Uga 聖徳太子


1.降誕伝承 
 イエスキリスト  御使いがマリアに言った。恵まれた女よ、おめでとう。主はあなたとともにおられます。あなたは身ごもって 男の子を産むでしょう。神の子ととなえられるでしょう。
 産まれたイエスを飼い葉桶に寝かされた。

 聖徳太子 母親である間人皇后に、救世菩薩が名乗り言った。汝の腹を借りたい。間人は私の原は穢れています。菩薩はかまわないと。
 間人が宮殿を巡回中に馬官に至りて厩戸の所で皇子を産んだ。
 キリスト降誕の伝承を持ち込んだのであろうが、厩戸皇子の名前は誕生時に名づけられた可能性がある。一説には蘇我馬子の邸宅で産まれたからとの説もある。
 法隆寺の夢殿にある救世観音像は聖徳太子を象ったとされる。身長178.8cmで当時としては大男である。日本人離れしている。


2.間人皇后とは 
 蘇我稲目と名称不明の女の間に生まれた小姉君と、欽明天皇との間に生まれたのが、
 茨城皇子・葛城皇子・
 穴穂部間人皇女(用明天皇皇后)・ これが聖徳太子の母。太子の子孫は絶滅した。
 穴穂部皇子・物部守屋に擁立されかかり、蘇我馬子に殺された。
 泊瀬部皇子(崇峻天皇)  蘇我馬子の手先に暗殺された。
 
 祖母の小姉君は小兄媛とも呼ばれた。媛は絶世の美女だったようで、気品にあふれ、はたを圧する、近寄り難いほどの容姿・容貌に恵まれていたとされる。
 間人皇后の間人は波斯人であり、これはペルシャ人のことでもある。奈良時代の官吏で破斯 清道(はし の きよみち)と言うものは式部省大学寮に勤務する員外大属で、ペルシャ人という推定がある。
 間人皇后がペルシャ人であった小姉君の母親の血を受けていたので、ハシヒトと呼ばれた可能性がある。蘇我物部戦争の時、京丹後市丹後町のタイザに避難していたとの伝承が残っている。そこの地名は間人であるがハシヒトとしなかったのには意味があるように思う。この辺りは籠神社の海部氏の支配する地域であり、小姉君の母親の出身地であった可能性があり、間人もこの辺りで産まれたのかも知れない。海部氏が交易を通じて中国(北魏)から胡姫(こき)を招聘し、一人を蘇我稲目に献上したと考えられる。後の時代になるが、唐には数千人の胡姫がいたと言う。
 籠神社の摂社になっている真名井神社の神紋は十数年前まではダビデの紋であったことが想起される。
 大阪市森ノ宮の鵲森宮(かささぎのもりのみや)は用明天皇と穴穗部間人皇后を祀っている。社伝では、蘇我物部戦争の必勝祈願として、両親をここに祀ったとされる。しかし、丁未の乱(用明天皇2年(587年) 7月)の頃には、両親とも生きており、生霊を祀ったことになる。なお、鵲森宮の場所は最初に四天王寺が建立された場所ともいわれている。


3.斑鳩とペルセポリス 


 ペルセポリスの神殿遺跡は西に20度、斑鳩の若草伽藍の跡は西に22度傾いている。斑鳩京、斑鳩寺、原中宮寺、岡本宮、法輪寺なども西22度の傾きで建っていた。飛鳥から斑鳩への太子道(筋違い道)も西へ21度傾いている。
 この20度とは何か。  
 6世紀のペルシャの宗教はゾロサスター教であり、これは古い宗教であるミトラ教から変化したものである。ミトラ教は、後のメシア信仰、弥勒信仰の原点ともされている。ミトラ教はシリウス信仰がある。冬至の真夜中に東20度にシリウスが輝く。則ち西20度に光が届くことになる。ピラミッドの通気口はシリウスをさしている。
 京都の秦氏にかかわりのある、上賀茂神社や広隆寺も西20度である。  
 聖徳太子の教師に高麗の僧・慧慈(えじ)が仏教を担当、さらに外典(そとふみ)を覚袈(かくか)から学んだ。仏教から外典というと、その中には儒教、道教、景教、拝火教、バラモン教、 つまり仏教以外のさまざまな経典が含まれまれている。祖先が信仰していた拝火教に大いに関心をよせたものと思われる。

  斑鳩と飛鳥を最短で結ぶ筋違道が残っています。後世の条里制の区分けがこの道にそっている部分があるそうです。西に21度傾いた道路です。これを基準にして斑鳩の建物が建てられたとも考えることができます。


4.実も蓋もない話 
 6〜7世紀頃の磁北は最大西に17度程度傾いていたことが分かっている。斑鳩宮はそれによって建立されたので、シリウスとは関係がないとの見解もある。
 さて、その頃に方位の計測は、磁石だったのか、北極星を眺めていたのか。磁石の方位は大きく狂うことは知られており、使用されていなかったと言うのが通説である。
 

                             

  法隆寺夢殿の救世観音立像の光背は像の後頭部に直接釘で打ち付けられている。梅原猛氏は怨霊を封じ込めるためであると解説している。

以上

 参考文献
『聖徳太子と斑鳩京の謎』久慈力 現代書館  『聖徳太子』吉村武彦 岩波新書  『聖徳太子』1−4 梅原猛

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