古宮八幡神社 こみやはちまん
豊前 田川 福岡県田川郡香春町大字採銅所2611 ゼンリン


古宮八幡神社の鳥居



交通
日田彦山線 採銅所駅前の小山


祭神
豐比命、神功皇后、應神天皇


由緒
 三ノ岳の東麓の彩銅所に鎮座するこの神社は香春神社の元宮とされる。祭神は豐比命一座との見方がある。 香春神社古縁起によると採銅所の阿曾隈の社を信じ和銅2年新宮を勧請し奉り
香春是也、本・新両社と号すと江戸時代に記されている。 またより古くは岩本と云う所に祀られていたと伝わる。阿曾隈から現地には400年前に遷座したと云う。


香春第三岳の中腹の阿曾隈の社跡





 香春一の岳の南麓の香春神社の前の道は、奈良時代から平安時代にかけて官の古路と呼ばれ、都と太宰府との間の官人の通路であった。 その道筋に豐比命は遷座し、香春の神を祀る採銅技術を持つ秦氏の威勢を示したのであろう。

 清祀殿跡を示すのは三柱の花崗岩が木の後ろに立っているものである。宇佐神宮に奉ずる銅鏡を作り、この三柱の磐座にまず奉げたようである。 宇佐神宮の大元山の奥宮にも三柱の磐座があり、比神の降臨地とされているが、8世紀半ばには、比神は、出先に検収に行く立場に落ちていたのであろう。
 建物横の説明によれば、清祀殿とは清い祀りを行う荘厳な場所と云う意味だそうである。屋根は板葺、九尺間を一間とする三間四方で、中は土間で中央に鍛冶床があった。 隣には長光家があり、銅鏡の製作にかかわった子孫である。長光家の古文書によると、ここの設備は、天照大神社一宇、清祀殿一宇、神宿殿一宇、勅使殿一宇、在府官人小屋一宇だったそうである。


清祀殿と香春第三岳




清祀殿跡を示す木の背後の斜めになっている三柱の石



たたずまい
 鳥居からは急勾配の石段である。駅前から小山の方に行く道があり、よく利用されている。 
 この社から清祀殿へは三の岳の北側を通る牛斬山ハイキングコースに当たる。
 阿曾隈の社へは、三の岳の東側を南へ下って行くと、宮原の地に立て看板がある。中腹までの相当な道である。


古宮八幡神社の拝殿と本殿

 




お祭り

  4月 日 2日間 最終土曜日 神幸祭

参考文献
古代九州の新羅王国 泊勝美氏(新人物往来社)
日本の神々1 田村園澄氏(白水社)
鬼神への鎮魂歌 千田稔氏

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