湯殿山神社
山形県鶴岡市田麦俣字六十里山7

田麦俣多層民家と水車

交通案内
鶴岡駅から湯殿山頂行きバス its-mo

祭神
大己貴命、少彦名命、大山祇命
摂社
丹生水上神社
熊野神社
玉姫稲荷神社

参籠所の大鳥居

由緒
 湯殿山は修験の聖地であり、出羽三山の奥宮とされて来た。開祖は出羽三山と同じく蜂子皇子(崇峻天皇の第三皇子)別名を能除仙であると伝わる。
   「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた聖地ゆえ、頂いたパンフレットの範囲で記す。

 本宮は梵字川の流れのほとり、幽玄の仙境に鎮座する。 参拝に際しては、履き物を脱ぎ、お祓いを受け、お詣りする。

本宮入り口

 参籠所から神社までは専用のバスがある。 途中に丹生水上神社の石碑が建っている。

 元の参詣道は梵字川沿いであり、多くの摂社群が鎮座している。

 参籠所には玉姫稲荷神社が鎮座。
 仙人沢の霊域に於いて、即身成仏の修行に挺身された鉄門海上人が守り神として帰依され、その御守護を得て成仏されたとのいわれにより湯殿大神に願掛けする人は、先ず玉姫稲荷にお参りし、その霊験におすがりし、そのおたすけを頂いて本願を達成するという、習わしがありました。

玉姫稲荷神社

 参籠所の一角にミイラの模型が麗々しく祀っている。鉄門海上人であろうが、あまり気持ちのいいものではない。また開祖の能除仙も口が耳までさけていると言う怪異な姿で描かれている。醜いが故に「能除一切苦」の要文を得て修行したと言う。鎌倉時代にこの「ような伝承が言われ始めたようだ。

お姿
 鶴岡駅からバス80分ほど。バスは途中で、田麦俣多層民家と水車小屋が見える場所に停車する。この辺りは日本でも屈指の豪雪地帯、かつ田麦俣は土地も狭く建物の増築が難しかったので、生活と養蚕の部屋等が一つの建物にまとめらた。兜造りと呼ばれた。多層の形になったのは、香港などと似ている。当地は六十里街道の宿場で、江戸時代には湯殿山への参拝客でにぎわった。

 参籠所からバスで本宮入り口方面へ向かう。途中に丹生水上神社の石碑が建っている。

丹生水上神社

 出羽三山は真言系であったが、江戸初期の天宥上人が天台宗に切り替えを図った。出羽山、月山は切り替わったのだが、ここ湯殿山は抵抗し、高野山の真言宗を継続している。恐らく、丹生水上神社の鎮座は高野山からの勧請であろう。水神である。

御神体のイメージ 『古代の朱』p72 松田壽男著
御神体の色は本宮入り口の手前の磐の色のような感じ。岱赭色と言う。背景は木々の緑。鮮やか。

お祭り

湯殿山神社   8月15日 湯殿山神社本宮祭

『古代の朱』松田壽男著から

湯殿山のミイラ
 真言宗の修験道者には、弥勒菩薩が五十六億七千万年の後に下界に生まれて聖業を行う。その聖業に参与するために、自らの身体を留めておく念願がたいへんに強かった。この目的のためには、行者たちは平素の救生済度はもとより、死後はミイラとなって、世人の信仰を集めた。これを即身仏とする。つまり即身成仏した行人のことである。とくにこのためには出羽の湯殿山が主体となった。湯殿山を管理する注連掛けの注連寺、大網の大日坊、保土打の本道寺、大井沢の大日寺を別当四ヶ寺とよんだが、そのいずれかに入門する。もちろん得度したのち、難行苦行を経て一世行人をなのり、宗祖の空海に因んだ得号の免許をうけねばならない。

水銀の魔力
 どうして即身成仏するか、となるとたいへんむつかしい。まず五穀を断つ。米、麦、稗、粟、豆を食べない。五年あまりこうしていると、身体中から脂肪分が抜けてしまう。そこでこんどは十穀断ちに入る。上記の五穀のほかに蕎麦、玉蜀黍、芋、胡麻、麻の食用を禁止して五年たつ。そうすると行者はいよいよ断食して入定を待つのであった。常人にはなんとも想像のつかない苦難ではないか。しかしこの行人はこの苦難に堪えることによって、体内から脂肪を抜き、同時に穀物の代替として摂取する野草や野菜類から水銀を体内に蓄積する。これを本食業といった。
 身体の中に水銀が溜まるなんて、まったく恐ろしいと思われるかもしれない。しかし人間は植物を通していつも水銀を少量ずつ摂取しているのである。ことに即身仏の本場となった湯殿山地方は、土壌そのものに水銀気を持つ。湯殿山の宝前あたりは水銀含有0.04mgという高品位を示す。したがって、その土地に生育した野草や野菜は、土壌が含有するのとほぼ同率の水銀を保有する。行人が代用食としてその種の菜草類を口にすれば、それを通して水銀は体内に入る。しかも水銀は体外に排泄されにくいから、体内の水銀含有はますます置くなる。


参考 『日本の神々』、『古代の朱』松田壽男著

h15.8.19

丹生都比売伝承

神奈備にようこそ