丹生神社(上筒香)
和歌山県伊都郡高野町上筒香330
交通案内
上筒香のバス停、橋と川の側に鎮座。mapfan
祭神
丹生都比賣命
由緒
神功皇后が新羅征伐に赴く時、集まった神々の中に爾保都比売命がおり、自分を良く祀ってくれるならば赤土を与えようと言った。
その赤土を船体などに塗って新羅を攻略した。
凱旋後、神功皇后は爾保都比売命を紀伊国筒川の藤代の峯に鎮め奉った。
杉で船を造る、船を赤土で守ると言う伝えは、木の神でありかつ御船前伊太氏神として、神功皇后が播磨に祀ったとされている五十猛命を想起せしめる。
住吉大社神代記に丹生川上に天手力男意気続々流住吉大神を祀ったとあり、丹生川上からは筒川(筒香)の辺りとも思われるが、該当の神社の後裔とされる社が、橋本市胡麻生238の相賀八幡神社であると言われており、この筒香から遠く遷座したのであろうか。
由緒 平成祭礼データCD
筒香は「播馬国風土記」逸文に、神功皇后が三韓出兵のとき丹生都比売命の神託で勝利したため、同神を「紀伊国管川藤代之峰」に鎮座したと書かれている“管川”のことと言われ、「紀伊続風土記」には「筒は狭き義香は河の下略にて狭谷の義なるへし」と記されている。また同書によれば“藤代の峯”は「上筒香東富貴和州坂本村3村の界にて高峰なり水呑峰又石堂峰又子粒嶽ともいふ…」と伝えており、現在の筒香の東、奈良県境の山付近と考えられ、かつらぎ町の丹生都比売神社の旧鎮座地とされる。
当社の創建は不詳だが、「紀伊続風土記」の上筒香村の項で、一村の氏神として丹生4社明神社(現丹生神社)をあげ、境内周り3町半で、本社(9尺5寸)、末社2社、舞台があると記している。
明治6年村社に列す。平成2年の遷宮で、本殿修理、社務所と拝殿の合併改築、鳥居、手水舎の改修、境内地の整備などを行った。なお本殿前の石段には宝暦12年(1763)の銘がある。
お姿
川の側の低地に鎮座している。水の神、洪水から地域を守る神のように見える。新しい。
拝殿
本殿
お祭り
10月10日 例大祭
紀伊續風土記 巻之五十一 伊都郡 筒香荘 上筒香村から
○丹生四社明神社 境内周三町半
本 社 九尺五寸 末社二社 舞臺
村の西三町餘にあり 一村の氏神なり 祭禮六月十一月十一日なり 社領田地若干あり
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丹生都比売伝承
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