芋ヌ主御嶽(ンーヌ主御嶽)
沖縄県宮古島市平良西仲宗根 地図

標識


交通
宮古市役所の250m北東。


祭神
兄妹 かねどの・しらくにやすつかさ(鍛冶神・農業神)


由緒
 御嶽入口の掲示から
 この御嶽は西仲宗根の保里嶺東端に所在する。中国から芋を宮古に伝えた砂川親雲上旨屋(長真氏旨屋)をンーヌ主(芋の神様)として祀った御嶽である。
 1594年、長真氏旨屋は与人役(村番所役人)の時、御物宰領(御用物責任者)となって河充氏真逸らと琉球王府に至り、公事を終えて帰島の洋中、逆風に遭って中国に漂着した。丁度この年、中国にはルソン島から芋が伝わり栽培普及が行われていた。旨屋らは三年間中国に滞在し、1597年、芋かずらを持って帰国の途についたが、また、船が遭難して九州へ漂着、回航して同年、漸く宮古へ帰島した。旨屋らは芋かずらを分けて栽培普及につとめた。芋は五穀にまさり台風旱魃にも強く宮古の風土に適したので、人々は作物として競って裁植、五穀に代わって芋が主食になった。
 旨屋は1632年に砂川間切の頭職(親雲上)となり、10年後の1642年に琉球からの帰途八重山に漂着して病死した。後年、旨屋はンーヌ主(芋の神様)として御嶽に祀られた。この御嶽では戦後間もない頃まで、毎年8月に初芋を捧げてンーブーズ(芋の豊作感謝祭)が盛大に行われていた。
 琉球(沖縄本島)へは1605年に野口総監が中国から芋苗を導入、後年、琉球の芋が薩摩に伝わって「さつまいも」と称された。




 

たたずまい
 標識フサティ御嶽の名はないが、その南側の低地に芋ヌ主御嶽がある。
 道を背に祠が置かれている。線香を燃やした跡がその前に残る。宮古島の線香は平たく、キシメンのようなもの。


 

お祭り
     



『平良綾道(アヤンツ)マップ』『平良市史』
2007.12.25


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