朝日神明宮
京都市下京区麩屋町五条上る鱗形町

交通
京阪五条駅 西へ300m北へ上がる googlemap

鳥居

祭神
国常立尊、天照皇大神、伊弉諾尊、伊弉册尊、倭姫命

由緒
 貞観年間(859〜877)に倭姫のお告げによって丹波国桑田郡穴太村に造営され、元亀三年(1572)現在地に遷座したと伝わる。当時の境内域は南北が現五条通から現松原通、東西が現河原町通から現富小路通に及ぶ広大なものであったと云う。南北400m、東西200〜300m。確かに昔の神社、寺院、貴族や武家の屋敷は広大なもので、一般民衆の住居はそれらの周りに胡麻の如く散らばっていたと云う。
 この一帯は幸神の森と呼ばれる木々の生い茂った森であったと云う。

 京の神社は大概がそうだが、天明八年(1788)、元治元年(1864)の大火で社殿は焼失、社域は狭くなっていった。

社殿

たたずまい
 往年の社域の広大さは到底想像だにできない狭さ。木々も少ない。
 門前に「石門心學修正舎」の碑が立っている。 神社へ行くためにのみ存在する狭い道をたどってホテルの南側の領域に今にも押しつぶされそうに鎮座、屋敷神のようだ。

覆殿の中の本殿

お祭り

  9月 吉日 大祭

京都山城寺院神社大事典(平凡社)、境内掲示

京都山城の神々

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H17.4.1