白鳥神社(しらとり)
大阪府羽曳野市古市1-1 its-mo


交通 近鉄古市駅東側

祭神 日本武尊、素盞嗚命、稻田姫命 合 饒速日命、廣國押武金日命


 明治四十一年高屋神社「饒速日命」を合祀、昭和二十九年高屋神社は再度独立したが、合祀した饒速日命、廣國押武金日命を合祭神としている。



注釈 神社は前方後円墳の後円部に鎮座、前方部は近鉄古市駅や国道に削られている。この古墳は欽明天皇の賓陵[仮の墓]と伝わる。
 元々ここには伊岐の宮「素盞嗚命、稲田姫命」が鎮座、そこへ白鳥陵のある軽里の白鳥神社が地震で壊れて遷座してきたとされる。
 古代の当地は河内文氏(王仁の子孫)の本拠であり、また百済系の古市村主の居住地であった。

お姿
 楠や樫の木に囲まれている。本殿は春日造流破風である。


お祭
夏祭り 7月12日 秋祭り 10月8,9日は地車が出る。


『平成祭礼データ』から 

 当社は白雉年間の創建と伝えられるが、もと社名を伊岐宮と称し、羽曳野市軽里(旧名軽墓)の地にある白鳥御陵に近い伊岐谷にあり、日本武尊の臣であった吉備武彦に陵守りを命じ、下っては欽明天皇の勅額寺向原山西琳寺の住職が別当となり、奉仕を司どってきた事は、同寺の旧記に依って明らかである。
 日本武尊の御事跡については、正史に詳らかであり今更是に記す迄もない事であるが「尊既に東夷を平定し給いて京師に凱施し給う時、近江国伊吹山の毒気に掛り給いてより日々に御悩み深く、終に九月九日近江国千の松原にて崩御せらる。天皇歎き給いて、皇子は実に祖宗神たる神武天皇に継て諸国を平定したるその勲功浅からず、今皇子の死を聞く今より後は誰と共に祖宗の遺訓を守らむと直ちに百官に命じ給いて、天皇の大礼を以て伊勢国能褒野に御陵を築き葬り給えり、陵俄かに振動し神霊は八尋の白智鳥に化し天翔り坐して遂に大和国琴引に止り給いければ、此に又御陵を築き給うに、更に天翔り白尾を曳きつつ河内国古市郡古市に止まり給いければ更に御陵を築く、後此の陵より昇天し高天原に鎮まり給えり」とあるように尊の御生涯はまことに休む暇もない安国平定の貴き日々であった。

 垣武天皇の「伊岐宮」勅額の下賜などあり、朝野の信仰の厚いのも宜べなるかなである。現在羽曳野市と市名に残る羽曳野丘陵は、尊の白鳥と化し羽根を曳きつつ、天翔り天に昇り給うた旧事によるものと思われる。明治五年に村社に列せられ今日に至っているが、宮号を改めるにつき「白鳥神社」となったもので、別名「モガリ」と称する前方後円墳上に鎮座せられ、現在古墳前方の一部は昔民有となり、中央部以後は近鉄南大阪線古市駅の敷地に売却せられた為僅かに七七三坪を残存し、本殿(春日造流破風)幣殿拝殿社務所を有し、古市六ケ町の氏神ながら駅頭に位置し参拝者多き旧社である。
 以上

物部氏ホームページ


神奈備にようこそに戻る