宗像神社
京都市上京区京都御苑9

鳥居


交通
京都御苑南西角 mapfan


祭神
多紀理比賣命、多岐津比賣命、市岐嶋比賣命
摂社
  金刀比羅宮 大物主神 崇徳天皇
  少將井神社 櫛稻田姫神
  花山稲荷社 倉稻魂神
  京都觀光神社 猿田彦大神
  稲荷命婦社 命婦稻荷大神  

舞殿

由緒
 境内説明板から
 本社は宗像三女神、即ち多紀理姫命、市岐嶋姫命、多岐津姫命を主祭神として祀る。宗像三女神は別名「道主貴」といい、これは全ての道を司る神の尊称である。道の神(交通・運送の神)、また海の神(出産、生産、産業・文化の神)として信仰されている。
 この地はもと小一条殿(文徳天皇皇后明子の里、藤原忠平の邸宅)といい、平安の御代、清和天皇ご誕生の地である。
 社伝によれば、平安京遷都の翌年、延暦十四年(795)、桓武天皇の命により、藤原冬嗣ぐが筑紫(現在の福岡県)」より勧請(神様をお招きすること)し、創建されたと伝えられる。その後、歴代皇室の御尊信篤く、応仁の乱(1467〜)の兵火で社殿ことごとく焼失した後、再建された。現在の社殿は江戸期安政年間(1854〜)に再建されたものである。
 明治維新までは花山院家の邸地となり、本社もその邸内にあったが、邸宅が廃せられて後は社殿のみ残った。境内は樹齢六百年といわれる京都御苑最長老の楠の巨木があり、桜の老木は御所の紫宸殿の左近の桜を拝領したものである。また「葉書」の語源となったとも言われる「多羅葉」の樹が社殿正面にある。
 境内社としては花山稲荷神社、教徒観光神社、少将井神社、繁栄稲荷社、金比羅宮がある。
              京都市

拝殿

本殿

お姿
 御苑内に鎮座している神社なので、木々は豊かである。
 また、神職が常駐のようである。観光客が多いのだろうか、崇敬者がそれほど多いとも思えないのだが・・

 京都観光神社と言う神社が鎮座している。
 恵まれた観光京都に感謝の念を表すため観光関係者が相寄り創建し、猿田彦大神を守護神として敬神崇祖の念を発揚することにより業者並びに市民の家運隆昌に資する目的を以て建立す。 昭和四十三年

京都観光神社
 

琴平神社 繁昌稲荷社・少将井神社
 

お祭り 9月 15日

『平成祭礼データ』

参拝のしおり
宗像大神は、古事記、日本書記にも記してあります通り、遠く日本建国にあたり天孫降臨に先立って、御親神天照大御神より「汝三柱の神は、宜しく道の中に降りまして天孫を助け奉りて、天孫の為に祭かれよ」と御神勅をいただいて、九州の福岡の宗像の地の鎮まり給うたのであります。京都御所の宗像神社は、延暦十四年(平安京創立の翌年)太政大臣藤原冬嗣公恒武天皇の勅命に依って、皇居鎮護の神として祀られたのが始めであります。
 帝王編年記、三代実録の古文書の中に当社を小一条殿と称され清和源氏の祖、清和天皇御降誕の地と記されて居ります。
 枕草紙、花山院家記には、花山天皇の御代内裏を一時当社に移され、花山院殿と称された事があると記されて居ります。斯くの如く、皇室との関係も深く。千二百年来皇居守護の神として、御歴代の御尊崇厚く宮中より官幣、神饌の御供進もあり、公卿公達の参拝も多く賑はった御社であります。
 宗像大神は、別の御名を道主貫(みちぬしのむち)と申上げます。之は、全ての道を司どり給う大神の尊称であります。
 平和の女神として、伊勢神宮とともに、日本人と行う道をはじめ交通、文化、産業の道の安全繁栄の守護神とされて居りますことは歴史の上にも明らかなところであります。 一般信仰としては、俗に弁天様と申上げ御所の弁天様と親しまれ、家内安全、交通安全、家運隆昌の他、安産招福、健康、勧学にいたるまで、あらゆる階層による祈願が絶えません。
 殊に京都御所の御苑内の南西にあたって鬼門を守る位置にあり方除けの神として市中のなじみ深く建築関係者の参拝が特に多いのも、その御鎮坐の縁起によるものです。
 以上

『寺院神社大事典山城』平凡社

京都山城の神々

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