華表神社
堺市北区宮本町57番地 its-mo




交通案内
地下鉄御堂筋線北花田駅 南西500 m



祭神
譽田別命、素盞嗚命、宇賀之御魂命
摂社
玉屋神社、太神社、瀧神社



由緒
 素盞嗚命は、仲哀天皇九年、神功皇后が摂津国難波に至った時に、鎮座したと言う。
 宇賀魂命は、嵯峨天皇の弘仁元年、五穀成就の為、沙門空海これを勧請し後、後醍醐天皇の元享元年、山城国男山若宮八幡を勧請したと言う。

 近隣の小社を明治41年に合祀している。堺から南へは紀州街道、熊野街道(小栗街道)がでている。東へは長尾街道、竹内街道が出ている。この内、長尾街道に近い。



お姿
 町中にしては広々とした境内である。楠の木が多く、府の天然記念物に指定されている。  



お祭り

秋例大祭 10月 4日から3日間


『平成祭礼データ』
 社記によれば素盞嗚命は、仲哀天皇九年十二月、神功皇后筑紫に凱旋あり、翌年、摂津国難波に至り給ひしときに鎮座あらしめ給ひ、宇賀魂命は、嵯峨天皇の弘仁元年、五穀成就の為沙門空海之を勧請し後、後醍醐天皇の元享元年、山城国男山若宮八幡を勧請して供料三百石を寄せられ勅願所となれりと。
 東光山薬師寺と称する神宮寺の外多聞院東之坊明王院威徳院西之坊乾坊無量壽院の七僧坊ありて栄えたりしが、織田信長に至り供料は没収せられて衰微せり。明治維新後の神仏分離に際し寺は廃絶し、社は同五年、村社に列せらる。同四十一年附近の数社を合祀せり。
 以上


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