丹生狩場神社
和歌山県海草郡紀美野町毛原宮241
神社と神木
交通案内
海南駅前から高野山行きバス 毛原宮 its-mo
祭神
丹生都比賣命、狩場明神
由緒
狩場明神
応神天皇が美濃国(備前)より蔵吉人と言える人を犬飼として差遣わした。 その子孫は代々天野に住み狩猟を職としていた。
時に空海高野山中にて明神とあいその饗導を受け、後、明神崩ずるの時、大師引導して里人篤く葬ったと云う。
場所は伊都郡川張村百合野神社と云う。
その村の旧家門氏蔵記録にこの「狩場明神は天野社末社中の随一なり。」と記されている。
当社の艮三丁許の貴志川の中に巨巖があり、立岩と云う。「これ長谷川原犬飼ノ神ト云名ヲ得 弓石神ト成在今」と記録されている。
立岩の犬飼の神とは明神の祖神なり。明神かって狩せる時巨猪出し襲い来る時、明神此岩に登りて一矢に射止め給ふ。
往昔、毎年霜月一六日天野の神主来り、立岩の祝詞を奉上したと云う。
お姿
高野長峰霊場第九番札所の天徳山大日寺と同居している。和尚さんに訪ねると、高野関係は神仏分離にはあまり巻き込まれていないとの事、
淡路島も同様だとおしゃっておられた。
男杉、女杉が記念物の神木である。
社殿
本殿
お祭り
3月 3日 1日間 春季例祭
7月20日 1日間 近い日曜日 夏季例祭
10月20日 1日間 近い日曜日 秋季例祭
紀伊国名所図会から
紀伊續風土記 巻之四十一 那賀郡 毛原荘 宮村から
○丹生高野兩明神社 境内周百十二間
本 社 各方七尺 金扉
末社五社
犬飼明神社 三社合殿社
八王子社 妖疫神二社
寶 蔵 舞 台 廳 御供所
神宮寺 天徳山
釣鐘堂 御所芝
村中にあり 荘中の総産土神なり 社殿壮麗なり 祭礼六月廿日 九月十日なり
(途中省略)
○祝詞石
○立石
産土神の艮三丁許川の傍に立石といふあり 其崖上往還の道中にあり 昔狩場明神狩せし時大猪出て明神に當る 明神此立石に登りて猪を射とめ給へりといふ
毎年霜月一六日の夜天野荘天野社の神主来りて道傍の石の上にて此立岩の祝詞を上くる事り 是より祝詞石といふとそ是古式なるへし
立石は丹生祝文に全文天野荘に載す 犬黒比止云者彼御犬二伴率レ引弓笑手取持大御神坐阿帝川乃下長谷川原爾犬甘乃神止云 名乎得弖石神止成弖在レ今 と見えたる石神に坐せり狩場明神といふは此犬黒比止云者の子孫にて大師を高野山に導し人なれは祖神の石神となりて坐す事を混して狩場明神の事とせしなるへし
又村の北に犬飼谷あり狩場明神神猟せし時より谷の名とすといふ 又村中総産土神の側に犬飼明神の祠あり是上に引く氏文の犬甘の神にして高野山御手印縁起園朱書に犬甘籬津姫社と見えたるも是なるへし
里人の傳に狩場明神犬飼明神といふも丹生次兵衛といふ猟師なりといふは誤なり 狩場明神の事は詳に三谷荘の皮張村の條に見ゆ 又天野荘天野社の條をも合せ考ふへし
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