Uga 防人

                  
                              
1. 律令国家の誕生
 弥生時代は田を耕して、税を納めればおしまいで、国への何の義務もなかった。水争い、稲泥棒をみはっていれば、後は呑気なものと言えよう。
 国民国家が形成されてくると、国民は飢えと侵略を防ぎましょうと言うことになり、一人一人が重荷を背負う必要が出てきた。国のために黙々と死んでいく、庶民の悲鳴が聞こえてくる。
 白村江以後、防人の制度が出来、東国から兵士が調達されて、筑紫・壱岐・対馬に赴任し、60日の兵役と耕作に従事した。任期は3年だが、時に延長された。『魏志倭人伝』によると、軍事的副官のヒナモリがおかれた国は、対馬、一支、奴国不弥国であり、古代の防衛線は変わっていない。

防人徴発の地

 防人の徴発は、先ず、新羅・唐からの船で上陸してこないと思われる地域からである。侵略軍は、太平洋の黒潮を乗り越え、潮岬、熊野灘、遠州灘を越えての船の攻撃はなかろう。更に、この地域は経済的にも、文化的にも立ち遅れていた。権力が目を付けたのである。
 戦前、『愛国百人一首』が斎藤茂吉、折口信夫等によって選別された。
4370 霰(あられ)降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍(すめらみいくさ)に我は来にしを
 鹿島の神に祈願をこめて、天皇の軍に私は加わってきたのだ。
この二首は、那賀郡(なかのこほり)の上丁(かみつよほろ)、大舎人部(おほとねりべの)千文(ちふみ)。
4369 筑波嶺の早百合(さゆる)の花の夜床(ゆとこ)にも愛(かな)しけ妹そ昼も愛しけ
 筑波山のさ百合の花の夜床、そこでもいとしい妻は、昼もいとしいよ。
この歌は「愛国」にははいらない。
  東国武士として武運長久を鹿島の神に祈って出征することを、「鹿島立ち」と後世に呼ばれた。防人の歌の主題は勇気凛凛ではなく、愛する者との別れ、それも3人に2人は帰ることのない別れであった。病没・餓死・逃亡など。。
4382 太小腹(ふたほがみ)悪しけ人なり疝病(あたゆまひ)我がする時に防人に差す
 右の一首は、那須郡の上丁、大伴部廣成。
 ふたほがみ は悪い人だ。あた病を私がしている時に防人に指名した。
 これも「愛国」には選ばれていない。と言うより、防人に指名した地方の長官を非難し、恨みを歌っている歌であるが、これを選者の大伴家持に提出し、家持が拙歌として落とさずに、万葉集に入れたのである。おおらかな時代であったようだ。
 万葉集に進上された歌は歌数 166首 、その内 拙歌 として 77首がふるい落とされている。よくも残ったもの。なお、選別率は 53% である。
 東国から集められた防人は難波に集結する。装備は自前、食料は難波往復自弁である。赴任地では食料生産した。明治の屯田兵と同じである。国は費用があまりかからない防衛が出来たことになる。
 約3千人の防人を筑紫,壱岐,対馬に常駐させた。
 律令制では、21〜60歳の男子は、3年間の防人の軍役につく義務があり、その大半は筑紫地域,大宰府などに配置され,筑紫地域の内外の軍事に活用された。防人の生活は、60日間軍役につき,他の日々は農業生活を営むのであった。
 4402 ちはやぶる神の御坂に幣まつり斎ふ命は母父(おもちち)がため
 右の一首は、主帳、埴科郡(はにしなのこほり)、神人部(かむとべの)子忍男(こおしを)。
 御坂の神に幣をささげて無事を願うわが命は父母のためのものである。
 御坂は長野県の南部の阿智村にある峠で、美濃との国境にある。ここから千数百点にのぼる石製模造品が出土し、これがこの歌の「幣まつり」の幣の原型であることが実証され、峠神祭祀のため手向けられたぬさの実態と符号したことである。神坂峠遺跡は国指定の史跡となり、出土した石製模造品等は阿智村の文化財になっている。防人の遺跡ともいえる。
 しかし、東国からの防人の補給は難しく,停止・復活をくりかえし、9世紀始めに,選士・衛卒制に移行し,防人制はなくなった。
 難波に集合した防人達は住吉の神に無事を祈って赴任していった。筑紫、壱岐、対馬にはそれぞれ名神大社の住吉神社が鎮座している。


2. 時代
663 白村江の大敗。西国の軍人が枯渇の中、軍事態勢を強いられた。
664 対馬・壱岐・筑紫国などに防人と烽(すすみ)を置いた。また筑紫には大堤を築いて水を貯えた。これを水城(みずき)と名づけた。
665 達率答春初を遣わして、長門国に城を築かせた。達率憶礼福留、達率四比福夫を筑紫国に遣わして、大野と椽に二つの城を築かせた。
667 「倭国高安城、讃岐国山田郡の屋島城、対馬国の金田城を築いた。
669 八月天智天皇は高安城に登って、城を築くことを相談された。しかしまた人民の疲れていることを哀れんで、造造されなかった。冬、高安城を造って、畿内の田税をそこに集めた。
  670 高安城を造って殻と塩を蓄えた。
    防人とされた人々はどのようなレベルの人だったのか、
   万葉集に採録された歌に作者の名が記載されている。
 4348 上総国 国造の丁(よほろ)、日下部使主三中。国造の丁 集団の長
 4349 上総国 助丁(すけのよほろ) 刑部(おさかべの)直(あたへ)三野(みぬ)。助丁 副う存在。
 4350 上総国 主帳(ふみひと)の丁、若麻續部(わかをみべの)諸人(もろひと)。主帳の丁  集団内の庶務的会計を司る存在。
 4351 上総国 望陀郡(うまぐたのこほり)の上丁(かみつよほろ)、玉作部國忍(くにおし) 上丁(かみつよほろ)  一般兵士。防人として上番する丁男。
 4373 下野国 火長(かちょう)、今奉部(いままつりべの)與曽布(よそふ)。火長 その10人単位。
 4376 下野国 寒川郡の上丁、川上巨老(おほおゆ)。
  防人の序列に従って歌は並んでいる。
   防人の歌で構成されている巻二十には、213首採録されており、そのうち物部姓とわかる人は10首である。
   姓を持つものが中心。無学文盲の農民ではなかろう。農民であったとしても富農であろう。


3、鹿島立ち
   常陸の国に鎮座する鹿島神宮の正殿は、神社には珍しく北を向いており、これは国全体の北方を護るためだと古くから言われてきた。日本の国にとって、この地は永らく北の護りの要であり、国土鎮護の宮だったのである。万葉の時代には利根川は今日のような大河ではなく、時に洪水を起こす地方の川だった。常陸・下野や下総の人々が主に鹿島立ちを行ったのであろう。その際、祈った神は阿須波の神であった。
  4350 庭中の阿須波(あすは)の神に小柴さし吾(あれ)は斎はむ還り来までに
庭の中の阿須波の神に小柴をさし供え、私は身を清めて行こう。無事に帰ってくるまで。
  阿須波の神とは、居住地を守り給う住居守護の神、また行路の安全を守り給う旅行安全の神である。鹿島神宮の前の神である。冒頭の4370の歌が、「鹿島立ち」を歌ったものとされる。

 また、鹿島立ち を 鹿島の神が大和へ旅立ったことを指すとする見解もある。
  鹿島神宮の祭神、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)は、 奈良の春日大社の祭神として勧請(神仏の霊を移し祀ること)された。その際、命は、常陸(茨城県)の鹿島から 白鹿に乗って出立され、一年ほどかけて 奈良の御蓋山(ミカサヤマ/春日大社)に至り鎮座された、このことに因んで、旅に出ることを「鹿島立ち」といわれるようになった。
 なお。『日本国語大辞典』には、【鹿島立】旅に出かけること。旅立ち。出立。『菟玖波集』(つくばしゅう)は、南北朝時代に撰集された連歌集に記載。巻数は20巻。句数は2190句。以上の構成は、勅撰和歌集の部立てに倣ったものである。1356年(正平11年/延文元年)とある。『菟玖波集』が「鹿島立ち」の初見と思われる。
 『上記;ウエツフミ』1223年、豊後国守護の大友能直がサンカの伝承などを編纂したもの。天児屋根命は、天照大御神が天岩戸に籠った時、岩戸の前で神楽を奉じた神である。天孫降臨に際して降臨に従っている。天孫降臨が「鹿島立ち」から始まり、鹿島から鹿児島へと移動した。
 『秀真伝:ホツマツタエ』は記紀より古いとされている古伝である。ここでは、鹿島立ちとは、オオナムチを成敗(国譲りをさせる)するための決起集会を鹿島立ちと称している。オオナムチの国(シマ)を断つとの意味で使っている。ホツマは、『菟玖波集』1356年(正平11年/延文元年)以降の作ではないかと思われる。


4.鹿島と杵島
『常陸国風土記』崇神天皇の時代、建借間命を辺境の荒賊を平定の為に差し向けた。霞ヶ浦の東の浦に、国栖の夜尺斯・夜筑斯に率いられた凶賊がいた。命は一計を案じて、波打ち際をにぎやかに美しくかざり、杵島ぶりの歌曲を歌い七日七晩歌舞を行った。賊党は興味を持って全員浜にやって来た。この時に兵に命じて一網打尽とした。
 『肥前国風土記逸文』三つの峰が相連なる。名づけて杵島と曰ふ。坤のかたなるは比古神と曰ひ、中なるは比売神と曰ひ、艮のかたなるは御子神(一の名は軍神。動けば則ち兵興る)と曰ふ。
  あられふる 杵島が岳を 峻(さか)しみと 草採りかねて 妹が手を執る。
 是は杵島曲なり。
  景行天皇はここを「惇戟島 かしま」と名を付け、これがなまって きしま となったとある。鹿島と枕詞が同じ。杵島の神々は、素戔嗚尊・稲田姫・五十猛命と見なされている。
 鹿島の軍事的性格のルーツは五十猛にあるようだ。


杵島山
                                  以上
参考書
半藤一利 『万葉集と日本の夜明け』
龜山 勝 『安曇族と住吉の神』
東城 敏毅 『万葉集防人歌群の構造』 中西進 『万葉集』

史話

神奈備にようこそ

H19.7.7