古市古墳群周辺
辛国(からくに)神社
藤井寺市藤井寺1-19-14 
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鳥居



交通 近鉄南大阪線藤井寺駅下車南200m

   

祭神 饒速日命、天児屋根命、素戔嗚命
     「大阪府神社明細帳」 伊香色雄命、天兒屋根命



注釈 河内国志紀郡の式内社。明治になって式内社の長野神社(祭神饒速日命)、村社の野中神社を合祀、戦後野中神社は旧に復した。
 雄略朝の時、物部大連目が天皇から「餌香長野原」を賜ったと日本書紀にある。その後一世紀で物部氏は蘇我氏に敗れる。 物部氏が敗れた後へ渡来系の葛井氏連の支配地となった。葛井寺を創建したと言う。西国三十三観音の一つである。

 推古天皇の「神祇祭祀令」は607年に出ている。これ以来渡来系氏族が氏神社を持つようになったと言う。この社の名前からして、渡来人の氏神としては早期のものだったのだろう。

 室町期にこの葛井寺の境内にあった長野神社を吸収している。
 東西に長く参道の両側には種々の木々が美しい。よく手入れされている。拝殿・本殿とも新しく、造は矢作神社によく似ている。 池があり、春日神社の神の使いである神鹿が水を飲むためのものとの解説があった。 神奈備は生駒山、しかし拝殿から本殿の延長に藤井寺球場がある。未だ日本一になれない近鉄球団のホームグラウンドであった。平9年からは大阪ドームに移る。

現在はオリックスブレーブズと楽天エーグルスに分割されている。




拝殿

本殿



お祭 例祭 10月 17日

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『平成祭礼データ』から 

 当社は今から千五百年程前、雄略天皇の御代に創建された神社で、平安時代には官社となり、式内社として人々の尊信を集めてきた神社である。
 日本書紀には「雄略十三年春三月、餌香長野邑を物部目大連に賜う」とあるが、餌香長野邑は旧藤井寺町のあたりと思われる。この地方を治めることになった物部氏はこの祖神を祀って神社をつくり、その後、辛國氏が祭祀をつとめ辛國神社と称するようになった。
 三代実録には、清和天皇「貞観九年二月二十六日河内国志紀郡辛國神社を官社に預かる」とあります。元の神社は恵美坂の西南神殿にあったと思われる。室町時代(義満の頃)河内守護職畠山基国氏が社二百石を寄進して、現在地に神社を造営し、奈良春日大社に懇請してその祭神、天児屋根命を合祀したと伝えられている。明治四十一年、長野神社の祭神素盞鳴命を合祀して現在に至っている。
 以上



物部氏ホームページ


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