんてこともありますよね。

[6959] RE[6950] 銅鐸のことを「サナキ」と言うらしいです。  倭亞府 2006/01/26(Thu) 23:10 [Reply]

 私は古墳を蘇えりの場と考えています。[銅鐸のことを「サナキ」と言うらしいです。]・・・「サナキ」=蛹(さなぎ)芋虫が蝶に変身!繭玉 蛹型 瓢箪型 古墳(古代中国神話に大洪水の時にノアの箱船(瓢箪)の伝説。)横穴式古墳は母体=誕生(蘇えり)ピラミッド・・・銅鐸=甕棺=禹の父の霊=レイ(音で検索 零弦?)

「大阪の柏原市に鐸比古鐸比売神社があります。「ぬで」ひこ「ぬで」ひめ神社。式内社。平野部からやや信貴山に上がったところにあります。
 平野部からは流水文の銅鐸が出ています。
 この近くに大県遺跡があり、朝鮮半島製の多鈕細文鏡が出ています。
 辞書では鐸を「たく」「ぬて」「ぬりて」「さなき」と読んでいます。」
http://www.netlaputa.ne.jp/~k-salt/bbs0009/bbs/bbs.html
 「ぬりて」が訛って「ぬて」「ぬで」になったのではないかなあ。もともとどこの言葉だったのか?
 朝鮮語かもしれませんね。

佐奈伎」 「さなき」は「さなぎ(蛹)」の姿から、そう命名されたと思っていたが ... 「佐奈伎」が存在していることを知っている人が「さなぎ(蛹)」と 命名したようである ...
http://kamnavi.jog.buttobi.net/log/yumv0302.htm

「 さなぎ山は井田の東方にある標 高501メートルの真城(さなぎ)山である ... 宅地造成の際に黒部古墳三基が保存された。 登ってみると前者は薮が多い・・」

[6958] Re[6956]: さらなる割り込み、失礼します。  玄松子 2006/01/26(Thu) 22:59 [Reply]
> 祠と神社の違いは何なんでしょうか。言葉だけ?。

たとえば、道端のお地蔵さんは、「お寺」とは呼ばないでしょう。
その程度の差だと認識しています。

[6957] Re[6956]: さらなる割り込み、失礼します。  神奈備 2006/01/26(Thu) 22:39 [Reply]
> 祠と神社の違いは何なんでしょうか。言葉だけ?。

 恒常的に鳥居があるのか、ないのか。
 と言う感じよりは、摂社的な存在、特に犬鳴山や當麻寺の域内の神々は神社と言うよりは祠と言う感じですね。
 その中間の存在もあるようで、論理的な線引きは難しいようで、感性のことかも。

犬鳴山
http://kamnavi.jp/dk/inunaki.htm
當麻寺
http://kamnavi.jp/as/katuragi/taimadera.htm
境の神(中間の存在)
http://kamnavi.jp/as/hirookas.htm

[6956] さらなる割り込み、失礼します。  いこまかんなび [Url] 2006/01/26(Thu) 21:41 [Reply]
祠と神社の違いは何なんでしょうか。言葉だけ?。
こないだ、和歌山の山の中にある静火神社を訪ねました。
(小)祠というか、神社っちゅーか。いずれも神さん祀っている所ですね。
違うようでしたらぜひご教示下さいませ。

[6955] Re[6954][6946]: 割り込み、失礼します。  神奈備 2006/01/26(Thu) 20:10 [Reply]
> 路傍や山中、あるいはどこかの境内社で探すべきでしょう。

玄松子さんのおっしゃることはもっともなことです。
京都と言っても広うござんす。稚武王の祠を探し始めるのは、先ずZOUさんが示された神社周辺に感をつけてと言うことで。
地図↓ この辺から。

http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=34/57/49.299&el=135/48/15.594&scl=70000&bid=Mlink

[6954] Re[6946]: 割り込み、失礼します。  玄松子 2006/01/26(Thu) 16:57 [Reply]
> ヤマトタケルの子どもで、今は祭祀も忘れられた方の祠が京都にあるらしいので探しているそうです。

「祭祀も忘れたれた方の祠」であれば、
神社という形式ではないのではないでしょうか。

路傍や山中、あるいはどこかの境内社で探すべきでしょう。

[6953] Re[6952][6946]: 割り込み、失礼します。  神奈備 2006/01/26(Thu) 11:56 [Reply]
ZOUさん、ありがとうございます。
宮道神社は『平成データ』に神社名すらないようです。
山科神社も宮道氏の祖神を祀っているので、日本武尊の子の稚武王なのでしょう。
『平成データ』では、稚武王とは雄略天皇のこととなっているのです。

[6952] Re[6946]: 割り込み、失礼します。  ZOU 2006/01/26(Thu) 11:43 [Reply]
神奈備さん、サン・グリーンさん、私のほうも割込み失礼いたします。
サン・グリーンさん、いずれまた葛城地方の北向社殿の古社でお目にかかれる機会がありましたら、
よろしくお願いいたします。

さて、私は奈良県の北部に住んでいまして、少し北上すればすぐ京都府に入ります。
京都入りするときに参照するサイトに、
ヤマトタケルの子、稚武王を祭神とするということで下記の神社が掲載されていました。

宮道神社↓
http://www.kamimoude.org/jinjya/kyoto-city/yamashina/ya-miyami/index.html
山科神社↓
http://www.kamimoude.org/jinjya/kyoto-city/yamashina/ya-yamashi/index.html

お探しの神社であるかどうかはっきりとは分かりまませんので、
あくまで参考程度にお考えくださればと思います。

[6951] ありがとうございました。  サン・グリーン 2006/01/26(Thu) 10:27 [Reply]
さすが、神奈備さま(*^_^*)
的確ですばやいお返事ありがとうございました。
ヤマトタケルには少なくとも六人の奥さんと六人の子どもさんがおられたのですね。
それだけY遺伝子を受け継ぐ方々がいれば、今のように継承者に困ることはなかったことでしょうね。
みなさまの討論の腰を折ってしまい申し訳ありませんでした。

[6950] 布奈木の郷 10 伊勢国多気郡相可郷 『古事記』佐那の県  神奈備 2006/01/26(Thu) 07:28 [Reply]
 『延喜式神名帳』に伊勢国多気郡に佐那神社二座と載せられています。ここは伊勢船木氏の拠点で、祖神の手力男神を祭る佐那神社を祀っていました。また伊勢の佐那の造もいたようで、曙立王と二柱の神をして二座としていたのでしょう。
 近くの多気郡多気町四匹田から銅鐸が出土しています。銅鐸のことを「サナキ」と言うらしいです。

 佐那神社から南西15kmに多岐原神社が鎮座、この辺りにも船木と言う地名が残っています。『三重県の地名』(平凡社)によりますと、倭姫が当地で御船を造り行幸した伝承によるものだそうです。なお、多岐原神社から2km南に滝原宮が鎮座しています。

 以降「青草」話。
 「サナキ」は「サナ」や「ナキ」に訛ることもあるのかも。丹後に祀られた豊宇賀能売命は哭木村の奈具神社、そうして船木氏は「フ・ナキ」、伊勢では佐那神社を奉斎、手力男神は内宮の相殿に祀られるほどの神、その力はもの凄いものがあるのでしょう。銅鐸の力なのでしょう。おそらく銅鐸は忘れ去られたのではなく、手力男神のような強力な神の名として伝えられていたのでしょう。

 国生みの二神、サナが入っているのです。三貴子の親神とされたのもむべなるかなかも。

[6949] Re[6941][6938][6937][6936][6935]: 老陶芸家の一言  神奈備 2006/01/25(Wed) 20:06 [Reply]
> 近くに「剣之宇都」と呼ばれる小字があります。
> 昔から「刀鍛冶」の在所です。良質の砂鉄が採取され近年まで船形の鞴が存在したと聞き取りしました。平家落人部落でもあるようです。

野上神社や三面大黒天のある所ですね。
http://prosv1.tok2.com/~hayato/jisya/nogami.html

>

[6948] 初めまして。  夢の途中 [Url] 2006/01/25(Wed) 19:25 [Reply]
神様の写真をHPで公開しております。
関心がございましたら、アクセスしてください。

[6947] Re[6946]: 割り込み、失礼します。  神奈備 2006/01/25(Wed) 16:33 [Reply]
『古事記』
伊玖米天皇(イクメノスメラミコト)の女(ムスメ)、布多遅能伊理毘売命(フタヂノイリビメノミコト)を娶(メト)して生みましし御子(ミコ)、帯中津日子命(タラシナカツヒコノミコト)。一柱。
弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)を娶(メト)して生みましし御子(ミコ)、若建王(ワカタケルノミコ)。
また近淡海(チカツアフミ)の安国造(ヤスノクニノミヤツコ)の祖(オヤ)、意富多牟和気(オホタムワケ)の女(ムスメ)、布多遅比売(フタヂヒメ)を娶(メト)して生みましし御子(ミコ)、稲依別王(イナヨリワケノミコ)。
また吉備臣建日子(キビノオミタケヒコ)の妹、大吉備建比売(オホキビタケヒメ)を娶(メト)して生みましし御子(ミコ)、建貝児王(タケカヒコノミコ)。
また山代(ヤマシロ)の玖々麻毛理比売(ククマモリヒメ)を娶(メト)して生みましし御子(ミコ)、足鏡別王(アシカガミワケノミコ)。
また一妻(アルミメ)の子、息長田別王(オキナガタワケノミコ)。
凡(オホヨ)そこの倭建命の御子等、并(アハ)せて六柱なり。

帯中津日子命 仲哀天皇のこと。仲哀天皇は多くの神社で祀られていますが、それ以外の皇子を祭神としている神社は『平成データ』では出てきません。京都府では。

だからこそのお尋ねなのでしょうね。

[6946] 割り込み、失礼します。  サン・グリーン 2006/01/25(Wed) 16:02 [Reply]
先日は久々にお目にかかれてありがとうございました。
吉向先生のタヌキとタタラフイゴのお話は体験に裏づいているので楽しかったですね。

途中割り込みで大変失礼なのですが…
沖縄の友人が難問を尋ねて来ました。
ヤマトタケルの子どもで、今は祭祀も忘れられた方の祠が京都にあるらしいので探しているそうです。
ヤマトタケルに子どもがいたのでしょうか?私は範囲外なのでさっぱり分かりません。
母親は不明だそうですが、神奈備一族のみなさまのお知恵を拝借できないでしょうか?
何卒よろしくお願いいたします。

[6945] Re[6944][6943]: たぬき  神奈備 2006/01/25(Wed) 07:43 [Reply]
> 獣道に少し毛がはえた程度の古道
 獣道は断層の上にあることが多いとか、聞いたことがあります。水が湧き出すのでしょう。イオンも出ているのかも。そこを人間が歩いて、神社を作ったり、仏像を彫ったりするのでしょう。


> サンカの伝承の中に「高天原では、二枚板に狸の皮を張って、中に竹はねを仕掛けたシナド(ふいご)を使って、炭火で鉄をとかしていた」というものがあるそうです。

 フイゴは往復させるもので、往でも復でも空気が吐き出される仕組みになっているそうです。どんな仕組みになっているのかな?


> 昔をたどれば私もサンカの末裔かも知れません。

 鉱床を探して歩く人間の名に「藤」がついているのが多いとか。それが藤代の峰になったり、住吉の神が藤の枝を流したり、藤原氏や俵藤太もそうだったのかも。


[6944] Re[6943]: たぬき  nick [Url] 2006/01/25(Wed) 02:01 [Reply]
余談ですが、床の間にもらい物の「狸の剥製」がありましたが、、
今押し入れに鎮座されてます。ちょっと可愛そうで。。
山道を走るとたまにムジナが。。
過日も猿が現れて大騒ぎでした。六甲辺りのように流石に猪はでてきませんが
古文書で歩くとよく判りますね。昔は多分獣道に少し毛がはえた程度の古道で
たまに磨崖仏や馬頭観音や供養塚を見かけると妙に納得します。今頃の峠道は凍結して難儀だったのでしょうか。。
鉱山を探して聖は山河を駆け巡った訳で、体力勝負ですね。昔の修験道は、「信仰心」が稀有だとなかなかでしょう。
テーマから逸れて恐縮です。

[6943] たぬき  かまど 2006/01/25(Wed) 01:15 [Reply]
神奈備様

そうそう、狸でもう1つ思い出しました。サンカの伝承の中に「高天原では、二枚板に狸の皮を張って、中に竹はねを仕掛けたシナド(ふいご)を使って、炭火で鉄をとかしていた」というものがあるそうです。

サンカの伝承についてはどこまで信用でくるかまだ思案しかねてますが、ただ狸の皮を使うのはもしかしたら全国共通かも知れませんね。ちなみにサンカは全国各地にいます。昔をたどれば私もサンカの末裔かも知れません。

[6942] たたら  かまど 2006/01/24(Tue) 22:17 [Reply]
nick様
>合ってますよ。今DVDを再生しました。
やっぱり。ありがとうございます。DVDとはすごいですね。
炎の色など伝承とはすごいですね。
製鉄所では毎年恒例でちょっとしたタタラ実演をされてるところもありますね。なかなかタイミング合わないのでまだ見たことありませんが。


神奈備様
>その前に「嫁探し嫁探し(^o^)/」ですね。
そのとおり!というか恋人探しです。(T^T)

[6941] Re[6938][6937][6936][6935]: 老陶芸家の一言  nick [Url] 2006/01/24(Tue) 19:33 [Reply]
> > 狸の毛は堅くて丈夫なんでしょう。毛筆に歯ブラシに役に立っています。
>
> 記憶違いかも知れませんが、狸の皮は確かNHKのプロジェクトXで、タタラを機械的にできないかと、日立金属/安木?が取り組んで、フイゴで苦労したとの話で出てたような気がします。間違ってたらすいません。
>
合ってますよ。今DVDを再生しました。
安部由蔵さんと木原明さんの奮闘記録です。

近くに「剣之宇都」と呼ばれる小字があります。
昔から「刀鍛冶」の在所です。良質の砂鉄が採取され近年まで船形の鞴が存在したと
聞き取りしました。平家落人部落でもあるようです。

[6940] 布奈木の郷 9 丹後国竹野郡舟木の里  神奈備 2006/01/24(Tue) 08:28 [Reply]
 『丹後国風土記逸文』丹波の郡の比治山の頂上の井戸を真奈井といい、今は沼になっている。その井に天女が八人降りてきて、水浴をしていた。その時、和奈佐老夫、老婦がいて、一人の衣装を隠した。天女は天に帰れず、老夫婦の養子となって正に百薬の長となる酒を噛んで、老夫婦を豊にした。ある日、天女は追い出されて、丹波の里の哭木(なきき)の村に至ってないた。また竹野の郡舟木の里の奈具の村に至り、やがて奈具の社で豊宇賀能売命として祀られた。以上が『風土記』。

 この舟木の里は現在の竹野郡弥栄町船木を含む一帯のことです。弥栄町和田野小字太田に古墳があり、有名な青龍三年の方格規矩神獣鏡が出土しています。これと同型のものが、大阪府高槻市の安満宮山古墳から出ています。卑弥呼の鏡?

 弥栄町には大字名が井辺、船木、奈具、黒部、鳥取と古代の氏族のオンパレードのように並んでいます。

井辺 天太玉命を祖神とする忌部氏、齋部氏。
船木 多氏と同族の船木氏
奈具 豊宇賀能売神を祭神とする奈具神社が鎮座。伊勢の外宮の元宮。
黒部 呉部、渡来人。松阪市の黒部には意非多神社が鎮座、黒部は呉部の訛りかも、意非多はオイタで、多氏などとの関連も見えそうです。
鳥取 鳥取氏、出雲国荒神谷の有名な銅剣出土の地が鳥取氏に由縁があるとか。『謎の古代氏族 鳥取氏』山本昭著

 船木は竹野川支流の奈具川上流で四周は山、奈具は嘉吉三年(1443)奥丹後豪雨の被害で亡村となったそうです。後で逃れていた村民が戻って来ても奈具村を再建できず、船木の一部となったとか。

 船木と奈具、これは伊勢の船木につながるのか。

[6939] Re[6938][6937][6936][6935]: 老陶芸家の一言  神奈備 2006/01/24(Tue) 08:28 [Reply]
カマドさん、興味深いお話、ありがとうございます。

> ちなみに、そろそろいつ死んでもいいように本を書こうと思っています。

 それよりは、
> 子作り子作り!
を優先させて下さいな。

 その前に「嫁探し嫁探し(^o^)/」ですね。

[6938] Re[6937][6936][6935]: 老陶芸家の一言  かまど 2006/01/23(Mon) 23:46 [Reply]
> 狸の毛は堅くて丈夫なんでしょう。毛筆に歯ブラシに役に立っています。

記憶違いかも知れませんが、狸の皮は確かNHKのプロジェクトXで、タタラを機械的にできないかと、日立金属/安木?が取り組んで、フイゴで苦労したとの話で出てたような気がします。間違ってたらすいません。

> 狩場明神と皮付明神とは丹生酒殿明神社の末社に並んで祀られていますから、違うのかも知れませんね。尤も、八坂神社には大屋毘古神と五十猛命とが並んで祀られています・・・。

風土記の三谷の項には、丹生酒殿神社の摂社に狩場明神、末社に皮張明神と皮付明神があります。
狩場=皮張と言われるようになったのは、恐らく、もともとこの神社は狩場明神と呼ばれていたのが、後世地名をとり皮張大明神と呼ばれたためと推測します。狩場≠皮張が分かるものとしては風土記の丹生酒殿神社の末社や、皮張大明神縁起だけでなく、今はいえませんが他にもあります。


> 『紀伊續風土記』によりますと、狩場明神は皮張村に葬られたとあります。
そうですね。丹生氏家系図にもありますし、皮張大明神縁起にもあります。丹生総神主家系図(正確には相当?)については東京大学史料編纂所のデータをインターネットで検索できますので、見る事ができますよ。ヒントは私の「かまど」と言うハンドルネームです。神奈備様ならこのヒントでたどりつけると思います。インターネットや本屋で出回っている間違いだらけの丹生総神主(祝)家系図とは違いますよ。


最近、丹生氏鉱山師説(=狩場明神鉱山師説)に関するキーワードがたくさん見つかってきて、以前から考えていた事のしっぽが少し見えてきました。狩場明神調べれば調べるほど奥深いです。 今はまだ丹生氏についてはよく調べられていないので、以外と気がついていないみたいですね。若尾五雄氏も、ものすごく近く(10mぐらい)まで行かれて、見落としているんですけどね。多分若尾氏なら、それに気づいていれば、若尾氏の自説でそれを展開されただろうと思えて、やや残念です。誰か気づくと思うんですけどね。以外とまだ誰もそれを発表していません。
余談ですが、これに関係して、青草掲示板でキーワードが書かれていたのでビックリしました。今はここまでしか書けないのでお許しを。m(_ _)m

ちなみに、そろそろいつ死んでもいいように本を書こうと思っています。もちろん自費。販売予定なし。だから部数10部とか、そんなものになると思っています。記念です。子供がいないから、文章にして残すしかないのでつらいですね。まあ妻もいませんので子供がいないのは当たり前なのですが。
いつも思いますが、口伝・秘伝なんてものは、引き継がせようと言う気持ちと、引き継いでくれる人がいなければ消えていくだけなんですね。切実に感じています。子作り子作り!

[6937] Re[6936][6935]: 老陶芸家の一言  神奈備 2006/01/23(Mon) 22:33 [Reply]
かまどさん、久しぶりです。

> 私も以前この話聞いたことがあります。いろいろ試してみたが狸が良かったとか。

狸の毛は堅くて丈夫なんでしょう。毛筆に歯ブラシに役に立っています。

> 狩場明神の別名については、出所どこでしたっけ?

狩場明神と皮付明神とは丹生酒殿明神社の末社に並んで祀られていますから、違うのかも知れませんね。尤も、八坂神社には大屋毘古神と五十猛命とが並んで祀られています・・・。

『紀伊續風土記』によりますと、狩場明神は皮張村に葬られたとあります。

[6936] Re[6935]: 老陶芸家の一言  かまど 2006/01/23(Mon) 21:59 [Reply]
こんばんは、神奈備様。

>  昨日の日曜日に、タタラやフイゴの話が出て、手で動かすフイゴの場合、動く部分の周囲には狸の皮が張られており、空気が漏れないようになっている、との一言がありました。

私も以前この話聞いたことがあります。いろいろ試してみたが狸が良かったとか。


>  丁度、神奈備が「空海と狩場明神」の拙い報告をさせて頂いた直後のことで、その一言で狩場明神の別名を皮張明神、皮付明神とも言うとの理由が判ったのでした。

狩場明神の別名については、出所どこでしたっけ?
なんかそんな話聞いた事ありますね。皮張明神、皮付明神は狩場明神の子と言う説もあります。出所は皮張明神縁起(1713年)です。


[6935] 老陶芸家の一言  神奈備 2006/01/23(Mon) 15:56 [Reply]
 ある研究会でご一緒させていただく老陶芸家がおられます。吉向蕃斎さん。
http://www.kikkogama.co.jp/page022.html

 土の専門家であり、また浪速の古代についても造詣の深い方です。

 昨日の日曜日に、タタラやフイゴの話が出て、手で動かすフイゴの場合、動く部分の周囲には狸の皮が張られており、空気が漏れないようになっている、との一言がありました。

 丁度、神奈備が「空海と狩場明神」の拙い報告をさせて頂いた直後のことで、その一言で狩場明神の別名を皮張明神、皮付明神とも言うとの理由が判ったのでした。
 空海を高野山に案内した白犬、黒犬を連れていた猟師(死後、空海が狩場明神と名づけた)は、金属精錬師であったと言うことです。猟師としては狸を狩り、その毛皮でフイゴを作っていたのです。

 http://kamnavi.jp/log/ugainu.htm

[6934] Re[6933][6932][6930]: 日向国宮埼郡飫肥郷  nick [Url] 2006/01/22(Sun) 11:36 [Reply]
おはようございます。
ご多忙のところわざわざお調べ頂いたようで
恐縮しています。

実は「弥五郎」繋がりで申し上げただけだったのです。
この「弥五郎」の御霊・墓所神社が当地には4箇所存在するのに
関連の祭りは皆無です。その関連をと思ったのですが。

今、大学入試試験の真っ最中
受験生に一番有名な所では「学問の神:天神様」です。
この学問の神様菅原道真公の総本山は九州の太宰府天満宮で
ここは墓所、一方京都の北野天満宮は御霊を祀ります。

このような神社は、当地では特に神話伝承の世界の神社に
多々見受けられます。

そのような所をと思っていましたが、丁重にご回答頂き
ありがとうございます。

「神奈備」サイトの氏神繋がりの神社は、貴重な資料として重宝しております。
今後は「修験道」関連の神社の掲載を期待しています。

[6933] Re[6932][6930]: 日向国宮埼郡飫肥郷  神奈備 2006/01/21(Sat) 20:11 [Reply]
> 「御霊」を祭る神社は当地の国分地方に4箇所も点在します。
> なぜでしょうか。

九州での御霊神社の祭神

護國の英靈
早良親王
伊予親王
吉備大臣
文屋宮田丸
橘逸勢
藤太夫人
藤原廣嗣
崇道天皇
火雷天神
八所御靈
御靈大神
藤原大夫吉備他六柱
吉備靈
息長足姫命
素盞之男命
菅原道眞
大友政親
鎌倉權五郎景正
田口與一郎
田口松枝
大野九郎泰基
源爲朝
後白河法皇
利光越前守

よく判らないかみもいますが、御魂の御霊もあるのでしょうね。


[6932] Re[6930]: 日向国宮埼郡飫肥郷  nick [Url] 2006/01/21(Sat) 11:06 [Reply]
>  日南市の飫肥、楠原、酒谷、板敷、星倉、弁分
>  北郷町 大藤、郷ノ原、北河内
>
飫肥の「田上八幡」は当地鹿児島神宮の流れを組みます。
案外社領地だったのかもしれませんが、、
この鹿児島より都城・山之口には「的野正八幡」があります。
どちらも熊襲の首領「弥五郎」の祭りが11月に開催されます。
昨年末、この飫肥に出掛ける予定で電車の切符やホテル予約していたのですが
愉しみにしていた父が前夜高熱で頓挫でした。
暖かくなったら桜見物も兼ねて父と出掛けたいなと。。

神社では「御霊」と「墓陵」が別と云うのも多々ですが、
この「弥五郎」に関しては、当地では祭りらしきものは存在しませんが
宮崎地方では盛んです。
「御霊」を祭る神社は当地の国分地方に4箇所も点在します。
なぜでしょうか。

「弥五郎祭」に関しては当サイトの歴史探訪からどうぞ。


[6931] Re[6929][6928]  nick [Url] 2006/01/21(Sat) 10:50 [Reply]
> > 神職の方を「ほいさあ」と言いますがご存知の方も少なくなった。寂しい。
> 祝(はふり)さん? 羽振りながら・・珍彦の登場。 羽振りがいい 金持ち。
>
昔、大三元でしたか。
僧侶の「法衣」から派生したんじゃないかって。。
当地は「熊野権現」が昔から根付いていますから、その方が納得します。

話題は変わりますが、当地の大手のショップは皆さん帰化人の家系ですよ。
島津藩はかなり加護したようですから。。
現在、国分の敷根にある「医師神社」はその林家が建立した「門倉薬師」です。
ま、調査する事項は山ほどあるのですが体力と能力が。。。

そんなところで「薩摩言葉」の妙味を。。これからも小出しに。笑。

[6930] 日向国宮埼郡飫肥郷  神奈備 2006/01/21(Sat) 09:05 [Reply]
 日南市の飫肥、楠原、酒谷、板敷、星倉、弁分
 北郷町 大藤、郷ノ原、北河内

 広渡川の左右に田園が開け、油津の良港を擁し、古墳も諸所にあるので、古くからの拓殖の及んだ所。
 日南市は縄文早期の遺跡もあり、古くから開発されていたと言います。一大製塩地帯だったようです。
 当地には吾田邑があります。神武即位前紀に吾田邑の吾平津媛を娶ったとあります。日南市材木町に吾平津神社(乙姫神社)が鎮座、神社に対する丘上を吾平津媛陵としていますが、鵜鵜草葺不合尊の陵墓との説もあります。

 この地域は森林と水源に恵まれて待つ、楠、樫、櫟、桜など良材の宝庫と亥言えます。神武出発準備の場所としてはうってつけの所、また到着後の避難地に和泉国日根郡呼於郷があり、共にオオで多氏にからむのは偶然ではなきでしょう。太安万侶の作為かも。
神社
 南那珂郡北郷町大字郷之原乙 郷原神社
 日南市大字板敷 田ノ上八幡神社
 南那珂郡北郷町大字北河内 潮嶽神社。

[6929] Re[6928]  神奈備 2006/01/21(Sat) 09:05 [Reply]
> 神職の方を「ほいさあ」と言いますがご存知の方も少なくなった。寂しい。
祝(はふり)さん? 羽振りながら・・珍彦の登場。 羽振りがいい 金持ち。


[6928] Re[6926][6925]Re:[6924]  nick [Url] 2006/01/20(Fri) 10:10 [Reply]
早速のレスありがとうございます。
正確には標準語読みなら「くはい」のようです。
明治生まれの父は「くえ」とか「くわい」とか云ってますが、最近
こういうのは私だけかも。
神職の方を「ほいさあ」と言いますがご存知の方も少なくなった。寂しい。

神招き、神降りの神事の一つです。

しかし、これから春に盛んに開催される「田の神」祭りも、一般で云う「神庭」に
山ノ神をお招きしますが、、、
この「くはい」はありません。
どうも神社内での神事の時だけのようです。
この辺りも今度お聞きしようと。

当地では、この「神庭」(こうにわ)のことを「ゆにわ」と云います。
斎竹(いみだけ)を四角に立て注連縄で囲んで「ゆにわ」を作ります。



[6927] Re[6877][6876]: 太田と船木  あおい 2006/01/20(Fri) 01:10 [Reply]
>>6926 神奈備さん、どうもありがとうございます。現時点では皆さんの足下にも知識が及ばないので、過去ログを一通り拝見し十分な知識を得た後で、分からない時は書き込ませて頂きます。話の腰を折ってしまい申し訳御座いませんでした。

[6926] Re[6925]Re:[6924]  神奈備 2006/01/19(Thu) 23:13 [Reply]
nickさん、
狗吠(くわい)と言うのですね。
隼人の犬吠え ↓
http://kamnavi.jp/log/yumv0512.htm
の[6850]にあります。

あおいさん
過去ログは ↓
http://kamnavi.jp/log/index.htm
から入れます。
何かのキイワードでお探しなら
http://kamnavi.jp/search.htm
で、探して見て下さい。
kamnavi.jp log キイワード
で出ると思います。

[6925] Re[6901][6851][6850]: 隼人の犬吠え  nick [Url] 2006/01/19(Thu) 22:45 [Reply]
今年、覗いたら「隼人の狗吠(くわい)」、
すなわち犬吠えについてコメントがあったようで、
探しましたが表示しないようです。
一応、私が知っている祝詞は隼人系の神社では聞くことが出来ます。
最近の神職の方でも「狗吠(くわい)」はご存知ない方が多くなりました。
どこの神社がそうなのかお尋ねしようと思っているのですが
ご教示を頂く宮司さんが多忙でなかなか機会がありません。

ご質問の主旨と違っているのかもしれませんが
一応ご参考までに。

[6924] Re[6874]: 築後国上妻郡太田郷  あおい 2006/01/19(Thu) 21:46 [Reply]
度々失礼致します。この神奈備掲示板さんの過去ログを見ようと思うのですが、どうすれば見られますか。

[6923] 布奈木の郷 8 尾張国山田郡舩木郷  神奈備 2006/01/19(Thu) 07:40 [Reply]
 大日本地名辞書 名古屋市守山区南部
 日本地理志料  春日井市北東域から小牧市の一部

 現在の所、比定は困難ですが、上記資料をあわせた地域に含まれるのでしょう。

 春日井市神領町(じんりょう)の貴船神社境内から銅鐸二基出土。
http://www.kasugai.ed.jp/jinryo-e/kouku/kouku-dootaku/jinryo-dotaku.htm

 伊勢湾沿岸は尾張氏の拠点。この氏は「海人」で、水運・海運・漁業を主労働としていた一族で、木曽川、長良川、揖斐川を利用して、上流支流地域と交易のための造船や航行技術を持っていたのでしょう。そう言う中に船木氏もいて、取り込まれていったのかも知れません。

 銅鐸の出土地と地名特に「神」がついている地名との関連について、ペギラさんの銅鐸掲示板に問い合わせた所、韃靼人さんと大三元さんからお返事を頂きました。
 リストを転載いたします。
−−−−韃靼人さん−−−−
それでは例によって島根県の銅鐸出土地名表で神のつく地名の所を探してみました。
但し、神戸市、佐賀の神埼郡などという広域の地名に神が付く場合は対象外にしました。
島根県教育庁埋蔵文化財調査センターの銅鐸出土地名表
http://www.pref.shimane.jp/section/maibun/maibun.f/zyouho.html
静岡 4 遠江国引佐郡?郷 引佐郡三ヶ日町釣・荒神山 ★
愛知 2 尾張国山田郡舩木郷 春日市神領町屋敷田(じんりょう)
愛知 16 三河国渥美郡渥美郷 渥美郡田原町神戸谷ノ口→神宮領
愛知 26 三河国渥美郡渥美郷 渥美郡田原町西神戸堀山田→神宮領
三重 10 伊勢 津市神戸木ノ根→神宮領
大阪 3  摂津国島上郡濃味郷 高槻市天神山→上宮天満宮 通称日神山 ★
大阪 6 摂津(伝)推 高槻市天神山→上宮天満宮 通称日神山 ★
大阪 22 和泉国和泉郡山直郷 岸和田市神於町(こうの) ★
兵庫 6 播磨国飾磨郡菅生郷 飾磨郡夢前町神種字西川 高草(かうのくさ)→神種
兵庫 20 淡路国三原郡神稲郷 (伝)三原郡三原町神代地頭方(じんだい)
兵庫 33 摂津国兎原郡賀美郷 神戸市灘区桜ヶ丘町(通称神岡) ★
島根 7 出雲 簸川郡斐川町神庭 ★
広島 3 備後(推)福山市神村町(かむら)★
徳島 3 阿波国麻殖郡川島郷 麻植郡川島町川島神後(じんご)
徳島 12 阿波国名西郡高足郷 板野郡上板町神宅字山田(かんやけ)★
香川 9 讃岐国寒川郡鴨部郷 坂出市加茂町明神原 鴨は大和系 巨石の横から出土 ★
 小銅鐸ですが、千葉1下総市原市大字村上天神台
 上記には出ていませんが、「和歌山19紀伊新宮市新宮」は、神倉神社コトビキ岩の下から出土したそうです。神倉という神社の名前に注目して参考までに書いておきます。
 それと銅剣・銅戈ですが、高知県伊野町天神で出土しています。
 地名は全て地名表をそのまま検索しました。
 神戸市の桜ケ丘が通称神岡(かみか)ですが、他にも通称で神の付く地名や「出土地ではないが、すぐ近くに神の付く地名がある」という所もあるかも知れません。
 例えば「兵庫29 摂津 神戸市東灘区住吉町渦森台1丁目」は、すぐ近くに荒神山があります。
 姫路の名古山では銅鐸の鋳型が出土しましたが名古山のすぐ傍には神子岡があります。
 そういうものを調べればもっと数は増えると思います。
ただ、その地名が銅鐸に関係があるかどうかは判断は難しいのですが、たしか、森浩一氏が「銅鐸の出土地には神のつく地名が多い」という指摘をされています。
−−−−以上 韃靼人さん−−−−

 地名の内でも、神戸は神社のための田なので、大きい神社の近くと言えますが、律令制の元で設けられたので、銅鐸埋納との関連は薄いのでしょう。
 また、天神も、その概念は銅鐸時代にあったのかどうか、天神地祇と神々を区分したのも後世のことでしょう。

 春日井市神領はまさに船木郷にあたる場所なのです。船木氏、伊勢の船木氏は佐那神社を祀り、天手力男命を遠祖としています。佐那も銅鐸につながる言葉のようで、ほぐすべき糸の一端が出てのかななどと思っていました。

『XX県の地名』(平凡社)で、由緒を見てみましたら、伊勢神宮領になったとか、読みが音読みでどうやら古い地名ではないとしてふるい落として、残った「神」と銅鐸とが切り離せないだろうと言う所に★をつけて見ました。

 半分以上にはまだ否定の出来ない要素が残っているようですね。
 調べた範囲では、銅鐸が出たのでそのことが地名に影響した例はこの場合にはないようです。四日市市に大鐘と言うのはどうやら銅鐸からの地名のようですね。銅鐸を埋めたから神(の倉庫とか土地)となったのでしょうね。
 神を「ジン」と読むのは、頂けないと言えるのでしょう。

[6922] 和泉国日根郡呼於郷  神奈備 2006/01/18(Wed) 07:55 [Reply]
 後世の信達庄にあたり、泉南市の西部となります。地名としては「お」だったのを好字令で二文字とした段階で、「おお」としたようだ。紀伊と同じこと。神社は男神社、水門は雄水門と「お」の訓だから。

 信達岡中から銅鐸が出土していますが、開発の遅かった地域のようです。

神武即位前紀に山城(山井)水門、雄水門の地名が見えます。また、日根造は新羅からの渡来の億斯富使主の後裔と言われ、また神武東征のように九州からやってくる人々の到着する場でもあったのでしょう。
 多氏は普通神武天皇の皇子の神八井耳命とされていますが、もう一つは渡来系の多なる姓の人がいたようで、桧前氏を名乗っています。飛鳥の桧前か紀の国の日前国縣神宮が「ひのくま」では浮かんできます。

 どうやら、多氏の痕跡はなかなか見えないようです。日根郡の式内社に日根神社と比売神社とがあり、男神、女神の対の神社と見られています。
この日根神社は大井関大明神、比売神社は溝口大明神とも言われており、樫井川流域を開発した喜びが社名に見える思いです。紀の国の日前国縣神宮も、名草上下溝口神や溝口大明神の名を持っています。紀の川下流域の名草平野の開発にかかわった紀氏の齋祀った神社で、実に似た状況があったようです。
 進達神社は、昔、樽井の海岸に神武天皇の神像が出現、奇瑞を現したので、神意に従って当地(泉南市信達金熊寺)に祭ったと言います。
 信達神社の境内社に疫神社が鎮座、延喜式の臨時祭の「畿内堺十処疫神祭」の一で、和泉と紀伊との国境を守る神であったようです。
 金熊寺が鎮座、役小角の建立と伝わります。金峰と熊野を併せた名。

[6921] 常陸国那賀郡大井郷  神奈備 2006/01/17(Tue) 07:12 [Reply]
 水戸市飯富村。『水府志料』には、「古名大部村 或云本字は飫富なり。
 大井神社があり、大和の三輪山と真西の多神社、これと同じ感じで、朝房山の真西に大井神社が鎮座しています。祭神は建借馬命、杵島ぶりの歌をうたって、先住民の国栖をことごとく切り殺した。
 建借馬神とは鹿島ノ神であり、武甕槌神とする考えもあるようですが、どうなんでしょうか。
 杵島ぶりの歌を歌わせたことを考えますと、『肥前国風土記逸文』にありますように肥前国の歌垣で歌われていますので、肥前の杵島に関係がある神と思われます。仲国造に任じられており、神八井耳命が仲国造の祖ですから、多氏と同祖の神です。

 『肥前国風土記逸文』
 杵島の県。県の南方二里に一つの離れ山がある。坤から艮にかけて三つの峰が連なっている。これを名づけて杵島という。坤にあるのを比古神、中にあるのを比売神、艮にあるのを御子神という。(またの名を軍神。この神が動くとこはただちに戦がおこる。)村々郷々の男も女も酒を携え、琴を抱いて、毎年春秋に手をとりあって登り見渡し、酒を飲んで歌舞し、曲が終わって帰る。歌詞は
 霰降る 杵島が岳を 険(サカ)しみと 草取りかねて 妹が手を取る

 さて、杵島の山を神奈備山とする神社の一つが稲佐神社です。
http://kamnavi.jp/it/tukusi/inasa.htm
 三つの峰に対応する神々は天神、女神、五十猛神とされています。素盞嗚尊、櫛稲田姫尊、五十猛神のことだと思います、『風土記』の軍神とはわが五十猛神のことでしょう。まさにその神が常陸国那賀郡の青山神社の祭神として祀られているのです。青山、この国に木種を播いて青山となしたがゆえの青山との説明でしたが、多氏が祀ったとすれば、青は大、多、飫富かも知れません。
http://kamnavi.jp/it/higasi/aoyama.htm
 五十猛命は紀国では紀氏に祀られており、また紀氏は秦氏と密接な関係があるのは宇佐神宮の辛嶋氏などを通して理解していたのですが、ここに多氏がからんでくる、これはこれはです。多秦ら紀して調べよう。

[6920] 伊勢国朝明郡大金郷(旧三重郡八郷村)  神奈備 2006/01/16(Mon) 07:47 [Reply]
四日市市伊坂町

 『青銅の神の足跡』には、「太鐘に大きな鐘が地中に埋まっているとの伝承があるとかかれています。」大矢地の青木山から銅鐸二基が出土しています。
 八郷地区は、縄文時代中頃から朝明川の北側、朝日丘陵南縁の伊坂町周辺で集団生活が営まれ(西が広遺跡)、弥生中期頃になると丘陵地周辺の低湿地帯で農耕が行われていたと考えられています。
 八郷地区は朝明郡の大金(おおがね)郷(萱生、平津、中村)と訓覇(くるべ)郷(山村、広永)に属していました。
 弥生後期には伊坂町に集落が形成されていました。(西ヶ広遺跡)

 菟上耳利神社が鎮座、菟上神社が耳利神社を合祀、式内社の菟上神社の論社。祭神は菟上王。
 合祀されている耳利神社も式内社。論社は数社あります。船木氏が祀っていました。
 また、大鐘には式内社の大神社(現在は太神社)が鎮座、大和の多神社の裔社とされています。神職は船木直の末裔。
 近鉄冨田駅の近くには常耳神社、舟木明神といい伝えられていました。

 朝明郡の北側は員辨郡、猪名部神社も鎮座、物部系。猪名部は造船。

[6919] 上総国望陀郡飫富郷 おふ  神奈備 2006/01/14(Sat) 09:41 [Reply]
 延喜式兵部省に上総郡の牧として負野牛牧(おふの)があります。
 飽富神社の鎮座する飯富村(袖ケ浦市飯富)付近が比定地です。式内社で、「綏靖天皇元年、皇兄神八井耳命が創始した。」と伝えられているようです。飫富(オフ)の読みが、飽富神社(あきとみじんじゃ)となっており、これも誤写かも知れません。現在でも村人は神社の名とか祭神についてあまり気にせず、「うちの氏神さん」でいいのでしょう。
 この神社と岩井の国勝神社「事勝國勝長狹神」の神輿とが行合原で対輿式を行います。海中の御手洗井で斎払式を行います。
 
 飽富神社は多氏と同族の国造長狭国造が創建したとも云われています。長狭の地名も偶然でないのかも。

[6918] Re[6917]: 大和国十市郡飯富郷  神奈備 2006/01/13(Fri) 07:41 [Reply]
下記の文意が判りにくいとの指摘がありました。ごもっともなことです。

> 大和神社の祭神に御歳神の名が見えるのは、うっすらと多神社の祭神かも知れない椎根津彦と多氏とのつながりが見えそうです。

趣旨。
 椎根津彦のルーツは丹後の海部氏の齋祀る籠神社の祭神の彦火明命にあるようです。ただ椎根津彦自身はは大倭氏の祖となっています。その神が多氏の祀る多神社の祭神でもあると言うことは、海部氏、大倭氏、多氏のそれぞれの関係があいまいなものになっているように思われます。端的に言えば同祖の関連があるのかも。
 補強資料として大倭氏の祀る大和神社の祭神に御歳神の名が見えると言うことは、多氏の末裔である太朝臣安萬侶の記述になる『古事記』にしか出てこない大年神、御歳神と多氏との関連が浮かび上がって来るように思われます。

[6917] 大和国十市郡飯富郷  神奈備 2006/01/12(Thu) 07:58 [Reply]
『大和考』橿原市飯高町に比定。飫富が飯富に、飯富が飯高に誤写が重なったのでしょう。要は、住民は自分の住んでいる地域の名前なんか知らなかった、どうでもよかった、と云うことでしょう。権力と他人が知っておく必要があったので、誤写が続いても、誰も気にしない結果がこれですね。「飫」は酒盛りの意があり、祭祀との関連があるのでしょう。

 飯高の東方に多村(現田原本町)があって、多神社とその眷属神が鎮座しています。

 日高池があり、また子部神社が二座鎮座。
 
 舒明天皇十一年、百済川辺の子部社の木を伐採して九重の塔を建てたが、社神が恨んで堂塔を焼失させたそうです。すがる神社と呼ばれています。雷神を捕らえてきた子部のすがるの名をとっているのでしょう。

 小子部と多氏と同祖を持っています。近い関係ですので、多氏の本拠の神社の近くに子部神社があるのは不思議ではありません。

 多神社は多坐弥志理都比古神社が正式名称です。祭神は志理都比古で、『新撰姓氏録』からは、弥志理都比古は神知津彦であれば、それは椎根津彦と同一神となります。海導神ということで、大和国造の祖神です。大和国造が齋祀る神社は大和神社で、中殿に大国御魂神、左殿に八千才神、右殿には御歳神が祭られている古社です。祭神については中殿神はともかく、左右の神々については未確定ですが、一に豊穣の神である大年神、御歳神、倉稲魂神の神格の神だったのでしょう。大和神社の祭神に御歳神の名が見えるのは、うっすらと多神社の祭神かも知れない椎根津彦と多氏とのつながりが見えそうです。


[6916] 布奈木の郷 7 安芸国高田郡舩木郷  神奈備 2006/01/10(Tue) 16:49 [Reply]
『大日本地名辞書』今、船木村。佐々部と相併せ、船佐と改称す。粟屋の西とす。生田川此の地に於いて江川に入る。川根村も本郷に属せるならん。
 『広島県史』も、現、高田郡高宮町船木を遺称とす。

 高宮町 北西は島根県邑智郡
     北東は江の川を境に双三郡に接する
     町域は山間地帯
 船木村(高宮町船木)
  『芸藩通志』民、農余採樵をなす

 瀬戸内海と日本海との中間の山地、木々を切り出して日本海側や瀬戸内海側の造船所に供給していたように見えます。
 それ以外に船木部が置かれたとしたら、ひょっとしたら鉄がとれたのかも。

[6915] Re [6912] [6911]:  倭亞府 2006/01/09(Mon) 15:03 [Reply]
「あまご」魚+完(環カン めぐるからきている。・・・ヤタガラス?韓はたす 秦ス?
尼子氏本記
http://nx.sakura.ne.jp/~gumi/sengoku/amako/hongi/index.html

尼子氏家系図
http://www.nx.sakura.ne.jp/~gumi/sengoku/amako/shiryo/sasaki.html
【蜑】あま タン ダン  :中国南方の異民族。広東 福建地方に住み 、船を家とし漁業をいとなむ。<国訓>あま(海人)
古代史の記述には、カバラ(カッパーラ)による 裏 が有ります 謎解きが必要です。

[6914] 布奈木の郷 6 安芸国安芸郡舩木郷  神奈備 2006/01/09(Mon) 10:00 [Reply]
 『芸藩通志』船木は詳ならず。庄山田村の内に船木とよぶ地あり。又船越村あり、是等の内なりや。とあります。

 『日本地理志料』庄山田村の船木(現呉市)に比定、和庄、宮原、警固屋、吉浦、大屋などの諸村に及ぶとする。

 『大日本地名辞書』今、呉、和庄町及び庄山田、阿賀等の村落、灰峰の麓なるべし。庄山田村に船木と云う地あり。『通誌』に見えたり。船木とは上古造船の材を採る地にて、今、此の地に艦船の大廠を置かるるも偶然と云うべからずとする。旧呉海軍工廠のこと。

 古代以来の造船場の倉橋島の本浦に求める説もある。
 
 警固屋村 北東は賀茂郡、南西は音戸の瀬戸を挟んで倉橋島に接する。
 宮原村  八咫烏神社
 和庄村  高日神社
 庄山田村 鯛之宮神社 (呉市西三津田町)

 全国に6社しか見当たらない八咫烏神社が鎮座、やはり山城加茂との関連がありそうです。

 付録 6社の紹介 平成祭礼データの資料です。

八咫烏神社 奈良県宇陀郡榛原町高塚42 大和国 宇陀郡
八咫烏神社 奈良県橿原市五條野町694 大和国 高市郡
熊野速玉大社摂社八咫烏神社 和歌山県新宮市新宮1 紀伊国 牟婁郡
王子神社摂社地主八咫烏神社 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町市野々1993 紀伊国 牟婁郡
八咫烏神社 広島県呉市宮原11丁目12-25 安芸国 安芸郡
健軍神社摂社八咫烏神社 熊本県熊本市健軍本町13-1 肥後国 詫間郡

 それ以外に赤烏神社とか「烏」がついて、健角身命を祭っているじんじゃは8社。

[6913] 布奈木の郷 5 安芸国沼田郡舩木郷  神奈備 2006/01/08(Sun) 09:37 [Reply]
 広島県豊田郡本郷町船木と賀茂郡大和町大草が比定地。
 山陽本線より北、広島空港の東。瀬戸内海から10km北。
 『日本地理志料』古者操船材於此、因名。
 『日本書紀』推古天皇二十六年(618)、河辺臣が神木の霹靂の木を伐って船材とした話が出ています。
 雷神の祟りを恐れて祀ったのが、船木敏神社(フナキト)(現霹靂神社)の創建です。
 霹靂の木とは雷が落ちた木のことで、雷神のよりしろだったのでしょう。

 河辺臣は新羅での戦いにもその名が出てきます。造船係兼海兵隊のような氏族だったのでしょう。

 この地域からは貝塚が出ているようで、往古は海辺であったようだ。また舟木遺跡からは合口甕棺が出ているようで、古代から人々が住んでいた土地のようです。

 金沽神社が鎮座、金売吉次が文治三年(1187)、当地に来ることがあり、尊崇する主人である源義経を祀ったと伝わり、この神社の近くにタタラ谷と言う銅を採取した跡や吉次の墓と伝えられる古墓があるそうな。(『広島県神社誌』平成六年)

 船木と賀茂郡とが隣接しています。船木とカモ、何故か隣合わせのような気がします。

[6912] Re[6911]: RE  神奈備 2006/01/07(Sat) 17:52 [Reply]
> 【魚完】を調べました。
ありがとうございます。
http://www7.ocn.ne.jp/~amenouo/tenjyou.htm
によりますと、アマゴですね。
なかなか美味しそうです。

[6911] RE  倭亞府 2006/01/07(Sat) 11:55 [Reply]
【魚完】を調べました。
> また、上賀茂神社の御厨が置かれ、川魚(魚完:一文字で、あめのうお)を上賀茂神社に上納する役割が高島郡安曇川町北船木若宮神社にあったようです。北船木村の北西は太田村、漁業と堆肥となる藻草の採取を主にした村。
>(魚完:一文字で、あめのうお)

【魚完】カン(クヮン) コン:一文字で、あめのうお)・・・・・淡水魚の一種で湖に産す。草魚
淡水魚の一種で湖に産す。草魚【芔】(くさ キ)+++が△の位置に、【墳】の貝(見?)の上の形。(草の古文字は、【Ψ】鉾・矛 先の形。【屯倉】の【屯】-【ノ】の古字形。)
【完】カン まったい【全】:欠けたところが無い。完璧。完成。到達。・・・・完璧な【魚】(キリスト系)とは、あめ【雨】(禹・水神)のうお(キリスト系のウオー禹王)・・・・・淡水(陸地)魚(の一種で湖(胡・ユダヤの地)に産す(生まれる)。草魚(草原のクリスト系)となります。
 私は偶然に【漢字】の成り立ちを知りました。同音の文字に関連性が有る文字が存在していることが多く古文字(始皇帝以前)から、古い字形は古代中国の【夏の禹王】の一生涯がモデルに成っていたのです。(始皇帝(秦氏?商人)系は禹系(出雲系?)と対立関係なので古代日本からの争いの原因がここに有ると考えます。
禹は黄河の治水に成功した後に地図作りに奔走しました。(世界地図作成はメソポタミアいや超古代よりの【主】(神?)の命令のようで、特にキリスト ユダヤ系により脈々と続けられていたのです。古い文字(甲骨文字など)は測量の記号と禹の生活から出来ています。
神奈備様の掲示板におじゃまするのは、この掲示板の皆様方が古代史に詳しく探究心に優れているからです。
そしてずば抜けて神社に詳しいことが私の自論「寺社、古墳、銅鐸、巨石(奇石)が古代日本の測量のポイントだからです。

今回は漢字での参加をさせていただきました。【虫】偏の文字には古代中国と周辺の民族が表わされていますし、とり酉鳥や獣・魚にも 魚はキリスト系 禹の父【魚+系】コン・・・【魚完】カン(クヮン) 【コン】・・・古文字では【口】で表わされています。
【魚完】コン・・・・禹系を表します。【胡】コは「えびす」ユダヤ系です。世界は陽のラー・太陽系と陰の禹(へび・うし系)それに?の雷・サンダーYHWH?系と陰+陽のキリスト系とで分けられると考えています。
        【魚】ゴ(午 呉 胡 吾 醐・・・・同音のこれらの文字は夏カ 華 鹿の【禹】関連しています。)
        【魚】ギョ 【御】ギョ:古い字形の[【牛】(禹氏)+【卩】わりふ](奴隷 禹)で【圉】【圄】キョウ ゴ の意。
        ギョ ゴ 【敔】[吾(五)(私 ム 牟 矛 鵡・・【禹】): ▽△が上下の形]が二段( ▽△▽△)に[攵ボク:古文字で トの形を(占)を、【屯】の形に似た形。)禹は祭祀にも関係している。

    難解ですがご理解頂ければ幸いです。

[6910] 布奈木の郷 4 美濃国本巣郡舩木郷  神奈備 2006/01/07(Sat) 09:44 [Reply]
 旧本巣郡巣南町(現瑞穂市居倉付近)
 北部は尾根川扇状地末端、南部はその後背湿地の輪中地帯。
 
『皇太神宮儀式帳』によると倭姫命の巡行地の一として、「美濃の伊久良賀波の宮が記されています。
 本巣郡巣南町(瑞穂市)居倉字中屋敷の天神神社に摂社として伊久良河宮(いくらがわのみや)の名が残っています。
 日神を出す役割の船木の面目躍如と言う所です。

 当地の情報を伝えるHPに「元正天皇が美濃遷都を考え、伊賀寺の十一面観世音を奉じて、720(養老4)年、本巣郡十六条村(現瑞穂市美江寺)に伽藍を建立し、寺号を美江寺としました。」と出ています。

 元正天皇にとっては、心地よい土地柄だったのでしょう。
 富有柿発祥の地だそうです。昔のゴルフのヘッド(玉を打つところ)は柿木が使われていました。固いからです。

[6909] 布奈木の郷 3 近江国蒲生郡舩木郷  神奈備 2006/01/06(Fri) 07:48 [Reply]
 滋賀県近江八幡市の中央部に船木があります。この付近を言うようです。北側に長命寺山、鶴翼山が琵琶湖と隔てています。市の名にもなった日牟礼八幡宮が鎮座、琵琶湖には大島があります。大國主命と奧津嶋比賣命を祭る 大島奥津島神社も有名な神社です。
 船木町には青根天満宮が鎮座、菅公以外に訶志古泥命を祭神としています。神社名の青根の「青」に、「多」を感じます。
 小船木町には諏訪神社。
 加茂町には加茂神社、山城の上賀茂神社とのかかわりが深い土地柄です。
 
 船木湊は琵琶湖東岸の要港の一、用材を積み出す湊だったようです。鍛冶屋町が隣接しています。造船も行われていたのかも知れません。

 八幡神社の多くは山城、石清水八幡宮の勢力の浸透によるもの。
 近江商人産出の地。
 縄文時代には湖底だった地域、旧石器遺物や丸木船が出土しています。『滋賀県の地名』(平凡社)によりますと、「湖東は渡来系氏族の本拠地とも言うべき地」としています。朝鮮人街道があり、小船木はこの街道沿いに集落が出来ています。

 付録

 安曇川町 船木浜、船木関

 琵琶湖西岸の安曇川河口付近に船木浜、船木関が置かれました。
 また、上賀茂神社の御厨が置かれ、川魚(魚完:一文字で、あめのうお)を上賀茂神社に上納する役割が高島郡安曇川町北船木若宮神社にあったようです。北船木村の北西は太田村、漁業と堆肥となる藻草の採取を主にした村。
 南船木村は湖上交通と安曇川の水運を司ったようです。日枝神社が勧請されています。

[6908] 布奈木の郷 2 下総国海上郡舩木郷  神奈備 2006/01/06(Fri) 07:47 [Reply]
 船木郷とは、船木部が置かれ、彼らは造船用材を扱った。
 銚子市船木町の周辺とされています。利根川の河口の町、犬吠埼があります。
 「犬吠」の語源は、源義経が北上した時に残された犬が、主君を慕って吠え続けた所とか。また突然話題のずれた話をする人を犬吠埼と言うそうですが、銚子はずれにあるからだそうです。あなたのカラオケはいかがでしょうか?
 歴史上には、船木台村、小船木村、舟木などの地名があらわれています。
 大杉神社「大物主神」銚子市小船木町
 大社大神「大國主命」銚子市船木町

[6907] 出雲抹殺は古代ばかりではない?  米子道 2006/01/05(Thu) 22:26 [Reply]
2005年12月5日山陰中央新報掲載
 「松江で初の出雲学フォーラム
    近代日本は「出雲」を排除」
明治学院大学原教授講演「国家思想の鍵説く」

[6906] 布奈木の郷 1 遠江国蓁原郡舩木郷  神奈備 2006/01/05(Thu) 16:00 [Reply]
『遠江国風土記伝』静岡県榛原郡吉田町神戸字青柳から島田市南原、船木、湯日の付近。
『大日本地名辞書』島田市南原、船木、湯日の付近。

 青柳は昔は大柳だったそうです。オウ。多氏がにおいます。
 吉田町神戸には大井神社が鎮座、摂社の姥神社は石凝姥命を祭っています。多氏や船木氏と金属との関係を語っているのかも知れません。
 南原は大井川右岸の平地で東境は湯日川(ユイ)です。
 船木には八幡神社が鎮座、永享六年(1434)筑前国糟屋郡宇美町から勧請。
 船木には奈良平安時代の竹林寺の寺院跡があります。
 また、7世紀の造営されたと思われる宮裏中原古墳群、南原古墳群があります。

 舩木郷に隣接している島田市阪本には敬満神社が鎮座、秦氏の祖の功満王を祭ると言われています。

[6905] Re[6904]:  あおい 2006/01/05(Thu) 14:35 [Reply]
****@yahoo.co.jpです。どうもありがとうございます。

神奈備です。迷惑メールが行っては困りましょうから、勝手ながら判らなくしておきます。

[6904] Re[6903]: 和気水路  神奈備 2006/01/04(Wed) 21:49 [Reply]
> JR環状線については前々から気になっているので、また古地図等でその事実が確認でき次第こちらにご報告させて頂くつもりですが。

古地図が手元に一枚あります。公開できないものですので、メアド教えて頂ければ添付いたします。これによりますと天王寺駅から出ている阪和線とか環状線の辺りが河川になっているようにも見えます。

[6903] 和気水路  あおい 2006/01/03(Tue) 20:30 [Reply]
そうですか。今のJR寺田町駅の南方、猫間川の辺から着工して、西へ庚申街道から茶臼山の南、河底池に達する洪水対策用の工事ということであれば、ちょっとJR環状線の場所とずれていますね。それ以前に何か川か堀があったのかもしれませんが…。まぁいずれにせよ、阿倍野橋・JR環状線については前々から気になっているので、また古地図等でその事実が確認でき次第こちらにご報告させて頂くつもりですが。
さて話は変わりますが、和気水路というものも地図中に見えていますね。気になってネットで調べたのですが、こちらの神奈備掲示板さんの中だけしか情報が見あたらず、しかも過去ログ(泣)なので、もしどなたか覚えていらっしゃればどんな些細な情報でも結構ですので教えて頂けないでしょうか。度々すみませんが御願いします。

[6902] 阿倍野の阿部野橋駅  神奈備 2006/01/03(Tue) 10:04 [Reply]
 あおいさん、こんにちは。

 私が紹介した地図 http://woodsorrel.cool.ne.jp/data/yamatogawa04.png
は、かたばみさんの労作です。http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/

 家康が茶臼山に陣を構えた際、水を確保のために水路を掘ったと言うことをかたばみさんがお考えになったのですが、地図の”?”マークに見られるように、文献上では確認し難いお考えだと思います。
 氏に直接お聞きすればいいのですが、氏は家?を改装中?とのことで、お忙しいようです。
 で、次の阿倍野区役所(空残業して製作?)発信のHP http://www.city.osaka.jp/abeno/outline/name_place.html
 には、「延暦7年(788年)当時の守護職であった和気清麻呂(わけのきよまろ)によって、今のJR寺田町駅の南方、猫間川の辺から着工して、西へ庚申街道から茶臼山の南、河底池に達する洪水対策用の工事が行われました。この工事は未完のまま長く中断されていたが、徳川時代に大和川への転さく工事となって実を結んだ。徳川時代に大和川への転さく工事となって実を結んだ。」
と出ています。
 これによると江戸時代の大和川付け替え工事の頃の工事とも考えられ、戦国時代ではないかも。

 阿部野橋駅の「橋」は陸橋があるので、そのネーミングになったそうです。当時は珍しかったのでしょうね。多分、待ち合わせの名所とか。


[6901] Re[6851][6850]: 隼人の犬吠え  あおい 2006/01/03(Tue) 02:47 [Reply]
ところで私が今一番気になっていることがあるのですが質問させて頂いても宜しいでしょうか。現在のJR大阪環状線天王寺駅の西側上に阿倍野橋という橋があると思うのですが、下に川や堀はなくJR線が走っているだけですよね。
ずっと気になっていたのですが神奈備さんが紹介して下さった地図の中に「家康の堀割・家康の水路」と書かれておりもしかしたらと思い地図と照らし合わせてみると、東住吉区と阿倍野区の境(JR阪和線)とも一致しまして、阿倍野橋は家康の水路の跡ではないかと思うのですがそう考えても宜しいのでしょうか。

[6900] Re[6850]: 隼人の犬吠え  あおい 2006/01/03(Tue) 00:17 [Reply]
どうもありありがとうございます。東除川→平野川(=了意川・竹淵川)。
この流路は「現在の長吉田辺中央を南北にグネグネと走る一方通行の道→西出戸バス停南辺りで府道186号線→平野区と八尾市の境に沿って平野川に合流」という道筋が怪しく思えるのですがどうでしょうか・・・。続いて今川→西除川ですが、巨麻川は依羅池から流れており桑津で今川と合流している駒川である可能性が高いということであればその流路はいかに(笑)。ちょっと混乱してきますねw

[6899] Re:[6896][6898]今川に関して  いこまかんなび [Url] 2006/01/02(Mon) 22:13 [Reply]
横から失礼します。マップは既にご案内の通りですから、関係記述を引用します。
『大阪府全誌』摂津-東成郡の説明の中から

 舊時の(平野川の)水路を検するに、狭山池より發する東除川は、同國舊丹南郡の東野・菅生・平尾・河原城・島泉・大堀、同丹北郡川邊の諸村を経、同渋川郡竹淵村に至りて了意川を入る。
 了意川は舊大和川の水の同志紀郡柏原村の閘門を経て来れる井路なり。竹淵村を経て竹淵川の名を為し、當國舊住吉郡平野郷に出でゝ平野川と呼ばれ、同東成郡舎利寺村に於いて今川を入る。
 今川は狭山池より發する西除川にして、河内國舊丹南郡の南野田・餘部・太井を経て同八上郡大饗村を過ぎ、小寺村の界より同丹北郡の岡・高見・更池・向井を経、高木村に至りて布忍川と呼ばれ、池内村を経、富田新田に出でゝ天道川と呼ばれ、當國舊住吉郡喜連村の西を流れて息長川の名を為し、桑津村の東に於いて依羅池より流れ来れる巨麻川を併せたるものなり。
 其の今川といへるは河道の古と頗る異れるより呼びし新名にして、舊名は河内川なりと摂津志には記せり。今川を入れたる平野川は更に流れて同郡猪飼野・新開荘を過ぎ、未は大和川に入れり。
 平野川を一に百済川といへるは、其の経過せる舊百済郡の名に因めるの古名にして、平野川といへるは後の名称なり。水源水路其れ此の如し、故に往時にありては、平時尚流水滔々たりしを以て、降雨溢水に際して被害の大なるものありしは、天平勝宝二年に伎人堤の決潰せしことの史上に見ゆるに徴して知らる、伎人堤は息長川の堤防をいへるなり。

参考『大阪市史』付図
http://www.geocities.jp/iko_kan3/osaka-shishi-fuzu1.html

おじゃましました。

[6898] Re[6848]: 美濃国安八郡大田郷  あおい 2006/01/02(Mon) 19:12 [Reply]
ありがとうございます。ということは今川はかつての東除川の可能性も高いですね。
今後も分からないことがあったらこちらでお伺いするかと思いますが、どうか宜しく御願い致します。

[6897] Re[6896][6846]: 縄文式の《森業》  神奈備 2006/01/02(Mon) 10:07 [Reply]
 あおいさん、こんにちは。
 旧西除川ですが、地域の伝承などを見ますと、狭山池へ流入し、流出して、天美の布忍付近を通り、新大和川のない頃には大坂城付近まで流れていたとか。
 従って、駒川(高麗川)だろうと思います。
 以下の地図はかたばみさんが投稿して頂いた書き込みのアドレスです。
http://woodsorrel.cool.ne.jp/data/yamatogawa04.png
 この地図の南側に西除川、新大和川を越えてからの駒川が該当するのでしょう。
 なお、依網池に水を供給したとされていますが、分水をしていたのか、曲がっていたのか、そのあたりはよく分かりません。

[6896] Re[6846]: 縄文式の《森業》  あおい 2006/01/02(Mon) 02:57 [Reply]
皆さん。初めまして。こんにちは。私は大阪市内に住む大学生で大阪の歴史について調べているのですが、旧西除川の流路についてどなたかご存じないでしょうか。
駒川なのか今川なのか分からないのですが。

[6895] Re[6894]:[6893] 鴨公の長風呂  神奈備 2006/01/01(Sun) 17:31 [Reply]
> 神奈備さま、みなさま、来年もよろしくお願いいたします。

こちらこそ、よろしくお願いいたします。

> 探索には、織姫のような女神と、美味しい食べもんと、いい湯が欲しいですね

 そのような贅沢な磐座探訪には滅多に出会いませんが、昨年は葛城の御歳山や唐笠山の磐座探索には、三拍子揃っていました。
 所で、唐笠山の磐座には土蜘蛛の頭領の頭部が埋められているとかで、感度の強い人の中には気味悪がって登れない方もいるそうです。
 おっしゃるように蘇我の頭領の首だったら、更に興味津々。蝦夷違いか?

 「かもきみの湯」と言うのが出来ていて、ゆっくり温泉気分が味わえます。
 「かもきみ」は、鴨公と鴨君とがあり、国津神系の葛城の鴨氏の後裔と皇別で彦坐命之後裔とがあるようですが、ここは葛城鴨。
 葛城鴨は奈良時代以降には、旧藤原京付近にたむろしてのんびりやっていたとか聞いた記憶があります。藤原京の大極殿跡の鴨公神社が鎮座していたようで、天武・持統時代には、祭祀氏族だったと言われる葛城鴨氏は具体的に何をやっていたのか、よく分かりません。
 土蜘蛛の同化教育などで王権に協力していたのかも。

[6894] Re:[6893] 磐座さえあれば・・・  いこまかんなび [Url] 2005/12/31(Sat) 22:14 [Reply]
ことしもあとわずか。
紅白もだんだん面白くなくなりパソコンにて年越しとあいなるカモ?。

>磐座探訪はぞくぞくする程楽しい催しで、本音としては由緒はどうでもいいのです。磐座さえあれば・・・

同感です。
でも、ちと寂しいですね。
探索には、織姫のような女神と、美味しい食べもんと、いい湯が欲しいですね。
贅沢すぎるでしょうか。

神奈備さま、みなさま、来年もよろしくお願いいたします。

[6893] Re[6892]: 船木と大田  神奈備 2005/12/31(Sat) 09:28 [Reply]
とみたさん、ありがとうございます。来年もよろしくお願いいたします。

> 二艘(一艘は木作り一艘は石作り)を以って、後代の験と為し胆駒山の長屋墓に石船を、白木坂の三枝墓に木船を納め置く〕と記されている。

 矢田丘陵の山頂近くの白石畑に船山神社の元地と巨石があると言うことで、いこまかんなびさんに道筋をおしえてもらい、探索した記憶がよみがえりました。↓
 http://www.geocities.jp/iko_kan2/heguri-funagami.html
 「船に関係するかも知れない石を探索するため、平群町にある伝長屋王墓の東南、三里に鎮座する式内社船山神社の背後に連なる矢田丘陵の一峯、宮山にあるという船上神社跡と謎の巨石を探索しました。」

 長屋王の墓と言われる墓は平群駅の北にある円墳がそれだと比定されています。生駒山に葬られたとの記述がありますので、比定地の円墳や矢田丘陵でいいのかどうかは不明ですが、かんなびを名乗る人間にとっては、磐座探訪はぞくぞくする程楽しい催しで、本音としては由緒はどうでもいいのです。磐座さえあれば・・・

[6892] 船木と大田  とみた 2005/12/30(Fri) 23:08 [Reply]
神奈備様 とみたです。年の瀬を迎えましたが、本年は私がごとき素人にも温かいご教示をいただきありがとうございました。

いろいろな古代史の本を漁っておりますが、たまたま掲題のことが、松前健さんの著書、日本の神々(中央公論新社刊にでておりましたので
紹介させていただきます。〔住吉神代記〕の〔胆駒神南備山本記〕にも〔大八嶋国の天の下に日の神を出し奉りし者は、船木の遠つ神大田田神なり〕といい、〔この神の造れる船二艘(一艘は木作り一艘は石作り)を以って、後代の験と為し胆駒山の長屋墓に石船を、白木坂の三枝墓に木船を納め置く〕と記されている。

これは住吉大神を奉じて航海を管掌する豪族津守連の部下として船材を扱う船木連の伝承である。

この氏族は造船ばかりでなく葬法にも結びついており、木船と石船とを、かって彼らの祖神が太陽神を舟に入れて送ったことの記念として二つの墓の中に納めたというのである。

以上です、詳細は不明ですがご参考までにお送りします。来年もどうぞよろしくお願いいたします。


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