丹生神社(西富貴)、丹生四社大明神
和歌山県伊都郡高野町西富貴348 its-mo

交通案内
 バス中稲葉から西南へ小道を行くと西側に赤い鳥居が見えてくる。一瞬、お稲荷さんを思わせる。
 
祭神
丹生都比賣大神 合 高野御子大神、大食都比賣大神、市杵嶋比賣大神

由緒
   播磨風土記では、神功皇后が爾保都比売命を紀伊国筒川の藤代の峯に鎮めたとある。この地域一帯は水銀がとれる土壌である。
 丹生大明神告門では、丹生大神は、大和の巨勢から次に字智郡布々支(ふふき)丹生の地に忌扶刺給うとある。布々支は富貴に比定される。

由緒 平成祭礼データCD
   当社の由緒と創建についての詳細は不詳であるが、古老の伝承によれば、文明10年(1478)天野明神より勧請。

 明治6年4月村社の指定を受ける。

 なお「高野の生き神」には「当社は本郡天野村鎮座、官幣大社、丹生神社の天野告門と称する古文書に大御神は筒香藤代の峰に天降座して富貴の村に忌扶刺給ふとありし地なればその後勧請されたのではないかと古老により伝えられている。

お姿
 ひっそりと鎮座している。周辺は田で背後の山裾に鎮座、美しい。大杉は神木とされている。
 富貴の地は東西の丹生川にはさまれた独立した峡谷となっている。富貴谷から西筒香の地は、古来より、大和と紀伊との間で、線引きの争いがあったようだ。

鳥居

社殿

お祭り
  7月10日 夏大祭

 10月11日 秋例大祭

紀伊續風土記 巻之五十一 伊都郡 富貴荘 西富貴村から
○丹生四社明神社  境内周四町
  本 社 七尺許  末社四社太神宮 八幡宮 春日社 竜王社
   舞臺  輿堂  拝殿  御供所
村の西にあり 宮作り白木にて壮麗なり 山村の氏神とは見えかたし 往古は東村の社を氏神とせしに氏子争論ありて引分れ別に勧請すといふ 永享十三(1441)年及天文十三(1544)年棟札なとあれは東西分れしも古き事ならん 五六十年前迄別當神宮寺あり



丹生都比売伝承
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