虎 饕餮 銅鼓 銅鐸 日本の神々 平22.1.31 神奈備


1.虎
中国    虎は神または神の遣いであり、百獣の長。狩猟用にも飼われる。
虎の恩返し    妻がお産で苦しんでいたのを、人が助ける。動物の肉が届けられる。 山姥。
新石器時代   死者の左右から貝殻でかたどった竜と虎が出土。雲は竜に従い、風は虎に従う。
虎       竜と鳳凰が皇帝のシンボルに。虎は実在だからだんだん神聖さを失い降格してきた。
朝鮮 昔のことを、虎が煙草を吸っていた頃と言う。日本では草木が物を言う。
境目 熊と虎はニンニクとヨモギ(境目に現れる穢れ)を食って人間になる。虎も境や市に。
万葉 韓国の 虎といふ神を 生け捕りに 八つ捕り持ち来 その皮を 畳に刺し ・・ 3885
インド 最も重大な誓いは虎の皮の上に座ってたてる。日本では熊野午王紙。
カンボジア 虎が栖から出るとき、何気なく尻尾を回す。その尖を見て向かう所を占う。
tiger ティグリスが語源。流れの速い川・素早く飛ぶ矢からと言う。
紀小弓 竜のごとく驤り、虎のごとく視る。
天武天皇 虎著翼放之。
四天王寺 都の貴人を迎える時、柱に豹や虎の皮で包む。トーテムが柱を伝って地上に現れる。
日本 旧石器時代の牛川原人の遺跡から虎の化石骨。10万年前小型の虎がいた。
日本 2万年前 静岡県三ヶ日町の石灰採石場から虎の顎の骨。時は半島と陸続き。
紫式部日記虎の頭の形をしたものの影を産湯に映すと、赤子が無病で成長する.
狂歌 緋縮緬 虎の皮より 恐ろしい 女房の虎の子は亭主に踏まれ

2.大陸の歴史
神話 黄帝は指南車を使って方位を示し、蚩尤(しゆう)民族を破った。山東半島の苗族。兵主。
饕餮 黄帝と争った蚩尤は 殺されその首は晒される。その頭が饕餮と言われる。
 歴史 四千年前、堯、舜、禹の北方華夏部落と長江中流の三苗に戦争が発生し三苗は敗北。
 BC3300 長江文明に属すると見られる三苗は屈家嶺文化の民、銅鉱石と銅片あり、最古の
金属使用の可能性あり。銅鉱石と銅片が出土。

3.青銅器
殷 殷鐸 鐃 上に向けて振り鳴らす。長江を渡った江南の要所要所に埋納。南方への呪鎮。
苗族と楚 銅鼓 広い場所で鳴らし、上向けから下向けに変化。鐃に対抗して埋めている。
銅鼓には絵が描かれている。現在でも地中・水中に保管されている。
周 周鐘 つり下げて鉦の部分をたたく。
銅鐸 三苗の銅技術から銅鼓と銅鐸とに分化したと考えられる。銅鼓の民の来日?
中国の青銅器
獣面紋 苗族では饕餮を於兎(オト)と言う。オタクとも言う。於兎はトラを意味する。
饕餮 鼎 殷周時代の青銅器で正面向きの怪獣面の展開文様。最も力のある神。虎とされる。
その目睨んで見せまするぅ
悪神は内にあっては邪悪だが外に向かって四方に放ち塞の神とする。多賀城と
饕餮文 目から上に胴。顔の両側に広がる線は「気」。銅鐸の紋に通じるか。アラハバキ。
初期銅鐸の邪視文は饕餮文の流れにある。目だけの模倣が邪視文。
邪視文 縄文中期の土器(ミミズク、ハヤブサ) 遮光式土器。
容器に怖い顔を画くのは悪霊(ばい菌など)が入らないようにする為。
邪視と言えば 猿田彦神 → 銅鐸。
三星堆遺跡 BC9世紀。小型銅鐸様製品が出土。これは稲作との関係もありや。
猿田彦神と銅鐸 『伊賀国風土記逸文』に、「猿田彦の女の吾娥津媛命は、四(日)神之御神の御神が天上から投げ降ろしなさった三種の宝器のうち、黄金の鈴を受領してお守りになった。その領有した御いわいどを加志の和都賀野のいった。現在の手柏野。」とある。 近江 三尾神社 猿田彦神曰わく。我が死ぬと銅鐸が鳴り響くであろう。
古語拾遺 天目一箇神をして雑の刀・斧・及び鉄の鐸(古語に佐那伎といふ。)を作らしむ。

銅鐸と関連しそうな神。
鐸 佐那伎 佐那具・佐鳴湖・散去・散岐・讃岐・金鑚・猿投・佐嚢・草薙・須佐名男・手力男(佐那神社)
と スス 収穫期にはススキに神が宿る。須須美大神=櫛御氣野命。濯ぐ。
神 スキ 阿斯受岐高彦根命
名 くすみ 熊野久須毘命(結びの神) 足名椎神 大山祇・海神
くす 大物主櫛甕玉神 櫛稻田姫神 櫛玉饒速日神(伊福部の祖)
天照大神・素盞嗚尊・蛭子 可美真手命 大山祇・海神・風神 金山彦神
事代主神(鴨の神) 兵主神(蚩尤) 五十猛神(韓鍛冶)
大雷神(火雷神、生雷命、雷公神) 別雷神(賀茂の神)
銅鐸の出土 銅矛・銅剣と一所に出土している。元々は実用に供されていた。大型化で祭器化した。
銅鐸の目的 銅剣銅矛と同じく祭器兼武器だから没収される。銅鐸狩り。没収を免れるため、埋納 したままにしておいた。発見されれば鏡に改鋳された。
敵への威嚇は悪霊への威嚇に通じる。稲作に害するモノにも。鹿は田を荒らす。
絵 イノシシ シカ トンボ スッポン カマキリ ツル カモ カエル 稲倉、脱穀 稲作業。
南方系の稲作民が銅鐸を使用した。但し絵は一割(50器)のみ。模様は多い。
純粋な祭器であり、武器の要素がなければ、新しい統治者も敬意を払ったかも知れない。
銅鐸の流通 商品として流通していたのであろう。遠隔地から同范鐸が出土している。

5.どっこい銅鐸は語っている。神々も語っている。
銅鐸出土県 島根 54、兵庫 45、徳島 45、和歌山 38、静岡 36。愛知 33、大阪 32
銅鐸は小型から大型に変化しつつ、分布圏は九州から東へ徐々に移道。最後は東海関東。
狗奴国か 銅鐸の時代(2世紀まで)と神々の人格神化の時代とはいささか違いはある。それと後世に祭神は勧請されていき、初期のクッキリした時代からはぼやけて来ているだろう。ぼやけては来てはいるが、その地域で大いに崇拝を受けているので、増幅もされている。
神々の特長
**兵主神 兵主神とは蚩尤のこと。その首を饕餮紋としたと言う神話にかかわっている。
**饒速日尊 銅鐸製造集団の一つである伊福部氏の祖である。
**可美真手命 物部の祖、伊福部の祖。
**蛭子    海に流されたとされる日の神である。葦で納豆をつつみ、蛭児を入れて流した。サナギの姿に注意。
*事代主神 天孫に国を譲り、海に身を隠した神である。戦争時の託宣、農耕、鴨の神。
海神        最古の神  少童神  綿積神
素盞嗚尊    鏡を依代とする天照大神への対抗神、國津神の祖、産鉄神とも。
*金山彦神 金属神がこの神に置き換わっていったともされる。
猿田彦神    邪視神であり、また銅鐸とのかかわりが深い伝承が残る。海の中で死ぬ。 **熊野久須毘命 熊野本宮大社、熊野大社の神 結びの神
*足名椎神 古い神

苗の銅鼓 上面に太陽 湖上の船 カエルなどの絵

bc2000〜bc1000 三星堆遺跡

良渚文化 目とする

新 紀元0年の頃 虎が伏ギと女かを抱いている

殷後期

銅鐸 邪視

虎 饕餮 銅鼓 銅鐸 日本の神々 その2

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