若狭彦神社・若狭姫神社
若狭彦神社 福井県小浜市龍前28-7  若狭姫神社 福井県小浜市遠敷65-41



若狭彦神社の鳥居




交通案内
東小浜駅南2kmに若狭彦神社 its-mo
東小浜駅南1km弱に若狭姫神社 its-mo



祭神
若狭彦神社 彦火火出見尊、若狭姫神社 豊玉姫尊


由緒
 若狭国遠敷郡の式内名神大社で若狭比古神社二座に該当する。元正天皇の勅願により715年に創建されたという 通称として若狭彦神社を上社、若狭姫神社を下社としている。

 両神は小浜市下根来(ねごり)の白石の里に降臨したと伝わり、白石神社が鎮座している。降臨地より少し下った清流の屈曲する深淵を鵜ノ瀬といい、東大寺二月堂の若狭井の水源とされるお水送り神事が行われている。 謂われは、二月堂の修二会では神名帳を読んで諸神を勧請したが、当社の遠敷明神は漁を行っており、これに忙しく、はせ参じるのが遅れたと云う。遠敷明神はお詫びとして、二月堂十一面観音にお供の閼伽水を送ると約束したと云う。

 神々の参集での遅刻の話は、和歌山の日高の笑い祀りで有名な川辺町江川の丹生神社にも伝わっている。
 丹生津比女命が出雲へ旅立つ朝、寝すごしてしまい、あわてふためいて着物を木にひっかけて破り、土産を持って行くのを忘れたので、村人たちは大笑いしたという。
 他愛もない昔話だが、「ニュウ」の共通があり、面白い。 東大寺の大仏建立には金が必要で、それを得る為には水銀に金を溶解して大仏に塗布し、熱で水銀を蒸発して金メッキを施すのであるが、その水銀が当地でとれたのかもしれない。小浜でなかっての若狭国には丹生郡があり、その一宮として遠敷明神と称えられたのかもしれない。

 また降臨の姿としては、唐人のいでたちで、白馬に乗り、白雲に居て、白石の上への垂迹であったと云う。 「白」が並んでいるのは「新羅」との関連を思わせるが、境内にはビンロウ樹も植えられており、鵜飼いが行われていたとの見方もあり、また祭神からも南方の雰囲気もある。とすれば、「白」は清浄を意味するものか。

 白雲は白雲別神を思わせ、これは吉野首の祖で、井光神の父神の名であり、神武天皇説話の井氷鹿との関連も水銀の丹生を強く思わせる。


 丹生都比売神の流れも、江南からなのか、また半島からなのか、議論のある所ではあるが、小浜の秦氏や丹生氏の存在は、当神社とは無関係ではなさそうである。

 当社の社家は笠氏で、祖神は吉備津彦系統の鴨別命とされ、こんな所にも吉備国の影響が見られるのも興味深い。

若狭彦神社の社殿

若狭姫神社の社殿


お姿

 共に社叢は豊かで、巨杉が立ち、苔生しており、水気に満ちている古社らしい神社である。 涼しげな森は森厳霊気を漂わしている。まれに見るよい神社。

 共に随身門を持ち、また江戸時代の造営となる県指定文化財の三間社流れ造の本殿である。



お祭り

若狭彦神社 10月10日 1日間 例祭

若狭姫神社  3月10日 1日間 例祭


参考 『寺院神社大辞典 近江若狭越前』、『平成祭礼データ』

丹生都姫伝承
紀の国 古代史街道
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