歯神之社
京都市南区油小路通東寺通下ル 二筋目西入ル西条蔵王町

鳥居


交通
近鉄東寺駅 東北角を東へ30m mapfan

祭神
菅原道真、行者寛算

社殿

由緒
 学問の神とあがめられていふ菅原道真が、時の執権藤原氏に追われ、筑紫の国太宰府に流されて静かに世を去って間もないある夏の日、平安京は激しい雷雨。都人はひどい天災に見舞われた。道真の怨霊が、九州の地から、うらみ重なる藤原氏のいる京へ飛来、雷となってあらわれたのだ。そのとき、道真を慕う筑紫安楽寺の行者寛算も、道真に同行、雷と化して京の空へ飛来、藤原時平らを空からさんざん悩ませ、石となって、蔵王の森に落下した。
 時平らが滅んだので安心したのか、蔵王森南側の原っはに、ものすごい地響きと共に落ちてきたのである。
 「神のたたりや、道真公を追っばらったバチがあたったんや。あな、恐ろしや、そやけど、この寛算の霊、民に罪はないと思ったのか、人家をさけておりてきた」
 人々は、天から降ってきた巨石のまわりに集まり、あれこれとうわさした。
 この巨石の飛来に驚き、おぴえたのは宮人たち。「大鏡」にも、三条天皇のころに、寛算が変怪となってあらわれたことがしるされ、三条天皇も寛算内供奉のたたりで、目をわずらったことが書かれている。その後、魔よけが病よけになり、いつしか”歯神″としてまつられるようになった。以後、寛算石をおがむと歯痛がびたりと止まる、といい伝えられ、いまだお参りが絶えない。

境内の石

 

たたずまい
 近鉄東寺駅の東側。路地にそって”寛算石”はある。 赤い鳥居が四柱、十六平方メートルほどのおやしろに、供花が絶えない。いかにも下町の、守護神らしいたたずまい。でも、このおやしろ、つい二十年ほど前までは、荒れ放題、ご神体の〃寛算石〃も風雨にさらされていた。 「遠方からお参りが絶えないのにこのままでは、と地元で話がまとまりまして復元、子供のための守り神としましてね。ミコシもつくって西九条の子供たちにかつがせています」と〃ちびっこたちの神さま〃として見事によみがえった。
 毎年五月五日には稚児行列、神輿が町内を練り、あわせて、歯痛封じのお箸が町内の人々や信者に配られる。
 「はしをそなえて拝むと歯痛がなおるといわれましてね。孫の手を引いたおばあさんが遠方からみえます。とにかく不思議なくらい、よく歯痛がなおります。歯だけでなしにどんな病気もなおりますよ」
 どうして歯によくきくのか。やしろの復元に当たって、伝説、史実をすべて調ペ上げたという松村さんは、 「実はあの石、隕石なんですね。だから科学的根拠がある。石に近づくと自然のラジウム温泉にはいっているのと同じ効果なんですね」

お祭り 

『京都・伝説散歩』京都新聞社

京都山城の神々

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H17.5.20