水主神社(みずし)
城陽市水主宮馬場1  ゼンリン

鳥居と杜


交通 近鉄京都線富野駅北西1km

祭神 天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊、天香語山命、天村雲命、天忍男命、建額赤命、建筒草命、建田背命、建諸隅命、倭得玉彦命、山脊大國魂命
配祀 大縫命、小縫命

摂社 樺井月神社 月讀命
 水主直がその祖玉勝山代根子命を山背大国魂命神、始祖火明命を天照御魂神として祀ったとされる。 これに旧事本紀の天孫本紀の系譜の神々を加えたのが祭神となっている。

 延喜式で十座となっている神社はここ以外にない。

本殿



注釈 山城国久世郡の式内社十座である。
 山脊大國魂命は山代根古命とも言う。大國魂とは国土経営を意味し、根古とは其民統治を表すと言う。 崇神天皇の時代、豊鋤入姫命をして天照大神を倭笠縫邑に遷し、また淳名城入姫命をして、倭大国魂命ならびに山脊大國魂命を倭、山脊の二国に祭らしめたとする。


 水主神社はその一社で、我国の神社は数多いが国土経営の功徳をもって上古以来子孫永くその土地に住み、祖神祭祀を継続した当社の如きは稀な存在と社では言う。
 加茂両神社、松尾神社、住吉神社とともに天災除疫五穀豊饒祈年祈雨等に就き朝廷より奉幣祈願があった。


 大縫命、小縫命の二柱の比神は、天香語山命の子天村雲命九世の孫にして、成務天皇の時代、志賀高穴穂宮に仕え、糸縫針の職についたが故に子孫に衣縫の氏を与えられたと言う。(新撰姓氏録)
 これにより此神を衣縫の祖大神、衣縫の宮、衣縫大神として祀る。

 駅からこの付近一帯はイチジク畑である。木津川の右岸に鎮座、宣命雨師、雨乞いの神である。鎮守の杜の風景を保っているが、鉄柵で囲まれている本殿はおごそかである。


水主神社本殿 手前左側が樺井月神社




 境内に式内社である樺井月神社がある。月読命を祭神とし古来より牛馬の神として崇敬されている。綴喜郡の式内社である。
 元々京田辺市大住に鎮座していたが、木津川の氾濫によって1672年ここに遷座したと言う。 大住には月讀神社が鎮座しているが、この水主神社の敷地に遷座したのは、木津川の渡しの両岸にあり、渡しの神としての性格上の相方にきたものと思われる。


 大住の月讀神社、樺井月神社の旧社地、水主神社、水度神社、水度神社の旧社地である鴻の巣山の峯つづきにあたる大神宮山は一直線上にあり、夏至の日の日の出を指していると言う。


お祭り
水主神社  10月 2日
樺井月神社  2月20日


『平成祭礼データ』から 

 府社水主神社並衣縫大神略由緒
 水主神社の祭神は、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(天照大神の御孫にして天照御魂神とも申し奉る)をはじめ、其御子孫天香語山命、天村雲命、天忍男命、建額赤命、建筒草命、建田背命、建諸隅命、倭得玉彦命、山脊大國魂命の十柱の神々と、大縫命、小縫命の二柱の比盗_にまします。
 天孫饒速日尊の第十世、山脊大國魂命は山脊(やましろ)の國造として国土経営に功あり其子孫代々此地に廟食して国土を統治す、この故に山脊大國魂命または山代根古命とも尊称す、大國魂とは国土経営を賛称し、根古とは其民統治の謂なり。
 人皇十代崇神天皇の御代、豊鋤入姫命をして大殿裏に奉祀の天照大神を倭笠縫邑に遷祀せしめ給ひしが、また別に淳名城入姫命をして、日本大国魂命ならびに山脊大國魂命を倭、山脊(やましろ)の二国に神籬を建て、齊き祭らしめ給う、水主神社はその一社なり、我国神社多しと雖も国土経営の功徳をもって上古以来子孫永くその土地に住み、祖神祭祀を営みたる当社の如きは稀なりと謂うべきなり。
 この故をもって仁明天皇の承和以来たびたび神位を進められ、延喜式によれば、朝廷より毎年四度幣帛を賜り、特に天照御魂神、山脊大國魂神の二座は相嘗祭に預れり、また加茂両神社、松尾神社、住吉神社とともに天災除疫五穀豊饒祈年祈雨等に就き朝廷より奉幣祈願ありしことしばしばなりき。 大縫命、小縫命の二柱の比盗_は、天香語山命の御子天村雲命九世の御孫にして人皇十三代成務天皇の御宇志賀高穴穂宮に仕え奉り、糸縫針の職を掌り給いしにより其子孫に衣縫の氏を給う(新撰姓氏録参照)、故に此神を衣縫の祖大神、衣縫の宮、衣縫大神として敬称し奉る。
 境内に樺井月神社あり、月読命を祭神とし古来より牛馬の神として参詣する者少なからず。
 以上

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