布留井神社
京都市南区大宮通り八条下ル 石橋町東側

鳥居がわりのお地蔵さん


交通
JR京都駅西へ15分 mapion

祭神
倉稲魂神

神社

由緒
 布留の名称は大和国石上神宮(布留御魂神)を勧請したのによる。石上神社とも言う。

 伝説が残っている。
 夜は深々と眠っていた。
 いまはもう通りにも人の歩く姿はない。五条通は昼間のにぎやかさがまるでうそのよう。そんな闇をぬって、本圀寺塔頭の真如院に一つのカゲが走った。そして、堂内に人のいないのをたしかめると、ツッと中に消えた。
 盗っ人である。
 彼にとってその夜は待ちに待った夜だった。うわさに高い堂内の日蓮上人像をねらっていたのだが、住職の広円坊が家をあけない。たまたま、法事で広円坊が出かけたと、聞き込んだのを幸いに決行となった次第である。
「なんのこの機会をのがしてなるものか」
 盗っ人、首尾よく、上人像をかつぎ出すと、大宮通を南へ一目散。が、布留井神社の前まできたときである。前から、下駄をコロコロころがして、一人の男がやってくる。見れは広円坊ではないか。
 「チェッ、悪いところへあの坊主奴ッ」
 盗っ人ほあわてて暗い神社の境内に逃げこんだ。そうでなくてもその夜は一寸先はヤミ。盗っ人、
 「アッ」
 と、いう間もなく境内の井戸にもんどり打って落ちた。
 日蓮上人像は無事、広円坊の手にもどったのはいうまでもない。盗っ人も助け出された。
 話は翌朝、一帯に広まり、人々はあらためて神罰のおそろしさに身をふるわせた。

 神社はまた、一説に渡辺網が羅城門に金札を立てにいく途中、当社に馬をつなぎとめようとしたところ、あたりをおおった妖気に馬がおびえて身ぶるいしたという伝説もある。

トタン小屋

たたずまい
 路地の突き当たりに倉庫のようなトタン張りのかこいがあって、前にお地蔵さんが二体。それが、わずかに参道の形で開いていて、トタンがこいのなかの、神社の所在を示しているにすぎない。

 「ヌノトメイジソジャつてどこ?……ごくまれですが、たずねにくる人はいはります。でも、ご近所でも、この社を知っている人は少ないのとちがいますか。まして、伝説なんて:::」
 トタソかこいの社の錠は、石橋町の向こう三軒両隣が交代であずかっている。もはや、路地のなかでも肩身がせまくなった社である。 路地の入り口にお茶葉の小売り店がある。清風園。ここへ飛び込んだら丁度鍵を預かっていてくれて、開けてくれた。
 神社は現在地より西に鎮座していたが、大宮通りの拡張のさい、当地に移転されたと言う。

お祭り 

『京都・伝説散歩』京都新聞社

京都山城の神々

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H17.4.22