縣神社
宇治市宇治蓮華72
鳥居
交通
宇治橋から平等院鳳凰堂の後ろの道を歩くits-mo
祭神
木花開耶姫命
拝殿
由緒
宇治県の守護神として建立されたと言う。『山州名跡志』は「土人アナタノ社トイフハ、例ノ片言ナルベシ、祭ル所ハ弓削道鏡霊云々」などと記す。
背後からの本殿
たたずまい
宇治橋の近くに大きい鳥居がある。
祭礼の為に商店街に電灯をともすべく、電線をひいている工事に出会った。約2kmに及ぶようだ。 ここの祭礼には梵天と呼ばれる依代が渡御し、全国から信者が集まる盛大なもののようだ。
お祭り 6月5日
『平成祭礼データ』
縣神社縁起 略由緒
当社は天孫天津彦彦火瓊々杵命の妃、木花開耶姫命を奉祀し、神代以来、当地の地主神であった。「あがた」の名は上古の「県(あがた)」の守護神であったことを示す。平等院建立以前では、蜻蛉(かげろう)日記に右大将道綱の母が宇治に来た時、あがたの院に詣でたことを記している。
後冷泉天皇永承七年(西暦1052年)、時の関白藤原頼通の平等院建立にあたり、同院総鎮守となり姫命の御名の如く清く美しく、藤原氏の繁栄を祈誓したのである。
明治維新までは大津市の三井寺円満院の管理下にあったが、これは平等院が三井門主の開眼にかかり、天台宗に属していることによる。改築修繕はもちろん、例年五月五日(旧暦)の大祭当日は院主宇治に出張し、神前で大護摩供養親修、国家の安穏を祈誓したものであるが、維新の後、神仏分離令によってその管理からはなれ、大祭当日も新暦によって六月五日に改められた。以後数度の改築を経て、現社殿は昭和十一年新たに造営のなったものである。
以上 |
『寺院神社大辞典 山城』
京都山城の神々
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H17.5.20 |