丹生神社
三重県多気郡多気郡多気町丹生 its-mo

交通案内
松阪から射和、勢和村村民バス丹生大師下車
三重交通バスの途中の停留所に「駅部田」と云う所がある。「マエノヘタ」と読むようだ。 また「八太」は「ハッタ」で秦氏の展開を思わせる。


祭神

埴山姫命 配 美津波女神 合 饒速日尊他三十二柱

摂社 丹生中神社「金山彦命、金山姫命」

二の鳥居



由緒

 創始は継体天皇一六年。6世紀初頭。
 往古より当地は水銀の産地として名高く、この地の守護神として奉斎されて来た。 また『本朝年代記』に嵯峨天皇弘仁十(819)年、伊勢丹生神に祈雨祈晴した記載が見られるように、当社は古よりその方面に霊験あらたかとされ、 さらに『延喜式神名帳』多気郡五二座登載の一社にも数えられる。

 『伊勢国恵日山観音寺神名帳』に伊勢国内の大社を掲載している。多度、阿射賀、稲生、椿、長谷、大苗代、福隅、中跡、賀保、丹生内、丹生外大神が紹介されている。当社は丹生内大神で、丹生中神社が丹生外大神と云われた。

 南東約12kmの度会町の森添遺跡は縄文時代後期から晩期のもので、東日本、北陸東海など各地の土器が混じっている人々の交流の多い遺跡で、かつ朱を粉末にするすり石60個、朱を貯蔵した土器などが出土している。(『伊勢と熊野の海』海と列島文化8)

 隣接すると云うか神体山を共有する弘法大師空海の開基と伝わる真言宗神宮寺とは神仏習合の歴史を物語る。 真言宗の進出先に丹生神社が多いのは、水銀の産地に丹生神が祭られており、そこに真言宗が出ていく場合、または先に真言宗の場合、またワンセトで水銀の産地に進出する場合などがあろうが、 此処の勢和村の場合にはどうだったのだろうか。丹生大師に鎮座する丹生都姫神社再建の由緒書きによれば、同時期のように見える。

 それにしても、なぜこの丹生神社の祭神は丹生都比売神ではなくなっているのであろうか。 祈雨祈晴がなされたことが大きく影響しているのであろうか。松田博士の云われる丹生神の大和系変化であろうか。
 またお隣の丹生大師にわざわざ平成六年になって本堂を上がった所に丹生都姫神社が再建されたのであろうか。 住職さんは留守、神主さんが病気だそうで、その辺の事情は判らなかった。

社殿、社域




本殿





お姿
  これが神さびると云う言葉の顕れであろうか。感銘する風景である。 また本殿は神明造の爽やかな風情を出している。
神宮の遷宮により出る材料の拝受してやはり20年に一度建て替えを行う。宮大工の訓練にもなるのだろう。 またなかなか見ることの出来ない神宮本殿と同じ形の本殿だろうから、これは一見に値する。
 一の鳥居を入ってすぐの参道に男石、二の鳥居に向かって左側に女石が祀られている。

 勢和村は山々のいたる所に採掘穴が縦に横に残っており、子供達には「危ない」と注意があるようだ。 松阪市になるが村民バスの終点は大石と云う。ここに丹砂採掘の道具類の展示物があるそうだ。丹砂採取は公害は出ないものだが、公害を恐れてか採掘をやめているそうだ。 経済的な採算の問題かも知れない。
 伊勢茶、伊勢芋の産地。

女石、男石





お祭り
丹生神社
  5月31日 諏訪祭
  7月16日 例大祭
  

 一の鳥居の正面に摂社となっている丹生中神社が鎮座

丹生中神社




丹生都姫伝承
神奈備にようこそ