十種神宝

カラー十種神宝図 サングリーンさんご提供



十種神宝とは

 物部氏の祖、神饒速日命が天神御祖より授けられた宝は、羸都鏡(おきつかがみ)一、邊都鏡(へつかがみ)一、八握劔(やつかのつるぎ)一、生玉(いくたま)一、死反玉(まかるがえしのたま)一、足玉(たるたま)一、道反玉(みちがえしのたま)一、蛇比禮(おろちのひれ)一、蜂比禮(はちのひれ)一、品物比禮(くさぐさのもののひれ)一の十種の天璽瑞宝である。  
 これらを授けるときの教えが「布瑠之言」である。
 汝命この瑞宝を以ちて 豊葦原の中国に天降り坐して 御倉棚に鎮め置きて 蒼生の病疾の事あらば この十種の瑞宝を以ちて 一二三四五六七八九十と唱へつつ 布瑠部由良由良と布瑠部 かく為しては死人も生反らむ



十種神宝のモデル 試案

 

羸都鏡(おきつかがみ)

銅鐸の形
下部のヒゲは、釣り針やオオサンショウウオの尾また唐古鍵遺跡出土の三層建築の屋根の飾りを思わせる。

上部は銅鐸頭部(終末期)

三層建築

邊都鏡(へつかがみ)

銅鐸の形
酒船石のイメージ


籠神社の御神体の鏡。海部と物部の習合以後に持ち込まれたのか?

八握劔(やつかのつるぎ)

金銀装円頭太刀 古墳時代 出雲市上塩冶築山古墳
劔の柄の長いもの、またはツバを描いたもの。



熱田神宮。天叢雲剣また草薙剣。素盞嗚尊が八岐大蛇の体内から取り出す。

生玉(いくたま)

男根

八十島祭りの生島神、「御衣筥」を開き、これを振り動かす呪術。

死反玉(まかるがえしのたま)

女陰

生殖、生まれ変わりの象徴

群馬県上武士古墳の「田の人埴輪」

足玉(たるたま)

金銅製冠の頭頂 古墳時代 出雲市上塩冶築山古墳

天日槍が招来した足高玉は足玉の敬称。生育。

道反玉(みちがえしのたま)

建具
和泉市桑原の雷井戸で有名な西福寺の俊乗堂の一部

黄泉の坂に塞りし石は、道反之大神。

蛇比禮(おろちのひれ)

銀装杏葉 古墳時代 出雲市上塩冶築山古墳

隠し武器*1

須勢理毘売命、蛇の比礼を葦原色許男命に授けた。

隼人が身につけた領巾

蜂比禮(はちのひれ)

銀装辻金具 古墳時代 出雲市上塩冶築山古墳

隠し武器*1

須勢理毘売命、呉公・蜂の比礼を葦原色許男命授けた。

隼人が身につけた領巾

品物比禮(くさぐさのもののひれ)

銅鐸のX、銅剣のX
加茂岩倉銅鐸11号

神庭荒神谷Aー7号銅剣

銅鐸銅剣のX印の刻印は、]、十であり、十種神宝としての祭器ではなかったか。


物部氏の役割


 物部氏は武(軍事と警察)を司った氏族である。この為に海事は言うに及ばず金属精錬、武具造りなどに長けていた。武器倉庫などの建築にも長じていたであろう。
 物部氏は祭祀氏族でもあった。銅鐸を造り、呪具を造り、神殿や祭壇を造った。

 『常陸国風土記』の信田郡の所に下記のような記載がある。
 天地が創造されるころ、草木がことばを話すことができたとき、天より降ったフツノオオカミ(普都大神)はアシハラノナカツクニを巡り歩き、山や川の荒ぶる神を和らげた。 フツノオオカミはすっかり帰服させることができたので、天に帰ろうと思われた。その時、身につけておられた器杖(武具)の甲・戈・楯・剣・お持ちになっていた玉をことごとく脱ぎ捨てて、この地に留めおきて、 白雲に乗って天空に昇って帰られた。
 普都大神は布津神で布都御魂などとも称される。物部の祖の神格化と出来よう。武具を残していって、その武具は一体どうなったのか。おそらくは神宝となったと見ることができよう。

 古神道の行法で石上神宮の鎮魂法の一部
 足の裏を合わせたあぐら。両手の指を組んだまま、左振り、右、前、後、中と身体を振る。「ヒー」で一回、「フー」で一回、と「トー」まで10回、丹田に力を込めて振る。長寿に効能があるとされる。実際、これは武術の鍛錬に他ならない。長寿の中には敵に倒されないことも含んでいるのだろう。
 十種神宝のルーツは武具か?

 物部氏の遠祖饒速日尊の降臨に五部人、五部造、天物部等二十五部人と五の倍数が目立つ。五部人、五部造がそれぞれ奉戴していたのかも。なお黛説によると、五が好きなのは高句麗(満州)系だそうな。陰陽五行に因んでの創作かも。

十種神宝と鎮魂

十種神宝による呪術とは
『ミタマフリの伝承』三品彰英氏の説明
 刀剣・鏡類は日神を招祷する呪具で大陸シャーマニズム系。比礼は人間の魂を振り起こしたりする招祷する呪布で海神にかかわる水の呪物。
『神楽の巫女舞い』三隅治雄氏
 十種神宝とは強力な霊魂をいわい込める媒体足りうる神物であり、また神霊の憑依する依代そのもの。ユラユラと神宝を振るのは、神霊を先ず神宝に依り憑かせ、さらにその依り憑いた魂を人の体に来触させるための呪術。
『宮廷の歌舞』土橋寛氏
 十種神宝の呪物を振り動かすのは衰えたタマを振り動かす模倣呪術であり、鎮魂祭で天皇の御衣を納れた御衣筥の蓋を少し開いて振り動かすのも、御衣は御魂代であるから、これと同じ呪法である。

『先代旧事本紀』巻七天皇本紀の一部。



宮中鎮魂祭

冬至の日没後、篝火の中で行われる天皇の健康長寿の呪法儀礼である。
儀式のイメージ 儀式の役割 由来の神話
伏せた宇気槽(ウケフネ)の上に巫女が乗り、矛でその槽を撞く「宇気撞き」 魂を覚醒させて招き入れる
陰陽合精の呪術(模擬性交)
天岩戸神話
神祇官人が糸を結び、箱に納める「糸結び」 誘離した魂をつなぎとめる呪術 民間の習俗
女官蔵人が御衣を納めた箱の蓋を開き、それを振動させる「御衣振動」 天皇の形代としての御衣をゆすることで魂を呼び入れる呪術 十種神宝を一二三四五六七八九十と唱え「由良由良止」振るえ、死者も生き返ると云う物部の呪術


十種神寶秘傳記ー寛保三年写本ー

羸都鏡
『十種神寶圖形譌』
古傳圓鏡異名也、亦外宮神體を為す、故水鏡と云ふ。

『物部氏十種瑞寶秘傳』
白銅圓鏡也、或説金鏡、日象之鏡、在人者陽、火気鏡也、大宮賣神所掌也

五行の土の陽

邊都鏡
『十種神寶圖形譌』
古傳八咫鏡異名也、亦内宮神體を為す、故火鏡と云ふ、右両圓者は上古鏡架也、鏡形から脱す者也。

『物部氏十種瑞寶秘傳』
白銅圓鏡也、或説銀鏡、月象之鏡、在人者陰、水気鏡、御気都神所掌也

五行の土の陰

八握劔
『十種神寶圖形譌』
八都劔神臺、加劔形に添う者也。

『物部氏十種瑞寶秘傳』
八刀握劔也、星辰之劔、在人者肺、金蔵魂也、治邪気の禳の金気也、事代主神所掌也、且高皇産霊尊之子、(中略)是即天地人萬物金気所掌也。

五行の金の陽

生玉
『十種神寶圖形譌』
火珠
生者陽也、色赤、精魂霊。

『物部氏十種瑞寶秘傳』
荒御玉、色赤、亦火玉と曰、在人者心、火蔵神也。

五行の火の陽

死反玉
『十種神寶圖形譌』
水珠
死者陰也、色青、精魂霊異名。

『物部氏十種瑞寶秘傳』
生玉が天上に退去すれば即ち命無し、是を死と謂う、生玉死反玉同體異名也、両玉者神皇産霊尊之子、生産霊尊所掌也。

五行の水の陰または火の陰

足玉
『十種神寶圖形譌』
上父
足玉陽魂、火に准ず、上を為す者象也、火昇り上を為す。

『物部氏十種瑞寶秘傳』
和御魂、色青、亦木玉と曰く、在人者肝、木蔵魂也。

五行の木の陽

道反玉
『十種神寶圖形譌』
母下
道反玉陰魂、水に准ず、下を為す者象也、水降り下を為す。

『物部氏十種瑞寶秘傳』
足玉が出て虚空に遊べば即ち災い有り、是を病と謂う、足玉道反玉同體異名也、両玉者魂■産霊尊之子、足産霊神所掌也。

五行の木の陰

蛇比禮
『十種神寶圖形譌』

蛇比禮水字象也、故に水と云ふ。

『物部氏十種瑞寶秘傳』
鱗蟲之災を撥之以て打つと、即ち痛さが止る也。

五行の水の陽

蜂比禮
『十種神寶圖形譌』

蜂比禮火字象也、故に火と云ふ。

『物部氏十種瑞寶秘傳』
甲蟲之災を撥之以て打つと、即ち痛さが止る也。

五行の火の陰または水の陰

品物火禮
『十種神寶圖形譌』
心敷心玉冠
鳥金気に雙有り、此角有り、毛冠と云ふ、鳥獣獣金気、尾狐尾刃有り、別口決。

『物部氏十種瑞寶秘傳』
鳥獣之災を撥之以て打つと、即ち痛さが止る也。鳥獣とは毛荒物毛柔物を謂う、惣べて品物と謂う也、此比禮三者は八握劔同気、亦事代主所掌也。

五行の金の陰

石上神宮の鎮魂祭


 実際の神宝ではなく、「神宝の名または図を紙に書いたもの」を袋に入れ、それを榊の枝に付けたものを「布留御魂神」として振り動かす祭儀だと『鎮魂と斎戒』副島知一氏は述べている。
 空海も「十種神宝図」を伝えている。(弘法大師全集:明治43年)現在多く伝わっているものと大差はない。
 飯綱神社(静岡県富士市)の元の神主家に「神代文字、神宝図」が伝わっている。

石上神宮伝と飯綱神社の品物之比礼の神宝図

石上神宮の鎮魂祭関係は津城寛文著『折口信夫の鎮魂論』から引用。

 現在の石上神宮の鎮魂祭は古く宮中鎮魂祭に流入したものの逆輸入した後世的なもの。祭儀中に神宝の振動はあるが、「玉の緒を結ぶ」祭儀があるのが、これは『旧事本紀』には記載のない祭儀である。古のままでないことがこれを物語っている。石見の物部神社では十種神宝の祭儀は全く含まれていない。宮中鎮魂祭儀に則している。

十種神宝奉齋伝承の神社

伏見神宝神社 京都市伏見区深草笹山町 link 【境内掲示】この十種神宝の鏡は大極と小極、剣は破邪顕正の勇気をあらわし、邪気を払い英知導く、玉は四魂をととのえ、比礼は天地と宇宙並びに人体を浄めて神人一致への作用を結ぶ働きを示し、秘文(ひふみ)祝詞とともに神道上傑出した存在のようである。

布留神社「布留大神」 滋賀県高島郡安曇川町横江 【口伝】

石上神宮 天理市布留町384 link【神社由緒】布留御魂大神とは天璽十種瑞宝に宿られる御神威を称えた名。

石上神宮の十種祓詞

 高天原に神留り坐す 皇親神漏岐神漏美の命以ちて 皇神等の鋳顕はし給ふ 十種の瑞宝を饒速日命に授け給ひ 天つ御祖神は言誨へ詔り給はく 汝命この瑞宝を以ちて 豊葦原の中国に天降り坐して 御倉棚に鎮め 置きて 蒼生の病疾の事あらば この十種の瑞宝を以ちて 一二三四五六七八九十と唱へつつ 布瑠部由良由良と布瑠部 かく為しては死人も生反らむと 言誨へ給ひし随まに 饒速日命は天磐船に乗りて 河内国の河上 の哮峯に天降り坐し給ひしを その後大和国山辺郡布留の高庭なる 石上神宮に遷し鎮め斎き奉り 代代其が瑞宝の御教言を蒼生の為に 布瑠部の神辞と仕へ奉れり 故この瑞宝とは 瀛津鏡 辺津鏡 八握剣 生玉  足玉 死反玉 道反玉 蛇比礼 蜂比礼 品品物比礼の十種を 布留御魂神と尊み敬まひ斎き奉ることの由縁を 平けく安らけく聞こし食して 蒼生の上に罹れる災害また諸諸の病疾をも 布留比除け祓ひ却り給ひ 寿命長 く五十橿八桑枝の如く立栄えしめ 常磐に堅磐に守り幸へ給へと 恐み恐みも白す 

饒速日尊が天神御祖から授かった十種の天爾瑞宝は宇摩志麻治命が神武天皇とその后の為に打ち振って奉仕しその後宮中にまつり、崇神天皇の時代に伊香色雄が石上神宮へ遷したとされている。 石上神宮の神府には王権が収集した各地の神宝が納められた。石上神宮での元々のタマフリの呪術は恐らくはもっとシンプルな呪具で行われていたのではなかろうか、 またそれらを伝えてきたのは柿本氏、春日臣らであって、その一族の市川臣は斉明朝に物部首、天武朝に布留宿禰を名乗ったのである。 物部首を名乗ったのは河内を本拠とする軍事氏族の雄物部大連氏が後に布留の地を支配した関係で一族に取り込まれたもの。 その際に、石上神宮に伝わるタマフリ呪術を自らのものとして取り込んで、多くの伝承が形成されていったものと思われる。

 石見の物部神社、大和の矢田坐久志玉比古神社など物部氏の氏神的な神社に十種神宝の具体的な祭祀が見えないのもむべなるかな。

 長髄彦が神武天皇に見せた饒速日尊の天羽羽矢と歩靫に該当する神宝が名前と形状とからは十種神宝の中に見あたらないようだ。「饒速日尊は十種神宝を知らなかった」と名言をはいた方がおられるが、言い得て妙。

 ただ、美内すずえさん(人気漫画家)のご教示が面白いので紹介しておこう。
 部族長の息子が新天地開拓に出発の際、祖から分け与えられる重要なものは穀類の種子のはず。 盛大な儀式を行い授与し先の幸運を祈願したのであろう。従って、天祖から饒速日尊に与えられたと伝わる十種神宝は種子であった。
 実に人々の生活の成り立ちに立脚した観点である。
 ほとんど全ての部族から出る開拓団に共通のものが種子であるが、それが呪具になっていった所が説明出来れば新しい説となるのであろう。

楯原神社 大阪市平野区喜連6丁目 link 【境内掲示】永禄年間(1558年〜)足利義昭は征夷大将軍となったが、実権は織田信長に握られていた。義昭は、大和の法隆寺、石上神宮、山城の大徳寺、紀州の根来寺、摂州の本願寺などに呼びかけて、反信長戦線をもくろんだ。しかし到底信長の敵ではなかった。信長はこれ幸いと古い社寺を叩きつぶしにかかったのである。石上神宮も焼き討ちにあった。この時十種神宝が持ち去られたと言う。幸い、丁寧に保管されており、これを知った秀吉が、生魂の杜深くに永久に鎮めた。倒幕直前の混乱期に生魂の宮も暴徒に襲われ、十種神宝は再び持ち去られた。町の古道具やでこれが見付けられ、順次人手に渡りつつ、ある篤志家が、この神社に献上され、祀られたのである。  石上神宮の守護職を歴代つとめている庄司氏が返還を求めてきたが、返さなかったと言う。社殿を建立して祀っている。

玉置神社 奈良県吉野郡十津川村 link 【口伝】 

石上神社「十種神寶」福岡県大川市大字下牟田口 【祭神】

物部神社摂社石上布留神社 島根県大田市川合町川合 玄松子link 【祭神】

三倉神社 秋田県仙北郡協和町船岡 唐松日天宮 【秋田物部文書】御倉棚と呼ばれ、十種神宝を納めていた。

彌彦神社 新潟県西蒲原郡弥彦村 多宝山弥彦神社伝説 【弥彦神社伝説】十宝山の御神鏡物語

饒速日尊と十種神宝


『先代旧事本紀』
父神 天照貴靈太子正哉吾勝勝速日天押穂耳尊
母神 高皇産霊尊女豊秋津[舟居]姫拷幡千々姫命
天祖以天璽瑞寶十種授饒速日尊
天祖とは、父神・母神を含めた祖先神を指しているのか。
宇摩志麻治祖は十種神宝を神武天皇の献る。
石上神宮社伝 崇神天皇七年、伊香色雄命が石上の高庭に遷す。

『古事記』
ここに邇芸速日命(ニギハヤヒノミコト)参(マヰ)赴(オモム)き て、天つ神の御子に白(マヲ)さく、「天つ神の御子、天降(アモ)りましぬと聞き しかば、追ひて参(マヰ)降(クダ)り来(キ)つ」とまをして、即(スナハ)ち天 津瑞(アマツシルシ)を献りて仕へ奉りき。
ここに伊邪那岐命、佩(ハ)かせる十拳剣(トツカツルギ)を抜きて、その子迦具土 神の頸(クビ)を斬(キ)りたまひき。
次に御刀(ミハカシ)の本(モト)に著(ツ)ける血も、湯津石村に走り就きて、成りし神の名は、 甕速日神(ミカハヤヒノカミ)、次に樋速日神(ヒハヤヒノカミ)、次に建御雷之男 神(タケミカヅチノヲノカミ)、亦の名は建布都神(タケフツノカミ)、亦の名は豊 布都神(トヨフツノカミ)。
○速日神はこの段に登場が初出、甕速日神、樋速日神、三神の最後は建御雷之男(建布都神・豊布都神)。 これは不自然、饒速日神だった可能性があるのでは。またの名を布都神としている。
この後に天孫として正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命。一説には饒速日尊の父神。

『先代旧事本紀』 の「速日」
饒速日 天押穂耳の子 旧事本紀第3巻冒頭
槌速日 . 甕速日・速日の別名としている。第1巻
乳速日 . 32人の家来の一人として出てくる。第3巻



その他の神宝

『古事記』
邇邇芸 三種の神器 天照大神より授かる 八尺の勾[王「總」の糸へんのない字]、鏡、草薙剣
天日矛(玉つ宝) 珠二貫、浪振る比礼、浪切る比礼、風振る比礼、風切る比礼、奥つ鏡、辺つ鏡 出石神社

『日本書紀』
天日槍 羽太玉、足高玉、鵜鹿赤石玉 日鏡、出石小刀(洲本市由良出石神社)出石杼、膽狭浅太刀、熊神離 伊豆志の八前の神
武日照 天より将来の神宝 出雲振根が管理 出雲大神の祭祀 鏡、美具久留御魂神社(社伝)


参考
『平成祭礼データ』神社本庁
『古神道と古流武術』大宮司朗・平上信行 *1
『鎮魂と斎戒』副島知一
『折口信夫の鎮魂論』津城寛文
『古代出雲文化展』島根県教育委員会、朝日新聞社
『古代史の論点 神と祭り』金関恕、佐原真 小学館

物部氏ホームページ
神奈備にようこそ