フサティ御嶽
沖縄県宮古島市平良西仲宗根 地図

参道とイビ


交通
芋ヌ主御嶽の北側 


祭神
テダノ主神、水ヌ神、トゥビトゥノ主


由緒
  14世紀の人で西仲宗根の首長保里天太の居城跡と伝えられている。保里天太に二人の男子がいれ、嫡子を保古利屋盛、次男をくじさかりと言った。保古利盛は機転がきかず無能で、くじさかりは器量人に勝り武術の達人であったから家督を一部の首長にふさわしい次男に嗣がせようと保里天太は常々話していた。保久利屋盛がこれを知って長男として生まれながら弟の下に立つとは末代までの恥だと悔しがり弟を亡き者にしようと村人たちを言葉巧みに誘って策を謀るが、くじさかりは兄の謀をいち早く知って城外へ逃れ、箕隅(城辺町友利)へ隠れ住んだ。家督を嗣いだ保久利盛は父の保里天太につらく当たり、やがて兄弟の家督争いに遭って悲嘆にくれる父を城から追い出してしまった。保里天太はくじさかりのいる箕隅に尋ね行くが、老齢と悲嘆から途中で倒れ、そのまま息絶えてしまった、と伝えられている。

 『宮古史伝』では、「保里天太の城は後の糸数城である」と云い、糸数城は「西仲宗根保里御嶽(又は不佐手御嶽とも書く)一帯の高地上に築かれた広大な所であったと云う。
 又、『宮古島庶民史』は、「旧城内に按司御嶽という所があり、糸数按司と彼の倭人を祭ると云われる。」と記している。
 

イビ


 

たたずまい
 高台にあり、遠くからでも御嶽の木々の密集の姿が見える。 フクギ、ガジュマル、クワノハエノキなどが生えている。標識は居城跡となっており、フサティ御嶽の名はない。二基の香炉が置かれたイビの中央にテダノ主神、左右に水の神、トビトリノ主神とそれぞれ神名が記され、古い長方形の鏡がひとつ安置されている。


 

お祭り
 正月 ウガン・ンツ(道)開け願い
 三月 ダミ(一年の最初の願い)
 六月 ユーダミニガイ
 九月 ユークィニガイマウサギ(守り神のニガイ)      



『平良綾道(アヤンツ)マップ』『平良市史』
2007.12.25


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