恵美須神社
京都市東山区大和大路四条下ル小松町125

鳥居


交通
京阪四条駅 真南へ400m mapfan

祭神
八重言代主大神、大國主大神、少彦名神
摂社 小松天満宮、岩本稲荷社、白太夫社、猿太彦、八幡宮社、祖霊社

拝殿

由緒
 大和大路に東面して鎮座。式外社。
 建仁年間(13世紀初頭)、建仁寺建立の際、僧の栄西が鎮守として勧請した。『都名所車』(1714)には、「栄西禅師入唐の時、舟中俄に波風あらく吹て、舟中のひとびとおどろきさわぐ折ふし、禅師少しもさわぎ給はず、海上にむかひて拝し給へば、いづくともなくゑびすの神体あらはれ給ひ、舟のへさきに立給ふと、たちまち波風しづまりければ、それよろ御すがたをうつしとどめて帰朝の後、当寺の鎮守となし給ふ」と記す。 応仁元年(1467)の戦火に焼かれた建仁寺を再建するに際し、現在地に移転したと云う。
 折から七福神信仰が高まり、祇園旅所の冠者殿と並んで商売の神として信仰を集めた。

西門と本殿

たたずまい
 本殿横の板を叩いてお参りする処があるが、何となく出雲大社のことを思い出す。本殿の中で神は西を向いているのが出雲大社、こちらの神社では南向きの神がおられるのであろうか。
 鳥居をくぐると、右側に二つの石碑があり、鳥居側の名刹塚、拝殿側に財布塚と並んでいる。何となく富も名誉もと云う感じ。拝殿左右に摂社も所狭しと並んでいる。

本殿横の板をたたいてお参りする処

お祭り

 当社のゑびす祭は九月二十日であったが、正月十日の初蛭子、十月二十日も賑わっていた。十日ゑびすの風は大阪今宮戎が本来で、京都に及ぶのは江戸時代中期のようである。今日では初蛭子が露天も並び盛観である。

 正月 八日〜十二日 十日ゑびす(初ゑびす)
 五月第3日曜日 例大祭
 十月 十九日〜二十一日  二十日ゑびす(ゑびす講)

京都山城寺院神社大事典(平凡社)、平成祭礼データ

京都のゑびす神社 公式サイト

京都山城の神々

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H17.4.1