新日吉神宮(いまひえじんぐう)
京都市東山区妙法院前側町

西向きの大鳥居


交通
京阪七条 東1km its-mo

祭神
大己貴命、大山咋神、大山咋神荒魂、菊理姫命、田心比売命、賀茂玉依比売命、賀茂玉依比売荒魂、後白河天皇
相殿 素盞嗚尊、大年神

楼門

由緒
 永暦元年(1160)後白河法皇の院御所法住寺殿の鎮守として近江日吉宮から勧請され、院御所の北東に祀られた。造営は平氏の負うところが大きかった。
 鎌倉時代、応仁・文明の乱で焼失を繰り返し、その間の推移は明かではない。
 豊臣氏滅亡後、豊国廟が破却され、その地に社殿以下が再建された。豊国廟破壊の後に樹下神社が作られた。木下藤吉郎を祀る。
 江戸時代の神主家は藤島家といい、歌の家であり、本居宣長、上田秋成、小沢芦庵などが出入りした。

御神猿
日吉大神の御使者で、信者の災禍を去るとされる。

  </

舞殿

お姿
 広い境内の神宮。
 豊国神社とも呼ばれているようだ。
 すがすがしい雰囲気を醸し出している。楼門、拝殿、本殿、神木と磐座が一直線に並び、壮観である。特に神木のスタジイの巨木とその根元に磐座が祀られている。これまた壮観と云うべきか。

拝殿

本殿

神木と磐座

お祭り 10月 16日

豊国神社

『寺院神社大事典山城』平凡社

京都山城の神々

神奈備にようこそにもどる

H18.12.1