信太神社
和歌山県橋本市高野口町九重 its-mo


県指定天然記念物の楠の大木

鳥居



交通案内
JR和歌山線高野口駅北へ4km



祭神
天照大御神、天津彦火瓊瓊杵尊、饒早日尊、神武天皇、磐長比賣命
『紀伊続風土記』ではこれらの神名は近年の説と記す。



由緒
 土竜封じの神として信仰。縁起は不詳。
 天元二年(979年)拝殿、御供所、神庫、楼門を改造したと伝わる。
 物部氏の遠祖の饒速日尊が祀られている。この神社の南5km程の紀ノ川の近くに式内社の小田神社が鎮座している。饒速日尊の十三世の孫の物之部武彦命を主宰神としている。物部尾興公の弟と言われ、小田連の祖である。 小田連との関係が信田神社にあったのかどうか、今となっては定かではない。分家した家を新宅と言うが、小田家の場合には新小田、これは信太となっても何ら不思議ではない。
 『紀伊続風土記』には泉州の信太森よりの勧請と言う。また延宝五年(1677年)の『禿組指出帳控』に「篠田明神は虚空蔵社・不動社・金大日社・胎大日社・阿弥陀社の五社からなり、その他境内小宮として四社があった。」とする。

 『続日本紀』養老七年(723年)に「常陸国信太郡の人、物部国依に信太連の姓を与える」とあり、 どうも采女臣のようで、戦死者の鎮魂を業として各地に分布していたようだ。この時代は東国以外にも相当な騒動や戦があったのだろう。 元社の説もある葛葉稲荷には石切劔箭神社の石碑があった。

社殿

ずらりと並ぶ本殿五社




 楠の大木は江戸時代後期に既に『紀伊続風土記』にも記載されている。 クロガネモチの木と癒合している。
 拝殿は相当くたびれているが、本殿付近とも手入れが行われており、清潔な雰囲気の神社。 北側に和泉山脈の壁、東西は小高い山々、また唯一通じている南側も山道を下っていく厳しい地域である。



祭礼
10月15日 秋季例大祭


紀伊續風土記 巻之四十四 伊都郡 官省符荘 九重村から

○信田明神社  境内除地
本社五社 
各五尺 七尺
末社六社
村の南にあり 上下中村田原九重四箇村の氏神なり 五社を四箇村より分ちて支配す 祀神は泉州信田森より勧請すといひ傳ふ 
或は傳ふ 第一社天津彦火瓊々杵尊命 第二社天照大日霊貴 第三社饒速日命 第四社木花開耶姫命 第五社磐長姫命といへり 然れとも是近年いひ出たる説にて従ひかたし
里人當社を土龍封しの神と云ひ傳へて氏下四箇村には土龍絶えて無し 因りて土龍封しの符を別當寺より出す 境内に楠の大樹あり 圍三丈餘輪困陸離たり 社地の古き事知るへし
困:木は禾。
 

参考
『和歌山県神社誌』

物部氏ホームページ
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