鏡山大神社かがみやまだいじんじゃ
豊前 田川 福岡県田川郡香春町大字鏡山字南原705 ゼンリン
鏡神社鳥居と香春岳一の岳
交通
採銅所南5km
祭神
神功皇后、仲哀天皇
由緒
平成祭礼データCDから
仲哀天皇の御代、天皇は神功皇后と共に熊襲を御征伐になられたが、やがて陣中に崩ぜられた。 皇后は熊襲の叛服常なきは新羅の後援によるものとて、御親ら男装し舟師をひきい新羅に向はせられた。
その途路、此の岡に天神地祇を祭り、必勝を祈願し御魂代として御鏡を鎮め給ひ崇め給いしが、御社の草創と伝えられるが、祭神は神功皇后を主神に仲哀天皇及び応神天皇(西暦二七〇年)を併祀せられたる神社にして御鎭座より此の方一千七百余年を閲する御宮居である。
神主は鶴賀氏が兼務であり、氏に、より深い由緒を確認したのだが、伝わっていないとの事であった。また現人神社の祭神の都怒我阿羅斯等からのツルガではと問いかけたが、
付会であろうとの事であった。なお香春神社の隣の家も鶴賀氏で、神主さんのようだ。
豊前国風土記逸文
田河の郡。鏡山。昔、気長足姫尊(神功皇后)がこの山にいらせられて、はるかに国状をご覧になり、祈って申されるには、「天神も地祇も、私の(新羅征伐の)ために幸福を与え給え」と。そして御鏡をもってここに安置した。その鏡は化して石となり、現に山の中にある。それで名づけて鏡山という。(『万葉集注釈』三)
鏡神社拝殿
たたずまい
香春岳三山の一岳、三岳と正三角形をなす位置に鎮座している。 三山を大和三輪明神の三鳥居と見れば、鏡山は御神体の三輪山の位置に当たる。
古宮八幡や香春神社のほうが名高いが、あんがい面白い歴史を秘めているのかも知れない。
宮内庁管轄の河内王の墓のある古墳の小山に鎮座している。
万葉集 按作村主益人従豊前國上京時作歌一首(三の三一一)
梓弓[アズサユミ]引き豊国の鏡山 見ず久しならば恋しけむかも
万葉集 河内王を豊前国鏡の山に葬る時、手持女王の作る歌三首
王の親魄逢へや豊国の鏡の山を宮と定むる(三の四一七)
豊国の鏡の山の岩戸立て隠りにけらし待てど来まさず(三の四一八)
岩戸破る手力もがも手弱き女にしあれば術の知らなく(三の四一九)
本殿
お祭り
3月 日 1日間 春分 春季例祭(彼岸祭)
5月 2日 2日間 例祭(神幸祭)
9月 日 1日間 秋分 秋季例祭(彼岸祭)
吉野裕訳『風土記』、『平成祭CD』
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