神奈備にようこそ 掲示板のログ(99/12月) 
お名前の敬称は略させて頂きます。


ログ
更新 99/12/31


瀬藤禎祥 99/12/31 良いお年を

「ハジカミ峠」は知りませんでした。
紀伊長島から海山町のあたりでしょうね。
リンクありがとうございます。HARUKOのおしゃべりルームサイトを神奈備のリンク集に入れさせて頂きました。

皆様、よい新年をお迎え下さい。

HARU リンクできました 99/12/31 HP HARUKOのおしゃべりルーム

遅くなりましたが、リンクできましたので、お知らせします。
熊野古道についてもずいぶんくわしく書いてあるのですね。
私も三重県側の道を時々歩きますが、先日、忘年会で泊まった民宿のおじさんに教えてもらったのですが、ツヅラト峠越えコースと馬越峠越えコースとの間に、あまり紹介されていない、「ハジカミ峠」というのがあるそうです。 そこから来た道を振り返ると伊勢の半島が一望できるのだとか・・・ そして、ハジカミとは「始神」と書く、なるほど・・・うなずけますね。
機会をみて是非ある来たと思っています。
それでは、 良いお年を!

瀬藤禎祥 99/12/29 勇猛神
>韓國宇豆峯神社の方は小さく廃れています。松岡さんが見分されました。
宇佐神宮には百体神社があり大隅日向隼人靈が祀られています。
被征服者の霊を祀っている事は残忍強烈な武力制圧が行われた事実を物語るのでしょう。
本耶馬渓町の貴船神社には五十猛命が勇猛神として祀られています。制圧の先陣に立ったのが五十猛命の旗印だったのでしょうか。 東北でも先陣の神になっています。植樹と開拓の平和神の機能だけでは神様はつとまらなかったのでしょうか。

瀬藤禎祥 99/12/29 一年経過メールから抜粋紹介いたします。
アラハバキの一覧があったのでソク落とさせて頂きました。よくおやりになる。。。大変でしたでしょう。 しかし、武蔵・足立に18社、と固まっているのが目に付きますね。ここがセンター???
それと、「客人」で旅をする神なら、「足立」もムベなるかな、、、って。。。 私が今、バッファしているのは、アイヌ語の arpa-pake で「歩く・首領」ってな意味になるのと、それをモジルと、 arpa-paki 「歩く・エビ」なんですが、この pake>paki から「蝦夷」が出てきた、なんてストーリーです。
ははぁ、稲背脛が出雲・美保神社にもありましたか、それもアラハバキと関連づいて。やはりねぇ。。。 数年前に出雲を回ったときに、私も阿羅波比神社がアラハバキの流れだろうと思っていたのですが、不発でした。略記を貰ってありましたので祭神をなどを書いておきますね。
主祭神:天照大御神、高御産巣日命、スサノヲ命、オオナムチ命、少彦名命
配祀神:八幡宮(仲哀、神功、応神) 恵比須神社 (事代主命)
境内末社:稲荷、金刀比羅、和多津海、荒、幸、番匠祖、松尾 の各神社
境内摂社:愛宕神社

瀬藤禎祥 99/12/27 一年経過メールから抜粋紹介いたします。
匿名は北海道東部に多くの「アイヌ語でない地名……ネパール語による命名」を発見しました。 そこへ貴ホームページで夥しいモノノベ系神社があることを知り得ました。一つ一つ当たらねばなりませんが、この数は秋田、岩手、青森の総数よりも多く、由々しき歴史事実を物語っているかと思います。

松岡 鹿兒嶋神社と韓國宇豆峯神社 99/12/26
23日〜26日で、大分・宮崎・鹿児島を回ってきました。
>鹿児島の大隅國の式内社に鹿兒嶋神社と韓國宇豆峯神社がありますが、鹿児島湾の北側に東西に あたかもセットのように鎮座しています。
25日に両社に参拝してきました。
鹿児島神宮は一の宮としてそれなりの規模ですが、韓國宇豆峯神社の方は小さく廃れています。 大隈・薩摩の根元であるため、交通の要所として、周辺の道路開発が盛んで、地図を見ても良く分かりません。

瀬藤禎祥 99/12/23 糸井神社、比売久波神社
大和の中央部の河川が多く集合している低地帯ですが、ここに式内社の糸井神社、比売久波神社が鎮座しています。
養蚕、織物の神を祀っているようで、秦氏とのつながりが見えます。
近くに三宅、神社名は糸井、どうしても天日槍が登場しそうです。
秦氏→天日槍→伊都国→五十と手→五十ー崇神垂仁や五十猛命へ連想が働きます。暫くは秦氏、天日槍を勉強してみたいと思います。
なにかヒントや良い書籍はございませんか?

瀬藤禎祥 99/12/20 HARUさんと万葉集
HARUさんは「HARUKOのおしゃべりルーム」と言うHPを発信しておられます。
私も万葉集の部屋の歳時記風、歌物語風、地名をたどって読む万葉集などのサイトを参考にさせていただきました。
万葉集は文学はもとより当時の生活・民俗を知る史料としても貴重ですね。
所で柿本人丸が多くの神社の祭神となっているのはやはり霊鎮で刑死説もうなずけますね。

HARU はじめまして 99/12/20 HP HARUKOのおしゃべりルーム
私の伝言板にこのHPを紹介してくださる方がいて、お邪魔しました。
私は、万葉集関連のページを開いていますので、 和歌山弁の万葉集をとても楽しく詠みました。自身が大阪弁を話す人種だからかもしれませんが・・・
全国の人麻呂神社についての記述、ただただ驚きです。
これから、楽しみに寄らせていただきます。
こちらのページを是非リンクさせてください。 完了したら、お知らせします。

瀬藤禎祥 99/12/20 糸井神社
 カウンター気がつきませんでした。100ですか。ありがたいですね。
糸井神社はこの木曜日か土曜日を予定していますが、最近極めて寒いのでどうなることやらです。尚下調べは
www.ne.jp/asahi/kam/navi/ym/hiboko/naraitoi.htm
に入れてありますが、参詣以前ですので写真はありませんし原稿だけです。
infoseekを利用させてもらった検索もありますのでどうぞ。

松岡 100だ 99/12/20
なにげに立ち寄れば、アクセスカウンタが100だ。
縁起がいいぞ。
>さらに行くと天日槍を祖とする糸井造の糸井神社があります。
糸井神社のことは知りませんでした。
神奈備サイトに情報は、ありますか?

瀬藤禎祥 99/12/19 田の神
神社の生い立ちは太古の事でもあり、想像するしかない所がありますが、穴師兵主神社の例祭日が4月8日で、山の神が田の神として降臨する日と伝えられており、御食津神の要素があったと思われます。
そこに砂鉄が発見され、産鉄の民が住み着いて、彼らの神を祀ったのでしょう。産鉄民と農民とは共存共栄せざるを得ないでしょうから、兵主神と田の神とが習合したのでしょう。穴師と言う地名は産鉄民がつけたのかもしれません。
穴師坐兵主神社の上社は弓月岳にあったそうですが、秦氏とのつながりを考えていたら、明治でしょうか、あの内藤湖南が言っているそうです。
穴師神社を西に行くと鏡作神社群があり、さらに行くと天日槍を祖とする糸井造の糸井神社があります。そうなれば但馬の養父にとび、大屋の五十猛命や出石につながります。播磨の飾磨の射楯兵主神社にも!

松岡 「ユキ」99/12/19
>外宮の豊受は丹後の比治の真奈井に降りた天女伝説
羽衣伝説などの天人女房型の伝説は、ヨーロッパからアーリア人が伝播したもので、鉄の伝来に関係していると、何かで読んだ記憶があります。 「たたら」との関係もありそうです。「穴師」に繋がりませんか。ただ、この種の伝説は全国にあるので、それだけで特定はできませんが。
穴師兵主神社の説明では、兵主=御食津となっています。右殿の御神体は勾玉と鈴。左殿は矛です。単純に御神体だけ見ると、日矛は、左殿の大兵主ですね。

>京都御所の北に鎮座する由岐神社は、昔から天皇が騒乱の時に靫(ゆき)を社前にかけて祈るので、そう呼ばれたとの事です。
そうでしたね。靫といえば弓矢ですね。弓矢といえば八幡ですね。あるいは矢田のニギハヤヒを連想しますね。豊受とは関係なさそうですね。

>大嘗祭に作られる二つの宮が、悠紀殿と主(す)基殿で
「ユキ」と「スキ」ですか。
このように、単語が余りにも短いので、その意味を特定することは難しいことです。が、「倭人伝」のように、短いからこそ、多くの想像が入りこむ余地があり、素人にとって面白いんですよね。

にゅ〜こ みつどもえを持つ 99/12/18
神社ありがとうございました。
そういえば、地元の神明神社も三つ巴でした。で、アマテラスさんといえば、皇室ですが、大嘗祭に作られる二つの宮が、悠紀殿と主(す)基殿で、天皇が、それぞれ供せんの儀をなさるのだとか。
最近仕入れたばかりの知識ですが、ゆき がついていたので書き込みしました。

Setoh 鞍馬の由岐神社について 99/12/18
>松岡さん 鞍馬の由岐神社などでは、通常「ユキ」は、武具であるとしていたと記憶しています。
>瀬藤 鞍馬の由岐とは「行き違い」では・・・
京都御所の北に鎮座する由岐神社は、昔から天皇が騒乱の時に靫(ゆき)を社前にかけて祈るので、そう呼ばれたとの事です。
瀬藤の「行き違い」指摘は間違いです。松岡さん失礼しました。
北天を八所大明神が祀るようで、この女神達は丹後風土記にある天女とされています。と言う事は豊受もその一人と言う事です。
なお、現在の祭神は大己貴命、少彦名命で八所大明神が配祀されています。鞍馬の火祭りで有名です。

Setoh 豊受と日鉾とノック(アウト) 99/12/17
外宮の豊受は丹後の比治の真奈井に降りた天女伝説や、天照が御饌神として勧請を要請した由緒から見て武神とはしにくい所です。 「由貴」は輸キ(王扁に幾)で北斗七星のスプーンに物を送る意味との説が吉野祐子さんのとなえる所です。 平和な方面に役割を持つ神のような気がします。鞍馬の由岐とは「行き違い」では・・・
穴師の中殿の祭神は兵主であり、日矛に喩えられる説があり、私もそうであってほしい気がしていますが、一方、右殿は若御魂神または豊宇気毘売命の親の和久産巣日神とする説があり、 三社合祀の一つ巻向坐若御魂神社のほうが御食津神であろうと思われます。日矛に御食津の役割は似合わないように思います。 両神をつなぐ共通点は豊であり新羅と言うキイワードが確かに見えてきますね。

伊勢の話ですが、女神をそばに呼び寄せるのは男神、伊勢内宮は天照御魂神が本来で、それが皇祖神とされた天照大神にとってかわられたとの説に説得力を感じます。
大阪人として、キンカ頭のノック発想が伝染してしまったのでしょうか。

松岡 剣作 99/12/15
>松岡さん、流石鋭い所ですね。
そうでもありません。以前、福島雅彦さんが、「三つ巴」の件で書きこみしていましたが、その発想をアレンジしただけです。
「三種の神器」について、それぞれが各部族の象徴だった、とすればどうなるか、ということです。
記紀では、「鏡」は天照の分身です。
以前に書いた、豊-日矛で考えると、豊玉姫、日矛の玉などを連想します。
で、剣といえば、須佐之男です。須佐之男を出雲の祖と考えれば、百済-新羅-出雲(あるいは日本固有の神々)の、それこそ「三つ巴」となります。

Setoh 99/12/15
 ご覧いただいている掲示板はInternet PlumFieldの無料貸出サービスですが、自分も含めて複数の方が接続がよろしくないように感じています。
書き込んだり読んだりしていただいている方々に迷惑をかけては申し訳ないし、と思っています。
増強するなどの手を打たれる予定の有無などを管理者に問い合わせていますが、未だ返事をいただいておりません。
現在 <a href="http://bbs2.otd.co.jp/14002/bbs_plain">新掲示板候補otd.co.jp</a> を実験しています。
アクセスがよろしそうでしたら、ミレニアム記念に引っ越そうと思っています。広告がつきますが・・・

松岡さん、流石鋭い所ですね。剣作神社は聞いたことがありません。剣を作る事を連想するような神の名も聞いたことがありません。
日本の神のありように迫る着眼点ですね。剣は神そのも玉や鏡のような依り代作りまでは祀られていますのにね。矢作は多いですね。
大和三山の一つである香具山の北側の天香山神社の鳥居の外の右側に狭い登り道があり、すぐに小さい竹藪があるのですが、その中に隠れるように剣を作った場所であるとの碑がありました。しかし注連縄をしている訳ではありません。

松岡 剣作 99/12/15 
「鏡作」「玉作」に関する神社や祭神はありますが、「剣作」に関する神社・祭神って、どなたか知りませんか?
剣の神、剣を御神体としているのではなく、「作」ということですが。

瀬藤禎祥 99/12/12
五十猛命を祀る神社で最近一つ発見しました。
兵庫県養父郡関宮町三宅の大與比神社で、現在の祭神は葺不合尊、彦大大出見尊、玉依姫命、木花開耶姫命となっていますが、由緒書きによりますと祭神 大屋彦命と伝へ天日槍命と伝へている。 創立所伝は推古天皇十五年冬十月三宅首が其祖神大屋彦命となすを祀りしものと云ふ。延喜式の制小社に列す。とありました。
通常三宅首は天日槍命の出と伝えられていますが、ここでは五十猛命とされており、混乱と言うのか、同じ祖神と見なされていたような気もします。 和歌山の日前国縣宮と伊太祁曽の社地譲りの話も、敵対関係と言うよりは、どちらかが祖先神と見なされていて、平和的に成立したのかもしreません。

阿波にしか豊玉姫を祀る式内社はありません。

松岡 99/12/11
>トヨウケには「その他の中の一番」となり、最高神・者の次、またはそれを嗣ぐ神・者と理解できそうです。いかがでしょうか。
なるほど。そうかもしれません。 そう理解すれば、神の機能と比して神宮外宮が優遇されていることの説明になるかもしれません。
以前から漠然と、天照は百済系の象徴神、豊受は新羅系の象徴神、というイメージがありました。そういう意味で、天日矛と豊受は同根と。
>逆にユキはここではTOPと言う事でしょう
鞍馬の由岐神社などでは、通常「ユキ」は、武具であるとしていたと記憶しています。武具であれば、豊受「トユキ」は武神であり、天日矛に通じます。逆に天日矛が兵主であり、御食津なら、豊受に通じます。丹後・丹波と近い地域に展開されているのも。 天照-須佐之男と豊受-日矛と対比できれば、記紀神話に深みが増すかもしれません。 あるいは、天照・豊受は、一つの象徴神の異なる側面かもしれませんが。
最近、混んでいるせいか、なかなか繋がりませんね。

瀬藤禎祥 99/12/10
トヨについて
三一書房から『衝撃のネパール語』を出版されている生田淳一郎さんからのメールの概要を紹介します。
トヨ=鳥神、イイトヨ=梟と解読できる。Yo は「神」。
またトヨには素朴な庶民感覚での「十以上も……いっぱい」、そうしますと、主神に対して「その他大勢の神」という性格も出てきそう。とのご教授をいただきました。
ついでに、豊はホウ→梟の鳴き真似にも通じていると指摘され、メールのタイトルも「ほー・ほほう」でした。有り余る才気を感じますね。この方は別名焼尻紋次郎の名もお持ちです。

ここからは瀬藤の追加ですが、大嘗祭でユキ、スキの建屋がありますが、ユキは豊受=止由気の由気、スキには次NEXTの意味があるのではと吉野祐子さんんが指摘されています。逆にユキはここではTOPと言う事でしょう。
これを組み合わせれば、トヨウケには「その他の中の一番」となり、最高神・者の次、またはそれを嗣ぐ神・者と理解できそうです。いかがでしょうか。

さて、比売神は地域の神となった姫を言う場合もあるようです。一方宇佐の東海上の姫島の比売許曽神社は比売神社ですから、この女神かもしれませんね。
八幡神は少童神、母を追いかけるのは子供、日鉾は赤留比売を追いかけ、応神は神功の腹の中で移動。関連を感じますね。
仲哀あたりは卑弥呼と台与の間の男王の頼りないイメージですね。さすれば武内宿禰は男弟の役割でしょうか。記紀の往古の話は資料に伝説などを組み合わせた小説みたいな物でしょうから、それぞれモデル化されていると見ていいのでしょうね。

瀬藤禎祥 99/12/4
>「トヨ」というのは、NEXTか
神名の「豊」についてのすごい着想だと感じます。
寡聞にして>解説している書<には行き当たっていません。
 澤田洋太郎さんと言う人が「ヤマト国家成立の秘密」新泉社と言う本を出されています。 豊の国、宇佐などに面白い考えが紹介されています。 この著者は多くの先学の説を取り入れていれて、百科辞典的にも読めます。

松岡 99/12/3
香春神社と宇佐神宮の続き。
香春神社祭神:辛國息長大姫大目命、忍骨命、豐比賣命
宇佐神宮祭神:神功皇后、應神天皇、比売大神
辛國息長大姫大目命は、神功皇后とされています。
比売大神は通常宗像三女神とされておりますが、 卑弥呼ではないかという説もあります。
が、豊前は、「豊」の国ですから、「豊」の国の「比売」で豊姫であってもおかしくないのではないでしょうか。
さらに、
卑弥呼−トヨ(台与)
神功皇后(息長帯姫命)−豊姫(與止日女)
天照−豊受
玉依姫−豊玉姫
と、主となる女(母)神に対となる女(妹)神が現れる神話のモチーフ。
それらはみな「トヨ」と呼ばれるのを不思議に思えます。
「トヨ」というのは、NEXTあるいはSECONDを意味する一般的な言葉だったんでしょうか。
あるいは、これらの神話伝説は、ひとつのモチーフの類型なのでしょうか。
これについて、解説・表明している書をどなたか知りませんか。

瀬藤禎祥 99/12/3
市原昭雄様 書き込み ありがとうございます。
>20年に成ります。
大先輩ですね。今後ともよろしくお願いします

市原昭雄 99/12/2
毎日、日曜になり古代史をやっています、最初は家系図からは入り20年に成ります、10月中頃出雲え素左之男尊を訪ねて神社廻りをしてきました、これからもホームペイジは書き換えて行きますからお使い下さい、以後宜しく。
 www2.justnet.ne.jp/~maruichi/

瀬藤禎祥 99/12/2
三輪山セミナーのお知らせ(日経12/1夕刊から)
毎月末の土曜日午後2時〜3時半 資料代200円
テーマ 古代の三輪山と大和三山、平城京生活者の三輪山 など
往復葉書 住所、名前 年齢 TEL
申し込み 〒633-8538 桜井市三輪 大神神社「三輪山セミナー係」 12月15日締切 300人 

瀬藤禎祥 99/12/2
>須佐之男=仲哀+その父日本武尊、須佐之男の二面性
仲哀と素尊とは琴ですか、日本武尊と素尊とは似ていますね。梅原さもどっかで書かれていたかな。
宇佐神宮は記紀には出ていません。記紀以降おそらく仏教や大仏でのし上がった神社です。 原始は磐座で水分神と言う雰囲気ですね。
渡来系が半島の神、香春の辛國息長大姫大目命あたりをかぶせたのでしょうか。この神が神功皇后のモデルとなって、宇佐の祭神となっていったとすれば自然ですね。 五十猛がどうなっているのか、勉強中です。

松岡 99/12/1
>次に香春岳で祀り、さらに宇佐郡に入り、小倉山に北辰社を祀ったと言う。
香春神社(3座)と宇佐神宮(3座)の祭神を見ると、同じではないか、と思えます。
そう仮定すると、忍骨(忍穂耳)=応神となり、ニニギ=仁徳。さらに、天照=神功皇后となります。
また、須佐之男=仲哀+その父日本武尊と考えると、須佐之男の二面性も納得できませんか。
ついでに、饒速日=莵道稚郎子と想像するとどうでしょう。

瀬藤禎祥 99/11/30
五十猛命と宇佐八幡
「辛嶋勝姓系図」によれば渡来系(おそらく高句麗 注)の辛島氏は素盞嗚尊を祖とし、その子五十猛命を奉戴し、新羅を経由し筑前國筑紫神社に五十猛命を祀り、次に香春岳で祀り、さらに宇佐郡に入り、小倉山に北辰社を祀ったと言う。
一方「宇佐八幡宮弥勒寺建立縁起」によれば、辛島氏は辛国宇豆島(現稲積六神社あたりか)に天降ったとされます。
 注 播磨風土記によると4世紀初めに呉勝(くれのすぐり)が紀の国名草郡の太田に居住し、その後摂津三嶋、播磨の揖保に移住したと出ています。 これは辛嶋勝の後裔ではないかとも思えます。神功皇后の半島行きの船の舳先にも「御船前伊太氏神」として掲げ祀られていたとされ、伊太氏神は原始八幡だけではなく応神八幡にも祀られたようです。 鹿児島の大隅國の式内社に鹿兒嶋神社と韓國宇豆峯神社がありますが、鹿児島湾の北側に東西にあたかもセットのように鎮座しています。氏は底の氏です。


発足以来のログです。
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