お口直しになりますやろか。一席どうぞ。
マナと言う言葉があります。真名と書き、天真名井、真名鶴、真名子とかの使われ方が散見されます。真名子は可愛い子と解釈されています。井戸や鶴は可愛いと言うよりも、別の意味があるのかも知れません。 大三元さんからは、「雑駁に:「マ」は「眞」、「マナ」は「眞・愛」「可愛」あたりの意味合いで不都合には思っておりません。」、「メラネシアの信仰にマナがあるんですね。どれほど古いものと考えて良くって、従って、古代日本と関連づけて良いのか判りませんけど。」と慎重な意見をいただきましたが、神棚にお祭りしておいて、下の方でゴソゴソと。 全く意味のないいわば単なる語調で真名がついているとは思いにくい所です。 マナと言うことばで現される概念に、「魂であり、気、超越した力を発揮するモノ」があります。魂でも遊離魂(死んでも残るモノ)ではなく、魔力を発揮するモノがマナなのです。 赤道付近の島々では、マナギ、ママアナ、マヌなどと呼ばれています。印度ではブラフマン(梵)、末那識(マナナ)など。ブラフマンは、物質の世界を変える儀式や犠牲の力を意味するそうです。お釈迦様の母親は摩耶夫人と言います。摩術の力を持っているのでしょう。「アフリカでは、マハノ、ナム、ムングなど。古代ヘレニズム世界ではマナ、マニア、「出エジプト記」では、ヤハウエが降らしたパンのような食べ物で神与の糧を言うようです。
沖縄ではマヤ神(真世神 マユンガナシ)、この神はアジマサの蓑笠をかぶり、雨の日に各戸を訪れる祭りがあり、素盞嗚尊の天降りのシーンを思わせます。
さて、日本語の中に「マナ」と言う言葉があって、同じような意味だと『辞典』などに書いてくれていれば、それでいいのですが、大三元さんによりますとどうやらなさそうです。 さまざまな学者さん(村山七郎、岩森永樹、小松和彦、大和岩雄の諸氏)は、モノはマナと同じ運動を現す言葉と言っています。マナ→モノとは言わずに、同じ運動とはうまいこと言うものです。 修験者のマナ 護法童子と言う神霊で本尊の眷属神 陰陽道のマナ 呪力で、具体的には式神 市井の宗教家 人々にない能力としての動物霊 高知の物部村 いざなぎ流では、マナは式王子と言う後たての神(守護霊)の総称だそうです。
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