丹生神社(にぶ)
神戸市北区山田町坂本大字丹生山384 its-mo

交通案内
 神戸電鉄有馬線箕谷下車 衝原行きバス丹生(たんじょう)神社前から1時間半丹生山頂上へ
この道はいわゆる丹生越と言われる古道であり、坂本より播州下村へ出る山道であり、丹生神社への参詣道でもある。

 また途中から義経が一ノ谷の合戦の際、鵯越の奇襲作戦に使ったと言われる義経道も残っている。

頂上の二の鳥居



祭神
丹生都比売命
摂津名所図会では山王権現(日吉神)、牛頭天王、大織冠を祭るとある。



由緒

参詣道の右側に鉱山道がある。帝釈天山のほうが赤土は多いそうだ。
  播磨国丹生山明要寺の開基伝説によると以下の通り。
 欽明天皇三年百済王子・童男行者が渡来し赤石の浦に到着した。時に老翁現れて,持っていた独鈷(金剛杵)を投げれば,行者はそれを追いかけて丹生山に行った所、桜樹にかかっていたので,ここに伽藍を起こしたのが縁起と言う。 明治になっての廃仏毀釈で鎮守社であったろう丹生神社が残ったようだ。
 独鈷(金剛杵)を投げて伽藍の場所を決める話は、高野山と空海の物語に似ている。

 紀の国の粉河寺の創祀にも,猟師大伴孔子古が童男行者の化身千手観音を祀ったのが始まりとの説がある。 宝亀元年(770年)。

 『播磨国風土記』によれば、神功皇后が新羅征伐に赴く時、集まった神々の中に爾保都比売命がおり、自分を良く祀ってくれるならば赤土を与えようと言った。その赤土を船体などに塗って新羅を攻略したと云う。赤土はアメ土とも言われる。これは雨、天の漢字に通じ、丹生都比売神が祈雨神ともなったのかも知れない。 この『播磨国風土記』の爾保都比売命を祀る神社の後裔かとも思われるが確証はない。

お姿
  参詣道は深い山の中の割には広いいい道である。照葉樹が多い。大きい岩が時々姿を見せる。

丹生越えの参詣道



 神社は平成5年に新しく立て替えられている。社務所が大きい。

本殿




お祭り
例祭 5月5日

丹生都姫伝承に戻る
神奈備にようこそに戻る