異名同神説への疑問
原田常治著 古代日本正史の論理の検証


 神社と歴史に関心を持たれる人々が、虚偽の論理を鵜呑みにせず、自らの調査と自らの思考で真実に迫るために、敢えてこのページを作成しておきます。

1.上賀茂神社の祭神の賀茂別雷神は饒速日命であるとの説


古代日本正史の説明

神社名鑑による愛媛県伊予郡双海町の三島神社の祭神と由緒は以下の通り。

祭神は大山積命、雷神、高オカミ神の三座である。初め下津宮は諾冉二座、中津宮は饒速日命を祭祀、後に大三島より大山積を勧請、古くは河内神社と称した。

現在の中津宮(第二殿)の祭神は雷神、昔はこれを饒速日命と言っている。だから、雷神は饒速日命、従って賀茂別雷神は饒速日命と同一。

なお、古代日本正史では、朝廷がよくお参りした神社は皇室の祖神を祀っているはずで、その中の一つが上賀茂神社であった事、また天照御魂神が本来の天照大神であるので皇室がお参りしたとの見解を先に示されている。

平安京の守り神として、上賀茂神社が崇敬されていたのは事実である。


神奈備の見解


 中津宮の現在と過去の祭神を同じと見るなら、下津宮はどうなるのか?
現在の下津宮(第三殿)の祭神は高オカミ神、昔は諾冉二座。これが同一神であるのか?
これが成り立たねば、雷神=饒速日命は成り立たないのではないか。

三島神社の由緒の正しい読み方は次の通り。
 初めは諾冉二座と饒速日命が祭神であった。しかし現在の祭神は大山積命を加え、雷神、高オカミ神である。 饒速日命に代えて雷神を、諾冉二座に代えて高オカミ神を祀っている。

 この三島神社をかっては河内神社と称していた事から、当時の祭神は饒速日命であったとする由緒はうなずける。 しかし由緒は雷神と饒速日命とを異名同神と言っているのではない。ここに筆法のごまかしがある。意図した騙しであろう。

なお、上賀茂神社祭神の賀茂別雷神と饒速日命は同じ神であるとの説は原田さんが初めてではなく、 丹後の宮津の海部氏系図で有名な籠神社に伝わる由緒では、主神の彦火明命はまたの名を天火明命、天照御魂神、天照国照彦火明命、饒速日命、また極秘伝によれば山城の賀茂別雷神とも異名同神であり、その御祖の大神(下鴨)も併せ祀られているとも伝えられる。 とある。
 原田氏の推論は騙しだが、同一神は簡単には否定はできない。 嘘から出た真かもしれません。



2.熊野本宮大社饒速日命、速玉大社素盞嗚尊とする祭神説


古代日本正史の説明

神武東征の途上、神武天皇が亡き義父の饒速日命を祀った事が熊野本宮大社の始まりとする。
神武天皇は大和へ養子縁組が成立して、苦労を重ねて熊野の方に迂回して大和に入る途中の道であり、そこに高倉下、八咫烏などの味方があらわれホットしたから、神祭を行ったとされる。

また熊野本宮大社の本来の祭神を事解之男神とされこの神を饒速日命とされる。現在の主祭神は家津美御子神であるが、これは後世に素盞嗚尊にするべく取り替えたとされる。


熊野速玉大社の祭神の速玉之男尊は素盞嗚尊である。これは素盞嗚尊は出雲の熊野大社に祀られている事、速玉之男尊は武速素佐之男の別称である事によるとする論拠です。「速」が共通だからです。

なお、ここでも朝廷がよくお参りした神社は皇室の祖神を祀っているはず。その中の一つが熊野坐神社や速玉神社であった事を前提としています。
 いわゆる熊野詣です。これは祖神を崇敬すると言うよりは、修験道の霊地として、また浄土思想での阿弥陀信仰に加え、那智の地を補陀落渡海の地と見る、仏教的な意味が大きいと思われます。


神奈備の見解


 熊野本宮大社の由緒は次の通り。神社庁CDから
第十代崇神天皇65年に社殿が創立されたと(皇年代略記)(神社縁起)に記載されております。 明治維新の神仏分離により「熊野坐神社ー後に熊野本宮大社となりました。明治22年の熊野川の大洪水にて現社地に御遷座申し上げました。

 熊野坐神社を神武天皇が創祀したとは原田氏の想像である。ここには説得力のある論理はありません。人の想像は自由です。従って批判すべきではありませんが、いささかの疑問点を出しておきます。
  神武天皇こそ神と人皇とをつなぐべく創作された天皇であり、実在は殆ど絶望的であります。 
  百歩譲って、神武天皇と饒速日命を存在した人としても、神武が熊野を通過中には、饒速日命は神去っていたとする旧事本記の説が正しいとどうして言えるのでしょうか。記紀では存命中のはず。 そのように早々に死んで、なぜ天照御魂神とたたえられるのでしょうか。御年神の親だから?それなら種馬神です。
  「日」の神である天照御魂神を川の中州に祀るでしょうか。日の出が見える山の上がよろしいかと思いますが。 
 また、神武天皇が大和へ婿入りしていくと言う物語は先代旧事本紀の主張、すなわち零落しつつある物部氏の主張です。これを鵜呑みにしていいのでしょうか。

 大和葛城坐一言主大神は言離(ことさか)之神です。 熊野坐神社の事解之男神と同じです。こちらを同じ神と見なす方が自然です。しかし一言主神社では同名でも同一神とは見ていません。ましてや異名同神説は難しいものです。


「速」が共通だから玉之男尊は武素佐之男の別称であるとしますと、なぜ饒日命や勝瓊瓊杵尊と速玉之男尊が同一ではないのでしょうか。


 原田常治さんの古代日本正史は多くの人々を古代、神社、神々への興味をかき立てたと言う点で大切な役割を果たしています。 しかし、論理的思考に不慣れな若い人々に巧妙な話術で騙すような新興宗教の誘いにも似た陥とし込みのテクニック、また若い人の情報不足に加え、活字になっているものを信用する気持ちを巧みに利用した騙しのテクニックは、さらには全く論理がないにも関わらず、推測に推測を重ねて最後に判ったとしてしまう筆の運びのテクニック、これらのテクニックは政治家を目指す者には参考にはなるでしょうが、決して真実に迫る手法ではないと思います。



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