熊野三所大神社
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜の宮353

交通案内
紀勢線  天王寺→那智 那智駅東へ200m its-mo



祭神
夫須美大神、家津美御子大神、速玉大神

境内社石宝殿 丹敷戸畔社、三狐社



由緒
 古文書の写しによれば村社大神社、祭神は天照大神、配祀彦火火出見尊、大山祇命とある。
 寛文記に熊野三所権現、または王子社とある。  
 平家物語の維盛の事を記して、三の御山の参詣、事故なく遂げ賜いしかば、浜の宮と申し奉る王子の御前より一葉の船に棹さして万里の蒼海に浮かび給ふとあるは当社なり。 藻塩草当国の部に渚の宮とあるは即ち当社なり。往古神武天皇丹敷戸畔を誅し給う地なりと言う。境内の一隅に丹敷戸畔の小祠がある。


丹敷戸畔社




 熊野大辺路にあり、熊野詣でが盛んな頃は、九十九王子の一にして熊野地方に於ける有数の神社に属したようである。浜の宮王子社跡がある。


浜の宮王子社跡と夫婦楠





 上古祭場の遺跡である。神社は欽明天皇の時代に創建されたと伝わる。
 国指定重文に主祭神三躯がある。



お姿
 
那智駅前の杜である。隣は補陀洛山寺である。この寺は補陀洛渡海の住僧を出した事で有名。渡海した僧侶の名簿が新しい石碑に刻まれている。



鳥居



本殿



お祭り
2月13日 宵宮 6人の射子の潮垢離とおこもり・参篭 
2月14日 例祭 古式弓矢行事 


紀伊国名所図会から



補陀洛山寺


紀伊續風土記 巻之七十八 牟婁郡 那智荘 濱ノ宮村から

○濱宮  境内周三百七十間   禁殺生

         彦火火出見尊
  一社三扉 
天照大御神
         
大山祇尊

  末  社 三狐神  丹敷戸畔祠
   籠 所  拜 殿 礎
村中にあり 那智山の末社なり 祀神寛文記には熊野三所権現とあり 同記一説には錦浦大明神伊豆箱根兩所権現とあり いまた何れか是なるを知らす 又王子社ともいふ 平家物語に惟盛入道の事を記して三の御山の参詣事故なう 遂給ひしかは濱ノ宮と申奉る王子の御前より一葉の船に棹さして萬里の蒼海に浮ひ給ふとある  即當社なり 古は此地悉社地にして民家もなかりしに後世村居して當社を産土神と稱せり 其後故ありて丹敷戸畔祠を産土神とす事は下文錦浦の條に辨す

○錦浦
村の南海濱十二三里許の地をいふ 潮崎荘二色長島郷丹敷皆海湾なり  當浦も亦湾をなして共に錦の名あるか 日本紀に載する所丹敷浦を此地にせんとて此濱を赤色といふより中世好事の者の名つけたるならん  寛文記にも此名見えたれは古くより牽強せしならん 丹敷戸畔祠を王子社の境内に建てるも皆後の牽強なり 丹敷戸畔を誅せるは此地にはあらす 詳に曽禰荘論に見ゆ

紀伊續風土記 巻之九十 牟婁郡第二十二 曽根荘から

當荘より以東の諸荘は上世丹敷戸畔の領せし地にして所謂荒坂の津といふ 荒坂は當荘二木島より曽根浦に越ゆる今の曽根次郎曽根太郎といふ峻坂をいふらむ  丹敷は今長島郷錦浦あり 丹敷はその邊の大名にして丹敷戸畔 ○神武帝の御軍を防んとて此地に來りて此あら坂の邊にて帝の為に誅せられし處成るへし

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