難波と天武
西暦 和暦 区分
671 天智 十年 仏 大海人皇子出家し吉野へ行く                   H天智天皇没
672 天武 元年 呪 6月黒雲天を覆う事態に占いを行う。               壬申の乱
672 天武 元年 神@ 6月朝明郡の迹太川辺から天照大神を望拝        7月大友皇子没
673 天武 二年 神 3月大来皇女を泊瀬の齋宮に居らしめる         2月大海人皇子即位
673 天武 二年 仏 3月一切経を川原寺で書写
674 天武 三年 神 8月石上神宮の神宝を磨き、諸家の子孫に返還させる
674 天武 三年 神 10月大来皇女、泊瀬から伊勢に向かった
675 天武 四年 呪 1月占星台を建立
675 天武 四年 遊          2月諸国で歌の上手、侏儒、伎人を選んで奉れと命した。
675 天武 四年 神 2月十市皇女・阿閉皇女を伊勢神宮に参らす
675 天武 四年 神B 3月土佐大神、神刀一口を奉る。
675 天武 四年 神 4月大忌神を広瀬の河曲に祭る。以降毎年4月7月竜田・広瀬を祭る
675 天武 四年       4月 4月〜9月間、小魚を捕ること、牛、馬などを食べること禁止
675 天武 四年 仏 10月一切経を探し集める使者を諸国に派遣
675 天武 四年 仏 10月飛鳥寺で一切経を転読
676 天武 五年 5月南淵山などの樹木の伐採と畿内の山を焼くことを禁止
676 天武 五年 神 6月旱、諸の神々、諸の僧尼に三宝を祈らせるも雨降らず。
676 天武 五年 仏A 10月諸国で金光明経・仁王経を説した
677 天武 六年 仏 8月飛鳥寺で盛大な齋会をし一切経を読ませた。天皇は仏を礼拝
678 天武 七年 神 春天地の神々を祭るため大祓を挙行、齋宮を倉橋河の河上に建る
678 天武 七年 神 4月天皇齋宮へ幸そうとしたら十市皇女が急死。
678 天武 七年 奇                   難波に綿のようなものが降った。甘露である
697 天武 八年 C                      5月天皇・皇后、六皇子、吉野での盟約
697 天武 八年 宮              11月難波宮に羅城を築く。竜田山・大坂山に関を置く。
698 天武 九年 仏A 5月始めて金光明経を宮中と諸寺で説かせはじめた
698 天武 九年 仏 11月皇后の病気平癒のため薬師寺建立を発願
681 天武 十年 神D 1月畿内・諸国の諸の神社の社殿を修理させた
681 天武 十年 G                          3月帝紀・上古諸事を記録させる
681 天武 十年 遊                     3月新宮の井の側で鼓や笛の練習をした
681 天武 十年 神G 5月皇祖の御魂を祭った 6月全国で大祓えをさせた
683 天武 十二年 仏 3月僧正・僧都・律師の制を定める
683 天武 十二年 仏 7月始めて僧尼を請せて宮中に安居(夏講のため籠もる)させる
683 天武 十二年 仏 7月旱、百済の僧道蔵、雨乞いをし、雨降る。
683 天武 十二年 宮                   12月複都制を行い難波宮造営を命じる
685 天武 十四年 仏 3月家毎に仏舎を作り礼拝供養命ず 5月飛鳥寺に珍宝を捧げて礼拝
685 天武 十四年 仏 8月山田寺・川原寺に幸す。
685 天武 十四年 遊            9月歌男歌女笛吹きは技術を子孫に伝え習熟させろ
685 天武 十四年 遊                9月大安殿で王・郷等を集めて博戯に興じた。
685 天武 十四年 仏 9月天皇病、大官大寺、川原寺、飛鳥寺に経を読ます。
685 天武 十四年 仏 10月金剛般若経を宮中で説かした
685 天武 十四年 遊                 11月大角小角鼓笛や武器が郡家に納めよ
686 天武 十五年 遊          1月諸の才人・博士など二十人を召して食と禄を与えた。
686 天武 十五年 遊                1月天皇は王郷に無端事(なぞなぞ)を出した
686 天武 十五年 宮                                  1月難波宮火災
686 天武 十五年 遊                       1月天皇は群臣に無端事を出した
686 天武 十五年 神 4月多紀皇女・山背姫王・石川夫人を伊勢神宮へ遣わした
686 天武 十五年 仏 5月病む。川原寺にて薬師経を説かす。
686 天武 十五年 神E 6月天皇病む、草薙剣の祟りと出たので熱田神宮へ送った
686 天武 十五年 仏 6月天皇、願わくば仏の威光で身体を安らかにしたい
686 天武 十五年 神F 7月幣帛を紀伊国懸神、飛鳥四社、住吉大社に奉った
686 朱鳥 元年 呪 7月朱鳥に改元 宮を飛鳥浄御原と命名
686 朱鳥 元年 神 8月天皇病で神祇に祈る。幣帛を土左大神に奉った
686 朱鳥 元年                                    10月天武天皇没

珍物 白雉、瑞鶏、白鷹、白鵄、赤烏、芝草、麟の角、赤亀、三ツ足の雀、四ツ足の鶏
十二角の牛が発見されている。
瑞鶏:あやしきにわとり:鶏冠がツバキの花のような鶏
芝草:サンゴのようなキノコで色が変わるもの

地震 元年京内震動、四年十一月大地動、六年六月大震動、七年十二月筑紫國大地動
八年十月地震、十一月地震、九年九月地震、十年三月地震、六月地震、十月地震、
十一月地震、十一年正月地動、三月地震、七月地震、八月大地動、八月亦地震
八月亦地震、十三年大地震、十四年地震、朱鳥元年地震。  20回 いい時代ではない。


天文 13年十一月天文悉く乱れて星隕つること雨の如し
14年3月灰、信濃国に零れる。草木皆かれぬ。4月牟婁温湯、没れて出ず。

豊穣 毎年四月七月に竜田の風の神と広瀬の大物忌神を祭る。

@ 天照大神の望拝
当時、伊勢神宮はなかった。滝原宮に日神が祭られていたかどうかも不明。
 水神の可能性が大きい。速秋津彦・比売か。
望拝(手寄せにをがむ)とあるのは太陽そのものを拝んだと見ていいのでは。
 望には「月」の字、月ほど遠いものを対象としている。太陽そのもの。
育てられた大海宿禰家に伝わっている太陽(天照らす日女の命)崇拝を思い起こす。
 海人族は太陽信仰を持っていた。
祖先神天照らす日女の命の着想は皇子を甦らせ帝王としての尊厳・使命を自覚させた。
仏には居場所。阿弥陀仏は極楽浄土。薬師仏は浄瑠璃世界。観世音菩薩は補陀落浄土
→天照す日女命を天照大神としてその大神の住む世界として高天原を構想。
更に、大国主を冥界の神。天皇は現世の神。
 神にも居場所がほしい。


A 金光明経
天武による国家仏教の経典が金光明経。
国王は悪をしてはならぬ。見逃してはならぬ。臣下や民に善を教え、不善から離れしめる。
その国の人民は金光明経によって国をおさめる国王を仰ぐこと。
国王は金光明経を供養し尊重し世に広める。
国王が国王としての使命を受けるのは天の加護による。
 王権神授説
父王の妃の胎内に入るのも神の加護である。国王の尊貴身分は神と異ならない。
 万世一系の思想。
現人神・万世一系。仏主神従の体現。『飛鳥白鳳仏教史』田村圓澄著

B 土佐大神
『土左国風土記逸文』に「土佐の高賀茂の大社 その神の名を一言主尊とする。
一説では大穴六道尊の子、味鋤高彦根尊であると云う。」とある。
『日本霊異記』の中に「賀茂朝臣の一族である役小角と一言主神との暗闘の事が記載
されており、一言主神は鴨族の神ではないと思う。
土左大神とは高賀茂の神とは阿治須岐託彦根命のこと。
 『続日本紀』昔、雄略天皇狩りの時、神が老人となって競い合った。だから神を土佐に流した。
 記紀には、雄略天皇が葛城山で狩りの際、一言主神が出現したとあり
 流されたのはこの一言主神と思われていた。

C 吉野盟約
天武帝、持統皇后、草壁皇子、大津皇子、高市皇子、河嶋皇子、忍壁皇子、芝基皇子
他にも皇子がいるが八名による盟約に意味。持統を実の母と敬う。裏切り一番目は持統。

D 社殿修理
斉明五年に、出雲の熊野大社を修理させている。
一部の神社には社殿が設けられていたようだ。奈良時代の春日大社でも当初は鳥居だけ。
神社建築の発展  仏教建築に対抗の説
原始の神社と発展
モリ 自然的な宗教空間  ヒモロギ・磐座・神木
沖縄の御嶽、鹿児島の森殿、壱岐対馬の八房、済州島の堂(タン)。
 八房、矢房とも記す。天多久頭魂神社にその姿が残る。
 沖縄の籔薩御嶽もその流れか。

ホクラ 人工的な高床式建物で武器などの倉庫として用いられる施設。
春から秋は神殿、秋から春は米の倉庫。
ヤシロ 人間が神の坐す所として定め建てた施設
ミヤ ヤシロの発展形でカキ・カドで囲まれている空間の神殿

E 草薙剣
出雲神話(記紀)の八岐大蛇退治伝説は出雲国風土記にはなく、出雲の伝承ではない。
ギリシアのペルセウス・アンドロメダ形神話であり、世界の広い範囲に分布している。
天火明命の御子が天香語山命(尾張連祖)、その御子が天村雲命亦名天五多底命。
天五多底の名は素盞嗚尊の御子神の五十猛と同じ、素尊が劔を取り出した伝承が出来た。
草薙剣の元の名は天村雲剣であり、元々熱田神宮の御神体の剣だったのでは。
日本武尊が伊吹山に登る際、尾張の宮簀姫の手元に残していったのが裏付け。
天智七年668、新羅僧沙門が盗み出したが、途中で風雨強くなり、放出で剣を放出。
阿遅速雄神社に納め祀られている。また鴫野の八劒神社に蛇として出現・祀られている。

F 国懸神
紀伊国懸神とはここで突然出てくる。以下に『紀』の紀の神の記事
花窟神社←伊弉冊尊生火神時。被灼而神退去矣。故葬於紀伊國熊野之有馬村焉。
日前神社←全剥眞名鹿之皮。以作天羽鞴。用此奉造之神。是即紀伊國所坐日前神也
伊太祁曽神社←大八洲國成青山焉。稱五十猛命爲有功之神。即紀伊國所坐大神是也
竃山神社←紀伊國竃山而五瀬命薨于軍。因葬竃山
後世、国懸神の御神体は日矛と言われ、新羅系の匂い。国を脅かす・国を輝かせる神と
して新羅に降臨した紀伊国の大神と記述されている伊太祁曽神の意味と思われる。

G 律令制の導入
国生み神話は国土は天皇の祖先が生んだ土地、即ち公地公民制度。
天皇は神である。歴代の天皇も神。王権神授の思想はは金光明経でも言われている。
 律令のハード 支配組織と律令
 律令のソフト、神話と天照大神信仰

H 天智と天武
大海人が中大兄と兄弟であり、年上であれば大海人が先に天皇になっている。
兄弟ではなく年上なら、とっくに殺されている。年下の有間皇子ですら謀殺されている。
大海人は有力な候補だが、中大兄を脅かす存在ではなかった。歳の離れた弟だった。
天智の娘4人も妃にしていることは、次の天皇は大海人皇子以外は考えられなかった。
天智の娘4人も妃にしていることは、天智と天武の年齢差は大きいことを示している。
天智18歳で太田皇女誕生と仮定。太田皇女15歳で天武に嫁いだと仮定。→
その時の天武は18歳から25歳と仮定。天智は33歳、天武との年齢差は8〜15歳。→
天智は皇極19歳の皇子、天武を生んだ歳は27〜34歳、歳の離れた異母兄弟の可能性も!


天武の性格
○ 神
戦勝祈願、五穀豊穣、律令制導入・天皇神格化、病気平癒
現世利益、天皇霊の儀礼整備(大嘗祭や伊勢関係が主)、稲作豊穣の儀礼整備。

○ 仏
五穀豊穣、金光明経による律令制導入・天皇神格化、病気平癒
仏の光明と天皇の威光を不断に示現。

○ 呪   ここに天武の本音があるのか。
戦意鼓舞。瑞兆多い。しかし地震多発。天文の乱れ。あまり良い時代ではなかった。

○ 遊とユーモア
歌の上手、侏儒、伎人。鼓や笛。博戯(ばくち)。無端事(なぞなぞ)。 → 神事に通じる。
万葉 天皇の藤原夫人(ふじはらのきさき)に賜へる御歌(おほみうた)一首
0103 我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後
藤原夫人の和へ奉れる歌一首
0104 我が岡のおかみに乞ひて降らしめし雪の砕けしそこに散りけむ

○ 高市皇子・十市皇女の歌と愛
大友皇子の室だが、彼を攻め殺した高市皇子との愛・・・
万葉 十市皇女の薨(すぎま)せる時、高市皇子尊のよみませる御歌三首
0156 三諸(みもろ)の神の神杉(かむすぎ)かくのみにありとし見つつ寝(いね)ぬ夜ぞ多き
0157 神山の山辺(やまへ)真麻木綿(まそゆふ)短か木綿かくのみ故に長くと思ひき
0158 山吹の立ち茂みたる山清水汲みに行かめど道の知らなく

○ 難波
天武天皇を育成した凡海氏は摂津の凡海氏。尾張に同族、これが壬申の乱で応援。
孝徳天皇に従い難波宮に居たが、中大兄皇子に従い飛鳥に戻る。

○ 殯宮
2年2ヶ月。神であった天武天皇とは言え、この腐敗臭は何だ!私(持統)は早々に火葬。

神奈備にようこそ