聖徳ショウトク太子タイシ物部モノノベ推古スイコ天皇テンノウ 神奈備 2009.6.21
西暦セイレキ 大王ダイオウネン
欽明キンメイ 仏教伝来。綜合ソウゴウ文化ブンカ。歡喜踊躍 佛像流堀江。宣化センカムスメ石姫を皇后に。敏達他。
540-571 蘇我ソガイネムスメカタシオヒメ7オトコ6オンナトヨショクスイヒメミコトなどをセイむ。寵愛チョウアイアネクンウツる。
蘇我ソガイネムスメアネクン4オトコ1オンナアイダヒトアナ皇女ミコ用明ヨウメイ皇后コウゴウ聖徳ショウトク太子タイシハハ
各地カクチ屯倉ミヤケ設置セッチ具体的グタイテキ全国ゼンコク支配シハイ開始カイシ アネクンハハ丹後タンゴヒト
間人穴穂部皇女は丹波タンバのタイザに伝承デンショウノコっている。
敏達ビタツ 不信佛法而愛文史(しるしのふみ)。ブツ命令メイレイ皇后コウゴウヒロヒメサカヒコヒトオオアニ皇子ミコ
572-585 ヒロヒメ死後シゴ皇后コウゴウは豊御食炊屋姫尊。竹田皇子と皇女六名。吉備キビ屯倉ミヤケ
577 敏達ビタツ06ネン マツワタシ皇妃コウヒのための)を設置セッチカミはタカミムスヒカミ。←どこの神社ジンジャだ!
581 敏達ビタツ10ネン ズイ建国ケンコク テンコン神社ジンジャ
584 敏達ビタツ13ネン 蘇我ソガウマ司馬シバタツヒトムスメ出家シュッケさせる。ゼンシンアマ。←最初サイショ出家シュッケ女性ジョセイだ!
586 用明ヨウメイ01ネン 信佛法尊神道 キサキ葛城カツラギチョクイワムラオンナ広子ヒロコカオヒメ皇女ミコ
ヒメ皇女オウジョ伊勢イセ神宮ジングウツカわしモノイミミヤとし、カミマツる。以降イコウ37ネンつとめる。
アナカンヒト皇女コウジョ皇后コウゴウにする。聖徳ショウトク太子タイシ3オンナセイ。『ウエミヤ用明ヨウメイ死後シゴ再婚サイコン
587 用明ヨウメイ02ネン 物部モノノベモリホロぼされる。ウマオトウト物部モノノベ大臣ダイジン名乗ナノる。財産ザイサン撤収テッシュウ
588 タカシタカシ01ネン 大伴糠手連の女、小手子を妃。一男一女生。馬子、善信尼らを百済に留学。
593 推古スイコガンネン 政治混乱収拾。最高サイコウ巫女ミコ。欽明の娘、敏達の皇后、竹田皇子を大王にしたい。
聖徳ショウトク太子タイシ摂政セッショウになる。4天王寺テンノウジ建立コンリュウ開始カイシ
599 推古スイコ07ネン オオ地震ジシン天皇テンノウオンナインヨウがなく地震ジシンヨウタメ天下テンカトミウゴかべくゼイ免除メンジョ
600 推古スイコ08ネン 『隋書倭伝』倭王、姓は阿毎、字は多利思比孤、阿輩雛彌と号。天を兄、日を弟
日が出れば弟に政務を任せる。王の妻は雛彌、太子を名づけて利歌彌多弗利となす。
601 推古スイコ09ネン 聖徳ショウトク太子タイシ斑鳩イカルガミヤ建立コンリュウ ┗→ コクオクれに衝撃ショウゲキけたのでは
603 推古スイコ11ネン カン十二12カイ制定セイテイコン田宮タミヤアサドウ朝廷チョウテイ)の造営ゾウエイ → レイホウ政治セイジ体制タイセイ刷新サッシン
604 推古スイコ12ネン 聖徳ショウトク太子タイシ憲法ケンポウ一七17ジョウ作成サクセイする。
607 推古スイコ15ネン 隋書ズイショヤマトデンオウオモ使ツカいをツカわす。国書コクショに、ずるショ天子テンシ
ボッするショ天子テンシイタす。ツツガなきや。 → サクフウ体制タイセイからの離脱リダツ
日本ニホン書記ショキ小野オノイモウトオオトウツカわした。
608 推古スイコ16ネン ズイショデンズイヨウテイハイセイジュウ8ヒンカン)を答礼トウレイ使としてコクツカわす。
日本ニホン書記ショキ小野オノイモウトオオトウから帰国キコクハイセイシタキャク十二12ニン筑紫ツクシいた。
小野オノイモウト、「クニショ」を百済クダラ紛失フンシツ報告ホウコクするもツミわれず。推古スイコウマんだ。
┗→ 高句麗コウクリ敵視テキシをやめるように要請ヨウセイか?これが失敗シッパイ
┗→ 聖徳ショウトク太子タイシ外交ガイコウ頓挫トンザ政治的セイジテキ失脚シッキャク
612 推古スイコ20ネン ケンシオヒメヒノキクマダイミササギアラタめてホウムった。丸山マルヤマ古墳コフンオクヒメ手前テマエサキんだ欽明キンメイ
617 推古スイコ25ネン ズイ滅亡メツボウ ┗→ 推古スイコ欽明キンメイカタシオヒメへの寵愛チョウアイウスれ、アネクンウツったのをウラんで
1 推古スイコ26ネン トウ建国ケンコク いた。欽明キンメイアネクンやそのんだニクんでいた。
620 推古スイコ28ネン 天皇テンノウ」、「クニ」を編纂ヘンサンする。
621 推古スイコ29ネン ヒメ皇女オウジョサイグウ退死亡シボウ。『法隆寺ホウリュウジ資料シリョウアイダヒト皇后コウゴウ薨去コウキョ聖徳ショウトク太子タイシ薨去コウキョ
加手姫皇女と穴穂部間人皇女とは同一人物か。
627 推古スイコ36ネン 推古スイコ天皇テンノウ崩御ホウギョ 酢加手姫の齋宮期間と推古天皇の在任期間がほぼ一緒。
632 舒明ジョメイ04ネン 使の高表仁、倭の王子と争って朝命を宣らずに帰国。外交ガイコウ王子オウジ役割ヤクワリ
隋書ズイショヤマトデンオウテンアニオトウト推古スイコオウアニであり、太子タイシオトウトニナっている。サイオウ推古スイコか。
ウタフツ  ワカフタリ(ワカオキナ タトえば長屋ナガヤオウ子女シジョで、3オウす。
多利思比 天足彦は大王の呼称。またはタリシヒコ→タイシヒコ 太子日子 聖徳太子のこと。
阿輩雛彌 アメキミ テンクン オウツマクンアネクンとか。
ソウショ用明ヨウメイ天皇テンノウユウイワ聖徳ショウトク太子タイシ・・ズイヒラチュウケン使・・モト法華経ホケキョウ。→オモ聖徳ショウトク太子タイシ
ダイトウ ズイであるのに何故ナゼダイトウいたのか?
ズイ皇帝コウテイ天子テンシであった。高句麗コウクリズイとは犬猿ケンエンナカ聖徳ショウトク太子タイシである高句麗コウクリソウケイ智恵チエ
飛鳥アスカ時代ジダイ当初トウショは、神道シントウ祭祀サイシ政治セイジツカサド分権ブンケンがあった。トコロ仏教ブッキョウ政治セイジ世界セカイた。
仏教ブッキョウ伝来デンライ以後イゴアニ仏教ブッキョウ信仰シンコウする場合バアイカミマツりをニナサイグウいた。 用明ヨウメイサイグウく。
伊勢イセ神宮ジングウサイグウ制度セイド天武テンムチョウより、皇女ミコオモムいてつとめることとなった。
720ネン日本ニホン』が完成カンセイ、813ネンまでに『日本書紀ニホンショキ』が完成カンセイ
推古スイコトヨショクスイカミアサハナムケササげる。 ければ政務セイム太子タイシオコナう。
仏教ブッキョウにおけるオンナ役割ヤクワリ弥勒ミロク菩薩ボサツゾウ女性的ジョセイテキ最初サイショ出家シュッケ女性ジョセイ
皇位コウイ継承ケイショウ予定ヨテイシャ外交ガイコウツカサドる 安閑アンカンフルヒト聖徳ショウトク 
蘇我ソガ物部モノノベ財産ザイサン簒奪サンダツ状況ジョウキョウ
蘇我ソガ地名チメイ28のうち氏族シゾク地名チメイ重複チョウフク割合ワリアイ 氏族シゾク地名チメイナニ%が物部モノノベ重複チョウフク
蘇我ソガ地名チメイムネワレ宜、ムネナニムネムネ宜) 物部モノノベ地名チメイ神社ジンジャ人名ジンメイゴウクビなど)
氏族シゾク 分布ブンプグンカズ   重複チョウフクグンカズ 重複チョウフク蘇我ソガ 氏族シゾク グンカズ 重複チョウフクグン 重複チョウフクリツ 洋服のあおきとはるやま
蘇我ソガ 28   28 100 蘇我ソガ 28 15 54 ダイ
物部モノノベ 91 15 54 ダイ 物部モノノベ 91 91 100
和珥ワニ 27 9 32 和珥ワニ 27 14 52
三輪ミワ 60 7 25 三輪ミワ 60 13 22
中臣ナカトミ 22 6 21 中臣ナカトミ 22 15 68 ダイ
ハタ 62 9 32 ハタ 62 29 47
ヒガシカン 42   10 36 ヒガシカン 42 18 43
蘇我ソガ地名チメイ半分ハンブン物部モノノベ重複チョウフク。→守屋モリヤ討伐トウバツ物部モノノベ財産ザイサンウバったとオモわれる。
『皇極二年』蘇我大臣蝦、縁病不朝。私授紫冠於子入鹿。私授紫冠於子入鹿。擬大臣位。
復呼其弟曰物部大臣。大臣之祖母物部弓削大連之妹。故因母財取威於世。(ベツデンヒメ
中臣ナカトミ地名チメイ物部モノノベ地名チメイとの重複チョウフクリツタカい。中臣ナカトミ物部モノノベ派生ハセイ氏族シゾクケイヌシカメツチ共通キョウツウ
和珥ワニ物部モノノベとはイシウエ神宮ジングウ祭祀サイシ和珥ワニケイ物部モノノベクビ存在ソンザイなど。
物部モノノベ守屋モリヤ伝説デンセツ 八尾ヤオ渋川シブカワテラ建設ケンセツ  ヒロリョウテラ建設ケンセツセツも。  イシ宝殿ホウデン生石オイシ神社ジンジャ
逃亡トウボウ伝説デンセツ 近江浅井(滋賀県浅井郡)の波久奴神社に。萩生翁と称した。漆部巨阪が身代ミガわり。
物部守屋大連命を祭神とする神社 四天王寺シテンノウジ 守屋モリヤホコラ
大和磯城(奈良県田原本町)村屋坐彌冨都比賣神社の村屋神社
飛騨大野(岐阜県高山市)錦山神社、信濃伊那(長野県高遠町)守屋社
甲斐巨摩(山梨県中巨摩郡)大輿神社、福島県に守屋神社三座
諏訪 守屋山 山頂に守屋の神祠
秋田の唐松神社を目指した物部守屋の一子那加世の足跡か。
守屋の子のスエ 忍人 四天王寺家人  辰狐 肥前国松浦へ  片野田 筑前国鞍手郡へ
推古スイコ天皇テンノウ持統ジトウ天皇テンノウ初代ショダイ3代目ダイメジョテイ 持統ジトウ事績ジセキ推古スイコまれていないか。
カク大王ダイオウムスメ 欽明キンメイ屯倉ミヤケ各地カクチ設置セッチ実質ジッシツ統治トウチ 天智テンジ律令制リツリョウセイ国家コッカゾウり。
そのツギ大王ダイオウオオキサキ 欽明キンメイ敏達ビタツ 天智テンチ天武テンム
息子ムスコ大王ダイオウにしたい、早死ハヤジにしてしまう。 竹田タケダ皇子オウジ 草壁クサカベ皇子オウジ
そのライバルに優秀ユウシュウ皇子オウジ 聖徳ショウトク太子タイシ 大津オオツ皇子ミコ
ササヤク存在ソンザイオオきい 蘇我ソガウマ 藤原フジワラ不比等フヒト
皇女ミコ巫女ミコである。オオキサキになっても、皇子オウジんでも巫女ミコであることにわりはない。現在ゲンザイも。
卑弥呼ヒミコ
ヒャクカサネバイ
イワコレヒメ 南紀ナンキツナりにった。新嘗祭ニイナメサイ使用シヨウ巫女ミコ仕事シゴト
シロカオ皇女ミコ リョウとはミズがはいった容器ヨウキ土瓶ドビン継体ケイタイオオキサキ仁賢ニンケン天皇テンノウ皇女ミコ
カタシオヒメ カタシオとはクロシオシンセンアワビケズってふりかける。
酢加手姫皇女 用明ヨウメイ天皇テンノウ皇女ミコサイミヤとなる。
豊御食炊屋姫尊 カミ食事ショクジ調理チョウリするヒメ
間人穴穂部皇女 アイダヒトとは天皇テンノウカミとのアイダ意味イミ
皇極コウギョク天皇テンノウ ミナミフチ川上カワカミ雨乞アマゴいに祈祷キトウ。これぞ巫女ミコ
孝徳コウトク天皇テンノウ オオキサキ舒明ジョメイ天皇テンノウムスメアイダヒト皇女ミコ彼女カノジョるとヤマイをえ崩御ホウギョヒコヒメセイ頓挫トンザ
『アマテラスの誕生』溝口睦子(岩波新書)『日出る処の天子は謀略か』黒岩重吾 (集英社文庫)
『聖徳太子と法隆寺の謎』倉西裕子(平凡社) 『大王から天皇へ』熊谷公男 (講談社日本の歴史03)
『ヤマト王権オウケンナゾをとく』ツカクチシン学生ガクセイシャ 以上イジョウ
西暦セイレキ 中国チュウゴク 日本書紀ニホンショキ 干支エト 日本書紀ニホンショキ記事キジ
239 ケイショ3ネン 神功ジングウサンキュウネン スエ 魏志ギシオンナオウナンショウコメ洛陽ラクヨウ派遣ハケン
240 セイハジ元年ガンネン 神功ジングウ四十40ネン 庚申コウシン 魏志ギシケンチュウコウテイシュンコク派遣ハケン
243 セイハジネン 神功ジングウサンネン ガイ 魏志ギシオウコエモノワキバサイヌ派遣ハケン
266 タイハジ2ネン 神功ジングウ六六66ネン ヘイ シンテイオンナオウ使ヤク派遣ハケン
百済クダラ
375 神功ジングウ五五55ネン 百済クダラショウオウコウじた。
376 神功ジングウロクネン 百済クダラ王子オウジオウにした。  
384 神功ジングウ六四64ネン オウコウじ、王子オウジマクラリュウオウオウとなった。  
385 神功ジングウロクネン マクラリュウオウコウじ、叔父オジタツオウとなった。  
   ↓    ↓  
386 神功ジングウ六六66ネン タイハジ2ネンの266ネンとは120ネン(2カン)のずれ。