平岡八幡宮
京都市右京区梅ケ畑宮ノ口23

鳥居

交通
JR・京都市バス 周山街道 平岡八幡宮下車 ゼンリン

祭神
應神天皇

摂社
 地主社「地主大神」
 武内社「武内宿禰」
 貴布祢社「罔象女神」
 若宮八幡社「應神天皇」

社殿
 

由緒
 高尾山神護寺の守護神として、弘法大師が平安初期の大同四年(809)自ら描いた僧形八幡神像を御神体として、宇佐八幡より勧請、創建された。山城国最古の八幡宮である。
 石清水八幡宮は行教が貞観元年(859)に宇佐宮に参詣したことが契機と言われている。宇佐八幡宮の平安京への進出は宇佐大神氏が和気清麻呂の和気氏やそのつながりの行教らと結んで行ったと思われる。その和気氏の氏寺が神護寺であり、宇佐八幡宮の神託によって建立されたと伝わる。その寺の守護神として平岡八幡宮が勧請されたのは頷ける所。

 平安末期、貴族社会の没落、武家勢力の伸張と共に、荘園を失った寺社の荒廃は著しく、神護寺・平岡八幡宮も廃絶の時もあったが、神護寺再建に生命をかけた文覚が、建久元年(1190)再興した。

 室町期に入り、応永十四年(1407)火災により焼失したが、前の将軍足利義満によって、直ちに再建された。足利市は八幡神を氏神と仰ぐ清和源氏の後裔であり、近くの北山第(後の金閣寺)を別邸としていたことが関連していると思われている。

本殿

本殿

たたずまい
 辺鄙な場所と思っていたが、JRバスは20本に一度、そこに市バスも加わり、以外に便利な場所であった。
 鳥居から参道が続く。参道を生活道路としてうる家々が並ぶ。参道の途中に椿の道への入口がある。参道の突き当たりに樹齢八百年とも言われるツブラシイの木がある。神木。
 山の岩神と呼ばれる一見さざれ石かと思われる石が祀られている。大山津見を祀る。

 足利義満の御所(室町第)は花の御所と呼ばれていたが、当社の神殿天井には極彩色の花絵がある。特別拝観中であり500円で宮司さんの解説付きで見ることができる。

ツブラシイ 山の岩神

お祭り

 10月 10日 例祭

為朝の試し石 花の天井の説明板

参考書 京都山城寺院神社大事典(平凡社)

京都山城の神々

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H20.10.27