宮古神社
沖縄県宮古島市平良西里 地図

鳥居


交通
宮古市役所の西北200m


祭神
伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊、與那霸惠源命、仲宗根玄雅命、目黒盛定政命

與那霸惠源命・仲宗根玄雅命・目黒盛定政命は宮古の多くの氏族の祖神であり、又政治経済文化の恩人。
 島の平和と生活を豊かに御護り下さる神々である。


由緒
『平成祭礼CD』の由緒
 昔、宮古志里萬の里に平良大首里大屋子なる者あり、琉球本島中山王府へ入貢の帰路、海上逆風に遭い、高麗(朝鮮)へ漂着して正に斬られんとしたとき、指を以って「琉球」の二字を地面に書き示し、琉球の神々に祈り訴えて命を助けられ、朝鮮に五年、支那に三年を経て琉球よりの進貢船に乗り帰国せり」と。
 平良大屋子はこれひとえに深き神恩によるものと、波上大権現(熊野三神)を勧請してあつく奉祀しました。
 大正十四年、平良町では西里一番地に町社宮古神社を創建し、与那覇恵源(宮古開基の祖)仲宗根玄雅(宮古中興の英主)を祀った。
 昭和十五年、紀元二六〇〇年の事業として、宮古神社を県社に昇格させんとして、権現堂の三神を合祀、境内地を西里五番地に移し、十六年より造営着工、十九年六月遷座祭、奉祝大祭が斎行された。ついに県社昇格が決定したが、戦災炎上。
 戦後漲水御嶽に神霊を合祀、二十四年「宮古神社復興期成会」が組織され、三十一年には祭神に目黒盛定政が増祀。
 祖国復帰の昭和四十七年現境内地に小祠を建て奉斎し復興計画着手。昭和五十五年に至って本殿拝殿を始め諸施設竣工し、十一月に遷座祭、奉祝祭斎行。
   以上

拝殿


 

たたずまい
 漲水御嶽前から本殿が遠望できる。
 流石に神社であり、御嶽の雰囲気とは異なっているようだ。木々が少ないこと。社殿がきれいであること。 神社本庁に加盟していること。おそらくは一つの宗教法人なのであろう。

漲水御嶽前から見た本殿



お祭り
 11月 3日  明治祭    



『平成祭礼CD』
2007.12.25


神奈備にようこそ