他田坐天照御魂神社
(おさだにますたまてるみたま)
桜井市太田字堂久保 its-mo

交通案内
JR桜井線巻向駅 西北へ 300m

祭神
天照御魂神 他に天照大神荒魂、天照国照火明命とか志貴連祖天照饒速日命とする説がある。

拝殿


由緒
 式内社他田坐天照御魂神社は桜井市戒重の春日神社にあてる説がある。城上郡と明確に書かれており、春日神社の位置は十市郡にあり、この説には無理があるとしている。 当社も春日神社と称していたが、『大和志』が延喜式神名帳記載の社に比定していこう、社名、祭神を変更したと云う。*1
 この神社のある太田の地から見ると立春・立冬は三輪山山頂付近、春分・秋分は巻向山頂上付近となり、日読みの地であったと指摘されている。
 他田は訳語田で、敏達天皇が他田幸玉宮に遷座、日祀部を設置している。この地が日知りに適していたからと言われている。
 天照御魂神社と呼ばれる神社は、摂津の新屋坐天照御魂神社、山城の木島坐天照御魂神社などがある。
 太田と云う住所名は『播磨国風土記』を思い起こす。呉の勝が紀の国の名草の太田から摂津の太田、播磨の太田へと移っていった記述である。 この太田は一方では普通名詞的であるので、云いにくい所であるが、この巻向の太田もその一連の土地ではあるまいか。紀の国の名草の太田から大和で移った呉勝がいたと考えれば、巻向遺跡の主であるかどうかはともかく、 天照御魂神を斎祀ったとは大変なことで、この神は天照大神の原型ともされる神であること、紀の国の日前宮の神との関連、秦氏の古代史上の役割はどうであるかと云うこと、もの凄い謎を秘めた山辺の道(から少し外れた)神社ではある。真南に箸墓古墳が見える。


お姿
 鳥居が見当たらない。神社名や由緒を書いた説明板はないが、大きい石に天照御魂神社と刻まれているが、新しいようだ。楠木の巨木がある。それ以外にも木々は多い。

本殿

名前を刻んだ石



お祭り

例祭 10月10日



参考  *1 日本の神々4(谷川健一)白水社
   寺院神社大事典(紀伊・大和) 平凡社


物部氏ホームページ

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