Uga 兎

令和五年 白兎と和邇 


 1.古典から
 古事記。因幡国風土記  兎が海を渡ろうとして和邇の数を数えるといって、一列に並べた。渡りきる寸前に「やーい、だましてやった。」といったので、つかまり、皮をはがされて、赤裸となった。一列に並ぶ習性のあるのは、シャチである。

 日本書紀 山幸彦の子供を身ごもった豊玉比売は、和邇の姿にかえって出産し、ウガヤフキアエズノ命を生んだ。 赤子を生むのは哺乳類である。ワニやサメではない。
 出雲国風土記 意宇郡 天武天皇の時代、語臣猪麻呂の娘が日女埼(ひめさき)を散策していると、 ワニが現れ猪麻呂の娘は食われてしまった。娘めの仇を討とうと神々に祈り、100匹ほどのワニが一匹のわにを猪麻呂の前へだしたので、腹をかっさばいた。
 出雲国風土記 仁多軍 古老の伝えにいわく、一匹のワニが、阿伊の村に坐す神タマヒメノミコト(玉日女命)を恋慕い、川を上って来た。そのタマヒメは石で川を塞 いでしまったのでワニは逢うことができず恋慕ったので恋山という。
 肥前国風土記 佐嘉郡 この川上には石神があり、名を世田姫(よたひめ)という。海神である鰐(ワニ)が毎年流れに逆らって川に上り、この神の所に来る。その時には海底の小魚がたくさん従ってやって来る。人がその魚を畏怖すれば災いは起きないが、人が捕って食えば死ぬことがある。この魚たちは2,3日は留まるが、また海に還っていくという。
 壱岐国風土記逸文 鯨伏郡 昔、鰐、鯨を追いかければ、鯨走り着て隠れるので、この地名となった。 北極海の入り口で鯨(の子供)を襲うのはシャチである。

 中国地方では、サメ・フカのことをワニという。
 野田さんは、ワニを獰猛な海洋生物と規定し、サメ・フカや鰐、シャチを包含しています。

 兎
 赤い目の白いウサギは、遺伝子の異常によりメラニン色素を作ることができなくなったアルビノのウサギです。メラニン色素が作れないため、体毛にも色が入っておらず白く見えます。メラニン色素を作ることができるウサギの目は、虹彩の部分にもメラニン色素が含まれ、黒や褐色になります。メラニン色素が無いと虹彩が無色半透明になるため、眼底の血管の色が透けて赤い色になります。
 明治初期に輸入された外来種と日本の在来種から、愛玩用にアルビノのジャパニーズ・ホワイトというカイウサギが作られました。
 戦時中には、肉と毛皮が取れることから軍需産業としてウサギが飼育されました。肉の需要に応えるべく、より大型で白い海外の品種とかけ合わせることでジャパニーズ・ホワイトを大型化しました。毛皮については、染色がしやすいことから重宝されました。戦後、学校での飼育が推奨されるようになり、ジャパニーズ・ホワイトが学校で飼われるようになりました。私達にとって、赤目の白いウサギが身近であるのは、戦時中の白い毛皮のウサギの需要や、学校でのウサギの飼育の推奨が関係しているようです。
 兎には、色素のない兎(目が赤く見える)と色素のある兎(目が黒い)がある。因幡の白兎は色素のない兎だったようだ。赤裸。

参考 『ワニ考』古代史の海 野田昌夫 

ウガ史話

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