南近義神社(みなみこぎ)
貝塚市王子1195番地 its-mo


鳥居



交通案内
JR阪和線和泉橋本駅 西800m



祭神
彌都波能賣神 配 丹生都比賣神 合 34神



由緒
 もとは、吉野の丹生神社の分社であり、丹生神社と呼ばれた。弘安7年(1284)に近木庄が高野鎮守の丹生都比売神社(天野明神・天野大社)に寄進さ れた際、その分霊を勧請されたと伝えられる。
 水、雨あるいは安産の神として信仰があつく、江戸時代には雨乞いのため、鐘、太鼓を鳴しながら、“千度参り”が行われた。明治40年から42年にかけて、南近義村の全地域に所在する24の神社を合祀し、南近義神社と明治42年5月18日社名が変えられ現在に至る。
 熊野九十九王子のうち、鞍持王子、近木王子の神も合祀されている。



お姿
 見事な鎮守の森である。椎、樫、楠、もちの木等が多い。近年の松食い虫の害で松の木は殆ど枯れてしまった。
 最近は神社経営も多角化し駐車場やアパートの賃料を収入にする所も多く、氏子の一部にもその様な主張をされる方もいるようである。
 この社は鎮守の森を維持するべく、木々の落ち葉が近隣の屋根にまい落ち、樋を詰まらせたりする事にも気を使いながら、祖霊の帰る森をかたくなに守っているのである。

 今、地方の神社の置かれている状況は楽観できない。人の心が自己中心の拝金主義に落ち込み、祖先への崇敬の気持の欠如の状態が長く続いている。神社への崇敬の心も失われている。自然を大切にする気持ちも薄くなっている。

 祖先への崇敬の気持が失われて来ているのには、無駄な長生きがある。医療技術が中途半端であり、延命はできても回復の出来ない老人が増えている。彼らの尊厳が損なわれている。 幼児化、植物化した老人の姿に尊敬の念が湧かないのは当たり前である。哀れと往生を期待する事になる。祖先への崇敬の気持は現在の老人を尊敬できる事が原点である。

 国は戦争では崩壊しないと言う。国敗れて山河在りである。国は内部から崩壊する。国民の心得が国を滅ぼす。まっとうな国に立ち戻るのには100年では無理である。
 

拝殿



お祭り

秋祭 10月9日〜10日



丹生都姫伝承
熊野古道、九十九王子社
神奈備にようこそ